この一年を振り返って
「この1年というと,ほとんどCOVIDのことになってしまいます。
昨年末ですね,年末に原因不明の肺炎という形で確か報道されましたね。
そういうのが報道されてから日本で感染が確認されたのが1月ですか,本当にすぐだったわけです。
私自身当初はそれほど気にしていたわけではないんですけれども,そのうちにどんどん広がってきて,しかもいろいろ話を聞いていると,かなりその肺炎の症状にしても間質性肺炎のような状況が出てるとかですね,これは相当大変なことになってきたなというふうに感じました。
そのような中で,日本国内においても感染者が広がる中で医療機関が本当に懸命になって誠心誠意,重篤者・重症者の治療に当たることをしているわけですね。
これはとにかく重症者が増えれば増えるほど病院自体がひっ迫,病床をどんどんそれで取っていきますから大変なことになるわけです。
そして今,つい最近また感染者数が非常に増えてきて,しかもリスクが高いといわれている高齢者にも感染者が多くなってきました。
こういう中で,病院の受入れ,それからそれに当たるスタッフの人たちのことが非常に気にかかっています。
そしてまた本当に日夜献身的にですね,このことに従事している医療関係者には頭の下がる思いであります。
このCOVIDはそういう医療の問題とともに経済活動への影響も非常に大きいですね。
やはりこれによって,様々な業種・職種で大変な思いをしている人たちがたくさんいるということも私にとっては心配です。
例えば本当に総論的にそういうことが分かっていますけれども,実際に私の知っている,例えばなじみのあるお店自体が閉店になったりとか,それからそうですね,例えば,農業生産をしている人たちが取引をしているところがクローズしているために困っているとかですね,そういう話を実際,そういう立場になっている人たちからの話を聞くと,より一層その深刻さというものを感じるようになりました。
あとそうですね,この間例えば中学生であったりとか,高校生であったり,それから大学生であったり,様々なその全国規模のコンクールとか大会とか,そういうものが中止になっています。
とにかくその人たちにとっては本当に短い期間しか,そこに参加することができないわけです。そういう人たちにとっても,このコロナ禍というのは非常に残念なことだっただろうと推察しています。
そしてもちろんそういう全国的な催物もそうですけれども,学校における授業,これも例えば大学などは今でもオンラインで行ったりしていますね。
そうするとそういうものというのは,個人個人の通信環境によってもかなり左右されますし,いろいろなところで必ずしも全員が平等にできるわけではないのではないか,ということを思ったりもいたしました。
そうですね,そのほかにも多分このコロナ禍においてはいろいろなところに影響が出ていますので,これは何とか早い時期に収束してほしいなという願いを持っています。
幸い治療法とかは初期に比べると,大分いろいろなことが分かって,確立してきたということは聞いておりますけれども,やはり安全なワクチン,そして治療薬というのが待たれます。
本当にこの1年は,そういうCOVID関係が中心になるわけですけれども,それ以外で思い当たるのは,一つは地球の歴史において,その時代の名称に日本の地名が付いたというのがありましたですね。
最近地磁気が逆転している状況が一番よく残っているということで,千葉の市原市ですか,そこがチバニアンという日本の地名が付けられたということは非常に印象深いことでしたし,またスーパーコンピュータ,富岳ですね,富岳がTOP500で6月に続いてつい先日もまた1位になったということで,これも大変いいニュースだと思います。
これが様々な事柄に利用されていくといいなと思っています。そしてもう一つ,これは国際的な賞ですけれども毎年スウェーデンで行われるストックホルム青少年水大賞というものがあります。これは,日本で行われる水大賞,青少年の水大賞で1位を取ったところが向こうに行って,プレゼンテーションをして,それで競うというわけですけれども,今年はこういう状況ですのでそれらがオンラインで行われました。そうしましたところ,そのオンラインでのプレゼンテーションが済んだ後の発表でですね,日本の青森県の名久井農業高等学校ですけれども,そこがグランプリを獲得したと。
これは2004年でしょうかね,沖縄県の当時の宮古農林高等学校がグランプリを獲得して以来の大変な快挙だと私は思います。
また,その時に高校生が行ったテーマが農業生産,特にアフリカとかですね,そういうところの農業生産に寄与,貢献するということを目的にして,多機能の集水システムを集水とともに土壌流出も抑えるわけなんですけれども,それを日本の伝統的な工法,三和土というものがありますけれども,それを使ってみたらどうかというのでいろいろ実験をしながら開発したということで,今後もしそういうことが実際に使われるようになれば,それこそいろいろなところでの農業生産に貢献するでしょうし,またそれをこの古くから日本にあった技術を使ったということも非常に興味深いことで,私としてはそのことを大変喜んでおります。今思いつくものでは大体以上であります。
何というか、すごく情報量が多いですよね。
殿下は様々な事に網を張って情報取集にたけていらっしゃいますね。
関連質問 眞子さまとは話し合いを持たれたのか
「この間,娘ともいろいろと話す機会がありました。
認めるというふうに申しましたのはそういうことの話合いも含めてのことです。
また,多くの人が納得し喜んでくれる状況の前提として,今までもあった問題をクリア(するために)相応の対応をする必要があると申しました。
私自身,これは人の家のことですので詳しくは知りませんけれども,じゃ,対応を全くしていないかと言えばそんなことはないと思います。
そうですね。ただ一つ言えるのはそれはいろいろな対応をしているとしてもですね,やはりそれが見える形になるというのは必要なことではないかなあというふうに思っております。
KKが何らかの対応をしているとおっしゃるのでしょうか?
だけど見える形じゃなければ意味がないと?
皇嗣になっても宮家当主でいるのはなぜか
「私自身はやはり約30年間,秋篠宮という一つの独立した宮家が続いており,それに対しては非常に愛着を持っています。
したがって,秋篠宮家当主ということについては,私自身もそれは維持していきたいと思っていました。
一方,おっしゃった内廷皇族になるという話はどこかで出ていたのかもしれませんけれども,皇太子とか皇太弟とか名称はともかくとして,恐らく内廷皇族になるというのは少し違うのではないかというのは意見として結構あったと私は記憶しています。よろしいですか。
つまり、本人の意思と関係なく「皇嗣家は内廷皇族ではない」という考え方があったという事ですね。
これは暗に「皇嗣」は「皇太弟」「皇太子」とは違うと線引きされたという事ですよね。
眞子さまとKKが二人で人前で話すことが大事では
「実際に結婚するという段階になったら,もちろん,今までの経緯とかそういうことも含めてきちんと話すということは,私は大事なことだと思っています」
記者:やはり,お父様のお立場としてはお嬢様,あとお相手のお気持ちを今は尊重したいというかそういうお考えで認めるということでしょうか。
「そうですね。どの段階というのがいろいろあるかもしれませんけれども,私は,特に結婚と婚約は違いますから,結婚については本当にしっかりした確固たる意志があれば,それを尊重するべきだと私は思います。
これはやはり両性の合意のみに基づくということがある以上,そうでないというふうには私はやはりできないです。よろしいでしょうか。
皇族の立場上「憲法重視」で、29歳の娘の意思を尊重しないわけにはいかないということです。
「婚約とは違う」というのは、私的な気持ちで、決して喜んで認めているわけではないという事ですね。
眞子様の結婚について、皇嗣殿下は「認める」とおっしゃったけれど、「婚約と結婚は別」と線引きしたり、全体的に現実に眞子さまが結婚するという印象を持っていないのではないかと思います。
眞子様の一途な思いはわかるから「結婚したいならしなさい」だけど、その前にクリアする問題があり、儀式一つするにあたってもK家がそれに耐えていけるのかというと、そうは思ってない。
つまり、殿下は実際には眞子さまの結婚はずっと先の話と思っているのではないでしょうか。今は好きに言わせておいて、いずれ悟るのを待つしかないのかなと。