ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

年末のごあいさつ

2015-12-30 18:19:29 | つれづれ日記

 この年末に・・・・ベランダで掃除してたら腰に来てしまい。

何とか治るといいんですけど。しばらくは静かにしていないとダメみたいです。

あの「最終的不可逆的」な合意は2日で覆されちゃったみたい。

記憶遺産に韓国は参加しない」って合意だったのに、外相は「そんな約束してない」と

言い始めた。

慰安婦のおばあちゃん達は報告に来た外務省の次官に向かって

あんた誰?日本の外務省か」と怒鳴り

「安倍晋三首相が直接『法的に間違っていた』と正式謝罪したわけでない」といい、さらに

撤去する事に前向きだった筈の政府をよそに

誰も手を触れられない」

「米国各地に設置した後、必ず東京の真ん中にも建てる」と言い放ったそうです。

韓国では「被害者が王様」らしい。

その昔、売春婦だった女性が国を左右し、上から目線で政治家に意見する。

なぜなら本質的に彼女たちは「韓国という国が生み出した悲劇」だからです。

「お前のせいで」「貴様のせいで」「あんたのせいで」と相手の胸を叩いてわめく。

こんなことをされたら韓国人ですら、何もできません。ただただ叩かれるのみ。

外国人の日本人じゃ太刀打ちできませんって。

あーあ・・・どうなるんでしょうね。

池上さんの番組を見てて、八ッ場ダムを始め「税金の無駄遣い」として

数々の公共事業が白紙撤回されてきた歴史を見ました。

TUTAYA図書館とか、面白そうだったけどな。

でもそんなに「税金の無駄遣い」に厳しい国民も、皇室が「税金の無駄遣い」をすることに

関しては無言。

倹約家でお衣装を直しながら着ていらっしゃる美智子さま」をまだ信じているのかも

しれないけど

公に「雅子様の病気治療の為なら、しばらく外国で療養したら」とか

「愛子様の留学に一緒に行くのもいいかも」と発言する人は、税金を有効に使われていると

信じているんでしょうね。

なんせ「皇室に限って」ですから。

2016年の新年祝賀の儀。また皇后陛下の頭にはティアラは乗らないのでしょうね。

2015年の宝塚は、確実に傾いている・・・と思います。

新理事長の政策はことごとく外れていると思いますし。

そのわりにチケット難なのは、宝塚歌劇団が企業としてどういう客を

望んでいるか明らかになっている証拠ですね。

かつてチケットはファンクラブが主となって売り、「さばき」と呼ばれる露頭で

定価で売られてきました。

しかし、今やオークションでいい席は天井知らずに吊り上がり、団体客のせいで

平日も「お断り」

庶民は特別なコネがないと宝塚を見ることが出来なくなりました。

ご紹介いただいた「おけぴ」も「交換」が多くて。

交換するチケットなんか持ってないしなあ・・・・・と

だけど商業演劇全体では観客が入らないと嘆いています。

ジャニーズと宝塚だけが悩み知らずかしらね。

という事で、今年のナンバーワンは「星逢一夜」で決定

しかしながらスター不足はいなめません。

今後10年は厳しいでしょうね。

皆さま、今年も「ふぶきの部屋」をご愛読いただき、ありがとうございました。

心から感謝申し上げます。

来年もよろしくお願いいたします。

講演会でお会いしましょうね

より多くの方と直接お会いできるチャンスを願っています。

ではよいお年を。

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2015年の皇室

2015-12-30 07:00:00 | 皇室報道

 皆さまがおっしゃるように、本当に安倍総理の策略が今回のことであるなら

本当にいいのですが。

韓国という国は約束は守らなくていい・・・と考えている国です。

昨日、喧嘩していた人とも今日は笑顔で握手し、明日には絶交する・・・そういう事を

平気で出来る民族です。

どんなに文書で合意をとりつけ「これにサインしたのはそっちだよ」と言っても

あっさりと覆して「あのサインはさせられたもので、本意ではない」と言い切る。しかも真顔で。

慰安婦問題の根本こそがそうではありませんか?

元々なかったものを「あった」と言い張り、今に至っているわけですし。

「最終的不可逆的」などという言葉を韓国人は知らないと思います。

だって漢字を排除しているんですもの。

ハングルでどう表示するんだか・・・・・ 漢字を排除し始めてあちらの方々の

文章力が格段に落ちたのは事実ですし。

日本でひらがなだけで生活して御覧なさい。言葉がどんどん単純化していくから。

安倍総理がそこまでわかってやっているんだったら私はもう何もいいますまい

黙って行く末を見守るのみです。

さて。2015年の皇室は見た目にはわからないけど

ネットの中では一大転換期だったようです。

多分、雑誌やテレビに出ている皇室とネットの中の皇室がこんなに真逆に

なるとは誰も考えていなかったのではないでしょうか。

マスコミ発表としては

 両陛下は80歳を超えても慰霊活動に熱心で、今年はパラオにまで行かれた。

 両陛下は戦後70年にあたり、「戦争」を語り継ぎ、謙虚な気持ちで反省することを

  願っている。また若い世代があの戦争について考えてほしいと思っている。

 皇太子妃は活動の幅が広がり、トンガの戴冠式や、園遊会にも出席した。

   確実に回復に向かっているが、すぐに公務復帰にはならない。

 佳子様人気

という感じだったろうと思います。

しかし、ネットの世界では

 正田美智子と皇太子との結婚はキリスト教を中心とする左翼の陰謀だった。

 正田美智子は朝日新聞社の記者と深い仲であった。

 皇太子徳仁は天皇の子供ではないのではないか。

 美智子妃・美智子皇后の罪状は思想の中に左翼的なものが多々あり

  皇室軽視、伝統破壊者としてのものであり、さらにいうなれば、日本人の

  皇室像を印象操作してきたという罪である。

 皇后は愛子内親王を優遇。皇太子一家とはシンパシーを感じている。

  目立ちすぎる秋篠宮家にプレッシャーをかけている。

 皇后や皇太子妃のティアラが紛失したのは皇后の責任なのではないか。

 結果的に今上は正田美智子嬢の言いなりになってしまったのではないか。

等々。

美智子皇太子妃の入内の過程、写真や言葉の数々が一つ一つ検証され

今思えば、本当におかしな経緯であったという事に気づいたのでした。

日本国民は「皇后の美しさに騙され続け」て60年。 

♪ 皇后の美貌が国を救うなんて

  誰も信じないさ そうだろう ♪

という歌詞がありますが、日本国民は見事に騙されたと。

もっともエリザベートも亡くなった時、オーストリアの人々は

「やっと死んでくれた」と言ったらしいですから。まあ、美しければなんでもいいわけでは

ありませんよね。

 

問題は。

ネットで語られるこれらの「批判」を当の両陛下は知っているか否か。

最近、皇后陛下が「コンス」の代わりに手をちまちまやっているから

ご存じなのではないか?との意見もあります。

年の瀬になって「子内親王を躾けなおす祖母としての皇后」アピールを

始めたのもその流れかもしれません。

でももう何もかも遅すぎます。

口に出さないだけで、今の皇太子一家を好きな国民はほとんどいないでしょうし

あんな嫁で可哀想な美智子さま」と言ってた人も

もう皇室はいらないわね」という意見に変わって来ています。

「いらない」と言われても老い先短い両陛下はどうしようもないし、先のことまで

考える余裕がなく。

皇太子夫妻は「今、権力を発揮できる事」が大事なわけで、とにかく自分が

生きている間だけ皇室があればいいと思っている。

そして自分たちが生きている限り、「皇室廃止」なんていう動きはありえないと

思っているし、起きてもつぶせると思っている。

どんなへんてこなファッションでも堂々と人前に出てこられる神経は

ある意味すごいもので。それはパラオで平服のまま拝礼した陛下にも言えますよね。

もう「常識」がなくなってしまっているんですよ。

いた「私が、私達が法律」状態ですかね・・・・・

 

そんなわけで2015年の皇室は、美しく若い内親王方が裏に追いやられる

一方で、様々なことが明るみになった1年でした。

2016年は、それを表に出す事が重要です。

マスコミが取り上げるとは思いませんけど、国民の冷ややかな視線が

少しでも皇室に届かんことを祈ります。

ネットで出回っているコラ画像をこっそりあちこちに貼るとか・・出来たらいいのに。

本当によくできていますもの。

 

視える方々いわく「2017年」が区切りの年だそうです。

そういう意味では2016年も重要な年になりそうですね。

 

 

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この一年

2015-12-29 10:12:33 | 政治

 佳子内親王殿下

お誕生日 おめでとうございます 

戦う姫宮は健在 来年もどんどん目立っちゃってください。

そしたら国民は幸せになります

2015年はどんな年だったか・・・・・

一言でいうと「反日VS保守」の戦いで、保守が負けた一年でした。

あらゆることに対して言論規制が行われ、報道は操作され、

この国は本当に民主主義国家なのか?と考えてしまう程に。

年の半分は「安保法案」で反日派が大きく台頭。

年末になってもSEALS擁護は多くて、そのうち選挙に出てくることも

まるで確定事項のよう。

「謙虚に」「正直に」「謝るべきは謝る」と、まあ本当にきれいな言葉を使いつつ

相手側が卑怯である事には目を向けない。

卑怯の前に正義は敗れるのですよ

皇室からして真っ赤に染まってしまった以上、民間ではどうしようもありませんけどね。

中韓にこそ「謙虚に」「正直に」「嘘は認める」事を要求します。

何度謝罪をしようとも「心からの謝罪ではない」と言い続ける韓国。

そちらはどうなの?

長い朝鮮半島の歴史の中で、庶民を食い物にしてきたじゃないかと。

特に女性に対しての差別は本当にひどい。今もってひどい。

なのに他国へ「謝罪」を要請できるのか?

戦後、日本の女性達を性奴隷にしたのはアメリカだけど、日本は恨み言も言わず

差し出したじゃないか・・・・と強く言いたいです。

 

年の瀬になって「最終的 不可逆的な合意」をなさったようですけど

あちらに関しては「蒸し返さない」なんて事は絶対にない

その証拠に、シンシアリーさんのブログによれば

元慰安婦の方々は、政府の決定を「無視する」とおっしゃってるそうです。

報道では「政府の決定に従う」とか言ってるけど、陰では「無視する」

「生意気な」だそうですよ。

慰安婦像の撤去なんてありえないでしょ。

よくて「記念館」への移動です。しかしその「記念館」こそが「嘘」の塊なのに

日本は何も言えない。

これが日本の外交であり、政治力の限界なんでしょうね。

戦前、男子のみを大事にする親兄弟や女衒によって売り買いされた女たちの

恨みはわかる。

だけどそれによって「利」を得たのも事実で。

それを「本当の私は売春婦になる筈ではなかった。両班のお妾になる筈だった。

いや、本当は私は両班の生まれなのだ。絶対にそうだ。

それなのにこんな仕事をしてしまった。(稼いだお金の額は問題ではない)

こんな私に誰がした?親兄弟?違う。血が繋がった家族がそんなことをするはずがない。

それは日本だ。日本人が悪いのだ。

日本人を未来永劫許さない。一生、死ぬまで、いや死んだあとも私の前に

土下座させてやる。そうしないと胸がつぶれて生きていけない。

恨み続ける事。怒りをあらわにすること。意地悪をし続けてすっきりする事。

それしか生きる意義はないのだから」

こんなハルモニ相手に「最終的 不可逆的な合意」なんてありえないでしょ。

安倍総理は奥さんがあれだけ韓流好きなのにドラマの一つもみてないの?

韓国の男たちの、目的の為には女房や娘をも犠牲にする精神。

それを平気でみている国民が沢山いるという事は、すなわりそういう精神世界なのです。

 

在日の多さ、中国人の爆買いのおかげで、日本人の倫理感すら失われそうな勢い。

そんな時、氷上で「陰陽師」を滑る羽生結弦に救われたり、国歌を一生懸命に歌う

彼や眞子さまに救われたり。

何だか情けないですよ。

「平和主義」=共産主義であり、国家体制を揺るがしかねない状態になっています。

そのことをほとんどの国民は知りません。

謙虚に」「平和を守り」「正直に」「謝るべきは謝れば」日本人として素晴らしいと

信じているのです。

今は、いや、これからはそんな時代ではありません。

日本の伝統を守り」「武士道を貫き」「卑怯と嘘を許さない」世の中こそが必要なのです。

多くの発展途上国は待ってます。

かつての日本が息を吹き返す事を。

今、少数民族や東南アジア、さらにヨーロッパやアメリカまでが

中国に侵略されようとしています。

大国ならすぐに気づいて裏をかくことも出来る。

でも、そうできない小さな国々は心の底で「かつての日本」を待っているんです。

東アジアの中で唯一正直な民族。それが日本です。

2016年は、少しでも多くの国民がそれに気づきますように・・・・と

祈らざるを得ません。

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」200(ねずみランドのフィクション2)

2015-12-28 12:16:00 | 小説「天皇の母」181-

そもそも皇族がテーマパークに行くことがあるんでしょうか?

かつて、ノリノミヤ様が高校生だったころにお忍びでいらした事はあったようです。

ニュースにもなったはずで、母さんは覚えていますか?

駅の改札の方も知っていたけど知らん顔してお通ししたと。

宮様はお友達と一緒に一般客に紛れて、順番もお守りになってひっそりと

楽しまれたと聞いています。

だけど、今回の東宮家のテーマパーク行きは信じられないほど仰々しいものでした。

「アイコが行きたがっている。皇族だからって行けないのは人権侵害」とまで

妃殿下はおっしゃったとか。

上司は頭をかかえて、あちらの人達と交渉。

最初は「貸し切り」を提案したそうです。

日本一のテーマパークを貸し切り。そんな事が出来るんでしょうか?

中近東の王族などが時折、金に任せて夕方以降に貸切る事はあるそうですけど

さすがに真昼間には無理・・・・との話でした。

でもねずみランドは一日の入場者数が5000人とか1万人で、年中無休が売り。

さらにホテルが出来て、そこに宿泊している人は無条件に入場できるわけで。

理由もなく追い出すわけにもいかず。あちらは「営業妨害になりかねない」として

断ってました。

それで皇宮警察としても「警備上の都合」で真昼に貸し切りは出来ないし、不特定多数の

人達が多いため、今回は見送り・・・という事で報告しました。

すると、東宮大夫の方から

「貸し切りは諦めるから最高のもてなしを要求する」という話が来たのです。

意味がわからず、僕たちは戸惑いました。

こっそり入場したのではばれた時に大騒ぎになるから、最初から

「皇太子一家が来る」と宣伝しておいて、特別扱いで園を回るというものです。

それが決まるや否や、僕たちはすぐに下見に駆り出されました。

当日、一旦休憩するホテルの下見、ランドと併設しているシーの客数の把握に

盲点がないかどうか。

どこからだって狙えるし、何かしようとすれば群衆に紛れてなんでもできる。

それが遊園地というものでしょう?

僕達は綿密に計画を立て、ほぼ徹夜状態で園と交渉を重ね、食事場所や休憩場所の

確保、そしてアトラクションに優先的に乗る事が出来る権利を確保。

一方で、武器や暴力行為をみなされそうなものを全て排除し、死角を無くし

何メートル置きで警察官を配備するとか・・・

あちらは「そもそも夢の国なんですから、制服は困る。目つきが鋭いのも困る。

現実を思わせるものは全て排除したい」との申し入れ。

そうはいってもこちらは東宮ご一家の安全が第一ですし。

国民の遊びを優先するのか、皇族の権利を優先するのかで両者は対立。

僕のような末端の者の耳にまで

皇族ってやりたい放題でいいですね」

なんて言葉がちらほらと聞こえてきました。

もっともそんな言葉は上には届きませんけどね。

さらに面倒なことに、当日入園するのは東宮ご一家だけでなく、

妃殿下の妹君のご家族、アイコ様のお友達の一家も増えるとなって

僕達は釈然としない思いになりました。

皇族でない人達を最大級の警護で迎えるわけですから。

 

3月13日はひどく寒くてどんよりとした日でした。

春休み期間中なので学生や小さい子供が沢山いました。

入場制限がかかるか否かというような状態でした。

僕達はシーに隣接しているホテルの警備にあたりました。

制服はダメと言われていましたが、そんな事は言ってはいられません。

ご一家の身に何かあったら困りますから。

ホテルの前にはSPがぞろぞろ。機動隊の車にパトカー数台。

千葉県警の応援を得て、これ以上ないというくらい厚い警備を敷いたのです。

ホテルの宿泊者以外の人間が通る度に

今日は特別な訓練があるのでご容赦を」と言って追い返し、彼らが

せっかく来たのに・・・」とぶつぶつ言いながら帰っていく姿をどれくらい見送った事でしょう。

そうです。この日本一のテーマパークは「晴れの日」の象徴。

誰でも気軽にいつでも来られる場所ではないのです。

特に地方の人達にとっては年に一度、あるいは数年に一度のイベントでしょう。

その「晴れの日」にぞろぞろと警察の車がびっしりと並んで、目つきの鋭い警官が

職務質問し、あるいは追い返し・・・僕は胸がつぶれる思いでした。

 

無論、マスコミも大勢来ていました。

テレビカメラが何台も詰めかけて一斉にシーに入り、あっちからもこっちらからも

撮影に余念がない。

そしてホテルの窓からアイコ様が顔を出されました。

マスコミのカメラが一斉にとそちらを向きました。

宮様はどこまでも無表情で、一人冷静に見えました。

どんな子供でも大喜びする夢の国のおとぎの城の中にいるというのに。

そして11時近くになって初めて東宮家、イケダ家、学友一家が姿を現しました。

最も輝いていたのは妃殿下のお顔です。

白いタートルネックのセーターにピンクのジャケット、パンツスタイルで

頬を紅潮させて嬉しくてしょうがないと言った風情でした。

ひっきりなしに、アイコ様に何か話しかけていらっしゃいましたが、

アイコ様は顔色が悪く無表情のままで、水色のコートに埋もれそうになっていました。

 

妃殿下の妹さんはにこにこ笑って手を振っていらっしゃいました。

自称「準皇族」としてふるまっていたのだと思います。

お連れのぼっちゃんもそんな雰囲気でした。

学友のご家族はいたたまれない風情でついて来るといった感じです。

さて、テーマパークの主役のねずみがお迎えし、親し気に宮様の方へ手を差し出すと

宮様は急に怯えて殿下の後ろに隠れてしまいました。

両殿下は爆笑して、宮様の手をとり、必死にねずみ君の方へおしやろうとします。

でも宮様はなかなか頑固で隠れたまま。

人気者のねずみ君は予想もしないリアクションに戸惑っているようでした。

ご一家はオープンカーに乗られました。

皇太子ご一家です」とアナウンスがあり、観客はわあっと声をあげ、一斉に携帯の

カメラで撮影しようとする。当然マスコミも盛り上がり、あっちこっちでレポーターの声が

響きました。

カメラが負担」

「不特定多数の人から見つめられるのが負担」

とおっしゃっている妃殿下がこの日は誰よりも体調がよさそうで笑顔を絶やさず

嬉しそうに得意げに手を振っていらっしゃいました。

 

そこまではよかったのですが・・・・それからが本当に大変でした。

なんせ観客がご一家を追いかけて走りだしたのです。

誰がそれらの人達を責められるしょう。

だって大宣伝しているんですから。おっかけをしろと言っているようなものでは

ありませんか。

それを僕たちが制し「走らないで下さい」と言って回る。

誰かが両殿下に近づきそうになったら、さらにそれを手で制し「ダメです」と叫ぶ。

そうやって叫んだり、怒ったりするとすぐに園の管理職から

強面では困ります」とクレームが来る。

だけど、園内は人が多くてごったがえし状態。

そんな中を皇太子ご一家は悠々と歩いたり立ち止まったり、予想もしない場所へ

移動されるのですからたまったものではありません。

アトラクションは一行が到着した時点で「機械調整中の為中止」の札がかけられ、

御一行は貸し切りでアトラクションを楽しまれる。

一般の観客が1時間も2時間も待っていたのに、突然「中止」になり

いつ再開するかわからない状態になり、怒り出しました。

何時間待たせてるんだよっ!いい加減にしろ!」

八つ当たりされるキャスト達はひたすら平謝りです。

それはアトラクションに限らず、ワゴンやショップも同じ状態でした。

気まぐれにアイコ様とイケダ家の坊やがショップに入ったとたん、その店の

一般客は追い出され、貸し切り状態になります。

アイコ様は気にいったぬいぐるみやおもちゃをかごにぽんぽん入れていくし

坊やもそれを真似します。妃殿下は楽しそうにそれを見ていらっしゃいますし

殿下はまたビールを片手に目を細めていらっしゃいます。

 

やっとお昼になったころは、僕たちは頭が痛くなる程疲れてしまいました。

御一行は一旦ホテルに戻り、レストランを貸し切って食事をされます。

実は食事の時間も未定だったので、レストランは通常営業していたのですが

御一行が入る5分前に客を全員追い出してしまいました。

そんなことを知っているのか知らないのか、両殿下もイケダ様御一行も

ただただ「お腹空いたねーー」などとおっしゃってレストランに入っていかれました。

僕達は昼も食べずに次の予定を確認し、警備に走りました。

正直いうと、本来は午前中一杯シーにいる予定ではなかったのです。

少しご覧になって、すぐにランドに移動する予定だったのです。

しかし、思いのほかシーをお気に召した妃殿下が、あっちこっちと歩き回られ

アイコ様はそれに引きずられているような印象でした。

 

マスコミの連中も、何とか情報を探り出そうと僕達に近寄って来るのですが

僕達ですら先の事はわかりません。

気温はどんどん低くなり、空はますます曇って来ました。

トゥーンタウン!」

突如、指令が下り、警備担当が走り出しました。

それをおいかけてマスコミも走り出す。

さらに「何事か」というように客たちもそちらを向き、野次馬根性で追いかけていく。

そんな光景を見ながら僕はすっかりうんざりしてしまいました。

 

実はトゥーンタウンには警備車両しか置かないのですが

それでも観客を整理しようと沢山の警官が叫び声をあげ

「トイレにもいけないっていうの!」という母親の声も響き・・・・

騒然となってしまいました。

御一行は2時間半も昼食を楽しまれ、やがてランドに入り

今度はパレードを楽しまれました。

押さないで!皇太子ご一家を見ないで下さい!」と警官が怒り

どこを見ようと勝手じゃないか」と客が騒げば「逮捕しますよ」と脅す。

一方、パレードの間中、付近の道は全部封鎖してしまったので

トイレに行けなかった子供達も多数いたようで、泣き声や怒鳴り声が響き

しょうがないので、芝生の上で用をたした子供たちがキャストに叱られると

いった事態が発生しました。

きっと外国でこんな事が起こったら、一斉にクレームと、下手したらデモに

発展しかねない状態になると思うのですが、日本人は本当に優しいというか

寛大というか、この期に及んでも「マサコさま!アイコ様!」と黄色い声を発し

写真をパシャパシャ撮りまくる若い女性達がいるのです。

一生に一度あるかないかの幸運」と喜ぶ人達の姿を見て

僕達も笑ったらいいのかどうなのか、わからなくなりました。

 

本当は午後3時には園を後にしなくてはならなかったのですが、

妃殿下が「ショップに行きたい」とおっしゃったので、あっちこっちの

ショップが貸し切り状態。

シーよりもランドの方が客が多く、ごった返す中、通路を確保する為に

客たちを右に左に寄せたり、「今すぐ出て下さい」と命令したり

大忙しでした。

人気が高く、2時間待ちは当たり前のアトラクションも気まぐれに入り

その時点で「中止」になり、またもや客から大声で怒鳴られるキャスト達。

「しょうがないじゃん。皇族なんだからさ」という若者たち。

でも子連れの家族たちはそうはいきません。

貴重な時間をなるべく有意義に過ごそうとしているのに・・・・・その無念さは

激しく僕達にも伝わっているのですが。

そんな騒然とした中で、両殿下は慌てずに悠々と買い物を楽しまれます。

まるで他の客など眼中にないようでした。

アイコ様は最初から最後まで無表情で、つまらなそうにコンフェを集めていらっしゃり

一体、どなたの為の遊びだったのだろうと考えさせられました。

 

午後4時過ぎ、漸く満足した御一行は帰途につかれました。

後から「もう二度と来ないで頂きたい」と申し入れがあったらしいと。

噂にすぎませんが、さもありなんと思います。

皇宮警察、そして県警、それらを総動員してお遊びに励んだ東宮ご一家。

次はシーワールドへ

という話も来ました。

僕達はすっかり蒼くなってしまったのでした。

 

母さん、僕は自分の仕事に疑問を覚えています。

最近はよく眠れなくなりました。

誇りを持って仕事に入れなくなりました。

気にするな。スルーしろ」と同僚には言われます。

俺たちは所詮公務員だから上の言う通りにやっていれば

何とかなる」と。

その通りなんだと思います。

今、僕は孤独です。

 

母さん、まだまだ寒い日が続きます。

体には十分気をつけてください。

ではまた。

 

 

 

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皇室ウイークリー

2015-12-27 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

12月18日・・・天皇陛下 → 誕生日記者会見

                   通常業務

12月19日・・・皇后陛下 → 大谷康子デビュー40周年記念演奏会鑑賞

12月21日・・・両陛下 → フィリピン訪問第二次事前調査について説明を受ける

12月22日・・・天皇陛下 → 定期健診

                   通常業務

12月23日・・・両陛下 → 誕生日につき祝賀行事

 

12月24日・・・両陛下 → 午餐(皇族・元皇族・親族)

 

皇太子同妃両殿下

12月18日・・・皇太子殿下 → 離任大使に会う

                    外国大使に会う

12月21日・・・皇太子殿下 → 離任大使に会う

12月23日・・・皇太子殿下 → 天長節の儀

         両殿下 → 天皇誕生日祝賀

         両殿下・愛子内親王 → 祝賀

12月24日・・・両殿下 → 午餐

 

秋篠宮家

12月18日・・・秋篠宮殿下 → 会議出席

12月21日・・・両殿下・・・外務省から進講を受ける

       秋篠宮殿下 → 研究会出席

       紀子妃殿下 → 結核予防会理事長らと会う

12月23日・・・両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → 天皇誕生日につき祝賀

          両殿下・悠仁親王 → 祝賀

12月24日・・・両殿下・・・離任大使に会う

        眞子内親王・佳子内親王 → 午餐

        両殿下 → 第59回日本学生科学賞」中央表彰式出席

 天皇誕生日祝賀について。

  皇太子妃は茶会の儀は欠席です。不特定多数の人と会話は出来ないのです。

  誕生日の「お祝い御膳」に出席したのは皇太子夫妻、秋篠宮夫妻、黒田夫妻。

 成人している眞子内親王・佳子内親王は呼ばれていないんですね

  愛子内親王が成人するまで出られないんでしょうか。

  もっとも、代替わりしたら「お祝い御膳」は家族3人だけになってしまいますが。

 元皇族らが集まる午餐にはご両親に代わって眞子内親王・佳子内親王がご出席。

 皇后陛下は毎週、鑑賞公務ですね。

 

 久子妃 2015年報道写真展に

 

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私を先んじる自分中心主義

2015-12-26 07:00:00 | 皇室報道

 タイトルの言葉は週刊文春最新号に書かれていたものです。

ネットでは目下、この言葉の意味をどう理解すべきかと悩んでいるようですが。

 

 小和田家 VS天皇家 

 雅子様の叱らない子育てに美智子さまが動いた

      子育て版文明の衝突 

 2015年12月13日の午後、皇太子が出演した学習院定期演奏会。

   帰りに一般客の何人かが「愛子様」と声をかけた。すると愛子様は歩みを緩めて  

  そちらを振り向き、にっこり笑って手を振られた。

 愛子様の様子について誰よりも憂え、

    目立たぬよう手を打たれてきたのは祖母である

  美智子さま。

 千代田関係者

 「皇后陛下は最近、雅子さまを介さす

  愛子さまとお話をする機会を大切になさっています。

「このままではだめ。愛子は中学に入り、もう子供ではないのだから」

 「それは雅子さまの強い影響を感じ取られたからだと拝察いたします。

 皇后陛下は「私を先んじる自分中心主義」と雅子妃のことを評された事があるのです。

 つまり勉学を手段にして立身出世を目指す小和田家の「官僚的価値観」を

 さしているのだと思います。対照的に、天皇家の内親王が身につけなければならないのは

 見返りを求めない教養と「無私」や「受け身」を美徳とし、他者への気遣いを第一にする

 ありようです。

 皇后陛下は。愛子様が

自分中心主義」へと流されつつあるとお気づきになり、

 引き戻さなくてはと気を揉んでいらっしゃるようでした」

 ここで言いたい事は、最近の愛子内親王の愛想のよさは「皇后陛下のお躾け」によるもの

  という事なんですが、わずか1年やそこらで劇的に変わるものなら、どうして小さい頃から

  躾けなかったんだろう・・・・という疑問が。

 雅子妃が皇室に入ってから、皇后陛下の心配は「嫁いびりをする姑に見られはしないか」

  という事です。

   川嶋家はそんなことをマスコミに言う家ではないし、紀子妃は若かったから、何をどう言っても

  平気だった。だから結婚直後に紀子妃のありようにため息をつく皇后さまなんて

  報道されたのです。

  しかし、小和田家とその後ろにいる外務省は違います。

  入内のスタンスが「本当は外務省で出世し、将来は総理大臣にもあったかもしれない

  女性がわざわざ皇室に嫁いであげるのだから、上から目線で何か言う事は許さない」

  というものでしたよね。

  皇后陛下は「意地悪な姑」と言われたくないばかりに、妃が何をどうしても怒らなかった。

  なんたってちょっと注意すれば「夏バテのようなもの」で欠席するし、すぐに週刊誌に

  「雅子様、痩せた?」とか書かれるし。

  愛子内親王が生まれ、その躾けに関して何も言わなかったのも、要するに責められたく

  なかったから。

  20年以上「優しい慈愛の皇后陛下が雅子様を支える」というスタンスで、みんな同情してくれた。

  しかし、最近になって「皇后陛下がそもそもの元凶なんじゃないの?だって雅子様と

  美智子さまって生き方がよく似てる。そいえばあれもこれも・・・」と言われ始め

  このままでは「皇太子妃を導けない皇后は失格」と言われかねない状態になってきたので

  急に「孫の愛子内親王を躾けなおす祖母」の役割を担い始めた。

 不敬を承知で書きますが、皇后陛下は「祖母」としての愛情を感じた事がないんです。

  いくら海辺で佳子様の靴の砂を払っても、悠仁殿下に靴をプレゼントしても。

  皇后陛下こそ「演技」しているようで。

 私を先んじる自分中心主義・・・というのは美智子さまそのものではないのでしょうか。

 自己中心主義=官僚的価値観・・・というのはちょっと違うと思うんですが。

   むしろ、それは小和田家の「家風」に他ならないわけで。

   普通の官僚の方々に失礼なんじゃないでしょうか?

  「勉学を手段にして立身出世」をしたのは正田美智子さんの方でしょう?

  聖心女子大のプレジデントでいらした。ゆえに皇太子妃にふさわしいと言われたんですもの。

  家柄ではない、その「優秀さ」を買われたんですわ。

  つまり小和田さんの価値観がすごく理解できる方ですよ。

 

 愛子様が歴史に興味を持った事をお喜びになった皇后陛下。

 皇族が日本の歴史を学ぶのはテストの成績を上げるためではありません。

 悠久の日本史の中にご自身も連なっているのだという事を感じ、その大きな視野から

 国民に心を寄せるという将来の下地作りなのです。

 皇后陛下は今後も天皇陛下のお話を愛子さまが直接聞くことが出来る機会を持ちたいと

 強くお考えでそういう風にして東宮を支えていきたい」とおっしゃっていました。

 つまり、皇太子夫妻の育て方に口を出していると言いながら心は

  「皇太子を悪く言われたくない。皇太子が望むなら愛子を後継ぎにしたい」という

  感情が見え見えなんですよね。

 皇位継承権を持つ悠仁殿下にはそこまで強いお気持ちはないのでしょうか。

  「あちらは両親がいるんだから」で終わり?

 

 叱らずに躾ける一方、特訓スタイルで勉学に集中させる。愛子様のご教育の裏に

  見え隠れするのはやはり小和田家の流儀である。

 つまり飴とムチですよね。

  「100点取れたらお小遣いあげる」みたいな?

 

 小和田優美子氏いわく

 「夫婦の、特に父親の考え方として、

 働く意欲がある限り、女性も一生続けられる

  仕事を持つべきだというのがありました。

 教師、弁護士、学者、医師、外交官、何でもよいと。

  女性にとって結婚がすべてではないし

 結婚して夫に従うだけの時代ではありませんから」

 「愛子様は賢くてお利口さんな子なんです」

 「何でもいい」と言いながら公務員と医者・・等、上から目線の仕事ばかり。

  そこにスーパーのレジとか花屋さんとかケーキ屋さんは入ってない。

 っていうか、そんな考えならどうして結婚させたのでしょうか?

  皇室に入るという事は「世継ぎを産む」事が最重要な仕事って普通、わかる筈。

  もっとも、「妃殿下」という職業は並みのキャリアウーマン以上に仕事優先主義な環境で

  しかも家事育児を全て肩代わりしてくれる人がいる・・・という、めちゃくちゃ理想的な

  場所なんですけど、どうして「適応障害」になったんでしょうね。

 結婚する=夫に従うという価値観を持っているのは小和田家なのでは?

  「雅子、お前は結婚してもお妃という重要な仕事を好きなだけやれるんだぞ。しかも

  子供を産んでも保育園の心配はしなくていいし、ぶっちゃけ自分で子育てしなくても

  いいんだから。家事だってやらなくていいんだぞ。仕事づけになれるんだぞ」って

  教えなかったの?

   それでも尚且つ、今のていたらくという事は、要するに雅子妃にその能力が

  なかったという事だし、彼女が望んでいたのはそういう「幸せ」ではなかった・・・・・

  適当に仕事しつつ尊敬だけされて、いつもファーストクラスで海外旅行出来る環境だったり

  一流レストランでウエイターや店長がひれ伏してお迎えし、一晩中誰も食べられないような

  料理と酒を楽しみ、「自分はこんなに恵まれている」と実感する事だったり

  いつもいつも誰かが「さすが雅子様。私達とは違うわねえ」と褒めたたえてくれる事。

 

 小和田恒氏は秀才で、いつも勉強していたと思います。

  最も印象的だったのは、生徒会長選挙。当時は推薦制で、小和田さんは

  当選の予感があったのでしょう。

 「自分に投票しないでくれ」と漏らし、結果13票しか入らず落選しました。

 「小和田さんは夕食を早い時間に食べて少し休むと布団を敷いて本格的に

  寝てしまう。やかましさを避けて深夜に静かに勉強に集中するわけです。

  しかし、夜中にフランス語やラテン語を口に出して言うので

目が覚めて眠れなくなるので

  困りました」

 ・・・・コメントしようがありません。落選した言い訳をする恒氏。

 「私に先んじる自分中心主義」で人さまに迷惑をかけてきた恒氏に脱帽ですわ。

 

 1993年1月19日の婚約記者会見

 雅子さん「今、私の果たすべき役割というのは殿下からのお申し出をお受けして

     皇室という新しい道で自分を役立てる事なのではないか、と考えましたので

     決心したわけです。今、悔いはございません。

 池田礼子氏が婦人公論で語った事。

 「もしも結婚していなければ、私はニューヨークでの仕事に続いて、アフリカの紛争地域に

 行っていたかもしれません。

 結婚に踏み切るかどうか正直、悩みました。

 それに育児は、やはり母親が中心にならざるを得ません。

 1日の時間は限られていますから、どうしても棄てなければならないものが出来てしまう。

 男性は棄てるものが少なくて羨ましいと感じる時もあります」

 紀宮 「やはり今私に出来ることは、一つ一つの務めを大切に果たし

      その時に感じ取った事を心に残しつつ関わった活動や国、そして人々に

      思いを寄せ続けていくことではないかと考えます。

      その積み重ねの先に自分なりの内親王としての務めが充実出来ればとても

      嬉しいことです」

 皇室に入ることを「結婚してやるからそれなりの待遇をよこせよ」と条件闘争に使った雅子さん。

  一般でも婚約でこんなセリフを言われたら、「あの人嫌い」って思いませんか?

  池田礼子さんの言葉と併記するような問題ではないですよね。

  礼子さん、だったら結婚しなくてよかったじゃないの?

  それこそベビーシッターだって雇えるご身分だったのに結局専業主婦。

 

 優美子氏いわく

 「親馬鹿だと言われるかもしれませんが、

私は妃殿下が心配なのです。

 妃殿下はありのままの人なのだから演技が出来ない。

 何かあると「小和田が悪い」と言われるけれど・・・

日本も皇室も変わらなければ

 優美子さん、日本と皇室がどう変わるべきだというんでしょうか?

  この場合、「女性差別をなくし、子供を産むことだけではなく仕事にまい進できる

  環境を」って言いたいんだと思うのですが、その「仕事」を放棄したのは雅子妃ですよ。

  演技が出来ないって・・・・・笑止千万。充分演技してます。

  「夫婦仲良し演技」「親子仲良し演技」

 まあ、80過ぎても娘の心配をしなくちゃいけない立場はお気の毒としかいいようがございません。

  3人お嬢様がいて、3人とも心を病んでしまったんでしょうか?

  その原因が「女性を家庭に閉じ込める封建的な日本の体制」だなんておっしゃらないでね。

  長女様は役割放棄してうまい汁ばかり吸っていらっしゃるし、渋谷家の2番目様は

  お勤め先で色々トラブったんでしょう?協調性がなくて。

  専業主婦で池田家の跡取りを産んだ3番目様が一番お幸せ?

  毎年東宮家と豪華な静養できますしね。

 

 家風というものはそれぞれが個性的である。

  そのため婚姻により家同士が結びついた時、軋轢を生ずるのもありうべき事だ。

  しかし、一般家庭の生活様式を皇室の在り方と同じ次元で考えるものでもないだろう。

 

申し訳ないけど皇室程、好きに仕事が出来る環境はないと思います。

三笠宮家の彬子女王や高円宮家を見ていればわかるじゃないですか?

税金という報酬は変わらず、生活の心配をしないで好きなことをやって

「側衛がうざい」とか言って「お気の毒ね。自由がなくて」なんて同情される。

ほんと、皇族3日やったらやめられないんじゃないの?

皇位継承権がありながら、いつも国民に気を遣って「受け身」のお仕事が山盛りの

秋篠宮家が異常なのかも。

 

  

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天人唐草・鬼

2015-12-25 16:35:00 | 昭和の少女漫画

今回は山岸凉子です。

彼女のすごい所は今もって新作を発表し続けている事でしょうか。

まず一作目は

 「天人唐草」(1979 少女コミック)

天人唐草というのは植物の名前で、「イヌフグリ」というのが正式名称だそうです。

そしてこの話は、よくネットで「外に出せない状態の雅子妃」を形容するときに出てきます。

ヒロインがラスト、気が狂ってしまい「キェーッ」と奇声を発しながら歩く姿。

これが「雅子妃」だっていうわけで、それを知った時は爆笑してしまったんですが。

 ヒロインの響子は厳格すぎる父親と絶対服従の母親の一人娘として育った。

 「女性はしとやかに」の父の下、自分を出せずだんだん萎縮していく響子。

 ある日、「イヌフグリ」という植物を知り、母に尋ねると、代わって父が

  「女の子が軽々しくそんな言葉を話すな」と叱る。母はみかねて

  「別名は天人唐草だからそう呼びなさい」という。

  「イヌフグリ」というのが性器を意味する言葉であり、それがきっかけで響子は

  「性」というものに異常に潔癖になっていく。

 あまりに父が厳格すぎて、響子は本来の明るさをなくし、自分に自信がなくなっていく。

  母もなくなり、父と二人暮らしをするようになると余計に父の影響を受ける。

 従順でありすぎた為、お見合いをしても断られるばかり。そんな時、父が突然亡くなった。

 厳格で清潔な父と思っていたのに、実は愛人がいた。

 響子は知らない男にレイプされ、自分が壊れてしまう。

 

山岸凉子は「親の支配」をテーマに描くことが多いですよね。

例えば「スフィンクス」などが代表的でしょうか。前回紹介した

「パイドパイパー」なども、一連の流れであるといえます。

人の性格や考え方は、育った環境による影響が大きいという事。

親や身内のエゴや自己愛が子供の個性を殺していく・・・そういう心理描写に

長けている人です。

響子のような、引っ込み思案で個性を発揮できない女の子はたくさんいます。

自分の前に立ちはだかっている壁を壁とも知らず、ゆえに乗り越えなかった結果が

「キェーッ」なわけで。とっても気の毒な話だと思います。

ラストシーンは背筋が凍りつくようで、子育て世代は心して読むべき作品ですね。

 

鬼」1997年 月間コミックトム

これを読んだときは涙が止まらず、あまりのショックで放心状態でした。

大学のサークル7人組が旅行した場所は「イゴク寺」と呼ばれる場所。

脱サラして住職さんになった人を訪ねて行ったのですが、そこで不思議な現象が。

実は、その辺りは江戸時代の飢饉で子供達が多数「間引き」された場所なのです。

家族の中で、どうして自分が選ばれ穴の中に落とされたのか。

空腹と悲しみで一杯の子供達の思い。

そして最後に、激しい飢えの為にとうとう、友人の肉を食べてしまった子供。

その子がいわゆる「祟り」を起こすのですが、彼は祟りを起こそうとして起こしているのではなく

ただただ、なぜ今こんな姿になってさまよっているのかわからないだけなのです。

サークルの学生達は菩薩さまに祈る事でその子を極楽へ導いていく。

その一連のストーリーが本当に悲しくて切なくて。

ぜひぜひおすすめの一作です。

 

山岸凉子と言えば最近、「レべレーション(啓示)」という新作を書きました。

ジャンヌ・ダルクのお話です。

大昔、美内すずえが描いた「白ゆりの騎士」と合わせて読むと面白いかもしれませんね。

 

 

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講演会のお知らせ

2015-12-24 12:54:57 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 風邪ひいてしまいましたーー 部屋が乾燥するから。

やっと痛みがなくなったと思ったのに、今度は喉と咳に悩まされるとは。

 

さて。来年の講演会のお知らせです。

 タイトル 「11宮家について」

 日・場所・・・1月24日(日)。お昼から夕方まで。都内某所

 お申し込みは  http://blog.goo.ne.jp/as1962k

今回は30名限定とさせていただき、尚且つ「初めて」の方を優先させていただきます。

それというのも、内容が今年やったものの「おさらい」だからです。

今年、来たかったけどスケジュールの都合でダメだったーーっておっしゃる方、

ぜひこの機会にご参加下さいませ。

なお、申し込みは携帯からの方がよろしいです。

どうしてもパソコンからでないとダメな方は、ブログ左上のメッセージ欄からどうぞ。

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天皇陛下 82歳に

2015-12-23 14:10:00 | 皇室報道

 天皇陛下 お誕生日おめでとうございます。

これからもつつがなくお過ごしになられますように 

 

今年の記者会見の内容があまりにも通り一遍で感情のないものだったので

全文は掲載しません。

テレビでの扱いもかなり小さいなと感じます。

ノーベル賞受賞者が二人とかね。

でも戦争に関する話では

今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。

この戦争においては,軍人以外の人々も含め,誠に多くの人命が失われました。

平和であったならば,社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり,

このことを考えると,非常に心が痛みます。

軍人以外に戦争によって生命にかかわる大きな犠牲を払った人々として,

民間の船の船員があります。

将来は外国航路の船員になることも夢見た人々が,

民間の船を徴用して軍人や軍用物資などをのせる輸送船の船員として働き,

敵の攻撃によって命を失いました。

日本は海に囲まれ,海運国として発展していました。私も小さい時,船の絵葉書を見て楽しんだことがありますが,

それらの船は,病院船として残った氷川丸以外は,

ほとんど海に沈んだということを後に知りました。

制空権がなく,輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも,

輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。

今年の6月には第45回戦没・殉職船員追悼式が神奈川県の戦没船員の碑の前で行われ,

亡くなった船員のことを思い,供花しました。

 あくまで「平和であったなら」

しょうがないじゃない?世界中が戦争をしていたんだもの。

今だってテロで普通に生活している人が災厄に巻き込まれて死んでいく。

どんなに時が流れても、そういう事は終わらない。

 今年は船の事が気になるんですね。

 もう・・・なんと思えばいいのか。陛下のおっしゃる通りではあるんだけど

 それを言うなら、「本意でないけど戦時中だから仕事についた」人々はたくさんいたのですよね。

 

この節目の年に当たり,かつて日本の委任統治領であったパラオ共和国を皇后と共に訪問し,

ペリリュー島にある日本政府の建立した西太平洋戦没者の碑と米国陸軍第81歩兵師団慰霊碑に供花しました。

パラオ共和国大統領御夫妻,マーシャル諸島共和国大統領御夫妻,

ミクロネシア連邦大統領御夫妻もこの訪問に同行してくださったことを深く感謝しています。

この戦没者の碑の先にはアンガウル島があり,そこでも激戦により多くの人々が亡くなりました。

アンガウル島は,今,激しい戦闘が行われた所とは思えないような木々の茂る緑の島となっています。

空から見たパラオ共和国は珊瑚礁(さんごしよう)に囲まれた美しい島々からなっています。

しかし,この海には無数の不発弾が沈んでおり,今日,技術を持った元海上自衛隊員が

その処理に従事しています。

危険を伴う作業であり,この海が安全になるまでにはまだ大変な時間のかかることと知りました。

先の戦争が,島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならないと思います

 どうして日本の天皇陛下がアメリカの軍人を慰霊しなくてはならなかったのか。

  ここはどうでも日本だけの為に祈ってほしい。

  今も残る不発弾の多くはどこの国のものなんでしょうか。

  平等にあたりさわりなく、世界平和を目指して・・・・という意識が丸見えで、かえって

  考え方が偏って見えますよね。

パラオ訪問の後,夏には宮城県の北原尾,栃木県の千振,長野県の大日向と

戦後の引揚者が入植した開拓の地を訪ねました。

外地での開拓で多大な努力を払った人々が,引き揚げの困難を経,不毛に近い土地を必死に耕し,

家畜を飼い,生活を立てた苦労がしのばれました。

北原尾は,北のパラオという意味で,パラオから引き揚げてきた人々が入植したところです。

この1年を振り返ると,様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。

年々,戦争を知らない世代が増加していきますが,

先の戦争のことを十分に知り,考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います。

 満州に行っても苦労、引き揚げてきても苦労、それを考えると私達のような世代には

 真似できない艱難辛苦の数々。

  本当に頭が下がります。

私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり,

行事の時に間違えることもありました。したがって,

一つ一つの行事に注意深く臨むことによって,

少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです。

今年もあとわずかになりました。

来る年が人々にとって少しでも良い年となるよう願っています。

 御心構えは立派なんですが、82歳にもなれば間違えたりボケたりするのは

当たり前で、そういう自分を許していかなくちゃいけない年齢ですよね。

間違えないように頑張る事も大事だけど、若い人に譲るというのも大事ですよ。

ご自分にとって最も大事な皇太子に全権委譲されたらいかがでしょう?

麗しき佳子様

威厳ある眞子さま。

ウエストの模様が素敵。

華やかな秋篠宮姉妹。

紀子様、ドレスをもっと新調されたらなあ。

ちなみに雅子妃のドレスは1999年に着たもののようで・・・・

それはそれでなんだかなあ。

新調してもむかつくし、お古を着てもむかつく。なんででしょ。

 

フランスの放送局による一般参賀映像。眞子さまと佳子様にしか関心がない(笑)

皇太子夫妻はどこーーー?

佳子様、ちょっと怒ってる?こういう顔をされる時は何か不愉快な事があったあとよね。

思えば陛下の誕生日だというのに、笑顔が出ない内親王方。

笑う事が許されていないのでしょうか?

 

<!-- フランス局 -->

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美智子さま81年の歩み4

2015-12-22 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 顔は性格です。

  性格と名前を結びつければいいのです。

 (聖心女子大4年時、学生の名前を間違えないことを問われて)

 聖心女子大学外国語外国文学科に入学された美智子さまは、

  才色兼備を絵に描いたような優秀な女学生生活を送られている。

  入学の年にはクラスの福祉委員を務め、2年生の時にはクラスの副委員長に

  そして4年生になると大学自治会の全学委員長「プレジデント」に選ばれている。

 プレジデントの仕事は、学校側との連絡・折衝や学生間の問題の解決など

  様々、この任を務める為、美智子さまはアルバムを見て下級生の顔と名前を

  全て暗記し、誰にでも名前で語りかけられた。

  憧れのプレジデントに名前を呼ばれた後輩達は感激し、すっかりファンになって

  しまったという。

 クラブ活動も、合唱部、英語劇クラブ、そしてテニスと三足のわらじを履いて

  熱心に取り組まれた。

  テニスの腕前は、大学4年生の時には軽井沢で開催されたインターナショナル・

  トーナメントで、シングルス、ダブルス、男女混合ダブルス優勝という

  「三冠王」の快挙を成し遂げられたほど。

  関東の学生ランキングでも堂々の4位にランクインされている。

 学業成績もお世辞抜きに「抜群」で、成績優秀者に贈られるオーナー・スチューデント

 という表彰を4年連続で受賞されている。

 英語力は教授の折り紙つきで、英語劇では聖母マリアの役を好演。

 当時の成績表には、最高評価のAが多く、体育も前後期ともにAという優れた学生だった。

  当然のように主席での大学卒業となった美智子さま。

  卒業式では全卒業生を代表して謝辞を述べられている。

 非の打ちどころのないお嬢さんですよね。

  本当に。当時の聖心女子の偏差値がどうのとか言いません。とにかく学校一優秀だったと。

  だけど、成績優秀者である事が「お妃」の条件なんでしょうか?

  私達、小さい頃から皇室番組があるたび、美智子妃の「学業成績優秀」話は嫌という程

  聞かされてきたんですけど。

  歴代のお妃で、こんなに学業成績の事ばかり褒められたのは美智子妃が最初でしょう。

 もしプレジデントに選ばれた事や、劇でマリア役を演じたりすることが

  すでに「皇太子妃」への下地であったとするなら・・・・

  最初から「優秀ありき」だったのかもしれませんよね。

 美智子さまといえば「記憶力」

  皇室に入ってからも一度あった人の顔は絶対に忘れない・・・というのが特技で。

  それはそれで素晴らしいのですけど。

  そういう事は特技であって資質ではないと思うんですけど。

 

 わたくしが殿下を愛するようになったのは、

一人の人間として殿下が素晴らしい方だからであり

  皇太子だからではありません。

 (昭和33年、親しい記者への手紙で)

 度重なる長い電話お話しの間、

殿下はただの一度もご自身への苦情を

  お述べになったことはありませんでした。

  (プロポーズの電話について黒木東宮侍従長に)

 皇太子殿下は幸せだったと思います。

  孤独でった・・・というのは、いわゆる狭い一軒家に住む家族の様でなかったという

  だけの話。

  写真がかもしだす「親子の親しみ」はごまかせません。

  まあ、ちょっと甘やかされたんじゃないか?とは思うけど。

 皇太子=可哀想な立場・・・というのは美智子妃目線の独りよがりな考え方ですね。

  何で電話で自分の立場の苦情を言わないといけないのでしょう?

  「自由に外に出てデートも出来なくてごめんね」とか言われたかったのかな。

 縁談といえば嬉しいのが本当なのに

 なぜこんなにつらいことを

  いろいろ考えなければならないのかしら?

 (昭和33年 欧米旅行から帰国後)

 美智子さまは婚約発表の記者会見にドレス姿で臨んだのだが、

 この時の手袋が肘と手首の中間程の長さだったのを見とがめた一部の人々が

 「正装の手袋は肘を隠す長さでなければならない」と正田家、宮内庁にクレームの

 電話を寄せたのだ。

 実際には手袋は東宮御所が用意したもので、皇太子さまご自身も「あれでよい」と

 いうものだったのだが、

 「正田家はそんな作法も心得ないのか」とばかりに批判の声が広がった。

 美智子さまのおしるしにと皇后さまが選んだ候補に野菊が入っていたのだが、

 これに「平民(野)から皇室(菊)にやってきた嫁」との意味があるのでは・・・と

  ささやかれ、結局、皇太子さまが別途推薦した白樺に決まった。

 美智子さまは皇后さまの選んだ野菊がいいと主張したものの、最終的には

  皇太子さまの意見を立てて白樺に決められた、というのが真相なのだが

  一部では嫁姑対立のように扇情的に取り上げられてしまった。

 どちらもまるで、ご結婚後の美智子さまの「苦難の道」を暗示するような、後味の悪い

  出来事になっている。

 

 「手袋事件」

 今まで色々語られてきましたが、今回出てきたのは

 ・ 皇太子自身が「あれでいい」と言った

 ・ 東宮御所が用意したものだった

ですね。でも昭和時代は

 ・ 三越などにも掛け合って長い手袋を探したけどなかった。

 ・ 宮内庁からはプロトコル上、おかしくないと言われた・・というもの。

 今更「皇太子がいいと言った」と付け加える必要がどこにあるんでしょう?

 そもそも男性の皇太子に女性のドレスの事なんかわかるんですか?

 今、あのドレスを見ると、確かに手袋の長さが短いと思います。

 というか、ドレスの袖が中途半端だったんじゃないかなあ

  手袋を買えないなら作ってしまえばよかったのに。宝塚歌劇団などには

  あったんじゃない?とかいっちゃって。

 婚約記者会見にドレスを着た・・・という事が勘に触ったんじゃないのかなあ。

  後々、紀子様は濃紺のワンピースに不釣り合いな手袋をしていましたが

  あれは後遺症だったんでしょうね。

 「野菊事件」も

 ・ 美智子さまは野菊でいいと言ったのに皇太子が変えた

 となってますが、昭和時代には

 ・ 思い出の軽井沢の白樺を強く要望

 となってますよね。そもそも「野菊」が嫌だと言ったのは美智子さんじゃなかったっけ?

 81年目に「ねつ造」されていく「事件」の数々。すごいなあと思います。

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