真の保守派が皇室にNO!を突き付ける日
保守派と「アカ」の違い
保守派 → 自分の国を愛している人
自己の行動が国益になる事を望む人
日本の伝統文化やしきたり等を評価し、受け継ぐ人
アカ → 日本が嫌いでなくなってもいいと思っている人
その国に帰属しているという自覚がゼロの人
日本の文化や伝統を否定する人
「国歌」「日の丸」を否定する人
「道理」を「差別」と訴える人
雅子妃の日本嫌い
神道を理解しない事
お妃教育の時に英語で書かれた本を求めたというのは有名な話
皇室の基礎は「神道」にあるというのに、「合理的でないものの見方がダメ」と
して祭祀を行っていない事実。
「アカ」的にいうと
祭祀における潔斎は女性差別で恥ずかしい
装束が負担(重さとか着替える手間の事をいうのだろうか)
いるはずのない「神」に毎日祈りをささげる事は無駄と考える
結婚以来、伊勢神宮には2度しか行かない。武蔵野陵もそう。神武天皇陵は
行った事がない。
結婚前から、雅子妃が祭祀嫌いなのはわかっていた筈なのに、なぜ結婚を許したのか。
好きとか嫌いとかいう前に皇室の根本を理解しない、否定する妃が必要だったのだろうか。
日本語が苦手
皇太子夫妻の婚約記者会見をテレビで見て、小和田雅子嬢の物言いに
「何を言っているのかわからない」と思った人達もおおいだろう。
あの記者会見はぶっつけ本番で当意即妙に・・・ではなく、最初からセリフが
決まっており、小和田雅子嬢はセリフ通りにしゃべっていただけなのだ。
所作に関しては誰に教わったのかわからないけれど。
座る時に服をつまんで・・・・
クラッチバッグをテーブルに置き・・・・
唇をなめる。
現在の心境は・・・・と聞かれて
「大きな責任をお引き受けすることになるわけですから、身の引き締まる思いがいたします」
実はこの言葉に雅子嬢の「結婚観」の全てがあらわれているわけで。
この文章を作った時から結婚はやめるべきだったと思います。
婚約が調って「大きな責任を・・・」と答える花嫁がいるでしょうか。
素直に「嬉しい」とか「ほっとしている」と答えるならまだしも。
まさに「結婚は仕事」ととらえている一言ですよね。
プロポーズの経緯をきかれて
「十二月十二日、殿下に「本当に私でよろしいでしょうか」とうかがいました。
「はい」とお答え下さいましたので、私の方から次のように申しました。
「私がもし殿下のお力になれるのであれば、謹んでお受けしたいと存じます。
これまで殿下には、いろいろ大変幸せに思えること、うれしいと思えるようなことも
言っていただきましたので、その殿下のお言葉を信じて、
これから二人でやっていけたらと思います。
殿下にお幸せになっていただけるように、そして私自身も自分でいい人生だったと振り返られるような
人生にできるように努力したいと思いますので、
至らないところも多いと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」と。
多分に小和田恒作の答えと思われますが、上から目線と思った人も多かったろうし
「何が言いたいの?」と思った人も多いでしょう。
「○○をしてくれたから○●してあげる」という「駆け引き手法」に驚かれたのでは?
出会った印象とひかれた原因についてきかれて
「最初の時は、大変緊張してごあいさつ申し上げたんですが、
その後は、意外なほど話が弾みました。とても気さくで、かつ配慮のある方だと思いました。
五年ぶりに去年の夏にお目にかかった時は、楽しくお話をすることができました。
その時点では、殿下のお気持ちをうかがっておりましたので、内心、
正直なところ複雑な心境でございました。
私が殿下のどういうところにひかれたかと申しますと、殿下は、ご自身がお苦しい時でも、
他の人の苦しみについてまず先に考えられるようなそういう大変思いやりの深い方で、
大変忍耐強くいらっしゃる。
こう言ってはちょっと失礼かもしれませんが、とても人間ができた方と敬服いたしました。
ご趣味、ご交際もとても広く、心の豊かな方でいらっしゃると思います。
当時、皇室ジャーナリストたちがひっかかった言葉は
「人間ができたかた」という一文で、かなり上から目線ととらえた印象があります。
でも私はむしろ「その時点では・・・」から始まるわけのわからない一文で。
「その時点」 → 5年ぶりに会った時
「殿下の気持ちをうかがっていた」 → 殿下が自分と結婚したいと言っている
「内心、正直なところ」 → ぶっちゃけ
「複雑な心境でございました」
わかりますか?この一文の意味。
皇太子が自分と結婚したいという気持ちを持っている事を知っていた。
でも5年ぶりに会った・・・複雑な心境だった。
話が弾んで楽しかったらこの一文は出てこない筈で。何の為の言葉なのか。
受け取る側の戸惑いがわかりますよね。
決意した過程を聞かれて
「これまで六年近く勤めておりました外務省を去ることにさびしさを感じないと申したらうそになると思います
やりがいのある仕事をさせてもらい、学ぶべきところも多く、尊敬すべき先輩や同僚に恵まれて
充実した勤務でした。昨年の秋、いろいろ考えた結果、私の果たす役割は殿下の申し出をお受けして、
皇室という新しい道で自分を役立てることではないか、
と考え決心したので、今は悔いはありません。
殿下からは私の心を打つような言葉をいくつかいただきました。
ひとつは去年の十一月の後半、
「皇室に入るのはいろいろ不安や心配がおありでしょうが、雅子さんのことは僕が一生、全力で
お守りしますから」と話しかけてくださいました。
さらに、十二月初め、「十分にお考えになって下さい」とおっしゃられ、
ご自身も「大変悩んだ時期があった」とおっしゃられたので、
「何をお悩みになられたのですか」とお尋ねしました。
「僕としては雅子さんに皇室に来てもらいたいとずっと思っているけれど、
本当に幸せにしてさし上げられるのか、悩みました」と言われました。
そのような殿下の真摯なたいへん誠実なお言葉をいただき、
幸せに思うことができましたので、「私でできることでしたら、殿下のことを幸せにしてさし上げたい」と
お受けした次第です。
その間、殿下からは、私がお受けすることになれば両陛下も温かくお迎えするとおっしゃって
下さっている、ということで、私にとって大変大きな励みになりました。
一部で言われているように、直接、皇后さまから私にお気持ちをお伝えになられたようなことはありません。
このセリフのような文章を考えた人は、自分の婚約記者会見に対して
とても客観的な考えを持っていたようです。
「尊敬すべき」・・・普通は「尊敬する」になると思うのですが、あえて「すべき」という所に
「今はまだ地位が低いからそういう思いでいるけど、いずれ自分が尊敬される立場になる」
と言っています。
「いろいろ考えた結果」というのは、「結婚」を「損得勘定」で考えていた証拠で、
結果的に得があると思って受けたように見えます。
こんな言葉を聞いたら、通常はお祝いする気持ちもなくしてしまいますが、日本人は
必死に祝おうとしたんですよね。
「僕としては・・・」の件は完全にねつ造ではないかと。そんなにはっきりと
しかもセリフのように覚えているものでしょうか。本当にそういわれても言わないのが普通。
日本人としては理解しづらい言葉の羅列に少々うんざりですね。
言質をとった部分は二か所。
「雅子さんの事は僕が・・・」
「両陛下も温かく迎えると・・・・」
御迎えする・・・・という引用の仕方が不遜すぎて違和感があるのではないでしょうか。
お子様は何人
「その質問に関しては多分出るでしょうと、一昨日お目にかかった時に、だいぶ相談しましたが、
答えは出ませんで、殿下にお任せすると申し上げました。
ただひとつだけ、これだけはおっしゃらないで下さい、ということがありました。
そは殿下は大変音楽がお好きでいらっしゃるんですが、
家族でオーケストラが作れるような子供の数、ということはおっしゃらないで下さいと申しました」
秋篠宮の場合
「お子様は何人?」
秋篠宮 「何人にしましょうか」
紀子さん 「それもよく話し合って決めたいと思います」
「殿下は初恋ですか?」
紀子さん 「お答えしてもよろしゅうございますか?」
秋篠宮 「どうぞ」
紀子さん 「はい。そうでございます」
雅子さんも「殿下はお子様が好きで、将来は子供達でオーケストラが出来たらいいね
とおっしゃったので私はただただ「はい。おおせのままに」と申し上げました」
とでもおっしゃれば、まだ笑いが起きたと思うんです。
不必要な言葉
「一昨日お目にかかった時」
「だいぶ相談」
「これだけはおっしゃらないで下さい、ということがありました」
これまた決められたセリフだったとしたら作り手の文章力を疑います。
アドリブだったとしたら、雅子さんは「子供」が出来る事を単に機械で
大量生産出来るものと考えていたのではないかと思います。
それくらい非現実的な言葉で、29歳の女性がいうとは思えません。
このものいいから、週刊誌等では
「雅子様は外国生活が長いので、英語を翻訳したような言葉を使うのだ」
と書かれていましたが、結構無理がありますよね。
初々しいと書かれてはいますが、要するに「たどたどしい日本語を話す29歳」だったのでした。
着物嫌い
日本が大好きな外国人はみな着物を着たがるし、着物の着付けも覚えるし
着物は動きやすいと感じるようです。
何より生地の絵柄が芸術的に素晴らしいと思うようですね。
しかしながら、雅子妃は13年間着物を着ていないのです。
外交官の娘なのに着物を着る機会がほとんどなかった事に驚きます。
七五三もなし、成人式も?
人生最初の和服姿がこれらしい。
多分、この写真が公開された時点で、色々言われたのではないかと思います。
納采の時の写真。
皇后陛下から頂いた帯を締めて。
雅子妃は元々おしゃれに興味のない人だと思います。
TPOに合わせた服を考えるのが面倒な人。
だから人さまの服装とそっくりなものを作って着たりする。
着物に関しては決まりごとが多く、「これ好き」と思っても容易に決められない事があり
そういうものの連続が面白く亡くなったのかもしれません。
回りからひそひそと悪口を言われたせいで「着物が怖い」状態になったとも言われますが
それを「忠告」と受け取らず「悪口」と思ってしまった事が失敗。
とにもかくにも、現在皇太子妃は着物を着ない・・・・状態が続いています。
7年ぶりの祭祀も「証拠がない」以上、誰も本当に装束を着たとは思われてません。
神道と着物を否定する。
そもそもが間違った結婚だったのです。
しかし、それを許したのはどなたでしょうか?