ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

もはや「苦行」にしか見えない園遊会

2024-10-31 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

いやいや、ほんと、録画してたミヤネ屋見て思いました。

本当にコメンテーターは平気でうそをつくんだなと。特に近重は楽しくもないのに「楽しそうでしたね」とか・・・これがテレビ界を生きぬく知恵何だと思うと、すでにテレビ局は汚染されているなと思いました。

テレビ局では一生懸命に過去の映像を流しつつ、始まるのを待ちます。

「14時」開始が10分遅れ。

またみんな1時間以上立ってたのでは?

年齢に合わない色味というか、可愛い色だなと思います。

愛子内親王が佳子様に話しかけ、佳子様が一瞬応じました。

それをにらむようにしてご覧になっている華子さま。

わかります。「黙りなさい」と言いたかったでしょうね。

何で愛子内親王だけ持ち手があるバッグなのでしょうか。

彬子女王は少し顔が太った?承子女王はどこのヤクザのおかみさん?

そして愛子内親王のぴょこぴょこ歩きが目立ってしまって。

後ろの方はみんなうんざりしているのが手にとるようにわかります。

皇族方にとってもこれは「苦行」ですよね。

なんせ、天皇と皇后の話が長すぎて、あとがつっかえ、並んでいる人達みんな退屈してイライラしてくる。

「そろそろ」と進むように言う侍従を両陛下は完全無視。

まるでいないもののように扱って、尚離し続けると言うひどさです。

もうね、本来の園遊会の意義は吹っ飛びました。

一二三君の「妹と一緒に金メダル取りたい」なんて本来、言うべき事じゃない筈。

選手の苦労話を延々と聞きたがる天皇陛下って、よっぽど暇だったのか?

五輪を見て疑問に思った事を全部質問しているかのよう。

横の吉沢恋はぶすくれていたけど、「スケートボードをやるきっかけは?」と聞かれて「お兄ちゃんが~~」そこは「兄」だよね。

堀米君も、「やっぱ」じゃなく、「やはり」と言うべきで。

それだけ目の前にいる二人が、そこらへんのおじちゃんとおばちゃんに見える。

だから変にみんな饒舌になって、苦労話まで始めるんでしょうね。

そういう事は、よそで話しなさいよ。

両陛下の口から「おめでとう」の言葉が出てこない。「よかったですね」じゃないでしょ。

本来は「金メダルおめでとう。よく頑張りましたね。これからも精進なさいね」だと思うのよ。質問してもせいぜい「緊張しましたか?」程度でいい筈。

写真で見ても愛子内親王の歩き方はひどいな。

秋篠宮両殿下や佳子様の前ではみな、ぴしっとなるよね。

あれあれ?どうした?饒舌男子チームが黙り込んで視線を合わさないけど。

「佳子様~~」と内心思ってそう。

何を話したか全員覚えてないそうですよ。

急に記憶喪失。普通は妙齢の内親王に会えて、しかも「ご優秀で美しくて女神様のような」愛子様に会ったのだから、さぞや話が合うだろうと思うのにね。

 

それにしても、佳子様の振袖、愛子内親王にお下がりして、新しいのを作りましょうよ。

週刊誌はどうやって持ち上げるのかな。

 

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佳子様 ガールズメッセにご出席

2024-10-08 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

上皇后陛下は前日、仙洞御所ないで転倒され、翌日痛みがある為東大病院で診察を受け、入院する事になりました。

骨折で手術だそうです。

ご高齢ですから、少しの転倒でも危ないですよね。

 

早速上皇陛下が駆け付けたようです。

次に「順番」でいくと両陛下のお見舞いが必要なんですけどね。

帰京したばかりですし。

日本酒飲んでいい気分だろうし。夜に見舞いに来られても迷惑だしね。

6日、佳子様はガールズメッセにご出席。

これはまた新しい装い。「佳子様ありき」のファッションですね。

短めのトップスにワイドパンツ。生地は何だろう。ツイード。

既製品を一ひねりして自分流に着こなしていらっしゃる。

非常にかっこいい装いで、うっとりします。

ガールスカウトという、スポーティな催しにピッタリですよね。

装飾はあえてなくても、非常に華やかだなと思います。

今月も大変お忙しいですね。

 

悠仁親王への誹謗中傷がまだやまない。

だけど、何で「農学部」って決めつけてるのかな。

理学部かもしれないでしょ?もしそうだったら東大とは限らないし。

いくらトンボの研究や稲の交配などをされているとはいえ、生物学を選ぶかもしれないし、化学かもしれないしね。

どんな大学へ行かれても4年間でやらなければならないこと。

それは

学位取得

・妃選び

です。特にお妃についてはなるべく早く、そして学生でもいいからご結婚されて、お子を得るのが義務です。

皇嗣家とはいっても、実質皇太子家です。

悠仁親王は皇太孫になり、ご研究よりも大事なのは系を繋げる事になります。

厳しい。まだ18歳なのにとは思う。だけど皇嗣家には危機感を持って頂きたい。40歳になってから男子を得てもいいじゃないかとは言ってる場合じゃないのです。

立憲民主党の野田さんは、内親王の婿も子もみんな皇族にしちゃえと言いますが、暴論です。

皇族は多すぎても少なすぎてもダメなのです。

本来、大正天皇系は臣籍降下すべきです。

悠仁親王が内親王でも親王でも、最低でも3人か4人のお子をもうける事が最重要課題です。もし、神のご意思で複数の男子に恵まれたら屋敷はどうする?

いつまでも京都と赤坂の二重生活を許すとか、職員宿舎を立て直すとかではなく、住むべき人が住むべき場所に住む。それが必要なのです。

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紀子様 珠洲市で健康診断のお手伝い

2024-09-16 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

もうびっくりしたのなんのって・・・・

14日から1泊2日で能登を訪れている紀子様が、珠洲市で健康診断のお手伝いをされたというではありませんか。

椅子とか運んで。

これは結核予防会が委託を受けてやっている健康診断だそうです。

名誉総裁の紀子様自らお出ましになったのですね。

健康増進センターの三上所長は

妃殿下は、できることは何でも手伝います、と検診車が着く前から言われていて、本当にアクティブに動かれていた」と。

妃殿下のフットワークの軽さはよくわかっているのですが、あっという間に能登に行ってしまうって所がすごすぎて。

そういえば秋篠宮殿下もフットワーク軽く、被災地の話を聞いてました。

誰とは言わないけど、もったいつけて2度も能登へ行って、3度目があるぞって言ってたのに、那須で静養中の方とは大違いですわ。

 

 

こうやって実際に行動して頂くと励みになりますし、ありがたい。

被災地の方は忘れられるのが一番怖いのですから。

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雅子さま悲願の訪英・・・立ち読み

2024-08-06 17:14:06 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

これ、立ち読みしました。

驚きました~~~

雅子さんの訪英シーンは(当たり前だけど)ほんの少ししかなくて、あとは全部英王室の写真集だったんです。

ウイリアム皇太子一家とか、チャールズ国王とか・・なぜに「悲願の訪英」なのか?

って思う程、当人の写真は少なかった。

それに、マスクしてのパレード写真はしっかり入っていて、これだけでも、もう顰蹙だよな==って感じで、なんせアップですから。

それに、愛子内親王とか、天皇一家の静養の様子とか。

イギリスと全く関係のない写真で繋いでいるという感じです。

これじゃ売れないわ

いくらキャサリン妃が人気といっても、ダイアナ程じゃないし、ダイアナ妃のようなきらきら感は誰も出せないものね。

結果的には売れない。

 

「華麗なるお召し変え」なんて書いてあっても、白とブルーばっかりじゃ、「華麗」とはいえないし、背中からの写真を増やしてくれたら興味本位で買う人はいたかもしれませんね。

そうまでしてカリスマ性を高めようとしているんですけど、日本は北朝鮮ではないので、ちょい無理でしたね。

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はしかにきをつけましょう

2024-03-16 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像
コロナがやっと落ち着いたら今度ははしかだそうです。
時代の変化ってすごいというか、私達が小さかった時は、はしかは子供の病気というくくりで、とにかく子どものうちにかかっておけば大丈夫と言われていました。

テレビで「感染者を確認」とか言われるとは思ってもいなかったなあ。
とはいえ、そういう私もはしかにかかったのは20歳で。
その半年位前に友人の彼氏がはしかで入院したと聞き「え?今頃はしか?」と驚いたんです。

で、周りが何となく麻疹だってよって噂が立ち、ある日、本屋で学校へ行く前に本をみてたら、いきなり背中に寒気が走り、あ、熱でるとおもったらもうふらふらしてました。

でも、前期試験の前だからと無理に授業うけて、帰りにかかりつけに寄ったら風邪と診断されて薬貰って帰宅。

熱は39度を超えて、解熱剤を飲んだ時だけ下がります。
試験だからと、翌日、解熱剤の注射打って試験受けたけど、帰宅してから寝たきりに。
熱はこの時40度。
あ、調子いいな、下がったかなと思うと38度で、それを約5日間耐えました。

食事はとれない、トイレもいかない。
ああ、私、死ぬのかなと思いました。
あまりにも熱が下がらないので、大きい病院へ行ったら即入院。
その頃になって、やっと発疹が出始めて麻疹と診断。

意識朦朧、朝が来たとおもったらもう夜で。
寒気と苦しさ。さらに抗生剤のせいで、下痢が止まらず。
大部屋てしたし、恥ずかしかったです。

後から母に聞いたらかなり危険だったみたい。
やっと熱が下がって鏡をみたら、とてつもない自分の顔がそこにあって、傷つきました。

体重が5キロ落ちて、膝を組むと骨があたり、髪は大幅に抜けて、これから成人式なのにと嘆き。

でも、大部屋だったんです。
つまり、お年寄りには移らない病気というくくりだったんでしょう。
ドクターも「今年ははしかが多いね」なんて呑気なものでした。

元の体力になるまで半年かかりました。頭の真ん中から新しい髪の毛がはえて来た時は嬉しかったです。

ある意味、今年のコロナよりずっと大変でした。
すぐに発疹がでないはしかもあるし、大人の場合、肝機能障害を起こすから入院も長引くし、本当に気をつけましょう。
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祝!成婚30周年 雅子様語録 58

2023-12-07 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2008年10月1日 琉球舞踊鑑賞

一旦緩んだゴムは決してもとには戻りません。

一旦緩んだ時間の感覚や行動様式は決して元には戻らないのです。

「皇室」というものへの適応を諦めた段階で、誰もが口をつぐみ、誰もがアドバイスをしなくなり、雅子様は何となく周囲から浮いているような気がするものの、決してその行動を改めようとはなさいませんでした。

けれど、小山女官は、愛子様まで同じではいけないと、必死に躾け直しをしようとしました。

朝はきちんと起きて遅刻をしないようにする・・・食事の時間を守らせる。食器を正しく使う、挨拶などです。

しかし、それを片っ端から壊していくのが福迫女官であり、また愛子様の頑固さでもありました。

小学校に入ってから半年の間にもう半分もお休みをしている愛子様。

大抵は「風邪」「お疲れ」と発表されましたが、静養ではお母さまに引っ張られ、行きたくない所にも駆り出され、勉強する時間などありません。

皇太子様がいらっしゃる時は、わりと時間に正確になっている愛子様も、お父様が海外に行かれている時は途端に夜更かしになって、朝、起きられず、夕食は夜の10時。当然、学校へ行く事も出来ません。

愛子様のようなお子様は、これからきちんと躾けてちゃんとした大人にしないと」という小山女官のセリフを、だんだん雅子様はうざったく感じて来ました。

別にあなたにそれをしてくれとはいってないわ。あなたは愛子の面倒だけみてたらいいの

雅子様は勢い余ってテーブルの上にあったペン立てを投げつけました。

私に説教しないで頂戴。愛子の事は私が考えます」

失意の小山女官を「それみたことか」と笑って見送る福迫出仕。

宮中では「三猿にならないとやっていけないわよ」と誰かに言われた事がありました。

そうは言っても「諫言」は悪い事なのでしょうか?

ご自身が外交官の娘だというのに、雅子様はどうしてこんなにだらしないのか。

普通に学習院を受けたら落ちるような家庭だったと言う事に、小山女官は絶望したのでした。

 

そして、毎年恒例の運動会がやってきました。

しかし、この年は皇太子の重要な公務「全国障害者スポーツ大会」とぶつかってしまいました。

今年は大分へ行かなくてはなりません。

雅子様は当然の如く「私はいかない」とおっしゃいました。

でも、八大行啓の一つですし、無視するわけには。愛子様の運動会はあくまでプライベートな事ですから。どうか大分行きを優先して下さい」と東宮大夫に泣き疲れたのですが、雅子様は無視しました。

当然、皇太子様は「雅子がいかないというならそれでいい」と一言。

 

ああ、またこれで宮内庁が悪く言われる・・・・東宮大夫も侍従も、広報課も宮内庁のどこもかしこも理不尽な記者達の言葉に耐えなくてはいけないのかと思うとぞっとします。

官僚というのはある意味「いじめ」の世界でもありますし、パワハラ、モラハラに耐えつつ、乗り越えて仕事をする必要があるのですが、さすがにこの所は宮内庁の中でも体調不良者が続出し、病気療養に入る職員も少なくありません。

何とかごまかしつつ、人事院からの「異動」を待たないとやっていけないと思うのです。

 2008年10月12日 学習院初等科運動会

運動会では愛子様は、リレーの選手に選ばれて見事な俊足を発揮しておられました。

その様子を生き生きとカメラで追う雅子様の表情には「重要公務を休んでしまった」との後悔などみじんもありません。

おかしい。どうみてもおかしい・・・・誰もがそう思ったものの、「病気」を印籠代わりに好き勝手する雅子様に意見する者など誰もいません。

気まぐれな雅子様は、突如「外食したい」なとどおっしゃいます。

高級なレストランは当日に予約など出来ませんが、そこをなんとねじ込んで予約しても、

出発の時間を守る事が出来ない雅子様はいつまでお部屋にこもっています。

皇太子様は、周囲がせかすのを無視して、「愛ちゃん、ママが降りてくるまで遊んでいようね」と車寄せで鬼ごっこなどを始める始末。

5分や10分などでなく、それが1時間になろうとも、皇太子様は決して雅子様の様子を見にいかせたりはしません。

黙って待っているのです。

「おかしい。この夫婦」と侍従達が思っても、夫である皇太子様がそういう態度でである以上、何もいえません。

つまり、このような形で東宮御所の平和は保たれていたのです。

 2008年10月20日 皇后誕生日の為参内

 2008年10月25日 日本橋三越「皇后さまと子どもたち」写真展を鑑賞

 2008年10月28日 NHK放送センター日本賞授賞式にドタ出

妻が突然「行きます」「行きません」そういっても、否定するわけでもなくそのままにする皇太子様。その胸中に流れるのはいわゆる「無気力」です。

ご自分の母君が強いタイプなので、黙って従うのが平和の根幹と思っているのです。

何の野心もなく、希望もなく。

 2008年10月30日 チャールズ皇太子夫妻 東宮御所で夕食会

チャールズ皇太子とカミラ夫人がいらした時は、普段は出ない玄関先まで出て来た雅子様。

それはもう得意満面のお顔でした。

「英語が得意」ですから、通訳を介さずひたすら喋りつづける雅子様に、チャールズ皇太子は戸惑いをみせ、「何でこの女はこんなにハイなんだろう」と思っていたでしょう。

雅子様的には世界でもっとも有名人に会える喜びというか、そういう特権を持った自分に酔いしれていたのです。

 

 2008年11月10日 スペイン国王夫妻来日

スペイン国王夫妻がいらした時にはわざわざ飛行場までお出迎え。

カーティシーをしたのですが、がつんと頭が国王陛下にぶつかってしまいました。

しかし、晩さん会は出席せず、これで終わりかと思いきや

両陛下と国王夫妻がお茶するなら私も出たい」と突然雅子様が言い出したのです。

周囲は慌てました。

雅子様は両陛下主催の晩さん会にも、国王夫妻主催の答礼晩さん会にも出席していません。

しかも12日は、国王夫妻は両陛下とつくばにおでましで、その後の正式な茶会です。

ドレスコードはロングドレスです。

雅子様が入る余地などなかったのです。頭に来た雅子様は

外務省に電話して、入れて貰って」と言い出しました。

どうせ皇后陛下に直談判しても断られるだろうから、第三のルートを使ったのです。

このようにして、雅子様はお茶会に入り込みました。

しかし、服装は普通のスーツ。

突然、茶会への出席を知らされた両陛下は愕然としてしまいました。

しかも、お客様より後に入って来た雅子妃を見て、またも愕然としてしまいました。

ご紹介しますわね。皇太子妃です

皇后陛下は震えがちにそうおっしゃいました。

国王夫妻もちょっと驚いた様子で、「夏に皇太子殿下がいらした時は同行されませんでしたね」とおっしゃいました。

雅子様は「はい。病気療養中なので」とにこやかに答え、椅子に座ります。

下手な英語でそんな風にお答えになったので、「?」となっている国王夫妻にスペイン語の通訳が一生懸命に説明し、天皇陛下はなるべく雅子妃に会話がいかないように気を遣い、皇后さまもまた同様に、静かに静かにセーブしました。

結局、会話のしどころがない雅子様は、出て来たお茶とケーキを食べるしかお仕事がなかったのでした。

後に、皇太子様は天皇陛下から大目玉をくらいましたが、ただただ笑ってやりすごしたのでした。

 

 2008年11月12日 両陛下とスペイン国王夫妻の茶会にドタ出

 2008年11月20日 ニューオータニで開かれたPTA60年式典にドタ出

 

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祝!ご成婚30周年 雅子さま語録57

2023-11-13 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2008年6月18日 皇太子ブラジル訪問見送り

それは皇太子様がブラジルにご出発される日。まさにその時に起こりました。

愛子様は、その日は朝からご機嫌がよろしくありませんでした。

何となくお父様が出かけてしまう事をご存知だったのでしょう。

それでも今までは、大してぐずる事もなかったのですが、その日は癇癪を起こし、大暴れしてしまったのです。

殿下も雅子様も、マスコミが玄関前に来る事はわかっていたので焦りました。

愛子様のお見送りはなしで」と侍従長は申し上げましたが、その時、愛子様は皇太子様の足に腕を回して絶対に動けないようにしながら泣いていたので、そうもいかず。

仕方なく雅子様が、無理やり愛子様をひっぺがして「いい加減にしなさいよ」と怒鳴りつけたので、愛子様はびくっとなさり、動かなくなったところで、皇太子様は玄関前に出ました。

でも、普通に出る事は出来ず、思わず入り口を見つめながらになってしまい、集まったマスコミ各社は「何が起こったのか」と驚いてかたずをのみました。

雅子様は、何事もなかったかのように愛子様の手を引っ張って見送りに出て来たのですが、なんと愛子様は皇太子様を反対側から回り込んでぐいぐい、入り口に押し戻してしまうではありませんか。

マスコミは愕然としました。

人前でヒステリーを起こして泣きじゃくる内親王。

それに対して怒るでもなく、笑ってなされるがままになっている皇太子。

まるで「3人で遊んでいるだけなの」というように歯を見せて笑う雅子さま。

3人がまた戻ってしまった所で、

見送りなし?飛行機に遅れるんじゃないの?」と他人の記者がおろおろする所。

楽屋裏はもっと悲惨で、「ちょっと愛子、ちゃんとしなさいよ」と怒る雅子様と「愛ちゃん、すぐに帰って来るから待っててね」となだめる皇太子様。

愛子様はどなりつける母を怖がって、どうしても皇太子様にくっついてしまう。

愛子様離れて・・・離れて・・・」

福迫出仕と新しい小山女官が何度も抱き上げてはなだめすかし、ようやく泣き止みそうなところで

殿下、いそぎませんと」と侍従の声が聞こえ、皇太子様は再び、玄関に出ました。

今度は雅子様の腰にくっついた愛子様がしゃくり上げながら出て来ました。

皇太子様は何事もなかったかのように車に乗り込み、雅子様も無理に笑顔を作って

ほら、アイちゃん、パパにばいばい」と促すのですが、愛子内親王は、どうしてもぐずって言葉も出ませんでした。

取り合えず、マスコミは「お父様と離れるのがよほど悲しかったのだろう」と好意的に取り上げましたけど、実際は「小学生でこの態度?」と呆れられていました。

雅子様も非常に不機嫌で、皇太子様が行ってしまわれた時は、愛子様を放り出してご自分の部屋にこもってしまう程でした。

もう・・・本当にどうしてこうなるわけ?愛子はまるで猛獣みたい。私はこんな子嫌い。大嫌いよ

感情をあらわに周囲に八つ当たりする雅子様と、何がきっかけで癇癪を起こし始めたのかわからない愛子様。ある意味二人はよく似ています。

そんな愛子様ですが、食堂でジュースを飲み、プリンを食べ始めると静かになりました。

福迫さん。子供を食べ物でつるような事はよろしくないのでは」と小山女官が注意をするよ、出仕は女官の方を見ずに言いました。

愛子様の事は私が一番よく知っていますから

 

2008年6月27日 皇太子帰国出迎え

さすがにお出迎えの時は、愛子様は大そう上機嫌でお父様の帰りを待ちわびていらっしゃったのですが。

 

実はブラジルではちょっとした事が起きていました。

本来であれ、両殿下お揃いで訪問すべきところ、雅子様は「病気療養中」という事で単独訪問になってしまったわけですが、殿下は式典で

雅子もブラジル政府からの招待を大変うれしく思っており、私達夫妻の訪問を願っていた方々に心からのお礼の気持ちをお伝えしたい」と言付かっております」と挨拶をされたのです。

みなは驚いてしまいました。

皇太子様が妃殿下のお言葉を言付かるなど、前代未聞。

まるで殿下はメッセンジャーで、お偉いのは妃殿下の方じゃないかとの批判が起きたのです。

事はそれだけではすみまえんででした。

昼食会では、両殿下も心酔しておられる学会の長男と一緒に写真におさまり、されが学会の新聞に載ってしまったのです。

これには宮内庁も予想外であったのですが、殿下は何知らぬ顔でした。

日系人が沢山いるブラジルで、誰に会っても「お元気で」しかおっしゃらない殿下のロボットぶりは、次第に高まっていた日系人の魂を静かにさせてしまったのです。

 2008年7月1日 菊栄親睦会昼食会

 2008年7月2日 国立新美術館「エミリー・ウングワレー作品展」

この頃、どこへ行くにも雅子様は髪をハーフアップにして白い服しか着ませんでした。

それは「白」というのが発色がよくて、顔が綺麗に見えると言われたからであり、おでこを出した方が品がいいと言われたからです。

とはいっても、僅かな鑑賞公務以外は、一切の活動をせず、雅子様はだらだらとした毎日を過ごしていました。

何かに出ようとすれば、かつての屈辱が蘇って来る。

誰かが近づいてくると「喋らなくちゃ」という思いで、身体が緊張してこわばってセリフが出てこない。

そんな恐怖感と向き合うのはまっぴらごめんです。

 

 2008年7月15日 スペイン訪問の皇太子見送り

 2008年7月31日 トンガの戴冠式に行く皇太子見送り

 2008年7月20日 那須御用邸に

唯一自分らしくいられる場所。それは御用邸での静養時。

子供のようにはしゃぎながらメリーゴーランドに乗ったり馬を見たり・・そういう時は際限なく元気になる雅子さま。

8月26日 りんどう湖ファミリー劇場

8月29日 那須どうぶつ王国

9月3日 那須ステンドグラス美術館

毎年同じ所に同じだけ滞在する・・・という安心感が大事なのです。

同じ事やっていたら何も言われないでしょ」ってな感じですね。

一般人の結婚式に紛れ込んで邪魔をするのも

私がいたらハクがつくでしょう」と本気で思っているからです。

優越感にひたりつつも、自分らしく遊ぶというのが、今の雅子様には大事な事なのでした。

 

 

 

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祝!ご成婚30周年 雅子様語録56

2023-10-19 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2008年5月3日 御料牧場へ

いつもの静養、いつもの場所ではありますが、愛子様は少しも笑顔を見せませんでした。

せっかく皇居からわざわざ馬を運んで馬車にして遊んだというのに。

実は入学早々、愛子様は学校生活に適応できなくて欠席を繰り返していたのです。

勿論、幼稚園もしょっちゅうお休みしていた愛子様なのですが、初等科では、より「やらなければならないこと」のレベルが増えて、それに適応出来なかったのですね。

 2008年5月11日 「粟の種まき」手伝いで参内

本来なら愛子様は学習院ではなく、療育を専門とした学校へ行くべきでしたが、雅子様のプライドがそれを許さず、むしろ学習院を「愛子様仕様」にして、何とか秘密を守ろうとしたのです。

 

 2008年5月16日 東京大学総合研究博物館特別展示「鳥のビオソフィアー山階コレクションへのいざない」

モノトーン素敵」

久しぶりの「公務」もどきでも、雅子様は少しも集中できないし、そもそも鳥に興味もありませんでし。

回りが見ても「失礼な態度」と言われる程気のない表情をなさっていました。

今の雅子様の心の中は、いかにして愛子様を「普通の子」に見せるかということで一杯だったのです。

私の子供なんだから優秀でないといけない」

「私の子供なんだから回りに尊敬されないといけない

そういう思い込みは、かつて小和田の父君が雅子様に強く要求し、そのプレッシャーで雅子さまは必死に父君の理想の為にしたくない勉強をして頑張った日々を思い出します。

結果的に同じことを我が子にしている・・・という事に気づかないのが雅子さまでした。

 

 2008年5月19日 学習院初等科遠足で葛西臨海公園へ

 2008年5月28日 来日中のウイレム・アレキサンダー皇太子と私的な昼食

 2008年6月8日 メキシコ大使館へ

とにもかくにも雅子様は気まぐれで、自分の要求が通らないとすぐに癇癪を起こします。

だから嫌だと言う事には触れないのがいい・・・というのが宮内庁の見解でした。

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祝!成婚30周年 雅子さま語録55

2023-10-14 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2008年3月6日 学習院幼稚園遠足

今の雅子さまにとって生きがいは「食べること」と「愛子様のつきそい」でした。

食べる事に関しては、夢に見ていた「食べたいものを食べたいだけ食べられる環境」これが一番の幸せでした。

さすがの雅子さまも独身の頃は財布と相談しながら外食していたものです。

でももはや、3つ星レストランだろうが、高級な中華だろうが食べたい放題。しかも時間g限られているわけではないから、ゆっくりと好きなだけ時間をかけられるという幸せです。

皇太子様は全くご注意なさいませんでしたし、東宮侍従達も両陛下だって今や雅子様に対しては腫れ物に触るような扱いですから、好き勝手出来ました。

食べる・・・というのは一瞬のストレス解消でしかないのですが

庶民が食べられないものを食べる」というのがステイタスなのです。

フランスのマスコミは、ついに雅子さまについて「食欲妃」というあだ名をつけてしまいました。ちょうどこの頃はスペインへ同行するかもしれず、ヨーロッパのマスコミも関心を持っていたのです。

外国から見た雅子様は「いつも高級レストランに行って長時間食べている」という事で、実に的を得たものだったのですが、雅子様はフランス語は読めませんし、誰もそんな情報は教えませんから、知らないままでした。

 

また愛子様の事は、大きくなればなるほど、実態が世の中に出てしまう恐れがあるのです。こればかりは死ぬまで秘密にしておかなくてはなりません。

その為には積極的にはりついて、マスコミや回りに何も言わせない事が大事だったのです。

 

 2008年3月14日 東宮大夫が3月11日、12日、14日に雅子妃と愛子内親王が電車で帰った事を報告

3日間の「電車で帰宅」もわざわざ庶民の真似をして喜ぶ、中世の貴族のような行いで、皇宮警察もはらはらしながら警護していたのです。

だけど、電車で帰宅は雅子さまにとっては懐かしい事ですし、Suicaをタッチするのが楽しくてしょうがない。

愛子様自身は全く興味はない様子なのですが、雅子様は大はしゃぎで改札を通っていくのです。

その様子は何とも言えず、違和感がある光景でした。

 2008年4月15日 学習院幼稚園卒園式

そしてついに、愛子様が学習院幼稚園を卒園されました。

その日もやっぱり愛子様は無表情で、楽しいも何も感情そのものが見えなかったのですが。代わりに皇太子様と雅子様が笑ってごまかすしかなかったのですが。

卒園と同時に園長の小山久子氏が東宮女官として愛子様付になりました。

どうしても断り切れなかったのです。

元園長を女官に引き入れた事で秘密保持は出来ると思った雅子様はずっと上機嫌でした。

 

 2008年3月21日 青山のイタリアン「セラン」でママ友とランチ

ママ友とランチも機嫌よくおでかけになりました。

その一方で、学習院初等科への締め付けも強化していきます。

愛子様の教室には鍵をかける。

・ICチップ付の身分証を携帯させる

・愛子内親王の担当教員以外は教室の中を見る事を禁止する

・愛子内親王に10人ものSPをつける

 

よもやそこまで要求されると思っていなかった学習院側は慌てました。

今まで沢山の皇族を受け入れて来たのですが、一度もこんな要求をした人はいなかったからです。

担任ですら、最初に決まっていた人を飛ばして、違う教官に変えてしまったのです。

さらにすごいのは、初等科に「貴賓室」が出来た事です。

この部屋は雅子様がいつでも訪問出来て、何をして過ごしても文句を言われないという部屋です。

なぜそこまで・・・・とは思っても、誰も「それは間違っている」という人はいません。

雅子様は初等科に自分の部屋が出来た事が嬉しくてしょうがありませんでした。

雅子様にとって「教室」というのは唯一自己表現できる場であるという思いだけはいつまでも頭の中に残っています。

つまり「生徒」「学生」であった頃の達成感や過去の栄光にすがりついているだけなのです。

 

 2008年3月26日 皇居で昼食会

 2008年3月29日 奥志賀スキー

毎年の奥志賀スキーもまた行われましたが、ホテルは以下のような張り紙を出したのです。

とにかく愛子様の実態を知られない為に、車を覗くな、部屋を探るなということなのでしょう。

皇太子殿下ご来訪による規制
本日は当ホテルをご利用いただき誠に有難うございます。
大変申し訳ございませんが、皇太子殿下ご家族が下記の日程でご来訪するにあたって規制がしかれます。ご協力をお願い申し上げます。
        記
3/29(土)ご来訪 時間 15時から15時30分
規制内容 通過中は部屋のカーテン及び窓を閉める。
        見学は当ホテル駐車場または、県警で指定した場所。
        車は頭を道路側に向けて駐車。また、出入の規制有り。
4/2(水) ご規制 時間 <黒く塗りつぶし>
規制内容 同上

もはや誰もが雅子様のいいなりでした。

皇太子様はすっかり諦めてしまわれ、好きなようにすればよいというお考えでした。

 2008年4月1日 3月31日付で学習院幼稚園園長を退職し東宮女官となった小山久子

ちょうどその頃。月刊「WILL」に西尾幹二による「皇太子様に敢えて御忠言申し上げます」という論文が掲載されました。

これははっきりと皇太子様に対する批判をぶつけた文章でした。

皇室というのは伝統がもっとも大事である。また皇室は国民と同じ船にのる船人であるのに、なぜ雅子様だけを大事にし、人格否定発言までされたのかという内容です。

最終的には「廃太子」という言葉も飛び出す程の衝撃で迎えられ、この後、いわゆる「皇太子様への批判」はつよくなる一方でした。

皇太子様もかなり悩まれ時々「どうしたらいいんだろう」と呟く事がありました。

一般的に気に入らない、生活が合わないなら離婚という手があります。

しかし、皇太子様にはどうしても小和田家の父君の助けが必要でした。

そもそも小和田家のせいでこんな風に批判される側になったのに・・・今は減っていく公務をどうしたらいいか、存在感が薄れていく一方の自分をどうしたらいいか考えあぐねてしまって。

可愛い愛子様の為にどうでも我慢しなくてはいけないのかと。

生まれてから批判された事などありません。常に「皇太子様は品行方正で平等でいい人」の筈。

それが「妻に引っ張られる夫」に成り下がってしまった。

皇室の伝統も重要な祭祀も全て無視する雅子様。

別れるのだったらそれ相応のものを頂くわ」と笑って言い切るすごみ。

こんな事、国民に知られたら「どうしてあの時、6年間も執着して結婚したんだ」と責められそうで。皇太子様はそれが嫌だったのです。

ただ、平和でそして紀子妃よりもちょっと美人で学歴が上の女性を望んだだけだったのに。

 

 2008年4月10日 学習院初等科入学式

いよいよ、愛子内親王は小学生になりました。

これから先の修羅の道を皇太子様はまだ知らないのでした。

 

 

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祝!ご成婚30周年 雅子様語録54

2023-10-05 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2008年1月1日 天皇一家

いつものように年が明けました。

天皇家の元旦は大変です。

陛下は四方拝という夜中からの神事を執り行い、さらに賢所で歳旦祭に臨まれます。それが終わる頃には夜が明け、澄み渡った空気の中で国の安寧を祈るのです。

それから侍従達から祝賀を受け、「晴の御前」に箸を立てます。

皇室のおせち料理というのは非常に質素で、一般的に何も具が入らない関西風のお雑煮や、花びら餅などがあげられます。

朝から皇族方や政府関係者各国の大使館などから祝賀を受け、終了するのは午後2時半。

その間ずっと立ちっぱなしなので、相当な負担が強いられます。

それは皇太子夫妻や秋篠宮夫妻なども同様で、陛下に習うしきたりです。

でも、雅子様はとりあえずティアラドレスで参内し、一人で帰って来るのが常でした。

お帰りなさいませ。ご両親様と池田様がお待ちです」と女官に言われたので、とりあえずドレスのままダイニングへ行くと、小和田夫妻と池田礼子夫妻とその子供達が待っていた。

お帰り。さあ、皇太子妃殿下のお帰りよ」と母君は嬉しそうに言って、ほれぼれとそのドレス姿を眺めました。

あけましておめでとう。すぐ着替えるから待って

雅子様はそうおっしゃると、すぐに着替えに自室に入り、眠っていた愛子様は起こされ、着替えをさせられてダイニングのおじい様達に挨拶をされました。

池田家の子供達は、すでにおせち料理に手を付けていましたし、愛子様も挨拶する前に食べ物に目が行っていました。

一見すれば、どこにでもある元旦の光景かもしれません。

しかし、ここは東宮御所です。

皇太子家に限らず、秋篠宮家、他の宮家もそうですが、元旦は新年の祝賀を述べる客が多く、忙しいのです。2日は一般参賀があり、他にも色々行事が詰め込まれているので、お妃の実家が宮家を訪問するのは、7日を過ぎてからと決まっていました。

しかし、小和田家と池田家は元旦の朝から東宮御所にいたのです。

これは何も今に始まった事ではありません。

雅子様が体調を崩された時からずっと続いて来たことです。

大膳課が用意したおせち料理は来客用ですが、それを小和田家と池田家がほぼ食い尽くしてしまうので、毎年の正月、大膳課はめちゃくちゃ忙しいのでした。

やがて皇太子殿下も帰宅されたので、みなで乾杯し、楽しい正月が始まりました。

愛子ちゃんも小学生ね。おばあちゃまがランドセルを買ってあげましょう

ありがたいお話ですが、それは」と断ろうとした皇太子の袖を引っ張り、雅子様は「言わせておきなさいよ。どうせ買わないから」と言いました。

小和田夫妻は投資などで財をなしているわりには、身内にはお金を使わない一家でした。むしろ、どちらかというと、何もかも東宮頼みではあります。

静養に同行すれば宿泊費や交通費や食費も出して貰えるし、一家で高級レストランに行けばそれも全部東宮持ちです。いわば、国民の税金を使って小和田家や池田家は食事をしたり旅行をしているといっても過言ではないのです。

それでも、小和田の父君は公務員のせいか、「税金から」という意識はありません。

娘が親に尽くして何が悪いという感じです。

そのおこぼれに預かる妹一家も、陰で色々妃殿下を助けているのだからと自負していますし、「准皇族」という意識もあります。

 

今頃、両陛下は皇居でずっと立ちっぱなしで祝賀を受けている頃、夕方には愛子内親王を連れて参内しなくてはなりませんが、それまでの間はずっと小和田家の娘でいられるのでした。

 

去年から雅子様の高級レストラン通いは宮内庁の中でもマスコミの中でも問題になりつつありました。

予測できない行動が多い雅子様のせいで、レストラン側は予期せぬ残業を強いられたり、客をを断らなくてはならない。何よりも、その資金が全て税金という事が問題でした。

しかし、「好きな事する」のが治療なのだと信じて疑わない雅子様は好き勝手な行動を改めようとしませんでしたし、皇太子様も何も言いませんでした。

とにかく機嫌よく過ごしてくれればそれでいいのだと。

 

 2008年1月15日 皇居で食事会

 

 2008年1月25日 長野県行啓

長野国体開会式

そうは言っても、何とか公務をしてほしい東宮職としては、ほぼ無理やり、長野県での「冬季国体開会式」への出席を取り付けました。

雅子様はスキーなどで何度も長野県を訪れていますので、その点に関しては問題がなかったのですが。

1月25日、長野に到着した皇太子夫妻は早速小布施市を視察。

長野県の人達は、雅子様のあまりにもラフな格好に少し驚きましたが「これもご病気だから」と受け入れました。

翌日は開会式に出席したものの、雅子様は行進にすぐ飽きてしまい、隣の皇太子様とひそひそおしゃべりばかりしており、それがまたテレビを通して全国に報道されるといった有様。

「仲がよろしい」と好意的に報道されるものの、頑張ろうとしている選手達が気の毒ではありました。

さらに、予定されていたスケート競技を雅子様はドタキャンしました。

寒いし、眠いし、お腹がすいたし、これ以上は我慢が出来なくなったのです。

行かないったら行かない」とホテルの部屋に鍵をかけ、皇太子様まで追い出してこもる雅子様を侍医ですら説得できず。結局のところはドタキャンを認めてしまいました。

 

 2008年2月13日 羽毛田長官が苦言 

宮内庁に激震が走ったのは2月13日のことでした。

この日は羽毛田宮内庁長官の定例記者会見があり、マスコミからの「雅子様の病状

」やドタキャン、レストラン通い等について両陛下はどう思われているのかと矢継ぎ早の質問が飛んだのですが、長官はそれに答えず次のようには発言しました。

天皇陛下の一昨年のお誕生日の記者会見で、愛子さまと会う機会が少ないことは残念だというご発言があり、皇太子殿下はそれを受けて、昨年の会見でこれからも両陛下にお会いする機会をつくっていきたいと思うとお述べになった。
 しかし、昨年一年を見る限りは、ご参内の回数は増えていない。両陛下も心配しておられると思う。殿下ご自身が記者会見でご発言になったことなので、大切になさっていただければと思う
 天皇陛下が皇太子であられた時代には、当時の両陛下がご在京で両殿下もご在京の場合、できる限りご一家で毎週一回、ご参内になるのを定例になさっておられた。
 (現在は)陛下がお招きになられる場合や、行事に伴ってご参内される場合を別にすると、殿下のご発意によりご一家でご参内になられるのは年に二、三回という程度にとどまっている。
 ――長官の意見か。
 私自身の気持ちとして申し上げているが、回数もさることながら、やはり会見でそういうふうにおっしゃっていただいているので。私だって「私がこういうふうにする」と言えば、できるだけそうなるようにする。そのことをちょっと申し上げた。まもなくご誕生日の会見も来るので。
 ――両陛下の気持ちは。
 (参内が増えず)どうしたんだろうということでのご心配はなさっておられる。これは間違いないだろうと思います。」

これはすぐに全国に報道され、マスコミが食いつきました。

要は、「愛子に会えない」発言し天皇陛下はなさったあとも、全然皇太子殿下は愛子様を連れて参内しないではないかという苦言です。

ご自分がした約束は果たして欲しい・・・これは非常に重くきつい言葉でした。

これに怒ったのは雅子様でした。

羽毛田の奴、何様なのよ。参内が増えていない?何度も連れて行ったじゃない

皇太子様も今回ばかりは雅子さまと同じ考えでした。

羽毛田は陛下を利用して自分のいいたい事を言ってるだけだ

じゃあ、しかえしすればいいじゃない。何よ。愛子に会えないなんてわざとらしく。正月と誕生日に会えれば十分じゃないの。毎週とか毎月とか、そんなの一般ではありえないわ。もういや。舅って何でこうもうるさいの

うっとうしいな。本当に。出来るだけ愛子を連れて行ってるのに」

そうやって自分の言う事をきかせようって魂胆じゃないの?」

そうかな」

そうに決まってるわよ。そうはいかないんだから

雅子様は怒りのあまり、そこらじゅうのガラス製品を粉々にしてしまいました。

一部が飛んで皇太子様の手を傷つけてしまいましたが、そんなの平気です。

「愛子は私の子よ。あんな年寄に取られてたまるもんですか!」

そんな大騒ぎの時、侍従が入って来て、この惨状を目にし、「こ・・皇太子殿下、お怪我を。すぐに治療を」と叫びました。

うん」皇太子様は、雅子様のように怒ってもすぐに収まり、気弱な部分を見せました。

侍医を呼んで。それと大野先生も」と侍従がいい、女官が走っていきました。

殿下。治療が終わりましたら陛下にご連絡を。そのような要請がありました

「え?陛下から」

「はい。何でも参内せよと」

もうすぐ殿下のお誕生日ですし、その日は参内するのに。なぜ今頃・・・

 

 2008年2月15日 皇太子殿下参内

結局翌々日には、皇太子様が一人で参内し、両陛下に会われました。

陛下としては、内親王の行く末が心配でならなかったのです。

このまま学習院に進ませていいのだろうか、本当にこのままでいいのか?

何事も国民に隠さない精神でいらっしゃる陛下は、ご自分の健康状態も隠さずに表してこられました。

しかし、東宮家のやる事は、事実を否定して虚を進めるといったもの。いわば嘘つきです。

皇后陛下はそれがいいのなら・・・と思っていらっしゃるようですが、陛下はこと、悠仁親王が生まれた事だし、愛子内親王の事実を公表し、適切な療育を受ける必要があるのではないかと思われたのです。

しかし、皇太子殿下は終始不機嫌な表情で、「プライベートな事ですし、雅子が悲しみますので、あまりおっしゃらないでください」と。

しかし、このままでは」

愛子は優秀なんです。普通の子より優秀です。それは変わらないんです。それの何がいけないのですか?」と逆にくってかかる始末。

本当にそんな事を思っているのか

思っています。愛子の教育は雅子に任せています。今のところ、それに間違いはありません。私達は幸せにやっていますので、これ以上の干渉はおやめに

陛下は体中の力が抜けていくような気がしました。

何という事を・・・すっかり取り込まれてしまったのではないか。

もう天皇と皇太子の間の溝は広くなりすぎてしまったようでした。

 

 2008年2月23日 皇太子誕生日

誕生日を前にして記者会見に臨まれた皇太子殿下は、件の問題について、次のように発言されました。

 

「両陛下の愛子に対するお心配りは,本当に常に有り難く感謝を申し上げております。

御所に参内する頻度についてもできる限り心掛けてまいりたいと思っております。

家族のプライベートな事柄ですので,これ以上立ち入ってお話しをするのは差し控えたいと思います。

 

今もお話しましたように,これは本当に家族の内の事柄ですので,こういった場所での発言は差し控えたいというふうに私は思っております。

まさに取り付く島がないといった風情でした。

コメント (3)
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