「ただいま」
学校から帰って来たマコは,
いつにない静寂を感じた。
「お母様はご公務?」
「いえ・・・今、宮様のお部屋に」
そう答えたのは古参の侍女で、書斎を指さす。
「そう。じゃあ、ご挨拶」
「それはおよしになった方が
「どうして?」
「なにやら御二方で悩んでおられます」
侍女は小さな声で囁いた。
「歌会始の歌の事。最後の最後なんです。で、お二人とも同じようなお歌を詠まれて。
ええ、とっても微笑ましいと思いますわ。だけど」
「何ていうお歌?」
「コウノトリのお歌だそうです」
「コウノトリ。どんなかしらね」
「マコさま、お聞きになったら私にもこっそり教えてくださいませ。コウノトリといえば
両殿下は9月にコウノトリの里を訪問されてます。きっとその時の事を歌われたんでしょう」
「うまく出来ないのかしら」
「いえ・・・」
侍女はマコのコートを受け取りブラシをかけてハンガーにつるしていく。それから
お茶の準備をし始める。時折、若い侍女を呼びつけてテーブルをふかせたり、
なかなかに忙しい。が、彼女の口もまた忙しく動いていた。
「何でもお二人が同時にコウノトリの歌を詠まれたのが問題のようで。
コウノトリといえば、ほら・・・・ねえ・・・」
マコはよくわからないといった顔をしたが、それでもそれが東宮家に関わる事なのだと
いう事はうすうす気づいていた。
この所、東宮家に関する話はタブーだし、両親は言葉の一つ一つを選んで
話すようになった。
皇太子妃の誕生日。突如夕食会のキャンセルが来たのが1時間前で
準備が整っていた両親は、ため息をついて着替えていたっけ。
「お姉さま。早くおやつを食べましょうよ」
勢いよくカコが声をかけてきたので、マコはそちらを向いた。
と、同時に書斎のドアがあき、母が出てきた。
「お帰りなさい。マコ。早く着替えていらっしゃい。カコちゃんが手を洗って」
何も変わったところはみえなかったのだが。
12月も中旬になると、恒例の「皇室ご一家」写真とビデオの撮影がある。
その日はマコもカコもおめかしをして参内する。
といってもいつも、パステルカラーの姉妹お揃いのワンピースだったり
ツーピースだったりするのだが。
カコはいつも平凡な形のワンピースを嫌って、何かかにか自分流に
アレンジをしょうとする。好みもはっきりしていて、それを押し通そうとするのだが
母に阻止される。
「大きくなったら私、思い切りおしゃれしちゃう」
カコはそんな風に言ってる。
マコはどちらかといえば、与えられたものを着るだけでよかった。
贅沢しようとは思わないし、何よりもその場にあってさえいればと考える。
カコみたいに髪型がどうの、リボンがどうのと考えられる頭脳はないなあと。
年に一度の撮影は祖父母に会えるのでマコもカコも好きな行事ではあったが
アイコが生まれてからというもの、一種の「苦行」になってしまった。
一つは皇太子一家の到着がいつも予定より遅れる事。
そしてもう一つはアイコの機嫌を取り結ぶのが大変である事。
予定が遅れるといっても1分や2分ではない。
一時間も二時間も平気で遅れるのだ。
天皇も皇后も公務に追われ、プライベートな時間があまりない。
その中でぎりぎり時間をとっているのだが、皇太子一家はとにかく時間を守らない。
アイコが生まれる前は、撮影の合間に天皇が話し相手をしてくれたり、一緒に遊んで
くれて、それが映像になって流れるという事もあったが、今では祖父母は
とにかく皇太子一家が何事もなく皇居に到着するかどうかで気もそぞろと言った感じだ。
アイコはいつもフランス製の恐ろしく高級な服を着ていて
皇太子妃はそれを自慢したいのか、毎年
「そちらはどこで服を買うの?」と聞いてくる。その度に母は
「さあ・・・どこだったかしらね」と笑うのだが、皇太子妃は
「ベビー服はフランス製がいいと思わない?」などと畳み掛けてくるのだ。
「そうでしょうね。娘達はもう大きくて。妃殿下が羨ましいわ」などと母は答えるが
内心はどう思っているのか。
カコはライバル心を燃やしているのか、そおっとアイコのレースに触ろうと
したりするのだが、「汚れるから」とマサコはその手を払いのける。
「私の手は綺麗よ」と小さなカコは言うのだが、慌てて母が「ごめんなさいね」と
謝る。
失礼なのは皇太子妃の方だとマコは思ったけど、母の困った表情を見ると
可哀想になってカコの手を引っ張る。
「ダメったらダメなの」
父は素知らぬ顔で聞こえないふりをするし。
こんな時、マコもカコも自分達がとても傷ついている事を感じる。
小さい頃から「皇族というのは国民に尽くす存在」であると教えられてきた。
公の場に出ない限りは普通の家と同じであると。
贅沢をしてはいけない。それは国民の税金なんだからとも。
そんな皇族の常識をことぼとく破っている一家が目の前にいる。
あちらは許されてこちらはダメな理由はなんだろう。
そしてもう一つ嫌なのは、アイコにはびったりと出仕のフクサコがついてくること。
通常、天皇皇后にお目見え出来るのは女官からだ。
出仕は女官よりも身分が低いので、プライベートな場には入って来ない。
フクサコは「皇太子妃の特別のはからい」で撮影場所にまで足を踏み入れ
カメラの撮影が始まってから終わるまで必死にアイコをあやす。
おもちゃを引っ張り出し、視線をカメラに向けさせようと、とにかく必死に大声で
「アイコさまーーこっち。こっちですよ。ほら、うさぎちゃんです。可愛いでしょ?
こっちをご覧くださいーー」
とやるのだ。これでは誰も笑えなくなってしまう。
とうとう今年は天皇が「もういい加減にしたらどうだい」と言い出した。
「アイコも4歳になったんだから一人でいられるだろう。ここにはカコだっているのだし」
「フクサコを入れないならアイコは出しません」
即座にマサコは口答えをした。その迫力に思わずマコは顔をそむけ
カコはキコに抱き着いた。
「アイコはフクサコじゃないきゃダメなんです」
アイコの瞳はフクサコではなく、カコの方を向いていた。
大人ではない女の子に興味を抱いたようだった。
しかし、その体はしっかりとマサコに捕まえられている。
「もう・・・しょうがないね」
壁の時計を見て天皇はつぶやいた。
次の予定が詰まっている。今はとにかく早く撮影を終わらせなければ。
身分違いで本来なら入る事が許されないフクサコは、意気揚々と今年もまた
「アイコ様、こっちこっち。こっちをご覧ください。私がいますよ」と笑顔いっぱいで
声をかける。
それに対し、爆笑寸前の皇太子夫妻とわれ関せずで微笑む天皇と皇后、
微妙な表情のアキシノノミヤ一家、そして笑いもせず、ただ音がする方を見る
アイコの姿がそこにあった。
カコはあからさまにふくれっ面になった。
いくら小学生でもムードの悪さには気づいたのだろう。
そんなカコに母は「にっこりしなくてはだめですよ」と厳しく言っている。
笑える筈がないじゃないかとマコは思う。
大人の事情があるのはわかる。わかるけど、それを今、小学生の妹に
押し付けなくてもいいのではないかとマコは心の中で叫ぶ。
そういう自分だってまだ中学生。
だけどカコとは違う。私は姉だし、宮家の長女。
いつもいつも笑うに笑えず、泣くに泣けず。じっと忍耐の両親を支えなくては。
「カコ、ほら、少しお話しましょう」
マコは無理に笑顔で話しかけた。
ちょっとおどけて見せる。それを見たカコが笑った。
そして笑ったカコに誘われたかのようにアイコも少し微笑んだ。