ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

こ・・これ、本当に小室圭なの?

2022-02-28 07:00:00 | 皇室報道

 2月22日でしたっけ?二回目の司法試験の初日、2日目はマークシートとか?

その時の小室圭がデイリーメールに激写されていたというわけですが。

一言でいうと、何だ?この格好は。

ヘルズキッチンの高級アパートにいるとは思えない格好で。

髪は伸ばしっぱなし。デニムシャツにジャンバー。だらしない。

回りがロングコートを着る程寒い筈なのに、なんでこの人はこうも薄着?

寒くないのでというよりは、貧乏ったらしいんだよ。

2日目の休憩時間に撮られたらしいのが

 シャツは出しっぱなしで、胸開き。

何でまたポニーテールにする必要があるのか?

日本での姿がみせかけだった事がよくわかる。

そして何よりも母親そっくりになってきたんじゃありませんか?

 

相変わらず日本の週刊誌ではあることないこと書かれて、眞子様は帰国したくないよね。

「眞子さんは働く予定」とか書く所もあるけど就労ビザないのにどうやって働くの?

不法就労になるでしょ。

家賃の心配がないとはいっても、生活ぶりは荒れている雰囲気だし。

上皇后の財産を食いつぶすのでは?とまで書かれたら本当に帰国したくても出来ないよね。

今の所、デイリーメールは眞子様には友好的のようですが。

小室圭の・・・まさに「ヒモ」と言った方がいい姿を見ると「やっぱり結婚しちゃいけなかった」と思うばかりで。

大人のいう事は聞くものですよ。

 

まあ、彼も30歳だし、そろそろお腹が出てもおかしくはない。

でも、法律事務所で毎日遅くまで働いてるというわりには肉がつきすぎているので?

あっちの国では太りすぎると不健康とみなされ、採用にも影響あるし、自己管理出来ないとみなされるけど。

眞子様は質素な生活をしているとは思う。

毎日カップヌードルで暮らしている浮浪者のごとく体型が崩れた原因が何か。

結婚指輪もしてないらしい。

とても幸せな新婚家庭の夫には見えないんだけど。

来る所まで来ちゃったのか、これが終わりの始まりなのか。

コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皇室ウイークリー

2022-02-27 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

2月18日・・・天皇陛下 → 通常業務

2月21日・・・天皇陛下 → 誕生日記者会見

2月22日・・・天皇陛下 → 通常業務

2月23日・・・天皇陛下 → 天長祭の儀

       両陛下 → 祝賀(皇嗣同妃殿下)

             祝賀(元皇族・親族代表)

             祝賀 (内閣総理大臣)

             祝賀(参与等)

             祝賀(宮内庁長官・皇宮警察本部長他)

     両陛下・愛子内親王 → 祝賀(侍従職)

 

皇嗣家

2月18日・・・殿下 → 山階鳥類研究所会議(オンライン)

2月21日・・・両殿下 → JICA海外協力隊令和3年度第5次隊派遣隊員(二本松訓練所)に会う(オンライン)

       妃殿下 → 結核予防会理事長,同代表理事他ご報告(世界の結核の状況について)(オンライン)

2月22日・・・殿下 → 在京トルコ大使に会う

2月23日・・・殿下 → 天長祭の儀

       両殿下 → 天皇誕生日祝賀行事

2月24日・・・殿下 → 日本動物園水族館協会「第66回水族館技術者研究会」出席(オンライン)

      両殿下 → 北京冬季パラリンピック結団式(オンライン)

 愛子内親王が祝賀を受けたのは御所なので写真が出ないんですね。

  本来天皇一人が出席すべき祝賀に皇后も一緒なら、どこかで愛子内親王も出るべきだったんじゃないでしょうか?

  ドレス着てお辞儀するのが負担とか?

 筑波大学学長が「提携校制度は悠仁殿下の為につくられた制度ではない」とはっきり記者会見でおっしゃいました。

  それはありがたい事ですが、月刊ゲンダイが「筑波附属を落ちた生徒の親」にインタビューして「釈然としない」と言わせました。

  何でもその子供は一生懸命に勉強したのに不合格になって、その後、ふと彼が「提携校制度って何?」と親に聞いたんだそうです。説明したら「それなら僕も小学校からお茶の水に入って提携校制度を利用すればよかった」と言ったというのです。

 思わず、そういう情報はお受験する子供の親なら知っていて当然。それを選ぶ選ばないはその親の責任。必ずしもお茶の水に入ったから提携校制度を利用出来るわけではない。

 この親子の言い分はまさにお茶の水を下に見ているような感じでかなり不愉快です。

 何でそこまでして「悠仁殿下の入学は変」と言いたいのか。

  それはまさに愛子内親王が「学習院」しか行けなかったからに違いありません。

 愛子内親王は知的な問題もあるけれど、そもそも一つの事に集中して興味を示し、研究を続けると言う姿勢がありません。親のいいなりでチェロをやってみたり、やれ相撲が好きだ、スキーが得意だ。作曲できるとかいっても、全部一時的なもので多分今はチェロを触る事すらないのでは?と思います。

好きなものは恐らくスマホで、ゲームをやっている時が幸せなのかも。

それは「適応障害」と言われた時から雅子さんのテーマで、「ライフワーク」を持てば環境に対応できると言われていましたが、未だにそれが持てないのと同じです。

天皇はまがりなりにも歴史が好き、ヴィオラが好き、クラシックが好きと一貫してますが、娘はそれを受け継いだ様子もありません。

雅子さんも、観光や遊びで旅行したりするのは好きでも、そもそも芸術的な事に一切関心がない。難しい話が嫌いなのでしょう。誕生日映像で天皇の骨とう品の説明に、形だけ頷いている姿からもよくわかります。

皇室にいれば一流品と出会い、本も沢山読めるし研究者を招く事も出来るのに、そういう事に興味がない。雅子さんにとって皇室は宝の持ちぐされです。愛子内親王にとっても同じです。

悠仁殿下には明確な目的があり、ゆえに受験に踏み切った。眞子様も佳子様も一定の目標があって大学に入ったり留学したりしたわけで、「留学」そのものがステイタスと考える天皇家とは全然目線が違うんですよね。

 天皇は眞子様が生まれた頃は「伯父」としてとても嬉しかったと思います。ずっと独身だったら秋篠宮家の子供達に「伯父様」と呼ばれて公務に同行したり、話を聞いたりとわりと楽しい人生を送れたのではないでしょうか。

  たまたま小和田雅子と結婚したばかりに、表面的には「笑いの絶えない家庭」といいつつも孤独な人生を送っている。彼はほとんど悠仁親王に会った事がないでしょうから、次の次と言われてもピンとこないでしょう。

もし、このまま今上の世が続けばさらに「皇室に詳しくない人達」に有利に働く可能性があります。

それは悠仁親王が結婚して子が出来た時、その子が男子だけど「親王」ではなく「王」になるからです。

悠仁親王は「天皇の甥」「先帝の孫」です。その子は先帝の曾孫なので「王」「女王」です。愛子内親王は永遠に内親王ですから、格が違うとか身分が違うとか言われかねないのです。

それを防ぐ為には今上があと10年くらいで退位して、皇統を秋篠宮けに移す事が必要です。

憲法違反、皇室典範違反した上皇の息子ですし、もう一人くらいそれがあってもいい。

要は秋篠宮が天皇になった時から、きちんと制度を整えなくてはならないからです。

また、悠仁親王の子が「王」「内親王」なのに、旧宮家が復帰して出来た子が「親王」「内親王」ではおかしいですよね。

そういう事も考えないといけない。課題は多い。

これは今上がのほほんと天皇でいるからです。

エリザベス女王はケンブリッジ公爵家のジョージ王子、シャーロット王女、ルイ王子に「ロイヤル」の称号を与えました。そういう気遣いが今上に出来るとは思いませんので。

 

 

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由主義と独裁制の戦いはどちらが勝利するのか

2022-02-26 07:00:00 | 政治

2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻し第三次世界大戦は始まりました。

・・・と教科書に書かれる日が来るかもしれません。

未だ太平洋戦争の傷を抱えて「平和なお花畑」を気取っている日本人。

目の前の戦争を見るべきではないでしょうか?

岸田総理のたどたどしい話を聞いていると、やっぱりこの人親ロシアだったんだなと。

未だに外務省にはチャイナスクールやロシアスクールがあり、共産主義、社会主義に迎合する人達がいて、それが反日に至っている。その最たる人がよりによって皇后の父である小和田恒って所がもう末期だなあ日本はと思っています。

北京冬季五輪が終わったらやっぱり、その直後に動いたロシア。

そして多分パラリンピックが終わったら今度は中国が動くでしょう。

宣戦布告するプーチンの目は座っているというか、本当に恐ろしい形相で、西側は太刀打ちできないのではないかと思います。

今のロシアより怖いソ連という国がありました。

ソヴィエトの恐ろしさを感じるのは私達の世代で最後かもしれません。

詳しくは「エロイカより愛をこめて」(青池保子著)を読んで下さいまし。

この話は華麗なるNATOのエーベルバッハ大佐と泥棒の話ですが、NATOとKGBの情報戦が描かれています。

21世紀の今、教科書に書かれている国連やNATOは絵物語に過ぎず、実際には何の力もない。自由主義国は一枚岩になれない、自国の安定の方が大事と考えているからです。

ましてやコロナ禍で感染対策に追われるヨーロッパや日本、アメリカでは

「何で感染の危険性があるのに軍事行動できるのか」と思いますけど、プーチンは斜め上をいっているんだなと。

 ウクライナが親ロシア派を8年も迫害、いじめ、虐殺して来たのでロシアの人民を護る為に平和維持軍を派遣する

 NATOがこれ以上ロシア側に入って来ない様に、自国民を護る。

というのがプーチンの言い分で、それを表面的にロシア人は信じていて手も足も出ない。

「自国民を護る」というのはものすごく効果がある言葉で、あんな目で言われたら信じてしまいそうになりますが、そもそも「親ロシア」って何よ。要するにロシア人工作員の事でしょう?

プーチン側近の料理人だった人間が、自分で民間の工作員組織を作った。

その組織がクリミアやウクライナに入って一生懸命に思想教育をしていく。

内部から分断や崩壊に導く「シロアリ作戦」ですよね。

今回も、ロシア軍がウクライナ軍人になりすましてウクライナ人を殺したりして「悪いのはウクライナ」という印象操作をしています。

どこかで見たような光景・・・そうです。

南京大虐殺ですよ。あの時も中国の軍人が軍服を脱ぎ捨て民間人になりすまして日本軍を狙って来た。だから戦闘になったけどアメリカなどには「日本が南京で中国人を虐殺した」とメッセージを出したのです。

ロシアや中国にとって「戦争の礼儀」なんてどうでもいいわけ。

本来、戦争は戦場で行い、軍人は軍服を着る・・・筈が、敵方の軍服を着て敵を殺し、自分の方は無傷なんて予想外の事をやられたらどうしようもないのです。

これが独裁国の価値観です。

 目的の為にはどんな解釈もありうる

つまり、「正しいかどうか」ではなく、思わず相手が「一理あるかも」って思う事が大事なんですね。

現実にプーチンの言い分に納得している人達もいるのですから。

日本の共産党だって元をただせば共産主義仲間でシンパシーを感じているんじゃないの?

 

ウクライナはソ連の一部から独立して、わりと自由な国になりました。

もう一方のベラルーシは独裁国になってプーチンにべったりする事で生き残りました。

ウクライナはその「自由」を守る為にNATOに入りたいと思ったのだろうと。

多分、プーチンはそれを待っていたのかもしれません。

大義名分を得てウクライナに侵攻し、軍事力を奪い現政権を倒してロシアに併合。

それで終わるのか?いや、終わらないのでは?

バルト3国、チェコ、ハンガリー、ポーランドまで侵攻してしまうのではないかと私は思います。

そしてパラが終わったあと、中国が台湾を襲うか、日本に来るか、あるいは北朝鮮を使って韓国を落とすか。

そしてインドがどちらかにつく。

最悪のシナリオしか浮かばない・・・・・

国連が機能しないのは当たり前なんです。

だって主義主張が違う国が常任理事国なんだから、何をやっても成立しないでしょ。

そもそも国連なんて戦勝国が作り上げたもので、いつかこうなるって事わからなかったのか?馬鹿じゃないの?と思いますよ。

どこよりも民主的に平和に大人しくしてきた日本が常任理事国入り出来ない組織なんてね。

ウクライナは・・・日本のアニメ好き、コスプレが好きな人多いですよね。

ヅカファンなどもいますよ。そういう意味では親しみを感じるんですけど。

私の頭の中では「Never say goodbye」の和音美桜達の歌がぐるぐる回っています。

こんな時期に宝塚で再演とはこれも縁なんでしょうか。

私の同僚のように「自由が奪われても国がなくなっても領土が侵攻されても生きていればそれでいいんじゃないの?戦争するよりまし」と考えますか?

どうしてもそうは思えないんです。

 

 

 

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

筑波大学学長が記者会見

2022-02-25 07:00:00 | 皇室報道

 朝、読んだ女性セブンに「24日に筑波大が記者会見する」と書いてありました。

要はマスコミから様々な疑念や疑惑を受けて仕方なく行うもの・・・という感じで書いてありました。

セブンによれば悠仁殿下はお茶の水でも友達がいなくて、遊んでいるとかいう噂が一切なかった。筑波に入っても多分馴染めないだろう。

将来の天皇であるなら秋篠宮家で教育するより天皇に預けるべきだ。

紀子妃は結婚した時から雅子妃を意識している・・・(嘘ばかりで書く気にならない)

つまり母親主導で進学を決めた悠仁殿下に筑波は荷が重いのでは?的な雰囲気で、バカじゃないか?と思いました。

セブンが宮内庁筋の御用雑誌という事がここではっきりしたわけですから、3月17日の記者会見も事実なんでしょうね。

宮内庁から引き出した情報を元に独自に悪口を展開しているのか、それとも、宮内庁筋からそこらへんも言われているのか?

筑波大学学長の定例記者会見

 悠仁殿下の警備などについてお茶の水と連携して「安心・安全」を確保していきたい。

 (悠仁さまが)4月に高校にお見えになれば、本当におめでとうございますと申し上げたい」

 付属高の『自主、自律、自由』の教育方針に基づく教育コンテンツなどを気に入られたのであれば、大変光栄なことだ」

さらにマスコミが「裏口」と叫ぶ提携校制度について平成29年度以来、若干名が利用している。この制度は今年が期限だけど5年延長するとの事です。

これでマスコミが止むかといえばそうじゃなくて、きっと「一緒に通う子供の親は「色々窮屈になりそうで嫌だ」とか書かせるんだろうなと思います。

何で15歳の皇位継承者に対してそこまで出来るんだろう。

女性週刊誌も文春も新潮も鬼だね。人間を止めたんでしょう。

児童虐待の話が尽きないけど、ペンの力で児童虐待しているものね。

23日の天皇誕生日。

コロナ禍なので祝賀行事には最低限の人数を・・・といっても、皇后が「+1」になって、各人配偶者が+1でした。

皇族代表は皇嗣家なのは当然としても、元皇族代表、親族代表が誰だったのか、少なくとも黒田夫妻は来ていなかったのではと。

さらに去年から佳子内親王や悠仁殿下の祝賀もなし。

令和2年のみ、お祝い御膳にまで出たけど。

そして何より愛子内親王が祝賀行事に一切出てこなかったんですよね。

普通なら「超ご優秀で人気ナンバーワンの愛子内親王」アピールのチャンスだろうに。

侍従たちからの祝賀にも出てこない。

無論、お祝い御膳もなし。

このままず~~~っと永遠に饗宴の儀も茶会の儀もなければいいでしょ。

天皇は記者会見で眞子様について「心苦しく思う」と言いましたが、思わず「あんたにいわれる筋合いはない」とテレビの画面に向かって言ってしまった。

それにやっぱり悠仁殿下の卒業と入学について「おめでとう」とか「よかった」の一言もなかった事が許せないです。自分の娘の事は中学校まで遡って遠泳だの作文だのを褒めたたえ。「愛子がいると笑いに包まれる」とか・・・何の話題で笑いが止まらないのか全然想像出来ないけどね。

 

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こうやって戦争は始まるんだな・・・ウクライナ侵攻

2022-02-24 07:00:00 | 政治

 毎日発表されるコロナの新規感染者の数にそろそろうんざりしている私です。

よその国を出して言う事じゃないかもしれないけど、ヨーロッパなどは規制を解除して普通の生活に戻ろうとしています。

エリザベス女王も感染しても公務を続けようとしました。

一部フランスなどは「ワクチンを義務化」とかやってます。ワクチンの義務化はいいとしても、その他の事に関してはあまり厳しくいい続けるのもどうかと。

日本人って環境に慣れやすい民族というか、マスク生活も2年続けば今度はマスク無しで歩くのが怖くなる。透明な衝立がないと不安でしょうがなくなる。赤の他人と握手するのが嫌、接触するのが嫌、喋るのが嫌・・・みたいな人達が増えていくわけですよね。

今年の夏はマスクを外せるのか?いや~~無理だろうな。

感覚的には感染者が減っていると思うんですけど、政府やマスコミは未だ緊急事態宣言の一歩手前だと主張して「緊張して毎日生活せよ」というわけです。

何でそんなに「不測の事態」にしたいのか。特に医療現場。

とにかく「ベッドが~~高齢者が~~」と言い続ける。要は高齢者を受け入れて入院させると長くかかるし、そのわりには金にならないから嫌なんでしょ?

高齢者を護る為に感染対策というよりは病院の利益の為と思うと、すごく嫌な感じがするんですよね。

老人はいつまで健康でいなくてはならないのか。病気になって心配される権利もないのか?と思ってしまいます。

そうそう窓口で非課税世帯への10万円給付金の申請書の記入の仕方を聞きに来た老人が「うちは非課税世帯なの(えへん)楽しみ!」って笑ってお帰りになった時は、腹が立つというか、はあ~~?って。

非課税世帯って国民年金のみで暮らしている人とか、生活保護一歩手前とか・・・老人に多いわけですが、税金払って非課税世帯より苦しい思いをしている働き盛りはどうでもいいのか?と思ったり。

弱者っていうのは老人と母子家庭だけじゃないんだけど。

真っ当に働いてせっせと税金納めて子育てにお金かけて共稼ぎしていると、全然國から顧みられないと思うと悲しい気持ちになりますよね。

日本からウクライナは遠くて、「ロシア侵攻」って言われても全然ピンとこないお花畑さんが多いと思います。

私の例の同僚もそうで「ロシアがウクライナの一部が欲しいというなら上げちゃえばいいじゃない?それで戦争が起きないならそれが一番じゃないのかな

とか言い出すから・・・おいおいと。

日本でいうと、ロシアが突如北海道の一部を「独立国家」として認めるようなもんです。

日本人からするとロシアもウクライナも同じような国に見えます。

ベラルーシも、チェコもセルビアもルーマニアもポーランドも元はみーんなソ連の影響下に会った国々です。それらが独立して四苦八苦しながらも独立した経済を建てている。

ウクライナはプーチン脳では「元々ロシアの一部」「同じ民族」って事なんですよ。

で、今回の侵攻の仕方が満州事変そっくりで。

歴史の教科書を紐解くことなく、こうやって戦争は始まるんだな。独立国家になったドネツクともうルガンスク州はまるで満州国ですよ。

満州国だってとりあえず13年続いたし、日本人が多く住んでいたけど、ウクライナはロシアと地続きだから一旦取り囲まれたらもうダメだろうと思うのです。

どうやらプーチンは「ソ連」への幻想を抱いているようでスターリンのみならず、その前のロマノフ家が治めていた偉大なるロシア帝国への回帰を狙っているんです。

 

それは中国の習近平も同じです。

習近平は毛沢東時代に思いをはせ、鄧小平を全否定。

そして習近平は領土は明の時代まで遡って支配したいと思っているようです。

習近平にしてもプーチンにしてももういい歳でボケも半分入って来てさらに暴君化し、気が短くなっているんじゃないかと思います。

なかなかテレビではやりませんが、日本の外交官が中国でスパイ容疑で捕まっています。

日本は抗議したけど中国は「抗議は受け付けない」と言ったそうです。

そうなるともう日本は何もしようがない こうやって弱腰で未だに自虐史観に埋もれている日本は同胞を見捨てるんですよね。

 

インドではカシミール地方他、庶民がパソコンを使えなくなってしまいました。

IT先進国のインドが自分の国にネットのアクセス制限をかけている。

パソコン授業が当たり前になっていた地方では勉強が出来なくなりました。

ネットというのは国や支配者によっていかようにも制限出来るって事ですよね。

ロシア人は自分の国が正しいと信じて疑ってないでしょう。

まるで戦前の日本のようだし、完璧にウクライナが悪者になっています。

本当に戦争になったら第三次世界大戦ですよ。

日本も無傷ではいられません。

もうそろそろお花畑はやめて真剣に「自分はどこの国の民で国を守る選択をするかしないか」という事を考える時期ですね。

悪い意味で愛国教育してこなかった日本は、国民の半数以上が逃げ出そうとするし「戦争するくらいなら中国人になる」っていいそうですけどね。

 

 

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇陛下62歳に4

2022-02-23 10:05:05 | 皇室報道

 皇室の未来に関して

皇室の歴史をひも解くと,皇位が連綿と継承される中では,古代の壬申の乱や中世の南北朝の内乱など皇位継承の行方が課題となった様々な出来事がありました。

そのような中で思い出されるのは,上皇陛下が以前に述べておられた,天皇は,伝統的に,国民と苦楽を共にするという精神的な立場に立っておられた,というお言葉です。

このお言葉に込められた思いは,ひとり上皇陛下のみのものではなく,歴代の天皇のお考えに通じるものと思います。

平成28年に愛知県の西尾市を訪問した折に岩瀬文庫で拝見した戦国時代の後奈良天皇の宸翰般若心経しんかんはんにゃしんぎょうは,洪水など天候不順による飢きんや疫病の流行で苦しむ人々の姿に心を痛められた天皇自らが写経され,諸国の神社や寺に奉納されたものの一つでした。

その後,京都の醍醐寺では,後奈良天皇の般若心経を拝見し,奥書に「私は民の父母として,徳を行き渡らせることができず心を痛めている」旨の天皇の思いが記されていました。

さらに大覚寺でも,嵯峨天皇のものと伝えられる般若心経や,後光厳天皇,後花園天皇,後奈良天皇,正親町天皇,光格天皇が自ら写経された般若心経を拝見しました。

このように歴代の天皇は,人々と社会を案じつつ,国の平和と国民の安寧のために祈るお気持ちを常にお持ちであったことを改めて実感しました。

また,武ではなく文である学問を大切にされてきたことも,天皇の歴史を考えるときに大切なことだと思います。

例えば,鎌倉時代の花園天皇が皇太子量仁かずひと親王に宛てて書き残された,いわゆる「誡太子書かいたいしのしょ」においては,まず徳を積むことの大切さを説かれ,そのためには道義や礼儀も含めた意味での学問をしなければならないと説いておられます。

このような歴代の天皇の思いに,深く心を動かされました。私は,過去に天皇の書き残された宸翰などから得られる教えを,天皇としての責務を果たしていく上での道しるべの一つとして大切にしたいと考えています。

そして,その思いと共に皇位を受け継いでこられた,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,研さんを積みつつ,国民を思い,国民に寄り添いながら,象徴としての務めを果たすべく,なお一層努めてまいりたいと思っています。

 全然答えになってない。

 記者が質問したのは「女性皇族も結婚後皇室に残る案」「養子」案で、歴代の天皇を踏まえて皇位継承をどう見ているかという事なんです。

 どの天皇が国民の為に写経をしたとか何を書いたかではないのです。

記者の説明にきちんと答えるなら「継体天皇」「女帝の醜さ」そして明治天皇が皇族を増やす為にどれだけ努力したかというべきでした。

 大体、歴史として歴代天皇がどれ程国の為に祈ったり、書を書いたりしている事をしっているならなぜ自分も同じ事をしないのか?

  写経しろとまではいわないけど、オンラインでメッセージを出さなくても、もっと祭祀としてアピールする事が出来たでしょう。

  今や皇后なんて黒田清子さんにも会わないし。

 皇居に引きこもって安全圏にいてあれこれ言っても何の意味もありません。

「心を寄せる」だけでは何にもなりません。

 

 沖縄本土復帰50年

私は,幼少の頃より,沖縄に深い思いを寄せておられる上皇上皇后両陛下より,沖縄についていろいろなことを伺ってまいりました。

子供時代の沖縄との関わりについては,毎年夏を過ごした軽井沢での沖縄の豆記者の皆さんとの交流がありました。

そうした機会は,幼少の私にとって,沖縄について知るとても良い機会でした。

会の途中では,豆記者の生徒さんが,沖縄の空手の形を披露してくれていましたが,昨年夏の東京オリンピックで金メダルを取った沖縄出身の喜友名きゆなりょう選手の空手の演技を見ながら,当時を懐かしく思い出しました。

交流会の終わりには全員で沖縄民謡の「てぃんさぐぬ花」と「芭蕉布」を合唱しました。また,子供の頃から,毎年,6月23日の沖縄慰霊の日には,黙とうささげていました。

最初に沖縄を訪れたのは,昭和62年の夏季国体の折でしたが,それに先立って,沖縄学の研究者であった外間ほかま守善しゅぜん教授から,沖縄の文化や歴史についてお話を伺ったことも,沖縄への理解を深める上でとても良かったと思っています。

沖縄では,ひめゆりの塔や戦没者墓苑を訪問し,沖縄が被った戦争被害の痛ましさに深く思いを致したことをよく覚えています。

結婚後には,雅子と共に,「平和の礎」を訪れ,二人そろって,沖縄戦で亡くなった全ての方々への思いを新たにいたしました。

また,沖縄の人々にとって大切なシンボルとなっていた首里城が焼失してしまったことはとても残念でしたが,首里城や今帰仁城跡などの史跡を訪れたり,様々な折に組踊や琉球舞踊などを鑑賞したりして,沖縄の歴史や豊かな文化に触れることができたことも良い思い出になっています。

先の大戦で,悲惨な地上戦の舞台となり,その後,約27年間も日本国の施政下から外れた沖縄は,人々の強い願いの下,50年前日本への復帰を果たしました。

この間,今日に至るまで,沖縄の人々は本当に多くの苦難を乗り越えてきたものと思いますし,このことを決して忘れてはならないと思います。

本土復帰から50年の節目となる今年,私自身も,今まで沖縄がたどってきた道のりを今一度見つめ直し,沖縄の地と沖縄の皆さんに心を寄せていきたいと思います。

そして,これからも,多くの人が沖縄の歴史や文化を学び,沖縄への理解を深めていくことを願っています。

 通り一遍。でも一応、沖縄豆記者との思い出はあるわけで。

  それと同じことを愛子内親王に出来なかったのはなぜなんでしょうね?

 

 愛子内親王について

先ほどもお話ししましたけれども,小さかった愛子がもう二十歳はたちになった,そして大人の仲間入りをした,そういうような深い感慨を覚えました。

そして今後とも,本当に幸せな人生を歩んでいってほしいというように,そのように心から願いました。

 「皇族としての務め」より先に「幸せに」って思うんだなあ・・・これが本音だよね。

 本当は心配でしょうがない。自分達がいなくなったらこの娘はどうなるんろうと。

 悠仁殿下について

そうですね。私の高校時代のことは,はるか昔のことのようには思いますけれども,また,年はっていますけれども,本当に高校時代の3年間はいろいろな人と出会い,友達もできてそしてまたいろいろな活動に取り組むことができた,そのような点で,ある意味では非常に充実した3年間を送ることができたというようなことを今でも懐かしく思い出しております。

先日,悠仁親王の高等学校の進学先が決まったという報告を受けましたが,やはり是非実り多い高校生活を送ってほしいというように心から願っております。

 本当に冷たい人だなあ。皇位継承2位の甥が筑波大附属に入ったっていうのに、「実り多い高校生活」で終わってしまう。悔しさがにじみ出ていますね。

 

これはやっぱり皇后が裏で色々指導して書かせた文章ですね。

重複した部分が多いし、言葉も変。

62歳児の天皇は歳を経るごとに子供に帰っていくんでしょう。

 

 

この映像の雅子さんは天皇の言葉を一切聞いてませんね。元々興味ない分野なのでしょう。聞いている振りがお上手ですこと。

 

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇陛下62歳に 3

2022-02-23 10:00:00 | 皇室報道

 小室眞子さんについて

眞子内親王は,小さいときからめいとして成長を見守っておりましたし,成年に達してからは,昨年秋,結婚により皇室を離れるまで,様々な公的な活動に真摯に取り組んでいたことを深く多といたします。

結婚について様々な意見があるなど,結婚に至るまでの状況を踏まえ,納采の儀などは秋篠宮家の判断で,また,朝見の儀などについては,私の判断で執り行わないこととなりました。

今後,幸せな人生を歩んでいってほしいと思いますが,同時に,この間,多くの方に心配をお掛けすることになったことを心苦しく思っています。

昨年も述べたとおり,皇室の在り方や活動の基本は,国民の幸せを常に願って,国民と苦楽を共にすることだと思います。そして,時代の移り変わりや社会の変化に応じて,状況に対応した務めを果たしていくことが大切であると思います。

皇室を構成する一人一人が,このような役割と真摯に向き合い,国民の幸せを願いながら一つ一つの務めを果たし,国民と心の交流を重ねていく中で,国民と皇室との信頼関係が築かれていくものと考えております。同時に,皇室に関する情報をきちんと伝えていくことも大事なことと考えています。

週刊誌報道やインターネット上の書き込みについては,人々が自分の意見や考えを自由に表現できる権利は,憲法が保障する基本的人権として,誰もが尊重すべきものですし,人々が自由で多様な意見を述べる社会をつくっていくことは大切なことと思います。

その中にあって,一般論になりますが,他者に対して意見を表明する際には,時に,その人の心や立場を傷つけることもあるということを常に心にとどめておく必要があると思います。

他者の置かれた状況にも想像力を働かせ,異なる立場にあったり,異なる考えを持つ人々にも配慮し,尊重し合える寛容な社会が築かれていくことを願っております。

天皇に眞子様を語る資格なんかない!

 そもそも御用雑誌に悪口を書かせているのは天皇の妻である皇后ですよ。小室圭を秋篠宮邸に引き入れたのは天皇家の車だったと言われているし、天皇も共犯者で何を言うことも出来ない筈。

 「皇室の在り方や活動の基本は,国民の幸せを常に願って,国民と苦楽を共にすることだと思います」

何を偉そうに言うのか。自分達が全然それをやってないのに。苦楽を共にした事がある?

一般人みたいにディズニーランド行って「特権」振りかざしてほぼ貸し切りにした人が何をいうか。奥志賀スキー場もほぼ貸し切りにした、スケート場もそう。大震災の翌月には東宮御所で「お楽しみ会」ですよ。

好き勝手な事をやって来た歴史の中で、眞子様は不平不満も言わずに真摯に公務と祭祀に励まれた。天皇の妻が祭祀に全然出なくても眞子様は「皇族の務め」をして来たのです。

今更天皇に説教されるいわれはない。

そもそもあなたの奥さんは「国民の幸せを願いながら一つ一つの公務を真摯に務めた

」ことがあるんですか?ないでしょう?常に自分本位、楽しい遊びは皆勤で公務になると「体調の波」が来る不思議な現象でやってない。

そんな自分達を踏まえて他の皇族にあれこれ言えるんでしょうか?

 マスコミへの言葉は、そのままあなたの奥さんと小和田さんにいいなさいよ。

 

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇陛下62歳に 2

2022-02-23 09:55:00 | 皇室報道

 家族について

雅子は,新型コロナウイルス感染症の感染拡大による活動への制約などから,体調を整えにくくなっている面はありますが,種々の工夫や努力を重ねながら,幸いにして,都内での式典やオンラインによる各地への訪問,新年ビデオメッセージなどに一緒に臨むことができました。

 活動を制約されてなくても「体調の波」があったじゃないですか。

 公務がないのに体調を整えにくいとはどういう事なのか?

 結果的にどんな状況でも「体調が~~~」って事なんでしょう?

 天皇の言い草はまるで皇后が幼稚園の年長さんにでもなったような感じで「こんな事も出来たよ」って報告しているみたいです。

 

養蚕については,昨年,より多くの作業に取り組むことができ,楽しみながら作業をしている様子を見て,私もうれしく思いました。

また,皇居への移転に伴い,生活環境が大きく変わる中で,自分なりに公務と生活のリズムを整えようと懸命に努力していると思います。

しかしながら,いまだ快復の途上で,体調には波があり,大きな行事の後には,疲れがしばらく残る傾向にあります

これからも,無理をせずにできることを一つ一つ着実に積み重ねていってほしいと思います。

雅子は,また,私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であるとともに,公私にわたり良き相談相手になってくれています。

私も,今後ともできる限り力になり,支えていきたいと思っております。国民の皆さんには,これまで温かく心を寄せていただいていることに,改めて感謝の気持ちをお伝えするとともに,引き続き雅子の快復を温かく見守っていただければ有り難く思います。

 養蚕は楽しみながらやるものではないし、常に作業は決まっている筈なのに、中とばしなどをしていたって事ですよね。気分が乗らないとやらないんでしょう?

そんなのただのわがままです。

さらに皇居に引っ越しただけで「環境が変わり・・・」って、環境が変わってもやる事は変わらない筈なのに、一々「適応しよう」と頑張る必要があるという事は、完全に精神病じゃないですか?

快復の途中というけど、天皇は皇后の歳を知っているのでしょうか?

もう58歳ですよ。普通の人でも病院や薬を飲みながら体調を整える歳になっているのです。つまりもう「完全な快復」は望めないので国民にそれを望むのはおかしい。

30年も長い目で見守って来た国民も「いい加減にせえよ」って感じだし、天皇は国民の為ではなく皇后の為に生きているんだと世界に暴露したようなものです。

 

愛子は,昨年12月に成年を迎えました。成年に当たっての感想の発表や成年の行事に臨むに当たり,緊張もあったと思いますが,何とか無事に諸行事を終えることができ,私たちも安しました。

また,いつの間にか二十歳はたちという年齢を迎え,大人の仲間入りをすることになったことを感慨深く思いました。

日頃から,多くの人々に助けられ,支えられているということに愛子が感謝の気持ちを持っていることを親としてもうれしく思っています。

印象深い思い出については,学校の水泳の授業で,小さい頃にはビート板を使ってプールで短い距離を泳いでいた愛子が,女子中等科時代,静岡県の沼津の海で3kmの遠泳ができるようになった時や,中学の修学旅行で広島を訪れた際に強い衝撃を受け,平和への思いを文章にまとめた時などに成長を感じ,うれしく思ったことを覚えています。

愛子は,一昨年大学生になりましたが新型コロナウイルス感染症の影響により,授業にはオンラインでの出席が続いています。

2年生になり,演習の授業での発表があったり,課題の提出などで忙しい毎日ですが,大学での勉学に一生懸命に取り組んでいます。

私自身の大学生活を振り返ってみますと,気が付けばもう40年くらいも前になりますが,大学では様々な人たちと顔を合わせて授業を受けたり,放課後の部活動で一緒に参加したり,見ず知らずの人と学生食堂で隣り合ったり,新しい発見と経験の連続であったように思います。

そういう意味でも,愛子には,感染症が落ち着いて,いつの日かキャンパスに足を運べるようになると良いなとは思いますが,たとえどのような環境にあっても,実り多い学生生活を送ることができればと願っています。

愛子は,家族との時間を大切にしてくれており,愛子と3人でいると,私たちの団らんは,笑いの絶えない楽しいものになっています。また,今後,成年皇族として,思いやりと感謝の気持ちを持ちながら,一つ一つの務めを大切に果たしていってもらいたいと思います。その過程で,私たちで相談に乗れることは,できる限りしていきたいと思います。

 

 愛子内親王はいつになったら学校に行けるんですか?3年生になったら?4年生になったら?学業優先とかで公務をさせないんでしょう?

 愛子内親王がどれだけ机に向かって勉強しているかなんて見ていないって事でしょうね。親バカも甚だしい。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇陛下 62才に 1

2022-02-23 09:50:50 | 皇室報道

すっかり天皇誕生日というのを忘れていまして。

2月23日って何の日だったけ?家族中が・・・・って感じで、私が「天皇誕生日」というと、

姫が「ぽよよーんの生誕祭なの?」と。生誕祭ねえ・・・・

誕生日全文

 

 今年一年の感想

この1年も,新型コロナウイルス感染症が猛威を振るいました。

亡くなられた方々に深く哀悼の意を表しますとともに,家族,友人など大切な方を亡くされた多くの方に,心からお見舞いを申し上げます。

感染症の影響により,仕事を失ったり,苦しい生活状況に陥る人,孤立を深める人も多く,心が痛みます。医療従事者の皆さんは,自らの感染の脅威にさらされながら,強い使命感を持って,昼夜を問わず,最前線で患者さんの命を救うための尽力をされています。また,患した人々を適切に医療現場につなぐべく,同様に尽力されている救急隊や保健所などの関係機関の皆さんの御苦労もいかばかりかと思います。

そして,このコロナの状況下で,支援を必要としているお年寄りや障害のある方,生活に困窮している方や生活困窮世帯の子供たちなど,社会的に弱い立場にある人々を支え,その命と暮らしを守るために力を尽くされている方が多くいることや,エッセンシャルワーカーの皆さんが多くの人の日々の生活を支えていてくれることも有り難く思っています

 天皇なのに「ありがたい」を連発するのはどうかと。

この場合は「非常に嬉しく思う」「今後も尽力してほしい」程度にまとめるべきですね。

これら多くの方々に心からの感謝の気持ちを伝えたいと思います。

長引く感染症の感染拡大への対策を継続することは大きな努力を要します。

親しい人との直接的な接触を避け,暮らしの隅々にも注意を払うよう,自らのできる範囲で感染の拡大防止に努めている人も多くいると思います。

こうした国民の皆さん一人一人の努力を深く多といたします。

 ちょっと意味が・・・・「深く多とする」ってどんな意味?

  「国民の努力を評価する」って事?いつからあなたは尾身会長になったんだ?

  新型コロナ担当大臣にでもなったつもりなのかしら?こんなに感染症に関して長々語る必要性はあったろうか。

 

長く困難な状況が続いておりますが,今しばらく,誰もがお互いを思いやりながら,痛みを分かち合い,支え合う努力を続けることにより,この厳しい現状を忍耐強く乗り越えていくことができるものと固く信じております。

 ご自分達は皇居という安全圏から出てこないけどね。

 

昨年は東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会が開かれました。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大という困難な状況の中での開催となりましたが,大会を無事に終えることを可能にした運営スタッフ,ボランティア,医療従事者,警備担当者など多くの関係者の尽力に敬意を表したいと思います。

私たちもそうでしたが,参加した選手一人一人が力を尽くして競技に臨む姿から,新たな希望と勇気を見いだされた方も少なくなかったのではないかと思います。

また,参加国の選手同士がお互いの健闘をたたえ合う姿や,例えば,女子バスケットボールの表彰式の後で,日米仏3か国の選手全員が自然に入り交じって記念撮影に臨む姿など,国境を越えた選手同士の交流が各所で見られたことにも感慨を覚えました。

 自分で五輪を否定して開会式にも出るつもりなく、仕方なく出て来た事実、皇后が開会式を否定して出てこなかった事うぃ詫びないの?

  否定しておきながらテレビで観戦して「ありがたや~~」って言ってたんですか?

  天皇が東京五輪を語る度に腹が立つ。糾弾したくなる。

 

この度の北京での冬季オリンピックでも選手同士の心温まる交流を目にしましたが,そのような光景を見ながら,私は,50年前の札幌冬季オリンピックでの,70メートル級スキージャンプで金メダルを取った笠谷かさや幸生ゆきお選手の健闘をたたえて笠谷選手を肩車した,ノルウェーのインゴルフ・モルク選手の姿を懐かしく思い出しました。

国と国との間では,様々な緊張関係が今も存在しますが,人と人との交流が,国や地域の境界を越えて,お互いを認め合う,平和な世界につながってほしいと願っております。

昨年も,現在人類が直面する最大の課題の一つとして,気候変動問題に関心が集まりました。

その解決に向けては,国・企業・研究機関・一般の人々など幅広い関係者が手を携えて脱炭素社会の実現に取り組まなければなりません。

そのことは,時として,乗り越え難い壁のようにも見えますが,近年においても我々はこのような課題に挑戦してきました。

例えば,平成初期には,地表に降り注ぐ紫外線を増加させる「オゾン層の破壊」が地球環境問題として真っ先に挙げられる課題でしたが,数十年に及ぶ国際的な連携・協力やその下でのフロン回収技術等の企業の技術革新,消費者の理解と協力などにより,早い地域では2030年代にはオゾン層が1980年の水準にまで回復する,との見通しを国連の専門機関が示すほど状況が改善していると聞きます。

このオゾン層の回復は,地球規模で対策に臨んだ環境問題の改善の好事例として,気候変動対策に向けた努力が始まりつつある中で勇気を与えてくれるものです。

そのような中で,昨年,眞鍋まなべ淑郎しゅくろう博士が,温暖化予測にも用いられた気候モデルの開発を評価され,ノーベル物理学賞を受賞されたことを喜ばしく思います。

こうした,これまでに蓄積してきた知見も十分にいかしながら,各国・地域の関係者や一般の人々が協力して対策を進めるべく努力を続けることで,気候変動問題が改善していくことを心から願っています。

 ここぞ自分の分野とばかりに偉そうに講義している印象です。今やオゾン層云々ではなくCO2排出問題や、バイオエネルギーなどの活用の時代ですよ。

 

東日本大震災の発生から間もなく11年を迎えます。

この震災により,2万人を超える数多くの方が亡くなったり,行方不明になったりしたことは,今思い出しても深く心が痛みます。

その後の復興の過程で,人々の生活や産業を支える社会基盤の整備等は進んだものの,精神的なサポートを必要とする人が近年になってむしろ増えていると伺うなど,本当の意味での復興はまだ道半ばにあるものと思います。

私は,雅子と共に,引き続き被災地に心を寄せていくつもりです。

思い返せば,東日本大震災直後には,現地に駆けつけたボランティアに多くの被災者が勇気付けられたものと思います。

海外の多くの国々からも支援物資等が届けられ,ボランティアが被災地に駆けつけてくれました。

先月の海底火山の噴火による被害が伝えられるトンガの皆さんからも,その時,様々な支援を頂いたことは記憶に新しいところです。

その時の感謝の気持ちは今なお色あせるものではありません。

ここに改めて,この度のトンガの噴火により被災された方々に心からのお見舞いをお伝えいたします。

東日本大震災の発生と同じ平成23年,トルコで起きた震災に日本から支援活動のために赴いていた宮崎みやざきあつしさんが,余震により残念ながら現地で亡くなりました。

舗装道路などのインフラも十分でない被災地において,見ず知らずのトルコの人々のために力を尽くし,亡くなったとして,当時のギュル大統領は,トルコ国民の心を動かす献身的な活動をした宮崎さんをいつまでも忘れない,と上皇陛下に親書を送られました。

そして,以後,トルコの各地で宮崎さんの名を冠した公園や学校が開設されているとの報道に昨年接したことも,トルコの人々の温かい気持ちと共に印象に残りました。

災害により困難な状況に陥った人々を助けようと尽力する災害ボランティアの精神は誠に尊いものです。

日本の多くの人々が国内外で災害ボランティア活動に従事してくれていることに敬意を表したいと思います。

我が国では,今後,いくつかの大きな地震の発生が予測されています。

また,近年,大きな被害をもたらす豪雨災害等が頻発しており,気候変動の影響により,今後,気象災害のリスクは一層高まる恐れがあると言われており,発災時に多くの人が助けを必要とする場面はより多くなると予想されます。そのため,私たち一人一人が防災や減災の意識を高め,災害に対して自らの備えをするとともに,どこかで災害が起きたときには,一人一人が,自らのできる範囲で被災した人々に寄り添い,その助けとなるべく行動できるような社会であってほしいと願います。

 何でこうもマイナスの方に意識を飛ばすような発言をするのかな。

まず、「雅子と共に」というのは絶対に入れないといけない一文なんでしょうけどうざい。

「心を寄せていく」事は誰でも出来るんです。

でもあなた方は震災があっても1か月以上被災地に行かなかったですよね?

 理由は「愛子様の学校」でした。

被災地へ行っても、わざわざ午後から行って夕方には帰京するというような事をやっていたし、津波の映像を2回も見たがったエピは有名です。

妻と娘の行動を考えれば偉そうに語れる身分ではないのに。

さらに腹が立つのは「今後もいくつかの大きな地震が予測されている」の一文で、どうしてこんな事を天皇が言うのか。言霊を知らないのか?

ただでさえ不吉な令和の時代なのに、天皇自らが「これからも大地震くるぞ」って言ったら本当になってしまうでしょうがっ!!

 そういう災害が起きた時に、自分はどうするかではなく「国民はこうするべき」と語る音はあまりにも上から目線じゃないんですか?政治家がいうならともかく、天皇が言うべきセリフでは絶対ありません。

  不吉でしょうがない。

 

新型コロナウイルス感染症の影響により,国民の皆さんと広く直接触れ合うことが難しくなっていることを,私も雅子も残念に思っています。

それでも,オンラインにより昨年3月,4月に東日本大震災被災3県を訪問して行った復興状況の視察を始め,全国各地をオンラインで訪問することにより,現地の方々のお話を伺い,交流することができたことは私たちにとって意義深く有り難いことでした。

例えば,5月の「こどもの日」にちなみ,熊本県の阿蘇山の麓にある高森町と,鹿児島県の離島である三島村の学校を半日のうちに続けて訪問し,それぞれ特色のある地域の子供たちと交流できたことや,第5回国連水と災害に関する特別会合に各国の研究者と一緒にオンラインで参加できたことは,オンラインの活用が,感染症対策としての利点だけではなく,例えば複数の場所にいる人々に同時に会うことができたり,離島や中山間地域など,通常では訪問がなかなか容易にできない地域の人々とも比較的容易に,しかも臨場感を持って交流することができるという利点と可能性があることを改めて実感させてくれるものでした。

様々な場所を実際に訪れ,現地で多くの人々と直接お話しをしたり,同じ体験を共有したりしながら,その土地,その土地の雰囲気を肌で感じるなど,実際の訪問でなければ成し得ない部分はあるものの,感染が収束しない現状では,オンラインは,国民の皆さんや世界の人々と私たちを結ぶ上で,有効な手段と考えられます。

オンラインなりの課題もあるかもしれませんが,状況に応じた形で,引き続き活用することができればと思っています。

また,感染収束後も,オンラインを活用することが適当な場合には,その活用も視野に入れていきたいと思います。

新型コロナウイルス感染症の影響により,現在は様々な形の交流が難しく,じかに会って人と人とのきずなを深めたり,つながりを広げたりすることが容易ではない状況が続いておりますが,そのような中にあっても,皆がお互いのつながりを大切にしながら,心に希望の火を絶やさずにともし続け,更には,国や地域の境界を越えて人々や社会がつながり,お互いを認め合い,支え合える年になってほしいと願っています。

 何ていうか、感じたのは「オンラインに味をしめた」って感じです。

  オンラインだったら服装も適当でいいし、マスクしてればいいし、直接触れ合うなんて面倒な事はしなくていい。だから感染症の収束後もオンラインを活用しようっと。って感じ。よその国の王族は収束する前から適度な距離を保ちつつ人と直接会っているし、エリザベス女王はコロナに感染しても公務を続けています。

日本の天皇と皇后は何を甘い事言ってるんだろうか。

 

上皇陛下には昨年暮れに米寿を迎えられ,上皇后陛下には今年米寿を迎えられることを喜ばしく思います。

昨年12月と今年の元日に,久しぶりに両陛下に私たち二人そろってお会いできたことをうれしく思っております。

また,日頃より,私たちや愛子を温かくお見守りいただいておりますことを有り難く思っております。

両陛下には,新型コロナウイルス感染症の感染拡大にお心を痛められつつ,日々を送っておられることと拝察いたします。これからも,お身体からだを大切に,末永くお健やかにお過ごしいただきますよう心よりお祈り申し上げます。

 やっぱり自分はまだ「皇太子」のつも何だなあと思う一文です。

せいぜい「感染症の影響で近くに住みながらもお会いすることが出来なかった不幸を許して頂きたく思う」程度にすればいいのに。全然親離れしてないんですね。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

落日の学習院

2022-02-22 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

つい先週の女性週刊誌に、学習院を選ばなかった悠仁殿下について「学習院出じゃないと帝王教育が不安」とか「進学校に入ることで合格するべき生徒の席を一つ奪う」とかとんでもな事を書かれていました。

露骨に「裏口入学」という言葉も使われていて、その代表がなんと渡邊みどり女史。

「裏口でも何でもいいから好きな学校へ入るべき」というニュアンスですが、私は、この方はとうとうボケてしまわれたのかと。

思えば渡辺みどり女史は聖心女子大で上皇后と同窓というだけで皇室ジャーナリストになった方です。

上皇后が入内する時、学習院出身ではなかったので常盤会の怒りを買いました。

なぜか。

11宮家の臣籍降下や華族制度の崩壊で、学習院ブランドも危うい立場だったからです。

そこへ「聖心女子大」出の正田美智子さんが現れたものだから、それこそ壮大なバッシングの嵐というか、戦前の華族女学校出の方々はそれこそ、学習院出身であることがお妃の条件と思っていたんですよね。

確かに、皇族との歴史関係は学習院の方があります。

なんせ、学習院は皇族・華族の為に作られた学校なんですから。

誰でも入れる学校ではなく、家柄や血筋を優先した生徒選びがなされていたのでしょう。

家柄や血筋という後ろ盾がない正田美智子さんは、キリスト教の聖心女子大出だったので、何をアピールしたかと言えば「成績ご優秀」という事です。

正田家の先祖がどうのこうのというより、「美智子さんの通知表は常にAが一杯。総代にも選ばれた。さらに聖心女子の国際同窓会の為にヨーロッパにも行かれた」ということ。

美智子さんは論文も書ける、成績もよい。

それこそ「男性に負けないくらいの学力がある」というのが売りですよね。

一旦、「お妃」候補で負けてしまった学習院。

とはいっても、皇族にとって学習院は必ずしも卒業しなくてはならない学校ではありませんでした。

大正天皇は身体が弱かった為に幼稚園を中退、小学校の入学を1年遅らせています。

昭和天皇は乃木希典の元、厳しく教育され「雨でも車に乗らず歩いて登校しなさい」と言われてその通りにされました。

女性皇族の場合、学業が途中でも結婚が決まると中退する事が多かったようですね。

香淳皇后もそうですが、でも大層教養がおありになった。

皇族に必要なのは知識やテストの点数ではなく、その後に得る「教養」なのです。

正田美智子さんはいわゆる「学歴」「スポーツ」「文学的素養」もお持ちになっていたので学習院は歯が立たなかった・・・と言われてますけど、今思うと、華子妃とどれだけ何が違ったのか?最終的には育ちが出てくるね~~と。

そうはいっても、美智子さんのお子様方は全員学習院出です。

浩宮は、歴史を見ると成績が悪く本来は大学院に行けるような学力はなかったと思われますが、結果的に大学院まで行ってしかも留学までしています。

秋篠宮は理系で学習院以外の大学に行きたかったけど、当時はそれを認めて貰えなかったので仕方なく政治系の学科に。

紀宮は大学までで院にも留学もしていません。

週刊誌は、秋篠宮が過去、学習院に残らざるを得なかった事を恨んで仕返しに出たのではないかと言っています。ひどい誹謗中傷です。

「秋篠宮家は自由奔放な家庭で学習院を嫌っている」とか言われていますが、両殿下とも学習院出身です。

しかし、週刊誌は紀子妃に対しても「わざと丁寧な言葉遣いをして違和感があった」とか書かせる。

紀子妃はお父様が学習院の教授、自分も小学校から学習院育ち。彼女が「お妃」になった時は常盤会が本当に喜んだ事を覚えていますし、その後眞子様や佳子様が入学するにあたっては良好な関係を築いていました。

変わったのは、愛子内親王が幼稚園に入ってからです。

元々「学習院なんかに入れない」と言っていたのは徳仁親王夫妻です。

特に雅子妃は自分が田園調布雙葉の出でハーバードに行っていますから、心の底では学習院の偏差値を馬鹿にしていたでしょうし、そんな所に自分の娘は入れたくないと思っていたでしょう。

つまり、最初に学習院を忌避したのは紛れもなく雅子妃だったこと。

もし、愛子内親王が普通の子で少々頭がよかったら確実に学習院を蹴っていたという事です。それが願いだったでしょう。

しかし、幼稚園の時も小学校の時も慶応などから「警備が」とお断りを入れられて仕方なく学習院に入れた。

幼稚園はしつけに厳しい事で有名で、保護者にも容赦しない校風。

それを「厳しすぎる」と事もあろうに皇太子の口から園長に言わせて、あっさりと愛子内親王は「特別扱い」にしてしまった。

幼稚園の園長が小学校の入学と共に女官になるなどという前代未聞の事が起き、さらに本当にあったかどうかわからない「いじめ事件」から不登校、雅子妃の1年半にわたる学習院への付き添い登校。

これらの事で、当時、中学生や高校生の眞子様や佳子様にもかなりの被害があった筈。

現実の話も色々耳に入ったでしょうし、様々な事を考えて、まず、眞子様がICUに入り、

佳子様が学習院大学を中退してICUに入った。

佳子様の場合、左傾化した学習院が韓国語の授業が必須になったり、韓国への旅行があったりと危険性を察知しての退学だったと言われています。

そして悠仁親王はお茶の水幼稚園から中学まで。

お茶の水も昭憲皇太后が創設に寄与した学校ですから皇室とまるっきり関係ないわけではない。

学習院は「愛子内親王」「東宮家」という毒まんじゅうを食べたばかりに最後の皇位継承者の「入学」という栄誉を手にすることが出来ませんでした。

でもそんな事、最初からわかっていた筈です。

学習院はあまりにも雅子妃のやりたい放題を許しすぎました。

一緒に学習院に通う愛子内親王の学友達もどれだけ迷惑だったかわかりません。

不公平と理不尽さに耐える学習院保護者達。

そして今、大学もまた同様になっています。

旧皇族・旧華族、そして現皇族が通う伝統を重んじる由緒正しい学習院」ブランドは雅子妃と愛子内親王によって完全に潰れました。

実は、戦後すぐから旧皇族や旧華族の「学習院離れ」はあったのです。

それは学習院が他の学校と変わらない私立学校となった日から、「誰でも入ろうと思えば入れる」という事で上流の方々からは嫌われた部分もあるのです。

でも、当時はまだ三笠宮家の子女達が通っていましたし、東宮家もそうだし、学習院としては今後もずっと皇族が選ぶのが当然の学校というおごりがあったでしょう。

 

それが崩れ、悠仁親王があくまでも学習院を避ける姿に、御用雑誌は「眞子さまは学習院大出じゃないから変な相手を選んだ」と書き立て、「秋篠宮家は自由奔放で放任主義」とイメージ作りを始めました。

最後の最後まで学習院は、秋篠宮家に対して敵対心を隠さなかったと思います。

もう後の祭りです。

秋篠宮両殿下は学習院出身。そのお二人が母校にお子様を入れることを選択できない苦しみを知らなかったのですか?

田園調布雙葉&ハーバード出の妃が見事に学習院ブランドをぶっ潰してくれたおかげで、学習院のよい所が一切なくなってしまったんですよ。

「あそこは育ちのいい方がいく学校」というブランド力が剥がれ落ち「学会信者とか外務省とか金持ちと寄付金を弾む人が行く学校」というレッテルが張られました。

これを払しょくするのは永遠に無理。

愛子内親王が学習院に入ったその日から、学習院の品格も名声も地に落ちる運命だったのです。

このまま、愛子内親王が登校しないまま卒業したり、院に進んだら尚更評判は落ちるでしょう。だって・・・内親王の同級生は真実を知っているんだもの。

落日の学習院。

それはそのまま落日の皇室にもつながります。

3代前が不肖で精神的におかしくて野心満々な親がくっついている得体のしれない皇后に皇室の品格と名声が潰されてしまった事は事実。

ただ、まだ悠仁親王がいるから・・・救いはあるかもしれません。

 

コメント (20)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする