アメリカの大学生が書いたペーパーを採点するのは、今でもなんとなく気がひける。アメリカで育ち、学校教育を受けてきた学生たちの書いたものを評価するだけの実力が自分にあるのだろうか、といつも疑問に思ってしまうが、仕事だからと割り切っている。
ペーパーの形式、基本的な文法、大体の内容などは、どうにかそれなりに評価できるが、文章表現がぎこちないかそうじゃないかなどは、私の感覚では間違っていることもある。また文章力の欠けている学生の書いたペーパーの意味を取り違えてしまうこともある。
学生の文章力には、非常に大きな差がある。よくあるのは、会話では成り立つような文章を、ペーパーに書いてくる学生。これは、耳で聞く分には間違っていないけど、文法に間違いがあったり、ぎこちなかったり、意味が不明確になりがち。そういうことで、減点するようにしているが、学生にとっては日本人の私に評価されることで不満が湧きやすいこともある。
だからといって、採点を甘くするわけにもいかない。公正に、理由をしっかり明示して採点するのは、非常に難しい。