ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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韓国史劇風小説「天皇の母」100(記念すべきフィクション)

2013-02-27 08:01:12 | 小説「天皇の母」61話ー100話

真夜中にも関わらず、ぼしょぼしょ話しているユミコの声が聞こえる。

相手は決まっている。マサコだ。

またか・・・ヒサシは眠気を通り越して怒りすら覚えてきた。

結婚して以来、毎日のように電話をかけてくる。言う事はいつも同じ。

こんな筈じゃなかった

一体、娘は何を望んで皇室に入ったのか?結婚すれば皇太子妃。贅沢三昧の生活を

しているではないか。

日々、「妃殿下」と崇め奉られ、綺麗な服を着ておいしいものを食べている。

それなのに「こんな筈じゃなかった」という。

ではなんだときけば「外国に行けるはずじゃなかったの?」と。

確かに、皇太子妃になれば外務省職員でいるよりはるかに海外訪問のチャンスは多い。

多い・・筈だったのだ。

今上夫妻が皇太子時代はほぼ毎年、毎月じゃないか?という程外国へ行っていたし、

華麗なファッションで王室外交を繰り広げていた。

しかし、今や時期が悪かった。

湾岸戦争と共に、日本に震災が起こりバブルがはじけ、世界的に不況に陥ったのだ。

これからは海外要人とも、直接会わずとも外交が出来る時代に入る。

高い飛行機代を使って外国訪問する必要がないのだ。

その事がマサコにとっては予想外の事であり、約束が違う、こんな筈じゃなかったと被害者意識

丸出しにして泣きながら電話をかけてくる所以だ。

マサコは何から逃げようとしているのだろう?

小さい頃から娘は生きづらさを抱えている子だった。

一つのグループに長く属する事が出来ない。学校でも職場でも・・マサコだけではない。

セツコもレイコもだ。

ゆえに、3人がいつも固まって行動するようになる。

3人ともうまく回りと接する事が出来ない原因を相手側に求め、そして逃げるように海外に飛ぶ。

外国なら民族の違い、風習の違いで全てが丸くおさまる。

まさに「旅の恥はかきすて」だ。

しかし、今、「皇室」という伝統としきたりの世界の中でがんじがらめにされているに違いない。

たかが天皇家なのに何を持ってそこまで偉そうに伝統だしきたりだというのか。

そうよね。うんうん・・・本当にそうよね。ひどいわよね。そういう時はがつんと言えばいいのよ。

我慢しなくていいのよ。まあちゃん。あなたは頭がいいんだから、おバカな人達と本気で渡り合う事ないの。

きっとお父様が何とかしてくれるから」

何とかなだめてユミコは電話を切った。

一体、今、何時だと思ってるんだ?日本は昼間かもしれないがこっちは」

「だって可哀想なのよ。電話口でしくしく泣くんですもの」

今度は何だ」

天皇陛下に早く子供を産めって言われたんですって。ひどいと思わない?女に出産を強要する

なんて」

夫婦になって2年以上経つんだから、子供くらいいてもおかしくない。お前だって早く孫の顔が

みたいだろう」

そうだけど、こればかりはどうにも。そういうのだってまあちゃんのせいにされているみたいなの。

天皇家なんて血が濃いんですもの。不妊の要素だってたくさんあると思うわ。げんに子供がいない

宮家は多いし」

マサコに早く子供を産むように言え。話はそれからだろう」

ヒサシは苛立った。娘の父親として孫の顔を早く見たいというのは天皇も自分も一緒だと思う。

それ以上にマサコが男子を産めば「世継ぎの祖父」になるわけで。

マイドーターイズプリンセス」だけではなく、「エンペラーズグランパ」と言える日を考えると自然に

笑みがこぼれてくる。その為にも一日も早くマサコが妊娠しなくてはいけなかった。

だから妊娠は一人でするものじゃないでしょう?皇太子にだって原因があるのよ。なのにいつも女ばかり

悪者になって。可哀想で涙が出ちゃうわ。それにアキシノノミヤ。あそこなんか女の子が2人いるって

いうだけで偉そうなんですってよ。まあちゃんが毎日どんなにみじめな思いで暮らしているか。

それを考えるともう・・・私、日本に帰ろうかしら?」

馬鹿な事をいうな。国連大使の職は夫婦で一対なんだ。お前が日本に一人で帰ったら何を疑われるか」

ヒサシはため息をついた。

もう少しうまくいくと思ったのに」

世間は、皇太子妃の父親が政治的にかかわるような仕事をするのをよく思ってはいない。

外務省を辞めない事も散々悪口で言われた。

正田家と違って、やる事が一々派手で生臭いと。

だからなんだというのだ?権力を持つものが、バックを利用して何が悪いのだろう?

「皇太子妃の父」である国連大使だからこそ、価値が上がり、みなひれふす。それが世の中というもの。

それなのに。

暗に「来年は定年ですね。そろそろ退いては・・・・」などというセリフが聞こえてくる。

国連大使の定年は63歳。しかし、ヒサシはすで64歳。本来なら退官してもおかしくない歳だ。

あちらこちらから囁きのように「いつまでいるんだろう?」という声を無視して、何が何でも今の地位を

手放さずにいようと思ったが、それも限界のようだ。

外務省としては「皇太子妃の父」に政治的な仕事を任せるわけにもいかじ、国連大学の学長やら

何やら色々考えているのだが、どうにも定まらないようだった。

だから「いっそ退かれて悠々自適の生活をなさっては?」と言われるのだ。

冗談じゃない。こんな地位で満足する程自分は気が小さい男ではない。

「皇太子妃の父」が本当に「皇后の父」「天皇の祖父」になるまでは、何が何でも高い地位を保ち

出来るだけの財産を作り上げなくては。

セツコやレイコは誰かと付き合っているのか?」

唐突に双子の話題が出たのでユミコはちょっと驚いた。

さあ・・あの子たちはよくわからないわ。せっちゃんは色々お付き合いしているという話だけど

れいちゃんはねえ

セツコは帰国子女枠で東大入学。卒業後はホンダギケンに就職したものの、長続きせずに退職している。

何でこうも我が家の娘たちは打たれ弱いのか。

ちょっと叱責されただけですぐに「こんな職場は私に合わない」といって辞める。

マサコも自分が後ろ盾にならなかったら1年も持たなかったに違いないのだ。

セツコは結果的にまた東大に入り直し、さらにハーバードに学士入学しているが、東大の方が続かなかった。

翻訳家になりたいだの、何だのと夢のような事をいいながらも学生生活を続けている。

レイコも似たような経緯で国連高等弁務官事務所で働いているだけましか。

皇太子妃の妹達ならさぞや降るように縁談が来るかと思いきや、ほとんどない。

アメリカの財閥系からの話を進めてみようと思っても、うまくいかない。

いくら「皇太子妃の家族」とっても王室を持たない国には通用しないのかもしれない。

 

マサコが妊娠しない事に加え、レイコやセツコが手駒にならない歯がゆさ。進退の危うさが

ヒサシを焦らせていた。

外務省につてをたどってみるか。東宮職に外務省の手下を数人入れて、マサコの要求が通るように

なればこんな電話で起こされる事もないかもしれない。

そしてもっとも牽制しなければならないのはアキシノノミヤ家だ。

すでに女子2人をもうけて、3人目だって夢ではない。しかし、これ以上あの家に子供を産ませてはならない。

アキシノノミヤはただのやんちゃな親王だと思っていたが、なかなかの策士らしい。

成年と同時にあれやこれやの名誉総裁を引き受けて国民からの人気も高いらしい。

妃は学者の家だが、学習院という後ろ盾がある。

ほおっておけば脅威になるかもしれない。

そんな夫婦が子供を次々作ったら・・・・・

 

「わかった

ヒサシはゆっくり言った。

「マサコの援護射撃は任せておけ。それよりセツコとレイコに早くいい相手をみつけろ」

手はすでに考えた。

宮内庁を崩すには東宮職から。まず東宮職に子飼いを入れる。それから本家の宮内庁に

誰を入れるか・・・・

オオトリ会に相談するか

アキシノノミヤ家に出産の制限をかける。それだけではだめだ。必要なら宮家を抹殺することも

視野に入れなくては。その為にはマスコミを使う。

フクダさんに連絡しないとな。マスコミを買収するのには金がもっといる。機密費だけでは賄えないかも」

ヒサシの呟きをユミコは本気で聞いていなかった。

まあちゃん、結婚前はこんなに私にべたべたしなかったのよ。泣きわめく事もなかったし。

なのに結婚してからどんどん子供に返っていくみたい。まるで後追いしているみたいに電話をしてくるし

泣くし。小さい頃あれもしてくれなかったとかこれもしてくれなかったとか、大昔の事をぐずぐず言うし。

皇太子殿下とうまくいってないのかしら。子供が出来たら変わるかしらね」

ユミコは不安そうにつぶやく。

この結婚、よかったのかしら?今まであなたが決めた事に逆らった事はなかったけど、今度ばかりは

不安だわ」

・・・・・」

あの子、太ったんですって。何でも大膳の食事がまずくてお菓子ばかり食べているらしいの。

昔からストレス太りする子でしょう?大膳って味付けが薄いからおいしくないのね。皇太子妃なのに

自分の家で食べるものの味も決められないなんてかわいそう。

ホテルのレストランでも中華料理でも好きなだけ外食してストレス発散出来ればいいんでしょうけど

警備の問題とか色々あってなかなかままならないわ。本当に不自由で可哀想」

食べ物なんかどうでもいいじゃないか・・・といいかけてヒサシはやめた。

あまりに低次元の話に聞こえたのだ。

とにかく早急に何とかしなくては、安眠できない。何で30過ぎても手がかかるんだ?あの娘は・・・とヒサシは

大きくため息をついて布団をかぶった。

 

一方、アキシノノミヤ家では予想もつかない波風が立とうとしていた。

結婚して以来、宮もキコも公務と子育てと学業の3本柱の両立に心を砕いてきた。

特にキコは宮家の台所を預かる身として、決して多くない皇族費をやりくりしながら子供達を育て

宮の健康に気を配り、使用人の差配も怠る事はなかった。

それでもマコやカコがいて宮との生活は幸せだったといえるだろう。

けれど・・・宮家には男子がいない。このままではアキシノノミヤ家は断絶してしまう。

キコとしては皇位継承は皇太子夫妻が担うと思っている。

大変な重責ではあるが、それは妃として仕方がないと思っている。

子供を産む事は苦痛ではない。むしろ喜びだ。

自分はまだ20代だし、産める限りは産みたい。その結果内親王だけだったら・・・・

その時は相応の責めを受けなくてはならないと思っていた。

しかし、皇太子妃が「私の回りにそんな事をいう人は一人もいません」と叫んだ時、その時に

皇后が皇太子妃を庇った時、キコの中の不信感が芽を出してしまった。

キコだって結婚した時から「子供はまだ?」と言われ続けた。

それだけではない。カコを妊娠した時は「なぜ皇太子妃より先に?」と責められた。

産んでも産まなくても責められる立場に何度心の中で涙を流したろうか。

なのに、今度は東宮職から「しばらくお控え下さい」と言われるとは。

「もし3番目のお子様が親王だった場合、東宮家に生まれるお子様より年上の皇位継承権保持者では

困るのです。マサコ様が非常に傷つかれるのです。何、あと1年か2年の事ですよ。

そしたら何人でも御産み下さい」

両陛下もご存じなのですか

両陛下から直接伺った事はありませんが。心配しておられます

その心配というのはどういう意味なのだろうか。アキシノノミヤ家にこれ以上子供が生まれて

マサコ妃が傷つくのを心配しているのか、それともねたまれたりする事を心配しているのか。

話は聞いておく」

宮は言った。

宮家の出産事情にまで首を突っ込むとは、意外に暇なのか?東宮職は」

冗談めかして言った宮の目は笑っていなかった。 

 

私、納得がいきません。なぜ東宮職はそんな事を言わなくてはならないの?そしてなぜ

私達はそれを受けなくちゃいけないのですか?」

うちも子供が二人いるし、しばらくはいらないだろう?余計な話ではあるが、殊更に波風を立てても

しょうがないじゃないか」

波風って・・・ひとごとみたいじゃありませんか?」

そういうわけじゃない。ただ、カコを身ごもった時にあれこれ言われたろう。しばらくそういう煩わしい事は

なければそれにこしたことはない。皇太子夫妻に子供が出来るまで」

「産むとか産まないとか、人に決められるのですか?私達の意思はどうなるのですか?」

だって、あんなヒステリーを起こされたんじゃ」

泣いてすむなら私だって泣きますよ」

キコは叫んだ。回りはびっくりして仕事の手を止める。

私は結婚してからずっと宮様の妃として皇族としてふさわしい生き方をしようと努力してまいりました。

皇后陛下をお手本に、つたないながらも頑張って来たつもりです。筆頭宮家として年上の宮妃方の

上に連なるのは大変でした。でも・・・私は宮様と結婚したのだから。宮様を大事に思うから

努力もしてきたのです。結婚して5年です。そろそろおお認め頂いてもいいのでは」

認めてる。キコはよくやっていると思うよ

いいえ。そうではないのです」

何が?」

皇后陛下は・・・・」

え?」

キコはそこで言葉を切った。口にするのも恐ろしい考え。これを言ってしまったらお互い終わりだと思った。

皇后が皇太子妃を庇う理由。それは・・・・少なくとも皇后は皇太子妃にシンパシーを感じている。

自分が入内した時にはなかった妃への「遠慮」が物語っている。

皇后陛下は・・・」

突然、カコが泣き出した。母のいつになく強い口調にびっくりしたのかもしれない。

一緒に遊んでいたマコも泣き出す。

侍女が慌てて二人をなだめる。

ああ!もう!うるさい!少し黙らせてくれ!」

ついに宮は怒って怒鳴った。その怒鳴り声に余計に子供たちの声が大きくなる。

黙らせてって・・・あなたが怒鳴るから」

先に怒鳴ったのはそっちだろう?もうわけがわからない。暫くこっちに連れてくるな!」

子供達は遠ざけられた・・・といっても、小さな宮邸の事。声は丸聞こえだが。

そもそもこんな職員用宿舎を宮邸として与えられた事からして、キコは歓迎されていないような気になる。

いくら先帝の喪中だったとはいえ、まるで罰みたいに小さな宮邸だ。

地味な生活をしてきたキコだから、その点を不満に思った事はなかった。

宮の、研究に没頭すると新婚でも部屋に引きこもり、妻を一人ぼっちにする事も、嫁姑関係になると

途端に鈍感になる事も、全て自分の中で処理してきた事だ。

でも、自分だって宮妃として5年のキャリアがあると思っている。

それを何で今になって、東宮職から産児制限をされなくてはならないのか?

みるみるうちにキコの目に涙があふれた。さすがに宮はどきっとしたが、今さら謝るのが嫌なのか

来客用のタバコケースの中から1本取り出そうとした。それをキコはパチンと手でさえぎって

タバコはダメですと申し上げています。どうしてそれくらい聞いて下さらないの?」

本当にいちいちうるさいな。もういい」

宮はさっさと部屋を出て行ってしまった。

残されたキコは大粒の涙を流し、しゃくりあげてしまった。

オールウェイズスマイル」

父の言葉が耳に囁く。でもそんな事、無理だった。

東宮職を怒鳴り飛ばしてくれたらよかったのに。そしたらすっきりしたのに・・・・

キコは自分の存在意義が何だかわからなくなっていた。

そしてそれは宮も同じだったのだ。

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韓国史劇風小説「天皇の母」99(やたらフィクション)

2013-02-21 11:54:45 | 小説「天皇の母」61話ー100話

チチブノミヤ妃は8月に心不全で亡くなった。

帰国子女であり国際感覚豊かな妃だった。会津の魂を体現しているかのような生き様だった。

遺言によって宮邸はアキシノノミヤ家に譲られる事となり、狭い職員用宿舎に住んでいた4人家族は

やっと「宮家」らしい体裁を整える事が出来るようになった。

宮妃のアキシノノミヤ家への思いは、ただ単に妃が会津の血を受けているからというだけではなく

広い意味で皇室の将来を託したいという感情があったからだ。

宮妃が気にしていた「東宮職がアキシノノミヤ家に出産制限を強いた」という話は、結局の所

どこからも「そうです」という答えは返ってこない。

当のアキシノノミヤ家が全否定している以上、騒ぐ事も出来ない。

それでもキク君はたまらくなって、宮妃の葬儀のあれやこれやにかこつけて東宮御所を訪れた。

 

すると・・・・何と皇太子妃は具合が悪くてふせっているという。

どのような病気か、風邪なのか?先にそういってくれたら訪問などしなかったのに

客間に通されて女官長の口からそれを聞かされた時、キク君は自分が伏魔殿に迷いこんだような気がした。

いつから東宮御所はこんなに暗い雰囲気になったのだろうか。

侍従長も女官長もどこか怯えて風でもあり、または互いに監視しあっている風でもあり。

お茶が出されたが茶卓がなかった。

キク君についてきた老女が「何と失礼な事を」と怒ると、女官長は

東宮御所では茶卓を出さない決まりなのです」という。理由は、茶卓とお茶碗がくっついて離れないと

大変な事になるからという理由だった。

あまりの馬鹿馬鹿しさに「お茶をこぼすから茶を出さないというの同じではないか」とキク君が言うと

女官長は疲れきった顔で「申し訳ございません。妃殿下のご命令なので・・・」と。

一見、大昔の東宮御所と何も変わっていないように見える。

でもこんなに違う・・・・・違うのだ。

随分待たされてから皇太子が一人で部屋に入ってきた。

おばさま、ごきげんよう。御用がおありでしたらこちらからまいりましたのに

皇太子は茶卓の一件など知らないようににこやかに、屈託なく笑った。

妃殿下のご容体はいかがなのですか?」

その問いに皇太子は一瞬、きょとんとしたがすぐに「ええまあ」とこれまた笑った。

マサコは体が弱いのです

お具合が悪いと知っていたら参りませんでしたよ」

「そんな大げさなことではないのですが

これは完全に居留守だなとピンとくる。たしか皇太子妃は自分の身内、すなわちオワダ家以外とは

なかなか顔を合わさないという話だ。

地方に公務へ行っても、県知事や警察関係者と会うのがたまらなく嫌だと言ったらしい。

話が合わないし、楽しくないからと。

老人施設では、老人と握手したその手をウエットティッシュで拭いたなどという話がまことしやかに

伝わっている。

それにしても居留守を使うとは失礼すぎではないか。

「ではお見舞いいたしましょうか?」

キク君が立ち上がると皇太子は慌てて「今、熱があって」と言い始める。

といっても微熱なんですけど、随分と具合が悪いみたいで私も部屋には行かないようにしています。

おばさまにそんな見苦しい姿をお見せするわけには行きませんから」

皇太子妃殿下に見舞いの口上の一つも言わないで帰るのは礼儀に反するのでは?」

そういう堅苦しいのはいいのですよ。おばさま。誰かお菓子をお持ちして」

皇太子の慌てぶりにますます「居留守」の文字が大きく浮かび上がる。

そう・・皇太子妃殿下とはご成婚以来、年に数度もお会いする機会もなく寂しいかぎりです。

外務省から皇室に入られておわかりにならない事も多々あろうかと思いますのよ。気軽に聞いて頂けたら

こんなに嬉しい事はないわ。

このたび、チチブノ宮妃がお亡くなりになって私もめっきり歳をとったような気がしました。

セツ君様は私にとって、皇室で生活するにあたっていつも素晴らしい教師でしたし

実のお姉さまのようでもありましたから」

はあ・・・」

皇太子はにこにこして聞いているが、その表情には多少のわだかまりを感じる。

内心では(二人で私の母を苛めただろう)と思っているようだった。

それでもキク君は負けなかった。

私もいつ死ぬかわかりません。その前に東宮様のお子様を抱きたいわ。皇后陛下はまだお若いから

そこまで深刻ではないでしょうけど、私は明日にでもはかなくなりそうですもの」

コウノトリのご機嫌に任せているのですが

コウノトリは絶滅しかかっているんですよ。努力をしなければ卵を産んではくれません。本当に細い細い

血をわけて、巣をきっちりと作ってやり、番が卵を産んだらそれを人の手で孵化させる・・

そんな事までしないと一旦絶えた血を復活させるのは難しいのです」

キク君の言葉に皇太子はどうこたえていいかわからず黙っている。

アキシノノミヤ家はそういう事情をわかった上で早くからお子をなしました。でもまだ内親王だけ。

これからどんどんキコ妃には産んでもらわないと。ねえ?あなた方も負けてはいられないでしょう」

その言葉はかなり皇太子の気にさわったらしかった。

子供を持つ事だけが夫婦ではありませんから」

そして皇太子のセリフにキク君もカチンときた。

ええ。そうでしょうね。私などはついにお子をなせず、宮家を断絶させてしまいましたから。その罪を考えると

本当に申し訳なく思いますわ。でも、私もセツ君も子供をいらないとは思っていなかったのですよ。

宮様も私も、チチブノミヤ家でもどれほどそれを望んだか。けれど、セツ君は流産あそばして。

私も色々な事情があって産めませんでした。夫婦にはままそういう事があるものです。だから、産める方が

何度でもご出産あそばして親王様を上げ、皇統を絶やさないようにして頂かなくては。回りはそれを

お助けしないと。皇后陛下も東宮様の後、一度流産遊ばしましたが、何とかその後アキシノノミヤ様を

そしてノリノミヤを産んで下さった。その事に関して私達もヒタチノミヤも、全力で応援したものですよ。

皇后さまですら一度流産された。私には経験がないけれど現代においても一人の子供が生まれるまでの

道のりは本当に長くて重いものと感じます」

皇太子は不機嫌そうな顔になっている。

結婚して2年、子供がない状況ではどちらかに不妊の原因があるのではないかと考えても不思議はなかった。

宮妃はそういう事をちゃんと調べているのかと疑っているらしい。

マサコはまだ皇室に慣れていません。外務省で実のある仕事をしていて、やっと皇室に入ったのです。

彼女が慣れるまではまだそのような事は」

皇太子妃の一番大事なお仕事はお世継ぎを上げることですよ」

キク君は厳しく言った。

東宮様の今のお言葉では、妃殿下は皇室に何か別のものを期待して入ってこられたような気がしますが。

皇太子妃の一番大事なお仕事はお世継ぎを上げること。そしてご自分でそれが出来なければ、弟宮に

それを託す事ですよ。ショウケン皇太后様はご自分がお子をなせないを知り、断腸の思いを抱きつつも

側室にそれをゆだねられた。ヤナギハラナルコの御生みまいらせた先々帝は皇太后さまの実子とみなされ

慈しまれてお育ちになりました。皇太后さまが本当のおたたさまでないとお知りになった時は

泣いてお悲しみになったとか。それ程先々帝は皇太后さまをお慕い申し上げていたのです。どなたが産もうとも

天皇陛下につながるお子は皇太子殿下のお子です。それを忘れてはいけません」

はい。しかし、そんな時代錯誤な事をマサコが喜ぶわけありません。私は自分の家庭を大事にしたいです。

マサコが悲しむ事はしたくありませんし、誰にもしてほしくありません

「ああ!」

キク君は多少大げさなため息を漏らした。

リベラルなのは結構な事。そもそも両陛下がそういうお考えでしたわね。だから民間からお妃を迎える

という事をなさった。東宮様がそのように皇統の重大さを軽視されるのは皇后陛下のご教育なのですか」

皇太子は顔色を変えた。

教育っていうわけでは。ただ私はまだ新婚ですし」

アキシノノミヤ家は結婚一年目でマコ内親王をあげられましたよ。宮妃も学生で公務もあって大変な時に

けなげにも皇統の未来を憂え、二度の出産を経られた。ご自分の事ではなく未来の皇室の事を先に

お考え遊ばした結果なんでしょうね。そういうお心がけを妃殿下にきちんとお教えするのが

東宮様の御役目ですよ」

そこまで言われると皇太子はぐうの音も出ない。ただただ顔面蒼白になって手がぶるぶると震えていた。

普段から冷静すぎる程冷静な皇太子がここまで顔色を変えるとは・・・キク君はやっと居留守を遣われた

仕返しが出来たと微笑んだ。

 

皇太子だって一日も早く子供が欲しいと願っている。 

好きとか嫌いとかの問題ではなく、やはり自分の義務としてとらえていた。

でも、今最優先すべきはマサコの気持ちだった。

「帰った?」

リビングへ行くと、マサコは不機嫌な様子でテレビを見ていた。

ああ・・・参内するから早く着替えて」

今日は、皇居で恒例の食事会だった。にも関わらずマサコは着替えるでもなく化粧をするでもなく。

そもそも具合が悪いといってキク君との面会を拒否したのに、食事会に出られるというのは

おかしな話だった。

余計なことしか言わないおばさんね。私がそこらそんじょの子供を産むしか能がない女だと

思っているのかしら?」

でも、僕達は皇族なんだから」

女性に出産を強要するのは男女同権に反すると思うわ」

子供は欲しくないの?」

「・・・そりゃあ欲しいと思う事もなくはないけど。でも、女が子供を産んで一人前みたいな考え方が

おかしいわよ。あなたもそういう偏見の持ち主なの?」

いや・・・」

皇太子はしまいにはマサコが何を言ってるのかわからなくなった。

 

恒例の食事会にはノリノミヤとアキシノノミヤ夫妻が一緒だ。

近況報告し、天皇の在り方を学ぶという大事な役割もあった。

けれど、この食事会、マサコには苦痛でしょうがないらしい。

皆が楽しげに会話をしていても、常に黙りこくって食事を延々と続ける。

質問されても答えないのでノリノミヤに「お尋ねですよ」と言われることもしばしば。

そういう時は「え?何ですか?」と聞き返す。その「聞き返し」が失礼にあたるという事もマサコには

わかっていなかった。

マコちゃんとカコちゃんは元気かしら?」

皇后が尋ねる。

おたあさま。つい先週、お会いにあったばかりじゃありませんか?」

ノリノミヤが横やりを入れると皇后はちょっと照れた笑いをもらし

だって毎日でも見たいの。可愛いんですもの。マコちゃんはおしゃまさんね。言葉も早くて

行動的。はきはきしてるわ。カコちゃんはハイハイするようになったし

「孫は特に可愛いね。女の子だとなおさらね」

天皇も相好を崩した。

私はなかなか大変なんですけれど。論文を書いている時に泣き出されたりすると」

アキシノノミヤはちょっと困ったような顔をする。

それも子育ての大事な経験ですよ。東宮も早くそういう経験をしたいでしょう」

皇后の言葉に皇太子はちょっとむっとした。

先ほどのタカマツノミヤ妃から言われた一連の発言が頭から抜けなかったからだ。

私はもう少しプライバシーのある生活をしたいと思います」と皇太子は言った。

マサコも深く頷く。

私は外務省のキャリアを生かした仕事がしたいので、あまりに子供子供と言われると」

皇族といえどもプライバシーはあるわけで。そういうのを無視して週刊誌などに毎週書かれるのは

嫌です」

皇后は「そうね・・」と言葉を濁す。

天皇は「プライバシーという概念は皇室にはないよ」と穏やかに諭す。

「そうは言ってもある事ない事書かれるのは不本意だろうね。でも、期待されていると思いなさい。

皇太子夫妻に子供が生まれる事を国民みんなが待っているからね」

突然、椅子ががたっとなってマサコが立ち上がった。

今のはどういう意味ですか?私の友達にそんな事をいう人は一人もいません。

昨日結婚した夫婦にだって、そんな事をいうのは失礼って知らないんですか?

そんなプライベートな事を期待しているなんておかしいです」

そしてマサコはわあっと泣き出した。皇太子は慌ててマサコをなだめる。天皇も皇后も

ノリノミヤも・・そしてアキシノノミヤ夫妻にも目の前で何が起こってるかわからなかった。

泣き声を聞きつけて侍従や女官が飛んでくる。

しかし興奮したマサコは涙にぬれた鋭い目をキコに向けると

何よ。あなたが次々子供を産むから私が悪者になったんじゃないの。誰もがあなたみたいに

子供を産めるわけじゃないのよ。そんな事で自慢しないで頂戴」

妃殿下、言いすぎです」

たまらずアキシノノミヤが言葉を挟むと、

「マサコは間違った事は言ってないと思う」と皇太子が反論した。

その言葉で一同は黙った。

カコが生まれたせいで、マサコはいらぬ気遣いを迫られて傷ついているんです。一宮家と

皇太子では地位が違うのに一緒に考えてる。何人生まれようと宮家なのに」

「やめなさい」

天皇が怒り心頭で言った。

一体いつからそんな考え方になったのだ?」

そのセリフはマサコのヒステリックな泣き声にさえぎられる。

何よ、子供子供って・・・私は子産みマシーンじゃないわ」

「今日は帰ります」

皇太子は無表情でマサコを部屋から連れ出していった。

残された面々は、呆然としていた。

「何がそんなに皇太子妃を傷つけたのでしょう。まさか本当に不妊?」

皇后がひそやかな言葉を紡ぐ。

大事な事ね・・・確かめないとね・・・でも、そういう事が傷つくというなら」

「だからってお姉さまにあの言いようはないでしょう」

ノリノミヤがきつい口調で言った。

「どちらが傷ついているというんでしょう。キコお姉さまがお可哀想よ」

キコには悪いけれど、今後はあまり刺激しないようにして。デリケートな問題だから」

ちょっとおたあさま、お姉さまがいつ刺激したって」

よくわからないけど、幸せそうにしている事に傷つく人もいるのよ」

この言葉がどんなに理不尽か気づかないでいるのは皇后その人だけだったろう。

キコは歯をくいしばって「私が至らなくて・・・」と返す。その場は何とかそれでおさまった。

本当は誰もがキコに罪があるわけではない事を知っていた。知っていたけど何も言えなかった。

今、皇太子夫妻は幸せではないからだ。

 

 

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」98(オリジナルフィクション)

2013-02-19 08:54:33 | 小説「天皇の母」61話ー100話

皇室にとって「世継ぎ」の問題は大きかった。

世の中はバブルの余波を受けて価値観が変わり、結婚しても子供を持たない選択もありという。

けれど、それでは皇室は成り立たない。

天皇家にとって古代から現在に至るまで皇位継承者を生み出す事は、全ての妃の「使命」であり「義務」である。

けれど、現皇太子妃は「3年間は子供はいりません」と宣言してしまった。

「子供を産む事と皇室外交のどちらを優先させるべきか悩んでいる」とも。

そそれが「新しい」と受け入れる向きも多かっただろう。

なにせ、皇太子妃は「キャリアウーマン」の仮面をかぶっていたのだから。

しかし、現実問題結婚して2年が過ぎても子供に恵まれない皇太子夫妻に対して

「危機」を感じる人も多かったのだ。

特に天皇の憂いは深かった。

自分が生まれる前にどれだけ先帝が悩んでいたか、今になってわかる。

側室を持たなかった先帝は自分と弟が生まれるまで正確に2年おきに子供をもうけた。

自分が生まれるまでに母は4回出産している。合計で7回。

子福者と人はいうからも知れないが、先帝にとって毎回の出産がどれ程のプレッシャーだったか。

結婚してすぐに男子に恵まれた自分には想像も出来ない。

 

今、自分に孫は2人。それも内親王しかいない。

アキシノノミヤは結婚してすぐに子供をもうけた。キコはまだ若いから、皇太后のように何度でも出産が可能だろう。

ついせんだって、学習院の修士課程を修了したと聞いた。

子供を二人育てながらよく頑張ったものだと思う。キコの静かな粘り強さは天皇にとって好ましいものだった。

 

だが・・・・立場が問題なのだ。

せめて皇太子妃が1人でも産んでくれれば、大っぴらにアキシノノミヤ家にもといえる。

天皇は、世間が皇太子妃を異常に持ち上げている事実を知っていた。

マサコが結婚して以来、今に至るまで全く「皇室」の生活を受け入れていない事は明白な事実だ。

しかし、天皇は「受け入れていない」のではなく「出来ない」のだと感じている。

無論、そんな事をはっきりと口に出すわけにはいかない。

だから皇后を通じて東宮職には有能な人材を置き、何とか「妃」としての義務を伝えようとしている。

しかし、そんな事をすればするほどマスコミが

旧弊な皇室に馴染めない可哀想なマサコ様」とあおる。最近では外国の新聞までもが

「皇室によるマサコ妃いじめ」を書く。

なぜそういう事になるのか、さっぱり理解できない。一体どんな価値観がそこにあるというのだろうか。

たかがマスコミと思って無視するべきなんだろうか。

しかし、報道が原因で皇后は倒れた。これ以上無理をして助長させる事は出来ない。

何か・・・見えない大きなものが自分に迫っているような気がした。

世間ではちらほらと「女帝」擁立問題が出てきた。

国としても、皇太子が結婚して2年以上子供に恵まれないのは「妃」に対するプレッシャーが原因として

女帝を認めれば緩和される」とし、どうかと意見を求めてきた。

それに対して「マコがいる」と発言はした。でも、それはあくまで男子が生まれるまでの暫定的な措置。

皇統は男系男子でなければ存在価値がない。

それでも「マコがいる」と発言した事で、皇太子妃への負担は減った筈。

にも関わらず毎週のように「マサコ様へのプレッシャー」報道が出るのはなぜなのか。

東宮職も宮内庁も、極力公務のスケジュールを緩やかにし、静養の機会も増やしている。

なのになぜ・・・・

 

セツ君の具合が悪いというので、キク君はすぐに宮邸にかけつけた。

セツ君は85歳。たった一人で宮家を守ってきた孤高の戦士であり、キク君にとって

実の姉以上の存在だった。

先帝が亡くなり、皇太后も「高齢者特有の病気」を発症してからは、時代取り残されたような気がする。

子供がいない悲しみ、夫への多少の不満、 名家の娘としての誇り、皇室への敬愛。

セツ君とキク君は共通点も多く、価値観も共有している。

だから、そんなセツ君が具合悪いというので、ひどく不安になったのだ。

 

宮邸は事務官と数人の侍女がいるばかり。広大なチチブノ宮邸は未亡人の一人暮らしには寂しすぎた。

セツ君はきっちりと着替えをして髪も整え、化粧もして待っていた。

お姉さま、そんなに無理をなさらずとも」というと

無理ではありません。どんな時でもこういう風にしか出来ないのよ」とせつ君は笑った。

お加減が悪いとお聞きしたのです」

ええ・・さすがに歳かしら。宮様の元へ行くのももうすぐね。宮様は待っていて下さるかしら?

もう私の事など忘れたんじゃないかしら」

お姉さまったら」

キク君が怒ったように言うと、セツ君はうっすら笑う。

だってお別れしてから随分経つもの。私がいなくなったら誰が宮様と私を思い出してくれるの?

こういう時は子供がいなかった事を悔やむわ。宮家の跡取りを産む事が出来なかった。

本当に申し訳なくて。宮様にとって私は何だったろうと思うのよ。少しも役に立たない妻で・・・

テイメイ様は私を責める事はなさらなかったけど、でもきっと失望されていたわね」

だったら私だって。私もテイメイ様の肝いりで入内したんですもの。でも結局後継ぎにめぐまれず。

後悔というか、情けなさというか。今でも時々私の心は痛みますわ」

でもお上にはお子様が3人おできになった」

ええ・・ノリノミヤは私にとって大きな慰めです。あの子が無事に降嫁するまでは何とか生きていたいと思います」

あなたには楽しみがあるわね。私も・・結核予防会の総裁をキコ妃に譲ったのよ。キコ妃なら必ずやり遂げるでしょう。

あの子には会津の血が流れているもの。

最近ではキコ妃がマコやカコを連れてくる時だけが安らぎなの。私が死んだらこの屋敷を宮家に上げるわ。

遺言として残すつもりよ。今の職員用宿舎なんてとんでもない話。お上は一体何を考えているのか。

アヤノミヤは妃選びを間違えなかった。それだけでも皇室にとって救いなのに」

なのに・・・?どうかなさったの?」

ちょっと・・・侍女を呼んで」

セツ君が声をかけると、控えていた老女と呼ばれる古参の侍女頭が部屋を出る。

まもなく若い侍女を一人連れてきた。

さあ、聞いた事をお話なさい

宮妃の言葉に緊張しまくっていた侍女は、恐る恐る語り始める。

あの・・・東宮職がキコ様に・・皇太子妃殿下がお世継ぎを出産するまでキコ様の出産は控えるようにと」

何ですって?」

キク君は思わず立ち上がりそうになった。そのすごい剣幕に侍女が飛び上がる。

「噂でございます」

どこからその話を?」

「申し訳ございません!」

侍女はしくしく泣き出した。

怒っているのではないの。正直に話しなさい。これは重要なことなのよ」

セツ君が優しく語りかけると侍女はやっと泣き止んだ。

「あの・・・東宮職の女官が話しているのを女嬬が聞いて」

「東宮職がアキシノノミヤ家に出産制限をしたというのね?」

はい。カコ様が御生まれになった時、マサコ妃殿下がとても気を悪くされて。それで東宮侍従長が

直接宮家に行って申し出たとか」

なぜそんな事を?」

何でも東宮家よりアキシノノミヤ家に先に親王様が生まれたら都合が悪いと。身位の事で。

つまり・・宮家の親王の方が日嗣の皇子より年上になるのは・・・」

馬鹿馬鹿しい!」

キク君は憤慨して叫んだ。

でしょう?」

セツ君はため息をついた。紅茶が冷えたので侍女はそのカップを持って急いで下がった。

私もにわかには信じられなくてね。まさかお上がそれをお許しになる筈ないと。で、最初にヤマシタ

東宮侍従長に聞いたの。あれは皇太子妃擁立の立役者の一人でしょう?まあ、尻尾を出すわけ

ないわね。あくまで否定。じゃあ、そういう事を言われた事実があるのかアキシノノミヤ家にも聞きました。

無論、宮家が告げ口なんてするはずないし。キコ妃は笑ってそんな事は・・・と。でも顔色をみて

わかりました。言われたのよ。絶対に」

どうしてそんな事。これは皇統の未来に関わる重要な事ですのよ。皇太子妃の心がどうのとは言って

いられないでしょう。お姉さまにも私も子供がいない。ミカサノミヤ家も女性ばかり。テイメイ様が

4人も親王を挙げられたとはいっても、今はこのていたらく。それを考えたら産児制限なんて」

要するにね。皇太子夫妻は出産を自分達だけの問題であると思っているのよ」

自分達だけの問題ですか?国家の問題とは考えていないのですか?」

一連のあの夫婦のやり方は全部そうでしょう。何でも個人的な感情でしか考えない。

皇太子は将来国を背負っていくという自覚がないのね。それ以上に皇太子妃にその気がない」

何という事でしょう。アキシノノミヤ家だって内親王が二人いるきり。このままでは宮家は絶えます。

どうしたって後継ぎの親王が欲しいでしょう。どちらが生まれるかは天の配剤。だからこそ

可能なうちは何度でも出産して頂かないと。タカマドノミヤ家だって3人立て続けに頑張ったけど

女王ばかりで。ああ・・・何という事でしょう」

どうしてなのかわからないけど、お上が・・いえ皇后陛下は皇太子妃に甘いわ。恐れているといっても

いいでしょう。何か私達にはわからない力が入り込んでいるのかもしれない。とはいえ、子供を産むな

と言われたキコ妃が不憫でねえ。皇室が、もう私達がいる世界とは大きく違っているのは確か。

だから力を貸してあげたくても出来ない。ああ・・・あの時、民間から妃を貰ったからこんな・・」

セツ君はちょっと苦しそうに息を吐いた。老女が慌てて背中をさする。

この所、胸が苦しくなるのよ。私も長くないわね」

お姉さま」

「私の忠告などお上はお聞き入れにならないでしょう。あの時のしこりが残っているから。

だから私ももう何もいいません。皇統の事は皇統につながる方がお考えになればいい事。

私のように後になにも残さない妃にはいう資格なんて。でもやっぱりキコ妃が気の毒で。

アヤノミヤは東宮と違って表面的には亭主関白で妻を庇う事もしない子。だからキコ妃は

黙って我慢するしかなくてね。でも、私はキコに親王様を産ませてやりたい。

皇室の将来を託したい。私が死んだらアキシノノミヤ家を見守って下さい」

セツ君の言葉はキク君の心に深く刻まれた。

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」97(曖昧なフィクション)

2013-02-14 09:24:10 | 小説「天皇の母」61話ー100話

ダイアナ妃が日赤を訪問した事はパパラッチによって世界中に配信された。

大震災の写真の前のダイアナ妃によって、震災の傷がより一層正確に世界に伝わったと言えるし

ボランティアや支援の輪が広がるきっかけにもなった。

 

一方、2月23日が皇太子の誕生日という事で、その数日前に記者会見が開かれた。

当然、記者達の質問は震災関連の話になり、震災直後に中東訪問を強行した事や

いまだに被災地に行かないことなどがあげられた。

それに対して皇太子は、多少しどろもどろになりながら書かれた文面を読む。

天皇陛下は常に象徴として国民とともに苦楽を共にするという

精神的な立場に立つと言っておられます。


近年では,雲仙の普賢岳の噴火の折,そして,北海道南西沖地震の折被災地を訪れられ,

お見舞いをされました。

また,この度の大震災の折には地震の発生の直後からできるだけ早い時期に

被災地を訪れられることを希望されつつ,交通が途絶し,救援物資の調達もままならない

現地の状況を気遣われ,救援活動を何よりも優先させなければならないとのお気持ちで,

よい時期に現地を訪れることを希望され,先日お見舞いをなされました。


また,地震の発生直後から格別のご心痛をもって被災地の状況をお聞きになり,

お見舞いの意を表され,また,お見舞いの言葉,そしてお見舞金を賜られました。

私も天皇陛下のこのようなお気持ちを体し,この度の大震災で亡くなった方々に心から

哀悼の意を表すとともに,被災者の方々がこの困難な状況を一日も早く克服されることを

心より祈っておりますし,また,今回の震災の甚大さとその規模に鑑み,

現地の状況を見,現地を訪れ,被災者の方々を少しでもお励ましできればと思っております。


また,避難所であるとか,復旧作業の現場ですとかそのような場所を訪れ,

避難所におられる方々や救援・復旧活動に当たっておられる方々を少しでも

お励ましできればと思っております」

だったらなぜすぐに行かないのだ・・と誰もが言葉を飲み込む。

言葉は丁寧でも皇太子の言いようはどこか他人事のような冷たさがあった。

 

記者達が「中東訪問について宮内庁に抗議があった事」などについて質問すると

このことについては,出発前にも申し上げましたとおり,私としては非常にしのびない,

日本を離れるのは,非常にしのびない気持ちではあったわけですけれども,

政府の方針に従って中東地域を訪問したわけであります。

それで,ヨルダンにあっては日程を,これは政府の方針で日程を短縮して,

そして日本に戻ることになったわけですけれども,いずれも私のこういう公式な外国訪問につきましては

すべて政府の閣議了解を経なければいけないという事情がありますので,

その辺の訪問については政府の方針に従ったわけであります」

この文章は全て皇太子が作っているのだろうか?

「政府」という言葉が短い中に4つも入っている。それによって「私には責任がない」とでも

言っているような妙な不快感があった。

確かに、皇族の海外訪問は政府が決める事であり、「行きたくない」から行かないというわけには

いかなかっただろう。

しかし、震災後にも関わらず強行した背景にはマサコの元の職場である外務省のごり押しが

あった事は明白であったし、その理由もまた明白だった。

現地に随行した記者達の中には、マサコの見事な紅白の衣装や、ラクダレースで騒ぐ姿を

目撃しているものも多く、その横で楽しそうに嬉しそうに笑っていた皇太子を知っているのである。

 

1週間後に被災地を訪問するという事ですが、今まで何をしてきたのか」という質問には

「この間,帰国しましてからは被災状況についての話を伺う機会がありましたし,

それからまた,日を追って被災地の状況などをニュースそれから新聞等でもって見る機会がございました。

私としましては今,どういうことができるか,いろいろ考えていたところでありますけれども,

今度,現地に行きまして少しでも被災者の方々をおなぐさめすることができればと思っております。


また,先程の質問に追加させていただきますと,

中東を訪問している最中もやはり,ひとときもこの神戸の被災地で亡くなられた方々,

そして苦しい生活を送っておられる方々のことは頭を離れることはありませんでした」

積極的に情報を収集したのではなく「伺う機会があった」という言葉に失望する記者も多かった。

進講と説明で2度しか話を聞いていないし、次々に関係者を呼んで話を聞く天皇と皇后の姿勢とは

真逆であった。

もしかして、皇太子夫妻はこの未曾有の震災について完全に「自分には関係ない」と思っているのでは?

とってつけたように「中東訪問をしている時も頭を離れなかった」と言ってはいるけど

それではラクダレースでの騒ぎ方は何だったのだ?

遺跡を訪問した時も夢中でカメラをぱしゃぱしゃとって、夫婦ではしゃいでいたではないか。

 

両陛下と被災地訪問について話をしたか」という質問に関しては

私も先日の両陛下のご訪問の様子はテレビや新聞等で見ましたし,

それからまた,両陛下からもいろいろお話を伺う機会がございましたけれども,

先程も申し上げましたように,救援活動を何よりも優先させなければいけないというお気持ちで,

そして,現地でよい時期に現地を訪問したいというお気持ちを強く持っておられて

この度のご訪問がなったわけですけれども,現地において両陛下が親しく被災者の方々を

励ましておられる様子を私も拝見し,ほんとうに両陛下もとても大変でいらっしゃったと思いますけれども,

大変,その辺を立派になさっておられるように拝見いたしました。


それからまた,両陛下からも具体的にどういう話ということは申し上げられませんけれども,

被災地でのことをいろいろ伺うことができました」

本当に話を聞いたのだろうか?

記者達は速記をとりながら首をかしげた。

重複する言葉の数々、回りくどい言い方で本当は何を言いたいのかわからない文章。

皇太子はこういう喋り方をする人だったろうか?

どこかで記憶が・・・・記者達ははっと思い当たる。これはマサコが婚約記者会見で話したあの

独特な言い回しとそっくりだったのだ。

 

マサコと被災地訪問について何か話しているか問われると

まだ具体的には私、二人の間では今後考えていくことだと思いますけれども

両陛下のなさりようを拝見しながら、行く先々でどういう風に被災地の方々を

励ましていくか、私達としてまた考えていきたいと思っています」

ちょっと待て・・・あと1週間で訪問だというのに、これから考えるのか?

 

記者会見は大失敗・・・の筈が、本人的には大成功だった。

2月26日、ようやく皇太子夫妻は被災地に降り立った。

黒の長いスカートをはいたマサコは「ご懐妊か?」と思われるほどに太っており

マスコミのカメラの前以外では終始不機嫌だった。

それでも被災地の人々は「皇太子夫妻が来てくれた」と喜び、気をよくした宮内庁はさらに

3月2日も訪問するスケジュールを組んだ。

 

それによって3月12日に待ちかねたようにアキシノノミヤ夫妻が訪問、4月30日には

ノリノミヤが訪問、そして5月にはヒタチノミヤ夫妻が訪問する事が出来た。

しかし、皇太子夫妻のせいで被災地訪問が遅れ、ダイアナ妃など外国の王族の方が熱心・・・というイメージは

今後なかなか払しょくされないのであった。

 

3月20日、いわゆる「地下鉄サリン」事件が起き、日本は初めて「テロ」の恐怖と対面する事になった。

サリンがまかれた地下鉄は皇居の二重橋駅と通る路線。

つまり、皇居の目と鼻の先で起こった事件という事になる。

何十人もの人が亡くなり、数百人にに上る被害者をだした新興宗教団体によるテロ事件に日本中が恐怖した。

今上の御代になってから、バブル景気の余波に浮かれ、自分を見失い、信仰に救いを求める人が増えてきた

のも事実で。それがまさかの「日本を潰す」計画を持つとは。

戦後から今まで、日本人は自分の国の繁栄をひたすら願ってきた。

敗戦国としてみじめな思いをしても、国民全部で復興する事だけを夢見て生きていたのだ。

その甲斐があって、日本はアジアでも最高の発展をとげ、今やアメリカにも匹敵する勢いのある、影響力のある

国になった。

それがまた軋轢を生むのであるが、それでも日本人は走っている足を急には止められないのだった。

 

しかし世界は次第にキナ臭くなっている。

湾岸戦争が起こり、パトリオットが人々を確実に殺していく。

どの国がどの国と手を結ぶのか、敵なのか味方なのか・・・日本としても無関係ではない。

今の今まで中近東の内戦や戦争とは無関係に生きてきた日本人ではあったが

自衛隊派遣によって、そうも言っていられない。

という事はそれだけテロの恐怖が増える事になる。

国内あっては、過激な無政府主義者がテロや無差別殺人を起こし、世界にあっては

国を標的にするテロが起こる。

1980年代には活発だった王室同志の交流、とりわけ訪問したりされたりというような事が

次第に減ってきたのだ。

東欧・北欧などの王室が、大陸内でそれぞれ交流するにとどまる。

重要な行事でもなければ日本に来ることもないし、行く事もない。

マサコにとって、それは予想外の出来事だったし、それこそ「約束と違う」という思いで一杯だった。

外国へ行けるって言ったじゃない

といくら皇太子に訴えても「それは政府が決める事だから」としか答えがかえってこない。

時節が悪い、もう少しすれば・・・そんな表面的な慰めが通用する程、マサコは甘い人間ではない。

これ以上、皇室の中にいたら気が狂いそうだった。

「3年は子供をつくらない」と宣言していた、3年がもうすぐやってくる。

公務の兼ね合いがあるから、皇族は好きな時に妊娠とか・・予想外の妊娠が許されない。

それでも宮内庁の配慮で、いつ妊娠してもいいようにスケジュールはゆったりとってあるし

週に3日は休むようにしている。

これだけ配慮されていても、マサコは懐妊しなかったし、またする気もなかった。

皇太子の事は嫌いではない。

でも男性として見る事が出来ない。それでも結婚したのは、ただ父親に言われたからだ。

結婚すれば父親に認めて貰える。さすがにわが娘と言われる。

父の願いは外交で「マイドーターイズプリンセス」と自慢する事なのだから。

けれど・・・本当の自分は一体どこに?

宮中祭祀も、接見も会釈も地方視察も、何もかもマサコにとっては「嫌い」な事だった。

毎年行われる歌会始めの為に歌を詠む事もたまらなく嫌いだった。

それは自分には、文才もなければコミュニケーション能力もない、ただ座っている事すら出来ない

という欠点を浮き彫りにする事だったから。

小さい頃に持っていたとコンプレックスが頭をもたげてくる。

せっかく、ハーバード大出の外務省勤務という普通の女性は手に入れられないような栄光を得たのに

やっと優越感にひたっていたのに、今や思い出すのはフタバで劣等生だった自分、問題児だった自分、

父のがっかりした顔など等。

さらにアキシノノミヤ妃の変に優等生な顔つきが余計に自分をいらだたせるのだ。

ああいう子、昔、クラスにいたような気がする。

しらっとして控えめなくせに何でも出来る。それを自慢しようともしない。

ああいういい子ぶりっこが一番嫌いなのである。

不得意で苦手で嫌いなものばかりの世界。まるで悪夢だ。

今やキコ妃と同じ衣装を着て、彼女の泣きそうな顔を見るときと、皇居で皇后の隣に立つ自分に

みながひれふす時、バルコニーでお手ふりした時くらいしか楽しい時がなかった。

もう何もかも嫌」

マサコは次第にひきこもりがちになった。

誰にこの怒りをぶつけたらいいのか、それがわからないので余計に落ち込むのだった。

彼女が救いを見出したもの。それは古今東西、傾国の妃がやってきた「贅沢」だった。
 

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」96(いけいけフィクション)

2013-02-13 09:03:13 | 小説「天皇の母」61話ー100話

東宮職は上を下にの大騒ぎだった。

イギリスのダイアナ妃が来日するという。

ダイアナ妃といえば、若干20歳でチャールズ皇太子の妃になり、あっさり男子を二人産むものの

夫の浮気に傷つき、本人も奔放な生活をする女性。

世界一の美貌と、抜群のスタイル、ドレスのセンスはピカイチ。

まるで「古きよきイギリス繁栄の象徴」のようで「イギリスの広告塔」とまで言われた。

その一方で、福祉活動にも熱心。

地雷撲滅運動に精をだし、貧困の街を訪れ、自分についてくるパパラッチを利用して

世界に発信していく・・・・という意欲的な活動を行っていた。

そのダイアナ妃が阪神の大震災を受けて緊急来日し、慰問したいというのだ。

赤十字関係の施設と活動状況を視察。さらに被災地へ行き、被災者達を慰めたいとの希望。

実はこの件について、宮内庁も突然の事でどう対処したらいいかわからなかった。

というのも、震災以後、天皇・皇后が被災地を訪れたのが1月31日。

赤十字関係にはまだ行っていない。

そして皇太子夫妻はまだ被災地にすら行っていないのだ。

身位の関係上、上からでないと行動できない。

皇太子夫妻が被災地を訪問しない為、アキシノノミヤも他の宮家も行動できない。

 

という事で、東宮職としては一日も早く皇太子夫妻に被災地に行くよう説得し始めた。

しかし、皇太子はともかくマサコは絶対にうんと言わない

そういう所には行きたくない」

その一言だった。

しかし、両陛下も訪問していらっしゃいますし、皇室の在り方として国民と苦楽を共にする

というのはいわば義務。そうでないと国民の心が皇室から離れてしまいます」

東宮大夫、侍従長、女官長揃っての説得だった。

それでもマサコは首を縦に振らない。

がれきの山なんかを見たくないし、私達が行ったとしても震災が消えてなくなるわけじゃない。

みんな、暗い顔してがれきを指さしてここはいついつどうだとか説明し始めるのが嫌。

お偉いさん達の愚痴を聞きながら深刻な顔して一緒に食事をしたりしたくない。

私達、せっかくの旅行を中断して帰ってきたのよ?それだけで十分じゃない?」

このセリフにはみな唖然として言葉も出なかった。

皇族というのはそもそも国民に寄り添って・・・」

私は皇室外交をする為に入ったの。被災地訪問とか約束になかったから」

マサコは怒鳴った。

そうでしょ?ナルヒトさん」

妻から名前で呼ばれてしまった皇太子は黙っていた。

大夫達は皇太子が妃を叱ってくれるのを待った。今の今までそんな事を言い出す皇族は

見たこともなかった。

きっと皇太子もそうだろう。だから・・・・

確かに約束はしてなかった・・・・と思う」

予想外のセリフにみな目が点になった。

でもそれは、こんな大きな災害が起こると思っていなかったしね。マサコが言う通り

中東から予定より早く帰国した事だし。普通ならまだあっちにいたかもしれないんだし。

まだ行かなくてもおかしくはないと思う。マサコは疲れているんだよ。

そんなにすぐにあちへ行けだのこっちへ行けだのと命令して欲しくない」

しかし・・・ダイアナ妃は」

「それはそっちでうまくやって」

皇太子の無責任な言い草に職員はいら立ちを怒りに変えた。

しかし、東宮大夫は怒るわけにもいかないのでとりあえず格好をつける為に

1月30日に日赤の会長に被災地の救助関係の進講をさせ、さらに2月1日には

警察庁長官から被害状況の報告をさせた。

皇太子はそれなりに真剣に聞いている感じだったが、

なぜこんな大きな地震が起こったのでしょうか」

などと場違いな質問をし、彼らが答えに窮する場面も見られた。

マサコ妃に至っては、報告を聞けば聞くほど被災地に行きたくなくなったらしく、

最後はあからさまにうんざりした顔をするので、早々にお引き取りを頂いた。

マサコの心は来日するダイアナ妃がどんな服装で来るか、彼女と笑顔で挨拶を交わす

自分の姿を想像して、うっとりしていた。

あの世界的に有名なダイアナ妃と自分は直に話す立場にあるのだ。

対等なのだ・・・そう考えるだけで嬉しかったし、皇室に入ってよかったと思った。

 

そして2月8日。

ダイアナ妃は颯爽と日本に登場した。

震災に配慮してか、濃紺の上下スーツにベルベッドの黒襟がついた、キャリアウーマンのような

服装だだった。その服はダイアナ妃の金髪を引き立たせ、まぶしいくらいに美しく見せている。

そして、彼女を東宮御所で迎えたマサコの服装は、ロイヤルブルーの上下スーツにベルベッドの

黒襟がついた・・・・ダイアナ妃とほとんど同じデザインだった。

賓客よりも少々派手な色を着ている、しかもほとんど同じデザインの服にマスコミは

「お揃い」と言ってはやし立てたが、当のダイアナ妃は一瞬、どきっとして、それから

憐れむように穏やかに笑った。

そもそも、マサコは皇族方の服装も真似る傾向があった。

皇族方が揃って出席する時の服装、晩さん会のドレスまで、まるで「お揃い」のように

色や形やデザインすら同じように作ってしまう。

女性皇族のファッションは皇后が何を着るかで決まる。かぶらないように目立ちすぎないように

違ったデザインのものを着るのが通常。

さすがに皇后とバッティングする事はなかったが、マサコはキコ妃やミカサノミヤ家のノブコ妃の

服を事前に取り寄せて、それとそっくりに作る。

ただ一つ違うのはマサコの方が生地が上質になる事。

結果的にいたたまれなくなるのは、身位が下の者で、かといって文句を言う事も出来ず泣き寝入り。

マサコにしてみれば、いわゆる「プロトコル」がよく呑み込めないので、とりあえず身近な人と

同じ格好をしていれば、誰にも責められないと踏んでいるらしかった。

それをまさか外国からの賓客に行うとは・・・・

マサコ様とダイアナ妃は強い友情で結ばれている。お揃いの服はその証」と

マスコミは持ち上げたが、それを見せられた皇后がいかに驚き、失望したかは想像できまい。

 

ダイアナ妃は日赤訪問を希望していた。

しかし日赤として日本の皇族をまだ誰もお迎えしていない以上、来て頂くわけには・・・と

丁寧に断ろうとした。

皇后はそれに対して「私達の事は考えなくていいから、ダイアナ妃のよいように」と言付け、

ダイアナ妃は無事に日赤を訪れる事が出来た。

しかし、最後まで希望していた被災地へは行けなかった。

表向きは「まだ震災直後で妃に何かあったら大変だから」「お迎えしても対応できない

だったけれど、実は皇太子夫妻が行ってない事が一番大きな理由である事は

よくわかっていた。

その皇太子夫妻が行かない理由についても

両陛下が訪問された時も被災地は気を遣って大変だったろう。それから間もないのに

皇太子夫妻が行くのは被災地にとって負担であると思われたから」というわざとらしい

理由をつけ、それを「マサコ様の気遣い」であると宣伝し、さらに「ご懐妊の可能性」を

ほのめかして正当性をつけた。

 

外国の妃殿下ですらこんなに日本の心配をしてくれているのに

ダイアナ妃の日本における意欲的な福祉活動は、国民に大きな感銘を与えた。

ことさら東宮職員は彼女の気さくな性格と、優雅な身のこなし、そして優しさに感動した。

マサコが入内して以来、職員らは毎日ぴりぴりしてストレスだらけの日々を送っている。

時間通りに決められた事をするだけなのに、なぜこんなに一々うまくいかないのか。

二言目には「そんな約束していない」といい、何が何でも拒否の姿勢を貫く。

その頑固さには本当にへきえきするのだ。

職員らの心にわきあがった「外国の・・・」の思いは至極当然の事だった。

マサコも暗に責められているような気がするのか、一層部屋に

引きこもり、女官長とすらあまり口をきかなくなった。

部屋の中を真っ暗にして壁に向かっていると、ふつふつと怒りがわきあがる。

なんで私がこんな事で罪悪感を覚えなくちゃいけないのか」と。

そもそも皇太子と結婚なんかしたくなかった・・・・彼女が考える最初はいつもこれだ。

お父様が言うから」そう思うとたまらなくなり、国際電話をかけたりする。

全然違うじゃない。外国旅行も出来ないのに、汚い所へ行けだのつまらない事ばかり

強要されるの。こんなの嫌」と。

聞いているユミコはおろおろして「まあちゃん、落ち着いて」と言い、

ヒサシは「もう少し待ってろ。何とかしてやるから」という。

愚痴の電話にうんざりしているヒサシは、すぐに外務省と連絡を取り、職員の入れ替えを

示唆し、少しでもマサコの要求が通りやすいような人員配置にしようとする。

今はまだ平の職員ばかりだが、そのうち、侍従長や女官長なども外務省絡みで揃えようと思った。

毎日のようにかかってくる電話を避けるのには、マサコの「わがまま」を聞くしかないのだから。

全く、あの皇太子は自分の妻をおさえることもできんのか。使えない奴だ」

ヒサシの耳にも皇太子夫妻のある程度の評判の悪さは届いていた。

ここまで娘が精神的につらい立場になるとは予想もしていなかったので、皇室という闇の深さに

驚くと共に「何とかしなくては」と思った。

正しいのは皇室じゃない。我々である事を知らしめないと。

 

皇太子夫妻が一か月経っても被災地に行かない事について、次第に問題になりつつあった。

いくら女性週刊誌がかばいだてしても、その言い分が通らない事くらい、国民にも

わかっていたから。

どうして被災地に行かないのか」という素朴な疑問をマスコミはぶつけたし、

宮内庁は四苦八苦する。

行きたくないのか行かせないのか、どちらなのだ?という事だ。

宮内庁としては、自分達のせいで皇太子夫妻が行けないという事にされるのは

まっぴらごめんだった。

なんせ、拒否しているのはマサコ妃そのものだったから。

では皇太子殿下だけでも」というと

そしたついて行かない私が悪者みたいじゃない」と怒り出す。にっちもさっちもいかない。

そのうちに2月も中旬になり、皇太子の誕生日記者会見が来てしまった。

 

 

 

 

 

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」95(魂のフィクション)

2013-02-05 07:37:34 | 小説「天皇の母」61話ー100話

お帰り」

天皇も皇后も待ちかねたように皇太子夫妻を迎えた。

皇太子はにこやかに「ただ今戻りました」と答えた。

「それでどうたった?」

という天皇の問いに

はい。とても楽しかったです。あちらは昼間はひどく暑いんですが夜は逆に寒くて。

でも国王・王妃両陛下や皇太子殿下に大変よくして頂き、有意義でした。

マサコも随分喜んで」

あまりに天真爛漫な答え方に天皇は絶句し、一瞬われを忘れた。

楽しかったって今日本はどのような状況か・・・」

そのわりには皇太子妃の顔色がすぐれませんね」

珍しく皇后が横やりを入れる。先ほどからマサコは延々と黙り込んでいたのだった。

マサコは疲れているんです。予定を変更して帰って来たものですから」

皇太子が慌ててとりなす。飛行機の中で散々「何で早く帰らないといけなかったか」と

愚痴られ続けて、これ以上のごたごたは御免だったからだ。

阪神の大震災では多くの人が犠牲になりました。疲れてはいるだろうけど一日も早く

被災地を訪問し励まして下さい。私達も明日、行きますから」

マサコは答えなかった。

天皇も皇后もなんて失礼な態度だろうと思ったけれど、あえて何も言わなかった。

どうしてそういう態度をするのかさっぱりわからなかったからだ。

 

1月30日、天皇・皇后がそろって被災地を訪問し、避難所で暮らす人々を慰めた。

まだ寒さも厳しい避難所にはござをしき、荷物等でしきっただけの区画に大勢の人が

暮らしている。それぞれ家族を失い、家を失い、途方にくれている人々だった。

今、この瞬間ですらあの日、何が起こったのか信じられない。

ほんの数分前まで優しい眠りに包まれていた筈なのに、一瞬にしてそれががれきの山に

変ったのだ。迫りくる火の海の中を着の身着のままで逃げ惑う。

崩れた建物の下敷きになっている人々を助ける手立てすらみつからず、ただ

誰か・・・お願い」と声を振り絞るしかなかった。

あれからわずか10日ばかり・・・ようやく始まった政府の支援、自衛隊の出動、

そしてボランティアの協力で、避難所に食べ物や生活必需品がわずかばかり

届くようになり。

そんな中、いきなり「両陛下が訪問されます」と言われても、彼らはどういう顔をして

迎えたらいいのかわからなかった。

両陛下の思し召しで、特別な事は何もしないように。ありのままの姿を見せて下さい」

特別な事などできようはずもなかった。

だけど、両陛下がこんな・・髪を振り乱し、着替えも風呂もままならない人達を見て

どう思うだろうか。天皇や皇后と言えば別世界の人間で、誰でもが気軽に会えるという

わけではない。

それでもある程度の年齢層にとって「美しいミチコ妃」はカリスマであったし、

「冥途の土産に」などと言い出すものもあった。

天皇が来たって何をしてくれるっていうんだ。食べ物をくれるのか?

贅沢な特権階級の奴らが来てお世辞を言っても意味がない」

と若い過激な連中は叫び、あおりたてる。

 

そんな中、マイクロバスが到着し、比較的元気な被災者が迎える中、天皇と皇后が降り立った。

みな一斉にうなだれる。

よく・・生きていて下さいましたね

皇后の口から息を吐き出すような小さな小さな声が聞こえた。

「ああ・・・お声が・・・まだ・・・」

ちらっと皇后を見ると、優しい微笑みが見える。

しっかりね」

彼らが圧倒されている間に、天皇と皇后は避難所に入って行った。

被災者は身動きせず座っている。

天皇はゆっくりと彼らを見まわし、それから1区画1区画にスリッパをぬいで

膝をついて座った。

その事にみな驚き、言葉を失った。

無事でなによりでした。家族は?体の方はどうですか?」

「はい・・地震の時、家が崩れて・・・」

天皇の誘うような問いかけに、黙っていようと思った彼らの重い口が開く。

火事で一面火の海になってですね・・・子供が下敷きになって」

辛い思いをされたね。でもこれからしっかりと自分の体を守って」

無事でいてくれてありがとう。しっかりとお父様お母様を支えてね」

そう言われた子供は1も2もなく「はい」と答えた。

そこには不思議な光景が広がっていた。

「皇族なんて」と言っていた若者たちが全員、きっちりと座って自分の順番を待ち始めたのだ。

誰もが冷静に迎えようと思っていたのに、いざ、天皇や皇后の姿を見てしまうと

頭が真っ白になる。だのに次から次に言葉があふれ出て、次第に涙もあふれてくるのだ。

死んだ方がよかった

泣きじゃくる女性の肩を抱いて皇后は「しっかり

生きてね」と励ます。

時々手話を交えて話す皇后にみな感動した。

未曾有の災害が起きた今、生まれて初めて「皇族の存在意義」を見たような気がした。

陛下、お寒いですから

随行員がそっと囁く。

大丈夫

天皇のはねつけるような言葉に言葉を慎む。

若い時から一旦こうと決めると意地でも貫き通す、そんな天皇の強さを見た。

 

時間を延長しての避難所訪問は一か所にとどまらない。

被災地を視察し、黙礼を捧げ、そして被災者を励ます。

皇后は胸のあたりで両手を握って「元気で」と励ます。

この手話はアキシノノミヤ妃に習ったものだった。

まだ失声症を引きずっている皇后にとって手話は彼らと話す大きなツールとなっている。

戦後最大の地震が起きて、わずか10日あまり。

天皇と皇后の献身的な励ましはこれからも続いていく。

 

東宮職では、帰国した皇太子夫妻の被災地訪問を調整し始めた。

身位の問題で、高い身分の者が動かないと下の者は動けないのである。

高齢の天皇・皇后が被災地を訪問した以上、一日も早く皇太子夫妻が訪問しなければ

ならない。

ところが。

「そういう所にはいきたいくないわ」

東宮大夫は耳を疑った。

マサコの言葉だった。

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韓国史劇風小説「天皇の母」94(衝撃のフィクション)

2013-01-31 08:03:41 | 小説「天皇の母」61話ー100話

1月17日。早朝に神戸を中心とした大地震発生。情報の遮断で首都圏には

正確な情報がなかなか伝わらず。

1月18日。東宮夫妻が出発の為に参内。マサコは出発前の記者会見において

国内でこういう事が起きている直後に国を離れるという事は大変・・

しのびないという言葉がよろしいんでしょうか・・・そういう気持ちでございますが

あちらにおりましても国内で苦しんでおられる方々の事を忘れず、

一刻も早く立ち直られる事日々、祈っております」

多くの国民もマスコミも、その言葉に偽りがあるなどとは思っていなかった。

誰もが「以前から決まっていたのだから仕方ない」と理解したし、むしろ日本の為に

頑張って欲しいとすら思った。

一部の識者達が「訪問を中止すべきだった」と雑誌に書いても誰も耳を貸さなかった。

 

1月21日。夫妻はクウェートに到着した。

皇太子もマサコも日本国内での暗い雰囲気から抜け出した喜びで顔が輝いている。

特にマサコは中東の豪華できらびやかな装飾に心を奪われた。

やっぱり石油の国はお金持ちね。ここに比べたら東宮御所なんて紙で出来たボロ家だわ」

早速クウェートのジャビル首長を表敬訪問。

この時、マスコミはマサコが着ていた衣装に一瞬、目を疑った。

それは鮮やかな真っ赤なドレス。そして大きな真っ白のショールをはおっていたのである。

胸元のネックレスも白で、誰が見てもそれは「紅白」だった。

マサコは豪華な衣装を身につけた事で気分が高揚しており、いつになく喜色満面。

金に糸目をつけないゴージャスなもてなしにうっとりしている。

紅白・・・って。そりゃあないんじゃないか?」

同行取材のマスコミから一部そんな声が聞こえる。

「だって日本では・・・」

衣装は最初から決まっていたんだから仕方ないだろう」

でも何となく能天気っていうか、震災が起きてからまだ4日だぜ。なのに皇太子も妃殿下も

あんなに嬉しそうな顔をしてさ」

陰気な顔をしたら失礼じゃないか」

でも・・・と思う。一切の陰りがない、まさに水を得た魚のように生き生きと首長と会話し

明日の観光について様々な質問をする妃の姿は、日本では見る事の出来ない姿だった。

マサコは去年から「風邪」と称して公務を休みがちだった筈。

外国に来ただけでこんなに元気になるとは

マスコミにとってそれは「最初に感じた違和感」だったのかもしれない。

1月22日、クウェート内の博物館を訪問。見事なピンク色のスーツで置いてある沢山の

お菓子に手を伸ばすマサコの姿をマスコミはとらえた。

マサコにとっては全てが夢のようだった。

金銀にルビーにサファイア。世界中の宝石をあしらった様な豪華な建物の数々。

高い天井、きらきらした衣装。日本では見た事もないような、華やかで重厚な部屋。

水さしですら金で出来ている。シャンデリアの輝きはヨーロッパの宮殿を思わせるし

エキゾチックな砂漠の景色、最高権力者達から最高のもてなしを受ける喜び。

まるで・・・おとぎ話のお姫様になったようだ。

ここでは「ダメ」という事がない。

博物館にお菓子がたくさん並べられている事でもわかるように、全て「お好みのままに」

という雰囲気である。

夕食に何かお望みのものは?」と聞かれたので冗談半分で

リードヴォー」と答えた。

皇太子は「リードヴォーって?」と尋ねる。

仔牛がミルクを飲む時に使う内臓の一部よ。大きくなると消えちゃうの。

ちょっと珍しいけど西洋料理にはよくつかわれるわ」

へえ、マサコはそういう事もよく知っているね」

皇太子は感心して頷いた。彼もまた国内を飛び出した解放感にいささか酔っている。

なにせ、ここに来る直前の日本と来たら、一日中関西の地震の話ばかり。

笑ってはいけないような雰囲気が漂い、れっきとした公務での外国旅行なのに

犯罪者が逃げるような思いで飛行機に乗らなければならなかった。

クウェートに到着したら乾いた風とサンドベージュの景色が心底心を癒してくれる。

結婚して以来、マサコと東宮職の間で気持ちが休まる暇がなかった。

何がどうしてこんなにもめるのか?というくらい。

でも、ここではマサコはいつも上機嫌だし、同行している侍従も女官も何も言わない。

それが嬉しかった。

その夜のサアド王太子主催の晩さん会では、見事にリードヴォーが出てきて

マサコはびっくりしてしまった。

こちらにはないものなのでフランスから空輸させたんですよ」

さすがにお金持ちは言う事が違う。マサコは目を輝かせた。

私達のような階級の人間は、民の幸せを守る事も仕事ですが一方でアラーの

神の恩恵を受ける事も出来る。こんな風にね」

ええ。素晴らしいわ」

皇太子の物言いはマサコの理想そのもの。ハイソな人間というのはこんな風に

贅沢を楽しむもの。贅沢を楽しむ事に躊躇しなものなのだ。

 

名残惜しいクウェートを出て23日にはアラブ首長国連邦へ移動。

痛い程照りつける砂漠の太陽の光も今のマサコには少しもつらくなかった。

大胆な色使いの服を着ても変に目立つ事もないし、むしろ賞賛される。

早速、遺跡見学では夫婦でカメラを抱え「どこの景色を撮ったらいいか」と

相談し合った。

結婚してこんなに話をするのは初めてかもしれなかった。

ここでのもてなしもクウェートに負けないくらい素晴らしかった。

ラクダレースは予想以上に興奮するもので、それを特等席でワインを片手に見る贅沢さ。

25日にはハリファ王太子と一緒にサッカーを見る。硬い椅子の席なんかじゃなくて

びっくりする程ふかふかの椅子で、テーブルにはごちそうが並んでいる。

さらにドバイ・クリークを見学し、夜に会食。

そこで出た料理も食べ切れるものではなく、とにかく「これでもか」という程

ごちそうが並べられる。それがこちらの風習なら、何と羨ましい事か。

もはや日本での震災の事など彼女の頭の中からはすっぽりと抜け落ちていた。

 

そんな日本の皇太子夫妻のくったくのない喜びように、次第にアラブ側が焦り始めていた。

自分達の提供する「石油産国ならではの豪華なもてなし」をこのうえなく喜んでくれるのは

いいのだが、その間、全く憂いを見せない事にむしろ「違和感」を感じたのだ。

もしかしてあの皇太子夫妻は我々の為に、無理して笑顔を作っているのではないか」と。

自国での震災を心配する様子すら見せない完璧な笑顔は日本人特有の気遣いではないか」と。

それなら、アラブ側としても誠意に答えなくてはなからなかった。

日本はこれから先も重要な取引相手なのだし、これ以上引き留めてあれこれ連れまわす

事はむしろ拷問に近い筈だ・・・そう考えたのだ。

26日のヨルダンでの晩餐会の席。

きらびやかな照明と大勢着飾った人達、豪華な料理を目の前にして、

ひたすら雰囲気に浸っているマサコの耳に突如、フセイン国王からとんでもない言葉が

聞こえてきた。

お国の事がご心配でしょうから、どうぞお帰り下さい」

その言葉に皇太子は、ちょっとほっとした様子で「ありがとう」と答えた。

こちらに来て、毎日サッカーだラクダレースだ、見学だ・・・と現実を忘れる出来事に

皇太子は少しずつ罪悪感を覚えていたのだ。

まだそのくらいの分別が残っていた事に、随行員はほっとした。

しかし、マサコはそうではなかった。

何でもう帰るの?あと2日残っているじゃなの。死海だってまだ見てない。

ここまで来て死海を見ずに帰るなんてありえないでしょう」

あちらの気遣いなんだよ

とうとうこの日がやって来たか・・・・またも皇太子はげそっとしてうなだれた。

たった数分前までの上機嫌な顔が一気に怒りに変っている。

神戸の震災の被害は日々広がっているんだって。その数が戦後最大になるとかいう

話なんだよ。日本は今、真冬だし、住む家を亡くした被災者が救助を待ってたりしているとか。

だから我々も早く帰って・・・」

そんなの私達には関係ないじゃない!」

マサコは叫んだ。御付の女官がぎょっとする。

私たちは仕事で来たのよ。皇室外交っていう仕事。地震の被災者がどうのっていうのは

その当事者が考えるべきで、私たちは私達の仕事をすべきでしょう。

あと2日残っているのに、こんな事で帰る事自体、相手国に失礼だし不本意です」

その相手国から帰った方がいいと水を向けられたのだから、それに従うべきで」

何よ。みんなして地震地震って・・・・何で私の仕事を邪魔するのよ」

マサコはちくちくと爪を噛み始めた。

マサコ、爪を噛むのは・・・」

だったらあと2日、何とかしてよ」

それでもどうにもならなかった。

 

27日。遺跡見学を終えて飛行場に向かうのに見送ってくれたのは

サルワット妃だった。

日本の大きな地震災害には私達のとても心を痛めておりますわ。

私達の友好関係でお互いに助け合ってまいりましょう。何でもおっしゃってね」

優しいサルワット妃の言葉に皇太子はにっこりほほ笑む。

ありがとうございます」

お国はきっと復興しますわ。信じています」

ええ。そうですね

力強い妃の言葉に対して皇太子の返事はどことなく気持ちが入っていない。

それもその筈、皇太子は横で不機嫌に黙り込んでいるマサコが気になって仕方なかったのだ。

朝から一度も会話をしてくれない妻。

皇太子はそんな妻の態度がひたすらサルワット妃に伝わらないように冷や汗をかきつつ

笑っていた。

1月28日に日本に到着した。飛行機の中から見えた日本の景色をマサコは懐かしいとも

思わなかったし、関西方面へ目を向けようともしなかった。

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」93(いつもフィクション)

2013-01-29 07:57:47 | 小説「天皇の母」61話ー100話

地震が起きた朝の時点で、関東では情報が遮断されていたため、事の大きさを把握できていなかった。

天皇はすぐさま被害の状況を聞きたがったが、誰もまともに答えられる人間はいなかった。

 

皇太子夫妻は2日後に中東訪問を控えていた。

夕方、長田地区の大火事がテレビの画面に映し出されると、

宮内庁の中では「訪問を中止すべきではないか」との声が上がり始めた。

外務省との折衝では、反対する宮内庁、行かせたい外務省との間でせめぎ合いが起こる。

これだけ大きな災害になっているのです。海外になんて行ってる暇はないでしょう」

今回訪問する国々は一度、先帝崩御の時にも訪問できなかった。今度もまたキャンセルというのは

相手国に対して失礼です」

そうかもしれないが、そこは相手の国だって配慮してくれる筈。こんな時に皇太子夫妻が行って

国内で批判を受ける方が恐ろしい」

あらかじめ決まっていた訪問なんですから反対なんてされません」

あまりにも強硬派の外務省の言い分に、宮内庁幹部も東宮職も首をかしげる。

おかしい。いつもなら事なかれ主義でそこまで積極的にはならない筈なのに。

皇太子妃のせいでしょう」

と、誰かが言い出した。

宮内庁長官ははっとする。

じゃあ、オワダ家の意向が?こんな時に海外に行かせるのがあちらの意向?」

「だってほら、マサコ様は死ぬほど海外に行きたがっていますから。去年からオワダ夫妻はアメリカへ

妹達もそれぞれ留学先へ旅立ち、マサコ様は自分だけ外国に行けないと非常に不機嫌で」

だってそれはお世継ぎを一日も早くという配慮もあるし、まだ皇室に入って1年。一体、お妃は

何の為に皇室に入ったのだ」

皇室外交する為に決まってるじゃありませんか。彼女には最初から世継ぎなんて産む気はないでしょう

その言葉に長官は絶句した。

 

こんな宮内庁の人々の感想はあながち外れてはいなかった。

皇太子夫妻は意気揚々と「中東訪問のあいさつ」の為に参内したからだ。

時間が経つにつれて被害が予想以上に大きく、テレビの画面にはひしゃげた高速道路が

つぶれたビルが映し出され、焼け野原の神戸の街に、みな恐怖した。

この大地震が山間部でもなく、日本の果てでもない、都市部で起こった事が大事だった。

美しく整えられた都会的でおしゃれで最先端を行く町が、一瞬にして崩壊したのである。

日本人なら誰も思ったろう。

高度経済成長時代、技術の粋を集めて作られた高速道路がひしゃげるなんて考えられるだろうか?

耐震設備がしっかりしている筈のビルがこんな風に簡単に崩壊?

火事があっという間に広がって、建物の下敷きになって多くの人々が亡くなっていく。

最先端の技術も、文明も一瞬にして消え、そこは無法地帯となった。

美しい街並み、おしゃれで都会的でハイソな町が今は・・・・電気がない真っ暗闇で水の確保にも苦労する。

どうやって今日の糧を手に入れようか。

生き残った人はどうやって家族の安否を確かめたらいいのか。

そんなパニックになった関西の街。

政府関係者は前代未聞の事にあたふたとして、きちんとした陣頭指揮が出来ない。

それは奏上に来る政府関係者の態度で天皇にもわかっていた。

この訪問は中止した方がいいのではないか。一日も早く被災地に赴くべきではないか」

天皇の言葉に皇太子は絶句した。

まさか挨拶に行って止められようとは思っていなかったのだ。

でも、随分前から決まっていたことですし。政府がそうしろというんですから」

皇太子は反抗的な態度でそう言った。

ここまで来て中止になるなんて考えられなかった。こちらはもう準備万端整っているのだ。

私たちが訪問を中止してもどうにもなりませんし。これは正式な訪問ですから」

天皇はいつになく熱っぽく語る皇太子に対して何も言わなかった。

 

皇太子は少々うんざりしていた。

今上の世になって以来、奥尻島の津波やら雲仙普賢岳の噴火やら、自然災害が多く起きている。

「国民と共に苦楽を共にする」と宣言した今上は、事の重みを回りの予想以上にさらに重く受け止め

そういう事が起きた時は、月命日には黙とうをささげ、祝い事を一切禁止し、外出も控えるありさま。

そうでなくても今上の信条として「日本には忘れてはならない4つの日がある。原爆の日が二つ、沖縄終戦、終戦記念日」

としてこの日は黙とうを捧げ、外出を控える風習があった。

当然皇太子もそてにならってスケジュールを調整しているのだが、そういうものが増え続けるのではないかと

心配しているのだ。

いささか過剰反応ではないかとすら思い、「面倒だな:と思っている。

マサコはその点、もっとドライな感覚だった。

すなわち、「これだけの事が起きても人々はふつうに暮らしている」という考え方だ。

神戸で地震が起こって大勢死んだからといって、日本中の人が仕事をやめるわけではない。

株式市場は開いているし、政府も仕事を続けている。つまりこれは「その場所、その地域の人々にとっては

気の毒な状況だけれど、自分達にはあまり関係がない」

という事なのだ。

皇族も同じ。こういう事態に陥っても自分達の海外訪問には何の関係もない。

ゆえにマサコの脳内では、自粛とは訪問中止とかそんな単語は一つも踊っていなかった。

 

そんな価値観の違いゆえに天皇には参内してきた皇太子夫妻が、他人事のように震災を語り

「では行ってまいります」と帰って行った事に不安を覚えた。

仕方ないのです。今回は日が迫っていたのですから

皇后がそっととりなす。 

本当にそうだろうか。あの夫婦に日本で起きた・・国体を揺るがすほどの天災に対する思いが

あるのだろうか。

 

とにもかくにも皇太子夫妻は中東へ旅立った。

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韓国史劇風小説「天皇の母」92(明らかフィクション)

2013-01-24 11:24:55 | 小説「天皇の母」61話ー100話

その日は暮れも押し詰まっていて、皇居でも東宮御所でも、無論アキシノノミヤ家でも

新年を迎える準備でおおわらわだった。

元旦の早朝、天皇は四方拝という儀式を行う。

暁の頃からいてつく寒さの中で神に国の平安を祈るのだ。

それからさまざまな宮中行事・・・そんな新年に向けての心の準備をしている時に

小さな内親王は生まれた。

親王ではなかった事にどれだけの人がほっとしただろうか。

天皇・皇后はすぐに病院にかけつけ、記者たちに「おめでとうございます」と言われると

ありがとう」と笑顔を見せる。

病室では出産を終え、疲れた顔のキコ妃と宮が迎える。

妃のやつれきった頬は単に出産が大変だったからではない。生まれるこの日まで週刊誌やマスコミ等に

よってどれだけ傷つけられてきたろうか。

どうもそういった中傷が恣意的なものであるというのは皇后もうすうすわかってはいたが

確かめるすべがなかった。

ただ「気にしないように」というしか今は出来ない。

入内以来、常に国民の人気の的であった皇后が自分の時代になって、貶められようとは思ってもいなかった。

そんな国民の心の移り変わりをどうとらえたらいいのかすらわからない。

今は自分の事で精一杯だ。宮妃の心の奥底まで追及してやるほどの余裕はなかった。

「名前は?」

カコです」

宮は答えた。「佳人のカコです」

可愛い名前だね。ごらん、この目の大きさ。誰かに似ているような」

天皇は生まれたばかりの赤ちゃんの顔を覗き込む。3歳のマコ姫は生まれた時から切れ長の目をしていた。

けれど、この姫はくるくるっと魅力的な目をしている。

先帝の赤ちゃんの頃に似ているんですわ

皇后が答えた。ああ・・・と天皇も頷いた。

肌が少々黒い所は先々帝の妃だったテイメイ似。そして顔は先帝似。

これは美人になるね

天皇の言葉に病室は一時笑いに包まれた。

 

東宮御所にも宮家の出産の報告は行っていたが、すぐに行動する事はなかった。

年明けから中東訪問があり、マサコの心はそちらで一杯だったからだ。

もし生まれたのが男子ならともかく、女子だったのだから今すぐ自分を脅かす存在ではない。

皇太子もまた、宮家に生まれたのが女児で本当によかったと思っていた。

両殿下も負けずに・・・・」と侍従がいいかけた所をマサコがきっとにらむ。

もうしばらくはないわよね」

「え・・・?何が・・でございますか?」

出産」

それはどういう・・・・侍従は答える事が出来ないまま場を退き、そのまま東宮大夫に伝えた。

アキシノノミヤ家には暫くご遠慮頂こう」

東宮大夫はいわずとしれた東宮職の長であり、東宮家の利益を最優先に考えるべき立場であった。

この先、アキシノノミヤ家にぽんぽん子供が生まれて、そのたびにマサコが落ち込んだり

泣いたりヒステリーを起こしたりするのはたまらなかったのだ。

東宮家に男子が生まれるまでの・・・せいぜい、2年か3年の間、アキシノノミヤ家には子供を作る事を

ご遠慮願おう・・・・大夫はそう思った。

それがどれほど残酷な事か、本人は全くわかっていなかったのだが。

 

一方で、宮家に生まれたのがまたしても女児だった事で、皇室内部や政府の中では

皇位継承に対する不安を口にする者も出てくる。

皇室典範において、皇位継承は「男系の男子のみが継承する」と書いてある。

「男系の男子」とはすなわち、「父親が天皇である男子」にしか皇位継承権がないという事だ。

2000年の歴史を持つ、世界一古い日本の皇室はこの「男系男子」の継承で繋がってきた

世界的に稀有な家なのだ。

では、8人いた女帝の存在はどうなるという事になるのだが。

女帝は全て「男系女子」である。しかし、一時的に男系女子が継いでも次には男系男子に戻る。

男系女子が誰かと婚姻関係を結び、この子供が後を継いだらそれは「女系」となってしまう。

8人の女帝は女系ではない。

この事が重要なのだ。男女雇用均等法時代のマサコには到底わけのわからない理屈でしかなかったが

伝統とはそういうものだ。

日本の皇室においての「正当性」はまさに「血」の正当性なのだから。

それを考える時、皇太子夫妻に一日も早く世継ぎを・・・せめて第1子を・・と望む事は無理でも差別でもない。

当然の事だった。

しかし、マサコの悲劇はこの意味を理解せず、今生きている自分の利益のみに目が向いてしまった事にある。

マサコが育ったオワダ家もエガシラ家もどちらも「血」の正当性を持たない家だった。

3代前が不詳だったり、自らのルーツへの自信のなさを学歴や職歴、権力で補ってきたのだから。

マサコにとって一々「血の正当性」を主張される事は、自らのコンプレックスを刺激されるようで嫌だった。

そして皇太子もまた、何となくマサコに同調してしまった背景には、自分が民間妃の息子であるという

コンプレックスが作用していたのかもしれない。

 

それはともかく、政府内では「安定的な皇位継承」をどうすべきかという議論が少しずつ湧き起っており、

天皇の心の奥底にもその問題は重くのしかかっていた。

現在、天皇には二人の内親王しか孫がいない。

ミカサノミヤ、タカマドノミヤ家にも男系男子はおらず。

皇太子の次はアキシノノミヤである。このままでは安定的な継承は難しくなる。

ゆえに、すでに二人の子を持っているアキシノノミヤ家にはこれからもどんどん子供を産んでもらいたい。

かつての先帝陛下のように、男子が生まれるまで・・・・・

東宮大夫がアキシノノミヤ家に産児制限を進言しようとは思ってもいなかった。

 

小さな命の誕生と共に、歳は暮れて新しい年が始まった。

新年のローブデコルテを着て参内する時と一般参賀だけはマサコも機嫌がよかった。

特に今回はキコ妃がいない。

注目はすでに自分に集中している。

新年早々、中東へ行く事が決定しているし、他にも外国訪問が出来るかもしれない。

マサコの心は世継ぎよりもそっちの方へ飛んで行った。

 

しかし・・・・1月17日の朝。

天皇と皇后はいつもより早く起こされた。テレビのニュースが尋常ではないという理由で。

どうしたのか?」

天皇は着替えるとすぐにテレビのある部屋に入る。

何やら関西で大きな地震があったようでございます」

侍従長が答える間もなく、宮内庁長官から参内するという知らせが入り、さらに政府関係者も参内するという。

そんなに大きな地震だったのか?」

震度6とか・・・」

「被害は?」

まだ何も・・・・」

どうやらテレビ局ですら状況を把握できていないらしい。情報遮断など・・・この現代に?

背筋に寒いものが走る。

すぐに情報を集めて。それにしてもどんな地震だったのか・・・・」

テレビのニュースでは、けが人が数人としか言っていなかった。それしかわからないようだった。

それがまさか「大震災」と呼ばれる事になろうとは。

それは一つの象徴だったのかもしれない。

日本におけるかつての繁栄が終わりを迎え、国家のモラルそのものが崩壊していく・・・そんな象徴。

しかし、無論、そんな事、誰も気づいてはいなかった。

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」91(おおむねフィクション)

2013-01-22 07:00:00 | 小説「天皇の母」61話ー100話

「私、まあちゃんが心配なのよ」

ユミコは憂鬱そうに言った。

すでに荷造りは完了し、あとは身一つでアメリカに経つだけになっている。

夫が国連大使になった事は嬉しい。でも一方で「皇太子妃の父として慎むべきではないか」

との声も聞こえ、ユミコとしては少々回りの反応が心配になった。

それだけではない。

東宮御所に行く度にマサコはやつれ果て、ひどいストレスの為か首筋のアトピーがひどくなっているようだし

皇太子はそんな妻を前にどうしようも出来ない・・・といった具合だった。

元々、社交的ではない娘だった。

でも、外交官を目指していたくらいなのだから、皇室に入り、華やかな生活をおくれば色々と成長

するのではないかとの楽観的な考えもあった。

なのに、娘はますます自分の殻に閉じこもり、嫌といったら嫌・・・という態度を崩さない。

娘の言い分を信じれば

侍従も女官も私を馬鹿にしているのよ」という事になるらしい。

気のせいよ。何で皇太子妃を馬鹿にすることが出来るの?」と聞けば

でもかんでもダメダメって注意されてばかり。私が無能みたいな言い方をする」と怒り心頭。

宮中祭祀に関しても、皇后が禊の為の水をお湯に変え、エアコンを設置しても

「人前で裸になる屈辱には耐えられない」と言い張り、誰が何といおうと祭祀をやらなくなった。

回りがどんなに「禊」の意味を説明しても、全く納得する気配がない。

それについては私もまあちゃんが可哀想だと思うのよ。誰だっていやだわ。あんな事。

そもそも神様なんているわけないのにねえ。バカバカしい事ばかりやるのよね。皇室って」

でも、娘が側近から孤立していくのを黙って見ているわけにはいかない。

だから、それとなく皇太子に「マサコは帰国子女だし、何でも理論的に考える癖があるので」と言っている。

その都度皇太子は「ええ。わかっていますよ」と言ってくれるのだが。

子供がなかなか出来ないのも原因なのかもしれないが。

心配はない。もう手は打ってあるから」

ヒサシは書類を片付けながら、ユミコの話にはあまり耳を貸さない風だった。

「手を打つってどういう?」

マサコが皇室に馴染めないのはマサコが悪いのではなく、皇室が悪いという論理だよ」

「まあ」

そもそもくだらないしきたりだの伝統だのに守られているからおかしいのだ。マサコは皇室に新風を

吹き込む存在なんだから、皇室がマサコに合わせるべきだろう」

そんな事出来るの?」

出来るさ。皇室が一番恐れるものはマスコミ。これを利用して出来ない事はない」

・・・・・・

お前は国連大使の妻としての生活を満喫すればいい。私がここまで出世するとお前の父親だって

考えてはいなかった筈だ。今やわれわれは皇太子妃の両親。アメリカへ行って「マイドーターイズプリンセス」

と堂々と言ってやろうじゃないか」

マイドーターイズプリンセス」

ユミコはつぶやいてみた。

私の娘は皇太子妃です」

大使館でそんな風に言えたら・・・・・ユミコは今までチッソの娘という事で受けてきた屈辱を

全て忘れられるのではないかと思った。

マイドーターイズプリンセス」

何という響きだろう。ユミコの気持ちが少し明るくなった。

そうよね・・・今はあなたの仕事の事だけ考えていればいいのよね」

つい先日、マサコから

何でお父様達ばかり外国にいけるの。ずるい」と言われた事などすっかり忘れていた。

 

この頃になると宮内庁も皇太子夫妻のよそよそしい関係や、マサコの社会性のなさに気づき

それを覆い隠す為にさまざまな手を打つしかなかった。

まず、一つは記者会見を行わない事。

皇太子妃の誕生日や結婚記念日における記者会見を、宮内庁記者クラブは熱望してきたが

マサコ自身がそういう事を好まないうえ、直接言葉を発したら何をどういうかわからない危なさが

あり、なるべく人前に出さない方がいいのではないかとの結論に至った。

そうでなくても「一言付け加えさせて頂くなら」という不遜なセリフは今も語り草になっているのだから。

宮中晩さん会でクリンtンやエリツィンに政治的な論戦をしかけて危うい思いをした事も宮内庁の中では

苦々しい思い出になっている。

どうもマサコはその場にふさわしい言葉を紡ぎだす事が苦手のようだ。

出来れば少しでも早く懐妊してくれて、身動きがとれない状態になってくれた方が・・・と誰もが考えていた。

 

しかし、そんな皇太子夫妻にもとうとう中東訪問の「外国旅行」が計画されてしまい。

アキシノノミヤ家があと1か月か2か月で出産・・・・という時期に、皇太子夫妻は中東に出かけた。

その時のマサコの張り切りようと言ったらなかった。

珍しく早起きして、衣装の仮縫いにも笑顔で応じ、アラビアの砂漠を見るのが楽しみだと

旅行ガイドを持ってきて眺めたり、皇太子に積極的に話しかけたりと上機嫌。

結婚以来、皇太子はこんなマサコを見た事がなかったので、ほっとすると同時に、

そこまで外国に行きたかったのかと正直驚いてもいた。

 

実際、カタールの水族館で「あれ!あれ!」と皇太子の袖をひっぱりながら子供のようにはしゃぐ

マサコは皇太子にはひどくかわいらしく見えたし、これが本当の新婚旅行のような気がした程。

しかし・・・「アラブの馬を褒めてはいけない」という忠告を無視して、「あの馬、綺麗」などと

マサコが言ってしまった為に、馬が日本に送られて来た時はさすがの宮内庁も青ざめた。

中東で馬を褒めるというのは「おねだりする」と同じ意味があったからだ。

その事については、事前に何度も説明していたのに見事に無視された格好になった。

結果的に宮内庁からお叱りを受けたのは東宮職で、その理不尽なお叱りへの不満を

どこに持って行ったらいいのかわからず、女官も侍従も悶々とする羽目になった。

ともあれ、第一回目の海外訪問は、皇太子夫妻にとっては「成功」といえた。

外務省では父親の威光がるとはいえ、華やかな扱いされてこなかったマサコにとって

かつての上司や同僚を後目に外国で脚光を浴びるのは楽しくてしかたなかった。

人生の中で喜びがあるとすればこれこそ・・・と思う程に。

 

やがて、二度目の中東訪問が年明けに予定されている時、

アキシノノミヤ家では二番目の内親王が生まれた。

 

 

コメント (6)
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