外国訪問について「〇〇年樹立」など以外の訪問についてのお考え
「なかなかそこは難しいところで、例えば今言われたような
外交関係樹立100年とかで何とか国に行きます。
そうすると、そこまで行ったら、非常に表現として悪いのですけれど、
そのついでに近くのここにも行ってほしいっていう希望が出ることがあるんです。
確かに例えば遠いところであれば、なかなかそれ以外の国にその後
いつ行けるかどうかも分からないこともあるわけですけれども。
ただ、そうするといつも申し訳ないなと私たちが思うのは、
何となくここにこの行事があって来ました。
それでそれ以外は何となくついでですよって感じになってしまう可能性はあるわけです。
ご招待を受けているわけですから、
もちろん丁寧に務めますけれども、やはりできれば、
何か一つ核になるものがあればいいなと思いますし、
複数行くときには、国ごとで滞在している期間をできるだけ違わないようにという、
そういうことは心掛けています。
何だか・・・ますます皇太子のあのスイス訪問が「ただの観光旅行」
に思えて来た私です。しかも皇太子は「申し訳なさ」を感じずに
食べるわ飲むわ記念写真撮りまくりだわ・・・一体、何しに行ったの?
でしたよねーー
殿下が訪問先でこまめにメモを取るのは、そこで経験した様々な事を
記録に留めて、次にいかす為なんでしょうね。
「ついでではない」という事でしょうか。
昭和天皇実録について・・合理性と寛容さを持っていた昭和天皇について
「合理性と寛容ですね。
私は、寛容ということは非常に大事なことだと思います。
天皇という立場であれば、なおさらですね。
そうでないとなかなか天皇という立場で、様々な事柄を行っていくことは
私は難しいと思うのですね。
この寛容と合理的なこととは、必ずしも二律背反するものではなくて、
両方共存するものだと思います。
ただ、今お話しになった昭和天皇それから現在の陛下の合理性が、
科学者であるからかどうかというのは、私はちょっとわかりません。
科学者にはいろいろ範疇(はんちゅう)があると思いますけれども、
必ずしも科学的なものが全て合理的かというと、そうでないこともあるかもしれません。
ただ、私はその両方というのは、決して相反するものではなくて、
共存することができるものだと思いますし、
物事はすべて合理的に考えられるかというとそうではなくて、
(合理的に考えることが困難な)より複雑なものへの対応も
当然必要になってくるわけですし、
そういうものにも対応してこられたわけです。
ですけれども、やはりある程度の合理性というのは、私は必要だと思っています。
難しい。寛容さと合理性を兼ね備えた人が天皇に・・・・
早い話、柔軟であれという事なんでしょうか。
「人格否定」発言するような人は合理性も寛容さもないので天皇には
なれないと?
皇太子は「昭和天皇も今上も科学者だから合理性を持っている。でも
自分は文系だし」とか言っているのでしょうか?
佳子様の性格についてあらためて。
殿 下 ; もちろん似てないところはたくさんあるんです。だけど、娘とよく話しているときに、
自分がもっと若い頃の感覚に何かとても似ているなと思うときが
ニュアンスとしてあるんですね。
似ていると言われると本人はちょっと嫌がるかもしれませんが、
具体的に言うことは難しいですけれども、
感覚としてこの子は随分似ているなと思うときがあって、
親は大変だっただろうなと思うこともあるんです、
実を言うと。なかなか言葉で説明はできないですけれども、
感覚的に似ていたということでよろしいですか
(と記者に確認される。記者が秋篠宮さまの方にうなずき、
次いで紀子さまの方を向く)。
紀子妃 ; もう一度お願いできますか(と記者にお尋ねになる)。
記者; 最近佳子さまからいろいろ話を聞かれて、
気付かされるような場面があるというお話でしたけれども、
具体的に何かこう言われてはっとされたような、
最近印象に残っているようなものがあればお聞かせ願えますでしょうか。
紀子妃; 普段の生活でよく話すことが多いものですから、
ふとしたときのちょっとした言葉でこれは素敵な考えだなとか、
これはもう一度自分の中で受け止めてより良くしていくと良いなと
思うことがいろいろとあります。
これは娘の佳子に限らず、長女の眞子にも長男の悠仁にもあり、
宮様と話していてもありますけれども、
佳子の場合は比較的わかりやすく話してくれまして…。
普段の生活の中の一つの例ですが、私が知らないうちに、
人と挨拶するときの声が小さくなっていたようです。
20代よりも30代、30代よりも40代、お互いに頭を下げて挨拶をしたり、
表情で挨拶したりすることはあっても、声が小さいことがあります。
もしかしたら20代のときは今よりも若くて体力があり、
元気に声を出していたので、佳子はそのときと比べて
話しているのかもしれませんが。
挨拶というのはとても大事であり、今私が悠仁と一緒にいて
いろいろなことを伝えるときに、私自身が小さい声で話すと、
悠仁の方も小さい声になってしまうのかしらと気づかされるようなことがあります。
初めは私自身声を大きくして挨拶をするのがちょっと
恥ずかしいこともありましたが、少しずつ始めてみると、
20代のときの若さが戻ってくるような感じがします。
いろいろなことを話すときも挨拶も、気持ち良くわかりやすい声で
話すことの大切さを改めて私に伝えてくれたように思います。
殿 下 ; (紀子さまに振り向かれて)
結構いろいろ私の態度のことも言われることもあるしね。
紀子妃 ; (秋篠宮さまに振り向かれて)ちょっと気づかされて。
殿 下 ; ああなるほどな」と思うことがだんだん多くなってきましたね。
紀子妃 ; お互いに、子どもたちが感じていることを私たちに伝え、
また私たちが子どもたちにこれはと思うことを伝えて
子どもたちもちょっと考え直す、そういう関係を大事にしたいと
思うこの頃です。
(秋篠宮さまに振り向かれて)あと、
どのようなところで似ているかというお話をされていましたか。
私の方がもしかしたら客観的に見ることができるのかもしれませんが…。
似ていると何となくうれしくなることもございますね。
殿下 ; (紀子さまに振り向かれて)ありますね。
紀子妃 ; 私も、宮様と娘の佳子で何となく似ているかしらと思うことがあります。
最近、行事が違うのですが、偶然同じ県に1か月の間に2度参りまして、
そのときに同じ方に出会いました。
私の方は気づかなかったんですけれども、
佳子の方は、「もしかしたらあそこで会った人じゃないかしら」という
話をしました。
いろいろな場所でいろいろな方に出会って、
その人のことを覚えている、それは父親と娘でとても
似ているように思いました。
記憶が私よりもずっとよろしいところで似ていましたり、
先ほど言い合うという話がありましたけれども、
言い合いをしつつもお互いにどこかで優しい心を持っている、
そのようなところも似ている2人のように感じました。
娘がここまで「父親似」と言われると、普通は反発して「違う」とか
言いそうですが佳子様は?(笑)
佳子様の静かな意志の強さと行動力は若い頃の礼宮様ですね。
紀子妃殿下がゆったりされているので、佳子様としては内心
はらはらする部分もあるのでは?
我が家風でいうと「最近、ママ、声が小さいんじゃない」
「え?そうかな」「だって昔は回りが振り向く程大きな声であいさつしてたわ」
「あら・・」「ママも歳なのね」「・・・頑張るっ」的な。
全体的に見て、記者さん達は佳子様の事が聞きたくてしょうがなかった
んだなという気がしました。それはそれで微笑ましいですが。
眞子様の時は震災直後であったし、悠仁殿下の着袴の儀と重なった事も
ありましたしね。でも一の姫の神々しさは今になると恋しいものです。
東宮家ではあと10年経っても、上記のような微笑ましい会話は出て
来ないんだろうなと思うと憐れで憐れで。