はーい。僕静かに姫ちゃんのバッグでねんねしてるよ。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
あのね、僕が何で姫ちゃんのバッグの中にいるかというと、ママと姫ちゃん、今日は武道館の礼真琴コンサートに行くんだって。
でも時間がめちゃくちゃ早かったので、「靖国神社」に行くよってママが言いだして、姫ちゃんも付き合う事にんったの。
九段下の駅から歩くと上り坂だからね。けっこあるよね。
でも、結構人が一杯してびっくり。
うふ。ここまで来たよ。
大きい鳥居だねえ。圧がすごい。
「ほれ、とんすけ。さっさとごあいさつ」
「えーん。僕、兎なんだから大事にしてよ。えっとね。皆さんお元気ですか?
僕は元気です。今年も一杯姫ちゃんと旅行がしたいです」
だって・・・だって・・・・僕は「ふぶきの部屋」のスターだからね。
お参りする前にレストランでお昼を食べたの。
じゃじゃーーーん!
野菜が高いってママ達嘆いていたけど山盛りのレタスだあ
これはデミグラスソースのハンバーグ。チーズが添えてあっておしゃれ。
お食事が終わると靖国神社へ行くので、僕はまた鞄の中に。
(ぬぐるみのふり・・・・ぬいぐるみのふり・・・・・)
ねえ、こんなに若い人たちが沢山集まってお参りして、お札とか買って。
みんな神様が好きなんだね。英霊の方々を尊敬しているんだね。
おみくじ引いたら「吉」だったって。
まだ時間があったので「遊就館」にも行ったよ。チケット買うのに電子マネー決済が使えるってびっくりしちゃった。
姫ちゃんがここで大興奮。
それこそ「やばいやばい」と写真撮りまくり、説明文読みまくり。
え?何で?いつからそんな・・・小さい時にママに連れられてきた時はめちゃ機嫌が悪かったじゃないの。
「あの時は自分の誕生日だったから!」
あ、そうなの。
でも姫ちゃん、
こんな大砲の何が面白いの?
「すごーーい。ここから玉入れて出して」と。べ・・別人だってば。
「兵隊さんって色々首から下げてて重いよね。これで走るんだ」と感心。
で、ここからは戦の歴史を順路通りに歩いたけど、ママは偉い。
ちゃんと「ここは桜嵐記」「ここは壬生義士伝」とかちゃんと宝塚の作品と一緒に説明してたの。だから例えば楠木正成の「別れ」の絵で「ここにいるのがたまきちよ」なんて言うものだから、きっと周りの人は「え?何いってるの?」ってなったよね。
と・・・思ったら、それがキャトルの袋持ってる人や武道館のパーカー着ている人が結構いて、「みんな時間潰しに遊就館来るんだ。偉いな」と自分の事は棚に上げて姫ちゃんは感心しきり。
ママも、「そういう事考えるの、ママくらいかと思ってたら」と苦笑い。
さすがヅカファン。本当に素晴らしい。
姫ちゃん一番興奮したのがやっぱり戦艦で。
「もし戦時中に生まれていたら大和の甲板で敵機をバンバン撃ち落としたい」とかいうので、ママが「真っ先に死んでるよ」って言ったら「それもいいかな」って。「でもママ、私、愛国心がないから赤紙が来るまでは戦争いかない」
「大丈夫、あんたみたいなのは徴兵検査で落とされる口だから」と。
何の会話?これ。姫ちゃんはコロナ禍で戦艦のプラモばかり作って「アズルレーン」っていうアニメ見て、それで戦艦を好きになったんだけど、日本の戦艦のネーミングがとにかく好きみたい。確かにアメリカのように人の名前をそのまま付けるより、すごく詩的でかっこいいよね。
そして戦艦と駆逐艦と巡洋艦の違いを教えてくれたのでした。
さらに、ママが嫌いっていって言ってるのに「回天」まで。
ママは人間魚雷「回天」は嫌いだって。
遊就館の閉館までいて、外に出たので、やっと僕登場。
僕は兎だから戦争が起きても何も出来ないけどさ。でも僕達の仲間がこんなに頑張っていた事を知る事が出来て嬉しかったです。
日が暮れて、歩道橋を渡ったら北の丸公園で、その先が武道館。
いえい!武道館だよ。
グッズ売り場も混んでたけど、ママ達はトイレの長い列に並んでた。
女の子は大変だよね~~~
みてよ。これが会場なの。アリーナ席はみんな立つんだって。
「ほれ、とんすけ。姫の御膝でちゃんと見てるのよ」
「はーい」
えへ。タオル巻いて貰った・・・・
えーと。感想はね。
ママ達がつけてるブレスレット、勝手に光るんだよ。連動型なんだって。
で、レーザー光線バッチバチ。急に赤くなったりオレンジになったり、しかも紙吹雪の量が半端ない!
あとはママに任せるね。
僕はもう目がちかちかしちゃって、大音量に興奮しちゃって。こっちゃんの歌唱力に圧倒されちゃって。
「神降臨」って思っちゃった。楽しかったね。姫ちゃん。
皆さま、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします
皆さんはどんな年末を過ごされたでしょうか?
私達は、旦那が急きょ一人で帰省したので、初めて夫婦で別々の年末と正月を過ごす事になりました。
ふぶき家の年末と言えば、スパへ行ってお寿司を買って、おせちを受け取り・・の筈だったんですが、突如の帰省でそれが全部おじゃんになり。
特に姫はスパに行くのを楽しみにしていたので怒り心頭でございました。
でもその代わり、姫がジュニアに「ねえこっちきて」とLINEし、既読にならなかったのでそのまま寝てたら夜中の1時に突如電話が来て「じゃあ行くよ」と言ってくれて、1日だけ泊まってくれました。
これは本当に大きな進歩で、10年前のジュニアからは想像も出来ない穏やかで優しい行動でした。
どんな親子関係でも時が全て癒すのだと感じました。
30日の夜はジュニアと「オタク談義」をして楽しみ、美味しそうにお鍋をつつき、私にお茶割を作ってくれる姿に感動。
31日はお昼を一緒に食べたんですけど、焼き肉屋で非常に高くて「ダメだよ」って言ってたけどジュニアが構わず入ってしまい、こんな贅沢、久しぶりだなと。
姫と二若君は割り勘にしようとお金を出したけど、今回はジュニアの奢り。
申し訳ないという気持ちと、ちょっと嬉しくて、泣けてきちゃった。
そしたら姫たちが「あ、ママ、泣いてる」って言い出して、慌てて「そんな事ないよ」と。
ジュニアはこれから郡山へ行くそうで、しっかり祖父母の事も忘れないんだなと。大人になったとまた感動。
ジュニアと別れて私達は、おせちを受け取る時間までかなりあったので、ゲームセンターへ行きました。
これも正直初体験で・・・・メダルゲームにはまってしまいました。
二若君の言う通りにしていたら、かなり長い時間遊べて。それを見てた姫がこっくりし始めて、二若君はずっと私に付き添ってくれて。
それから姫が弟にクレーンゲームでハム太郎とって~~とおねだり。
「無理。絶対に無理」って言ったけど、二若君は奇跡的にゲットしてくれました。何を弟を利用してカレカノやってんだか・・・と。
それにしてもクレーンゲームって結構意地悪なもんだなと。どれだけお金を使わせるしか考えてないのか。
さらに姫と人生初の「盛りプリクラ」を経験。
いや~~今時のプリクラってスマホ使うの?撮るのにお金使って、ダウンロードするのにお金使って。
でも、びっくりするぐらい可愛い私が誕生。
とても還暦に見えないわ~~~まるで姫のお友達みたい。
これが一番楽しかった部分です。
それでも時間が空いたので、いつもは満杯で入れないスタバに入って、スマホでゲームしたり、本読んだりして過ごし、途中で二若君がお友達との約束で行ってしまったので、結果的に姫と二人の年末になりました。
「ダディがいないとだらけるね」
「こんなに好き勝手出来る年末はいいわ~~」と、オードブル食べながら紅白見て、新年になったら姫と二若君は近くの神社に出かけていきました。
高齢の両親を思う気持ちはわかります。
特に年末に叔母さんを突然死で亡くした旦那が急に不安になるのもわかる。
でも、だからって急に家族をほっぽり出していく事なのかな?
年に一度のスパは私の慢性肩こりにとって最適の治療で、これの為に1年我慢してきたのに。
姫がシフト制なので休みが合う事は滅多にないし。
そういう意味では姫に対して可哀想ですよね。
あちらでも、まさか来るとは思ってなくてびっくりしたらしいし。
息子と孫に囲まれのお正月でいいわね~~って感じですが。
というわけで今年も愚痴一杯のふぶきですけど、よろしくお願いしたします。
皆さま、今年も「ふぶきの部屋」をご愛読いただき、ありがとうございました。
今年は元旦から能登の大地震や飛行機事故が起こり、正直、今も新年を迎えるのが怖いです。
私達夫婦も姫も来年は本厄らしいので、今年以上に嫌な事があったらどうしようとびくついている感じです。
今年はその元旦から嫌な事が続きましたね。
五輪ですら何か潔くない結果ばかり見せられ、テレビでは大谷ばかり。
日本がどんどん壊れていくような感じがして、今や絶望の日々。
来年まで日本は持つのか?って感じなんですけど。
それでもこのブログで出来るだけ時事についても触れていきたいと思っています。
来年の皇室では悠仁殿下が加冠の儀を迎えます。
これにより正式に成年になり、学業の傍ら公務や祭祀にも励まれるでしょう。
マスコミは悪口のように通学経路をどうするかと言っていますが、どこへ行かれても危険はつきもの。
覚悟されての通学になります。
皇位継承者がこのように貶められること、国民がそれをやってることを考えると本当に世も末だなと思います。
浩宮が成年を迎えた時から「お妃」問題がうるさくなっていきましたが、ある意味そっちの方が正常なのかと。
そんなに邪魔なら秋篠宮家が臣籍降下をすれば満足なんでしょうかね。
そういう手もありますよ。
みんなが煽てている人達が実は何の役にも立たない人だと認識される事になりますしね。
愛子内親王に皇位継承権がない事は確かですが、天皇が一言そう言えば、そこまで誹謗中傷にならないのではないかと。
と言う事はつまり、望んでいるんだと思う訳で。
宮内庁にしても天皇家にしても実に身勝手と思います。
実は先日、突如旦那の遠縁の方が亡くなり、郡山宮家名代として通夜に行く事になったのですが、場所が久里浜でして。
私、小さい頃、親戚が金沢文庫にいたので京急は年に一度は乗っていたんですけど、とにかく遠かった記憶しかなく、ましてその先なんて「遠すぎる」と思い、とかく行きたくなかったんですよ。
品川は当たり前ですけど外国人しかいないし。
でもまあ、昔と違って今は京急も特快があり(それでも遠かった)何とか久里浜までついたのですが、夕方6時からの通夜なのに到着したのが2時でどうするの?これから!とますます私は不機嫌になり。
旦那はとりあえず評判のお寿司屋さんに連れていってくれて、それからバスに乗って「ペリー記念館」に連れて行ってくれました。
黒船来航といえば浦賀だと思っていたけど、ペリーが上陸したのはここなんだとちょっと、いやかなり感動。
フェリーも赤と黒でかっこいい。あのフェリーに乗ってどこか行きたいなと思ったんですよね。
空が本当に青くて。こんなに青いものなの?とますます感動。
したのはそこまで。
1時間に一度のバスが行ってしまい、歩いて戻る羽目に。
かかとの細いブーツで歩くのは大変で、体力勝負でした。
で、やっと通夜が始まったんですけど、今時の通夜って・・・ご焼香は一般人から行うものなんですか?
親族とはいっても遠縁だし、代理だと思って一般席に坐ったら真っ先に焼香させられて部屋を出されてしまいました。
いわゆる「通夜ぶるまい」に預かれるのは親族のみって事なんだなあと。
でも喪主は旦那の従兄弟だし、このまま帰るわけにはいかないと粘り、挨拶だけして帰宅しました。
突然の死で、すごく健康な方だったそうで。それだけになんと声をかけたらいいのか。
自分達もいつどうなるかわからないと考えさせられました。
来年こそはよい歳に…穏やかな年になって欲しい。
みなさまにとっても私にとっても。
心からお祈りします。
皆さま、よいお年を。
いきなり暗い話題で申し訳ありません。
103万の壁突破か?と思い、その日を待っているのに、その前に106万の壁突破で逆に手取りが減るというのが決まるらしいです。
国民民主党が何をどうやっても宮沢税調会長の首は切れないらしい。
小野寺五典氏に至っては「手取りが増えてしまうと・・・」と発言して大炎上。
意味は「非課税世帯等、貧しい人に合わせていかなくてはならないのに、パート労働者だけ手取りが増えてしまうのは不公平」と言いたいらしい。
じゃあ、パート労働者を失くせばいいじゃんと思ったりします。
何で今更厚生年金に加入して給料減らして生活しなくちゃいけないの?
還暦はまだ若いと言われます。
そうです。昔の老人からしたら若い。若いけどこの頃から健康かそうでないかの違いが明確になり不健康な人は「自己責任」で苦労しろという話でしょう?
インフルエンザが流行ってます。そこでまたアナウンサーが
「人に移さないように、移らないように対策を」と言い始めました。
何をどうやっても病気になる時はなるんだけど、コロナ以来、「感染症になる人は対策が甘い」的に思ってる人が多くなったのでは?
ワクチンがある、薬がある・・・というけどね。
私などはインフルワクチンにアレルギーがあってダメなのよ。
有休もないしね。
病気になったら終わりです。
こんな損ばかりしているのがバブル期に社会に出た人達だと思います。
男女共同参画事業によって、夜勤も出来る、男と同じように働け~~総合職やれ~~と言われた結果、常に「結婚か退職か」「子供を産むか産まないか」で二者択一を迫られた世代です。
子供達は「バブル期に生まれたかった」とか言うんですけど、その恩恵を受けたのは僅かな人達だけです。
皆トレンディドラマみたいな生活をしていたと本気で思ってるんですか?
バブル大好き博士ちゃんは、郷愁というより華やかさが好きなようですけど実際、底辺では浮浪者もうようよいたし、家賃は高い、都内では珈琲一杯1000円だし。
ジュリアナも行った事ないです。
都営バスで銀座を通った時に「わあ~~」って思ったり、営業職だったから成績さえ上げれば高級な服でも買えた程度。
当時、都内では子供の医療費が安くすんだけど、千葉県は国保だけ安くて、社会保険はめちゃ高かった。
パンパースは1枚60円で、ジュニアが度々入院する度にお金の心配をして、で、結局働き始めたけど、マタハラ、モラハラ全部経験し、私立の幼稚園に入れてる専業主婦の奥様方がいつも公園でお弁当パーティやるのを横目でみて、貴重な休みを子供と二人、孤独にすごす日々でした。
今でこそ「地味婚」が普通だけど、バブル時は、結婚式にどれだけお金を使ったか(親が出してくれたか)がステイタスで、私のように全部自分達のお金で賄う人は異常とみられていました。
田舎では新婚と同時に親が家を買ってくれたりするけど、地方出身者が東京で暮らすには新築のアパートがやっとです。
そうやって、児童手当の恩恵やら子供医療の恩恵やら結構外れて生きてきた人達が定年を迎え、再就職しなくちゃいけない時になって、手取りを減らすっていうのはどういう事なんでしょうか?
私達の世代は年金も減らされるそうで、もうがっくり。
「月20時間の壁」なんてすぐに突破しちゃうし、じゃあ1週間フルで働く体力があるかと言えばそれもなく。
家事をやらなくてよくなったのか?と言えばそうでもなく。
あまりにも不公平じゃない?
維新の会は「公立の給食費無料」を打ち出して自民党にゴマすりしているけど、それを無料にしたからってどれだけの恩恵があるのか?
やたら持ち物を用意しなくちゃいけない今の学校の在り方を変えるならまだしも、給食費無料にしてやるからありがたいと思えって何?
パート労働者より学生の方を重視して、150万まで課税しないようにしょうとかありえないでしょ?
学生の母は年齢と闘い、企業と闘い、不公平を飲みこんでもくもくと仕事をしているのに。
私達にとって、正直、これ以上生きる意味があるのかな?と思います。
老後がない事が果たして幸せなんでしょうか?
時間に追われず、趣味を全うし、生き生きと生きたいと思う事はもう叶わないのでしょうか?
「ねえ、ママ」と姫が猫なで声を出す時は要注意なんです。
いつもは自分勝手に生活している娘が親に声をかける時というのは魂胆があるに違いない。これはどこでも同じかも。
「きららお姉さんのお店あくのよ」
「う・・うん。行っておいで」
「ママと一緒じゃないと」
何でよ・・・自分の服くらい自分で買えよ。
「他にも入ってみたいお店があって・・・ほら、シャンテの向かいにある中華でさ、いつも行列しているあそこ」
「ああ、混んでるんじゃないの?」
「月曜日に行けば空いてるかも」
・・・というわけで説得され、月曜日の日比谷へ行ってきました。
確かに月曜日は休演日ですので、シャンテやその回りのお店も静か。
お昼ちょい前に入ったお店はここ。
一体、何年間見るだけの店だったかな。いつもひどい行列で何時間待ちなのかと思ってついつい遠慮していたんですけど。
確かに月曜。空いてました。待たずに入れたので。
でも正直、どんな店か知りませんでした(笑)
香港の料理人が三ツ星とって、日比谷にも支店があるよ~~的な?
姫のお目当ては「大根もち」なんです。
大根餅・・・小さい頃、食べた事あります。台湾にもあるので母が作ってくれたような気がする。名前の懐かしさに惹かれて「じゃあ、出かける?」って言ってしまったんですが。
これが大根餅。香煎臘味蘿蔔糕といいます。
「糕」と言う文字が入っているのでお菓子としてとらえます。
Googleで翻訳したら、広東語では「乾燥豚肉入りカブのケーキ」と出ました。恐らく「かぶ」の所が大根なんでしょうね。
名前はねっとり感があるけど、一口食べて私達は顔を見合ってしまいました。
「さっぱりしてる!おいしい!食べ飽きない」と。
最近、歳のせいかめちゃ胃もたれする私のお腹が、全然負担がないんだよ~~と喜んでいる感じ。
これだけでも来た甲斐がありました。
次に、これ。
エビと黄ニラのチョンファン。韮黃鮮蝦腸。
直訳すると「エビと黄色ニラの新鮮なソーセージ」だそうです。
だけど、いわゆる柔らかい皮で包んであるニラとエビって感じでしょうか。
このたれの美味しいこと。
見た目にも関わらず全然胃に負担なし(こればかり)
で、メインディッシュ。
姫はこれ。
鶏肉としょうがの蒸しご飯。蟲草花滑雞飯
これは直訳すると食欲が失せるので載せません。日本にはない「蟲草花」が上に乗ってるものだと思うんですけど、確かに虫を想像しますよね。
中国ドラマでこの「蟲」という文字が出てくると危ないので。
だけど、これがね~~名前と正反対にさっぱりとしょうがの味がしてやたらおいしいのです。最初、姫は見た目にぞっとした目をしていたのですが、食べてみたらめちゃおいしい。毎日これでもいいわ~~しょうがの薫りが本当にいい。
私が頼んだのはこれ。
塩豚のおかゆピータンと塩卵いり。金银蛋瘦肉粥。鶏がゆなんですけどピータンが入っているので歯ごたえがあり、しかも塩味なので量が多くても食べられるという医食同源万能おかゆ。
でも何でこんな名前がついているのかわからない。「金銀卵」は何の意味?
痩せた肉のおかゆって読んでしまうけど、日本語と広東語では全然意味合いが違うんでしょうね。
そういう意味で言うと漢字って本当に面白い。
デザートはこれ。
杞子桂花糕。これは金木犀のお菓子でクコの実入りです。
これまた中国ドラマを見ていると、必ず出て来る「桂花」の二文字。
桂花のお菓子、桂花のお酒。何にでも桂花を使う。
日本人はキンモクセイでお菓子やお酒を造るという概念がないので、どんな味なんだろうと興味津々。
すると・・・クコの実の甘さと寒天のさっぱり感。キンモクセイの薫りがよいお菓子でした。ゼリーっていうかね。
僅かな時間で体に元気を貰ったような気がして。お値段もそう考えると手ごろ。食べ物に癒されるってこういう事なのかなと感じました。
それからキャトルレーヴへ行き、朝美絢のグッズを見つつ・・・何だか若々しくていいんじゃない?とかいいながら、衣装展に。
星組は「ヴィオレトピア」の衣装で、「これ好きだな~~~」と。
生で見た時は散々文句をつけたショーだったけど、1年を通して見ると一番の傑作だったという。そういうものかもしれませんね。
こういう色合いは本当に好きです。
さらに・・・東宝グッズの隣りに出来てる春花きららさんのお店に。
当然おねだりされちゃいました。
今時は佳子様が着てたワイドパンツが結構な流行りのようで。
背が低い姫が着ても足が長く見える。
どうしよう。来月から・・・「ママン」とおだてられて乗る私もダメなのはわかってるのよ。
でも、自分も桜一花さんのネックレス買っちゃったし。ま、いいか。
帰る事には素敵なネオンが。クリスマスの時期の日比谷はいつも輝いています。帰りたくないなと思っても現実が私達を呼び戻すのよね。
早く103万の壁を突破してくれないと、服も中々買えないよ。
糸そのものが高騰しているらしくて、こういう時だからこそ国産の養蚕じゃないか?と私は思うのですが。日本のシルクも、日本のジーンズも素材は天下一品なんですもの。どんどん輸出すればいいのよ。
今年ははがきや切手の値段がグインと上がってしまったので、本当に年賀状じまいをする事にしました。
華やかな街にいても、実際はつましい生活なんですよ。
だけど、たまにだからおしゃれしておでかけして、見栄張って楽しいって事もあります。
O・ヘンリーの小説の中に「紫のドレス」というお話があります。
普通は「最後の一葉」とか「賢者の贈り物」ですけど、この歳になって「紫のドレス」の意義深さを知ります。
興味のある方は読んでみて下さい。
そういえば、私、月曜日に紫のセーターを着てたわ。
日曜日は疲れ果ててしまいました。
なんせ昼間から出かけて、夜遅くのイベントがあり・・・それまでの時間潰しが大変だったんです。
一応、大手町で降りたのが3時すぎだったかな。
それまで上野で二若君の成人式スーツをお店で仕立てて貰う事にし、その時間の長かった事!たかがスーツ、されどスーツ、本人はぼやーーっとしているのに、回りが「裏地はこれ、ボタンはこれ」と言いたい放題。寸法図るおじさんはテンションが上がって来たのか「細身で今時の短めタイプでかっこよくします」みたいな話になって。
お陰で「記憶にございません」のスーツをじっくりと観察する余地が出来たかな。
で、大手町に着いたら目の前が皇居でみんなぞろぞろ入って行くから、私と姫も行ってみようとなり。
実際、外国人が多くてね。
お濠を見て、姫が「ここで忍者が・・・」と言ったので、「忍者はいません」と悠仁殿下の論文の一節をお借りして返しました。
何というか、昔は普通に見ていたススキの群れがこんなに綺麗なものだったなんて。私はなんて贅沢な子供時代を過ごしたのかしらと思ったり。
南天の実が綺麗と思ったり、一部紅葉が素敵だと思ったり。
そして皇居のカラスは丸々とふとっていて大きく、やたら低空飛行するんで、とても怖かったです。
問題はここ、本丸に上がるスロープのきつさといったらないです。
45度くらいあるんじゃないの?
そこを頑張って登って、あと一歩で本丸と言う所で
「帰りましょう」のアナウンスが流れたので、「え~~~~」と言いながら元の道を引き返しました。
でも何か国語かで放送していたんですけど、左側に広がる芝生でピクニック気分の外国人は帰ろうとしません。
それを恐らくですが自転車に乗ったお巡りさんが注意して歩くんでしょうね。
パトカーが黒塗りでめちゃかっこよかったです。
で、まだ時間があったので三の丸尚蔵館へ。
多分全然意味がわからないだろうな~~と思いながら中に入って・・・
結構、沢山の人がいて写真を撮りまくってました。いいんだ。写真とって。
とはいっても一応やめときました。
公家の書と一言で言われてもわからないと思うんですけど、「光る君へ」に出てくるような公家の方々が残したお手紙とか、万葉集の写本とか、そういうのを見て、筆跡とか形式を楽しむんでしょう。
訳はわかったけど、原文は「筆致の強さ」くらいしかわからない。
それでも漢詩を詠んだ方がいて、そこに「断腸」と言う言葉が書いてあったので、興味がわいて何とか姫と読み解こうとしたんですよ。
でも、途中まではわかるかなと思ったけど完全版が欲しいと思ってGoogle翻訳使ってみたんですけど、さっぱり。
漢詩で「断腸」を使うってよっぽど悔しいとかそういう意味でしょ?
秋の日の朝に、誰かが弾いている琴があまりにも素晴らしくて悔しい・・的な?中国人が詠む漢詩と日本人が詠む漢詩では漢字の使い方が違うのかもねと話しながら歩いておりました。
こちらの白い衣装の彫刻はパリ万博に出品する予定が凝りすぎて間に合わなかったという。十二単の女性が鏡で自分を見ているという姿。
衣装のひだの一つ一つの細かさにびっくりしました。
これは明治天皇がお気に入りの花瓶で雀が沢山いますが、後ろに回るとカラスが飛んできたみたいな絵図になってます。
素晴らしすぎて、「財力があったらな~~~」といつも思う事をまた思ってしまいました。
多分、この絵が私が一番気に入った「並木道」というもので、この写真からはわからないのですが、木の葉っぱが落ちている所の光が本当に温かく、そして優しく、元気をくれるなと。風景の中に溶け込んでしまいたい、あの場所に立ってみたいと思わせる絵でございました。
と言う事で、また来てみたいな~~無知だけど。
古文書の研究などをしている人にとっては本当に楽しい空間だと思うんですよ。
こういうのを見る時、皇族方は学芸員がついて説明してくれて、見どころも教えてくれるでしょう?羨ましいなと思いました。
さて、ここからが本来の目的地です。
夜の東京タワーが美しかったですわ。
ベランダに咲いた間ベンダー3鉢です。
今年の夏は本当にきつかった・・・・花がどんどん枯れていくの。
向こう側、ぶら下がった鉢の花も生き残りが僅か。これが伸びれば来年の春に花が咲くかも。
その下のモナは上の方の花が小さくて葉が縮れてしまっています。
花が終わったら切らないと。
なんでこんなにモナラベンダーなのかというと、元々この花の紫色が好き。
それと、この花は大きくなるにつれて木質化していくので、ある程度になったら挿し木して増やしていくしかないから。
毎年頑張って挿し木しても、残るのは僅か。それを大事に育ててやっと3鉢。
本当は冬に咲くはずなんですけど、なぜか夏と今ですね。
それと奥の方にある菊が生き残りました。
異常気象の中では植物を育てるのも大変。価格がすごく高くなっているし。
しかもベランダの真夏は直射日光が半端なく、どんなに頑張っても夏越しが難しいんです。冬は冬で風の強さがひどくて。
本当は一杯育てたいけど、丈夫な花にしておきます。
やあ、みんな元気?僕、とんすけだよ。
ここ、どこだかわかる?あのね・・・実は・・・東大の中なの。
え~~~何で僕がこんな所にいるかっていると、話は長いんだけど聞いて。
ママとダディが「歩こう会」やってるって前に書いたじゃない?
で、次回は「わだつみのこえ記念館」まで歩こうって事になってたんだけど、ここは平日月・水・金の午後1時から4時までしか開館してないんだって。
それで仕方ないからお休みの姫ちゃんと一緒に行く事にしたんだって。
本当は都営地下鉄に乗ればいいのに、どういうわけか「お茶の水」で昼ご飯食べてバスで行かない?って事になって・・・そしたらバスに乗り間違えて「東大構内」まで入って行っちゃって・・・で、赤門目指して歩いているところなの。
疲れた~~~東大ってね。広いの。
ママのふるさとの仙台にある東北大学くらいかな。でも東北大学の方が綺麗だよ。東大は歴史ある建物が一杯で、ママはうきうき、娘はうんざり「暑いったらありゃしない」
修学旅行の集団にも出くわしたけど、一番多く目にしたのが中国人。
すれ違う人がみんな中国語喋ってる。記念撮影しているのも中国人。
じゃあ、やっぱりあの噂「東大の大学院の80%は中国人」って本当なんだね。
ママは、中国人の親子連れが必死に写真撮ってるのを見てびっくり。
「だって、普通、大学に観光に来ないよね」って。
将来、子供を東大に入れたいのかな・・・・
やっと赤門着いたよ~~~~でも、ここの近くって聞いたけど、どこ?どこ?
結局、ここまで1時間も無駄に歩いちゃったの。
しまいには姫ちゃんがマップを開いて漸く到着。
東大のすぐそばにあるのに、誰も知らない建物。
これ、これ、マンションだよ。マンションの1階にあるんだよ。
で、
入り口がここ。入った瞬間「暑い」予算の関係なのかエアコンが28度設定になっててとにかく暑くてさ~~~
あのね、ものすごく可愛い女の子がいたの。まるで独身時代の紀子様みたいなワンピース着た。僕うっとりしちゃった。
あまりにも熱心に説明を聞いて見学していたので、ママが「何かきっかけが?」と聞いてしまったんだって。
ここは、学徒出陣の時、東大とかいわゆる国立大学にいた兵隊さん達の資料が置いてあるんだって。「きけわだつみの声」(岩波文庫)は今まで何度も重版されたり、形を変えたりしているけど、その時関わったのがここで。
こんな風に、兵隊さん達が残した手紙とか論文とか、様々なものを展示しているの。ママがこんなに興味を持っていたなんて知らなかったな。
ほとんどが20代前半の学生達。案内してくれたおじさんはお話好きな人で色々話をしてくれたんだって。
「あの日は雨でしたね」
「ああ、そうだけどそんなには降っていなかったんです」
「そうですか。報道を見るとどしゃぶりのように見えましたが」
「あのニュースはね」
的な会話をしてたよ。
姫ちゃんは映画のポスターなんか見てたけど、織田裕二主演のを面白そうだと言ったのでママに叱られてた。「戦後最悪の映画だからみなくてよろしい」って。
それから姫ちゃんは兵隊さん達が家族に残した手紙を読んで感動してたけど、今時の人からすると「重いな」と思うんだって。
死ぬかもしれないから結婚はしない・・・結婚して子供がいる妻に対しても「僕が死ぬとき、君がいないのは悲しい」とか。
たった一つの言葉でも後50年を一人で生きる力を与えてくれる言葉。それはとても大事な事なんだって。
大学生はいわゆるインテリなので、庶民が戦争に対して盲目に信じている事に怒りとか、失望とかあって、非常に冷静な目でみていたと思うんだって。
だけど、それって今も同じじゃない?
総裁選を顔や雰囲気で決めようとか、口当たりのいい言葉に誤魔化されるとか、みんな変わってないよね。
そこのおじさんが「上村元太さんの手紙が今ちょっと話題になってて」と紹介してくれたそう。
そこにはね。
「何時か何時の日にかは漢民族の復讐に我々の子孫はあうやうな事もあらう」と書き残していたから。
中国が日本の侵略を受けて、もし自分が中国人なら日本の軍隊を許さないだろうし、自分は今その一人だと言う意味です。
彼は1945年に宜野湾で戦死したそうです。
ママが「きけわだつみの声」を読んで思ったのは、実際に戦死した人より、病死が多かったという事実に驚いたこと。
事故死も多くて、本当にやりきれないなと思ったみたい。
というのは、特に沖縄とか南方などにいると水あたりするでしょう?あるいは脱水になるから、それだけで死に至ってしまうんだよね。
華々しく散るならともかく、何をしに戦地へ赴いたのかと思った人もいたでしょうってこと。
実際、織田裕二の映画では、フィリピンに到着するなり敵の攻撃を受けて、あとは逃げ回るだけの日々が始まるわけです。
みんな勉強が出来て本を読むのが好きで、芸術家肌の人もいたし、論文が上手な人もいた。そういう人達の個性を奪ったのが戦争だったという事。
ママがずっと資料を読んでいる間、姫ちゃんは寝てたらしい。
やっと「帰りましょう」と1階に降りたら、またおじさんと会話になって、姫ちゃんは鞄の中の僕をつつきながら眠いのを一生懸命我慢してたの。
ママの声は
「こんなに貴重な資料がのこされているのですか」
「素晴らしいですね」
「今も人々の胸の中に生きているんですね」
等々。めちゃ丁寧語で喋ってるから別人かと思った~~~
ママがね、ママのダディが陸軍に徴兵されて中国大陸へ渡った話をしたら、
「今は厚生省が軍歴を教えてくれるんですよ」ってお手紙の書き方も教えてくれて。
それに、今も学徒の人の資料を集め続けている人がいて、来年は戦後80年だから、それに向けて頑張っているらしい。
そういえば、あの建物に入った瞬間、本当に静かな、物音一つ言聞こえなくなったなって僕は思ったの。
沢山の遺品の中に、静けさをもたらすものがあるんだね。
79年前の歴史はわかるけど、その恨みを募らせて捻じ曲げて新たに侵略の手にする中国ってどうなの?
帰りは疲れちゃってタクシーでGO!
そしたら東大の前に立て看板があったの。なんて書いてあったのかわからないけど学生運動復活?怖いよ~~~
といいつつ、
結局はこうなる。
エビスビールはおいしいねっ!
わあ、僕の好きなブロッコリーだ!
うんふ やっぱりついてきてよかった。
そういえば、悠仁親王殿下、絶対に東大なんかいかないでね。
殿下にはふさわしくないよ。あんな・・・外国人しかいない大学。
みなさま、ご心配頂きましてありがとうございます。
また、沢山の励ましを頂き、「忘れられてない~~」と喜んでおります。
吹けば飛ぶようなブログの中のお付き合いではございますが、今後ともよろしくお願いします。
連休中に徐々に悪化してきた坐骨神経痛。
でも、痛み止めも湿布も持ってるし今更整形外科行っても何もして貰えないだろうと。
リハビリに行くには遠い場所なのでちょっと通えないしな。
整骨院、カイロプラクティック・・・色々探したけど、費用がかなるなと。
休みの間にかなり良くなったのですが、仕事に行ったらもうダメで。
7時間程座りっぱなしの仕事で、休憩時に立ち上がるとまっすぐ立てないっていうか、猫背で歩くような感じで、ひたすらばれないように頑張りました。
「100均で骨盤ベルト売ってるわよ」ってアドバイスされたんんですけど、買いに行く暇がなく、結果的には休みの日はただ寝てるだけ~~
本当は職を変えるべきなんでしょうけど、こればかりは仕方なくて。
ペインクリニック・・・参考にさせて頂きます。
歳をとると何もいい事がない。真矢みきさんのように前向きになれないっていうか、気が付くと「何だか具合が悪い」事だらけで。
深圳の事件の後は精神的にやられちゃったのか、舌が痛くて。
喘息も持っているし、「私ってもしかして将来、嚥下障害で死ぬんでしょうか」とドクターに言ったら黙ってたの!
orz。
突然の肺炎か、痰を詰まらせて死ぬか二つに一つと思うとやりきれない。
やっぱり、体調の波はありますよね。本当に。不具合と闘ってる感じ。
一日中遊んでいられる体力はないわ。
その点、本当に皇后陛下という人は体力はあるんだなと感心しちゃいます。
今は休める時は休んで頑張ります。
みなさん、本当にありがとうございます。