ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

上皇陛下の健康

2020-01-31 07:00:00 | 皇室報道

 チャーター機の1便で帰国した2人が検査を拒否。もめにもめて政府側が折れてしまったらしいですね。どうして拒否するんでしょうか?

「何の権利があって検査するのか」とでもいうの?私だったら検査して欲しいと思うけど。

何か検査をしてほしくない理由でもあったのでしょうか。

そしてお断りをして1日経過してから「検査を受けたい」などとは・・・

非難が集中する事を恐れての行動だと思いますけど、こんな時にそんな風に考える余裕があるんでしょうかね。

「天皇の母」はフィクションだって言ってるのに荒らしがうるさすぎる。だったら読まなきゃいいのに。初めから読んでいるって所がもうお察し状態です。

人のブログを荒らしている暇があったら内親王のお勉強を手伝ったらどうなの?受験生の心を逆なでして「全然国民に心を寄せない将来の女帝様」では困るでしょうに。

上皇陛下が29日にお倒れになったとのこと。

 上皇后が非常ブザーを押して侍医を呼ぶ

 上皇はいびきをかいているような感じだったけど、処置をしている間に意識を取り戻す

 30日にMRI検査をするもどうして倒れたのか原因となる初見は見つからない

 30日には朝食もとられている

 驚きました。

何がって、前日の事が翌日の午後になって報道された事です。これが「上皇」という立場なんでしょうかね。

意識を失って・・・って、ふらっとなってしまったんですよね。大変健康が心配です。

お歳ですし気をつけて頂きたい。いくら皇居の中とはいえ、朝晩の気温差が負担になるのは事実です。

 こんなんで3月にお引越しなんか出来るんでしょうか?

 

そして

 華子妃殿下が31日=2月5まで検査入院

 婦人科系の精密検査を受ける為

 こちらも大変心配です。年齢的には色々出てきてもしょうがないのですが、華子妃にはいつまでもお元気でいらして欲しい。

 

 

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日本は静かにパニクっている

2020-01-30 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

 小泉進次郎が「育休は休みじゃない。育児っていうお仕事してます」と言ったとか。

まあ、そうだよねーーでも本当に手伝ってるの?っていうか、一人でやってみなきゃ本当の大変さはわからないと思うけどね。

武漢から日本へのチャーター機代8万円は個人負担なんですって。

何となくしっくりこないなあ。1億5千万も選挙候補につかっておきながら・・・

個人じゃなくてせめて所属している企業負担などに出来ないんでしょうか。

チャーター機は3つまでしか受け入れられないと中国は言っているそうですが、残っている日本人はどうなるんでしょうか?

そもそも精神論で感染を防ぐことは出来ないし、いきなり病院を建ててもそれが機能するまでにどれだけの時間が必要でしょうか。

初動が遅かった・・・550万人が武漢を出たというけど、これらの人は帰らないの?

どこへ散ったの?共産党員?

弱い人達が取り残されるんだなあと思いました。

大きな空き地で所せましと動き回る重機の数々も、麻雀卓を叩き割る警官も、唾を吐く患者も夜中に「武漢加油」と叫ぶ人たちも、ちょっと滑稽に思えてしょうがないんですよね。

日本では観光地が軒並み影響を受けて、商売にならないと嘆きの声が。

外国人観光客に頼るとこういう事になるんですよね。

 

奈良県の患者が出てから、まだ1日だけどスーパーではマスクも消毒薬も品薄。

クレベリンは売れて売れて嬉しいだろうなあ。

静かに、本当に静かにパニクっています。

WHOが緊急事態宣言するまでにあとどのくらい?習近平に気を遣う事どれくらい?

人の命より中国のご機嫌が大事なんて言われない様にしてほしい。

 

帰国した人の中で2人が検査を拒否したそうで。

何でどうして?

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新章 天皇の母  4

2020-01-29 07:00:00 | 新章 天皇の母

「紀宮」(きのみや)にも意地はあった。

清貧の学者の家に生まれ浮世離れした生活を送って来た「紀宮」(きのみや)は世の中の「損得」や「利害関係」「根回し」などを知らずに「愛」のみで二宮に嫁いだ。

だから、初めて東宮妃を見た時、その立ち居振る舞いや言葉に衝撃を受け、どのように対処したらよいかわからなかった。

東宮妃は「将来は女性総理大臣」との覚えもある程の才媛と言われていた。

6年もの間、東宮からの求婚を断り続け、それなのになぜかまた会い・・を繰り返し、いつの間にか外国からの報道で「東宮妃」に内定した。

それから、宮中はがらりと変わってしまった。

何がって、いうなれば上が下に、日が西から昇るような、今まで経験した事のない経験をするハメになってしまったのだ。

「紀宮」(きのみや)が小さい頃から教えられ、自ら学んで来たことをことごとく否定され、感情的な東宮妃の言葉が全て正しいとされた。

なぜ義母(はは)宮はあのように東宮妃をお庇いになるのかしら」

最初にそう思ったのは大宮様が崩御された時、東宮妃が「風邪のようなもの」で葬儀に出席しなかった時。

冠婚葬祭というのはどんな国の王族でも出席は義務だし、もしそれを破ればきついお咎めがある筈なのに、東宮妃は責められることはなかった。

理由はわかっていた。

あの時は「紀宮」(きのみや)もその場にいたのだから。

大宮は60年以上も先帝に仕えた皇族出身のお方。今上の母上であるから、その葬儀の手はずを整える為に皇后は奔走していたのだ。

どんな小さなことも目ざとくご注意になる皇后さまには「紀宮」(きのみや)始め、他の女性皇族方もみな緊張していた。

ある小さな事で皇后が「そこは・・・」と東宮妃におっしゃった途端、東宮妃は顔色を変えて「えっ」と小さくおっしゃった。

別に皇后は叱ったわけではない。「ご注意」あるいは「お口添え」をなさっただけだったが、何がお気に召さなかったのか東宮妃は真っ青になってがたがた震え始めたのだった。

皇后も「紀宮」(きのみや)も驚いて「どうなさいましたの」と声をかける。

すると、東宮妃は恐ろしい目で「紀宮」(きのみや)を睨みつけると「あなたとは違うの」とおっしゃるなり部屋を飛び出して行かれたのだった。

「紀宮」(きのみや)は一瞬、何を言われたのか分からず、回りを見たけれどみな黙っている。

一体、何が「あなたとは違う」のかしら。どうしたらいいのかしら。追いかけるべきなのかしら。

「紀宮」(きのみや)が困っていると、皇后は「困った事ね」とおっしゃり、何事もないように打ち合わせをお進めになる。先帝の二宮妃も、他の宮妃方もみな一斉にしらけたお顔をされていた。

そして葬儀の日、東宮妃は「風邪のようなもの」で欠席したのだった。

表の役人達は懸命に「欠席」の理由を「風邪のようなもの」から「夏バテのようなもの」としたり、「体調が・・・」と言葉を濁したり必死にとりつくろったけれど、その違和感はずっと「紀宮」(きのみや)の心に残っていた。

それでも、東宮妃は東宮妃。身分の上下が全ての宮中では下の者が上に忠告する事など出来ない。だから勿論、あの時なぜ東宮妃が「あなたとは違うの」とおっしゃったのかわからない。今も・・・

どんな時も、二宮の妃として「紀宮」(きのみや)は二人の姫を育て、公務に励み、ライフワークの学問に勤しんでいればそれで幸せだった。

しかし、決定的な出来事は起こってしまった。

それは昨年の冬。

今上の女一宮がご降嫁なされ、めでたい日の次の月に天長節がやって来た。

その日は一日中儀式三昧で、「紀宮」(きのみや)も二宮と共に参内し、祝賀を述べ、さらに一般参賀にも参加。

大姫と中姫は夕方、宮中に古くから伝わるしきたり通りの「御地赤」と呼ばれる着物を着せて参内させた。

丁度、4歳の女一宮も可愛いドレスを着て参内し、お上にお祝いを申し上げる筈だった。

歳の順で大姫が一歩、お上の元に出た時、突如、女一宮が

あれ!あれ!」とおっしゃった。東宮妃が懸命に止めるのを振り切って大姫に近づくと、御地赤の袖を引っ張る。

大姫も中姫もびっくりして「ダメよ。今はダメ」といい、必死に袖を引きはがそうとする。

しかし、無理に離されると女一宮はより一層「あれ!」と叫びだし、今度は中姫の裾を引っ張ろうとしがみつくのであった。

もう大騒ぎであった。東宮と東宮妃は「いい子だから」となだめすかそうとし、女官や侍従も巻き込んで「ご挨拶を先にいたしましょう」と言い聞かせる。

しかし、女一宮はまるでほんの赤子のように泣き叫び、柔らかな絨毯の上にひっくり返って泣きわめき始めた。

皇后は少しぞっとしたように「どうしたのでしょう」とおっしゃったが、東宮妃にはそれが詰問のように聞こえたらしく、「だって・・大姫や中姫が綺麗な着物を着てくるからだわ」と言い返しなさった。

名前を出された大姫や中姫は頬を赤くしてご両親の方へ逃げようとする。二宮は娘たちを自分の方に引き寄せ、「お早く女一宮をあちらへ」と言った。

お上も少し不愉快な顔をされて「どんな理由があってもこのように取り乱すとは」とお怒りをあらわになさる。

すると東宮妃はさらに興奮して「女一宮はその赤い着物に触りたかっただけなのに、何で触らせてくれないの。それでも年上なの?大姫、中姫、小さな子を泣かせて罪悪感ないの」と責め立てた。

東宮はおろおろとひっくり返って泣いている女一宮を抱き上げ、女官に控えの間に連れていかせようとした。

「紀宮」(きのみや)は思わず、「それは言いがかりです・・」と言いかけたのだが、その前に皇后が「本日の子供達の服装について打ち合わせをしなかったのですか。お伺いは立てたの?」と「紀宮」(きのみや)を見つめておっしゃった。

はい。あの、てっきり女一宮様も御地赤をお召しになると思い

陛下、子供達の服までは揃える必要がないでしょう。私達はしきたり通りにしているだけです」と二宮は「紀宮」(きのみや)の前にお出になったが、皇后は首を横に振られた。

でも現実に女一宮は悲しんで泣いているのよ。自分より綺麗な着物を着ている大姫たちをみて」

こんな小さな子に着物なんて着せられるはずないわ。なのに、思わせぶりに派手な赤い着物を着て私の子を刺激するなんて。なんて恐ろしいの」

東宮妃は大姫たちにつかみかからんばかりになったので、「紀宮」(きのみや)は思わず膝を折った。

申し訳ありません。私達の配慮が足りませんでした」

場はシーンとなってしまった。

東宮は「もういいじゃないか。「紀宮」(きのみや)も悪かったと言っているのだし」ととりなしにかかる。

ひどいわ。小さな子が泣いて暴れているからって陛下に叱られるなんて。こんなの、普通じゃない。子供なのよ。大姫や中姫のような大きな子じゃないのよ

と今度は東宮妃が泣き出し、どしどしと東宮の御胸を叩く。お上も言葉を失い皇后をご覧になり、「もう挨拶の儀は終わりにしよう」とおっしゃった。

東宮家、二宮家の「お祝い御膳」の時間が迫っていたのだ。

侍従はほっとしてお上を、控えの間にお連れする。

その後ろを皇后も黙ってついて行かれた。振り返りもせず。

 

女官長が「お祝い御膳のお時間です。お子様方はそれぞれお帰りに」

というと、大姫も中姫も不安そうな顔をしご両親を窺う。

母宮がご自分達を庇って謝られたのだと思うと、大姫達は涙が出そうになったがそれをじっとこらえて「ごきげんよう。伯父上様。伯母上様」といい、部屋を出て行った。

女一宮は帰ろうとする姫宮達を追いかけようと起き上がったが、それをぐいっと東宮妃に抱き上げられ「私は一旦東宮御所に帰ります」と言った。

でも、これからお祝い御膳だし。教育係に任せたら」と東宮は言ったが、妃は聞いていなかった。

私、この子と戻ります」と言うなり、さっさと部屋を出て行ってしまったのだ。

じゃあ、待っているからね」と妃の後ろ姿に東宮は声をかけたが一切無視だった。

 

気まずい空気を察した女官長は「ささ、食堂へ」と促した。

すでに降嫁されたお上の女一宮、未草の君(ひつじぐさの君)がご夫君とおいでになっていたがただならぬ雰囲気に「どうなさったの?」と兄宮や「紀宮」(きのみや)に尋ねる。

でも皆、すでに疲れ切っていた。

食堂にお上と皇后が入られ、東宮と二宮、「紀宮」(きのみや)、未草の君と御夫君が席に着いたが、東宮妃は現れない。

先に始めましょう」と明るく東宮は言ったが、皇后は「それでは東宮妃が可哀想ではありませんか」とお止めになった。

東宮御所に連絡をして、急いでこちらに来るように言いなさい」と侍従にお命じになり、言われた侍従は走って連絡を取りに行ったのだが、中々帰って来ない。お祝い御膳が始まる時間からすでに30分以上も経ち、その間、二宮も「紀宮」(きのみや)も黙っている。

皇后陛下。お上をお待たせするのはどうかと思いますわ」と未草君(ひつじぐさの君)が意見すると、皇后は微笑まれ「その通り。でも東宮妃が戻って来た時に私達が先に食べ始めていたら気まずい思いをするでしょう」

東宮妃はお具合でも悪くなさったの?

そうではないけど、女一宮の調子が悪くてね。お上、お待たせして申し訳ありませんわ。でもここはもう少し」

もう少し・・・もう少しと言いながら1時間が過ぎる。

東宮もばつが悪いのか、必死に話題を提供し、一人で二宮や未草君(ひつじぐさの君)の御夫君に話しかける。

東宮妃殿下は、女一宮様を寝かしつけてから参られます」

「東宮妃殿下は女一宮様をお風呂に入れていらっしゃるとかで・・・」

そんなよしなしことを報告されつつ、皆のイライラも募りそうな時、突如、皇后が立ち上がられた。

私、東宮妃が来るまで玄関で待ちましょう」

(え?)未草君(ひつじぐさの君)も「紀宮」(きのみや)もぎょっとした。

それは・・皇后陛下、お風邪を召されては大変です。それなら私が参ります」と「紀宮」(きのみや)はすっくと立ちあがり、ドアを開けようとする。

私も」と未草君(ひつじぐさのきみ)も立ち上がった。

二人はその場にいたたまれないように廊下に飛び出し、冷たい風が吹く玄関へと歩いて行った。二人とも無言だった。未草君(ひつじぐさのきみ)は義姉の思いを理解し、心の中でご自分だけが臣下へ逃げた事に罪悪感を抱いていた。

「紀宮」(きのみや)は唇を真一文字に結び、お長服の裾が隙間風に吹かれるのも構わずひたすら背中をまっすぐにして待っていた。

東宮妃が現れたのはそれからさらに1時間も後だった。

東宮妃はすっかり普段着に着替えていて、「紀宮」(きのみや)達を見ると悪びれもせず「どうも」と言い、食堂へ入って行った。

東宮のお姉さま」と未草君(ひつじぐさのきみ)が言いかけたその時、がたっと崩れ落ちる音がしてはっと振り返った。

冷たい壁に寄りかかるようにして立った「紀宮」(きのみや)の瞳から大粒の涙が流れ落ちていた。

お姉さま・・・お姉さま」優しい義妹の腕に支えられ、何とかしっかり立ち上がった「紀宮」(きのみや)だったが、初めて感じる人と言うものへの憎しみにおののいていた。

私には私の意地がある。誇りがある。私はどす黒い思いを認めない。決して。どこまでもひたすらにこの道を歩んでいくんだわ)

「紀宮」(きのみや)は感情を振り払って頭を上げた。もう弱くない。

 

 

 

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新章 天皇の母 3

2020-01-28 07:00:00 | 新章 天皇の母

おめでとう

二宮と「紀宮」(きのみや)が参内した時、お上は相好を崩して珍しく大きなお声でそうおっしゃた。

「紀宮」(きのみや)にご褒美を上げなくてはね」

お上は上機嫌だった。

お上、「紀宮」(きのみや)は高齢出産になりますのよ

と水を差したのは皇后。

勇気のあることね

と、冷静に皇后はおっしゃった。

「紀宮」(きのみや)は絶えず微笑み「ありがとうございます」と頭を下げる。

二宮は「大姫も中姫も下を欲しがっていますので。でも偶然とは言えあの子達の望みを叶えられそうで嬉しいです」と答えた。

科学的に見ても最近はそういうの(高齢出産)は多いんでしょう?東宮妃だって38歳だったから。私達の若かった頃とは違うね」

常に生物の研究を欠かさないお上は、客観的にみていらっしゃる。

そうはいっても、何があるかわかりません」

皇后はそうおっしゃると顔を曇らせる。

なるべく東宮妃を刺激しないように」とも付け加える。

二宮も「紀宮」(きのみや)も大きく頷くしかなかった。

東宮妃は8年もの間、世継ぎのプレッシャーを受けて適応障害になってしまったのです。今も女一宮の養育がはかばかしくなく、公務もままならない状態ですよ。あなた達が喜びを顔に出せば、どれだけあちらを傷つけることになるか。なるべく控えめに。顔に出さず。よろしい?」

それは十分に承知しています。私だって「紀宮」(きのみや)が高齢で出産に臨む事には心配していますし、喜びを顔に出そうとは思っておりません。しかし、これはめでたい事には違いないと思うのです。皇后陛下より励ましのお言葉を賜れば「紀宮」(きのみや)も安心して懐妊期間を乗り越えることが出来るでしょう

二宮の精一杯の庇い立てと思った「紀宮」(きのみや)は慌てて

私は十分励まされております。お上もお喜び下さっていますし」

ととりなす。

私が祝っていないというの?」

皇后はそれこそ悲し気な目で二宮を見つめた。

私は「紀宮」(きのみや)を心配しているのよ。中姫を懐妊した時、どんな事を言われたの?忘れてしまったの?あんな思いはさせたくないと思うからこそ

皇后、二宮は皇統を考えてくれたのだ」

今度は恐れ多くもお上がとりなしを図る。

さすがの皇后もそれ以上言葉を続けることは出来ず、「そうですわね」とお答えになった。「でもお上。必ずしも男子が生まれるとは限りませんのよ。もし女子だったらそれこそ「紀宮」(きのみや)は何と言われるでしょうか」

誰に何と言われるのかい?」

お上は心底不思議そうな顔をなさる。皇后は言葉に窮し

色々書かれる時代ですわ」とだけおっしゃった。

二宮はこれ以上「紀宮」(きのみや)に苦しい思いをさせたくないと思ったのだろう。

本日はご報告まで」と言って立ち上がった。

食事をしていけばいいのに」と引き留めなさるお上に丁寧にあいさつをして、二宮と「紀宮」(きのみや)は引き揚げた。

二人の背中はめでたい懐妊をしらせに来た宮家の夫婦というより、断罪された者のように丸く、表情は険しかった。

その姿を見送る女官長や侍従長も、あまりの事に慰める言葉もなくたたずむしかなかった。

何だか、ほっとしたね」

お上はすっかり喜ばれて皇后に頷かれ、優雅にお茶を頂く。

しかし、皇后の心にはざわつきしか残っていなかった。

昔から「紀宮」(きのみや)は優等生だった。ご自分達がまだ東宮だった頃、二宮のガールフレンドの一人として東宮御所に遊びに来ていた頃は、可愛いけれどおっとりした女の子にすぎなかった。

けれど、その「おっとりさ」が希少価値として国民から絶大な支持を得た時、皇后はかすかな怯えと危機感を感じた。

どんな時でも皇室の華形はご自分だと信じて疑わない皇后にとって、「紀宮」(きのみや)の存在はご自分を否定するもののように見えたのだった。

誰よりも美しく豪華で立ち居振る舞いからファッションまで、全てにおいて「完璧」を誇ってこられた皇后がなぜわずか23歳の「紀宮」(きのみや)に危機感を感じられたのか、それは誰にもわからない。

けれど、多分、ご自分にはない「何か」を「紀宮」(きのみや)は持っており、二宮はそんな少女を愛したのだと思うと、それだけで胸の奥底に炎が燃え滾るような気がしておられるのかもしれない。

「紀宮」(きのみや)はどんな時でも微笑みを絶やす事はなかった。

どんなに辛い時でも苦しい時でも、皇后がどんなに厳しくしつけをされても、泣き言一つ言うわけでもなく、翌週には課題をクリアしてくる。

何を責めても、虐めても翌週には・・・文句のつけようもない程に頑張って来る。

「紀宮」(きのみや)から皇后に反抗的な態度をとった事など一度もない。

はい。陛下」「申し訳ありません。陛下」「精進いたします。陛下

「紀宮」(きのみや)にとって夫の二宮の存在は絶対だった。そして絶対に二宮の御前に出ようとはしない。そんな控えめにする態度すら、時々腹立たしくなるのだ。

大姫も中姫もこちらが何も言えない程に躾けられて、それは皇后にとっては幸いである筈なのに、どうして・・・

皇統の危機、いよいよ女一宮の立太子を実現し「女帝」を誕生させること。それが旧弊な皇室への大きな風を呼ぶと皇后は信じていらしたが、「紀宮」(きのみや)は見事にそれを崩してしまった。

昔からなんて忌々しい子なの」

女官長はそのつぶやきには聞こえないふりをしていた。

まさにそんな感情こそが皇后の敗北宣言である事に、まだ皇后ご自身が気づいておられないのだった。

 

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新章 天皇の母 2

2020-01-27 07:00:00 | 新章 天皇の母

東宮御所は大騒ぎであった。

侍従や女官たちは上を下に大騒ぎであっちこっち駆け回り、やれ電話、やれマスコミ、やれ政府だと大声で叫びたて、「東宮妃を刺激しない」事に全精力を費やしている。

「紀宮」(きのみや)懐妊の知らせを受けた東宮は読みかけの新聞をぐしゃぐしゃにして、みていたテレビも消した。

どういうこと?誰がそんなこと、許したの?

何となく、唇がわなわなと震えているような雰囲気で、侍従は東宮のお顔を見上げることも出来なかった。

「確かなようで。二宮邸に問い合わせた所、両陛下と東宮にお知らせする前に国営放送に報道されてしまったと申し訳なさそうに・・・」

本当なの?じゃあ・・・本当なの?」

東宮は椅子から立ち上がった。

「はい。大層おめでたい・・・」

めでたくない。めでたくないでしょう」

東宮は怒りのあまり顔を真っ赤にして叫んだ。

と、同時に遠くからガシャーンと物が壊れるような音がした。東宮と侍従ははっとドアの向こうをみやる。

ああ・・・」

東宮は崩れ落ちるように椅子に座った。慌てた侍従はすぐに女官に「茶を」といいつける。

そこに東宮は「ブランデー」といい、侍従が止めるのも構わずブランデーを運ばせた。

東宮御所は今や傷だらけの建物になりつつあった。

せっかく、内親王誕生の為に大改築をして内親王の部屋には転んでも痛くない様にコルクを敷き詰めたというのに、たった4年の間に壁が細かい傷だらけになってしまっている。

食器や調度品、いくつ壊れたろうか。

あれはもう病ですのでほおっておくしかございません。下手にお止めすると気を失ってしまわれますと侍医に言われたこと。

東宮妃は、心に傷を負うとそれを言葉表現しようとしない。

語彙が少ないのか表現のしようがないのか、かといって抑えることもしない。

ただ、回りに物を投げつけたり、罵詈雑言で女官を傷つけたり、そんな事ばかりだ。

この東宮ご本人ですら、妃宮(きさいのみや)には手も足も出ず、ただ黙って時間が過ぎるのを待っているというのに。

おたあさま・・・おたあさまはご存知なの?」

かぼそい声で東宮はお尋ねになる。

侍従は平伏したまま答える。「お知らせはこちらと同時かと」

おたあさまが何とかして下さるよね」

二宮にゆうなの君が生まれてから「東宮妃より先に懐妊してはならぬ」とお命じになったのは他ならぬ皇后だから。

ゆうなの君を懐妊した時も、成婚まもない東宮妃を差し置いてと色々言われたでしょう。「紀宮」(きのみや)が心を平安に保つには懐妊しないことが一番。東宮妃が無事に男子を上げる時まで遠慮するのが賢い」と。

なのに、それを破った?

あの東宮大夫の「二宮に第3子を」というひどい発言のせいか。

女一宮を得たものの、皇室内には「第二子を」という声が大きかった。けれど、東宮妃はきっぱりとそれを断ったのだ。

理由は簡単。「もうあんな思いはしたくない。子供を産むための道具じゃない」と妃が強く主張したからだった。

御実家からの説得もむなしく東宮妃はがんとして譲らず、結局女一宮のみになってしまった。それに対する世間の批判も多い。

東宮は妃と離婚して別な女性と再婚すべきとの言葉すら出てくる始末で、東宮はつくづく心のやりどころがなくなっている。

そんな事が出来たら幸せかも。でも、今、妃の御実家の後ろ盾を失えば生きていけない。

お妃さまが

女官の知らせと同時に髪を振り乱して入って来たのは東宮妃その人だった。

妃はテーブルの上のブランデーを一瞥すると、「私はワインが飲みたい」とおっしゃる。

黙って女官たちは下がり、やがてワインを持ってきた。

あの・・・

東宮は何と言ってよいかわからなかった。

この所、体調のよい時も多くて(つまり機嫌がよい状態)女一宮と一緒に親子3人、レストランで食事をする事も可能だったのに。

二宮のことは

明日、何か公務があって?」

唐突な質問に東宮はうろたえた。

えっと・・何だったっけね」

側付きの侍従が平伏したまま「明日は盆栽展をご覧になる予定でございます」と答えた。

無論、東宮一人の予定。

私も行きましょう」

ワインを飲み干すと妃はきっぱりとおっしゃった。

え?でも体調の波が

その方がいいとお父様がおっしゃったの」

この「お父様」は妃の御実家で、「閣下」と呼ばれている政府内でも権力者である。

お父様がそうした方がいいというならそうする。それに色々方法を考えてくれてる。楽しいこともね。そうだ。私、女一宮とディズニーランドに行きたいわ」

東宮は笑ったらいいのか、無表情でいるべきかお悩みになり、結果的に「そう」と返事をするしかなかった。

ご自分の気持ちをはっきりおっしゃって妃は満足されたのか立ち上がった。

明日の準備をしなくちゃ。盆栽なんか興味ないけど綺麗ねって言っておけばいいのでしょう?私が出て行けばみな歓喜して迎えるもの。「紀宮」(きのみや)なんか

そこで妃は東宮を見つめて笑った。

目にもの見せてやるわ。無事に産めると思わない方がいいってね

 

 

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皇室ウイークリー

2020-01-26 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

1月17日・・・・両陛下 → 人事異動者に会う

        天皇陛下 → 通常業務

1月20日・・・天皇陛下 → 国会開会式

             勤労奉仕団に会釈

       両陛下・愛子内親王 → 映画「キャッツ」鑑賞

1月21日・・・天皇陛下 → 勤労奉仕団に会釈

             通常業務

1月22日・・・両陛下 → 国立障害者リハビリテーションセンター及び国立職業リハビリテーションセンター創立40周年記念式典出席

国立障害者リハビリテーションセンター及び国立職業リハビリテーションセンター訪問

      両陛下・愛子内親王 → 人事異動者に会う

 

秋篠宮家

1月17日・・・両殿下 → 兵庫県訪問

      阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター特別展ご覧

      天皇陛下御即位記念「皇室と兵庫の25年・特別写真展ご覧

      1.17のつどい-阪神・淡路大震災25年追悼式典-出席

      防災関係者からの活動聴取

      昼食会

1月17日・・・眞子内親王 → 「第37回日本伝統漆芸展を見る

       佳子内親王 → キルトフェスティバルについて説明を受ける

      両殿下・眞子内親王・佳子内親王・悠仁殿下 → 宮内庁及び皇宮警察本部人事異動者に会釈

1月20日・・・殿下 → 生き物文化誌学会理事会・評議員会,賛助会員の集いに出席

1月21日・・・両殿下 → ポーランド首相に会う

1月22日・・・両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → 宮内庁人事異動者に会釈

      両殿下 → 第60回交通安全国民運動中央大会」出席

1月23日・・・佳子内親王 → 第19回東京国際キルトフェスティバル~布と針と糸の祭典~開会式出席

       殿下 → 山階鳥類研究所 会議出席

            令和元年度済生会総会について説明を受ける

 週刊誌に踊る「雅子様眞子さま追放」の文字。何様なんだよーーって感じです。

 障害者リハビリ施設を去る時、両陛下は「お大事に」と言いました。

 天覧相撲 

 1月25日 天皇一家が相撲を鑑賞

急きょ、天覧が決まったものと思えます。

もしかしてこれが愛子内親王の「公務見習い」なんでしょうか。

あれほど「着物が負担」と週刊誌に書かせていた雅子さんが、着物で出てくる回数が増え。

やっぱりあれは嘘だったんだ。

着道楽の上皇后と比較されるのが嫌だったんだなあと。

自分が不得意なものはとことん嫌だだけど、自分が一番になってしまえばもう批判される事もない。そういう勝利宣言の一つが着物なんでしょうね。

愛子内親王も「一度着た服は着ない」が徹底してきたし。

20歳の時はさぞや豪華なドレス姿を見せてくれるんでしょう。

 

 

 

 

 

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新章 天皇の母  1

2020-01-25 07:00:00 | 新章 天皇の母

帝の二宮の妃、「紀宮」(きのみや)と呼ばれるお妃が懐妊されたのは如月のひどく寒い日のことだった。

「紀宮」(きのみや)は39歳。3度目のご懐妊。そして実に11年ぶりのご懐妊であった。

東宮家では東宮妃が8年の不妊を乗り越えて女一宮をご出産されたが、皇位継承者となる男子の誕生はなく、このままでは皇室の危機であると政府は考え、女一宮に皇位継承権を与え、外国と同じように男でも女でも東宮に生まれた第一子が帝になるという法案をまとめつつあった。

知らせを聞いた総理大臣は審議中にも関わらず耳を疑い

え?東宮妃ではなく「紀宮」(きのみや)?」と呟いた。

審議は中断され、突如、ご懐妊を知った総理はその場でマスコミからマイクを向けられ「大変おめでたい」と言わざるを得なかった。

その後、次々政治家たちがコメントを発表したが、「紀宮」(きのみや)が誰かすらわからない者もいて注意される始末。

誰もが好意的に受け止めたわけではなかった。

特に、日頃、フェミニズムを気取り「男女共同参画事業」に打ち込む女性政治家たちは一斉に「心から祝うことは出来ない

正直、そこまでするかと思った」とコメント。皇族に対し、あまりにもひどい言葉に本来なら罰則でもあってしかるべきだったが、今では皇室、宮内庁、共に二宮には関心を持たず、ほったらかし状態であったから、文句を言うものはなかった。

なぜ「そこまで」と言われたのか。

それは、まさに今、女一宮の皇位継承が認められ、旧弊な皇室が男女平等への道を開くかと思えたその時、「男子誕生」の可能性を秘めた懐妊が発表されたのである。

二宮には薔薇(そうび)姫と呼ばれる大姫と、ゆうなの君とよばれる中姫がいた。

大姫はもうすぐ15歳。中姫は12歳になろうとしている。

誰もがもう二宮には子供が生まれないと思っていた。

しかし、宮内庁の中で唯一皇位継承に頭を悩ませている東宮大夫が「東宮家に第2子、二宮に第3子を」と発言。

この発言はマスコミによって歪曲され「二宮に第3子」と報道されたので、取りようによっては「東宮家にはもう子供は望めない」「女一宮は不要」ととらえる向きがあったからだ。

しかも当の東宮妃は女一宮を出産して以来、心を病み、それが「男子誕生を強要されたため」と言ったせいで、世の中の女性達の同情を集めていた。

誤解が誤解を生んだのか、誰かが意図的に二宮を貶めようとしているのか、そこらへんは不明であったけれど、「紀宮」(きのみや)は懐妊早々バッシングを受けることになるのだ。

皇室は2000年の歴史を持つ、世界で最も古い家柄である。

しかも、他の国々の王室と違うことは、全て「男系」によって繋がって来たことである。

つまり、今まで全ての帝の父が帝であるという血筋なのである。

仮に女一宮が皇位を継承しても「父が帝」になる事は間違いない。しかし、問題はその後。

女一宮が結婚し、皇配の扱いをどうするか、皇室には全くマニュアルが存在しない。

かりに皇配に「陛下」と敬称をつけそこに子供が生まれたら、それが男子でも女子でも、それは「母が帝」という女系になってしまう。

そうなると皇室が保ってきた万世一系の血筋が壊れてしまい、権威に傷がつく。

「帝」がいるという事で世界から尊敬を受け、その歴史的価値を認められてた国がその権威を失えば扱いが軽くなるし、よその国から安易に侵攻を受けかねない。

時の総理はそこまで考えは至らず、単に「男女は立場が同じ」というフェミニズムに引っ張られる形で法案を成立しようとしていた。

そこにくさびを打ち込んだのが「紀宮」(きのみや)の懐妊なのである。

二宮も「紀宮」(きのみや)も如月の冷たい風を真正面から受けていた。

冷たくて針を刺すように痛い。

それでもお二人は挑むように前を向き続ける。

どのようなバッシングを受けても、3人目の新たな宮の命を守る。それだけを目的にして。

 

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大丈夫?進次郎&滝クリ 東出&杏

2020-01-24 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

 他人事ではあるんですけど。

 東出&杏 

 東出昌大と杏夫妻が別居状態。離婚も視野に。

 東出昌大は女優唐田えりと3年にわたる不倫関係がが発覚

 一度は許した杏だったが、「会いたい」と東出から誘うメールを見てしまった

 今年始めから杏が東出を自宅から追い出す

 という事で。今までイクメンとか清廉潔白なイメージの東出君が実は浮気性であることが発覚。そういうところ、渡辺謙とよく似ているような気がします。

でも東出君は杏とよりを戻したいらしい。とはいえ、双子に年子の子を抱えて育児・家事・仕事をやっている杏からすれば、掟破りもいいところ。

東出は育児をしない方

・共演者キラーだった

と、次々にスキャンダルが出て来ちゃった。

ワイドショーでは、唐田の方にも責任ありという話も。最初から妻子持ちの男性に言い寄るのはよくないというわけ。遊びなら1度で終わらせておけと中条きよし氏の力説に中高年のおばさまは「そうよね」と思うでしょう。

東出君はこれからも共演者と恋に落ちる可能性は多々あると思います。でも正妻はあくまで杏なんだからどしっとしてないと。年上女房の「意地」を見せないとダメです。

東出君は多分、杏に対して完璧すぎる部分を感じているんじゃないかな。自分より何でも出来るみたいな。だから10も年下の甘えっぷりにコロっと入ったのかもしれないけど。

東出君は反省しており、何とか自宅に戻りたいらしいです。糟糠の妻を捨てた渡辺謙とは違うから。

 

 進次郎&滝クリ 

 男児を出産した滝クリは子供の顔を出す事を拒否。

 進次郎に2週間の育児休暇取得を強制

 不倫報道が数々出ている進次郎は何も言えずに従うしかないのでは

 滝クリの資産は3億円

 愛犬アリスには専用ドッグシッターがついていて、世話を任せっぱなし。

 出産前は派手なベビーシャワーを行った

 なのに、進次郎に育児休暇を取らせて、何をさせるのよって話です。

元々好きではない相手だったろうと思います。お互い遊びのつもりだったのに子供が出来ちゃったから結婚したんだよね。

 私は小泉環境大臣の育児休暇取得には反対です。彼が育児休暇を取得しても誰も励みにならないし、誰の為にもならないのです。政治家はそんな事をする前に考えなくちゃいけないことがあるんじゃないでしょうか?

ベビーシッターを雇えばよろしいのよ。産後うつを心配して育児休暇を取得するというけど、産後うつなら2週間では効かないと思うし、そういうケアこそ専門家に頼るべき。浮気性の夫が2週間べたっと家に入られても困るんじゃないの?

 小泉家の嫁になるってすごく大変な事だと認識していたけど、滝クリは喜ばれて結婚したんだよね?でも、こうもやる事がメーガンっぽくなってくると、進次郎の足を引っ張る事になるよーー

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ケンブリッジ公爵夫妻主催のレセプション

2020-01-23 07:00:00 | 皇室報道

 ハリーが出席する筈だったケンブリッジ公爵主催のレセプションが開かれました。

英国とアフリカの投資サミットに出席したメンバーが招待されて・・・この公務は女王から引き継いだものです。

ここで注目されたのはキャサリン妃。真っ赤なドレスがとても魅力的と言われました。

最近は、女王のお気に入りとしてキャサリン妃の名前が上がっているそうですが、もう一人「お気に入り」と言われているのが、ウェセックス伯爵夫人のソフィ。

二人とも、同じ赤かぶりですけどイメージは全く違いますね。

ウェセックス伯爵はエリザベス女王の第3子で末っ子のエドワード王子。

エドワード王子は将来エジンバラ公を継承するかもしれないそうです。

エドワード王子とソフィ妃の間には2人のお子様がいますが、二人とも「王子・王女」でもありません。

特に下のお嬢さんは生まれつき斜視で、マスコミに見られたくなかったのか「レディ」です。

普通にいうなら、王位継承順位も低いし、あまり話題にもならないウェセックス伯爵なのですが、

サセックス公爵が王室を離脱し、ヨーク公が未成年買春疑惑で公務から引退している今、ケンブリッジ公爵夫妻の力になれるのはウェセックス伯爵夫妻なのだそうです。

ウェセックス伯爵と私は同い年で、昔はよく「泣き虫のエドワード」とか言われていました。

チャールズ皇太子やアンドルー王子が派手な女性スキャンダルを起こす中で、エドワード王子だけはわりと堅実。ただし体育会系は苦手という感じです。

日本では「キャサリン妃」「ソフィ夫人」と呼ぶ雑誌もあるようですが、正確にはソフィ妃です。

「HRH」の称号を持っています。また彼女は立派なイギリス人です。

 

傷心のハリーはカナダへ行き、マスコミに「無断で写真を撮ったら法的措置も辞さない」と強気。

でも、メーガンはしっかりカメラ目線で笑っているわけよ。どういう事か説明して欲しいものです。

 

さて。赤と言えば「マサコ・レッド」と呼ばれる程赤ばかり着てた人もいましたっけ。

障害者施設40周年の記念式典で。ジャケットのインナーが不思議と言われているスーツですね。

ボタンブラウス?普通だったらキャミソール風か、真ん中にスカーフじゃないのかなあ。

本当に皇后付のデザイナーってプロなのかそこのところ、ぜひ聞いてみたいわ。

 

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ハリー王子 こんなはずじゃなかった

2020-01-22 07:00:00 | 皇室報道

 週刊誌における皇后の「越えられない壁」は記者会見です。

イギリスへ行くけど記者会見をしない事がすでに決まっています。

こういう事に関して、日本のマスコミはなぜ追求しないのかわかりません。

「適応障害が続いている」っていうのは違うだろってマスコミは河井案里に言ってるのに。

眞子さまの愛の歌に紀子様凍るの理由は「満月」「月の兎」を詠んだから。

日本語読めないマスコミが多いんだなと思いました。

さて、エリザベス女王の声明を受け、ハリーはネットで

 

私が妻と私の為に下した決断は決して軽いものではありません」

「何年もチャレンジし、そして何ヶ月も話し合いを続けて来ました」

「これに関して他の選択肢はありませんでした」

「明確にしたいのは私達は立ち去ってないということです。私達はあなた方の元から決して立ち去っていません」

私の望みは公費なしで女王・英連邦・軍に仕えることでした。残念ながらそれは不可能でした」

「私は私であり献身的であることは変わらないとわかっていたのです。私がこれまで知って来た全てのことから家族を引き離すのに何があったか理解して頂きたいし、私の望む平和な生活への第一歩としたいのです。この国と女王に仕えることは大変な名誉です・・・」

と散々マスコミへの言葉をつなげていくのですが。

ハリーが言いたかったことは

 自分はマスコミのせいで母を失ったと思っている

 そんなマスコミに追いかけられる妻を守りたくて、シニア王族から退きイギリスとカナダを行き来しながら自由に生活したかった

 でも結果は自分が思っていたものとは違って、まさか称号を返上し、軍籍も解かれるとは・・・自分は今後、どのように生きて行ったらいいかわからない。

 それもこれもマスコミのせいではないんでしょうか?

って事だと思います。

 

「自由」を得たのはメーガン一人で、ハリーは王族としての称号をなくし、仕事も失い、家族との絆も切れてしまった。「ただの高卒公爵」になってしまった。

メーガンは「ただの高卒公爵」でも、チャールズ皇太子から3億貰い続ける夫に満足するのか?

現在、メーガンが宿泊している屋敷はロシア人でアメリカから目をつけられている危ない人の別荘。そこを「無料」で借りているんだとか。

で、バンクーバーの30億の豪邸に興味を持っている。湯水のごとくお金を使うことしか頭にないのね。

メーガンはハリウッドに復帰やマスコミを使って本を出したりドラマに出たり・・と色々仕事を模索していいますけどハリーは何も出来ない。育児だけしてなさいというのかしら?

ダイアナの息子、ハリーがそんなにマスコミに傷ついているというのは気持ちはわかりますが、怒りの矛先を向ける先が違うでしょう?

本当にハリーが敵にしなくてはならないのは他ならぬ父、チャールズ皇太子でありカミラ夫人じゃないのか?と思います。

 チャールズ皇太子はダイアナ・スペンサーと結婚する前からカミラと付き合っていて、結婚後もやめなかった。

そこで、ダイアナは悲劇の皇太子妃になるわけですが、その後、とった行動が悪かった。

 仕返しの浮気、それが相手に暴露されてしまう。浮気相手は2人以上。

 拒食症と過食症の繰り返し

そしてチャールズとダイアナのマスコミを使っての暴露合戦が始まってしまい、業を煮やした女王が「別れなさい」と言ったのです。

別れる時、ダイアナは「HRH」の称号をはく奪しないでほしいし、スペンサー家のティアラの使用を認めて欲しいと言ったけど、どっちもかなわず。

超がつく美形のダイアナ妃は、メーガンなど足元にも及ばない程華があり、行動的で品がある人でした。

学歴こそなかったけど育ちがよかったし、純粋すぎて騙されたことにショックを受けていたんです。

パパラッチに追われたと言いますけど、ネタはダイアナが提供していましたよね。

わざとパパラッチがいるところに姿を見せたりしていたし。

警備がつかなかったから死んだわけではありません。警備はちゃんとついていましたよ。いたけど、もしあれが本当に暗殺であれば警備が何人いようとやっぱり結果はああだったろうと思うんです。

ダイアナが苦しんでいたことと、メーガンが言っていることは似ているようで全然違います。

そもそもチャールズが恋人がいながら19歳の伯爵令嬢に結婚を申し込んだ、その事が罪なのです。

なのに、その父親から毎年お小遣いを貰って暮らすっていうのはどうなんでしょうか?

女王のあの判断は片手落ちだったと思います。ダイアナを拒否するなら息子の皇太子にもなんらかのペナルティを与えるべきだったと思います。

ハリーは物事を甘く見ていたんだと思います。

 

 メーガンは2年前からカナダに拠点を移すことを考えていた

 メーガンは夫の交友関係を全て断ち切らせた

このあたり、本当に徳仁親王と似ているというか、今や友達一人もいない天皇皇后になってしまったわけで。「全力で守る」結果、親も弟も切り捨て国民に嘘までついて北朝鮮のような爆上げをさせる皇室にした。

「バイキング」でヒロミが「うちの(伊代ちゃんが)どこに嫁いだと思ってんのよ!って言ってた」と言いますが、メーガンに言えるなら雅子さんにだって言えるんじゃないか?と私は思いますけどね。

 

で、「他に選択肢がなかった」と言いますが、本当にそうでしょうか?

私はそうは思いません。

徳仁親王が「人格否定発言」をした時も、「ほかに選択肢はなかった」的な解釈がされましたけど、そうじゃない。皇族、王族の夫として民間出身の妻にしなくてはならないことは「妻が後ろ指をさされないように教育する」ことだったんです。

 妻のわがままに付き合わない

 立ち居振る舞いをちゃんとさせる

 公務を拒否させない

 浪費させない

 コミュニケーション能力を養う

「エリザベート」でトートに会ったエリザベートが怯えているのに、フランツ・ヨーゼフは「さあ、皇后らしくするんだ」と言います。

「皇太子妃らしく」「ロイヤルダッチェスらしく」と導くという選択肢を取らなかったことが失敗なのです。

 

 

こんなに泣きそうなハリーなのに、メーガンは

これが最新。パパラッチに撮影されたのですが、

 マスコミを敵視しているのにカメラ目線

 アーチーの抱っこの仕方がおかしい

これまたすっかり皇后と同じっていうのがまあ・・・・

すぐにカメラ目線になる皇后陛下。そして愛子内親王をいわゆる「駅弁抱っこ」していた皇后陛下。

まるで写し鏡のよう。違うのはメーガンの方がしたたかで頭がいいということですか?

こんな風にSPに守られて自然豊かな庭を犬と散歩する。気まぐれにアーチーを可愛がっている振りをして話題作り。スーパーセレブ生活がメーガンの理想だったんですね。

 

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