ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

八潮の陥没事故はいつになったら先が見えるのか?

2025-02-08 07:00:00 | 政治

最初はこんな小さな穴だったんですよ。

こういう映像、中国のものでよく見るけど、わりとみんなさっと逃げたりしている。

でも、今回はトラックが陥没部分に頭から突っ込んでしまった。

そして70代運転手は、3時間ぐらいは話をしていたけど、ついにどこかに流されてしまったという。

なぜなら、穴がどんどん大きくなってしまったから。

よもやこんなに大事になるとは、八潮の消防署も思わなかったに違いないです。

ゆえに、「消防隊員が安全に救助が出来ないので」という事で、さっさと引き上げ次の日、そして次の日・・・となって今に至るのです。

これって完璧に初動が遅れた消防署の責任であるし、役所の責任でもあります。

もっともっと大変な事態でも、まずは救助が先と言う事でなぜ自衛隊を投入出来なかったのか。

消防署のレンジャー部隊ですら遅れてしまい、下流に流されたであろう運転手の行方はわからない。

ドローンでみたから何だっていうのでしょうか。

いい加減、住民も怒るよね。

人災の部分も大きいのでは?

建築部門で働く人達をないがしろにした結果、こうなってしまったという意見もあり、なるほどなと思います。

下水道というのはインフラの底辺で、とても大事ですよね。

それを長年ほったらかしにしてしたつけが今、来ていると思います。

 

こういう事故の場合は自賠責の適用にならないのだとか。

じゃあ、70代運転手さんへの補償はどうなるの?

誰が悲しくて70代でトラックを運転するかしら?趣味ではない。仕事ですよ。

年金では足りないからきっと働いていたのだと思います。

それが家族は泣き寝入りでしょうか?

家族がいるのかわからないけど。

こんな理不尽な事ってありますか?

八潮は最近、開発が進んでいる場所ですよね。駅が出来るから建売も多くて、今後は栄えるのかと思っていたけど、こんなんでは無理ですね。怖くて住めない。

問題は、こういう事が八潮だけでなく、日本中で起こる確率が高いという事ですよ。

水がない、水を使うな、流すなと言われておとなしく従っていられるのはいつまで?

受験生もいるし、老人もいる。商売をしている人もいるのに。

ただただ「穴の中は危険なので脇から穴掘ります。わ~~下水道が流れてきた。やばい。この水をどこかに吐き出さないと・・・あれ?運転席に運転手いないよ。

もしかしたら下流に流されているのでは?」って感じでのんきすぎるのです。

水を使うな、流すなと言われてでも被害者の為と思って我慢していたのに、何だか知事が偉そうに「指示しました」とか喋っている。

これは絶対におかしいではないですか。

気の毒でしょうがないです。

役所って所は上から何か指示されないと動けないんでしょうかね。

ただぼやっと穴を見つめるばかりの人達を見て、国民は責めるわけにいかないし、かといっていら立ちも感じる。

もっと迅速になんとかならないものかと思います。

 

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小和田雅子嬢の本性

2025-02-07 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 さて、私達の目に写真週刊誌を通して入ってきた小和田雅子さんはバブル時代の象徴のように見えましたね。

ハーバード大卒で東大を受けたら受かっちゃって、しかも母国で働きたいから外交官試験を受けたらさらに受かっちゃった・・・というあたりがまさに何でもありだなと。

実際にはこの年、女性で外交官試験を受け合格したのは最多の3人でした。そして私達が当時知り得なかった情報として

 小和田雅子がハーバード大に合格したのは父親が教授をしていたから。ハーバードは実はとってもコネに弱い大学である。

 現役外交官の娘で小和田恒の娘が試験を受けて落ちるわけがない

ということでした。要するにここらへんから「頭脳明晰で美女のお妃候補」としての売り出しが始まったんでしょうね。

 

では次の一枚は

これは1987年(昭和62年)に写真週刊誌に載った写真。俗に「指差し恫喝」写真と呼ばれるものです。

前年、あれだけ派手にマスコミデビューを果たし「美しすぎる外交官の卵」「清原級ルーキー」ともてはやされた小和田雅子がいきなりマスコミに指さし恫喝です。

外交官試験に合格してから2週間もたたない1986年10月18日、雅子さんは元赤坂の東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女の歓迎の茶会の席に招かれた。

彼女の名はタイプで打った招待者名簿に手書きで追加されていた。

意外に知られていないが実はこの時、雅子さんは外務省筋が推奨するお妃候補の最右翼だったのである。お妃候補の選定に動いた中川融・元国連大使(61)の証言

【85年秋、英国留学から皇太子が帰国されてからすぐ宮内庁で本格的なお妃選びが始まった。私にも依頼が来たので私なりに外務省関係者にあたってみた。するといろんなところで雅子さんの名前が出た。宮内庁に推薦したのは外交官にパスしたあとでした。推薦したのは彼女一人だけではありませんが、雅子さんを第一候補として推薦しました】

あらかじめ演出された出会いであったがこれが皇太子と雅子さんの初めての顔合わせとなった。その後、御所で開かれた内輪のお茶席、日英協会のパーティなどで出会いは積み重ねられた。

翌87年、高円宮邸でのパーティは、皇太子に決定的な印象を残した。この日、同席予定の英国人夫婦が欠席、高円宮夫妻のほかは皇太子と雅子さんだけが招かれた形となった。皇太子はインド、ネパールなど外遊先で撮った写真のアルバムを持参。歓談は深夜に及んだ。

が、二人の「デート」はマスコミに漏れ、取材陣が殺到した。当写真は「どの社ですか。名刺を出しなさい」とカメラマンを一喝する雅子さん。中々の迫力でありました」

この件に関しては「小田桐誠著【消えたお妃候補たち」には

自宅を出てきた小和田雅子の前方に、早朝から張り込んでいた写真週刊誌などマスコミ4社のカメラマンが群がり、一斉にフラッシュをたいた。彼女は顔をこわばらせ、
なんですか、あなたたちは。やめなさい
と抱えていたバッグで顔を隠した。カメラマンたちは構わずシャッターを押し続ける。
あなたたち、どこの会社なの。名刺を出しなさい」
と憤りをあらわに二の矢を放った。それでも取材攻勢はやまない。このため彼女は自宅に駆け戻り、息を切らしながら「お父様ァッ、お父様ァーッ!」と叫んだ。

1993年発売「SPA」にて田中康夫は

例えば、自宅前で激写(フォーカス)された際、舌打ちしながら明らかに「馬鹿野郎」と呟き、「どこの社(プレス)よ、名乗りなさいと気丈な反応を見せた魅力を、今の彼女の中に見出すことは、難しい。

この写真の小和田雅子から感じ取られるオーラはなんでしょうか?

いくら男女共同参画時代、男女平等の時代とはいえ、マスコミ相手に「名刺を出しなさい」と20代の女性が恫喝する上から目線。

普通は「どのような取材なのですか?お答えすることは出来ません」で済むような話なんですけど、見事にキレてますよね。

もし「お父様ーー!」と叫んだのが本当だとすると、虎の威を借りる狐のごとく、権威主義にも見えます。

「馬鹿野郎」という言葉も今時は普通かもしれませんけど、良家の女性なら絶対に口にしない言葉です。

いきなり登場した「お妃最有力候補・小和田雅子」の名前は私達、皇室に関心のない人の間にも十分に浸透するように繰り返し週刊誌等が取り上げ、皇太子の初恋のように語られ始めました。

しかしながら、私達庶民からすると皇太子と小和田雅子の共通点が何も見えてこないんですね。ツーショットの写真もないし。本人は皇太子なんか意に介さない感じだし。ちょっと感じ悪いというか、お友達にはなれないなあと感じたのは

1989年9月、留学中の小和田雅子を追いかけてマスコミが取材している中、彼女はきっぱりと「わたくしはお妃問題には関係していません、ずっと外務省職員として生きていきます」と言った事。

確か「浩宮さまとは結婚しません」みたいな話もしていたようで、そのあまりのきっぱりとした姿に「こりゃ駄目だわ」と感じましたね。

でもさらに1年前、88年にしつこい新聞記者に「あんな家にはいかない」と言い放ったそうで。

小和田雅子さんの⒦の手のエピソードは枚挙がありません。

 駅で写真を撮られた時に記者の胸倉をつかんでゆすぶり「フィルム出しなさい!」と怒る

 駅のホームでマスコミに気づくとタートルの襟をあげて顔を隠す。

 「マスコミってウジ虫みたい」発言

 温厚なベテラン記者の名刺を目の前で破り捨てた

残念ながら上記のエピは全て結婚後に出て来たもので、リアルに報じていた写真週刊誌ですら「なかなかの・・・」と誉め言葉調で、よほど皇室に関心がある人でなければ「こんな女はダメだ」とは思わなかったのではないかと。

これらの事実から見えてくるものはなんでしょうか。

 小和田雅子の皇太子妃への推薦は外務省&小和田恒主導で本人無視の形で進められた。

 何で「お妃候補」を国連大使やら外務省にもお願いするのよ。政治的な関りを持つ家は避けるのが普通なのに。

 小和田雅子は自分が本気で「お妃候補」になっているとは思っていなかった。

 高円宮邸に招かれた時も「私ってすごい」程度の感覚で恐れ多いなどとは一切考えていなかったでしょう。だから長々と時間を気にせずお邪魔して・・他人様のお家に深夜までい続ける図々しさは今も健在。

 皇太子はぱっと見、小和田雅子は好みのタイプだし、物をはっきり言う女性には会ったことがないので新鮮だったと思うが「小和田雅子が一番」と回りに洗脳されていったのではないか。

 例えば「最近の流行はいちご大福で」

「いちご大福とは?」

「えーーいちご大福知らないんですか?遅れてるーー」みたいなノリが好ましかったと思われますが、皇太子自身、自分が言った「ティファニーであれやこれや買う人は困る」をあっさり忘れているところがかなしいですよね。

 見た目、学歴、高級な服装、流行りのキャリアウーマンという外側からのみ「皇太子妃にふさわしい」と思われた。そう思ったのは皇太子のみならず、その母である美智子皇后だったろう。

 

愛子内親王が見事にお母さまに似て来たなと思う今日この頃です。

 

 

 

 

 

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日テレの「今を戦前にさせない」は間違ってると思う

2025-02-06 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

今年は戦後80年です。

だから靖国神社に人が集まり、そして遊就館にも人が来るのかなと思ったりもしますが、日テレが掲げた「今を、戦前にさせない」というキャッチフレーズには反対を表明致します。

理由

1 「戦前」を「戦争」とひとくくりにしていいのか?

そもそも「戦前」とはいつからいつまでの事なのか?

明治から昭和16年までというならそれは大きな間違いだと思います。

日テレのいう「戦前」は直接太平洋戦争を想起させるだけでなく、明治から日本の目標であった「富国強兵」という思想を否定する事になるからです。

「富国強兵」・・・教科書では悪しき思想と言われていますが、国が栄え兵力が高い国というのは世界中どこの国でも同様に目標にするものではないでしょうか?

まして明治維新の当時は列強と呼ばれるヨーロッパやアメリカが侵略戦争をしかけていた時です。アヘン戦争で負けた清が解体されて混乱が起きたように、ハワイのように結局アメリカに併合されたように・・弱いものはどんどん強者に飲みこまれてしまう。それを防ぐ為には一番は「輸出」で外貨を稼ぎ、徴兵制により軍事力を上げる。当然の思想なのです。

2 本当の「戦前」とはいつからなのか

日テレの特集を見ていると、一回目が「対馬丸の悲劇」二回目が「伏龍」の悲劇でした。

「対馬丸の悲劇」

これは昭和19年8月に起こった事です。

沖縄戦に備えて学童疎開をさせる為に「対馬丸」に沖縄の児童を乗せて九州に向かっていた所をアメリカの潜水艦に魚雷攻撃を受けて沈没。多くの子供の犠牲が出たという物語。

私達世代は国語や歴史などで習ったのですが、日テレでは実際に対馬丸と一緒にいた暁空丸に乗船していた当時小学生の老人にインタビュー。

那覇出身の子は対馬丸。自分はそうでなかったので暁空丸だった」と。でも対馬丸の方がかっこよくていいなと思ったらしい。

確か、小さい頃に読んだ本では対馬丸は赤十字の旗を立てていた筈なのですが、一度前線に出た経験のある船だったのでアメリカからマークされていたという話。

その老人は「目の前で何が起こったかわからないうちに対馬丸は爆発して沈んだ」そして彼の船は一生懸命に逃げたそうです。

これ、私が小さい頃思っていたのは「なぜ民間人が乗っている船を狙ったのか」という事で、こういう話を知るべきなのはむしろアメリカの方ではないかと。

「戦争をしてはいけない」確かにそういうメッセージは飛んでくるのだけど、対馬丸を沈ませたのは日本ですか?日本の身勝手な戦争のせいなのですか?

アメリカの潜水艦は、沈ませた船に沢山の小学生が乗っていた事を知っていたのでしょうか?

今、沖縄戦に行ったアメリカ兵が実は多くの民間人を殺した事で精神的にPTSDを患ったという話を聞きます。

「人間機雷伏龍」

私、先日遊就館に行った時、回天を見て「大嫌い」と言いました。こんな残酷なものがある事が許せなかった。飛行機で特攻する方がましだと。

海の中では空気がないし、圧も掛かるし下手すると目的地に到着する前に事故で亡くなる事が多い。「きけわだつみの声」などでも訓練中の死亡が確認されています。

「人間機雷伏龍」というのはあまり知られていませんが、昭和20年3月に試作された特攻方法で、ゴム製の潜水服に潜水兜を被ってわらじを履き、機雷を持って水中で船を狙うというのもの。でも、これは訓練中の死亡が多く、日テレの番組に出てきた人は失敗して圧迫死をするところを寸での所で先輩に助けられた経験を持つ。しかし、その先輩も訓練中に圧迫死。要は兜の中の空気の調節が難しく、少し間違えるとあっという間に沈んでしまう代物だったのです。

番組では「どうしてこんなバカなものを作り出してまで戦争を続けようとしたのでしょうか」

「平和が一番。戦争をしてはいけない」と結ぶのです。

そのうち、特攻艇「震洋」のようなベニヤ板で作られたものも出て来るかもしれません。

結びはいつも「どうしてこんなものまで作って戦争を続けようとしたのか」というものです。

ウクライナの戦争を見てても思いますが、戦争というのは止め時が大切で、それがわからないから延々と続くのです。

 

3 日テレが言いたいのは「戦前」ではなく「戦中」ではないのか

第二次世界大戦が始まったのが1939年。そして太平洋戦争が始まったのが1941年。そして実際に日本が空襲されて原爆が落とされるようになったのがおおよそ1944年から。実際ミッドウェーで惨敗するまでは国民の中にもそれ程の危機感はなかったと思います。昭和19年、あちこちに空襲が始まって国民は初めて「この戦争は大変な事になる」と思ったのではないでしょうか。

何もわからないのに戦争に巻き込まれた・・・と思われがちですが、日本人は当時は新聞を読み、ラジオを聞き、情報には接する事が出来てただ虚偽の報道と、マスコミが作り上げる「煽り」に乗せられていたと言えるでしょう。

そういう意味では、今のマスコミが煽る「多様性・外国人移民・夫婦別姓・中韓との国交」という左翼メッセージは、まさに「戦前」かもしれない。

でも、今回は戦争に向かうのではなく、戦争の前に侵略を許すと言う事で、もうすでに中国に侵略されかかっているのに、多くの日本人は関心を持たず反対もせず、「最近外国人が多くていやね」「観光地が大変よね」くらいにしか思ってないのです。

価値観の違う異国人との共生は嫌だ

・他国の宗教を押し付けられ、神社や寺が破壊される事は嫌だ

・不法移民の放置と犯罪に対し不起訴を下す警察と裁判所に反対

・日本の伝統や文化の意義を大切にしたいのに生活習慣まで変化させられるのは差別である

・誰が誰を好きになってもいい。でも、それを認めろと大声で喚くな

という事を言いたいのに、言えない雰囲気があります。

たかが男女のもつれを会社の問題にまで大きくして人を死に至らしめるこの国の現状にNOを言いたい。でも言ったら終わり。正直に告白したら外された。

こんな専制主義的な国があるでしょうか。

売国の極みがあるでしょうか。

4 80年前の戦争は歴史の1ページにすぎない

私はもうそう考えて、いつまでも過去に囚われる必要はないと思います。

例えば原爆。今はボタン一つで国を一つ消す事が出来る。広島や長崎の比ではないし、戦争の仕方もドローン、あるいは宇宙からの攻撃になっている。

今更80年前の戦争の悲劇を語っても、仕方のない事なんです。

対馬丸を語るも結構、特攻隊を語るも結構。

けれど、その時、その場にいたら人はみな同じ事をしたかもしれないという視点が欠けています。

軍の上層部が悪い・・・・それって今のフジテレビの日枝のような人があの当時もいたからと思えば納得しませんか?

どうしたって辞めさせることもできず、マスコミは煽る。

80年以上前が問題なのではなく、今もまた同じで形が違うと言う事です。

歴史を学ぶ事は大切だし、どのようにして戦争が起き、なぜ日本が敗戦国となり今に至るのかという検証も大事。

けれど、いついかなる時も「日本が悪い」と報道する意図は何なんでしょうね。

対馬丸を撃沈させたのはアメリカ、原爆を落としたのもアメリカ、東京大空襲もアメリカ、その前に戦争を止めていれば悲劇が起こらなかったという議論は今だから言えることで誰も先は読めません。

先般「遊就館」を見学に来る外国人が多いと感じたと書きましたが、その理由は負けた日本を貶める事ではなくて、日本の当時の零戦の性能がいかに素晴らしかったか、戦艦大和が世界に誇るものではあったかを目の前で見たいという素直な欲求もあるのではないでしょうか。

それもこれも「歴史」であって、「経験」であって、今ではない。

今、生きて戦争を語る人達はある意味日本の左翼思想に支配された人達だから、全てを否定する。悲しみと共に自分の国を否定するのです。

 

5 今、日本は戦前か

では、今、日本は「戦前」なんでしょうか?

戦前、昭和元年から16年あたりまでの日本は、わりと自由な空気があって、モボやモガが銀座を闊歩し、おしゃれを楽しみ洋楽に親しみを感じていた時間でした。

無論、徴兵制はあったけどそれは「罰ゲーム」ではなく、むしろ検査に落ちると男性として一人前に見て貰えない恥ずかしさがあった。勲章の一つです。

華族制度があり、男性華族はみな軍人になる事を義務付けられました。皇族も同じです。庶民レベルでも金儲けして格差は広がっていたと思います。

都会で富をむさぼる人と、地方で貧しさのあまり人身売買される人といた事は事実で、そういう事が226事件に繋がった事もあるでしょうね。

今の日本は全体的に貧しくなりました。

賃金が上がらず、格差は広がるばかり。

増え続ける中国人やクルド人らに生活を荒らされている現状。

これは80年以上前にはなかったものです。

もし、戦前と近いものがあるとすれば、アメリカでトランプ大統領が出現した為に、カナダやメキシコ、中国に関税をかけ、対抗措置を取らせている現状。

つまり日本がアメリカにされた事を今、中国などがされていると言う事です。

ヨーロッパでも保守層が台頭し始め、「民族の原点に戻ろう」という動きが活発になっています。

大らかな他民族主義では地元が迷惑するという事ですね。

よその国で暮らす民族はみな地元へ帰れ、これ以上迷惑をかけるなと言う事です。

特にイスラム勢力と中国人・韓国人らによる自国の文化の押し付けが彼らを保守的に排他的にしているのです。

第三次世界大戦が始まるとすれば、それは中国が起こすかもしれない。

日本は巻き込まれてあれよあれよという間に中国に飲みこまれて言葉や文化を奪われ、アメリカにも見捨てられ、奴隷のような生活を強いられることになるでしょう。

そうなってもまだオールドメディアは「日本が過去、悪い事をしたから当然」と言い続けるのでしょうか。

そして「戦中」を「戦前」と言い換えて昭和史を間違った方向に誘導しようというのでしょうか。

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秋篠宮両殿下 授賞式に出席

2025-02-05 07:00:00 | 皇室報道

2月4日、秋篠宮両殿下は若手研究者を対象とした日本学術振興会賞と、日本学士院学術奨励賞の授賞式に出席。

同じ上野でも天皇一家とは全然違いますね。

例年と違う事があります。それは紀子様が着物ではなく洋服であったこと。

少し体調が終わ類のでしょうか。顔色がさえないような。

先日の佳子様の「聴覚障害児・・・」公務のお休みから、何かが起きているような気がしてざわつくんですよね。

悠仁親王の成年式が近いのに、なぜ紀子様の表情がすぐれないのか。

嫌がらせや誹謗中傷が直接的に行われているのか。

開示請求とか今はやりやすいと聞いていますけど、出来ないものでしょうか?

 

さて、秋篠宮殿下はタイのナレスワン大学大学から畜産学の名誉学位を授与される事がわかりました。

殿下はシリントン王女と共に鶏の研究に力を入れておられ、12個目の学位になります。これはすごい事ですね。

そういえば、タイの王が変わってからタイに行く事もなく、シリントン王女のお姿を見る事もめっきりなくなりました。お元気なんでしょうか。

殿下は2月26日にタイに飛び、28日に帰国されます。

本当はもっと研究の為に滞在して頂きたいものですが、そうもいかないのでしょう。

でも本当におめでとうございます。

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小和田雅子嬢がお妃候補になったきっかけ

2025-02-04 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 時間と言うのは風化していくもので、「当時」を知らない人が本当に多くなりました。

知らないから好き勝手に「素晴らしい」だの「愛子様を天皇に」だの言えると言う事ですよね。

昭和を知らない人、平成時代を知らない人。みんな同じです。

そこで学べばいいけど、教科書的に知ってるだけでは本当は語る資格はないのです。

今まで当ブログでは何度も雅子さんの独身時代からの検証をしてきたし、他のブログでも散々写真などが載せられて知っている人も多いと思うのです。

私達国民が何によって「小和田雅子」を知り、何によって「お可哀想」になったのかということを振り返ってみたいと思います。

 浩宮徳仁親王のお妃候補問題は彼が成年式を迎えた1980年から始まり、報道が過熱。

 旧皇族・旧華族の女性達はいうに及ばず、沢山の女性が名をあげる。

北白川3姉妹・久邇晃子・徳川冬子・伏見章子・柳原家・三井家・服部家など。

 小和田雅子さんの名前は最初は入っていなかった。父親が外交官、祖父がチッソの会長ということで政治と公害に関わる家系の娘はふさわしくないとの向きがあった。

 後藤田正晴氏「(小和田雅子が入内すれば)皇室に筵旗が立つ」と発言。

この後藤田氏の発言は今ではすっかり忘れられていますが、思えば怖い話。「筵旗」というのは、政治家であった彼の小和田家に対する意識なのです。

 お妃候補たちは自らさっさと逃げ、美智子妃は「旧皇族・旧華族」を嫌い、お妃選びは暗礁に乗り上げる。

 事の発端は昭和34年の正田美智子さんの入内が原因です。お金はあるし学歴もあるけど、伝統と家柄がなかった正田家の「旧皇族・旧華族」への恨みや、逆の「さげすみ」に東宮家は自ら関係を断ち、そのせいで紀宮の結婚も遅れ、浩宮のお妃候補も現れなかった。

 1986年(昭和61年)スペインのエレナ王女のパーティで浩宮と小和田雅子は出会うが、最初は小和田雅子は招待されておらず、手書きで名前が付けくわれられた。

私達国民は、毎日写真週刊誌や女性週刊誌で色々なお妃候補の名前をしる事になり、その報道のあまりの加熱さにうんざりしていた事もあります。

当時の皇太子夫妻への記者会見でも必ず「浩宮さまのお妃候補」について聞かれて、しまいには「答えません」という事になりました。

ただ、皇太子は当時、「価値観が同じ人。ティファニーであれやこれや買う人は困る」と発言しており、今思えばティファニーに対して失礼な発言だと思うけど、当時は好感を持たれていたような気がします。

(実際には海外ブランドしか好きにならない人をお妃にしたわけですが)

私達は当時の皇室については「まれにみる質素な皇室」と印象付けられていました。その理由は昭和天皇がそういう方であってことや香淳皇后の露出がそんなに多くなかったことで、美智子妃のあまりに贅沢な衣装類に関しては「きっと実家の支援があるんだろう」くらいにしか思っていませんでした。

私達国民は全く小和田雅子さんには興味がありませんでした。

なのに、国民に無理やり印象づけたのはマスコミです。

外交官に清原級のルーキー」ハーバード出身小和田雅子さんの完全無欠

 ハイソサエティ(いわゆるセレブ感)ムンムン

 父親が外交官だから7歳までにモスクワ・ニューヨークで生活体験

 田園調布雙葉に入学後、高1で渡米、大学はハーバード大経済学部

 ここで優等賞に輝いた彼女はIMF/国連・世界銀行の仕事も考えたが母国の為に働きたくて外交官試験を受ける

 東京大学法学部に学士入学したけど、外交官試験もあっさり受かってしまった。

 英語はペラペラ、ドイツ語フランス語は日常会話はOK.頭はとびきり「優」

 

 毎日新聞昭和61年12月6日

麗しき外交官の卵

これらの写真と文章であなたが当時の国民だったらどう思うでしょうか?

そしてこの写真が受け取る印象はどんなものでしょうか?

ちなみに女性で外務省に入った雅子さんの同期もいたのですが、ここまで取り上げられていません。なぜ彼女だったのか?

そこまで美しくて優秀と言えたか?

でも国民はこの記事に大いに「雅子さんって頭がいいんだね」ぐらいは思ったと感じています。

実際には「外交官」にはなれず、事務職で親のコネ頼りの日々。

そういう所は本当に愛子内親王とよく似ています。

 

 

 

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天皇一家 車椅子バスケット観戦

2025-02-03 07:00:00 | 皇室報道

2月2日、天皇一家が「天皇杯 第50回記念日本車いすバスケットボール選手権大会」

を観戦。

午後の4時におでまし。

すごく寒くて雪でも降りそうな時に、春めいた空色のチョイス。しかもリンクコーデ。愛子内親王の服は完全春物では?

皇后のいんなーは最近、よく着ているもの。

またバミリを確かめて並んでるのかな。

それにしても、靴も空色。青春の色とでも言いそうな感じですね。

愛子「あのスピードでよく止まれますね」だから車椅子バスケなんじゃん?

私には親子三人で公務稼いで何とか「愛子天皇」に持って行きたいとしか思えません。

おかしくないですか?23歳の女性が単独ではなくいつも両親と一緒。

その方が回りも安心するんでしょうけど。

今年は何もしない予定かしら?

まだ未確定情報ですが、悠仁殿下の成年会見と加冠の儀が5月になるとか。

何で?3月でいいじゃないですか。どこの誰がサボってこうなるの?

 

 

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皇室ウイークリー

2025-02-02 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

1月24日・・・・一家 → 皇宮警察本部年頭視閲式を見る

       天皇陛下 → 国会開会式

              通常業務

1月27日・・・両陛下 → 農林水産祭天皇杯受賞者に会う 業績を見る

       一家 → 「モネ」鑑賞

1月28日・・・天皇陛下 → 離任大使に会う

              通常業務

1月29日・・・天皇陛下 → 認証官任命式

              赴任大使に会う

1月30日・・・天皇陛下・愛子内親王 → 孝明天皇例祭

       天皇陛下 → 勤労奉仕団に会釈

 

皇嗣家

1月27日・・・殿下 → 山階鳥類研究所会議

1月30日・・・両殿下・佳子内親王 → 孝明天皇例祭の儀

 愛子内親王の「モネ」は結局スカートのスリット問題に終始して終わりです。

  一人では何も出来ない断定ですね。

  というか、何しに美術館に来てるの?写真映りばかり気にしておかしい。

世の中では悠仁親王の一軒家探しとか言われていますが、いっそ、筑波に別邸をお持ちになればよろしいのでは?

令和が続く限り、秋篠宮家はどの御用邸も使えません。皇嗣の身分だというのに不公平すぎます。

立派な所でなくてもいいから、皇宮警察の詰め所を新たに作る事が出来る程度の家か、土地を探す。

秋篠宮家にならいくらでも・・・という土地持ちはいそうな気がします。

 

 1月24日 常陸宮華子妃殿下「肢体不自由児・者の美術展/デジタル写真展」

先週も載せましたが、よりよい写真があったので。

お元気そうだったんですけど、コロナに感染されて。よくなられたかな。

 

 第68回日本学生科学賞 12月20日

 

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秋篠宮家 関東東海花の展覧会へ

2025-02-01 07:00:00 | 皇室報道

毎年恒例、「関東東海花の展覧会」に秋篠宮両殿下と佳子様がお出ましになりました。

花と一緒にさらに華やかな感じ。

佳子様、珍しくパンツスタイル。グレーなのになぜ華やかに見えるの?

素敵なお袖。

佳子様はいつもの・・ジャケットにインナーはあれ?ワイン色。

冬に咲くアジサイがあるなんて!

殿下「需要がありますね」あるある!すごい。

これが恐らくパンジーのアレンジメントで「ちょうちょ」なんでしょうね。

冬あじさいは白なのね。

でも雨とか雪が降ったら色が変わるのかしら?

お3人とも穏やかで素晴らしい。

紀子様はお花が好きでいらっしゃるから楽しいでしょうね。

私も見てみたいなあ。近くて通いな。

真冬に春が来たような温かいご一家です。

 

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