6月28日、午前10時よりオフ会が開かれました。
といっても・・・実は渋滞の為、私自身が遅刻してしまい。
皆さまに多大なご心配をおかけし、申し訳ありませんでした。
でもお部屋に先に入ってセッティングされているのをみて「すごい」と思ってしまいました。
連携プレーできる「ふぶきの部屋」の方々、ありがとうございます。
まず桂宮様薨去に対する黙祷から始まりました。
そして各自自己紹介。初めての方々、2度目の方々、とりまぜて行われました。
皆さま、私の小説を楽しみにして下さっているとの事、とっても嬉しかったです。
そしてヅカファンの方々。もっとこっちの話も出来たらよかったなあ
でも話の中に結構「ここはヅカファンは知ってないと」と無理やり入れてましたけど
文春の記事について
今回、文春に載った「愛子内親王の不登校再燃」から話が始まりました。
発達障害というものがどんなものか、そしてその対応策はどうすべきか。
愛子内親王の場合、身に合わない「ご優秀伝説」があり、非常に気の毒である。
とはいえ、皆さん、愛子内親王の「これ」「ゴミ」には衝撃を受けたようです。
「お付の方が何も言わないというのはおかしいのではないか。
通常は、親王や内親王にそういう振舞をさせないのが御付の役目。
誰も止めないというのは、雅子妃の意志なのか。宮内庁自体がやる気を失って
いるのではないか」
つまり、昔の入江侍従長や浜尾さんのような「身を挺して皇室を守る」人がいなくなって
しまった・・・
皇室の権威が失われたという事ですね。
ついでに塩村議員の話も出ました。
「売国奴」という言葉が飛び出すなど、総じて彼女には批判的。
ほとんどの参加者が女性で、その女性たちを敵に回したのが彼女であると思いました。
日本の皇室は男女差別なのか?
塩村議員の話が出た所で「日本は本当に男女差別の国なのか?」という話に。
「女帝を認めない日本は差別的で開かれた皇室ではない」という事なのか。
そこで、戸籍の話から。
戦前の戸籍は「戸主制度」を用いており、妾から使用人まで一つの戸籍に入っていた事。
いわゆる「戸主」は会社のようなものですね。
女王の擁する国、イギリスの話
エリザベス女王の夫であるフィリップ殿下の出自、それから彼の生きざまを振り返る事により
「女王の夫」という地位が実は非常に低くて不安定である事。
かつて女帝が君臨したハプスブルク家の話
マリア・テレジアがハプスブルク家を継承する際に起きた戦争の話。
そして夫、フランツ一世の話。
日本における女帝8代10人の話
推古天皇から後桜町天皇まで、各時代の女帝が誕生した背景と、彼らの心理を探りました。
名前は知っていても、その女性が誰の妻で誰の母だったかというような事は意外と知らないもの。
持統天皇から孝謙あたりまでの話には、皆さん、ちょっと驚かれる事もあったようで。
また明正天皇即位の話にも、みなさん、おおーーっというような感じでございました。
つまり、現代に似ているという事ですね。
日本の女帝の背景には「外戚」がいます。
それが蘇我氏であったり藤原氏であったり。皇位簒奪の為に娘を送り込んでも
結果的にそれが排除される「自浄能力」が皇室には備わっていると。
どれほど強い外戚がいても、皇位を自ら継ごうとするものはいなかったのはなぜか。
それは次回の課題になりそうです。
小和田家の場合、今までの外戚と違い、自らを「天皇」としたいようなムードがあり
そこが今までの外戚と違っている所です。
ここでお昼休憩。
ジュゴン様が用意して下さったお弁当を食べながら、しばし歓談
皆さま、お菓子をお持ち寄り下さいましてテーブルの上は結構花が咲いたようでした。
それぞれ意見交換をしたり、お友達になったり、これぞオフ会の醍醐味っ
明治天皇の「皇室保護」術
江戸時代、世襲宮家は4つ。幕末にさらに4家増えました。
でもそれでは足りないと明治天皇は考えたのでしょう。
娘達を宮家の2男、3男に嫁がせて宮家を創設させるという手段を用いました。
明治天皇の側室たちの話、そして生まれたお子様がたが何歳で亡くなり
生き残ったのは誰と誰でーーみたいな話には、皆さん目が釘付け。
一人の子を失うのでも悲しいのに、明治天皇は6人もの子供を失ったのですから。
側室方の「源氏名」にはみなさん、ほっこりされていたと思います。
大正天皇婚約破棄事件
生まれつき体が弱かった大正天皇を明治天皇がいかにして教育をしたか。
超「ごゆっくりさん」だった皇太子に無理をさせず、でも必要な事は教えて行く。
その一方で11歳の時に「お妃選定」を始め、最終的に「丈夫さ」で
九条節子に決まった経緯をお話ししました。
「お上」と「節ちゃん」の夫婦喧嘩も披露・・・・ ふぶきさん、ちょこっと女優に?
シミュレーション大葬の礼ー昭和天皇
私は小さい頃からスクラップが好きで、色々な新聞記事をスクラップしてきたのですが
それを披露しつつ、1989年1月7日の新聞を使って、「シミュレーション大葬の儀」を
やってみました。
「天皇死去の場合、皇太子はただちに践祚」この直ちに「践祚」の意味、わかりますか?
天皇が亡くなったその瞬間から皇太子は「陛下」と呼ばれる事になるのです。
・・・と言ったら、みんなが「えーーやだーー」のオンパレード。
それから弔問外交、桂宮の例を出して葬儀一連の皇族の動きなど。
もう少しリアルに表現出来たらよかったなと思います。
それでも、次世代の天皇ご一家は3人のみになる事。秋篠宮の立場が微妙である事
東宮御所がからになってしまう事などを話しました。
太平洋戦争の話
どういう流れでそうなったか・・・・っておyく覚えていないのですが、戦争の話になりました。
両陛下が対馬丸の慰霊の為に沖縄に行かれた事、来年はパラオに行かれる事。
なぜにそこまで「慰霊」にこだわるのか。
そして両陛下の沖縄に対する思いは強すぎるのではないかと・・・・・
それはもしかしたら陛下ご自身が昭和天皇について「戦争責任」があると考えているのでは。
つまり慰霊の旅は陛下による「謝罪の旅」であるといえるのです。
「誰に対する?」
「戦争で亡くなった被害者に対し、自分の父のせいで死なせてしまいごめんなさい」
これにはみなさん、ちょっと驚かれたようですね。
日本が戦争に突入した理由
戦場になったのは沖縄だけではない。広島・長崎・・そして東京大空襲も。
にも関わらずなぜ「沖縄」を特別扱いするか。
ここらへんでみなさんの中から「慰霊の旅はありがたいけど、いい加減にしてほしい」と
いう意見が。70年前の事に拘ってもしょうがないじゃないかと。
そういう事は次世代に受け継がせていくべきなのに、何が何でも自分で・・・という事が
理解できない。
結論として、「天皇はリベラルすぎる」と言う意見が。
要するに天皇自身が「罪深い天皇制は自分の代で終わらせたいのではないか」と。
マイナーな意見かもしれませんが、今の両陛下を見ているとさもありなんですね。
なぜこんな風になったかといえば、やっぱりバイニング夫人の教育の影響が
大きいでしょう。
ここでまた「天皇の孤独」とは何かという話も。
アメリカンファミリーのような家族ではなかった事ではないかと結論。
最終的に「戦争は間違っているけれど、あの時、日本だけが悪いと言われる事には反論。
そして半ばそう思っている陛下に疑問」でした。
戦争映画や本の紹介などもしました。
テレビの「皇室日記」でやってましたが、対馬丸記念館に行った陛下が
「護衛艦はどうしたの」とお尋ねになったと。
館長が「護衛艦は逃げました」と答えたそうです。
ナレーションとして「皇室に複雑な感情を持つ人もいる」と。
これを見た時、結構ショックでした。
確かに護衛艦がついていた筈だし、逃げた・・・というのも本当かもしれないけど。
そうやってあくまで「日本が守らなかった」事だけを責める姿勢はどうなのかと。
魚雷をぶつけたのはアメリカなのに。
これじゃ広島の「あやまちは二度とくりかえしません」と同じではないの?
原爆を落としたのはアメリカなのに、落とさせたのは日本、ゆえに日本が悪いという考え?
何だか、オフ会の後だったのでよけいに陛下の根底に流れる思想を垣間見たような
気がしてがっくりと。
時間が短くてあっという間に5時。
みなさんと一緒に後片付けをして、名残惜しみながらお別れ致しました。
二次会は居酒屋で。
ここで非常に貴重な事を知りました。
それは栃木県では「立志式」というのがあるそうで。
13歳でこれをやるんですね。すごい。
最高の収穫でした。