浅田真央選手、優勝おめでとう
でも、何でキム・ヨナが2位?長洲はどうした?えーー?
もはやジャッジに信頼性がゼロのフィギュアですね
ソルフェリーノの夜明け
昨日の16:00公演を見ました。余談ですけど16:00開始っていうのは
あまりいい事だと思いません
主婦は早く見て早く帰りたいのよ・・・それに出待ちするファンクラブの
事も考えなさいよねーー 特に新人公演組っ
何もかもファンクラブに頼りきりの癖にどうしてこういう事をするのかなあ。
昨日のお席・・・何と2列目でした
ど・ど・どないしよう・・・ゆみこちゃんの顔が目の前にっ
きゃーーっ
でもSS席っていうのは基本的に舞台全体を楽しむ為の席ではなく
ひたすらご贔屓さんを見つめる為だけの席なのね
ゆえに全体的な感想・・・とはいかないかも。
ひたすらゆみこちゃんと衣装を見てましたーー
(ネタバレなので、読みたくない人はスルーしてね)
幕開きにぎょっ!!これぞ宝塚っ!!
スカステ等でも、流れる映像といえば血だらけの人達ばかりなので
そういう始まりなのねと思っていたら、幕が開いた瞬間、「ベルサイユのばら」
オープニングのような場面が
間近で見ると圧巻でした
みーんな白と緑の衣装で。それが新調だから、白がまぶしいっ
いいわねーー新調衣装の白って・・・・
華やかな幕開き。おおっ これぞ宝塚。わくわくもんでした。
なんて事のないストーリーなの
見ている時は夢中になって泣いてばかりいた私ですけど、あとから
考えると山場がほとんどないストーリーなのね。
旅人のアンリ・デュナンが沢山の負傷者を見つけてびっくりしてイタリア
軍の教会に連れて行き、そこで働くようになって・・でも医薬品が不足
しているのでマントバまで負傷者を運びましょう。っていうだけの話。
じゃあ、後は何が描かれているかといえば、ひたすら「戦争はいけない」
というメッセージのみっ
曲もしつこく「ソルフェリーノの夜明け」が流れる以外は
「花のように雪のように」だけ。
かなり古臭いけど重厚な台詞劇といえます。お稽古用にはぴったりの
脚本かも。
個性が際立つのはむしろ脇役
いわゆる水・彩吹の両名はあまり個性がない役柄です。
デュナンは正義感の強い人っていうだけだし、アンリエットとの仲も
全く進展しないし、エクトールは貴族のお坊ちゃまで成績優秀な医者で
ミラノにいれば今頃裕福な医者になっていたのに、物好きにも戦場で
働いている・・しかも片思いのアンリエットを見守り、送り出すだけの・・・人。
見せ場がアンリエットを送り出すシーンだけで・・・す。
音月・未来は前半と後半のみ出てきて、未来はいいとして音月は
悪役そのものって感じでわめいているばかり。
愛原アンリエットは最初の場面で心底「意地悪な女だなあ」と思いました
何でジャンが好きになったのかわからない。
という主役クラスに比べて、個性豊かだったのがイタリア・オーストリア
両軍の兵士達と専科の汝鳥怜と未沙のえる。多分、植田先生としては
この二人と兵士を描きたかったんじゃないかなあ
強烈な「戦争」へのアンチテーゼ
やっぱり本当に戦争を経験した人が描く「戦争」というのは迫力が違うし
台詞の重みも違います
特に植田先生の年代というのは、「国を守る為であっても戦争をするな」
と強烈に思っている世代ですから、随所にそういう思想が見えます
水デュナンは何度も「戦争をしてはいけない」と説き、未来演じる将軍は
「人間は知恵の実を食べるべきじゃなかった。お前のようなヒューマニズム
を持っていても戦争はこの世からなくならない」と叫びます。
「それならいつかきっとこの地球から人類がいなくなる。そうなった時に
初めて人は戦争の愚かさをしるでしょう」と水デュナンは答えるのですが。
ジャン・エクトールもまた、「人間が生きている限り戦争はなくならない」と
戦場に生きる人の絶望感を訴え、水デュナンは「いや、絶対になくなる」と
希望を持つんですけどね。
数々の語られる台詞を聞いていると、本当に「人はなぜ戦争をるのか」
と疑問に思えてくるから不思議です
イタリアの兵士もオーストリアの兵士も共に傷ついているのに、それでも
暇さえあれば互いをののしりあって喧嘩して・・みたいな愚かさを
見るとき、「同じ人間なのに」とつくづく思いますね。
際立つキャラ
汝鳥怜が演じたベネディック将軍はオーストリアの捕虜。
部下が脱走を企てた為に身代わりとなって死刑になります。
この時、語られる「責任は私にある」という台詞の重さが胸を打ちます
戦場で多くの若者を死に至らしめた事の罪悪感から逃れたい・・・
将軍の心の中にはそんな思いがあったんでしょうね。
未沙のえるが演じたドクター・ハーベルマンはのんだくれの医者です。
でも実は娘を殺されたという過去があり、酒を飲んで気を紛らわせて
いないとやりきれない・・・と切々と語ります 涙・・涙です。
愛原アンリエットは両親をオーストリア軍に殺された記憶から、
どうしてもオーストリア兵士に優しくなれない、憎しみだけで生きているような
女性・・・そんな彼女がデュナンに出会う事によって「博愛」に目覚める
のですね
そうなると、旅人デュナンとお坊ちゃまエクトール先生が本当に
苦労知らずに見えるから・・・・ でもこの二人がいるからこそ
「理想」を語り、赤十字という一歩を踏み出す事が出来たのかもしれません。
盆やセリを使わないわけ
ネットで「植田先生は盆やセリを使う事を忘れているんじゃないか」との
書き込みがあり、実際、使ってないです。
脚本的に見ると「1場・・教会・2場・・カーテン前」の繰り返し。
経費節減の為?
盆だのセリを動かすのだって経費がかかるもん。そうそう気軽には
使えないんじゃないかと。
舞台一杯に広がる重厚なセットを生かす為
盆を使えばセットの大きさは半分程度。でもいちいちカーテンを閉めて
組みなおしているので、常に一場面が舞台一杯に広がってます。
かなり古典的手法 出来ればもっと「場」を減らしたかったでしょうけど
そうはいかないので「繰り返し」に見えました。
でも、それでどんな効果があったかというと、観客の視線が一点に
集中するという事です。しっかり「芝居」を見て欲しい・・・というような
気持ちの表れだったのではないかと。
でも最後のシーン、音月・未来がいる塔と下にいる水達の対比による
会話は非常によかったと思います。
退団する生徒への優しさを学ぶべき
何かと「古い・難しい」と指摘される植田先生ですが、私は今回、彩吹真央の
さよならには植田先生でよかったと思っています
なんせこの先生は退団する生徒と「これぞ」と思った生徒を、序列を越えて
起用してくれるという優しさを持っているから
下級生の名前を覚えるには丁度いいし、ご贔屓さんを退団で送る側にも
安心してみていられます。
そういうところ、やっぱり他の演出家さん達は学ぶべきではないかと
つくづく思いました
まあ、最も四字熟語と「少しも早く」「・・ではありませんか」の多用は
慣れるまでが大変かもね。