ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

秋篠宮殿下 56歳に 2

2021-11-30 07:20:18 | 皇室報道

 眞子さんとの思い出

それでは、長女との思い出ですけれども、私が長女と一緒にどこかに出かけたというのは、国内よりもどちらかというと海外に、数的にはちょっと分かりませんけれども、期間としては長いんですね。  

順に言うと、2人で旅行したのはマダガスカルが最初で、次がラオスですかね、そしてその次がハンガリーになります。

どれも非常に印象深い旅行でしたけれども、やはり一番長期間、一緒に旅行したマダガスカルが思い出としては残っていますね。

 マダガスカルのトゥリアラというところから、ムルンべという場所まで車で12時間、12時間半ですかね、ドライブしながら植物景観の移り変わりを見たりとかですね、行った先での音楽だったり踊りだったりに触れたり、またバオバブの巨樹のところに行ったりとか、それがやはり一番印象深く残っていますし、数か月前になるかな、にもたまたまその話が出て「楽しかったね」という話をしました。

 ちゃんと眞子さんと会話をしていたんじゃないですか。そのこ週刊誌ですか?「殿下と会話してない」としつこく書いた人。山下晋司もそんな事言ってましたよね。

 

 眞子様たちの近況について

本人たちがアメリカで生活をすると決めたわけですから、まあそれが本人たちにとって一番良いことなんだろうと、そういうふうに思っています、はい。」

 小室圭に久しぶりに会った印象は

まず、会った時のどういう話をしたかについてはここでは控えたいと思います。印象ですが、面会してた時間が20分ぐらいでしたので、何か印象に残ることというのは特に私にはありませんでした。ごく普通の会話をいたしました。

 一連の記者会見について

そうですね、10月26日に婚姻届を出した後、記者会見というか記者発表というかを行ったわけでありますけれども、私自身は一方向のものではなくて、双方向での会見という形にしてほしかったと思います。

ただ、長女の複雑性PTSDということもあり、直前まではそのつもりで本人もいたのですけれども、やはりそれが出来なくなって、会見してる間に何か発作とか起きることも考えられるでしょうから、やはり難しかったのかなと思います。  

一方で夫の方については、私も「結婚の段階になった時に経緯などを説明することが大切だ」ということを以前に話をいたしましたけれども、確かに春ですか、文書ではそのことについての説明をしているわけですけれども、やはり私としては、自分の口からそのことについて話をして、そして質問にも答える、そういう機会があった方が良かったというふうに思っております。」

 小室圭についてのそっけなさ・・・というか「夫」については・・・ですって。

 

 家族について

そうですね、結婚までの間、直近になると、やはり結婚した後、しばらく東京都内にいて、その後アメリカの方に行くことになり、そうすると、今まで自分のところに置いておいた荷物などのことがどうしても、本人もそうですし私も気になるわけですね。

で、それでしかも私自身も貸してた本などもありますので、そういうことについて「どうしようか」ということを話をしました。  

で、彼女も例えばその、ニューヨークに荷物全部持って行けるわけではありませんし、さりとて本人が持ってる書籍の中には、海外の公式訪問の時にいろいろ下調べをした日系人関係の本とかなんかもありますので、そういうものは活用してほしいという意向を持っておりました。  

そのようなものを、どういうふうにこれから、場所も移動させるわけですけれども、していこうかということが一番、結婚する前の時点での話し合いかなというふうに思います。

 さりげなく「里帰り」の理由をおっしゃった殿下。やっぱり「お金」の事を書いているネットや週刊誌を責めているんですね。

次女はこの春、5月ですかね、からろうあ連盟で仕事をしておりますけれども、本人は大変ありがたく思って仕事をしております。

上司の方々からいろいろ教えていただきながらですね、少しでもお役に立つよう努めてくれれば私はうれしく思います。

また、その他の仕事についてもですね、一つひとつ大切に思いながら、丁寧にしていってくれればいいなと思っております。

結婚については、そういう時期が来ましたら、じっくりと話し合いをしたいと思います

 

「(悠仁殿下の)進学につきましては、本人とも相談しつつ進めております。

また、成長の様子ですけれども、そうですね、今、中学3年生で、これはどの中学3年生もそうなのでしょうけれども、1年前と比べると机に向かっている時間が格段に長くなっているんですね。

で、そういう日々を過ごしているわけですけれども、私も時々、そんなしょっちゅうではないものの、机に向かって問題を解いてる様子などを見ることがあり、そのような時に改めて、今15歳で中学3年生ということを、当然のことではあるんですけれども、そういう時に実感することがあります。以上です」

悠仁殿下がとても大きくなられて背丈も高いですね。

佳子様もいい意味で落ち着きが出て来たというか。

殿下・・・お疲れではないですか。心安らかに過ごせるようにお祈りしています。

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皇嗣殿下56歳に

2021-11-30 07:05:00 | 皇室報道

  皇嗣殿下 お誕生日おめでとうございます!! 

記者会見は1時間に及んだそうです。

しかも、最初から眞子さんの話に集中していました。

 眞子さんの結婚と複雑性PTSDについて

それでは、最初に私たちが10月26日に出しました感想に記した皇室への影響ということからお話をしたいと思います。  

まあ、いろいろあったと思いますけれども、私が感じるのはまあ、主に2つです。

その1つは、今回の長女の結婚が公になって以降、さまざまな媒体で私たちの家、秋篠宮以外の皇室にも影響が出た、ということを感じたからです。

 で、例えばそのことによって、天皇皇后両陛下がどういう風に感じてるとか、細いことは私も記憶しておりませんけれども、ありましたし、それからもっとはっきりしているのは、この、娘の結婚に対して上皇后陛下がいろいろ言われたとか、こういう考えを持っているというのが週刊誌に出たりもしました。

で、このことは宮内庁のホームページにもありますけれども、2度か3度にわたってそういうことはなかった、実際に私もそういうことを聞いたことは一度もないわけなんですが、そういうなかったということを説明しているのですけれども、それでもその後も続いたということがあり、やはり負担になったことには間違いないと考えています。

 眞子様の結婚を後押ししたのは上皇后だった・・という噂が絶えませんでした。かなりしつこくて、こうやって殿下が否定してもそれでもやっぱり報道されてしまう。その事が殿下の「負担」であったという事ですね。

 週刊誌の心無い記事が殿下の「負担」となって苦しめたというのは、大いに罪であると考えます。

 

それが1つです。  

もう1つは、結婚にあたって普通であれば行われている3つの行事ですね。

納采(のうさい)の儀と、告期(こっき)の儀と、入第(じゅだい)の儀、この3つの行事を行わなかったことで、これはあの、まあ私の判断で行わなかったわけなんですけれども、これはもともとは皇室親族令ですかね、にあるものですけども、今はそれはもうありませんので、絶対にしなければいけないというものではないわけですけれども、慣習的に行われているものであり、私は本来であれば、それは行うのが適当であると考えています。

 しかし、それを行わなかった。

で、そのことによって、そうですね、皇室の行事、そういう儀式というものが非常に軽いものだという印象を与えたということが考えられます。

本来であればその3つは行うのが、私は繰り返しますけれども、よかったと思っております。

それがあそこに書いた影響ということであり、その後に「迷惑をかけた方々に対して申し訳なく思っている」というのもそこにつながります。  その次は。なんでしたっけ。

 結婚に際しての行事を3つ省略したのは殿下自身で、そのせいで皇室の行事が非常に軽くなった‥そういう印象を与えたと殿下は考えています。

出来ればしてやりたかった・・・父親として、そして皇嗣としての公私の別が苦しめたのでしょう。

 

 公私の別について

皇室のあるべき姿、これは上皇陛下が言われていた「国民と苦楽をともにし、そして国民の幸せを願いつつ、務めを果たしていく」、これが基本にあると私は思います。

そして、それとともに、やはり時代というのは変わっていきますので、その変化にも即した皇室であることが大切ではないかというふうに思っております。

 で、その上で「公」と「私」を考えますと、これは私は、「公」は常に「私」に優先されるべきものだと思います。

もちろん、例外は存在すると考えますけれども、「公」は「私」に優先されるべきものでありましょう。  

一方それでは、今の一連のご質問にあった娘の結婚のことと、この「公」と「私」のことを合わせて考えてみますと、これはどうなんでしょう、「公」と「私」というものにうまく当てはまるものなのかどうか、という気もいたします。

彼女は結婚するまでの間、皇族でいる間、公的なものと私的なものの場合には、常に公的なものを優先してきている、と私は思います。

これは海外の訪問も含めてですね。  

で、論調の中の一部に「娘が公よりも私を優先させた」というのがありましたけれども、仮にもし結婚するという、これは私的なことだとは思いますけれども、を優先させたとしても、結婚することを公にしてからすでに4年経っているわけですね。

もし、それを優先させているということになれば、10年経っても20年経っても結婚はできないということになるかと思います。

まあ、そのようなことから、直接的に「公」と「私」という2つの概念に当てはまるのかというのは、少し疑問に思いました。

 ここが週刊誌のいう「親として甘い」とか「眞子さんを庇った」とか言われる部分ですが、殿下のおっしゃる通りだと私は思います。

眞子様は結婚までの間、ずっと「公」を優先してきました。降嫁する寸前まできちんと祭祀にも出席されていた。

皇族が「公」を優先し続けたら私的な「結婚」は出来ないだろう・・・まさにその通りです。

今回のことが「眞子様が公より私を優先した」と短絡的に語っていいのかと殿下は疑問を呈しているのです。

 わかる人はわかるけど、表面的にしか皇室を見ない人にとっては殿下がおっしゃっていることの半分も理解出来ないと思います。

 インターネットの書き込みについて

そうですね、週刊誌、これは文字数の制限っていうのはあります。

一方で、ネット上のものというのはそういう制限がほとんどないわけですね。

なので、その2つは分けて考える方が良いのかなというふうに思います。  

で、娘の複雑性PTSDになったのがおそらく週刊誌、それからネット両方の記事にあるのだろうとは思いますけれども、私自身、それほどたくさん週刊誌を読むわけでもありませんけれども、週刊誌を読んでみると、非常にその、なんて言いましょうか、創作というか、作り話が掲載されてることもあります。

一方で、非常に傾聴すべき意見も載っています。

そういうものが1つの記事の中に混ざってることが多々あります。

 ですので、私は確かに自分でも驚くことが書かれてることはあるんですけれども、それでもってすべて否定するという気にはなれません。

一方、ネットの書き込みなど、これも私はそれほど多く見ることはありません。

何と言っても、1つの記事に対してものすごい数のコメントが書かれるわけですので、それはとても読んでいたら時間も足りませんし、目も疲れますし、読みませんけれども、中には確かに相当ひどいことを書いてるものもあるわけですね。

 それはどういう意図をもって書いているのかは、それは書く人それぞれにあると思いますけども、ただ、今ネットによる誹謗中傷で深く傷ついてる人もいますし、そして、またそれによって命を落としたという人もいるわけですね。

やはりそういうものについて、これはあの、なんて言いましょうか、今ネットの話をしましたけれども、誹謗中傷、つまり深く人を傷つけるような言葉というのは、これは雑誌であれネットであれ、私としてはそういう言葉は許容できるものではありません。以上です。

 眞子さんのPTSDの原因が週刊誌やインターネットの記事が原因であったこと、それは間違いないですね。

 しかもそれは小室圭が登場する以前からの話だという事がわかります。

 本当にひどい書き込みもある・・・殿下はちゃんと読んでいらっしゃったんですね。それはどんなに苦しんだか。それを考えると胸が痛いです。

でもここまでおっしゃっても、誹謗中傷はやめないんだろうな・・・愛子天皇派は。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスコミが隠す愛子内親王の20年 3

2021-11-30 07:00:00 | 皇室報道

 2005年12月1日 愛子内親王4歳

 2005年12月16日 元旦に公開される写真撮影の日

この日は愛子内親王がむずかっていたので千代田側に出仕の福迫氏を同伴してよいか聞く。陛下は「愛子はもう大きいのだから」と拒否。

しかし、東宮は福迫氏を同伴させてしまう。

 

 2005年12月23日 「2時間47分」事件起こる

 天皇誕生日での挨拶の時、愛子内親王がぐずり始める。

 雅子妃が愛子内親王を連れて東宮御所に帰り、そのまま3時間近く戻って来なかった

 やっと戻って来た雅子妃のセリフ「どうも」

 2006年1月1日

 2006年2月23日 皇太子の誕生日

 2006年3月3日 学習院幼稚園プレ入園に向かう

 2006年3月13日 ディズニーランドへ一家と池田礼子親子が貸し切り状態

 皇太子一家・池田礼子親子・その他一家でディズニーランドとシーへ

 宮内庁予定では「行啓」となっている。

 雅子妃の考え「普通の子供と同じ体験をさせたい」

 一家が入る土産物屋は貸し切り・奇声が聞こえた

 すごい数の警官。何も知らない一般客はアトラクションやお店に入るのを規制されて怒り。

 予定より1時間オーバー

 愛子内親王はアトラクションよりコンフェ拾いに熱中。

この時、警備にあたったのは千葉県警です。

要は、千葉県民の税金で遊んだことになります。

 

 2005年4月11日 学習院幼稚園入園式

 園長にあいさつが出来なかった愛子内親王。「自然なお子様」と評される。

 それまで内親王は「〇〇内親王」と呼ばれるのが普通だった。しかし、愛子内親王から「敬宮愛子ちゃん」と呼ばれるようになる。

称号を名字にしてしまったのです。

 2006年4月16日 オール学習院を鑑賞

 愛子内親王ご優秀伝説の始まり

週刊誌や皇太子の誕生日記者会見で語られた愛子内親王のご優秀伝説

 3歳 → ・雅子妃に代わってインターフォンで「ご飯お願いします」「新聞持ってきてください」

      ・折り紙と木登りが得意

       ・ままごとで「熱々のスープを召し上がれ」という

 4歳 → ・「ママへ今日は何がたのしかったですか」お手紙ごっこ

       ・相撲を見ながら「これは小結同士ね」

       ・スケート初体験ですいすい滑る

       ・バースデイケーキを持って雅子妃をお見舞い

       「病気の時にお母さまによくして貰ったからお返しするの」

       ・「〇〇が・・・だから・・・」の会話が出来る

       ・「だれだれに星がついたようれしいな」

       ・関取の名前を上下両方言える(ひらがなでかける)

        ・(マスコミに)みんな寒いところで待っててくれるからワンちゃんの腕を振ってあげるの

        ・英語・ドイツ語・スペイン語の歌が歌える

       

かなり不自然なご優秀伝説が出回る。

 

 2006年5月6日 幼稚園遠足

この日、雅子妃は座る為のシートを敷くことが出来ず、ぼやっとしており、さらに雨が降り出しても傘も差さなかったという。ゆえに回りの母子も傘をさせずに濡れていたというエピソード。

 2006年6月18日 父親参観

 

 2006年7月24日 那須へ静養に

 2006年8月3日 静養帰り

 

秋篠宮妃の懐妊でタガが外れたのか、「これでもくらえ」とばかりにディズニーランド豪遊をやってのけて、年頃の眞子様や佳子様の心をざわつかせた雅子さん。

入園早々、39度の熱が出てお休みが多くなる愛子内親王。その度に公務をドタキャンする雅子妃。批判されてもおかまいなし。

静養につぐ静養。そして静養はオランダまで。

 

 

 

 

   

 

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスコミが隠す愛子内親王の20年 2

2021-11-29 07:00:00 | 皇室報道

 2003年4月30日 静養に向かう

 2003年5月6日 新幹線の中

 2003年5月13日 公園デビュー

 2003年5月23日 2度めの公園

 2003年7月3日 3度めの公園

 

 2003年7月23日 神宮外苑

 2003年8月7日 那須へ

 2003年12月1日 内親王2歳

この頃の雅子妃を振り返ると、自分が産んだ子だから人より成長が早い筈とか優秀な筈とか思っていたように思います。

しかし、実際は手がかかる子供でなかなか歩かないし、ミルクの飲みも悪い。最もショックだったろう事は「発語の遅さ」です。1歳半健診でそのあたりを言われていたかもしれません。また。内反足はブラント病の疑いもあったと思います。

雅子妃としては頻繁に公園に行くことで「自分の子供は他の子と変わりない。皇室という環境が悪い」と思い込んでいたようで、公務を休んでまで公園に行くというような事をしていました。

週刊誌などでは早くも「愛子さまは学習院なんか目じゃない。東大一直線か、慶応幼稚舎を狙っている」と盛んに書かれました。

言葉についても日本語よりアルファベットを先に教えていたので、東宮大夫から注意される程でした。

2歳健診の時には「パパ」「ママ」に加え「兎」→ 「う」「ペンギン」→「ぺ」と発音

結果的に児童メンタルヘルス専門医の訪問が開始されました。

その流れで雅子妃のカウンセリングも開始。皇室の悪口を言う雅子妃に金沢医師(東宮医師)が「ご自分も変わって頂かなくては」というと、関係が悪化。小和田優美子氏による金沢医師への電話恫喝も。

愛子内親王は表情に乏しく、親と目を合わせない所が、ネットでも話題になっていました。

そして

 2003年12月3日 雅子妃帯状疱疹で入院

 2004年3月25日 軽井沢の別荘に愛子内親王を連れて籠城する

 2004年5月10日 皇太子による「人格否定発言」

 2004年5月21日 英タイムスによる「雅子妃は天皇が死ぬのを待っている」と報じる

 2004年6月9日 英タイムスによる「Princess Aiko suffering from autism」内親王は自閉症という報道が出る

2004年6月18日 林田東宮大夫が「自閉症」報道について「全くの事実無根で不本意だ。大変健やかに成長されている」

しかし、成長記録映像を出す事については「検討」

 

 2004年9月4日 この日は一家で参内予定だったが、愛子内親王がぐずった為、何とかなだめようとしたものの、結局乗車拒否で参内はなし。

同日、那須へ静養に行く際。コンコースからホームまで歩く予定が、愛子内親王が歩くのを嫌がった為、新幹線の出発時間に1分遅刻して乗車

 

 2004年9月24日 「自閉症」疑惑払拭の為、絵本を読む愛子内親王と皇太子の声のみが入った映像が公開される。しかし、現在ではこの内親王は「別人」と判定。

「うずらちゃん」映像音声書き起こし
愛子「もういいかいまあだだよ、もういいかいまあだだよ、もういいかいまあだだよ、もういい…
          どこに、かくれたのかなあ、そのとき、もう、パパも」
徳仁       「はい、ふふ(微笑)、おーいモリゾウ、声を聞かせてくれよ」
愛子「うずらちゃん、みーちゅけた、こんどは ひよこちゃんが
徳仁       「おーい、もりよー
愛子「もういいかいまあだだよ、もういいかいもういいよ、どこにかくれてるかなあ、そのとき、
          かぜがふいてきて……どこにかくれてるかなあ、ぴゅーんて、ええ、ええ、むこうにかげがみえます。
          おかあしゃんだったのか、パパも
徳仁       「いくら呼んでも答はありません
愛子(真贋不明)「おしまい!

 

映像の女の子が読んでいたのは「うずらちゃんのかくれんぼ」でも皇太子が読んでいたのは「もりのこえ」

 

ハープで遊ぶ

リトミックで運動

 2004年12月1日 愛子内親王3歳

 2005年2月21日 奥志賀スキー

 2005年2月 愛子内親王のお習字

 2005年5月30日 静養帰り

幼稚園までの内親王は髪型もよく似合い、可愛い女の子でした。

しかし、いわゆる「駅弁だっこ」と呼ばれるような、歩けるだろう場所でも抱っこされているシーンが多く、実際にはなかなかうまく歩けなかったのだろうと思われます。

 

 

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皇室ウイークリー

2021-11-28 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

11月19日・・・天皇陛下 → 通常業務

11月23日・・・天皇陛下 → 新嘗祭(夕の儀 暁の儀)

11月24日・・・天皇陛下 → 新嘗祭(暁の儀)

              通常業務

       両陛下 → 令和3年度宮内庁永年勤続表彰者に会う

             皇宮警察本部長表彰の永年勤続功労者に会う

11月25日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式

              賢所勤労奉仕団に会釈

 

皇嗣家

11月21日・・・両殿下 → 「第40回記念大分国際車いすマラソン」レース視聴

                        閉会式・オンライン交流

11月22日・・・殿下 → パラグアイ外務大臣と会う

       佳子内親王 → 「第4回みどりの『わ』交流のつどいー都市の緑三賞表彰式ー」(オンライン出席)

11月23日・・・殿下 → 新嘗祭(夕の儀 暁の儀)

11月24日・・・殿下 → 新嘗祭(暁の儀)

11月25日・・・両殿下 → 皇宮護衛官永年勤続者に会釈

 ティアラは必需品

と言ったのは宮内庁長官です。

さすがに「愛子さまはコロナ禍に配慮して黒田清子さんからティアラを借りる。なんて慈愛の内親王なんだろう。それに比べて秋篠宮家の2内親王は贅沢しやがって」という誹謗中傷に、宮内庁は「ティアラは国家財産であり、必需品だから作るのであって、贅沢ではない。愛子内親王のティアラもそのうち作る可能性がある」と言いました。

最初は全然作る気がなかったけど、フランスのマスコミが「愛子内親王はティアラの予算を組んでもらえなかった」と書いたので、慌てて「作ります。今じゃないけど」と言い直しています。

しつこい程いいますが

 ティアラ文化は明治以降、外国の王室の様式に合わせて製作されるようになったもの。ティアラ、ネックレス、イヤリング、指輪、ブローチ、それに大礼服やローブ・デコルテなど、当時の日本人皇族&華族はいきなりの大出費になったのでした。

「青天を衝け」では愛希れいかが非常に美しいバッスルスタイルのドレスを着こなし、優雅に踊っていましたが、皇室では最初、何をどうしていいのかわからず、小袿にハイヒールを履いたりしていたのです。

 以後、皇族や華族らが次々ティアラ等装飾品を作り代々受け継がれるようになりました。新規のものを作るだけでなく、古いものに宝石を加えたりした「調整」品も多く作られました。

 今回の愛子内親王のティアラは、黒田清子さんのティアラを「調整」するわけです。頭の形に整え、ふさわしいダイヤやパールなどを加えたりするかもしれません。電化製品でも修理するより新しく買った方が安いのと同様、調整品はとてもお金がかかります。皆さんも指輪のサイズを緩めたり縮めたりした事はありませんか?

石はそのままにして、台を変えてちょっと宝石を増やしただけでもかなりお金がかかります。なので、私なども母の指輪を調整する事が出来ず、娘に上げようと思っているダイヤの指輪もそのままに・・・ゆとりがないと「調整」は難しいのです。

 

けれど、秋篠宮家への誹謗中傷はやまず、ティアラ一つにしてもこのありさまです。という事はつまり、日本の皇族が洋装するチャンスがあまりないこと、皇后が出てこないから報道されないこと。上皇后がティアラなしで外国人要人を迎えたりしたことなどが国民に勘違いさせている要因かもしれません。

特に新年祝賀の儀で「コロナ禍だから」と言ってティアラを外したのは大きな間違いでした。

皇后にしれみれば「これで国民の人気を集められる」と思ったのかもしれませんが、儀式と節約を間違って覚えている、っていうか、そもそもこの方の価値観が世界基準に合わないんですよね。

 

 11月24日 スペイン国王夫妻がスウェーデン訪問

左からスウェーデンのカール・フィリップ王子妃のソフィア

カール・フィリップ王子

スペインのレティシア王妃

スペインのフェリペ6世

スウェーデン国王夫妻

ヴィクトリア王太子夫妻

です。晩さん会前ですね。皆さんティアラと勲章を着けています。

(今思ってもこれを省略した上皇后の価値観がわからん。だってここに一人だけ「首が痛いからティアラも勲章も辞退しますわ」と言って出て来たら庶民と同じ格になりますからね)

 

フルール・ド・リ・ティアラを着けているレティシア王妃。

このティアラはブルボン家のゆりの紋章がついています。

1906年まで遡る由緒あるティアラです。

一方、シルビア王妃がつけているのは「カメオティアラ」と呼ばれるもので、ヴィ黒チア王太子の結婚式で、王太子がつけていたものと同じ。

 

そのビクトリア皇太子が晩さん会で使用したのが

1920年まで遡る由緒あるティアラ。アクアマリン・ココシュニックティアラ

これは妹のマデリーン王女もかつて使用したことがあります。

 

そしてソフィア妃がつけているのが

このティアラは国王夫妻がソフィア妃の為にプレゼント。

当時はエメラルドがついていましたが、後にフィリップ王子がそれをパールに変えてプレゼントしたもの。

このようにヨーロッパの王室では古いものと新しいものが混在し、王族同士が共に共有している形になっています。

しかし、日本では宮内庁に返還された亡き妃や降嫁した内親王のティアラを誰が使っていいのか、使ってはいけないのか・・・それがさだかではありません。

晩さん会などで、様々な色のドレスを着る時、似合うティアラ、似合わないものとあるので、もっと有効利用しないといけないのではないでしょうか。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスコミが隠す愛子内親王の20年 1

2021-11-27 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2001年12月1日 愛子内親王誕生

称号 → 敬宮(としのみや)

御名 → 愛子(あいこ)

お印 → ゴヨウツツジ

 称号というのは天皇の実子にのみ与えられるもので、徳仁親王は浩宮、文仁親王は礼宮、清子内親王は紀宮で、実際にマスコミを通しても「・・宮さま」と呼ばれるのが普通。

 称号と名は天皇が決めて下賜されるのが普通。

 しかし、「敬宮愛子」という称号と名は皇太子夫妻が決めて、天皇がそれを認めた事になっています。

 名前について言えば、通常は普通に読まないようにするんです。例えば「清子」(さやこ)通常はきよこ、せいこですがあえてさやこと読ませる。眞子さまも「まさこ」と読むけどまこにしています。ところが愛子は「あいこ」と普通に読ませています。しかも大正天皇の生母である「柳原愛子)やなぎはらなるこ」と被っていることで、皇室ウォッチャーは違和感を覚えました。

 称号と名の出典は「孟子」と言われています。しかし、一般的には西郷隆盛の「敬天愛人」じゃないのか?と言われています。

 お印とは、皇族が全員持っているお印で身の回りのものにつけたりします。

眞子様 → モッコウバラ

佳子様 → ゆうな

悠仁殿下 → 高野槇

2001年12月1日 天皇陛下から守り刀を賜る「賜剣」の儀が行われる。

しかし、この後、古川東宮大夫は桐箱を落とす、「賜剣ふみつけ」事件が起きる。

 

 2001年12月2日 小和田夫妻が見舞いに訪れ、記者会見

まるでお通夜のような・・・と揶揄された記者会見。予定では親王の筈だった。

優美子さんがつけているブローチは雅子妃のもので、国家財産を私的に使いまわししていることが判明。

また、天皇皇后より先に病院に見舞った為、「順番が違う」と皇后はお怒り。

雅子妃の出産は、分娩室に入って30分もたたないうちに出産だったため、本当に自然分娩だったのかと疑惑を持たれています。別に帝王切開ならそれでいいのに、なぜ隠すのかわけがわからない。

 

 2001年12月7日 沐浴の儀

 2001年12月8日 宮内庁病院を退院

 2002年3月13日 賢所皇霊殿に謁するの儀

プロトコルでは、妃の服装はローブモンタントでなければいけないのに、普通のスーツで臨んだ。儀式の簡略化はここからも見てとれる

天皇から下賜された白羽二重の産着を着ている内親王

 

 2002年6月27日 生後半年の内親王

 2002年8月16日 沼ッ原湿原にて背負子に内親王を乗せて歩く皇太子

 2002年10月28日 御料牧場にて

 2002年10月29日 静養から帰京時

 2002年12月1日 内親王1歳。皇居に参内

 2002年12月5日 ニュージーランド・オーストラリア訪問前の記者会見

お陰さまで,とても今のところ身体が丈夫で,そしてまた,おおらかな性格といいますか,皇太子さまに似ましたのか,何ていうのかしら,ゆったりと,どっしりとしておりますので,その点健康に恵まれた子供を持っているということは,そうでない方もたくさんいらっしゃるわけなので,本当に恵まれたことだと思って有り難いことと思っておりますし,また,こちらでは子供の世話を手伝ってくれる職員も配慮していただいて,手配していただいておりますので,公務などとのことで私自身が面倒を見ることができない時も,そういった職員がよく面倒をみてくれていることもとても有り難いことと思っております。

 

問題発言にカチンときた人も多かったのでは。でも、この発言は次の発言にかき消される。

正直を申しまして私にとりまして,結婚以前の生活では私の育ってくる過程,そしてまた結婚前の生活の上でも,外国に参りますことが,頻繁にございまして,そういったことが私の生活の一部となっておりましたことから,6年間の間,外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は,正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます。

 

 2003年2月23日 皇太子の誕生日画像

0歳から1歳半までの内親王はかなり露出されていましたし、東宮家の静養三昧もかなり大目に見られていました。

この時期、雅子妃は第二子を期待されていましたが、早々に産まない選択を。

ゆえに「愛子天皇」論が出てきます。

 

 

 

 

 

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遼君より木下都議の方が小室圭似ですよね

2021-11-25 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

 謝罪会見をした石川遼をして小室圭に髪型そっくりとか言いますが。

私は全然そうは思ってません。

似てないよ~~~

それより全ての面で似てた・・・木下ふみこさん。

すごかったですね。謝罪なのか告発なのかわからない記者会見。

私、前回の記者会見の後、議会を議員たちがボイコットした件については、個人的に「これはいじめととられかねない」と思いました。

議員さん達からすれば、「ここで木下氏を出席させてしまうと、議員である事を認めた事になるから」って言ってますよね。その理由ももっともだちは思うのですが、やっぱりシカトしたように見えます。

そこを弁護士が突いて「まるで学校などのいじめのよう」と表現したのは、まあ、そうだよね。悪いけど、公務員さん達ならこういう事やるよなと思ってしまいました。

役所ってある意味、学校体質あるんでね。

でも、彼女が自分が何で告発されているかわからないと言った時はびっくり。

私、潔白であるとは申しておりません。また、具体的な内容に関して、先ほどおっしゃられたように、どこがどう起訴されてるのか現状分からない中で、ご説明、現時点ですることができない、このことはご理解いただければと思います」

 どこがどう起訴されているのか見てないしわからないと言った状態で記者会見するって事がもう間違いだったんじゃないかと。

 

で、どこが小室圭そっくりかというと、「家族を巻き込んで危険にさらしたこと」って言った時ですかね。

小室圭も記者会見で元婚約者がべらべら喋ったから母親が仕事出来なくなったとか言ってましたっけね。

それに小室の場合は、人を小ばかにしたような笑いだったけど、木下氏の方は「はああ」っていう大きなため息。

これは同時に目をつぶって「はああ」ってやるので、より人から見ると不愉快になるっていうか、お前な~~~って気持ちになってしまう。

マスクで息苦しいんだろうと思うけど

「そもそも自分がこんな体調不良になったのはマスコミのせいだから。都議会のせいだから」と本音では思ってるんだなと。

 

法律による議員の身分保障は民主主義の根幹。仕事がしたくて議員継続を望んでいるにもかかわらず、議員として十分に仕事をさせてもらえない『理不尽な現実』に悩みました」

この言葉を聞いて納得する人はいないと思います。

しかし、法律上、辞職を強制する事が出来ない事をわかってこういう言い訳をしているわけですね。

法律上はOK,で心情的に×。

やっぱりここは法律的に強制力をある程度持たせることが必要ではないですか?

議員報酬もNPO団体に寄付したとかいうけど、どこなのかわからないし、寄付させる為に納税しているわけじゃないんだし。

色々な法体系が現実と合わなくなっているんですよ。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眞子さんのお買い物

2021-11-24 07:00:00 | 皇室報道

 日本もやっと寒くなって来たけど、NYの寒さはこちらから見ると北海道並ですよね。毎年雪が降ってとんでもない事になったりする映像を見ますが。

デイリーメールに眞子さんの画像や映像がばんばんと出て、日本のマスコミはそれを後追いしている感じですね。

 

   デイリーメールは こちら

「幸せそうでいいじゃん」という意見が多い・・っていうか「勝手にすれば」と思っている人多数ですね。

確かに写真を見ると、それなりに「一人」の行動を楽しんでいるようです。

撮られている事に気づいているのかいないのか。

こういう堂々とした所は好きです。日本でもこういう買い物姿がキャッチされていましたよね。

ただ・・よその国から来たプリンス・プリンセスと比べるとあまりにもみすぼらしくて。きっとそのうち話題にもならなくなるでしょう。

そうなったら余計に危ないような気がします。

とにかく寒そうで寒そうで・・・みんなもっと地厚のコートを着てますよね。

そして

迷子になってうろうろ。

これはこれで日本でなら、可愛い…と思うけど。NYでこの無防備さは危険極まりない。

襲ってくれ、盗んでくれといわんばかりの姿。

元プリンセスだから・・・なんだよね。

なんでこういう時、小室が一緒じゃないのかな。

一人でこの荷物をしょって歩くのは結構大変でしょうに。でもわりと慣れているようにも見えますが。

誘拐されなくてよかったよ~~~

 

小室と外出して「お揃いのフリース」に関しては、「浮いてる」としかいいようがない。

だってみんなダウン着ているのに、この二人だけフリースよ?

寒くない?

若いからかなあ・・・路面がちょっと凍りついているような感じの写真もあったような。

小室はスタスタさっさと歩いて、眞子さんが後を追いかける感じなんですよね。

眞子さんはマスコミを意識せず、小室は常に回りを見ている感じ。

バッグくらい持ってあげたら? うちの旦那はいつもそうしてくれたよ。

いつも手ぶらな小室圭だけど、試験勉強しなくていいの?余裕だなあ。

住んでいる場所に似つかわしくない服装の夫婦です。

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖女か悪女か美智子上皇后の肖像 31

2021-11-23 07:00:00 | 聖女か悪女か美智子上皇后の肖像

  時期不明

組みひもをされる

軽井沢静養中にカトリック教会を訪れて

 

ハープの演奏をする

 1980年元日の天皇一家

 1980年2月23日 浩宮成年式の祝宴

 1980年3月 パナマ大統領宮中晩さん会の前に東宮御所で

 1980年4月15日 スウェーデン国王夫妻を東宮御所に迎える

 1980年4月18日 紀宮の誕生日

 1989年4月22日 ロシニョール杯庭球大会の礼宮

 1980年5月20日 伊豆大島を訪問 御神火太鼓を見る

 1980年夏 ニュージーランド訪問の礼宮

 

 1980年6月 明治神宮を訪れ花を見る

 1980年8月 「シャレー戸隠」に宿泊した美智子妃と紀宮

 

 1980年10月20日 誕生日

 1980年 10月28日 秋の園遊会

スペインのカルロス国王夫妻来日

 1980年11月2日 紀宮と和歌山県を旅行

 1980年11月7日 関東閣(岩崎弥太郎別邸)で寛仁親王と信子妃の結婚披露宴。

 

 11月30日 礼宮15歳に

のどかな昭和の皇室。

それでも礼宮はいつもいつも「頭が悪い」と言われてました。

でもこんなに賢そうな少年を中傷するなんてひどいなと。

紀宮との兄と妹の理想的な姿はもっともっと見たかったなあ。

平成になった途端、今の状況ですから。

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彭帥さん不明問題が政治問題化

2021-11-22 07:00:00 | 政治

中国共産党の幹部の一人と不倫関係を強要された事をネットで赤裸々に発言して、その後行方不明になっている、テニス界のスター、彭帥女史。

你在哪里? 

每个人都在想你。

テニス業界そのものが騒ぎ始めたし、多くのテニス選手達も安否を気遣い、これは一つの大きな政治問題化してしまいました。

っていうか、それでよかったと思います。

中国の怖いところは、いわゆる共産党に不利な言葉を発した人はすぐに行方不明になって1年後あたりに突如姿を現し、その時は別人のようになっているという現実。

気が狂ってしまったり、廃人になったまま、国の機関で雑用をしていたりするわけです。

彭帥さんが今回、注目を浴びたのが「政府高官によって性的関係を強要」されたところで、アメリカなどで盛んに行われている「ME  TOO運動」に関係した、女性達にとっては非常に共感を得やすい問題だったからと言えるでしょう。

でも、今の習近平体制の中、こういう事を発言するには「自分は消される」という覚悟が必要で、彼女はその覚悟を持って発信したのだと思います。

現役時代の彼女

行方不明と騒がれたので、中国政府が出してきた写真

でも、これは季節が合わないじゃないかとツッコミをいれられ。

そこで出して来たのが

です。

ご丁寧に日付入りの動画なのですが。

 

彭帥女史の特徴を言えば、前髪が禿げ上がっているところですよね。

で、紫のジャンバーを着ている彼女が本当に彼女かどうか・・・・

私には食事風景の彼女の前髪が禿げ上がりすぎているような気がします。隣の女性と比べても男性なみですよね。

この日が「11月20日」として翌11月21日はテニスのイベントに登場。

こっちは人が少なすぎと言われて「フェイク」じゃないかと言われているもの。

それに並んでいる人がコーチ以外、違う人達でしょ?

私には彭帥とされている女性の手が・・・変に見える。

過去のものか、顔の部分だけフェイクか。

今時、フェイクを本物のように見せる事は簡単だそうですから。

これら全部、政府が出してきたという所が問題。

本当に行方不明でないなら、本人が堂々と記者会見すればすむことです。

こういう事もあって、「北京五輪外交的ボイコット」が大幅に拡大する予感あり。

無事でいて欲しいけど、今の中国って底なし沼のようだし、拷問大国だし怖すぎて・・・・

 

 

 

 

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする