初めて「組貸切」なるものを経験しました。
今までそういうの、ありましたか?
劇場の中はいつもより熱気にあふれ、赤い会服を着た人が一杯
休憩時間等も混雑の一途。劇場内にいる人数はいつもと同じ筈なのにね。
拍手の怨霊が違うし、演じている人達の熱演もいつも以上。
ラストはアンコールまでございまして。
貴重な体験をさせて頂きました。
アンドレ・・・朝夏まなと
アラン・・・緒月遠麻
実は私、「オスカル編」を見た事がなく。スカイステージでしつこく涼風版を放送して
いましたが無視してました。
私の中でマリーアントワネットもフェルゼンも出てこない「ベルばら」はベルばらじゃない
と思っていたので。
今回を見て「ええっオスカル編ってこんなに理屈っぽかったのか」と思った次第です。
ジャルジェ家の行く末は?
長くなった「子供時代」の冒頭は、オスカルが生まれる直前から。
5人の姉達はクリスマスツリーの前で「兄弟が生まれる」と大喜び。
(あの時代からクリスマスツリーってあったのかしら・・・・・)
しかし、ジャルジェ将軍が出てきて5人の娘達に「おう女はいらない。ジャルジェ家の
行く末はどうなる」とセクハラ発言。
これが塩村なら、くすっと笑って後々ロベスピエールに告げ口しそうな勢いですが
ここの娘達は鷹揚で「あらーー私達がお父様を大切にしてあげるわよ」とにっこにこ。
6番目に生まれた子も女だったのでジャルジェ将軍は「男として育てよう」としたのですが。
芝居が進むにつれて、私の集中力が切れ始め頭に浮かんだのは
「オスカルが死んじゃってジャルジェ家はどうなったのかしら」とそればかり。
ジャルジェ将軍夫妻やオルタンスやル・ルーは亡命したでしょう?
そっか、きっとオスカルのすぐ上のお姉さまが産んだ子供をジャルジェ家の養子にして
後を継がせたのかも。
大きくなった彼はあるオークションで「軍神マルス」の肖像画を見る。手に入れようと頑張る。
そんなストーリーを考えている間に、オスカルは大きくなったのでありました。
アンドレの存在感の希薄さ
一応「ベルサイユのばら」というのは恋愛物の一面もあるわけですが、この物語の
アンドレは後半になるまでほとんどセリフなし
本当に「付き人」に徹しているんですよ。むしろジェローデルの方が存在感あり?
ジャルジェ将軍によると、オスカルの「お目付け役」としてジェローデルとアンドレを
つけた・・・と言ってますが、近衛隊ではジェローデルとの関わりの方が強いし
衛兵隊ではアランとの関わりが強くて、アンドレがオスカルを毒殺したい程愛している
という設定がさっぱりわからない。
昔は自然に見る事が出来た毒殺失敗のシーン・・・・オスカルはアンドレの告白を聞くばかり。
ドアをあけて去っていくアンドレの後姿に「アンドレ!」と叫びますが、
正直、この「アンドレ!」の意味がイマイチ
延々とアンドレの告白を聞き続けてオスカルってどう思ったんだろう
「そんな?ちっとも気づかなかった。それ程までに愛されていたのか私は」と思う?
私がオスカルだったら「アンドレって怖い」だよなあ・・・・・
漫画の方では毒の事はオスカルの予測にしか過ぎないから、何となく「お察し」だけど
ああも、堂々と告白されたんじゃ、今後も同じ事をやるんじゃないかと思うし。
で・・・・そんなに「愛しているんだ!」と涙ながらに告白したアンドレ。
「今宵一夜」のシーンでは、オスカルに「私を愛しているか?」と聞かれてしまう。
私がアンドレだったら「そういったじゃん」とか言いそうだけど、アンドレは真面目に答えるのね。
何だか「私を愛しているか」のセリフがを言うオスカルがあざとく見えるというか
「計算?」みたいに見えて。
だって、あれだけ「愛しているんだ」って言われた後なのに、そんなセリフ聞いてません・・・みたいに
涼しい顔で「愛しているか」って聞くんだよ。
あ・・そうそう。アンドレの存在感の希薄さは、ラストシーンに全く出てこないという
所で「ああ、オスカルはアンドレと結ばれなかったのね」と解釈した私でした。
オスカルは貴族
今まで「ベルサイユのばら」を読んでいて、オスカルは貴族だという事をあれこれ
考えた事はありません。
ドラマの主人公は家柄が立派で豪華な御屋敷にすむかっこいい人・・・これだけで
よかったから。
でも今回の「オスカル編」ではオスカルが「貴族」である事が非常に強調され、そこに
悩む姿が描かれています。
確かに原作でも「貴族というのは恥ずかしいものだな」というオスカルのセリフがありますし
ロザリーの家で野菜の切れ端を浮かべただけのスープにショックを受けるとか
衛兵隊での食事も兵士たちと同じにしてほしいとか、オスカルなりに「平民」を理解しようと
しています。それで十分だとアンドレもアランもベルナールも考えて、それ以上を
望んだりはしませn (それ以上って・・オスカルがジャルジェ家を捨てる)
でも、今回、衛兵隊は事あるごとにオスカルを疑います。
その理由は「貴族」だから。
「事が起こるたびに国王様があなたを庇って問題なしにしてるじゃないか」と、
もめごとを起こしている張本人たちが言うんですから笑止千万ですが。
要は「オスカルは貴族で国王陛下のお気に入り。だからどんな事があってもおとがめなしで
今まで済んだ。いざとなったら貴族社会に戻ってしまう偽善者なんだろう」って話です。
そっかーーそんなところまで原作を読んで思った事もなかったなあ。
確かに王妃様を通じて国王陛下のお気に入りのオスカルは何事においても
「おとがめなし」だよねーー
という事はジェローデルの「君は王妃様のご恩を忘れたのか」というセリフもあながち
間違いではなく。オスカル、ひどい。王妃様達にお世話になったのに恩を仇で返すわけ?
とちらっと思った私はいけない子です。
オスカルの悩み。
それは「自分が貴族であるばっかりに平民の側に立てないいら立ち」なんですよね。
生まれや育ちというのはそうそう変える事が出来ないし、貴族に生まれたオスカル
だからこそ色々気づいた面もあったわけで 格差はしょうがないでしょ。
ペガサスは飛んだけど
ガラスの馬車は出てこない。
ええーーそういうのあり?と思ってしまったんですが。
オスカルが死んじゃったら、天国の場面でアンドレがガラスの馬車で迎えに来て・・・と
そればかり想像してたらまさかの「白バラ」の中に埋もれて歌うオスカル様だったとは。
新しいっちゃ新しいけど。このどこまでも「オスカル至上主義」に少々うんざり。
一人芝居じゃないんだし、ここまで「オスカル」オンリーにする必要性あり?
フィナーレもそうだよね
ロザリーなんてどうでもいいわ、アンドレもちょこっと一緒に。あとはどこまでも
「オスカル」のオンパレード。
ワンマンショーにしなくても・・・・もうちょっとラブラブなシーンがみたいなのにね。
脚本の重複が多すぎ
「お願いですから私の願いを聞き届けて下さい」系の重複が多かったのは事実です。
それから「ドイツ人竜騎兵と騎兵隊が・・・」のフレーズが3回くらい。
「フランスの栄光を取り戻して見せる」に至る一連のフレーズが2度。
「ジャルジェ家はどうなる」「ジャルジェ家は代々・・・」
他にも全く同じ文章があちこちに出てくる始末で。
これはどういう事かというと、最初に書いた脚本を手直ししている最中で、前の文章を
削除しなかった為、そのまま残ってしまったのだと思います。
書いているうちに「このセリフはあっちに、このシーンを付け加えて」とあれこれ
やって、出来上がったら見直さすに提出した・・・という事ではないかと。
こういうミスは脚本コンクールだったら「素人」とみなされて即、落ちてしまうけど
大御所の作品として上演されてしまうのが宝塚なんですよね。
短いセリフが重複しているのと違って、センテンスがそのまま重複していますから
同じシーンを二度も3度も演じているように見えるのです。
「このセリフ、さっきありましたけど」って言えないジェンヌの立場ってなんでしょうね。
植田先生の戦争観
植田先生の「戦争観」が色濃く出ているなと思いました。
前回「ソルフェリーノの夜明け」で負傷兵たちを通して「戦争は愚かである」と
切々と訴えた植田先生。
どんな事も話し合いで解決すべきだし、人間なら理解し合えない筈がない。
誠に正しいと思います。
でも、それが出来ないというか、堪忍袋の尾が切れた時、戦争は起こるのではないかと。
フランス革命において、ロベスピエールの大量粛清は本当に愚かなことだと思います。
しかし、バスチーユの陥落がなかったらフランスは共和制に移行出来たかどうか。
そういう意味では仕方なかったと言えるでしょう。
その時、その場にいる人達は冷静に戦争は愚かだからすべきでないと思う余裕がありません。
オスカルがパリに出て行くとしったオスカルの母や姉妹が、そんな所にオスカルを行かせるのは
よくないと必死に止めますが、個人の意思でどうにかなるものなら軍隊は成り立たないのです。
ル・ルーが「戦争って強い者が勝つんでしょう?そんな所にオスカルお姉ちゃまを行かせたくない」
と叫びますが、ここは「正義などない。強いものだけが勝ち残る。それが戦である。
それこそが愚かだ」と言っているのです。
「強い者が勝つ原理」を戦争体験者の植田先生は痛い程感じているのかもしれませんね。
これが彼流の反戦メッセージなんだと思います。
だけど、今の私はオスカルが左翼化しているとしか思えず。
確か原作には「私は国と心中する」というオスカルのセリフがありますが、基本的にオスカルは
愛国者であり、王制廃止を望んでいたとは思えないんですよね。
貴族が差別し搾取するといって平民が立ち上がり、後々「貴族だから」という理由で
断頭台に立たせる平民。
そんな現実を知らずに亡くなったオスカルは幸せ者だと言えますが、今時の
「自由・平等・友愛」とは少し意味を異にしている思想があったのではないかと
私には思えるのですが。
出演者について
凰稀かなめ・・・ビジュアル的にはとても素晴らしいオスカル様でした。苦悩するオスカルを
よく演じていたし、トップとしての貫禄も十分です
ただねーー・・・・・「軽い」これだけです。重厚さが出ないからセリフに厚みが
ないというか。それはダンスでも歌でもそうなんだけど。それが持ち味と言われたら
それまでで。もう少し温かさのようなものが出たら完璧なのかなと。
朝夏まなと・・・アンドレ。完璧にオスカルに負けてるアンドレです。
次期トップなのに大丈夫なのか?このオーラで・・・・銀橋渡って歌っても
華やかさがイマイチ。重厚感もイマイチ。ただただ一生懸命な部分はわかりますが。
「これぞ朝夏まなと」がないんだよね。普通の女の子でしかない。
「翼ある人々」みたいに年上の女性に翻弄される役どころだけが似合ってるかも。
実咲凜音・・・ロザリー。これまた目立たないロザリーで。
ベルナールとのラブラブ感もないし。歌劇団が「トップ娘役」としての扱いを
してないのが悪いのだと思いますが。ただただ気の毒で。
緒月遠麻・・・アラン。こんなに落ち着いて頼りがいのあるアランは始めてです。
確かオスカルより年下設定の筈ですが、上に見えちゃうよね。
相性もアンドレよりいいみたいだし?
今後の宙組は緒月無しではどうにもならないでしょう。
七海ひろき・・・ジェローデル。
ジェローデルって准将にまでなってるの?すごいねーーって変な所で感心。
かつらがあまりにあってなかったけど、それなりの出来だったのでは。
蓮水ゆうや・・・ベルナール。これがさよならになるんですよね。お疲れ様でした。
非情にかっこいいベルナールで、その暗さがよかったかも。
すみれ乃麗・・・学年的にもきつい役だったと思うんですが、見事に可愛いル・ルーでした。
他にはオスカルの子供時代を演じた星吹彩翔。迫真の出来でした。
ジャルジェ夫人の鈴奈沙也は見た目が平民の老婆のようでした。
純矢ちとせのオルタンスはとっても美しかったです。
何度もしつこいけど、全体的に全てにおいて「凰稀かなめ」オンリーである必要性が
あったかどうか疑問です。
宝塚歌劇は一人のスターでもっているものではありません。
それぞれの人気が集まって出来上がっているわけ。だからこそ、作家も色々な役をあてて
観客の期待に応えようとするわけで。それが大衆芝居ってもんです。
今回の「ベルばら」前回の「風共」共に、男役だけが目立ち優遇され、娘役トップですら
足蹴にされているような舞台は見たくありません。
凰稀と実咲の仲がどうであれ、男女の「愛」を描いてこその宝塚。
男役同士が絡んでばかりでは宝塚じゃありませんっ
宝塚において両性具有は自慢できることではありません。どちらかを究めないと
退団してからも苦労する事になります。
また脚本のずさんさもいい加減にしてほしい…状態です。
観客に「重複」を指摘されるなんて恥ずかしい事ですよ。いくら大御所とはいえ
ダメなものはダメです。
上におもねり、下を見下す。男役を贔屓して娘役をないがしろにする。
そんな事やってると110周年すら危ういのでは?