私、実は河野大臣にメールしましたよ。
男系を維持しないといけない理由を連ねたし、どうせあなたは河野2世だから反日なんじゃないのか?とか・・・でも、ごく丁寧な文章で「内親王の子」が即位出来ない理由を書きました。そういうメールは沢山届いていると思います。
が
多分、読んでない。「迷惑メール」になって終わってる
耳が痛い話は聞かない、って事ですよね。
だから25日になってもそういう事をいうわけです。
「現皇室で男系を維持していくには、かなりのリスクがあると言わざるを得ない」
男系リスクっていう言い方がどうかと思うのです。
まず、昭和の頃から皇室と政府は男系を維持する為の努力をして来たんですか?と私は問いたい。
明治天皇は自分の代になった時、伊藤博文を抱き込んで宮家を次々作りました。
明治天皇には沢山の側室がいたけれど結局、成人出来た男子は大正天皇のみ。
孝明天皇だってそうです。
当時の事情は様々あれど、沢山妻がいたからって男子が生まれる可能性が高いとは言えないわけです。
大正天皇は側室を持たなかったけど4人の男子に恵まれました。
男子が授かるかどうか、それは本当に「運」としか言いようがなかった。
昭和天皇はあえて側室を持たなかったけれど、きっちり2年毎に出産を繰り返し、やがて男子2名に恵まれました。
昭和天皇と香淳皇后は皇統をつなげる為の努力をしたのです。
努力の結果、男子が生まれなかったら・・まあ、当時は宮家が多々ありましたのでそれほど大きな問題ではなかったでしょうけど(秩父宮が早死にするとか、高松宮家に子供が生まれないなどのアクシデントは想像していなかったにしても)
戦後、明仁皇太子はいわゆる「殿下の強い意志」を持って正田美智子氏を娶りました。
この時、民法は一夫一婦制になっていましたので、この時からすでに「皇統の危機」はあったのです。
なにせ常陸宮は結婚する時から子供を持つことは諦めていたそうですし、秩父・高松両家に子供がいなくて三笠宮家に男子3人という形。
それでも昭和天皇は心のどこかで「旧宮家の復帰」を望んでいたかもしれません。
もし、美智子妃に男子が生まれなければ旧宮家の復帰を画策する事も可能だったかも。
問題は三笠宮家男子3人全てに男子が生まれなかったこと。
そして徳仁親王が「皇統」を考えず、これまた「殿下の強い意志」で小和田雅子に執着した結果、40過ぎで愛子内親王一人しか持てなかったこと。
そして、もっとも問題は秋篠宮家に産児制限をかけたことです。
この責任は上皇夫妻、天皇皇后、そして宮内庁及び政府に責任があるのです。
戦後、恋愛家結婚が普通になり、誰も積極的に「結婚相手」をあっせんすることがなくなりました。
紀宮清子内親王は、通常なら25歳くらいまでに嫁ぎ先を宮内庁が選定し、お見合いして結婚する・・・筈だったのに、名前が挙がった坊城氏がダメになったらそれっきり。
秋篠宮殿下の紹介がなかったら今もって独身だったと思います。
戦前戦後、昭和時代までは親王にしても内親王にしても、宮内庁が「結婚相手」を探し、きっちりと家庭調査も行い、多産系がどうか確かめて結婚に至るものでした。
しかし、確かに紀宮からはそういう努力を宮内庁は一切しなくなったし、政府も無関心であったと思います。
むしろ、学生結婚した秋篠宮両殿下をバッシングすらしましたよね。
「皇統」を維持する為には、結婚ありきなのです。
菊栄会や常盤会が盛んな時であっても紀宮の結婚は決まらなかった。
だとすると、現在の皇室は旧皇族・旧華族・政界・財界、全てと繋がりが無くなり孤立しているということですね。
その原因を作ったのは他ならぬ上皇后ですが。
社交界を敵に回すと根回しも出来ないし、紀宮がどんなに性格がよい内親王であってもご遠慮されるというのを国民は直に見て来たのです。
であれば、眞子内親王・佳子内親王とも、自分で結婚相手を見つけなければならず、小室圭のようなことになってしまう。
小室圭の後ろ暗さを知っていた警察庁。報告したのに無視した宮内庁。
まさかの騙される形になってしまった内親王。気軽に裁可をおろした上皇。
眞子様の悲劇は眞子さまだけのものではない。
これは「皇室」「皇統」について誰も真剣に考えてこなかった結果なのです。
河野大臣に問いたいのです。
政府は「男系維持」の為の努力をしてきましたか?
皇太子のお妃候補の家柄や多産系かどうかを真剣に調べ、皇太子を諭したか。
その結果「僕は結婚しない」と言われたら「いいですよ。秋篠宮殿下がいますから」と言えなかった政府に男系維持のリスクを云々する資格がありますか?
「600年前に分かれた宮家の復帰は国民が納得しない」と河野大臣は11宮家について言いましたが、それっていつの話?誰の話?
11宮家は臣籍降下して75年しか経過しておりません。また明治天皇の内親王4人が降嫁した宮家、昭和天皇の内親王が降嫁した宮家もあり、現天皇家と遠いわけではありません。それらの皇籍復帰に向けての努力をしたんですか?
秋篠宮家への「猶子」を考えましたか?
内親王と旧宮家の婚姻による宮家を創設。当主は男系男子です・・・という形もあると調べましたか?
その気になれば男系を維持することは出来る。
そうでなければ2000年も続いておりません。
河野大臣のような、皇室について学んだ事もなく、調べた事もなく、歴史も知らず(多分猶子という言葉の意味も知らないでしょう)「男系のリスク」を語れるのかということ。
平成時代に上皇と上皇后が何でも自分で企画して動くようなシステムを作ってしまったが為に、政府に入る余地がなく「触ると祟られる」くらいの気持ちでほったらかしにした結果「譲位」という憲法違反も許してしまいました。
本来なら政府は断固阻止すべきだったのです。
どんなに上皇がわめこうが、上皇后が鬼のような形相で怒ろうが阻止すべきでした。
産児制限をかけたという情報が政府に届かなかった(?)のは政府のアホっぷりをさらす結果になりました。
40歳で悠仁親王を得るという奇跡を成し遂げた紀子妃。
「男系維持」への努力をした秋篠宮家こそ、正しい皇族の姿なのです。
河野大臣に問いたい。悠仁親王は愛子内親王より5歳も年下です。悠仁親王の後を考えるのに愛子内親王を持ち出してくるのはおかしいのでは?
今、政府に出来ることは悠仁親王がより多くのお子を得る為に、ひたすら「お妃候補」を探し、宮家と相談し少しも早く結婚して頂くことです。
「悠仁親王と結婚したい女性がいない」とか大臣は言ってましたけど、そんな事ないです。
プレッシャーをかけているのはマスコミで、それらが「お子様はまだ?」と書き続ければ何も知らない国民は「そう言えばまだかしらねー」っていうに決まってるでしょ?
雅子妃の時だって、多くの国民は関心がなかったのに週刊誌が毎週「懐妊か?」「お腹ふっくら懐妊か?」と書き続け、それを美容院などで読まされた国民は「そういえば」と思ったに過ぎなくて決してプレッシャーをかけたわけじゃありません。
イギリスを例にとれば、キャサリン妃だってメーガンだって次々出産してるでしょ。
健康な女性が悠仁殿下と良好な夫婦関係を築けば子は必ず授かります。
それでもダメだった時は、これは「天の意思」と思い、皇統断絶するしかありません。
はっきり言って、女系になってまで続ける意味はありません。
悠仁親王で最後かもしれない。上等です。
皇祖神がそうお考えであればおのずと道は決まります。
秋篠宮家に奇跡の男子が生まれたように。
皇統が断絶への道を歩むのか、これまでの奇跡が続くのか、それは皇室の「あり方」「生き方」が問われるのではありませんか?
少なくとも令和のような皇室ならなくなっても構わないと私は思います。
河野大臣には「国会議員も障害者がおり、何もしなくても歳費を受け取れる。でも天皇が障害者では困るのだ」と書きました。
何でも「個性」「平等」というけれど、出来る事と出来ない事は明確にありますよね。