ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

皇室ウイークリー

2018-01-14 07:00:00 | 小説「天皇の母」161-

ご日程

両陛下

1月7日・・・両陛下 → 昭和天皇皇霊殿の儀

      天皇陛下 → 昭和天皇御神楽の儀

1月8日・・・両陛下 → 勤労奉仕団に会釈

1月9日・・・天皇陛下 → 親任式・認証官任命式

             通常業務

1月10日・・・両陛下 → 講書始の儀

             講書始の儀関係者と会う

1月11日・・・両陛下 → 勤労奉仕団に会釈

 

皇太子同妃両殿下

1月7日・・・皇太子殿下 → 昭和天皇祭皇霊殿の儀

              昭和天皇祭お神楽の儀

1月10日・・・両殿下 → 講書始の儀

 

秋篠宮家

1月5日・・・秋篠宮殿下 → 山階鳥類研究所会議

1月7日・・・両殿下 → 昭和天皇祭山稜奉幣の儀(武蔵野陵)

     眞子内親王 → 昭和天皇祭皇霊殿の儀(皇霊殿)

1月9日・・・秋篠宮殿下 → 日本動物園水族館協会会長他に会う

              日本植物園協会会長他に会う

      紀子妃殿下 → 結核予防会理事長他に会う

1月10日・・・両殿下・眞子内親王 → 講書始の儀

 雅子妃の公務が・・・来年には皇后になるのに昭和天皇祭を欠席。それは現皇后もそうだから文句言えないのか。それにしたって「講書始の儀」に出ればお仕事完了なんて甘すぎる

 女性週刊誌によると宮中祭祀における「まけ」(生理期間云々)の報告及び潔斎などの掟を雅子妃の為に変える必要性があると書いてありましたが、そんな事をするなら祭祀に出なくて結構です。

っていうか何様なの?どこかの国みたいに「生理」だからって小屋に閉じ込められたりするわけじゃないでしょうに・・それに・・・もうないんじゃない?54歳にもなってまだ潔斎が負担とかいうのは最初からやる気なしって事ですから。

 両陛下はまた沖縄げ行くんですね。どんだけ好きなんですか?沖縄。

 とりつかれていません?沖縄への罪悪感に。かえって怖いです。

 JBPRESSニュースで語られた雅子妃への批判 

タイトル 「新天皇に覆いかぶさる雅子妃の”心の闇”」

適応障害を患われてから、様々な行動で批判を受けている雅子妃は新年が明けた1月10日、「講書始の儀」に2003年以来、15年ぶりに出席された。

 「講書始の儀」は、年頭に当たって、皇居・宮殿で、天皇、皇后両陛下が学界の第一人者から講義を受ける行事で、皇太子以外に、秋篠宮ご夫妻ら皇族方が出席して執り行われる。

 2019年5月、「新皇后」に即位する雅子妃の15年ぶりの皇室方が会する皇室行事出席だったが、国民の反応は安堵や喜びもある一方、冷めた批判的なものも多い。ネット上には、次のような書き込みもあった。

 「病気とはいえ15年間何してたの?  日本一の医師、環境で治療してもらってて、歓迎されないよね。これからどの場に出席してもずっと15年ぶり!」

 「15年ぶりですか!  毎年、ご出席される方々は、称賛されることがなく、14年もの間、サボってたこのお方は誉められる。世の中の理不尽さが分かる象徴ですね」

 「実家関係者の医師しか診察させず、病気療養中でも遊びは欠かさず、今頃になって次期皇后になるためのアピールにしか思えない」

 「公務はできなくても、豪勢な貸し切りスキーや夏のご静養は皆勤賞!  国民は疑問に思っています。しかも全部国民の血税です!」

 「薬物治療もしてるんでしょうが、適応障害の第一選択はその環境を変えること。公務がストレスならば皇室を離れられた方がいい。皇后になったらさらにプレッシャーかかりますけど、大丈夫なんでしょうか 」

雅子妃が「適応障害」という病気を患われてから、今年で15年になる。

皇后に即位する雅子妃の健康状態は、国民とともに、新天皇になる皇太子の一番の不安と心配でもある。

 雅子妃へのプレッシャーが高まることは避けられない。

 海外メディアは、優秀な医師団のもと、20年近く経っても、なかなか病状が良くならないのは、その原因となるものが複雑化していることも挙げられるだろうと見ている。

■ 雅子妃の病状に影落とす実父

 その代表的なのが、雅子妃に対する「実父の影響」だとされている。

 新聞記者時代(筆者)、外務省を担当し、同省記者クラブに所属していたとき、ある官僚から次のような話を聞いた。

 「雅子妃には典型的な『官僚思考』がある。私の先輩であった小和田氏(雅子妃の父)もそうであったように、信頼しない人間は、皇族、政府、東宮の人間であっても、関係なく、否定する」

 「接触したくない人とは自ら口も聞かないし、交流をもたない。小和田氏に限らず、エリート官僚に見られる現象だ」とした上、「人を『敵か、味方か』で判断する場合がある」

 しかし、皇族になれば立場は全く逆だ。自らの嗜好やムードで、国民や相手国の賓客に接することは控えるべきで、まして皇后という立場になれば当然だ。

 子育てもそうだ。そういった意味で、雅子妃と皇室には、日本人でありながら歴然とした異文化の障壁が今も立ちはだかっている。

 欧州の王室の中でも、英国王室は自立自営だが、日本の皇室費用は宮内庁の予算で賄われ、国民の税金。

 今後、天皇・皇后は退位するものの新たに上皇・上皇后として即位し、さらに秋篠宮は皇太子には就任せず、皇嗣として活動されることになっている。大幅に拡大する皇室予算を税金でどこまで捻出するか、大きな議論となるのは必至だ。

 皇太子も夫として雅子妃の良き理解者になるのは当然だが、今後は、天皇として雅子妃が、国民の理解を得られ、愛されるように皇后としての品格、見識ある道に、導かれることが望ましいのではないか。皇后になれば、「おひとり外交」も増え、洗練された皇室外交を磨かれるのも、そうだ。

 2013年のオランダ国王即位式では、日本のメディアこそ他の王族と比較し絶賛していたものの、全身を覆い、ピルボックス(縁なしの円形帽)をかぶった雅子妃は、1950年代の「尼僧のよう」と酷評され、「日本の伝統という籠に閉じ込められた可愛そうなミステリアスなプリンセス」と同情を誘った。

 アジアにない世界に誇れる日本の皇室であるよう、新天皇となる皇太子が課された皇室の将来と責務を果たすことは、雅子妃のためにもなるし、夫婦愛でもある。

 そして、それは、ひいては、国民への愛を示した皇室の姿でもあるのではないか――。

 結構手厳しい記事なので掲載しました。

 オランダでの「尼僧のような」は誉め言葉で、実際は「何であんなに黄ばんだシルクで体に合わないドレスを着ているの?」ですよね?

プリンセス・マサコって頭おかしいの?って思われたに決まってます。

 へえ、官僚って「好きじゃない人とは会わないし、口もきかない」んだ。

 

 週刊新潮抜粋 

 雅子妃について 

 1月10日の講書始の儀は15年ぶりのご出席が決まったものの、2日後の歌会始の儀は昨年に続いてご欠席。負担を考慮したのでしょうが、いまだにご体調の民についての説明がなされないままで、何が基準となってご出欠が決まるのか、全くわからないのです」

 全ての人を等しく愛する「一視同仁」は帝王学の基本。にも関わらず、ご公務のえり好みと言われても仕方のない状況が続いている。

 新しい皇后には「義務」も「慈愛」も必要なく、やりたいことだけやっていればいいんだから楽なんじゃないですか?ネットで批判されたって池坊さんみたいにへたらないでにこにこ笑ってお手ふり出来るんですから。

 

 紀子妃について 

 年末に陛下の退位が決まってからはひときわナーバスになっておられる。宮邸で働く職員に対してもこれまで以上にシビアな物言いをなさっているのが目につきます」

 周囲のスタッフに

ねえ、うちで働けて嬉しいでしょう」

「ありがたく思わないとね」などと直截的な表現で圧迫的なふれーずを口にされています。そんな時我々(宮内庁職員)は「雅子妃殿下が皇后となられる日が決まって面白くないのだろう」とささやき合っているのです。

 1990年のご成婚以来、ともすれば「過剰反応」と指摘されつつ、ひたすら皇后さまのなさりようをお手本とされてきた紀子妃。

十数年にわたって公務がおぼつかない雅子妃に思いを致される時、そのお気持ちが千々に乱れるのも無理からぬ話であろう。

 小室圭さんの父親が自ら命を絶った事実を報道。

「殿下はそうした報道に接して「しりませんでした」と驚かれていました。ただ、さほど気に留めてはおられなかった。続いて佳代さんの新興宗教や霊媒師との関わりにしても殿下は困惑されながらも「ご本人の事ではないので」と深刻に受け止めなかった。

 (例の400万円記事には)「事ここに至って殿下も今までとはうって変わって「困りましたね」「どうしたものでしょう」と非常に思い悩んだご様子で周囲に漏らされています」

記事によれば小室さんのICU入学金や授業料、そして米国留学の費用もこのお金で賄われていたというのだから、無関係どころかトラブルの「当事者」そのもの

「それでも婚約内定を終えた今となっては時すでに遅し、今年3月には納采の儀が控えており、続いて11月には帝国ホテルでの挙式の予定。皇族側からご破算を言い出すなど出来るはずもなく、宮内庁内でも「まずい事になった」と職員は音を上げています」

 皇太子殿下が即位されても雅子妃殿下が波のあるご体調まま公務を全うできなければ早晩批判が噴出するのは自明の理。その折、果たして新天皇は世論の風当たりに耐えられるでしょうか。

 (現皇后へのバッシングは)昭和天皇の1年間の服喪を差し引き、即位から実質3年後に庁内の守旧派によって皇后陛下が噴出した格好でした。ご公務を十分にこなせていない雅子妃殿下の場合は、もっと早くに内部告発が起きる恐れが多い員あるのです。

 紀子妃は気持ちを高ぶらせてその日を待っている・・・・

 紀子妃が「ねえうちで働けて嬉しいでしょう」などというはずがないのです。

何をもってそういうんだ?そんな事いうのは雅子妃以外に考えられないじゃない?

「ねえ、秋篠宮家みたいな忙しい部署じゃなくてうちで働けて嬉しいでしょう?有休取り放題だもんね」みたいな。「病欠でもいいわよーー人事部に言っとく」くらいは言ってそう。その代わり他言無用だぞって・・・ああ、怖い。

 小室圭の父親が自殺した事や佳代さんの新興宗教や霊媒師に関して秋篠宮殿下が気にしなかったというのは意外というか、これじゃ世間から「馬鹿親」と言われてもしょうがなくなってしまいますが、皇族として本人にどうしようもない事に関してはそういうしかなかったんだと思います。

 宮内庁がちゃんと調べなかった、教えなかった・・・つまり常陸宮殿下の時と同じで、いきなり「退位?」という間に自分達の意見も聞かずに皇室会議の流れと同じではないでしょうか?

でもおかしいと思わなかったのでしょうか?

タクシー代をケチる人だよ?年収だって250万でどうやってICUに入ったのか?単に「相続財産があったのだろう」と考えたのか?騙されたようなもの。

実は全部母の愛人からの「借金」(小室に言わせれば贈与)だったとわかったなら、当然、今は納采の儀の費用も帝国ホテルの費用も出せるわけなく、むしろ堂々と「そんなお金ありません。僕達、入籍だけでいいです」なんて言ってそう。

そう出来ないのを知ってていうのだったらまさに悪人だなあ

 殿下ーー戦後すぐに臣籍降下してたら間違いなく騙されて一家離散ですよ。少しお金にシビアになって下さいよ。人を信じちゃいけませんって。川嶋家も黒田家ももうちょっとガンガンいうべきでした!!

宮内庁が小室家に働きかけて「辞退」させるのが筋です。大正天皇の婚約破棄の時だって表向きは伏見宮家からの辞退という形だったのですから。

 それにしても悠仁殿下ご懐妊の時と同じぐらい惨い記事で、これを何とか出来ないものかと本当に思います。宮内庁にメールとか新潮にメールとか、そうしないといけないのでしょうね。

 

 

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」181 (ふてくされのフィクション)

2015-03-21 10:52:00 | 小説「天皇の母」161-

時々、国民は天皇家に40年近くも男子が生まれていないという事実に

不安になる。

本当は100年も前から、その都度不安を持って来た事なのだが、

幸いにして何とか皇統は維持されてきた。

しかし、今回ばかりは本当にダメではないか・・・・と思わざるを得なかった。

マサコは40歳を過ぎ、キコももうすぐ40歳を迎えようとしているからだ。

もっと早く何とかならなかったのか。

マサコが不妊だったのは気の毒としても、アキシノノミヤ家に3人目が

生まれないのはどういうわけなのだろう。

もう子供を持つ意志がないのだろうか。

まさか、その陰で

色々言われるから産まない方が」と止められていようとは

誰も考えていなかった。

 

アイコが生まれた時から「いずれ女帝に」という話題は浮かんでは消え

消えては浮かんで来た。

ノリノミヤの婚約がきっかけとなり、「女帝」への布石報道は増えていく。

「女帝」を容認させるには、まず皇太子の次に皇位継承権のあるアキシノノミヤを

貶めなくてはならない。

 

女性週刊誌には盛んに「両陛下が皇太子家を無視してアキシノノミヤ家だけと

仲良くしている」という記事が載り始め、

やがて「アイコ女帝への道」という文字が踊り始める。

年の始めに立ち上がった「皇室典範改正に関する有識者会議」は

女性学を専門とするイワオスミコを筆頭に、10人のメンバーで構成された。

中には皇后と同じ大学出身で、仲がよいとされるオガタサダコも含まれている。

しかしこの10人の中に一人も「皇室制度」の専門家はいなかった。

そもそも総理大臣自らが「女帝と女系」の違いもわからず

アイコ様で何が悪いの?」と言う程の人物であったから、そんな総理の意を

組んだメンバーに正当性がある筈もなく。

皇室制度とは何か」

「なぜ125代男系で繋いできたのか

というような議論が一つもなく、ただ単に「このままでは皇位継承が危うい」の

一言で片づけてしまう浅はかさ。

イギリスだって女王がいるのだから日本だって女帝がいても不思議ではない」

と言い出す愚かさ。

専門家がいない専門会議というおかしな風景が繰り出す論理は、どこまでも

「男女平等」「身分制のない国家」を軸とする、天皇という存在に対する矛盾を

誤魔化す内容ばかりだ。

・ 女性天皇および女系天皇を認める

・ 男女を問わず第一子を優先とする

・ 女性天皇および女性皇族の配偶者も皇族にする

・ 永世皇族制を維持する

・ 女性天皇の配偶者への敬称は「陛下」とする

・ 内親王自由意思による皇籍離脱を許さない

皇室2600年の歩みの中で、数々の例外はあったろうが

上記のような内容は一度もなく。

前代未聞の皇室典範改正で、それをいとも簡単に

やってのけようとする事に罪悪感を持つ者すらいない。

これはどこから見ても「アイコ女帝」への布石に他ならなかった。

僅かに残る保守派が

日本の天皇制を支えてきたものは「血筋」そのものであり、ゆえに

男系である事が第一条件である

と言っても、「それは古い考え方」「男女平等主義に反する」などと一蹴された。

たまらずミカサノミヤ家のトモヒトが「女系天皇反対」を唱え、旧皇族の復帰を求めたが

それによってどうという事はない」とこれまた一蹴された。

皇室に関する会議を行っているのに、皇族の意見を無視、そして軽んじる会議だったのだ。

 

このままあと数か月待てば、この「皇室典範改正」は実現する。

天皇も皇后も政府の決定には意見しない。

貝のように口をつぐみ、「それは政府が決める」との繰り返しだった。

天皇にとって「政府に意見する事」はすなわち「暴君」になってしまうのでは

ないかとの恐れがあった。

かつての戦争に負けたのも・・・いや、その戦争に突入させたのは先帝の詔勅で

あった事を思う時、もしその判断が間違っていたら、自らの首を絞める事になる。

自分で意見しないという事は、つまり「責任もない」という事なのである。

心の中では「あのアイコに将来天皇が務まる筈がない」と思っている。

しかし、そう言ってしまったら「女子だから差別するのか」と言われてしまう。

両親の皇太子夫妻が娘の障碍を認めず公にしない以上、いくら祖父母といえども

それは出来なかった。

また、事ここに至っては女帝はダメだ、女系はもっとダメだ・・などと狭い事を言っている

場合ではないとの判断も。

障碍はいずれ必ずばれる。そしたらアキシノノミヤ家のマコが女帝になればいい。

皇統の維持に心を痛めすぎた天皇と皇后は、そこまで追い詰められていたのである。

 

では他の皇族はどうであったかと言えば、真正面から抗議したのはトモヒトだけで、

あとは全てにおいて「静観」の構えだった。

なぜなら、そんな事は「今さら」な事だったからだ。

民間から妃が出るのであれば、3代前が不詳で黒いうわさだらけの外交官一家から

皇太子妃が出ても不思議はないし、その娘が発達障害であろうとも

女帝にしたければすればいい。

その頃、自分達はみな墓の下だから・・・・というような感じだろうか。

あの日。オワダマサコの皇太子妃決定ニュースがロイターで駆け巡った時、

皇族方は全員、驚きのあまり言葉が出なかった。

事前に何の連絡もなく、いきなり皇太子妃決定。

何かを決める時にもっとも重要な「根回し」が一切なかった事に

皇族方は怒り心頭になった。

それでも謝罪するわけでもなく、ニュースは事実になり、さらに勝手に

食事会など開かれたのでみな欠席した。

それが皇族方の「抗議」の仕方だった。

それでも・・・・それでも天皇と皇后からは釈明の一つも出なかった。

あれから10年。

「人格否定」発言によって皇太子は皇室の権威を決定的に傷つけてしまった。

「病気」になったのは天皇が悪い、皇后が悪い、皇室が悪いと言い張る皇太子妃と

それを擁護し加担する「世間」というものに、みな絶望して口を閉ざす。

 

そんなわけで「有識者会議」にとって怖いものは何一つなかった。

オランダの遠い空からヒサシも、一日千秋の思いで皇室典範の改正を待っている。

そしてマサコは「病気」を理由に公の仕事はほぼ全欠席のまま

那須に3週間の後は奥志賀へ静養に出かけ、やりたい放題を満喫している。

それでも、自分達がいない間にアキシノノミヤ邸に天皇・皇后とノリノミヤが

集まって夕食会を開いたなどという話を聞けば、面白くない。

自分がやりたい放題やればやる程、それを羨ましそうに見ている人間がいる

事がストレス解消なのに、まるで、意に介さず夕食会など。

しかもアキシノノミヤ家は、本来内廷皇族しか利用できない那須御用邸に

まで滞在の許しを得ているではないか。

すかさず週刊誌に

マサコ様を無視して両陛下とノリノミヤ様とアキシノノミヤ家で夕食会をするなんて

配慮が足りない。これ以上、マサコ様の病状が重くなったらどうするのか

マサコ様が病気だというのに、アキシノノミヤ家の那須御用邸滞在のなぜ」と書かせる。

無論、マサコが書かせたわけではなく、裏で動いていたのはヒサシだったのだが。

何をやっても庇って貰える事にマサコは大いに満足し、子供のように笑い、

子供のようにふてくされた。

 

そんなに傷ついたのかしら

皇后はおろおろと新聞の見出しに言葉を振るわせた。

アキシノノミヤに御用邸の使用を許可した事、そして例の夕食会に関して

「マサコ様が傷ついた」と雑誌などが報道しているのだ。

だって、サーヤの結婚の為だったのだし。あの人達はどうせ来なかったろうし

8月下旬、天皇・皇后・ノリノミヤは八ヶ岳を訪問。

公務を兼てのものだったが、降嫁前の最後の「水入らず」であった。

しかし、その時、目と鼻の先にいた東宮家とは会わなかった。

おたあさま、いつもの事じゃなくて」

そう言いながらノリノミヤはうんざりしていた。

週刊誌の見出しに一喜一憂する母の姿。

本当にこんな母を残して嫁いで大丈夫なのだろうかと。

あと数か月なのに。

幸せな筈の今を今一つ乗り切れないノリノミヤだった。

 

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」180(節目のフィクション)

2015-03-10 07:00:00 | 小説「天皇の母」161-

その年の夏、東宮家はタガが外れたような遊びっぷりだった。

7月にいやいや万博に日帰りで行き、その愛想のなさで

顰蹙を買ったマサコだったが、それでも本人的には「達成感」にあふれ

それゆえに「これくらいなら許される筈」とばかりに「静養」につぐ

「静養」にあけくれたのだ。

まず、8月6日。その日は広島に原爆が落とされた日で、

皇居始め、各宮家では「お慎み」と呼ばれる・・・いわば外出をしない日だった。

にも関わらず、マサコはセイロカ病院の夏祭りに行ったのだった。

「原爆の日にそのような外出をされるのはいかがなものかと」

東宮大夫は厳しく言ったが、マサコは

「8月6日に夏祭りをやるって言ってるのは私じゃなくて病院なのよ。

私が合わせているんじゃない」と言い放った。

別に来てくれと頼まれたわけではないが、この病院で行われる

アニマルセラピーには何度か顔を出しているし、

夏祭りとやらは何やら楽しそうだし。

それに自分が顔をだせばみなどれ程喜ぶだろうか。

マサコはすっかりその気になって、回りが止めるのも聞かず

ハイテンションのまま、夏祭りに登場した。

病院側は突然の訪問告知に驚き、しかし、大急ぎで迎える支度を整えた。

入院中の子供達がヨーヨー釣りをしたり、割りばしピストルを作ったり

ちょっとおいしいものを食べたりする程度の祭りではあったのだが、

そういう経験のないマサコにとっては何もかもが新鮮で楽しかった。

特に割りばしのピストルはとても魅力的に見える。

こんなものを買ってもらった事はないし、ましてや自分で作った事もない。

面白そうだし、きっと皇太子も同じに違いないと思って

「一つ頂戴」とせがんでみた。

子供達の割りばしピストルは一人一個を作って遊んでいるのだが、

誰かのものをマサコに献上するしかなかった。

これで女性週刊誌は「ママが泣いた 夏祭りの宵 子育て 生きる事を語り合って・・・」

と書いてくれる筈。

そうすればそれが原爆記念日だろうが誰も文句言わないだろう。

マサコは非常に上機嫌だった。

 

その上機嫌のまま、8月10日に那須の駅についた一家は、出迎えた人々に笑顔で

手を振った。

その頃にはもう、「婦人部」と呼ばれるお抱えの「声かけ部隊」が控えていて

一家が登場すると「マサコさまーーアイコさまー」と声をかける決まりになっていた。

そんな風に呼ばれれば本人は「自分は国民に受け入れられている」と

錯覚する。

そしてテレビしかみない人々もまた、「マサコさまとアイコ様は人気者だ」と解釈し

将来は女帝になるかもしれないアイコ様」に注目するというわけだ。

ある意味、涙ぐましい「カリスマ性」の演出だったが、今の所、みな騙されている。

 

いつも通り、駅で「マサコさまー」と呼ばれるたびにマサコは嬉しくなって一生懸命に

手を振る。

思えば「手を振って声援に応える」という所でしか「皇太子妃」である事を

アピール出来ない。

この一瞬の為だけに「皇太子妃」をやっているようなものだ。

駅前でわざとらしく、アイコの顔の前にかがみこみ「面倒を見ている」風を

装う。アイコは無表情のままだったが、マサコ的には

「母としての慈愛」演出は成功だった。

金色のバンに最初に乗り込むのは皇太子。

駅前で主役なのは皇太子ではなくマサコだったから、皇太子は

後ろの席に追いやられ、次にアイコが乗り込み奥に入る。

そして一番手前、つまり観客から見える場所にマサコが座るのだ。

窓をあけて、華麗に手を振る。

わーー」という声が沢山聞こえる。テレビ取材のクルーも沢山いる。

皇太子妃マサコ様は静養の為に那須にお入りになった」という報道が

マサコにとって喜びの頂点。

病気療養中のマサコ様もお元気な顔を見せ・・・

そして週刊誌は、追いかけてきて「セレブそのままの生活をするマサコ様。

でも籠の鳥のように自由がない。本当は那須だけじゃなく世界中を

旅して歩きたいのに、皇太子妃であるばっかりにそれが出来ない。

マサコ様は国民の為に犠牲になって皇室に入られたのだ」と書いてくれる。

要するに

皇太子妃になってやったのだし、アイコを産んでやったのだから、静養くらいなんだ。

レストランくらいなんだ。遊園地くらいなんだ」という考え方である。

この時は、マサコのそういう考え方が如実に現れた年だったといえるだろう。

 

通常、皇族の御用邸における過ごし方といえば

先帝においては那須で植物の研究、皇太后は天皇の手伝いをするかたわら

日本画を描く・・散策する・・・くらいだった。

民主主義時代の皇太子一家の夏はいつも軽井沢のホテルで

テニスか登山くらい。

現天皇においては那須でも葉山でも近くの農家を尋ねたり・・・

どこまでが公務でどこまでが静養かわからないようなものになりつつある。

一方、各宮家は別荘を持っていたり、あるいは常宿が決まっていて

アキシノノミヤはいつも長野だった。

基本的に内廷外皇族は御用邸を使用できない決まりなので仕方なかった。

しかし、ホテルに泊まるとはいっても、ほぼ一般人と同じような扱いで

あまり外で遊びまくる・・・・という事はなかった。

せいぜい博物館や美術館程度だろうか。

しかし、東宮家の那須静養は、まずは「外食」から始まる。

 

マサコはいつも「この時」を待っている。

東宮御所でどんなごちそうを食べる事が出来てもそれは彼女の

「幸せ」ではない。

大膳が作る料理は栄養を考えバランスを考え、薄味仕立てで上品な

ものだったが、それが全くマサコにとっては嬉しくもなんともないのだ。

高級な三ツ星あるいは4つ星レストランを貸し切って、夜遅くまでワインを

飲みながら好きなだけ食べる・・・これこそが至福。

皇太子も、そういう楽しみ方をマサコに習い、今やすっかり「濃い味」党だ。

そして、マサコにしてみれば「子育て」をしている風を装いつつ

アイコを無視できる絶好のチャンスだった。

レストランの食事はアイコも大好きである。

最近やっとスプーンの使い方を覚えた。フォークはまだダメなので

しまいには手づかみでもまあいいかという事になる。

とにかく食べさせておけば静かだし、眠くなればテーブルい突っ伏して眠る。

でも個室だから誰にも見つからないというわけだ。

店から見れば、夕方6時過ぎに現れて、だらだらと夜中の11時くらいまで

居座る東宮家は迷惑千万に違いなかったが、金払いがいいので断れない。

 

那須入りした興奮からか、マサコはなかなか寝付けずに夜中まで

テレビを見たり、携帯をいじったりしていた。

やっと眠ったのは明け方で目が覚めたのは午後になってからだった。

皇太子は一応、朝はちゃんと起きて、アイコと一緒に朝食を食べ

それから一緒に遊んでやっているようだった。

12日の夕方5時。

思い立って一家はステンドグラス美術館に顔を見せた。

周囲は驚いて道を開ける。それがまたたまらない快感だった。

アイコが珍しく棚のものに興味を示したので籠を持たせてみたら

ぽいぽいおもちゃなどを入れ始める。

タオルにカップにマペット・・・・必要あるかどうかなど考えていない。

欲しいと思ったから籠に入れているだけだ。

買い物する時はお金を出すのよ」マサコはいい、側近から5千円札を

貰い、アイコに渡した。

ほら、これで払いなさい

アイコは何をしているかよくわからないみたいだったが、とにかくこれで

買い物完了。

マサコは、欲望にまかせて自由に籠にものを入れられるアイコに

心から笑った。

私の娘に生まれたからこそ、何でも買える身分なのよ」と。

そういう身分を娘に与えてやっている自分が愛しいのだった。

アイちゃん、買い物出来たね。偉いね」と皇太子も目を細めて笑った。

ついこの間まで赤ちゃんだった我が子が一人で買い物が出来るようになったのかと

感慨深い思いだった・・・・しかし、その「お金」が全部税金である事を

皇太子はまるで考えていなかった。

 

娘をダシにして遊園地で遊べるのも静養のメリットだった。

マサコは小さい頃から遊園地で遊んだ事がなかった。

そもそも家族で一緒に楽しむという経験すらなかったのだが、

殊更「子供時代」の経験に乏しく、ゆえに、遊園地を見ると

妙にトラウマがぶり返す。

自分は親と遊んだこともない可哀想な人間である」という事を。

そこで、遊園地や牧場に出かけた時は、あいこが望もうが望むまいが

メリーゴーランドに乗ったり、動物にエサをやったりと夢中になる。

たかがメリーゴーランド。されどメリーゴーランドである。

木馬に乗ってぐるぐる回るだけなのに、どうしてこんなに楽しいのか

マサコにもよくわからない。

アイコはといえば、全く興味がないようで、そんな娘の顔を見ると

ちょっと不愉快になる。

 

その年は8月15日に花火大会が行われると言うので、昼間は

テニスに明け暮れ、夜からはりんどう湖畔のホテルでフルコースの

ディナーを楽しみながら特等席で花火を見た。

花火のバーンという音をアイコは怖がって怯え、泣きそうになっていたが

そんな事はおかまいなしだった。

むしろ「私の娘に生まれたお陰で、こんな特等席で花火を見る事が

出来るのよ」とこんこんと言い聞かせたいくらいだった。

東宮大夫は

終戦記念日にテニスや花火はよろしくありません」と言ったので

マサコは皇太子にわざと伺いをたてた。

じゃあ、花火大会を延期させる?」と。

皇太子は少し考え、それからおもむろに言った。

両陛下だって終戦記念日にテニスをしていたし。

あれからもう50年以上たっているんだから、そこまでしなくても

いいんじゃない」

皇太子のものいいに東宮大夫は顔色を変えた。

両陛下は忘れてはならない4つの日というのを定めでおいでです。

終戦記念日、二つの原爆の日、それから沖縄戦が終わった日です。

戦争を経験されている両陛下にとってこの4つの日は粛々と過去を振り返る

日なのです」

それとこれとは別だと思う」

皇太子は思わず言ったのだが、この「それとこれとは違う』フレーズは

随分と便利に使えそうだ。

船を貸し切って遊び、有名なパン屋に買い物に出かける。

17日には皇太子が公務の為に一人で帰京したが、マサコとアコは残った。

絵に描いたようなセレブ感に浸りながらマサコは夫のいない休日を

満喫していたのだった。

 

しかし。

一家が那須に行ってから3日後、アキシノノミヤ邸では

天皇・皇后・ノリノミヤを招いて小さな夕食会が開かれていた。

8月の下旬にノリノミヤは両親と軽井沢へ行く。

その他にも公務があるし、宮もキコも忙しい身であった。

それdめお嫁ぐ妹の為に一度は、「宮邸で晩餐」と思っていたが

偶然にも予定が合ったのだ。

皇太子夫妻とアイコは那須へ行っているし、呼んでもどうせ来ないだろう・・・

せっかくの夕食会に場違いな人間を呼びたくはなかったし、

この所、延々と皇太子夫妻には嫌な思いをさせられているので

こんな時くらい・・・と思った。

 

宮邸の木々に宿るミンミン蝉がうるさい程に鳴いている。

真っ赤な夕焼けがあたりを包み、宮家のリビングに日差しを向ける。

キコは侍女たちと一緒に食事作りに奔走し、ノリノミヤの好きなものばかり

用意する。

マコもカコもこの日はお手伝いで、おめかしして客間を整える。

夕方にプライベートな車でやってきた天皇・皇后・ノリノミヤに

マコ達は歓声を上げ

いらっしゃい。おじいちゃま。おばあちゃま。ねえね」と迎える。

ごきげんよう。マコちゃん、また背が伸びたかしら?カコちゃんは

お勉強を頑張っていますか?」

皇后の尋ねにマコは「そう。もう大きいわ」といい、カコはもじもじして

宿題がね・・・・」と言う。

その夜の夕食会は、久しぶりの「団らん」だった。

ノリノミヤは自分の好物を揃えてくれたキコに感謝し

「私もお料理を頑張るわね。ヨシキさんの好きなものを沢山作ります。

妻としての在り方は全部おねえさまを見本にするわ」と言った。

「キコみたいに頑固になってはダメだよ」と宮が言うと

あら、頑固でよろしいのよ。これからの女性はね」と言い返される。

ねえね、お嫁に行くの?」

不思議そうな顔してカコが尋ねる。

ええ。そうよ」

もういらっしゃらないの?」

今度はヨシキさんと一緒に来るわ

ねえねと赤い糸ね」とマコが生意気な口をきく。

まあ、マコ」と紀子がたしなめるが天皇は穏やかに

マコもいつかそんな赤い糸がね・・・」と寂しそうに言った。

私、お嫁になんかいかないわ。ずっとお父様達と一緒にいるもの」

私も

伸びやかな姉妹の言葉に天皇も宮も複雑な笑みを浮かべた。

 

ノリノミヤは溢れそうになる涙を隠そうと顔をそらした。

幾度、この宮邸で昼を夜を過ごしただろうか。

兄たちが公務で地方へ行っている時は、時々来ては

一緒に夕食をとったり、時には店に連れ出す事もあった。

鳥の研究の時はいつもここに泊まった。

キコはお弁当を作ってくれた。実の姉以上の存在だった。

そして、小さい頃から・・・本当に小さい頃からいつも自分を気にかけて

可愛がってくれた兄。

その兄のおかげでヨシキと新しい人生を始めるのだ。

忘れまい。この宮邸で経験した全てを。

皇族でなくなっても、私は妹として、そして内親王達の叔母として

見守り続けていくだろう。

そしてヨシキにとってよりよい妻となろう。

それが自分に出来る精一杯の恩返しなのだから。

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」179(駆け引きのフィクション)

2015-03-04 08:15:00 | 小説「天皇の母」161-

本当にお美しいですわ

支度の間に飾られた純白のローブ・モンタントを見て女官やデザイナーは

ため息をついた。

生地は皇居で育てられている小石丸が吐きだした、日本最高の絹である。

純白であるが、その艶は光を浴びて時々銀色に輝いた。

本当にこれでいいの?」

皇后は別のため息をついて目を伏せる。

たった一人の娘が嫁ぐ。その時はどんな支度をしてやろうかと色々自分なりに

考えて来た。

かつて自分は母の手によって、ディオールのドレスに身を包み

十二単を着て、華やかなティアラをつけたものだった。

馬車に乗って成婚のパレードをする時は、「現代のシンデレラだ」と言われた。

婚約が決まってから成婚の儀に至るまでの日々は

夢のようだった。

「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンのように、裾広がりのドレスを選び、

あるいはレースのベールをかぶり、あるいは外国製のローブ・デコルテを作る。

記者会見の日、手袋の長さが足りないと旧皇族や華族にののしられた事を忘れはしない。

だからこそ、母は誰よりも立派な支度をするのだと誓い、出来うる限りの事をしてくれた。

入内するにあたっての白生地や足袋、調度品なども全て誂えだ。

ショウダ家家の名誉にかけて」と。

同じ事を娘にしてやりたいと願っていた。

ノリノミヤは生まれながらの内親王だ。

しかし、生まれた時からいつか「降嫁」するという事が決まっていた娘でもある。

そう思って教育して来た結果なのか、ノリノミヤは小さい頃から「物欲」がなかった。

おしゃれも、メイクもアクセサリーも。

そして「結婚」においても。

あと数か月で結婚式だ。

ヨシキと住む予定のマンションは決して広いわけではない。

だから荷物は最小限にすると言い張り、全てを置いて行こうとする。

新しい箪笥を作りましょう」

おたあさま、マンションにはクローゼットがあるからいらないのよ

そんな事言ったって着物にドレスに帽子もしまうところがないと

ヨシキさんのお母様が使っていらっしゃるのを一つ頂く事になっているの。

それにドレスも帽子も必要ないでしょう?」

じゃあ、テーブル・・・」

二人で住むんですもの。今あるので十分よ」

何もかもいらないと言い張る娘の気持ちが全く理解できなかった。

そして今回のドレスである。

どこからみても「基本型ドレス」にしか見えない。袖が大きく膨らんでいるわけでもないし

襟にレースがついているわけでもない。

ただただシンプルなだけ。

いいの。私、このドレスを着るのが夢だったの」という。

そして披露宴を食事会ではなく茶会にすると言い出し、あげくの果ては

おたあさまの振袖を着せて下さらない?」という始末。

おたあさまの着物はどれも素晴らしいものばかり。私、憧れていたのよ

確かに、自分が持っている着物はどれも最高のものばかりだ。

生地も柄もそのコーディネートも考えに考えて誂えて来た。

皇太子妃とアキシノノミヤ妃が納采の儀で身に着けていたあの帯も

自分が授けたものだ。

あえて二人の妃に帯を新調させなかったのは姑としての気遣いだ。

「皇后からの賜りもの」というステイタスを与える為だ。

かつて皇后様が納采の儀でお召になった帯を妃殿下方が受け継がれ・・・」と

週刊誌の見出しを飾った時は、本当に嬉しかったものだ。

しかし、これが娘の事となると話は別である。

着物は時代を超えて受け継がれていくものではあるが、それはそれとして

娘には振袖を新調してやりたかった。

朝見の儀に着る十二単は「即位式で誂えたからいらない」と言うし。

何もかも「お古」でいいなんて。

そうね。好きなものをお選びなさい

一緒に新婚の家具を選ぶ楽しみも、衣装を批評する喜びもアクセサリーを

誂える楽しみも与えてくれない娘なのだった。

 

一方、東宮御所では、東宮大夫からの要請にマサコがヒステリックな声を

あげていた。

絶対に行かない。万博なんて大嫌い

中部地方で行われている万国博覧会は、皇太子が名誉総裁である。

始まった頃から皇族方が訪れて花を添えている。

4月にはオランダの王太子夫妻が来日し、アキシノノミヤ達が接待していた。

博覧会もオリンピックも世界に「国力」を示すよい機会であるし、

それに伴って政治家や王族が訪れる事も多く、皇族の仕事が増えるのである。

皇族が万博を訪れる事によって、より国民の興味をそそる。

最大の宣伝力なのだ。

なのに、マサコは絶対に行かないと言う。

皇太子殿下はもう何度も行ってらっしゃいますが、妃殿下が一度も現地を

視察なさらないのは

私は病気なの

マサコはつんとして言った。横にいる皇太子もうんうんと頷く。

しかし、静養には行かれるわけですし。このまま那須などに行けば

必ず批判が起きます」

東宮大夫にはわかっていた。

マサコはいわゆる「適応障害」と言われて半年以上、ほとんど公の場に

姿を現すことがなくなっていた。

毎日、夜中まで起きているかと思うと昼過ぎまでねる始末。

それに対し、オーノは一切何も言わず

今は好きな事を好きな時にやる事が治療」などといい、全てにお墨付きを

与えている。

生真面目なご性格だから出来ない事をあれこれ悩まれるのです。

いっそ、生真面目をおやめになられれば楽になりますよ

そんな甘い言葉を真に受けて、マサコは苦手な早起きをやめ

気がむいた時だけアイコに接する・・・出かけたい時にでかける

食べたい時に食べるというような生活を始めていた。

そんな風にだらだらした生活をしていると、「公」が怖くなる。

1時間なり2時間なり緊張感を持って背筋を伸ばして座っている

という事そのものが面倒で嫌な仕事になってしまうのだ。

知らない人間に見られる事、相手に気を遣うこと、愛想笑いをすること

全てが面倒でけだるくて・・・そう思ってしまうともうだめだ。

何もかもやる気が失せてしまう。

やる気がないのにやれやれと責められるのはもっとも腹が立つ事だ。

妃殿下」

東宮大夫の訴えるような目にもマサコは何の関心も示さなかった。

 

万博ぐらい行ってやれ

オランダからの電話に嬉々として受話器をとったマサコは

父の思いがけない言葉に絶句した。

そもそも私がこうなったのは誰のせいなの?お父様のでしょ?

私は嫌だって言ったのに無理やり皇太子と結婚しろって。

私、ずっと外務省にいたかったもの。外交官になって世界を飛び回るのが

夢だったのよ。それなのにお父様のせいで・・・・」

またそれか。いい加減にせんか

いくらだって言ってやる。一生言ってやるから。お父様のせいで

私の人生はめちゃめちゃよ」

受話器を持つ手が震え、マサコは大粒の涙を流した。

しゃくりあげる声が遠く離れたオランダの邸内に響き渡る程だった。

だからお前の好きなようにさせているじゃないか。医者をつけて

病気認定してやったし、今や誰もお前に逆らえまい。有識者会議が

始まってアイコに皇位継承権が出来れば本当の意味で怖いものなしだ

まるでニンジンをぶら下げられた馬のように、マサコは大きく

目を見開いた。

本当にアイコに皇位継承権が?」

ああ。コイズミ内閣ではもう既定路線だ。すぐに決まるさ。

ウヨクが何と言ってもな。日本国憲法では男女平等が高らかに

歌い上げられている。天皇の次は皇太子。そしてその次は

皇太子の直系の子供が継ぐのが当然なのだ。たとえそれが

女でも。そしてアイコが女帝になったら、しかるべき皇配をつけて

アイコの子供が次の天皇になるのだ。オワダの血が皇統を

牛耳る」

そんなに簡単に行くかしら。あのアイコが結婚するなんて考えられないけど

女帝の夫になれるなら話は別だろう。今の総理大臣は

女帝と女系の違いもわからない奴だ。

素直に世界的に長子相続が普通といえば納得する。非常に合理的だ」

そんな先の話はいいわよ。私は今の事を言ってるの。外務省にいれば

自由に外国にいけたのに、今はどうよ。強制されてあっちへ行けだの

こっちへ行けだのって

「だから

電話の向こうでイラつている。

そのうち、外国にも行かせてやるから万博ぐらい行ってやれ

本当に?」

夫の言う事は無視で来ても父の言葉は無視できないマサコだった。

 

そして盛夏。夏真っ盛りの猛暑日。

日帰りで行く事で何とか納得したマサコだったが、終始不機嫌さは

隠せなかった。

それでも、一応、宮内庁からは

マサコ様はこの訪問を強く希望された。体調が万全でない中

皇太子殿下が名誉総裁を務めているので、必ず訪れたいと希望。

さらに9月にはアイコ様を伴って行きたいとおっしゃった」と発表された。

そんな風に言われたら、回りはみな期待する。

しかし。当日のマサコは、とても「公式訪問」とは思えない程の

よれよれのスーツに身をつつみ、髪もよくとかしていないのでは

ないかと思われる格好で登場。

万博関係者らを戸惑わせた。

 

華やかな皇太子妃の登場に、さぞや場が明るくなるのでは

ないかと期待していたのに、新幹線を降りて登場した皇太子夫妻は

全てを拒否しているような冷たい雰囲気を漂わせていた。

マサコの表情は硬く、それが「病気」のせいだと言われたらそれまでだが

熱がある様子もないし、天気もいいし、一体何がそんなに気にいらないのか

みなはかりかねる。

それだけではない。

マスコミの取材設定の場所を厳しく決められ、立ち位置、皇太子夫妻からの

距離まで測られ、さらに質問するな、カメラのシャッター音を鳴らすな

フラッシュはやめろと、うるさい事ばかり。

案内する万博関係者も「よけいなことを話しかけるな」と厳しく通達されていた。

それでも、少しでも和ませようと、モロゾーとキッコロが出迎え、一生懸命に

愛想を振りまいたが、マサコは一瞥しただけで通り過ぎた。

モリゾーとキッコロは炎天下の中、30分も立ち続けて待っていたのに

見事に無視されてしまった。

これにはさすがのマスコミも驚き「病気が重いのか」と・・・・あとから考えれば

ちんぷんかんぷな事を考えたりした。

マサコはそこにモリゾーとキッコロというキャラクターがいた事すら覚えていなかった。

暑いし面倒だし、今は帰る事だけを考え、早く終わりたい一身だったのだ。

 

皇太子夫妻が訪れるパビリオンは限定され、しかも事前にそこへ行く事を

告知していず、突然、規制線がはられ入場者を足止めしてしまったので

一般人からのクレームが相次ぐ。

「何で最初に言わないんだよ。予定が決まっているなら言ってくれよ。

そしたら来ないのに」

「予約してたのに入れないって?一体誰の為の万博なのか」

国民の怒りは至極もっともだったが、関係者も宮内庁も無視した。

とにかく、マサコに機嫌よく帰って貰わなくてはならなかったから。

 

最初のイギリス館で皇太子は案内役とにこやかに握手をしたがマサコはしなかった。

ただ後々「英語で会話をした」事だけが取り上げられる。

大地の塔では

芸能人が待ち受けていて

あの万華鏡を見ながら手をつなぐと幸せになれるんですよ」と言うと

コウタイシがにこやかに手を繋ごうとしたが、マサコは硬い表情のまま

ほんの少し手に触れただけだった。

(手をつなぐなんて気持ち悪い)とマサコは心の底から思った。

冷凍マンモスを見て皇太子は

これは何の役に立つのですか」と聞き

マサコは「足の裏は普通のゾウと同じですか」

「マンモスの毛の長さはどれくらいですか」と聞いた。

そのちぐはぐさに、何と答えてよいやらわからない程。

 

どこにいてもカメラが待ち受けている事にマサコは苛立った。

カメラの前に立たなくなって随分になる。

見られる事が嫌いではないのだ。

ただ、自分の許可なくそこにいるという事が気にいらない。

馬鹿にされているというか、軽く見られているような気がして

本当に頭に来る。

マサコはわざと笑顔を作らなかった。

それがマスコミと無理やりここにこさせた宮内庁への「仕返し」だと思った。

そう思えば少しは気が楽になる。

 

結果的に皇太子夫妻の万博訪問は大失敗だったのであるが

宮内庁は何とかそれを「成功体験」にしようとやっきになった。

そこで東宮大夫は記者会見で

予定通りのスケジュールをこなせてよかったと思う」と言った。

妃殿下は暑さの為、体調が少し悪かったのですが、それでも

頑張っておられた。パンツスーツだったのはこれが公務ではなく

あくまでも「足慣らし」私的な訪問と受け取って頂きたい」

さらにマサコからの言葉として

途中ではその後の行事が難しいと思うことが何度もありました」

「それでも期待に応えたかった」

「会場で「お大事に」と言われて励みになりました」

ち紹介。

全て嘘ばかりだったけれど、それにあらがう力のあるものは

もう誰もいなかった。

 

まるで目に見えないものがあるかのような「病気」報道に

国民はどう受け止めたらいいのかわからなかった。

いわゆる「心の病気は自分が悪いのではない。頑張ってと言ってはいけない。

おいつめてはいけない」などのキャンペーンがなされるような時代であったので

マサコの「適応障害」という病気も、同じように接すればいつか

それが半年後か数か月後になるかわからないけど、普通に戻るのだと

まだこの時点では信じていたのである。

 

その後、マサコが万博を訪れる事は二度となかった。

一緒に連れて行く予定だったアイコもまた行かなかった。

アキシノノミヤ家は家族であるいは夫婦で何度も足を運び

熱心に見学したし、天皇と皇后も何度も行った。

特に皇后は頸椎を痛めている為、ネックカラーをしてまでも

訪れ、関係者をねぎらった。

しかし、名誉総裁の妻は日帰りで一度だけだったのだ。

さらに、皇太子が単独で万博を訪問する陰で自分は

ハーバード大学関係の講演会に出席すると言う

意味不明の事までやってのけた。

マサコの行動はすべて「治療の一環」で片づけられ

もはや怖いものなど何一つない状態だった。

 

 

 

 

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」178(時限爆弾のフィクション)

2015-02-17 07:00:00 | 小説「天皇の母」161-

7月になり、学習院大学のOBによる定期演奏会の日。

本当に久しぶりに鑑賞したノリノミヤの為に演奏されたのは

メンデルスゾーンの「結婚行進曲」

秋に挙式を控えた宮へのプレゼントだった。

この演奏会には皇太子も出席し、ヴィオラの腕を振るったのだが

その後は二人ともよそよそしく挨拶をし、並んで演奏を聴いていても

ほとんど会話をしなかった。

皇太子はどこか上の空で、他の事を考えているように見える。

それがわかるからノリノミヤもあえて会話をしようとしなかった。

皇太子を上の空にしている原因は、あと10日ほどで始まる

万国博覧会だった。

皇太子が名誉総裁である以上、必ず現地へ行かなければならないのだが

皇太子妃の気分が定まらず、予定を組む事が出来ないでいるのだった。

いわゆる「適応障害」の為、予定を立てられると負担だ、時間に追われると

負担だ、決まりごとが多いとプレッシャーになり落ち込む等々

週刊誌等を通じて、「心の病」という錦の御旗を見せつける皇太子妃の

振舞は日々ひどくなる一方だった。

皇后は朝一番で全社の新聞を開き、皇室の記事に関して確かめる。

当然、週刊誌などの見出しも見るわけだが、その見出しに一喜一憂しては

ため息をついている。

 

かつての自分と同じ病である・・・と報道されれば

そうだ。あの頃は本当に苦しかったし悲しかった」と反芻する。

爵位を持たない家の出身であるがゆえに、皇室に入った時から

自分だけ浮いているような感覚を持ったあの日。

一々「これがしきたり」と言われて、でもどこに理があるのか

さっぱりわからず右往左往したあの頃。

皇室は皇后にとって未知の世界そのものだった。

いつまでも慣れるものではない。だからこそ、殊更「皇太子妃」として

必死に振る舞って来たのだ。

だが、どうやら皇太子妃は「必死に振る舞う」事すら出来ないらしい。

もしそうさせたのが自分だったら・・・・と思うと皇后は怖い。

とはいえ、今まで頑張って「戦後皇室の象徴」として完璧な「皇太子妃像」を

作り上げて来た自分の足元が崩されていくような感覚も怖い。

どちらにせよ、うまくいかない事に皇后は激しく傷つき、さらに皇太子妃を

傷つけてはいけないと思うのだった。

そんな母を見ているとノリノミヤは結婚などせずにこのままここにいたいと

いう衝動にかられるのだが、

お前は自分の幸せだけを考えなさい」とアキシノノミヤが言うので

かろうじて何事もないようなふりをしている。

 

最近の皇后は「どうしてもクロちゃんじゃなきゃダメだったのかしらね」と

いうようになった。

あなただったらもっと・・・」といいかけてやめる。

それを口にするのは皇后のプライドが許さないらしい。

家柄のいい所に嫁いだからって幸せだとは限らない」

それは天皇の姉達を見ていればわかるではないか。

しかしとも思う。天皇家の皇女ともあろう者が旧皇族からも旧華族からも

相手にされなかったとあっては、それはそれでさらに傷つく。

だからヨシキとの結婚は娘が望んだ事なのだと皇后は思いたいらしい。

無論、そうなのだが、ノリノミヤとしては母がどうしてそこまであれこれ

細かく考えるのか今一つよくわからないのだった。

小さい頃から「将来降嫁する」という事を前提に育てられてきた。

今、持っている全ては借り物なのだ。

だから全ておいて行こう・・・と宮は考えている。

本当の自分は何も持たないただの人間なのだ。

これからクロダヨシキという人と一緒に一から作り上げる。

サヤコという人間を。

内親王という身分は借り物。だけど祭祀や公務に関して

手を抜いた事は一度もない。

ちっぽけな自分ではあるけれど、皇族として生活をさせて頂いているのだから

と考えてきた。

それなのに、どうしてそういう考えをマサコに伝えられないのだろう。

 

理想の母だったのに、何もかも完璧な母だったのに、

それもこれも表面的な事だったのかなと思い始める。

しかも、皇后は、政府が立ち上げた皇室に関する有識者会議に

非常に期待しているようなのだ。

 

ノリノミヤの婚約直後に立ち上がった有識者会議は

将来、皇統が絶えかねない現状を打破する為にどうしたら

いいかと考える会議だった。

東宮家の一人娘であるアイコには皇位継承権がない。

男子は皇太子と弟のアキシノノミヤである。

男系の男子を貫けばアキシノノミヤの代で皇統は絶える。

アキシノノミヤが天皇になった時、改めて「女帝」を考えても

アイコに皇位は行かない。

ゆえに、今、有識者会議が立ち上がったのだ。

天皇も皇后もこの件に関しては何も話さなかった。

天皇というものは政府の要請なしに動かない」事を理由に

放置しているようにも見えた。

国連のオガタサダコは皇后の友人だった。

彼女が有識者会議メンバーに入った事で、情報はおのずと入って来る。

言葉に出さなくても天皇も皇后も皇室典範の改正には賛成しているようにも

見える。

少し変わるかしらね」と時々皇后が言う。

一体、何を期待しているのだろう。

わかってはいるの。本当にわかってはいるのよ。だけどサーヤは

誰よりも長く私の傍にいてくれて。生まれた時からどんなに大事に大事に

育てて来たか。日本一の貴婦人として立派に育ったあなたが・・・・・

35年もの長い間、内親王だったあなたが」

そこから先が続かない。

 

いくら娘といえど身位の差は無視できない。

これからは御用邸に泊まる事も、御所で深夜まで語らう事も

許されないのだ。

この所、本当に憂鬱な顔をするようになった皇后。

そして、今頃、東宮御所で妻はどんな風に過ごしているのだろうと

やきもきしている皇太子。

「内親王と東宮」としての最後の演奏会なんだから、一緒に来るべきでは

なかったのか・・・などと言っても無駄だ。

ミヤは早く帰りたい衝動にかられて、必死にそれを隠していたのだった。 

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韓国史劇風小説「天皇の母」177(崩れ落ちるフィクション)

2015-01-20 07:00:00 | 小説「天皇の母」161-

母さん、そっちの冬はどうですか?

僕は元気です。

正月休み、ゆっくり帰れなくてごめんなさい。

母さんの雑煮、おいしかったなあ。

東京とはいっても1月2月はひどく寒かったです。

ずっと車寄せに立っていたりすると、母さんの雑煮が懐かしくて。

敬礼している時にすら、そんな事をふいに思い出して。

上司に叱られるんじゃないかとひやひやしました。

 

僕は誇りを持って皇宮警察にいるつもりです。

そりゃあ、キャリア組じゃないから、出世なんて考えちゃいないけど

でも、この制服を着てびしっと立っている時の自分は

こういっちゃなんだけど「かっこいいよな」と思います。

とはいえ、仕事はきついです。

どんな仕事でもそうだと、母さんは言っていましたね。

それはわかるけど、最近は特に「きついな」と思う事が多くて。

僕達の仕事は、自分で考えてはいけない仕事のようです。

常にだれかの支持を仰ぎ、命令系統が正しいかどうか確認し

そして1分1秒の遅れもないように任務を遂行するのです。

少なくとも千代田や赤坂御用地の他の宮家ではそうだといいます。

でも僕がいる場所は。

「待つ」事が仕事です。

ひたすら「待つ」事しか出来ない仕事です。

1月の皇室はとっても忙しいんです。

新年祝賀の儀を始め、いくつもの祭祀、講書始めの儀、歌会始めの儀など

行事が目白押しです。

しかし、ここはまるで火が消えたようになっていました。

時折、殿下が公務に出られる時だけ門は開きます。

それだけです。

・・・と、思っていたら、突如ある日の夕方、妃殿下がお出かけになるというので

慌てました。

何でも六本木で元の上司たちと夕食をとるとかで。

車の手配、各方面への通達。信号操作・・・・僕達は急に慌てて動きだし。

そんなこんなでお出かけになられた妃殿下の帰りは夜中でした。

いつお帰りになるのか。

このまま夜勤に引き継いでいいものか。

もしかしたら朝まで?なんて事を考えながら、ひたすら怒鳴られないように待っているんです。

誰に怒鳴られるですって?

そりゃあ、上司です。

最近のうちの上司はイライラする事が多いらしくて、僕は格好のターゲットになっているようです。

妃殿下がいきなり宮様を連れてドライブに行きたいとおっしゃった時も大騒ぎでした。

母さんは妃殿下を「可哀想な籠の鳥」だと思いますか?

みんなそう思っているんでしょうね。

たまのドライブぐらい・・・って。

でも、国にとって重要な方がいつもいつも「思いつき」で行動されると

正直、僕達は困ります。

しかも、たかがドライブとはいっても、制限時間がないのですからね。

 

予定されていたこともいきなり変更になるので、またもや僕達は

顔色を変えて右往左往します。

最近、一番大変だったのは地方公務のドタキャンでした。

長野スペシャルオリンピックは両殿下にとって非常に大切なものだったと

聞いています。

福祉に造詣の深い皇族にとって、これらの式典への出席は義務。

僕は末端なのでよくわかりませんけど、上司などは

これがマサコ様の公務復帰の足掛かりになれば」と勢いづいたりしました。

僕達も、間違いがあってはいけないと念には念をいれて警備にあたりました。

けれど・・・待てど暮らせど両殿下は現れないのです。

時間は迫っているし、どうするんだろうと、だんだん血の気が引いて来たころ

いきなり「妃殿下は行かない」と知らされました。

僕は、もう驚いてしまって。

だって出発一時間前ですよ。ここまで来たら普通「取りやめ」はないでしょう?

しかも、急病とかいうならともかく、なんと妃殿下が

宮様をお連れになりたいと言ったのを宮内庁が許さなかったから・・・というものでした。

何でそこまで宮様をお連れになりたいのか僕にはわかりません。

だって長野は冬ですよ。寒いんですよ。

ついこの間まで一家はスキーに行ってたんです。

ああ・・・と僕はそこで思いついてしまいました。

妃殿下は宮様をお連れになる事で、長野スペシャルオリンピック臨席のあと

ご一家で二度目のスキーを楽しみたかったのかなと。

そうでも思わないと僕のような末端のものには理解できません。

でも上司は青ざめて「長野にどう言い訳をするんだ」と怒っていました。

 

母さんは新聞や雑誌をよく読むでしょう?

だからこの時の中止についてのマスコミの書いた文章は

こんな感じではありませんでしたか。

「「適応障害」と診断され療養中のマサコさまは

最近は回復傾向にあり、今回の訪問を強く希望。

実現すれば1年3か月ぶりの地方公務となり、SOの競技を観戦される

予定だった。

しかし、宮内庁によると医師団は

「地方に異動したうえで公務にあたるのは負担が大きすぎる」と

当初から懸念しており、同日午前、訪問は時期尚早と最終的に判断。

ご夫妻も同意された。

発熱やほかの病気など、体調の急変が原因ではないという」

マサコ様については医師団が「移動を伴う地方公務は負担が大きい」として

慎重な姿勢を示し、出発日まで体調を見極めていた。

東宮大夫によると、マサコ様は

これまで大切にしてきた障害者の行事でもあり、なるべく早く公務に復帰したい」として

出席の気持ちが強かったが、ここ数日間「お疲れの状態」が続いており、医師団は

欠席が妥当と判断した。

 

医師団というのがどこにいるのか僕はわかりません。

でも僕が知る限り、妃殿下はつい1週間前まで楽しくスキーをしていたのであり

その後も「お疲れ」に成程、外には出られなかったと断言します。

 

結果的に誰が叱られたかといえば、気の毒な東宮大夫です。

回りに迷惑をかけた」と宮内庁長官からお叱りを受けたのです。

そしてそのお叱りは当然のごとく、末端の僕達にも降りてきて

もっと早く出欠を把握できなかったのか」と、ありとあらゆるところから

文句を言われてしまいました。

モチベーションが下がって行くのを肌で感じる今日このごろです。

目出度い筈の殿下のお誕生日もはらはらのしどうしでした。

皇居に参内するのは3人なのか1人なのか、

お祝いにかけつけた人達が帰る頃には顔がくらくなっているのが気になったり

両陛下のお祝いが急きょなくなったり。

何もかも妃殿下の「お気のすむまま」になってしまいます。

 

3月に入ってまた奇妙な事が起きました。

僕達は江戸川のスケートリンクについていくように言われました。

宮様への教育にスケートがいいと思われたかなんだかで

江戸川区のスケートリンクを貸し切るんです。

ええ、まだシーズン中で一般のお客も多い時期ではありますが

皇族だから仕方ないと誰もが僕達の姿をみると、そそくさと消えていきます。

でも、三月の始めだったと思いますが、いきなり殿下が御一人で

スケートにいらした時は驚きました。

妃殿下と宮様は体調不良という事だったんですが、まさか殿下一人でとは。

その1週間後には、今度は神宮のスケート場にご夫妻で。

宮様はお留守番です。

一体、スケートをしたいのは誰なのか?と思ってしまいます。

僕はひねくれ者でしょうか。

 

確か海外青年協力隊の面々が東宮御所に上がり、帰りに

興奮した様子で出て来たのを覚えています。

ちらっと会話を聞いたのですが

マサコ様とアイコ様が庭で遊んでいたなあ。俺たちをみたら

そそくさといなくなって」

やっぱり気まずかったんじゃないの?」

適応障害って、意外と元気なんだな」

心の病の人に冷たいよ

結局あれ、サボリだろ。サボリ。いいよなあ。皇族は」

などという言葉の中には馬鹿にした響きがあって

僕は悲しくなりました。

 

あの長野のドタキャンの時、妃殿下が

大切にしてきた公務だから出席したい」と希望されたというのは嘘です。

微塵もそんな事、思っちゃいない。

だってあの時、妃殿下は宮様を同行出来ないと言った事に

腹を立てられたのですから。

そして、「体調に考慮して」接見しなかったのに、庭で遊んでいた所を

見られた妃殿下。

みな、「ご体調はどうなんでしょう」などと言いながら、内心では

「あれ、サボリだろ」と思っているんですよね。

僕が尊敬し、愛する皇室がどこかへ消えて行きそうです。

・・・・・

はやりこの手紙は出せません。

僕にも最低限の良心はあるので。

 

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」176(壊れかけのフィクション)

2015-01-14 08:16:00 | 小説「天皇の母」161-

東宮大夫と東宮侍従、そして東宮女官長が長官に呼び出されたのは

年が明けて、正月の祭祀や歌会始めなど、一連の行事が終わった後だった。

随分老け込んだな・・・東宮大夫は思った。

それも仕方ないかとも。

侍従長も女官長も言葉もなく立ちつくしている。

暖房が効いている部屋の中なのに、なぜか足が震えるような気がする。

こんな感覚は初めてだった。

まあ、座りたまえ

長官はソファを指さし、3人を座らせた。

すぐに熱い紅茶が運ばれてきた。

インスタントではない、本物の紅茶の茶葉だ。

昔はインスタントでもなんでものめればよかったがね

長官は少し微笑んだ。

この歳になると本物の方がいいと思う。これはフォートナム・メイソンだよ。

色といい、香といい、何となく落ち着かないかね」

紅茶はよくわかりません

大夫は答えた。女官長は香を楽しみ、侍従長はすぐにカップを唇に持って行く。

侍従長はせっかちだね。熱くないのかい

「いや、なかなか・・・

侍従長は言い訳のように言った。もくもくと紅茶を飲むしか何も術がないように。

これもまた歳なんだがね。最近じゃミルクを入れるのが好きで」

長官は目の前に置いてあるミルクをたぷたぷと注いだ。バラ色の紅茶が

金茶色に変わる。長官はそれを心から楽しんでいるようだった。

 

長官、本当にお辞めになるのですか

思い切って大夫が口を開いた。

侍従長も女官長も「そこが一番聞きたいのだ」というような顔をして

カップを置く。

やはりね・・・もう潮時だね」

長官は3人の食い入るような視線をやりすごしながら力なく言った。

出来れば陛下にもう少しお仕えしたかったが。どうにもこっちがね

胸を指さす。心臓・・・・というよりは「ハート」のようだった。

自分の官僚生活がこんな形で終わるとは思わなかったが。仕方ないね。

時代の流れだからね」

そんな。長官にはまだまだお仕事がおありになります。今、職務を離れられても

女官長が訴えるように言った。

私たちはどうしたらいいか・・・・」

東宮には誰も勝てんよ」

長官は自嘲するような顔で言う。

前にも話したと思うが。先帝の時代が終わってからこっち、常識と非常識の違いが

わからなくなってしまった。

それはね。皇室というもの、官僚と言うものはとかく先例主義だ。

先例がない事はやりたがらない。

それが欠点だと人は言う。まさにそうだろう。

しかし、先例があるから我々は間違わずにすむというのも事実だ。

時にはそれを破る必要はあるだろう。時には例外も必要だ。

しかし、やっぱりこういう組織は先例が第一であり、それが伝統やしきたりに

なっていくものなのだよ。

しかし。

今上の時代になって、その常識がいとも簡単に破られた。

平和を謳歌していた日本がテロに巻き込まれる、アメリカの本土にテロをしかける。

ありえない事が起こっている。

街が壊滅する程の地震に見舞われ・・・・もう先例もなにもない。

そんな中で皇室というのは、どんな事が起きても動じず、粛々と先例に従って

いくべきだと私は思った。

現在、皇室には「お世継ぎ問題」というどうしようもないレベルの問題が持ち上がっている。

私は皇室において「世継ぎ」以上の問題はないと思ってきた。

古代から続く125代の一系による即位を繰り返してきた歴史を考えてみたまえ。

2000年だよ?2000年もの長い間、途切れる事無く血の継承を続けてきたのだ。

その「続ける」という事が国家神道の基礎であり、天皇家の基本だと思って来た。

外国なんぞ行かずともいい、皇居からでなくてもいい。何もしなくていい。

天皇というのは、神と会話し、その血筋を繋げていく事が仕事なのだよ。

しかし。

まさか、その世継ぎ問題に関して、「NO」を突きつけられる事になろうとはね。

しかも理由は「プライバシーの侵害」だ。

プライバシーって何かね。皇族にプライバシーはあるのか?

さらに言うなら「キャリアと人格を否定した」と。

皇族にキャリアや人格があるのかね。

もう理解不能だよ。

それを言ったのがね、外から来た妃殿下である事はわかるんだ。

だって妃は皇族出身じゃない。皇族と結婚してその身分を得たにすぎん。

はっきり言ってしまえば、妃というのは借り腹だよ。

世継ぎを産むのが最大の仕事である・・・これは今時なんていうのかな。

セクハラか。そうセクハラでもなんでもいい。

しかし、子供を産めるのは女性だけだから、その能力を否定する事が

いいとは私は思わないね。

まして妃というのは「世継ぎ」を産み、育てるという名誉があるんだよ。

それを「プライバシーの侵害」だとして否定する・・・そんな皇族が

現れる事自体が想像できなかった」

堰を切ったようにあふれる長官の言葉に誰もが頷く。

私も同じ気持ちですわ。妃殿下のおっしゃる事は何も理解できません。

確かにトシノミヤ様は障碍がおありになる。けれど、だからこそ

立派な内親王として御育てしなくてはならないのに、まるで

盾のように」

盾・・か」

東宮大夫が静かに言った。

2月の長野スペシャルオリンピックに皇太子ご夫妻が行く予定になっているのですが

妃殿下が首を縦に振らないのです。宮様を一緒にとおっしゃって譲らず」

そう

長官は少し語気を荒げた。

皇太子妃は適応障害などという病ではない。宮内庁職員ならだれでも知っている。

いや、両陛下だってご存じだ。しかし、その病がまかり通る。

まかり通り、尚且つ助長し、病気を理由にやりたい放題になっている。

わからないのは皇太子殿下まですっかり洗脳されている事だ。

女性には皇位継承権がないのにも関わらず「アイコじゃだめか」とおっしゃるし。

「男女平等のさきがけになりたい」などと信じられない事を口になさる。

さらに・・・・ほら、アキシノノミヤの誕生日会見。

殿下はあれに激怒されたのだよ」

「ああ・・・例の人格否定発言に対する宮の見解ですか

それはアキシノノミヤの誕生日会見で皇太子の「人格否定発言」に対する答えを

言った事だった。

少なくとも記者会見という場所において発言する前に,せめて陛下とその内容について話をして,

その上での話であるべきではなかったかと思っております。そこのところは私としては残念に思います。

もう一つありましたね。東宮御所での生活の成り立ちに伴う苦労ですね,

これは私はどういう意味なのか理解できないところがありまして,

前に皇太子殿下本人に尋ねたことがありました。東宮御所の成り立ちに伴う様々な苦労とは,

皇太子妃になって,つまり皇室に嫁ぐとふだんの生活においていろいろな人がその周りで働いている,

近くで生活している空間においてもいろいろな人が周りにいる,

そういう人たちに対する気配りというか,配慮ということであったり,

なかなか容易に外出することが難しい,そういうことだそうであります。

そういうことを前提として私たちにそのような苦労があったかというと,

主に私というよりも家内に関係するのかなと思います。確かに東宮御所という大きい組織に

比べれば,

私の所はかなり周りにいる人たちの数も少ないので比べるというのは非常に無理があると思いますけれど,

それを踏まえた上でどうでしょうね」

と隣のキコを振り返った。

キコははにかみながら

結婚してからの生活は,新しく出会う務めや初めて経験する慣習などが多くございました。

どのように務めを果たしたらよいか,至らない点をどのように改めたらよいかなど,

不安や戸惑いなどもございましたが,その都度人々に支えられ,試行錯誤をしながら経験を積み,

一つ一つを務めてまいりました」

と答えたのである。

皇太子夫妻にはこれらの言葉が非常に偽善的に聞こえたようだった。

さらに「三人目」の話になり、宮が

長官が3人目の子供を強く希望したいということを発言いたしました。

その会見後しばらくして長官が私の所に来ました。

それについての説明をしに来たわけなんですけれども,その話を聞き,またその時の記録を見ますと,

私が昨年の記者会見で3人目の子供について聞かれ,

一昨年の会見でそれについてはよく相談しながらと答え,

昨年はその前の年の状況と変わらないと答えたということがあって,

それを受けての記者から長官へその気持ち,つまり私の気持ちに変わりはないかという

質問だったと私は解釈しております。

そのことに対して,長官が皇室の繁栄とそれから,これは意外と報道されているところでは抜けているというか,

知られていないように思うのですけれども,

アキシノノミヤ一家の繁栄を考えた上で3人目を強く希望したい,ということを話しております。

宮内庁長官の自分の立場としてということですね。そのような質問があれば

宮内庁長官という立場として,それについて話をするのであれば

そのように言わざるを得ないのではないかと,私はそのように感じております」

殿下は私を庇って下さったのだ

長官の目にうっすらと涙がにじんだ。

あの当時の私は、本当に皇統が絶えると思って必死だったのだよ。

東宮家が「二人目はいらない」などとおっしゃって。じゃあ、どうするんだと。

そしたら「アイコがいる」などと言い出して。

皇族自らがそんな事を言いだすとは誰が考えるかね。

もっとショックだったのは、それを両陛下が否定しなかった事だ」

長官は思い切ったようにミルクティを飲んだ。

それは・・・そうだろう。確かに現在東宮家にはアイコ様しかいないのだ。

しかし、たとえ女帝でもいいとしても、発達障碍のお子を世継ぎにと言えるかね?

現代の天皇は賢くあらねばならぬ。

回りには皇室廃止を目論む連中がうじゃうじゃとしているんだ。

自分の身は自分で守らなくてはならぬ。

皇統を断絶させないように。でも今の東宮家、ひいてはアイコ様に

その能力を求めるのかね?

皇位継承権を持つ方が誰もいないならわかる。

しかし、今はいる。アキシノノミヤ殿下という方が。

そして妃殿下は2人のお子に恵まれた。あの時・・・・・なぜ産児制限など

皇后様はきっとジェンダーフリーでいらっしゃるのではないかしら

女官長が鋭く言った。

女性の権利を重要と考えるのです。子供を産むも産まないも個人の自由と」

だったらアキシノノミヤ家が子供を沢山持つ権利だってあった筈じゃないか」

侍従が横から口をはさんだ。

そりゃあ私だって東宮妃はお可哀想と思いますよ。8年も不妊に悩まれて

プレッシャーもあったでしょうし。しかしながら長子相続に拘らなければ

世継ぎそのものをアキシノノミヤ家に丸投げだって出来た筈です。

東宮妃と比べてあちらは健康で丈夫で、何人でもお子様が望めそうだったのですし。

私には東宮妃が勝手に自分を悲劇の主人公にしている風にしか見えませんね

私は限界だよ・・・・もう何が正しくて何が間違っているかわからん」

長官は声を落とした。

後はよろしく頼む。みなで協力して皇室を盛り立ててくれ

(次の長官は外務省から来るっていうのに)

東宮大夫は暗澹とした気持ちで頭を下げた。

いずれ自分もここを去るだろうと思った。

しかし、その後が問題なのだった。

 

傷心の長官にさらに追い打ちをかけるような出来事があったのは

それから約1か月後だった。

長野へ行く方向で調整し、やっと東宮妃も納得し

準備を進め、さあ、今から出発というその日。

出発1時間前。

突然、皇太子妃は「長野にはいかない」と言い出したのだ。

私の言う事、誰も聞いてくれないじゃない。だったら私だって

聞く必要はないわ」

と言い出したのだ。

まだ2歳の内親王を伴って公務先へ行くなど、日本の皇室では

考えられない事だった。何の為にそこまでしなくてはならないか

わからない。

ゆえに宮内庁としては「却下」を言い続けてきたのに。

その「仕返し」が1時間前のドタキャンだったというわけだ。

 

出発の準備をしていた皇宮警察はあたふたと右往左往し

時間がずれ、各方面への連絡と対応に追われ

迎える長野では真っ青になって「え・・・・何で?」としか言いようがなく

会場の設営をやり直し、また県警の警備体制も変え、時間も変更。

もう何が何だかわからない状態になった。

 

長官はそれこそ倒れそうになりながらも

体調が悪くなった」と発表させた。

だが、本当は誰も信じていなかった。なぜならその数日前まで

マサコはシコと一緒に長野でスキーを楽しんでいたのだから。

しかも御大層に、その映像まで公開していた。

たった数日で何があった?

スキーで遊び過ぎた為?週刊誌などの憶測を呼びこむ事になった。

長官という職務における最後の仕事がマサコドタキャンの言い訳だった。

 

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」175 (フィクションの王道)

2014-12-25 08:33:00 | 小説「天皇の母」161-

キク君が亡くなった。

御年92歳であった。

その日はノリノミヤの婚約発表がある筈の日で、本来なら慶事にわきたつ筈だったのだが。

皇后は複雑な思いでその死を受け止めた。

結婚の時に反対された事。名門、トクガワ家一門にしてアリスガワノミヤ家の血を引く

正真正銘の「御姫様」であった。

その誇りは誰よりも高く、民間出身の皇太子妃を迎えても決して揺らぐ事はなかった。

皇太后・セツ君、そしてキク君と3人が亡くなり、「時代の終焉」。

あの頃、本当に立ち居振る舞いの一つ一つについてため息をつかれたり、お小言を頂戴したり

若い身には辛い事ばかりだった。

皇太后の味方と思えば、どんな忠告も素直に聞く事が出来ず、無視した事もあった。

それでも、こまめに誕生日に花を贈るなどしているうちに、次第に心を開き

子供達をとても可愛がってくれた。

お子に恵まれなかった宮妃に対して、一種の優越感を覚えた事だってある。

誰よりもノリノミヤの結婚を望みながら、花嫁姿を見せてあげられなかった。

婚約発表の日に亡くなるなど、宮妃の最後の「恨み節」だったのか。

 

ノリノミヤの嘆きは大きかった。

大叔母様・・・もう一度お目にかかりたかった」と人目もはばからずに泣く。

「私ね、ヨシキさんと結婚するのよ。幸せになるの。その姿を大叔母様に見て頂きたかった」

そのあまりの嘆きように皇后は言葉も出ない。

娘程悲しむ事が出来ない自分の心から目をそむけてしまいたくなった。

4日後、皇太子夫妻が宮妃の死についてコメントを発表。

結婚以来、大変温かくしていただいたので、ことのほか残念に思っています」

「内親王を妃殿下に紹介する機会がなかったことを心苦しく思っております」

東宮大夫は、ほぼ棒読みでそれを読みながら、胸の内は静かな怒りの炎を燃やしていた。

ノリノミヤに至っては「ひどいわ。紹介する機会がなかったのではなく、

会わせなかったんじゃないの。大叔母様はどんなにかトシノミヤに会いたがっていたのよ。

トシノミヤが生まれた時だって、

めでたさを何にたとへむ八年(やとせ)へて この喜びにいましあふとは

と歌をお詠みになったくらいだもの。それなのに勝手に逆恨みして・・・・」

サーヤ」

皇后は娘をたしなめた。

皇女らしくない言葉はおやめなさい。私達はいつだって他人を非難してはいけないの」

でも

と珍しくノリノミヤは反論した。

「トシノミヤが生まれてから2年だわ。会わせる機会はいつだってあったわ」

皇后はそれに対して答える事が出来なかった。

「一姫二太郎」という言葉の解釈を間違えた皇太子妃。間違えたというより

「プレッシャー」と受け取ってしまったのだ。

あのおりの妃の精神状態からすれば無理からぬことだったのだ。

無理にそう思おうとしている自分がいる。

傷つく・・・・人がどんな気持ちで何を言おうと傷つく時は傷つく。

人はそれを「被害妄想」だというけれど、皇后はそんな風にばさっりと切り捨てる

事は出来なかった。

 

婚約記者会見はまたも延期になった。

今回は皇后も本当にがっかりした。

当の宮は「暫くそんな気になれないわ」と言い、ヨシキは「それならそれで」と言う。

全く・・・・なぜ皇女の婚約がここまで延期になるのだろうか。

結果的に年末になったのだが、その数日前、

「有識者会議」が立ち上がり、本格的に女帝の検討に入った。

総理大臣は女系と男系の違いもよくわからないような人物で、ゆえに

アイコさまでいいじゃない」と軽くいい、今まで検討はしても実現しなかった

「女帝擁立」への動きを本格化させた。

まるで宮の婚約を待っていたかのように。

そしてインド洋で、大きな地震と津波が起こり、多くの人々が亡くなった。

やっぱり延期を・・・・

またも宮がそんな事を言い出したので、今回ばかりは宮内庁がストップをかける。

これ以上は延ばせません。一々延期していたら宮様は永遠に結婚出来ないかもしれません」

「その通り。クロダ家の事もお考えになって下さい。マスコミが発表した以上

クロダ家への取材も増えています。あまり長くお待たせすると精神的な負担が増します」

そこまで言われては宮も納得せざるを得なかった。

というか、ここで初めてヨシキの気持ちを思いやらなかった自分に気づき、宮は深く反省したのだった。

ごめんなさい。本当にごめんなさいね。ヨシキさんのお気持ちも考えず」

真冬のアキシノノミヤ邸の冬枯れした風景の中、暖色で彩られたリビングで

ノリノミヤは深く頭を下げた。

ヨシキは恐縮し「いやいや。宮様の気持ちはわかります。いつまででも待つつもりでした

あら、それでは歳をとってしまってよ」とキコがお茶を出しながら言う。

共白髪もいいかなと。いつまでも新鮮で。宮様方のように

お世辞をおっしゃっても何も出ませんよ」とキコは笑った。

私達、お姉さま達のような夫婦になりたいわね。いつも穏やかに笑っていられるような

漸く宮も笑った。

そうですね。宮様ご夫婦は本当に幸せそうで羨ましい」

隣の芝は青く見えるのよ。私達だって何度喧嘩をしたかしれやしないわ」

キコはあっさりと言う。

お兄様は短気でいらっしゃるし、人をからかう癖がおありよね。私も被害者だわ

それは男と女の解釈の違いなのでは?」

ヨシキさんはお兄様のお味方をするのね。嫌い」

宮様」

ヨシキの困った顔を見て、みな笑った。

そこに「殿下のお帰りです」と声がする。

「今の話は内緒よ」

キコはにっこりと笑った。

 

そしてついに二人は「婚約記者会見」を迎えた。

前日、緊張して眠れないと言うヨシキに「私が合図をするから大丈夫」と励ましたノリノミヤ。

その通り、しっかりと会見のリードをとり続けた。

午前に陛下よりお許しをいただいて、

こうして婚約内定の発表を行うことができましたことを大変うれしく思っております。

タカマツノミヤ妃殿下がお亡くなりになり、この日をご一緒に迎えていただくことのできなかったことを

大変残念に思っており、また災害の多かったこの年の暮れにインドネシア・スマトラ島沖の地震によって

日本人を含む非常に多くの犠牲者が出たことに対して深い悲しみを覚えております。  

このような時期に発表を行うことを心苦しく思っておりますが、既に二度の延期を経てきたことでもあり、

皆と相談の上、年内に発表することに致しました。

これまでの過程を優しいまなざしで見守ってきてくださいました両陛下、

そしてクロダさんのお母さまに深く感謝申し上げております。  

また、お付き合いを静かに支えてくださったアキシノノミヤ両殿下をはじめとする方々にもお礼を申し上げたく存じます。

先月以来、正式な発表前ということで、多くの方々が控えめにお祝いを述べてくださるのをありがたくも、

申し訳ない気持ちでおりましたので、そのことについても今は少し安堵(あんど)しております」

合図をうけてヨシキは

天皇陛下よりご裁可をいただきましたこと、誠にありがたく存じております。

本日に至りますまで、天皇、皇后両陛下には温かくお見守りをいただき、

アキシノノミヤ・同妃両殿下には格別のご配慮をいただきました。

また多くの方々のお力添えもいただきました。今は感謝の気持ちでいっぱいでございます」

とやっと答えた。声が震えていないかどうか心配だった。

二人の出会いを教えて欲しいという記者に対し、ノリノミヤは

昨年の1月にアキシノノミヤ殿下が主催され、亡くなられた親しい知人をしのぶテニスと懇親会が

赤坂にて行われた際に、出席した懇親会で久しぶりにクロダさんとお会い致しました。  

私が小学生のころは、お背が高くていつもまじめなお顔をしてらっしゃる方という印象が強くございましたが、

しばらくぶりにお会いしてとても温かな笑顔で人々の中に入っておられる姿が心に残り、ま

たお話も楽しく致しました。  それからは主にアキシノノミヤ邸でお会いすることが多くございましたが、

少しずつお話を重ねて行く中でだんだんと自然に結婚についての意識が深まってまいりまして、

今年に入ってだいたいの意思を固めました

受けてヨシキは

久しぶりにお目にかかった時の宮さまは常に細かいお心配りをなさり、

どなたとも楽しそうにお話をなさっておいででございました。  

私もその時、お話をさせていただくことが大変楽しく、

また心の安らぎのようなものを感じておりました。

その後何度かお目にかかり、お話を重ねさせていただくうちにやがて結婚ということを意識するようになって

いった次第でございます」

ーープロポーズの言葉は・・・・という問いに

時期につきましては、今年の初めであったかと存じます。

私から宮さまに「私と結婚してくださいませんか」と申し上げました。  

場所はアキシノノミヤ邸で、確か、お茶をいただいていた時であったかと存じております。

私の母親にそのことを報告致しました時のことでございますけれども、

母は私に、それは恐れ多いことではあるけれども、あなたが決めたことなのだから、

何事にも責任を持って当たるように、といったようなことを申したかと存じます。  

なおアキシノノミヤ・同妃両殿下に対しましては、あらたまってご報告と申しますより、

いつの間にかご承知おきいただいたというような形でございまして、本日発表の日を迎えまして、

あらためてすべてをおおらかに見守りいただきました両殿下にお礼申し上げたいと存じます。」

ノリノミヤは

お返事はその場でお受けする旨を申し上げました。

両陛下は、これまであまり多くをおっしゃらずに静かに見守ってきてくださいましたが、

お話申し上げますと、とてもうれしそうにほほ笑まれて「おめでとう」と喜んでくださいました。  

またアキシノノミヤ両殿下は基本的に場所を提供なさるというお立場に徹され、

2人のことについては立ち入らずに静かに見守ってきてくださいましたが、

こちらもあらためて細かなことは申し上げておりませんでしたが、

お尋ねがございましたのでお話申し上げますと、穏やかに祝ってくださいました」

ーーどのような点にひかれたかというお決まりの質問には

一つ一つのことをエピソードでお話しするというのはできませんけれども、

ご自分の考えをしっかりとお持ちになりながら、ゆったりと他人を許容することのできる広さを持っておられるところや、

物事に誠実でいらっしゃるというところでしょうか。

 趣味ですとか、興味を持つ事柄についてもお互いに異なっていて、

あまり共通点というのはないのですけれど、何を大事に思うかということについて共感することが多くあると

いうことも、ご一緒にいて安心できると思うことの一つかもしれません。  

最近のことで申しますと、このたびの発表の時期のことについてでございますが、

まだ中越地震の被害に苦しんでいる人が多くある状態の中で行うべきことではないと思いながらも、

一方で時期を遅らせますと、例えばスクープのような形で騒ぎが起こってしまい、

そのような場合には、私よりもずっとクロダさんの方にご迷惑が掛かるため、

とても悩んでおりましたが、時期のことについてご相談申し上げたときに、

自分の迷惑のことについてであるならば、それは気にせずに今何を大切にすべきかということを

最優先に考えよう、とおっしゃってくださいました。  

そのことは本当にありがたく、そうした感覚をともにできることをとてもうれしく思いました」

ノリノミヤの合図があり、ヨシキは緊張しながらも

宮さまはいつも細やかなお気配りをなさる大変お優しい方でいらっしゃると同時に、

さまざまな物事についてきちんとしたお考えをお持ちでいらっしゃる、ということにひかれました。  

具体的なエピソードということでございますけれども、個々ある日ある時の出来事と申しますより、

いろいろなお話をさせていただくうちに徐々に理解が深まって気持ちが固まっていったというような、

そういったプロセスであったかと存じます」

言葉遣いは大丈夫だろうか、どこかで突っかかっていないかとヨシキは不安そうに宮を見つめ

宮は微笑む。

ーー皇室を離れる事に関しては

幼いころから、いつか結婚する場合にはこの立場を離れるという意識を持っておりましたので、

新しい生活に入ることについての不安や戸惑いはあっても、

皇籍を離れるということに対して、今あらためて何かを感じるということは特にないように思います。  

両陛下も結婚した後のことはお心におきになりながらも、内親王という立場にいる間は、

この期間をこの立場で実り多く過ごすということを大事に育ててくださいましたので、

私なりにこの立場でさまざまなことを見聞きし、体験し、

心で感じて本当に貴重な日々を過ごすことができたと思っております。

そのことに深い感謝の気持ちを抱いております」

ノリノミヤの脳裏に母と旅行した時の思い出が蘇って来て、本当は少し泣きたくなった。

結婚は確かに嬉しい。けれど、やっぱり少しさびしいものなのだと実感する。

ヨシキを見ると、彼はあまりふりかえる余裕もないようだった。

確かに内親王さまをお迎えするということは責任も重く、私もずっとそのことについて考えてまいりましたけれども、

今までお話を重ねさせていただいた中で、宮さまがお大切にお思いのことと私が大切に存じておりますこと

との間に大きな違いというものを感じることはございませんでした。  

宮さまにはこれからの生活の多くが新しいことで、ご不安をお感じになることも多くおありかと

存じますけれども、私といたしましてはできる限りのことをさせていただきたいと存じております。

互いの考えを尊重しつつ、心安らぐ静かな家庭を築いていきたいと存じております」

そしてノリノミヤは

「家庭像につきましては、だいたい同じように考えております。

両陛下に申し上げたい言葉ですが、今はその時期としては、まだ早いように感じておりますし、

またもし申し上げるにしても、直接にお顔を拝見しながらにしたいと思っております」

 

ねえね、結婚しても私達と仲良くして下さるかしら

ちいさな、マコとカコがテレビの画面を見ながら少し不安そうな顔をした。

今まで、自分達だけの「ねえね」だったのに、急にヨシキにとられてしまうような感じがしたのだ。

「大丈夫。ねえねにおめでとうございますと申し上げましょう」とキコは言った。

何だか長かったような気がする。本当にもっと早く結婚させてやれたらよかったんだが

とミヤは感慨深い様子で言った。

兄として不甲斐なさを感じるよ

でも、だからこそクロダさんと出会ったのですわ

夫の妹に対する深い愛に、少し妬けつつも、そんな夫を心から愛しいと思うキコだった。

 

テレビの画面を見ながら皇太子は心がざわめきたって仕方ない。

何なんだろう、この記者会見は。

そもそも記者会見を開く話だって今日、知らされたくらいだ。

しかも、「アキシノノミヤ」という名前が何度出て来ただろう。

あの二人は・・・クロダも含めてグルなのだろうか。

殊更にノリノミヤ達が「アキシノノミヤ殿下に感謝」している事に腹が立って仕方ないのだった。

これでは「皇太子」としての面目が丸つぶれだ。

そもそも妹の結婚など眼中になかったくせに、こういう事だけはすぐに考えつくのが

皇太子の性格だった。

本来なら心から妹の婚約を喜ぶべきだったが、「ないがしろにされた」感情は抑えがたく

祝う気になどなれないのだった。

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」174(常にフィクション)

2014-12-19 07:00:00 | 小説「天皇の母」161-

寝耳に水だった。

突然、テレビのニュースで「ノリノミヤ様、結婚内定」と出た時。

そういえば、妹の事をすっかり忘れていた皇太子だった。

「適応障害」という病に苦しむ「妻」の為に、出来るだけ

「妻」の意思を尊重しようと思い、それでへとへとになっている自分がいる。

皇后の誕生日にはあらゆる批判を遠ざけて、マサコの意思を尊重し

アイコだけを連れて参内した。

今のマサコに誰かの誕生日を祝うとか、礼儀正しく振る舞うとか、そういう事が

出来るとは思わなかったから。

病名が発表されると同時に、朝も起きなくなったマサコ。

アイコをお付の者に任せきりにして、部屋に閉じこもっている。

何をしているのかはわからない。

連絡事項があればドアの隙間からメモが・・・・・

当然、職員達は戸惑い、「健康に悪いし、掃除などの職務に支障をきたす」と

訴えられたが、皇太子は何もしなかった。

ただ「あとはよろしく」と言っただけだった。

結果的に職員の勤務体制を変えざるを得なくなり、ここに完璧に

東宮御所における「マサコ独裁体制」が出来上がった。

マサコは朝起きず、夫に顔を見せる事もほとんどない。

ただ、「外食」の時は話が別だった。

週に一度は「外食」を・・・と言われ、それが夫婦で顔を合わせる日になった。

東宮御所で、食事と言えば「大膳」が作る健康を第一に考えた料理だ。

しかし、マサコが食べたいのはそんなものではない。

フランス料理、中華、イタリアン。それも三ツ星以上のレストランの個室を貸切り

最低3時間はいすわるというものだった。

いすわる・・・というのは、ほぼ毎回、閉店時間を過ぎても帰らず、人知れず

店の者から「やっかいな客」として見られている事だった。

どの店も東宮御所から来店の意を伝えられると「今日は何時に帰れるんだろう」と思う。

「長尻」という言葉は「引き際を知らない客」への侮蔑の言葉であったが、東宮家に

関してはよい言葉のようだった。

 

新潟で地震が起きた時も、側近は

陛下がすぐにお見舞いに行かれるので両殿下も」と勧めたがマサコは

「病気」を理由にそれを無視した。

それどころか一家で御料牧場に遊びに行ってしまった。

小松菜の収穫を楽しみにしている」と東宮大夫に発表させたのだが

それ以来、天皇・皇后、兄弟たちとも何となく疎遠になってしまった。

はっきり言って皇太子には気持ちの余裕がなかったのだ。

引きこもっているとはいえ、マサコの機嫌はころころ変わり、そのたびに

翻弄されているから。

外食一つにしても、必ず予約の時間に間に合うように出てくるかとえば

そうでもない。

突然「行きたくない」と言い出す事もある。

そうはいっても東宮御所の中だけで過ごすには退屈なのだろう。

マサコの目は、夜の都内に向き、ワゴン車を走らせてきらめくネオンの中を

突っ走るという事をやってのけたり、会員制のクラブに入り、女王のように

振る舞う事もあった。

 

そんなこんなで妹の婚約をニュースで知るハメになった皇太子は

心の中にざわざわと黒い影がうごめいているのを感じた。

しかし、それを言葉でどう表現したらいいのかわからない。

そんな夫の心を見透かすように、マサコは言った。

信じられない。一言の報告もないなんて頭に来ちゃう。

あなた、兄だと思われてないんじゃないの?

仮にも皇太子なのに」

そうか・・・と皇太子は思った。

自分の黒い影の正体はこの感情だったのだ。

仮にも皇太子。しかもノリノミヤの兄。それが妹が誰かと付き合っている

事も、婚約した事も知らなかったとは。

皇太子殿下におかせられては、現在、妃殿下の病気療養中であり

御心の負担を考え、あえてご報告されなかったのでございます」

ノリノミヤの側近にそう言われてもすっきりしない。

相手の黒田とかいう人は誰なの?」

アキシノノミヤ殿下のご学友でございます」

それを聞くと、マサコは「あらーー」と大声を出した。

あっちは二人でぐるなんじゃないの?完全に干されたわね」

そしてくすくす笑った。

マサコの笑いは不愉快で、ノリノミヤの側近は目をそらす。

しかし、皇太子はその言葉を真に受けたようだ。

「妹が結婚相手を探しているというならこっちだって、もっといい人を

紹介してあげたのに」

うそぶいてみても、「それはもう」とかわされるばかり。

とりあえず「おめでとう」と言ったのだが、皇太子の心はなかなか落ち着かなかった。

長い間、妹の存在を忘れていたような気がする。

10歳も歳の差がある妹。

生まれた時は・・・・生まれた時は喜んだ筈だ。

少なくともアーヤが生まれた時よりは。

それでも複雑だったろうかと皇太子はずきっとする。

ノリノミヤは小さい頃から歳の近いアーヤが大好きで仲がよかった。

自分だって決して可愛がらなかったわけではない。

ただ、歳が違うし、女の子とでは話も合わないし。

大きくなってからも、妹は母のように美しくならなかった。

いつもメガネをかけて、時代劇やアニメを見てるか、カワセミの研究に夢中で。

生物学は父や弟の方が得意。

バードウォッチングも全く興味がないし。

もう少し、目がさめるような美女だったらなあと思った事も一度や二度じゃない。

ノリノミヤは義姉になったキコとも非常に仲がよくて。

知らないうちに距離が出来て、しらないうちに疎遠になったという感じだ。

それでも平気だったのは、心のどこかで「妹は一生皇居で暮らす筈」という

根拠のない思い込みをしていたからだろう。

皇居で暮らすというのは、つまり一生独身で、妹で、誰かのものになるとは

考えていなかったという事だ。

たった一人の妹が、全く知らない男と結婚する。

しかも弟の学友と。

ああ・・・・何とイラつかせてくれることだろう。

 

近いうちに参内し、よくよく話を聞かなくては。

なで兄をないがしろにしたのか。

そう思っている矢先、オワダ家に訃報が舞い込んだ。

エガシラ家のスズコ・・・すなわち、マサコの祖母が亡くなったのだ。

その一報が入るや、ヒサシからの指令も飛んだ。

スズコの為に記帳所を設けよ」

「東宮家から特大の花を添えよ」

「東宮一家そろって通夜と告別式に参加せよ」

皇太子は自分の妹の事などに構っている暇はなくなった。

すぐに記帳所を設けさせ、通夜に家族そろって顔を出す。

スズコはマサコの祖母であり、あの「チッソ」会長夫人でもあった。

本来なら皇太子が弔問に行くような家ではない。

しかし、ヒサシの要請で宮内庁は動かざるを得なかったのだった。

 

妹の結婚話より、エガシラ家の弔問の方が皇太子には大事だった。

皇太子の心の片隅にひっかかるトゲを抜いてくれたのはヒサシだった。

「ノリノミヤ様のご結婚は目出度い事ですが、兄上をないがしろに

するのはよくありませんな。皇太子殿下はいずれ天皇になられるのですから。

しかしまあ、宮様の嫁ぎ先は地方公務員でしょう?

大した所ではない。アキシノノミヤ殿下の横のつながりなんて所詮その程度。

お気になさる事はありません。

むしろ、宮様がご降嫁された後をお楽しみに」

お楽しみに・・・・・どういう事なんだろう。

 

まさか性急に「有識者会議」が立ち上げられて「アイコ女帝」擁立の

動きになる事を、皇太子はまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」173(ずっとフィクション)

2014-12-13 07:00:00 | 小説「天皇の母」161-

皇后の誕生日。その昔は地久節と言われ、天長節につぐ大がかりな

祝いをしたものである。

無論、それは現代に至っても変わらない。

その日は朝から皇族方がみな参内し、誕生日の祝いに訪れ

宮内庁や外国大使などからも祝いを受ける。

昼には昼食会、午後には茶話会などが催され、その昔に使えた人や

恩師などが挨拶に来る。

夜は夜で東宮とアキシノノミヤ家、ノリノミヤと共に夕食を囲む。

今年は特別な年になる筈だった。

なぜなら皇后は「古希」を迎えたからだった。

祝いもひとしお、前年に続く天皇の喜寿に続き、様々な祝いの形を

披露する筈だった。

しかし。今年の誕生日はなぜかとても静かだった。

報道陣も殊更に「古希」を強調しなかったし、それについての感慨も伝えられない。

皇后は思い悩んでいた。

娘の結婚発表を延ばしてしまった事に。

例の「人格否定」発言以来、マスコミはこぞって東宮家の味方をするようになった。

「人格」「キャリア」という言葉を今の日本人は大好きである。

何となくその言葉を使うと現代的というか、民主主義のような気がする。

それは天皇や皇后とて同じだった。

「平和」「権利」「自由」「人格」「キャリア」「平等」

皇后らが小さい頃には、子供にも女にも「人格」があるなどと考えられた

事はなかった(と感じている)

子にとって親や教師、年上の人間全てが「上」であって、対等にものをいう事など

考えられない時代だった。

そして皇室というのは「天皇」を中心とした序列の世界であり、ピラミッド型を

している世界だ。

その中に身を置く皇后にとって、時々ではあるが「これでいいのだろうか」と

思う事があった。

日本はとっくに戦争が終わって21世紀を迎え、民主主義が花開いている時代。

親子といえども「話し合い」が重視される世の中というのに、

皇室だけは今もって「天皇」が一番上で、下は従うしかない。

それが「伝統」である事はわかっていても。

天皇は皇室と言う「家庭」の中に民主主義を取り入れようとした。

何事においても相手を尊重しようとする姿勢である。

東宮家の独立もそうだった。

内廷皇族として家計を同じくする天皇・皇后と東宮家ではあるが

組織的には完全に独立させ、滅多なことでは意見をさしはさまない・・・という

姿勢をとって来た。

ゆえに、今回の騒動でも「個人」としては皇太子に質問はしても

「釈明せよ」と強制は出来ないと天皇は思っている。

天皇が権力を行使するような事態になったら「民主主義」は滅びる。

その考えには皇后も賛成だった。

皇太子は子供ではない。自分の言った言葉や行動には責任が伴う事が

わかっている筈である。そう教育してきた。

だから必ず自分の言葉で何か発するだろうと期待して待っていたのだった。

しかし。

皇太子は全く自ら答えを出そうとはしなかった。

「皇族」としてどう振る舞うか・・・・それはわかっている筈。

しかし、皇太子は妃の気持ちを尊重したいと考えたのだ。

妃が生きて来た人生と生活と道を理解し、認め、そして尊重したいと

思ったのだ。

「尊重」それはなんとあまやかな響きだろうか。

きっと考えがあるのだ・・・きっと何か言う筈・・・そんな思いは砕け散った。

ノリノミヤによれば皇太子は

陛下とマサコ、どちらの意見を優先すべきかわからない

と言ったそうである。

何と!どちらを優先すべきかわからないとは!

皇室において何よりも最優先されるべきは「天皇」の言葉であり行動なのだ。

それなのに・・・・・

しかし、そう聞いても皇后は諌める事が出来なかった。

なぜなら、自分自身そういう人生を送って来たから。

成婚以来、常に常に「根っからの皇族・華族」と闘って来たのだから。

先帝を疎んじたりという事はなかっただろう。

疲れ果て心を病んだ時、

夫は「何事においてもミーを一番尊重するし優先する」と言ってくれた。

結婚する時は「公務優先」と言っていたのに、あまりにも打ちひしがれた自分の

姿に同情して下さったのかもしれない。

でも、それで随分救われた事は事実である。

勿論、その言葉に甘えた事などない。

何年も皇室で過ごすうち、どうしたら先帝や皇太后に自分の立場を

わかって貰えるか研究し、そしてそれを実践してきたからだ。

あの当時の自分にとって、味方は「国民」だった。

血筋のない自分を「皇太子妃」として崇め、毎週のように美談を書いて

くれた雑誌、そして毎週の皇室番組、年に何度かの皇室特集。

皇太子妃・ミチコは国民のアイドルであり、国民の象徴だった。

彼女が美しい服を着れば誰もが喜び、歌を詠めば誰もが感嘆し

「母として妃としての生き方」全てが国民の手本になった。

そう努力して来たからだ。

 

多分、皇太子はあの時の夫と同じ事を思っているに違いないのだ。

皇太子妃はあの当時の自分と全く生き方が真逆だ。

なのにマスコミは当時と同じように「皇太子妃」の味方になった

旧弊な皇室」「今時男系優先の皇室」「不妊への冷たい態度」等々

次から次へと皇室の悪口がこれでもかという程、雑誌に書かれる。

庶民から見れば皇室は遠い存在であるし、生活ぶりはかけ離れていて

「今時そんなのあり?」と思う者がほとんどだろう。

マサコはそういうものの象徴なのだった。

それでも本当に皇室を思えば、この際、皇太子夫妻にはきちんと苦言を

呈すべきだろう。

だが・・・その一言が・・・・・・その一言が言えないのだった。

はっきり言って皇后はマスコミを信用していない。という事は

「国民感情」というものを信用してないのだ。

自分が若かった時代がそうであったように、人ははっきり目に映るものに目を向ける。

もし、今、何かを言ったらその瞬間、国民は自分の敵になる。

それが怖いのだ。

ノリノミヤの婚約発表を延ばしたのもそんな理由だった。

数か月我慢すれば、この騒動もおさまるだろう。

それまで我慢すれば・・・

その代わり「喜寿」の祝いも行わない。嬉しい事は娘と共に。

 

床が小さく揺れたような気がした。

皇后は最初、めまいかと思った。

しかしそれはめまいではなかった。

「陛下、地震でございます

揺れは次第に大きくなり、ゆっくりと、しかしなかなか終わらなかった。

女官が駆けつけ、皇后の傍に寄り様子を見守る。

陛下は?」

ご執務で宮殿の方に」

大きい地震ではないけど、随分長いわね。それに何度も」

すぐにテレビをつけさせ、画面を見入る。

新潟で震度7の地震だった。

これは大変な事が起きたと瞬時に察する。

関西の地震を思い出す。あれから10年も経ってないのに・・・・

恐怖が襲う。

すぐさま見舞いを・・・と言った天皇と皇后を後目に

皇太子一家は御料牧場へ静養にでかけたのだった。

 

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