ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

日本一強い女ー皇嗣妃殿下の肖像 23

2020-06-30 07:00:00 | 日本一強い女 皇嗣妃殿下の肖像

 1995年8月4日 軽井沢静養

 

 1995年8月31日 秩父宮妃斂葬の儀(豊島岡)

 

 1995年9月9日 会津大学訪問

 1995年9月10日 ふくしま国体ラジコンヨットの模擬レースを体験

 

 1996年9月20日 タイ国訪問

 1995年10月1日 世界体操競技選手権大会(鯖江サンドーム)

 

 1995年10月11日 オーストラリア訪問

 1995年10月25日 秋の園遊会

 1995年11月 栃木県での国民文化祭「とちぎ95」

 1995年11月 児童出版文化賞贈呈式

 

 1995年11月 秋篠宮殿下誕生日記者会見

 

 1995年11月30日 秋篠宮殿下30歳の誕生日

 

 1995年12月12日 桃華楽堂で演奏会

 

 女性セブン 1995年12月28日・1月1日号

新証言秘話 雅子さまおめでたの紀子さまに「男の子を」

 1995年12月23日 天皇誕生日

 

1995年までは秋篠宮家は平和・・・・でも次の年からは・・・

 

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日本一強い女ー皇嗣妃殿下の肖像22

2020-06-29 07:00:00 | 日本一強い女 皇嗣妃殿下の肖像

 1995年1月1日 天皇一家

 

 1995年1月4日 佳子内親王のお名前おお印「ゆうな」が決まる

 

 

 1995年1月6日 紀子妃殿下・佳子内親王退院

 女性自身1995年1月17日・24日号

紀子さま第2子も女児で雅子さま「男の子を!」の重圧」

 

 1995年2月22日 アイルランド大統領夫妻を招いての晩さん会

 1995年2月23日 答礼レセプション

 1995年3月12日 阪神淡路大震災の被災地訪問

 

 1995年3月16日 佳子内親王・賢所・皇霊殿・神殿に謁するの儀

 

 1995年5月5日 葉山の海岸で「うみへび~」の眞子さま

 

 1995年5月14日 赤十字大会

 1995年6月7日 産経児童出版文化賞贈賞式

 1995年6月22日 ナイチンゲール紀章式

 1995年 結核予防会全国大会

 

 1995年7月8日 阪神淡路大震災お見舞いの為、神戸~阪神間を訪問

 

 1995年7月8日 須崎御用邸で静養

 

佳子さまが生まれて安定の秋篠宮家。

でも1月17日に起きた阪神淡路大震災が暗い影を落とし、3月には地下鉄サリン事件と世間が何かと暗い感じです。

退院の時には笑顔の紀子様の表情が、どんどんはかない感じになっていくのが気になります。公務復帰が出産後わずか2か月後というのもすごすぎて。

どこかの皇太子妃は8年も出産せずに、産んだら産んだで1年の育児休暇を要求したんでしたっけ。

秋篠宮夫妻は震災後、一番先に被災地入りし、夏にも訪れています。そういう事が東宮家のカンに触ったのかもしれませんけどね。

 

 

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皇室ウイークリー

2020-06-28 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

6月19日・・・天皇陛下 → 衆議院議長 参議院議長から挨拶を受ける

               通常業務

6月23日・・・天皇陛下 → 通常業務

        両陛下 → 厚生労働省老健局長・全国老人福祉施設協議会会長・全国老人保健施設協会会長・日本認知症グループホーム協会会長から進講を受ける

6月24日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式

 

秋篠宮家

6月19日・・・両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → 日本赤十字社社長,副社長ご説明から新型コロナについて説明を受ける(オンライン)

                          宮内庁人事異動者に会釈

        眞子内親王 → 日本テニス協会副会長,専務理事,常任理事から新型コロナについて説明を受ける(オンライン)

6月22日・・・殿下 → 山階鳥類研究所会議

        両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → 厚生労働省子ども家庭局長から新型コロナについて説明を受ける(オンライン)

6月23日・・・殿下 → 大日本水産会会長から新型コロナについて説明を受ける(オンライン)

6月24日・・・両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → 恩賜財団母子愛育会理事長,愛育病院病院長から新型コロナについて説明を受ける(オンライン)

 23日の天皇皇后が受けた厚生省関係の進講は、いわゆる「医療従事者の現状」を知る事になるものでした。天皇は「本当に大変だったんですね」と言ったとか。え?それだけ?っていうか、医療従事者がどれほど大変かというのは、テレビで散々報道されていたでしょうよ。

改めて「本当に大変だったんですね」と実感したという事でしょうかね。(ため息)皇后の人の話を聞いてない感じ。ただただマスコミが自分達を撮影しているから真剣に聞いているふりをしている感じが許せないなあと。

 19日の皇嗣家のオンラインによる医療現場に関する説明についての報道があったのは27日。1週間遅れです。皇嗣家の公務は何でも1週間遅れで報道されるのかなと。

とはいえ、オンライン公務を公開されたのは初めてで、両陛下と比べるとその真剣さの度合いが違うと思われます。皇嗣家の方々は最後に、医療従事者を讃える拍手をされたそうです。オンラインならマスクしなくていいから、美しい眞子さまや佳子様のお顔が見えて個人的に嬉しい。

 イギリスではつい最近、チャールズ皇太子の公務再開が公開されました。適度な距離を保ちつつ、マスクはしていませんでした。チャールズ皇太子は現在も味覚の異常があり、おつらいだろうなと察します。

それを踏まえて、天皇の信任状奉呈式はあれだけ風通しのよい距離感があるのに、しっかり全員マスクして・・・というのが何となくみっともなくて。喋るわけじゃないし、消毒もしているんだろうし。マスクを外す勇気はないものかと。

 愛子内親王の「蚕を育てる」ことが10年も続いていたなんて・・・と週刊誌やネットで称賛の嵐なのですが、実際問題、蚕を何世代にも渡って飼育するのはほぼ不可能というか、やっても意味がない事のようです。(世代交代するごとに病気になりやすく弱くなる)しかも飼育場所は出仕の部屋だったそうですから、これって本人が飼育した事になるのか?と。さらにいうなら「蚕」は糸をとって絹にすることが目的で育てるものですから。ただだらだら育てても全然「養蚕」にならないのです。

皇后が「養蚕」をドタキャンしたこと、それについて批判が起きることを懸念してのダメ押しだったんだろうけど、あまりにお粗末です。

 ケンブリッジ公爵のお誕生日 

6月21日、38歳になったウイリアム王子の写真が公開されました。ちょうど、ダイアナ妃がなくなった歳になるんでしょうか?

一時、キャサリン妃を選んだ事で評判を落とした王子ですが、キャサリン妃の努力で見事に「イギリスの理想的な家族」になりました。

これ、普通の親子の姿ですよね。でも今上一家では一度も見る事のない風景でした。昭和の東宮家から親密な親子関係が見えなくなったなあと。そういう意味で秋篠宮家の仲良しぶりが嬉しいです。

 

 女性セブンに書かれた皇后陛下の「病状」

確か、週刊誌の方のタイトルは「雅子さま自分が許せない・・紀子様の突き上げ」だったような気がします。ネット配信の方は「雅子さま、コロナで公務減っても「体調の波」焦りの気持ちも」になってます。

木曜日に週刊誌を読んで頭に来たのですが。いつものことですね。

 秋篠宮家の済生会に送った500着のガウンの話が、皇后にとってかなりショックな話だった。

 「完璧に自分の思い通りにいかない」現状に皇后は心を痛めている。

 いつイギリスに行けるのか、習近平の来日もキャンセル。

皇室による国際親善は、元外交官である雅子さまの“本領発揮”の場です。実際、昨年5月のトランプ米大統領夫妻の接遇は大成功だった。雅子さまの活躍で両国の関係が一層深まることに、政府も大きな期待を寄せていました。しかし、両陛下の訪英も習氏の接遇も、“なんとか秋には”という声もありますが、政府としては年内の実現はもう諦めています」  つまり皇后が目立つ活躍が出来る場がなくなった事に心を痛めている。

 皇后の「養蚕」について

雅子さまが今春、御養蚕所内で蚕を愛でられる笑顔の写真が公開されると、大きな反響を呼びました。療養中ながら、雅子さまの伝統をおろそかにしないという姿勢に、国民の間に安心感が広がったのでしょう」

 即位の儀式を全部やった皇后が「養蚕」やったからって大きな反響があったとは思えません。やって当たり前の事を一々「すばらしい。やってくれてありがたい」と言われないと気が済まない皇后の「真意」がそこにあります。

 5月18日と6月8日に養蚕をドタキャン

中止は“ご体調の波”が理由のようです。最近はお疲れが出ていることもあるようで、直前まで予定が決まらないことも少なくありません。ただ、新型コロナの影響で、ご公務の数は格段に減っています。“お疲れ”がたまる状況とは思えないのですが…。もしコロナ自粛がなければ、どうなっていたのでしょうか」

「何より、雅子さまご自身がショックを受けられているそうです。周囲の期待に応えられないということに加え、“大切な養蚕さえやりきれないのか”と肩を落とされ、さらに悩まれてしまうという悪循環のようです」

 これは毎回の言い訳。ドタキャンしておいてドタキャンした本人が一番ショックを受けているという図式。韓国ドラマによくありがちな、他人を追い詰めて虐めて殺しておいて「仕方なかった」と泣く図とよく似ています。

悩むくらいなら、出ればよかった。

時間を無駄にして、全然自分を大切にしない、言い訳だけで生きている一人の女性が浮かび上がって来ます。

 雅子さまは幼少期から「完璧」を絵に描いたような女性だった。数か国語をネイティブのように操り、米ハーバード大学から東京大学を経て、「倍率40倍」の外交官試験に一発合格されるなど、学業の優秀さは言わずもがな、スポーツも万能で、謙虚な人柄、ユーモラスな面も持ち合わせる、いわゆるスーパーウーマンである。あふれる自信がなかったわけではないだろう。

「ですが、皇室に入られてから、お世継ぎ問題によってそれが崩れたのです」

 数か国をネイティブに操っている姿は見た事がなく、ハーバードは父親のコネ、外交官試験も外交官の娘なら落ちない試験でした。オックスフォードでは一人だけ修士課程を修了できず、外務省では新人なのに一人自動車出勤してたし、30分に一度トイレに駆け込み、会話の苦手な態度が横柄な外務省職員でした。

 雅子さまのご不調は、「産後うつ」が引き金になった可能性を、精神科医の片田珠美さんが指摘する。

「産後うつは、完璧主義なお母さんほど陥りやすい傾向があります。赤ちゃんは言葉も通じず、育児は思い通りにいかない。それでも子育てを完璧にこなそうとすればするほど、母親はできない自分を責めてしまうのです。雅子さまは愛子さまが2才のときに、療養に入られました。その上さらに雅子さまはお世継ぎを産むことを求められ続けた。そうしたプレッシャーが雅子さまを追い詰めたのでしょう」

 娘が18になっても「産後うつ」を引きずる皇后?っていうか、産後うつというのは出産直前直後から現れるもの。2歳では遅すぎます。また、世継ぎを求められたというのも間違いで、当時の国民はもう誰もそれを望みませんでした。秋篠宮家に姫が2人いれば十分だったんです。それを期待されないのもいや、期待されるとプレッシャーという、超わがままで自己顕示欲が強い性格が自分自身を悲劇のヒロインにしたのです。

 雅子さまは昨年12月、誕生日に公開された文書の中で、全国各地で臨んだ行事で多くの国民と触れ合われたことについて《大きな支えになってくれるもの》と言及された。また、《思いがけないほどに本当に温かいお祝いを頂きました》と、感謝を示された。

「公務がなくなったことで、国民との触れ合いのない日々が続いています。国民から励ましや応援を受けることができず、雅子さま自身も国民への労いを直接伝えることができない。ご進講を受けられるなど熱心に取り組まれても、御所の中のことなので、わかりにくい。雅子さまには、その努力が実際に国民に伝わっているかどうか、知るすべがないのです」

要約すると

 自分が出席すると、国民が拍手して讃えてくれるのが気持ちよく、お手ふりすればさらにテンションが上がる。その万能感が忘れられない。

 公務がなくなったので、お手ふりする場がなくなり、自分がどんなに努力しているかを国民にアピールすることが出来なくなった → 見捨てられるんじゃないか恐怖

 

 先の予定が決まらないこともうつを引き起こす。

「8月に行われる「全国戦没者追悼式」が規模を縮小して開催されることが決まった。

「参列者を去年の2割ほどに縮小して行われる予定です。天皇皇后両陛下は例年通り出席される方向で調整が進んでいますが、詳細は未定。これまでと違った動きになることは避けられません」

「愛子さまは、大学入学から2年以内での海外留学が既定路線といわれていましたが、それも目処が立っていません。

6月9日の結婚記念日に親戚を招いて開催される食事会も中止になりました。例年であれば、ご両親の小和田夫妻も招いていましたが、それも叶わなかった。ご高齢で体調も心配されるご両親の姿を見られず、雅子さまは不安な思いでいらっしゃることでしょう」

要約すると

 「これまでと違った動き」に適応できない

 何でも例年通りに動かないと不安感が増す

 自閉症なんじゃないですか?皇后陛下。戦没者慰霊式はやるんだからいいじゃない?愛子内親王の留学?本気で考えていたの?世界的に見て数年は無理である事は母親ならわかる筈。

56歳にもなって都内に住む両親と予定通り会えないことが不安とは。

 

 紀子妃は精力的に活動。済生会へのガウンの提供も紀子妃が主体となって行った。結核予防会へのメッセージも。

 天皇皇后両陛下の言動はそのお立場上、世論に大きな影響を及ぼすものです。お言葉も慎重に選ばざるを得ません。ご自身の意思だけでは動きづらく、秋篠宮ご一家のように特定の団体に何かされるといった動き方ができないのは仕方ないことでもあります。ただ、紀子さまの頑張りやそれが報道を通じて伝わってくることが“突き上げ”となって、雅子さまをより一層、“自分が許せない”と焦らせてしまう面は否めません」

 どうしても皇嗣家の公務を「特定の団体へ」と言いたいらしいですが、秋篠宮殿下は済生会の名誉総裁。紀子妃殿下は結核予防会の名誉総裁なのです。メッセージを出したり。ガウンを送るのは当然の事ではないかと。そういう皇后は赤十字の名誉総裁なのに、何かやりましたか?何も出来ないでしょ?自分の意志を通すからドタキャンが出来るのに、何が「ご自身の意思だけでは動きづらく」だよ・・・と、思いますが。

それでもネットでは「雅子さますごい」コメントばかりなので今はそれでよしとしませんか?皇后陛下。

 

 

 

 

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朝ドラ「エール」プリンスVSスター

2020-06-27 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

 東京宝塚劇場の再開決定、よかったです。でも、どうせ見ることが出来ないと思うと悲しい。しかも人数が減ってしまうなんて

一般庶民も見ることが出来る宝塚へ戻る事を祈っています。

 朝ドラ「エール」何となく見てます。

昭和歌謡が、特に戦前の歌が好きなのでそういうものに触れることが出来るのではないかと、楽しみに待ってました。

福島が舞台というのも嬉しかったし。

でも始まってみると、何というか・・・昭和じゃないでしょ。平成でしょって感じで。

いくら何でも福島の田舎があんなにハイカラな筈ないよーーとか、登場人物がみんな能天気で大正・昭和の人が持つ「強さ」「暗さ」を持ってないというか(当たり前だけどね)

特にダンスホールシーンは真面目に引いてしまって・・今後、どうしようかなと思った程でした。

そしたらいわゆるスピンオフシーズンになり、ますますつまんなくなってしまった。

特に二浦環なんか出てくるたびにちょっとウザイというか、歌がわりと上手なのはわかるけど品のよさもないし、外国帰りのプロって感じでもないし、どうせ歌わせるなら娘役出身の人の方がよかったんじゃないの?と思いました。

彼女が外国で恋に落ちるシーンも、いかにもレトロではあるけどないないて感じで。

そもそも、山崎育三郎と古川雄大が出るからみようと思っていたのに、なかなか出てこないなあと思ってやきもきしてたのでした。

そこに、やっと!満を持して!ミュージカル俳優2大対決の週があってよかった!と思います。悪いけど窪田正孝がすっかりかすんでしまった週でしたね。

 

山崎育三郎演じる佐藤久志は、実在の人物がモデル。「暁に祈る」「栄光は君に輝く」を歌った伊藤久男です。彼が世に出たのは軍歌のおかげというのを知り、成程と思いました。思わずYOU TUBEで「暁に祈る」を聞いてしまいました。

確かに歌い方がクラシックをベースにしているなあと。私、声的には藤山一郎の方が歌い方が柔らかくて好きです。

「丘を越えて」「東京ラプソディ」など「エール」内オーディションで歌われている曲を最初に吹き込んでいる人ですね。

 

さて、山崎育三郎演じる佐藤久志は自称「プリンス」で、大学時代からキザでかっこつけで、でもサマになる人。こういう演技は舞台役者でないと出来ないと思います。

彼が居酒屋で歌う「船頭可愛や」は味があって、小銭であれを聞くことが出来るなら安いものだと思いました。

一方、自称「ミュージックティーチャー」「スター」こと御手洗先生は音の声楽の先生で、いわゆる「おねえ」な人。

彼がオーディションで歌う「船頭可愛や」は、その当時っぽい歌い方だと思いました。見た目も綺麗で、正統派。さすが古川君。

山崎VS古川の「発声練習」合戦は驚いたし、面白くて何度もビデオを再生してしまいました。本当の発声練習はあんなに綺麗なもんじゃないと思いますが、それにしてもミュージカルを見ているようで、もうもう大興奮!

出会った時と、発声練習とアドリブもすごくて、やっぱり本番に強い人たちだなあと。

こっちが佐藤久志役の山崎育三郎です。いわゆる帝劇の「プリンス」の一人です。後のふたりは井上芳雄と浦井健治です。

若い頃の彼は、結構一直線で色気のない俳優のイメージでしたが、ドラマに出るようになってとても演技の幅が広がったと思います。自分のカラーがわかってきたというか、どういう風に演じたら人が喜ぶかもわかって来たのかなと。

そういう意味で「下町ロケット」は分岐点だったと思うし、「昭和落語心中」は代表作の一つだと思っています。舞台の方では最近では「モーツァルト」ですかね。初演の頃はつまらなかったけど、演出も変わり見ごたえのある作品になりました。

 

こちらが古川雄大。

彼は山崎育三郎と同じ事務所で、帝劇で山崎のやる役を追いかけて来たような人です。

弱弱しい「エリザベート」のルドルフが、今やトート閣下を演じるなんてねえと思う。

「モーツァルト」もやってますね。私は個人的に「ロミオとジュリエット」のロミオがぴったりと感じてファンになったんですが、いつまでたっても自分をはっちゃける事が出来ないでいる印象。

今回の御手洗役は、彼の新たな引出しを作ったという点で分岐点になりました。

トークを見る限り、おとなしくて引っ込み事案でそのわりにこだわりの強い、面倒な人に見えます。

「トップナイフ」ではバーのお兄ちゃんを演じて、華麗なダンスを天海と一緒に踊っているんですけど、全然プレイボーイには見えず。根が真面目なんでしょう。自己主張の強い役はあまり似合わないなという感じです。

「1789」のロベスピエールも珠城りょうの方が骨太にみえちゃったくらい、実は線が細いの。早く成長しておくれーーと日々、祈っています。

次の帝劇を背負う世代なんですから、バンバンいかないと。

スター御手洗のような役をもう2つ3つ演じたら、結構変われるかもしれません。

一旦、「エール」はここでストップし、あらたな収録待ちですが。

山崎育三郎が出るから見続けるとは思う。でも、あんなに現実感のない設定では、舞台を昭和にした意味がないと私は思います。

戦争シーンはすっ飛ばす予定だそうですし。どこまでも明るくいくらしいけど、古関裕而の曲がヒットしたのは軍歌が最初で、彼の作る軍歌抜きに、「暗い時代だからこそ力強いエール」は表現できないと思います。

それとNHKに言いたい。

「朝イチ」に古川君が出るから見てたけど、何でわざわざ韓流ドラマやK-POPの宣伝を入れる?

「パラサイト」だけじゃなく「愛の不時着」まで出て来たのには驚きました。

しかもK-POP芸人を出して、じっくり宣伝させるなんてNHKさんはどこの放送局なんですか?

ものすごく不愉快になってしまいました。

NHKがやるべきことはJ-POPや日本のドラマを世界に発信することじゃないのでしょうか?質の面では決して劣ることのないドラマや音楽、スター達。それをヨーロッパにもアメリカにも売り込めない日本は頼りないと感じました。

 

 

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日本一運のいい女ー雅子皇后の肖像 66

2020-06-26 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 AERA2008年2月18日号

皇室雅子さま外電「突然バッシング」英タイムス・ヘラルド紙 外電 突然の大量外食報道」

・まず雅子妃は彼女に敬意を表した13種の特別メニューからなるメキシコ料理を楽しんだ。そして高級中華料理店ではローストダックとふかひでスープを、一カ月後には最高級の黒トリュフを目玉とした300ドルのコースがあるフランス料理店で贅沢な食事を楽しんだ。

・日本の悩み深いプリンセスはここ数か月ロイヤルらしい食事をしているー公衆の面前での贅沢な生活について簡素な皇室のイメージに背くとタブロイド紙でさらし者にされている。

・もし豪華なディナーの為に頻繁に外出できるくらい回復しているなら、どうして公務を再開出来ないんでしょうか。気分がよくなるなら皇居の外で高級ディナーもいいですがそんなに頻繁だと・・・

・インデペンデント紙「病のプリンセスたるんでいると批判」

 

 週刊女性2008年2月19日号

雅子さまフィギュア観戦ドタキャンで北京五輪は無理・・長野公務で出た復帰への濃い暗雲

 

 女性自身2008年2月19日号

中国では唐突な中傷報道を・・・雅子さま2千円ランチ園ママたちとプレ謝恩会笑顔」

・1月31日 目白フレンチレストラン「シェリーヴ」で雅子妃がランチを食べた

 

 週刊女性2008年2月26日号

公務直前キャンセルいつまで・・雅子さま「国民とともに」歩むことは出来るのか」

 

 2008年2月13日 羽毛田長官定例記者会見で皇太子へ「超異例進言」ニュース

 AERA2008年2月25日号

激震皇室雅子さまそれでも好きさらに深まる東宮包囲網」

・皇太子が愛子内親王を連れて参内の機会を増やすと約束したことを守れと羽毛田長官が言った。

・小和田家との交流は盛んなのに皇居へいかない

 2008年2月19日 一人で参内する皇太子

 新潮2008年2月28日号

前代未聞「皇太子への苦言」で宮中激震」

 

 文春2008年2月28日号

異例中の異例宮内庁長官「皇太子」批判の宮中全情報「愛子さまに会えない」天皇が長官に託した皇太子への怒り」

 

 2008年2月13日 記者会見で羽毛田長官の言葉に「プライベートなことなので」「発言は差し控えたい」を連発する皇太子

 2008年2月23日 皇太子誕生日

 画像ではわかりにくいのですが、いわゆる「愛子内親王スティッキー事件」と呼ばれるもので、スティッキーを股に抜き差ししている映像がそのまま宮内庁提供で流れてしまった・・・という話です。

皇居への参内が少ないと宮内庁長官に言われた東宮ですが、それでも増やすわけでもなく、スルーし続けています。多分、その理由は「愛子内親王が思い通りにしつけが入ってない状態」であったからなのでは?と言われています。両陛下はそれを知りつつ、羽毛田長官に言わせたのであれな、何等かの意図があったと思います。

東宮御所へ行く両陛下

 

 2008年2月28日 羽毛田長官の定例記者会見で再び「ご自分の発言を大事にして頂きたい」と発言。

 

 2008年3月2日 両陛下が東宮御所に花見をする為に訪問

 

正直、ここまで批判された人がさらりと即位して天皇と皇后になり、その後は過去はなかったかのように褒め殺し報道。

人間不信になりそうですよね。こちらが。

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それは違ってないよ手越君・・・ただ気をつけなさい

2020-06-25 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

 ワイドショーで手越君の会見を見ました。

本当にワイドショーって「否定形」でしか言葉が出ないのかなと思うくらい、惨いコメントばかりで。一人でも彼に同情的だったりする人はいないのかと。

そりゃさあ・・自粛期間中にお酒飲んだ、女性侍らせた・・・間違っていたと思う。やってはいけないことかもしれない。

でも、それって本当に手越一人が悪者なのか?

 自粛期間の外出はマネージャーに報告していた

 マネージャーの管理責任があるのではないですか?信頼関係があったのかどうか。週刊誌の記事で矢面に立たせるなんてマネージャーのすることじゃない。

 自粛期間中に営業している「夜のお店」があった

 だけど四角に一人ずつ座っていたらしい

 相手は医療従事者(つまり医者か?)で、彼が「僕は女性を連れて行くので手越さんも」と言われ、連れて行った。

 この医療従事者は何を考えて手越を利用したのか。

 退所は5~6年前から考えていた

 丁度、SMAPの事などがあり、メリーさん達の専横がひどくなりジャニーさんの発言権がなくなっていく頃。

 NEWSの活動を完全に終わってからと思っていたけど、コロナの影響で中止。でも3月に退所を話していたから、いつ契約解除になるのかわからない状態

 「今月で辞めて」って言われたら終わり。それくらい今のジャニーズ事務所はタレントを大事にしていないところって事でしょう?ジュリー藤島氏や滝沢社長の名前は出てきてもメリーの名前は出てこないし。不安で行動が先走ることはあると思います。それをコメンテーターがあざ笑うっていうのはどうかと思うんです。おぎやはぎの人。

 安倍昭恵夫人とはいい友人で、桜を見る会ではなくたまたまそこに桜があったから撮っただけ

 これも「似たもの同士」と揶揄されていました。アッキーに呼び出されたら断れないと思うし、これもまたマネージャーの管理責任だと思います。

 「手越ガールズ」「手越キャバクラ」は文春が作った言葉

 インパクトがあって、だからほっといたらしいです。

 

芸能人というのは破天荒でなければいけないと私は思っています。

(昭和っぽくて令和にはあわないんだろうな)

ただ、今回の退所はジャニーズ事務所に仕組まれたものではないかと。

だって世の中自粛なら、週刊誌だって自粛でしょう?それを追いかけまわして穴を見つけることにやっきになっていたわけだから、出版社もどうよ?と思います。必ずスクープ取れる保証がなければ追いかけたりしないのでは?

また、今までのジャニーズ事務所だったらそれでも「守る」筈が、こうもあっさりと「弁護士たてて」と言って来たって事は、もう本当に手越を辞めさせたくてしょうがなかったって事ですよよね。ジャニーズ事務所にとってNEWSなんてどうでもいいっていうか、いつ解散してもいいわ・・・的な存在?

テゴマスの欠けたNEWSに魅力があるのか?と言われたら、全然ないし。新しいメンバーを入れるでもなく蛇の生殺し的に自分から退所していくのを待っている感じで、本当に嫌な事務所だなと。大昔、トシちゃんたちがいた頃はそういう事務所だったけど、その流れを少年隊が変えたと思っていたんだけどな。

あ、それで、芸能人は破天荒でなければいけないって話ね。

昭和に生き、昭和で亡くなった人はいい時代だったよねと言いたい。勝新太郎とか内田裕也とか三船敏郎とか・・・あの火野正平が小栗旬と仲良く親子役でCM出てるのを見てると「あの人がねえ。すっかり丸くなっちゃって」と思う。

若い頃にどんなに色恋沙汰で世間を騒がせようが、不倫しようが、トラブルになろうが、ある一定の年齢になると落ち着くし、分別もつくんだって。

なのに、芸能活動を封じてしまうような流れを作る世間ってどうなの?

手越の声はいいし、歌も上手だし、「華」もありますよ。

「イッテQ」ではチャラい男に徹していた手越ですけど、どんな企画でも難なく乗り越えてしかも場をさらうかっこよさがありました。これはどんなに芸人が頑張っても出来ないことです。若くて元気で強気の手越がいることであの番組がどんなに助かっていたか。それをあっさり「退出しました」で終わらせる。

ウッチャンも他のメンバーも本当は生意気な手越が嫌いだったんだろうなと思う。それは番組の中でもひしひしと感じてはいたけどね。

今後の活動が見えない。何が言いたいのかわからないというコメントも多いですが、愛レがジャニーズ事務所ですから言えない事も多いでしょう。

だけど2時間しっかり自分の意見を紙に頼らず筋道立てて話せたことはすごいと思います。

ただね・・・彼を取り巻く「人脈」が悪いと思います。

一緒に飲んだとされる医療従事者の人にしても、本当なら呼び出さないし「女性を連れて」とは言わない筈。アッキーにしてもまずいです。

本当に彼の活動を応援しパトロンになってくれる人との関係を大切にしてほしい。

 

 

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新章 天皇の母 24

2020-06-24 07:00:00 | 新章 天皇の母

親王のお印が「高野槇」に決まり、以後、「若宮」とか「槇の宮」などと呼ばれるようになる。実に41年ぶりの「若宮」誕生に、国民は素直に喜んだ。

「紀宮」(きのみや)達が若宮を連れて退院のおりには、自然発生的に沿道に人が並び、「若宮万歳」の声が上がった。みな頬を紅潮させ、心から国旗をはためかせ、未来の帝の誕生を寿いでいる。

その祝福に手を振って応えながら、二宮も「紀宮」(きのみや)も結婚式のあの祝福の波を思い出していた。あれから幾年月流れたろうか。

うつろいやすい国民の心を思いつつ、ただただ今は、その祝福に、あの頃と同じように素直に応えたかった。

そんな様子を見ながら、中姫は胸をわくわくさせて「弟が宮邸にやてきたら、どんな産着を着せてどんなお世話をしようかしら」と考えていた。

手作りのおもちゃはもう出来ている。お母さまが大変な時は自分が弟を抱っこして、おんぶして、それから色々なことを教えて上げる。中姫にとって若宮は「生きたお人形」のように見えていたかもしれない。

一方、大姫はもうそんな子供ではなかった。

今、生まれたばかりの若宮が肩に背負うものの重さに、姉として「可哀想」と思ったし、一方で彼こそが「希望」なのだとも思った。

大姫は、皇室が変わりつつあり、帝も后の宮も少しずつ以前とは違っていることを肌で感じている。若宮の誕生がもしかして溝を生むかもしれないことを。

沢山の皇室の歴史の中でも、こんな話は沢山あった。

大津の皇子・長屋王・安積皇子・・・・数えたらきりがない程。

古代の物語の話だと割り切れない何かが迫っているような気もする。

だけど、今、一番悲しいのは、大好きなおじいさまやおばあさまの心の中が見えなくなっていることだった。もう小さかった頃には戻れない・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・

よく・・眠れない。イライラする。物にあたりたくなる。

東宮妃はどう表現したらいいのかわからない感情に振り回されていた。

女官が「お妃さん、お茶を」と言っただけでも腹が立ち、茶器を壁に向かって投げつけた。東宮は慌てるばかりで、何かといてばすぐに「気鬱の典医を」と言うばかり。

典医と喋っている時は安らぐ。

彼は愚痴を何でも聞いてくれるし、声が優しく、自分に不快な事は一切言わない。

なぜ私はこの人の妻として生きていけなかったのだろうかと思う。

彼が夫ならこんないら立ちを抱えずに生きていける筈なのに。

あれは自分が3歳の頃。

妹達が生まれて母は一切自分に構わなくなった。

父は自分ができそこないである事を知っていたから、口を開けば「勉強」の事ばかり。

あの時の寂しさが蘇ってくるのだ。

コンクリート卿は、若宮誕生の時には怒りをあらわにして「なぜだ!」と叫んだ。

その「なぜだ!」は自分に向けられたものだと思った。

やはり、父上様は私を愛していない。昔のような出来損ないと思っているに違いない。

そんな絶望感が頭を覆うと一層、いら立ちが増す。

たかが子供を産むこと・・・男子を産むこと・・・これが何年も勉強して最高学府を出た自分には大層なハードルだった。頭が悪くたって成績が悪くたって子供は産める。

だったらなぜ父上様は、自分をそのように育てなかったのだろう。

勉強しろ、成績を上げろ、女性だからって甘えるな。そればかりの人生だったのに。

「紀宮」(きのみや)の出産が、東宮妃を全否定したかのように見えて、絶望感ばかりが募るのだ。

ねえ、先生。私は生まれてきてよかったのよね」

ええ。勿論ですとも」

みんなが私を馬鹿にしている」

「そのような思い込みはやめましょう。回りを見てごらんなさい。みな、お妃様の登場を待ちわびているのですよ」

一人では無理」

東宮様がいらっしゃいます」

あの人はダメ。昔も今も私の気持ちなんかわかっちゃいない。もっとも私もあの人をわかっているかと言えばうそになるけど」

夫婦は理解し合う努力をせねば」

夫婦じゃないわ」

気鬱の典医は驚いたように東宮妃を見た。

結婚してあげたのに全然約束を守らなかったわ。外国にも行けなかったし、子供を産むことを強要された。あの人だけじゃない。父上様までが結婚した途端に子供はまだかと言い始めた。女って子供を産む道具じゃないって教わったのは何だったのよ?女一宮を生んだらがっかりされて。あの人は能天気に女一宮を喜んで可愛がってる。馬鹿なの

東宮妃はさらに興奮していった。

「ハーバード大出の私に偉そうに指図するのよ。父上様がいなかったら何の仕事もないただの男なのに。帝の子というだけで何だっていうのよ」

東宮様はお妃様を心から案じておられますよ」

あなたの口からそんな言葉は聞きたくないわ」

すねたように東宮妃は言った。

今だって。こんな夜中まであなたと一緒なのに咎めることさえ出来ない人よ。話にならないわ。それにしても忌々しい。二宮の所に生まれた槇宮。いっそ・・・」

お妃様」

典医が止めた。

今日は薬を処方しますゆえ、ゆったりとお休みください。明日、お妃様がお目覚めになるまで女官には入室禁じます。無論、東宮様にも。明日の予定は全て白紙ということで」

そうね。でも眠りにつくまではいて欲しい。真っ暗は嫌なの」

はい

東宮妃は薬を飲み、こうこうと部屋の灯をつけたまま、まるで騎士のように気鬱の典医を傍に置いたまま眠りについた。

 

 

 

 

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日本一運のいい女雅子皇后の肖像65

2020-06-22 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

2008年1月1日 天皇一家

 2008年1月1日 参内する雅子妃。しかし、新年祝賀の儀には出ず

 2008年1月2日 新年一般参賀

 2008年1月2日 参内する愛子内親王と悠仁親王

 サンデー毎日2008年1月20日

超多忙日程が示す雅子さまの「4月完全復帰」

 

 週刊ポスト 2008年1月20日号

全国民必読「平成日本」と皇室:ヒゲの殿下寛仁親王「皇太子殿下への御手紙」「皇族の在り方」から「8回目の手術で落ちた体力」まで熱論4時間

 竹田 お2人が偶然お会いになって、どのようなお話をされたのでしょう。
殿下 雅子様も私が宮内庁病院に入院していることをご存知だから、すぐ車から飛びおりてきてくださり、「お身体の調子はどうなの?」と、いつもと変わらずにおっしゃいまして、それで私は「いや、もう歩くのが苦しくてたまりません」とお返事しました。そういうことが2回ありましたけど、私がお目にかかっている限り、どこもおかしいところをかんじませんね。
竹田 貴重なお話だと思います。それ以外にも妃殿下とお話しになる機械はございますか?
殿下 紀宮様のご結婚式のときも、雅子様はわざわざ私の隣にいらっしゃって、そのときも私は入退院を繰り返していたので「お身体はどうなの?」とおっしゃるから「いや、もういろんな難しい問題がございまして、私の身体はもうよれよれでございます」とか申し上げました。
 先日も皇室会議の議員の選挙で皇族が宮殿薔薇の間に集まったときに、たまたま雅子様の横に私が座っていたので、雅子様のほうから「その後トレーニングはなさっているの?」とおっしゃいましたので、私は「もう参っていまして、相変わらずつんのめってしまいます」などといつものペースで話したわけです。すると雅子様もそのペースで話してくださるから、横で聞いていた娘の瑤子が「おとーまとは全く普通にお話しになるじゃないの」と言っていました。

 

 週刊文春2008年1月17日号

雅子さま三ツ星レストランロォジェ「深夜の饗宴」を許した東宮職の見識」

 

 雅子さま三つ星レストランロオジエ「深夜の饗宴」を許した東宮職の「見識」
その宴は深夜0時を回っても続いていた。恵比寿のイルミネーション、ミッドタウン、イブは小和田家と晩餐…「遊び過ぎ」。改めて問われる皇族のあり方──

 

 女性セブン2008年1月17日・24日号

笑顔のお出かけショッピングにオペレッタを楽しまれ愛子様ママにおねだり銀座・青山の満喫の冬休み」

 

 週刊現代 2008年1月26日号

「満身創痍の皇室の中で雅子妃だけ「お休み」の不安~三ツ星やイルミネーション見物に行けても新年一般参賀は3出4欠

 

 週刊女性2008年1月29日号

雅子さま。リフレッシュなのか?ご回復の証明なのか?高級レストラン通いで生じる新たな心配」

 

 女性自身2008年1月29日号

「雅子さま実父が動いた!「愛子さまと五輪へ」娘への思いやり」

 

 2008年1月15日 両陛下との夕食会へ

 週刊朝日2008年2月3日号

美智子さまのご病気雅子さまの「お歌」」

 近年の雅子妃の「歌」は愛子内親王ばかり題材にしている

 平成8年「もろ手もちひたすら花の苗植うる知恵おそき子らまなこかがやく」に対し、東宮職は発表について躊躇したが、公務についての歌だからと雅子妃のたっての願いで発表

 令和2年の「災いを~~」も「たっての願い」なんですかね・・・東宮職は反対しなかったのでしょうか。

 

 週刊文春 2008年1月31日号

「雅子さまと小和田夫妻「元旦おせち事件」

 新年祝賀の儀。雅子妃は皇太子を残して東宮御所に帰った。

 その時、小和田夫妻と池田礼子一家が東宮御所を訪れていた。

 体調の為に東宮御所に帰って来た筈なのに親族とおせち料理を囲んでいた。その頃、東宮は御所で祝賀行事に参加していたのに配慮がなさすぎるのではないか。

 親族には大膳課が用意したおせちがふるまわれた。

 朝早くから東宮御所に入り浸っておせち料理を食べたりお酒を飲んだりしていたって事ですよね。

 

 2008年1月25日 長野県行啓

到着時は白コート。そしてダウンに着替える

 

夫妻が新幹線の中で食べたとんかつ弁当

 

小布施の北斎館鑑賞

栗の小径散策

 

2008年1月26日 国体の開会式出席

でも、フィギュアスケートはドタキャン。

帰京時は元気

 

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皇室ウイークリー

2020-06-21 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

6月12日・・・天皇陛下 → 通常業務

        両陛下 → 厚生省こども家庭局長より進講を受ける

6月16日・・・両陛下 → 香淳皇后20年式年祭

        皇后陛下 → 養蚕(繭切・採種)

        天皇陛下 → 通常業務

6月18日・・・両陛下 → 人事異動者に会う

 

秋篠宮家

6月15日・・・眞子内親王 → 第48回伝統工芸陶芸部会展」について説明を受ける(オンライン)

        殿下 → 日本動物園水族館協会会長より新型コロナについて説明を受ける(オンライン)

6月16日・・・両殿下 → 香淳皇后20年式年祭(皇居)

        眞子内親王・佳子内親王 → 香淳皇后20年式年祭(武蔵野東陵)

        両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → JFTD(花キューピット)会長から新型コロナについて説明を受ける

6月17日・・・殿下 → 日本植物園協会会長から新型コロナについて説明を受ける

6月9日の「初繭かき」はドタキャンした皇后。本来の姿に戻りつつありますね。

思えば、今年、2020年は天皇一家にとって華々しい1年になる筈でした。

イギリス訪問・習近平国賓・オリンピック・・・その度に天皇皇后は大きく取り上げられ

数か国語でご挨拶の皇后陛下」

「皇室外交華々しく皇后陛下」

と持ち上げられていたでしょう。

しかし、新型コロナの流行でそれが全部だめになりました。

思えば天はこうやって、天皇皇后を人前から遠ざけてしまったのかもしれないと・・・そう思うようになりました。

何度も書いてきましたが、皇后が「災いを」と詠んだ時、今度はどんな災いが起こるのだろうと思ったもので、実際に、震災以上の災厄がふりかかりました。

それでもまだ「子供の貧困問題に関心を寄せる皇后陛下」と持ち上げられる。

養蚕もほほとんどしていないのに、やらなかったら言い訳、やっても言い訳、ダメだしのように愛子内親王まで持ち出してくる執念。

どうあっても批判される事が嫌・・・という姿勢が見えてきます。

今回、宮内庁参与が一新されて左翼系の人が入りました。そういう人の意見を天皇が聞くということなのです。

 

最近、中国ドラマの宮廷ものをよく見ますが、王室も皇室もない中国でドラマ界の中でしっかりと「しきたり」「思想」「礼儀」などが描かれています。

例えば「大唐見聞録」では、退位した上皇は絶対に皇帝と並んで立ってはいけないというしきたりがあり、それを破った上皇がひどく非難されるというシーンがありました。

また、「陳情令」では俳優たちがお辞儀の仕方や目上への礼儀を2ヶ月程学び、立ち居振る舞いの一つ一つを身につけていきました。

しかし、現実として皇室が天皇家では皇后も内親王もお辞儀一つまともに出来ない。学ぶという事をしないのです。

逆に、しっかり身に着けている人をこきおろしたりけなしたりします。

それが今の天皇一家なのですから、国民の手本になるどころか、国民がみな礼儀を知らない無頼漢になってしまいます。

そもそも皇室典範にも憲法にも書かれていない「退位」をした上皇が最も諸悪の根源かもしれません。

全く・・・今上あるかぎり令和に平和はないと断言致します。

 

 

 

 

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日本一強い女ー皇嗣妃殿下の肖像21

2020-06-20 07:00:00 | 日本一強い女 皇嗣妃殿下の肖像

 1994年8月 軽井沢静養時

帰京時

 1994年9月2~4日 マタニティ姿の紀子様

 1994年 9月 手話狂言を見る

 週刊文春 1994年10月20日号

妊娠7ヶ月で公式行事ご出席ハラハラ紀子様」

 

 1994年10月 結核検診車「けいりん号」完成披露

 1994年11月25日 秋篠宮殿下誕生日記者会見

 週刊新潮1994年12月15日号

「秋篠宮第2子ご誕生で「皇系」への風声

 

 1994年12月29日 佳子内親王殿下誕生

 

 1994年12月29日 お見舞い風景

 

 1994年12月30日 新聞記事

 1994年12月30日 東宮夫妻のお見舞い

 

 

 

 

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