1997年新年一般参賀
女性セブン1997年2月2日号
「雅子様「ご公務の空白」と「微熱症状」相次ぐ欠席の理由は美智子さま、紀子さまのあの時と同じ・・
1997年2月20日 秋田国体
週刊女性 1997年2月25日号
「雅子様おめでたではの根拠」
女性セブン 1997年2月27日号
「雅子様54日ぶりのお出かけは低めのヒール」
女性自身1997年3月4日号
「雅子様ご懐妊宮内庁否定」
1997年2月23日 皇太子誕生日画像
1997年3月4日 外務省主催アジア・ヨーロッパ青少年リーダーシンポジウムレセプション。
「Japanese women's magazines have been speculating about the long-awaited pregnancy of Princess Masako , citing cancelled schedules for a series of public engagements.
「この直前雅子は何日間か続けて公務を休んでおり、日本の婦人向け雑誌は雅子妃の待ちに待った妊娠であると推測している
週刊女性 1997年4月1日号
「緊急取材雅子さまとコウノトリ動き始めたXデー ご学友・宮内庁病院・点と線」
女性セブン 1997年4月24日号
「雅子さま「ご訪欧突然中止」報道が相次ぐ中、宮中晩さん会前夜の出席断念また「微熱」か」
週刊新潮1997年4月24日
「皇太子妃「ご懐妊」報道で報道陣の臨戦態勢」
「“カゼ”を理由に公務欠席した雅子をめぐり妊娠説が出たという内容、勿論当時雅子は妊娠なんかしていない。
……ある皇室ジャーナリストはフンゼンと語るのだ。
「昨年から宮内庁では意図的に静養日を増やし、公務が過密にならないよう、ご夫妻の健康状態には十分な配慮をしてきたはずです。それに、かつては外務省のキャリアウーマンとしてバリバリ仕事をこなしてきた雅子妃がそうしょっちゅうカゼをひくような虚弱な体質とは考えられない。大体、それでは、何のために侍医が付いているのか分らないじゃないですか」
女性自身 1997年4月29日号
「雅子様「女の子でも」の朗報」
週刊女性 1997年4月29日号
「雅子様とコウノトリ動き始めたXデー第5弾いよいよ気になる「ご体調」38年前のあの時とそっくり」
女性セブン 1997年5月1日号
「雅子さま「御静養」で見える「こうのとりが舞い降りる日」
「微熱」「ご公務激減」ご結婚4周年の春に向け昨年末からのスケジュールにはある決意が
1997年5月 那須静養先で車を運転する雅子妃
ここまで毎週のように報道されている雅子妃懐妊説ですが、個人的には、本当に不妊治療などの結果、そういう兆候があったのだと思っています。ところが本人はヨーロッパに行きたいとか、体調が悪いとか色々宮内庁との軋轢があったのではないかと思います。
宮内庁側からすれば「十分に静養しつくしたわけで、妊娠は病気じゃないし、医師の確認もとっているので公務に出て欲しい」
でも雅子妃からすれば「じゃあヨーロッパ行かせろ」って話。いくら何でも妊娠初期の飛行機は勧められず・・・でも国内の公務はしたくない雅子妃。「人格否定発言」への道筋が出来ちゃったかなと。
1997年5月14日 春の園遊会
1997年5月15日 フィルハーモニア管弦楽団鑑賞
1997年5月26日
「サミ族ー太陽と風の民」オープニングセレモニー 一緒にいるのはスウェーデン王妃
1997年5月30日 英国王女アレキサンドラ殿下同夫君主催の晩さん会
フフッ。お呼ばれされちゃった。水兵さんもちゃんとドアを開けてくれるし、敬礼してもくれるし。さすがレディーファーストのお国柄ね」って感じで、ご機嫌の雅子さま。
先月三十日、エリザベス女王のいとこ、アレクサンドラ王女(写真下)主催のディナーに到着したところなのだ。ちなみに会場は、晴海に停泊中の英国王室ヨット「ブリタニア号」。屋形船とは一味違う船上ディナーになったようでした
1997年7月2日 桃華楽堂
1997年7月3日 ナイチンゲール紀章授与式
1997年7月15日 沖縄県行啓
1997年8月7日栃木県三本槍登山
1997年7月18日~23日 会津磐梯山静養
1997年9月4日 小和田静の葬儀
女性自身 1997年10月28日号
「マサコスマイルの山の秋」
1997年10月15日 秋の園遊会
1997年10月27日 国民文化祭かがわ出席の為香川県行啓
1997年11月7日 ブルガリア大統領来日宮中晩さん会
1997年11月 御料牧場でサイクリングを楽しむ
1997年12月5日 誕生日会見収録
女性自身 1997年12月23日号・1月1日号
「雅子妃34歳と宮内庁病院「不妊治療」の権威」
今年も昨年と同じく異例といっていいくらいご静養の多かったご夫妻。後半の半年だけでもまとまった御静養は5週間以上あった
天皇皇后両陛下が還暦を過ぎたにも関わらず多忙に過ごされ、ブラジル・アルゼンチンご訪問のあと、美智子さまは帯状ヘルペスでご入院までなさとのとは対照的になぜか恵まれたご静養の日々。
宮内庁はご懐妊の為に出来るだけ静かな環境を作って差し上げたいとの配慮があったということでしょう」
「最近の雅子さまはどこか寂しそうな表情をなさっていることがありますね。ご気分が悪いのかと心配になるくらいです。例えばあまりお顔を見られたくないのか、お車の中でうつむき加減になさっていたり心なしかお化粧も濃くなさっているようで」
「宮内庁病院がヒメゴンという排卵誘発剤を大量に購入して雅子さまが人工授精をなさった」
「雅子さまのご懐妊のためのプロジェクトチームが坂元正一先生を中心に結成された」
両方とも宮内庁は否定
東大のA先生(堤教授)が関わっているのではないか。
「雅子妃34歳誕生日にご学友・外国人記者本誌があえて進言」
1997年12月8日 東京湾アクアラインの開通式に出席
喪服のような黒いいでたちに、胸元には小和田恒からもらったモナコ王室御用達宝飾店「レポシ」のリボンブローチ。
個人的に思うのは、4年目にしてやっと夫婦らしさを持ってきた皇太子夫妻という感じです。少なくともよそよそしさはなくなったかと。本人達の中では自分達の間を何とかする方が先で子供なんか考えられない状態だったのではないでしょうか?
それなのに、回りは騒ぐし、どうしても「皇太子の子」が欲しい天皇と皇后の焦りが見てとれます。秋篠宮家に産児制限がかけられたのはこの頃として。はっきりいって天皇と皇后のエゴが2つの夫婦を崖っぷちに追い込んでしまったともいえます。