さあ、ゴールデンウイーク特別特集
「初心者の為の宝塚講座」の始まりです。
今まであまり宝塚を見た事がない人も、これから見る予定の人も、スカイステージでどんな作品をどう見たらいいか考えちゃう人も必見!
ふぶきの解説をネタに見ると、その視方が変わるかも
じゃあ、そういうふぶきは観劇歴、どれくらいなんだ?と言われそうですが。僅か22年で、ヅカファンとしてはまだまだ新参者。だから往年のヅカファンの方々へ。
生意気な事を申し上げてごめんなさいと先に謝っておきますね
宝塚を年代として分けると4つ
宝塚歌劇団が誕生して104年経過しますが、勿論104年間見続けた人はいないでしょう。そして104年間、ずっと同じ事だけやってきたか・・というとそうでもない。
でも変わらないものもある。
でも一つだけ覚えて頂きたいのは宝塚歌劇の究極の目的は「国民劇」であること。
明治維新を経て文明開化になった日本には海外から「新劇」が入って来ます。
しかし、それらは非常に内容が難しくて理解できるものではなかった。
(「復活」とか「人形の家」とかいわゆる松井須磨子などが演じたもの)
一方で歌舞伎もまた庶民の娯楽ではなくなってしまった・・・そこで小林一三が考えたのは「大人も子供も楽しめる国民劇」だったんです
私達昭和50年ごろ、子供だった人はよくわかるのですが、当時はNHKでよく帝劇の舞台を中継していました。歌舞伎や落語なども中継されていました。特に帝劇では杉村春子や森光子などの日本物作品の上演が主で、子供が見てもよくわからないなあというのが正直な感想。
そこにある日、テレビでをつけたらNHKで花組の「ベルサイユのばら」をやっていた。みんな綺麗なドレスを着てわかりやすい日本語と歌でしかもみんなめちゃ綺麗でかっこいい!
大昔から宝塚歌劇に親しんで来た関西以南の人にはわからないかもしれないけど、特に東北に住む人達にとっては青天の霹靂、カルチャーショックだったわけです。
冬が長い東北にやっと春が来た!くらいの気持ちだったと思います。
それはさておき、104年の宝塚の歴史を4つに区切ってみましょう。
1014年から1945年まで
最初は1組だった宝塚少女歌劇団が花組と月組に分かれ、雪組が出来、最後に星組が出来ました。戦争悪化によって星組は一旦消滅します。
最初は小林一三自身が脚本を書いたりしていたようですが、白井鐡造の登場によってパリ風のレビューを取り入れ大反響を巻き起こします。
昭和10年に大ヒットした「モン・パリ」は今も歌われています。
「カルーセル輪舞曲」に登場した機関車のラインダンスが後に「ロケット」と呼ばれるようになるのです。
大劇場が建設された1024年に銀橋と金橋が作られ、「モン・パリ」のヒット時に大階段が作られました。
金橋。後に危険すぎるというので撤去。
小林一三がよくこの時期の舞台を見ており、当時は空調設備がよくなかったので、劇場はとても暑かったようで、みんなうちわを持って観劇していました。そのうちわのパタパタが止まっている時は「ああ、ヒットしている」と感じたそうです。
・葦原邦子・・・後に中原淳一の奥さんになる人。
私達は「ケンちゃんのおばあちゃん」でなじみがありますが、「ケンちゃんシリーズ」もはるか昔の話ですよね。もし私がこの頃の宝塚にいたら最初にハマった人になると思います。
・春日野八千代
若き日の春日野先生ですが、人気は常にトップ!
・小夜福子
・楠かほる
この頃、宝塚は3本立て。新人さんが主役を務める小芝居や舞踊、それに芝居とショーが入ってほぼ半日くらい劇場にいる感じです。
観客の半分は男子学生。
男役よりも娘役の地位の方がちょっと高め。
ネットがない時代なので「脚本集」にはファンからの辛辣な意見や批判がそのまま載っているというおおらかな時代。みんな「将来の宝塚歌劇をどうしようか」と考えていたんですね。
昭和10年代以降になると白井先生のレビューも古いんじゃない?なんて言われるし、いつまでも「少女歌劇」じゃなくて芸術として一人前の作品をやるべきとの意見が出ます。
小夜福子は日本で最初に「モンテクリスト伯」を演じた人かもしれませんね。これは成功というより「こういうものが受け入れられるかどうか」という賛否両論の作品だったと思います。
戦後~ベルばら以前
戦後、宝塚をけん引したのは何と言っても春日野八千代でしょう。
勿論、彼女の実力もあると思いますが、春日野先生が名をはせることが出来たのは長谷川一夫という希代の演出家がいたからだと思います。
「どんなに実力があるスターも演出家が引き立ててくれないと出世できないもの。春日野八千代はたまたま宝塚をやめずに長くいたからあれだけの人になれたんだと思う」とおっしゃったのは故渡辺武雄先生です。当時の私は楠かほるがどうして出世出来なかったのかを知りたくて色々お聞きしたのですが、渡辺先生は彼女を覚えていらっしゃらず、代わりにおっしゃったのがこのセリフでした。
「ダル・レークの恋」のラッチマン。こんなラッチマンに「来るんですか?来ないんですか?」って言われたら「はい。参ります」と言ってしまいそう。
初演の「虞美人」本物の馬が登場しましたが、当時は帝劇などでも犬や馬が実際に出てくる事はあったようです。
誰も叶わないだろうと思われる光源氏。
そして春日野八千代の相手役としてすぐに浮かぶのは八千草薫。そうです「執事西園寺の名推理」の奥様です。
それから個人的に美人だと思っている有馬稲子。
そういえばこの二人「やすらぎの郷」で競演してました。八千草さんは「姫」と呼ばれる永遠の処女的な元女優。有馬さんは認知症の元歌手でしたっけ?
他にも沢山スターがいるんですけど、宝塚的には初の海外物「回転木馬」「ウエストサイド物語」をやったりと意欲的。演出家の鴨川清作の登場によってショー作品も充実。安定した日々でした。
「ベルサイユのばら」から「エリザベート」まで
1074年、宝塚にとって運命的な作品が巡って来ます。
それが「ベルサイユのばら」です。当時、青春時代を過ごして劇場通いしていた方は「ベルばら」がどのように発展していったかが肌でおわかりになると思うのですが、当時仙台にいた小学生の私は花組のテレビ放映まで、知りませんでした。
思わず親に「宝塚ってなあに」と聞いた覚えがあります。
父「宝塚といえばラインダンスだよなあ」
母 「私はSKDのターキーの方が好きだったわ」
と・・・何で知ってるの。ずるいっ!みたいな事いって、それからはテレビで放映される度にテープレコーダーをデン!とテレビの前に置き、息をこらして見る(当時はみんなこれをやってたんですよ)そして録音したテープを毎日聞いてセリフを全部覚えて物真似が出来るようになって「ああ、宝塚に入りたい」と思うのでした。
初演のポスター。月組で大劇場では日本物のショー付。
後にこのポスターを見た私は「何で榛名由梨がオスカルなの?」とびっくりした覚えが。大滝子はフェルゼン、初風諄はマリー・アントワネット。って事はこの頃はマリー・アントワネットとフェルゼンの恋の中にオスカルがいて・・アンドレってそんなに重要人物じゃなかったのか?と思ったり。
確か平民みたいなドレスを着たオスカルが登場するのってこれですよね? 東京公演のポスター。ショーが洋物になってます。
新人公演にはメルシー伯爵で汝鳥怜さんと小公子で大地真央が。
以前、スカステで見た事ありますが正直、あまり面白かったという印象がないんですよね。何でだろ?
メイクなどについては榛名由梨がしつこい程語っていますが、私はかつらの色に注目しました。やっぱり栗毛ですよね。どうみても。でも巻き毛を作るのも大変な時代でしたしね。
1975年の花組
榛名由梨が花組に移動してダブルトップで上演された「ベルサイユのばら」
組替え理由は色々複雑そうですけど、「ベルばら」に欠かせない人だったのでしょう。私は榛名由梨のアンドレが大好きでした。お兄さんみたいな感じなんですよね。
で、ドレスも軍服も似合う安奈淳さんにべた惚れで。かつらも一番似合ってます。
でもこの花組から少し原作を外れるようになってしまうんです。
冒頭が舞踏会でオスカルがドレスで登場。次の場面で転んでアンドレに笑われる・・・から始まる、原作を知っているというのが前提で作られているんですね。
この作品からは名優が登場。
神代錦・・・ポリニャック夫人(絶妙に怖い)
水穂葉子・・・月でランベスク夫人、花でランバール公爵夫人。「あんた、あの子のなんなのさ」「私のオスカル」で観客を爆笑に導き、ついに最後は「モンゼット夫人」に。
鈴鹿照子・・・ル・ルー。「オスカルおねえちゃま」セリフは可愛かったです。
すっかり印象が薄くなった気がする上原まりのアントワネットと松あきらのフェルゼン。
この「ベルばら」ではバスティーユのシーンが秀逸で、特にアンドレが死ぬ場面で橋が中央に出てくるんですね。なんでこれを今、やらないのか不思議でなりません。
どんな格好しても絵になる二人
1975年には雪組でも上演。
ポスターを見ればわかりますが、アントワネットのドレスがカジュアルすぎですよね。炎の妖精汀夏子のオスカルは「ウーマンリブ」の代表みたいに「女にだって生きる権利はある!」と叫んで女性達の共感を得ていました。
麻実れいのアンドレは頑張ってるなーー以上の感想はなし。
そして1976年の星組公演「ベルばらⅢ」
これは初風諄のさよなら公演になったんですよね。だからアントワネットはフィナーレでせりあがって来るんです。
いや、この作品は何と言ってもオープニングの舞踏会シーンがすごいんですけど。
納得いかないのが「ヴァレンヌ逃亡事件」の件で、ロザリーが嘘をついてフェルゼンがアントワネットに追いつかない様にさせたんですね。さすがに「こんなのありえない」と当時も思いました。また牢でアントワネットがスープをスプーンなしで飲むのもどうかなと思いました。
そうそう、今回、月組の「BDDY」でグッディが歌う中に「平和平和と鳴いている」
というフレーズがあり、これは完全に「ベルばら」のパクリです。
商魂たくましい宝塚歌劇団は星組終了後4日目に好評の為に続演。退団した筈の初風諄が退団公演を2回やったってことでしょうか?
「ベルばら」以後、植田紳爾は「風と共に去りぬ」など名作路線に、一方の柴田 侑宏はコンスタントに女性に人気の恋愛物で名声を博していきます。
植田紳爾VS柴田 侑宏の時代が続くわけですね。