2008年1月1日 天皇一家
いつものように年が明けました。
天皇家の元旦は大変です。
陛下は四方拝という夜中からの神事を執り行い、さらに賢所で歳旦祭に臨まれます。それが終わる頃には夜が明け、澄み渡った空気の中で国の安寧を祈るのです。
それから侍従達から祝賀を受け、「晴の御前」に箸を立てます。
皇室のおせち料理というのは非常に質素で、一般的に何も具が入らない関西風のお雑煮や、花びら餅などがあげられます。
朝から皇族方や政府関係者各国の大使館などから祝賀を受け、終了するのは午後2時半。
その間ずっと立ちっぱなしなので、相当な負担が強いられます。
それは皇太子夫妻や秋篠宮夫妻なども同様で、陛下に習うしきたりです。
でも、雅子様はとりあえずティアラドレスで参内し、一人で帰って来るのが常でした。
「お帰りなさいませ。ご両親様と池田様がお待ちです」と女官に言われたので、とりあえずドレスのままダイニングへ行くと、小和田夫妻と池田礼子夫妻とその子供達が待っていた。
「お帰り。さあ、皇太子妃殿下のお帰りよ」と母君は嬉しそうに言って、ほれぼれとそのドレス姿を眺めました。
「あけましておめでとう。すぐ着替えるから待って」
雅子様はそうおっしゃると、すぐに着替えに自室に入り、眠っていた愛子様は起こされ、着替えをさせられてダイニングのおじい様達に挨拶をされました。
池田家の子供達は、すでにおせち料理に手を付けていましたし、愛子様も挨拶する前に食べ物に目が行っていました。
一見すれば、どこにでもある元旦の光景かもしれません。
しかし、ここは東宮御所です。
皇太子家に限らず、秋篠宮家、他の宮家もそうですが、元旦は新年の祝賀を述べる客が多く、忙しいのです。2日は一般参賀があり、他にも色々行事が詰め込まれているので、お妃の実家が宮家を訪問するのは、7日を過ぎてからと決まっていました。
しかし、小和田家と池田家は元旦の朝から東宮御所にいたのです。
これは何も今に始まった事ではありません。
雅子様が体調を崩された時からずっと続いて来たことです。
大膳課が用意したおせち料理は来客用ですが、それを小和田家と池田家がほぼ食い尽くしてしまうので、毎年の正月、大膳課はめちゃくちゃ忙しいのでした。
やがて皇太子殿下も帰宅されたので、みなで乾杯し、楽しい正月が始まりました。
「愛子ちゃんも小学生ね。おばあちゃまがランドセルを買ってあげましょう」
「ありがたいお話ですが、それは」と断ろうとした皇太子の袖を引っ張り、雅子様は「言わせておきなさいよ。どうせ買わないから」と言いました。
小和田夫妻は投資などで財をなしているわりには、身内にはお金を使わない一家でした。むしろ、どちらかというと、何もかも東宮頼みではあります。
静養に同行すれば宿泊費や交通費や食費も出して貰えるし、一家で高級レストランに行けばそれも全部東宮持ちです。いわば、国民の税金を使って小和田家や池田家は食事をしたり旅行をしているといっても過言ではないのです。
それでも、小和田の父君は公務員のせいか、「税金から」という意識はありません。
娘が親に尽くして何が悪いという感じです。
そのおこぼれに預かる妹一家も、陰で色々妃殿下を助けているのだからと自負していますし、「准皇族」という意識もあります。
今頃、両陛下は皇居でずっと立ちっぱなしで祝賀を受けている頃、夕方には愛子内親王を連れて参内しなくてはなりませんが、それまでの間はずっと小和田家の娘でいられるのでした。
去年から雅子様の高級レストラン通いは宮内庁の中でもマスコミの中でも問題になりつつありました。
予測できない行動が多い雅子様のせいで、レストラン側は予期せぬ残業を強いられたり、客をを断らなくてはならない。何よりも、その資金が全て税金という事が問題でした。
しかし、「好きな事する」のが治療なのだと信じて疑わない雅子様は好き勝手な行動を改めようとしませんでしたし、皇太子様も何も言いませんでした。
とにかく機嫌よく過ごしてくれればそれでいいのだと。
2008年1月15日 皇居で食事会
2008年1月25日 長野県行啓
長野国体開会式
そうは言っても、何とか公務をしてほしい東宮職としては、ほぼ無理やり、長野県での「冬季国体開会式」への出席を取り付けました。
雅子様はスキーなどで何度も長野県を訪れていますので、その点に関しては問題がなかったのですが。
1月25日、長野に到着した皇太子夫妻は早速小布施市を視察。
長野県の人達は、雅子様のあまりにもラフな格好に少し驚きましたが「これもご病気だから」と受け入れました。
翌日は開会式に出席したものの、雅子様は行進にすぐ飽きてしまい、隣の皇太子様とひそひそおしゃべりばかりしており、それがまたテレビを通して全国に報道されるといった有様。
「仲がよろしい」と好意的に報道されるものの、頑張ろうとしている選手達が気の毒ではありました。
さらに、予定されていたスケート競技を雅子様はドタキャンしました。
寒いし、眠いし、お腹がすいたし、これ以上は我慢が出来なくなったのです。
「行かないったら行かない」とホテルの部屋に鍵をかけ、皇太子様まで追い出してこもる雅子様を侍医ですら説得できず。結局のところはドタキャンを認めてしまいました。
2008年2月13日 羽毛田長官が苦言
宮内庁に激震が走ったのは2月13日のことでした。
この日は羽毛田宮内庁長官の定例記者会見があり、マスコミからの「雅子様の病状
」やドタキャン、レストラン通い等について両陛下はどう思われているのかと矢継ぎ早の質問が飛んだのですが、長官はそれに答えず次のようには発言しました。
「天皇陛下の一昨年のお誕生日の記者会見で、愛子さまと会う機会が少ないことは残念だというご発言があり、皇太子殿下はそれを受けて、昨年の会見でこれからも両陛下にお会いする機会をつくっていきたいと思うとお述べになった。
しかし、昨年一年を見る限りは、ご参内の回数は増えていない。両陛下も心配しておられると思う。殿下ご自身が記者会見でご発言になったことなので、大切になさっていただければと思う。
天皇陛下が皇太子であられた時代には、当時の両陛下がご在京で両殿下もご在京の場合、できる限りご一家で毎週一回、ご参内になるのを定例になさっておられた。
(現在は)陛下がお招きになられる場合や、行事に伴ってご参内される場合を別にすると、殿下のご発意によりご一家でご参内になられるのは年に二、三回という程度にとどまっている。
――長官の意見か。
私自身の気持ちとして申し上げているが、回数もさることながら、やはり会見でそういうふうにおっしゃっていただいているので。私だって「私がこういうふうにする」と言えば、できるだけそうなるようにする。そのことをちょっと申し上げた。まもなくご誕生日の会見も来るので。
――両陛下の気持ちは。
(参内が増えず)どうしたんだろうということでのご心配はなさっておられる。これは間違いないだろうと思います。」
これはすぐに全国に報道され、マスコミが食いつきました。
要は、「愛子に会えない」発言し天皇陛下はなさったあとも、全然皇太子殿下は愛子様を連れて参内しないではないかという苦言です。
ご自分がした約束は果たして欲しい・・・これは非常に重くきつい言葉でした。
これに怒ったのは雅子様でした。
「羽毛田の奴、何様なのよ。参内が増えていない?何度も連れて行ったじゃない」
皇太子様も今回ばかりは雅子さまと同じ考えでした。
「羽毛田は陛下を利用して自分のいいたい事を言ってるだけだ」
「じゃあ、しかえしすればいいじゃない。何よ。愛子に会えないなんてわざとらしく。正月と誕生日に会えれば十分じゃないの。毎週とか毎月とか、そんなの一般ではありえないわ。もういや。舅って何でこうもうるさいの」
「うっとうしいな。本当に。出来るだけ愛子を連れて行ってるのに」
「そうやって自分の言う事をきかせようって魂胆じゃないの?」
「そうかな」
「そうに決まってるわよ。そうはいかないんだから」
雅子様は怒りのあまり、そこらじゅうのガラス製品を粉々にしてしまいました。
一部が飛んで皇太子様の手を傷つけてしまいましたが、そんなの平気です。
「愛子は私の子よ。あんな年寄に取られてたまるもんですか!」
そんな大騒ぎの時、侍従が入って来て、この惨状を目にし、「こ・・皇太子殿下、お怪我を。すぐに治療を」と叫びました。
「うん」皇太子様は、雅子様のように怒ってもすぐに収まり、気弱な部分を見せました。
「侍医を呼んで。それと大野先生も」と侍従がいい、女官が走っていきました。
「殿下。治療が終わりましたら陛下にご連絡を。そのような要請がありました」
「え?陛下から」
「はい。何でも参内せよと」
もうすぐ殿下のお誕生日ですし、その日は参内するのに。なぜ今頃・・・
2008年2月15日 皇太子殿下参内
結局翌々日には、皇太子様が一人で参内し、両陛下に会われました。
陛下としては、内親王の行く末が心配でならなかったのです。
このまま学習院に進ませていいのだろうか、本当にこのままでいいのか?
何事も国民に隠さない精神でいらっしゃる陛下は、ご自分の健康状態も隠さずに表してこられました。
しかし、東宮家のやる事は、事実を否定して虚を進めるといったもの。いわば嘘つきです。
皇后陛下はそれがいいのなら・・・と思っていらっしゃるようですが、陛下はこと、悠仁親王が生まれた事だし、愛子内親王の事実を公表し、適切な療育を受ける必要があるのではないかと思われたのです。
しかし、皇太子殿下は終始不機嫌な表情で、「プライベートな事ですし、雅子が悲しみますので、あまりおっしゃらないでください」と。
「しかし、このままでは」
「愛子は優秀なんです。普通の子より優秀です。それは変わらないんです。それの何がいけないのですか?」と逆にくってかかる始末。
「本当にそんな事を思っているのか」
「思っています。愛子の教育は雅子に任せています。今のところ、それに間違いはありません。私達は幸せにやっていますので、これ以上の干渉はおやめに」
陛下は体中の力が抜けていくような気がしました。
何という事を・・・すっかり取り込まれてしまったのではないか。
もう天皇と皇太子の間の溝は広くなりすぎてしまったようでした。
2008年2月23日 皇太子誕生日
誕生日を前にして記者会見に臨まれた皇太子殿下は、件の問題について、次のように発言されました。
「両陛下の愛子に対するお心配りは,本当に常に有り難く感謝を申し上げております。
御所に参内する頻度についてもできる限り心掛けてまいりたいと思っております。
家族のプライベートな事柄ですので,これ以上立ち入ってお話しをするのは差し控えたいと思います。
「今もお話しましたように,これは本当に家族の内の事柄ですので,こういった場所での発言は差し控えたいというふうに私は思っております。」
まさに取り付く島がないといった風情でした。