ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

両陛下 帰国

2024-06-30 12:10:00 | 皇室報道

やっと帰国するのか~~という英王室のため息が聞こえてきそうな。

入国の時にはなかったレッドカーペットが今回はあり。

でも場所は空軍基地。

歩き方、愛子内親王そっくりですね。

帰って来たくなかったんだよね。きっと。紀子様のブルーのスーツ。ことらは涼し気ですね。

そしてさも用意していたかのような「感想」

 

この度、英国政府から国賓として御招待を頂き、二人で同国を訪問できたことをうれしく思います。

チャールズ3世国王陛下には、御病気の御治療中にありながら、私たちをお迎えくださり、国王王妃両陛下でホース・ガーズ・パレードでの歓迎式典と馬車によるパレード、バッキンガム宮殿での午餐会と晩餐会を催していただくなど、心をこめて御準備くださり、すばらしいおもてなしを頂いたことに深く御礼を申し上げます。また、国王王妃両陛下を始め、王室の方々と旧交を温めることができたことをうれしく思っております。

ロード・メイヤーを始めとするシティ・オブ・ロンドンの方々にギルドホールでの晩餐会を催していただいたことに加え、それぞれの訪問先で英国の方々に温かく迎えていただいたことは、うれしく、有り難いことでした。

英国政府・国民の皆さんの御厚意に対し、心から感謝いたします。

今回の訪問を通じ、我が国と英国の人々の間で長年にわたって培われてきた友好親善の歩みについて理解を深めることができました。

日本と英国の交流に様々な形で携ってきた幅広い年代の方々に直接お会いしてお話しする中で、両国の友好親善関係が人々の交流を通じて深まってきたことや、英国の人々が日本に対して温かい気持ちを寄せていただいていることを実感し、うれしく思いました。

フランシス・クリック研究所、王立音楽大学、V&A子ども博物館、オックスフォード大学などにおいて、日英両国の若い人々や子どもたちと交流することもできました。

若い世代の人々が、今後もお互いの国に対する関心を深め、両国の相互理解と友好親善に大きな役割を果たしていくことを期待しています。

今回、オックスフォードを初めて二人で訪れることができたことをうれしく思っています。

オックスフォード大学では、パッテン総長に昼食会を催していただいたのに引き続き、皇后に名誉博士号を授与していただいたことを心から有り難く思いました。

また、私たちが学んだマートン・コレッジ、ベイリオル・コレッジなどをそれぞれの学長に御案内いただき、思い出に満ちた場所を再訪することができるとともに、懐かしい方々にお会いできたことは、うれしいことでした。

ロンドンと同じように、天気にも恵まれ、心温まる充実した滞在になりました。

今回、初めて国賓として英国を訪れ、大変思い出深い訪問となりました。

この訪問を準備していただいた日本と英国双方の多くの関係者の皆さんの尽力に深く感謝いたします。

この度の訪問により、両国の国民の相互理解が更に深まり、日本と英国の友好親善と協力関係が一層進展することとなればうれしく思います。

稚拙なっていうか、この程度書けばいいだろう的な文章です。闘病中の国王や、直前に怪我をしたアン王女、そしてキャサリン妃への見舞いの言葉が何一つなかった事が残念です。

 天皇皇后からすると、「国賓」としてイギリスへ行き、ガーター勲章を貰う事が最も重要なミッションであり、さらにオックスフォードへ行く事で、過去の栄光を今更のように自慢したいという思惑があり、成功したように見えました。

 日本のマスコミは「全日程が国賓」と報道していますが、実質は3日間のみ。

塩対応としては

 入国時のレッドカーペットなしの王族の出迎えなし

 晩さん会写真で、わざと雅子皇后が照明の影になるように映す。

 

そして、今回、雅子皇后がやらかした事は完璧に国益を損なう事であり、英王室と皇室の絆が令和ではバッサリ切れてしまった象徴になりました。

 イギリスで暮らす日本人に会わなかった事

 エリザベス女王の墓参りに行かなかったこと

 歓迎式典で約20分の遅刻をしたこと

 歓迎式典でカミラ王妃と色被りした姿で登場したこと。それがまた非常にみっともない格好であったこと

 馬車でパレードの時にバカでかいマスクをしたこと(これで「脳の病気決定」)

 両陛下とも、一言も相手側への気遣いの言葉を出さなかったこと

 晩さん会でも20分の遅刻をしたこと

誰かれ構わず話しかけたら止まらない、延々と会話を続ける。相手は終わらそうとするのに、一旦会話が途切れてもあた喋り出す。この癖は人々に恐怖心を与える事でしょう。

どうやったら皇后の長話を止められるか、が、これからの課題になりそうです。

また、キャサリン妃やアン王女へのいお見舞いの言葉を発する事無く、二人とも「イギリスは第二の故郷」(滞在したのは2年くらいなのに)と言って憚らず、ひたすら「自分は、自分達は」を押し通した事。

して貰うばかりで相手への気遣いをしなかった事。これは社交界では絶対にやってはいけない事です。

今回の旅はフルムーン旅行と言われても仕方ないし、何かというと「留学時代」を持ち出す二人にイギリス側も日本もうんざり、うざい、しつこい、老害状態になっていましたよね。

マスコミも今回は最も華やかな馬車行列や晩さん会の事にはあまり触れず、映像としては歓迎式典やオックスフォード訪問の事ばかり。

やっぱりマスクの皇后はダメなんだ~~~いくらアレルギーがあってもね。

即位の時、(なぜか)馬車に乗りたくなかったが為についた嘘が、今になってブーメランのように跳ね返り、今後「EMPRESS OF JAPAN」と言えば「MASKED」が付く映像が流れるでしょう。

それと、普段何かといえば「英語」自慢の夫婦ですが、晩さん会で英語でスピーチはまずかった。誰も聞き取れなかったと思います。

ウイリアム王子が迎えに行った時、「お二人は同時期に留学したのですか」という質問に対して、雅子皇后派「No 5Years 5Years」と答え、直球で返す。

こういうのも社交界ではタブーです。紋切り型で直球で返すのは失礼なんです。

天皇は一応「違う時期で」って言ったらしいけど、気の利く人なら「あら、私と陛下、同い年に見える?」って冗談で返す方法もあるんですけどね。

発達障害の特徴は

 時間を守ることが出来ない

 綺麗に出来ない

 疲れやすい

 人間関係が苦手

 相手を慮る事が出来ない

事で、ああみえて常に緊張状態でぶるぶるのようですね。だから部屋に引きこもりたいのでしょう。恐らく愛子内親王も同じ。

遊ぶ時は誰も礼儀とか言わないので楽なんでしょうね。

しかし、このような天皇皇后を戴いている今の日本は非常に不幸です。

私事ですが、私の母は60歳くらいの時から服は全部オーダーメイドだったんです。

理由は当時、彼女の体型(背が小さくて太っている)に合う服がなかったから。

毎年のように同窓会の全国大会だ、地方大会だ、打ち合わせだと、月1でお友達と集まっていた母は、公の席に出る為のスーツを毎年作っていたのです。

今でも思い出しますが、レースの上下スーツが本当に素敵で、私の背が高すぎなければ欲しかった・・・またローズ色に黒で縁取られたスーツとお揃いのバッグ、これを見た時は「いつか私も」と思いました。

別珍のコートもロイヤルブルーで見事でしたし、今は写真の中でしか見る事が出来ないのが残念です。

昭和の60歳と言えばすっかりおばあちゃんです。

それでも洋装店さんがしっかりと母の体型を見て、最高に似合う服を作ってくれていたんだと思うと感謝しかありません。

私は、小学校の卒業式にそこでワンピースを作って貰い、あとは時々入る既製服を買って貰ったりしたんですけど。

どんなデザイナーでも、作る相手にもっとも似合うものを作る・・・これ鉄則です。

なぜ皇后だけこんなにみっともないのか、デザイナーが悪いのか、本人が悪いのか。

とにかく個人的には反面教師として、服はちゃんと選んで着よう、第三者の意見を大事に選ぼうとつくづく思いました。

 

 

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皇室ウイークリー

2024-06-30 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

皇嗣家

6月21日・・・殿下 → 天皇陛下より皇嗣殿下に国事行為臨時代行に関する勅書の伝達

6月22日・・・両殿下 → 両陛下見送り

      妃殿下 → 「第16回国際小児がん学会アジア総会」オープニングセレモニー出席

6月25日・・・殿下 → 山階鳥類研究所会議

            通常業務

 浮かれフルムーン旅行中の両陛下に代わって秋篠宮殿下が臨時代行。なんか、日本は落ち着いてますよね。

 線状降水帯か?洪水か?危ういところで大災害にならずにすんでる感じでしょうか。ああ、素晴らしきかな。

 両陛下 オックスフォードへ 

 

まず、国王夫妻にお別れ。

国王夫妻のやれやれという顔がなんとも。

どうしてこうも立ち話やら長話をするのかわかりません。

所で、カミラ王妃がつけているブローチが「蝶」なんですよ。

実は皇后はイギリスで「Broken Btterfly」と呼ばれています。定着しました。

MASKED EMPRESS」に続くあだ名ですが、この意味は「心が壊れちゃった人」つまり、正気ではない人を表す言葉らしいです。

だから蝶のブローチ?って考えると、ちょっと笑えますよね。

国王が促しても車に乗らず、自分が言いたい事ばかり話して、チークキスを求める。車に乗るとお手ふり。お辞儀も出来ないのか。この人は。

それから二人でこども博物館に行ったけど、子供達固まる。

それから陛下のみ、ウインザー城でエリザベス女王の墓に供花

何というか、失礼な皇后ですね。自分の親が死んでも墓参り行くなよと言いたくなります。

それから陛下はキュー植物園に

ここで「私も雅子も」連発。

新潮によると「雅子さまは完全主義者だから、完璧にやろうとするとプレッシャーになる」そうで、これは30年間言われてきたことです。

でも本当の完璧主義者は遅刻しません。

ワーカホリックな程働きます。外出の時間に部屋にこもるってどういう事?

認知症入ってるのか?って感じで、もやは老害になりつつあります。

出発前の上皇后への挨拶もパス。

上皇后が固辞したと言われますが、そうではなくて最初から行く気なかったんでしょう。あの上皇后だって香淳皇后の元へは行ってたし。

「義両親には顔を見せない。近くに住んでいても」が令和流なら間違っていますよね。

そして思い出のオックスフォードへ

渋滞だか事故で40分遅れたそうです。

国賓扱いから抜けると・・・

桜を植樹。

何でもホテルに陛下のオックスフォード時代の同級生がやって来たんだかとか。

陛下一人で応対し、お茶をしたらしいですが、その場に雅子皇后はいなかった。

同じ部屋にいた筈なのに、夫の友人には会わないのね。いつもの事だけど。

皇后にはお友達・・・いなかったのか。

皇后には名誉博士号が贈られて、昼食会に。

日本ではどこへ行っても昼食会はパス。シティの晩さん会もパス。

でもオックスフォードの昼食会はOK。

 

みなが不審に思うのは、「好きな事だけぜーーんぶOK」という事なんですよ。

これが病気で許されるなら日本中の人がこれをやっちゃいますよね。

もう満足したでしょう。

これが令和時代のピークになる事を祈っています。

 

 

 

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淑女とは何であるか・・・礼宮殿下と紀子さんの婚約会見

2024-06-29 07:00:10 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

まず、富田メモによると。

「礼宮 陛下も承知し喜んでいる。伝えてほしい」と書いています。

1989年の夏に礼宮殿下と川嶋紀子さんの婚約が発表され、皇室会議を経て正式に決定。

でもその前4年間程、お二人は交際していたのです。

礼宮殿下は昭和天皇が亡くなる前年に恐らく「川嶋紀子さんと結婚したい。その時はお印にヒオウギアヤメを頂けますか」と了承をとっていたと思われます。

ヒオウギアヤメは昭和天皇最後の研究対象であり、礼宮も手伝っていたから。

この富田メモの日付は1988年4月28日となっています。

昭和天皇は1987年の4月29日、祝宴の途中に吐血して倒れ、手術。

1988年の8月15日の終戦記念日を最後に公務に出られなくなってしまいます。

覚えているのは入院する時の昭和天皇が車に乗って通り過ぎるのをテレビで見たこと。

「腸閉塞」とか言われてたけど、本当はがんだったんだよね。

侍医がいるのに吐血するまで体調不良がわからなかった事はありえないミスだと思います。

8月15日。写真週刊誌に「涙を流す天皇」と言う写真がのりました。

本当に胸に迫るものがあったのを覚えています。

恐らく、礼宮の結婚の話はベッドの上で聞く事になったんだろうと推察します。

いわゆる愛子天皇派がいう「昭和天皇は川嶋紀子さんに反対」は嘘だったとはっきりわかるメモですね。

昭和天皇は礼宮をとても気に入っていて、皇居に上がって、帰り道に「花が咲いているからみよう」と言って、途中まで送ってくれたりしたらしい。その時に咲いていた花は彼岸花だったそうです。

つまり。小和田雅子さんと違って、川嶋紀子さんは大学に入った頃から皇室とは深い関りを持ち、昭和天皇は温かく二人を見守っていたのです。

ただ、「可哀想」の名のもとに反対していたのは皇后美智子さまという事になります。

何が可哀想って、「皇室に入ったら紀子ちゃんが苦労する。学生で身分も低いしお金もないし」

って意味だったんですよね。

私はこの婚約記者会見が大好きです。

一応喪中と言う事で紀子さんは紺のワンピースにでかい白の手袋をしていました。

(本当は手袋なんて必要ないのに美智子皇后の【手袋事件】にまつわるトラウマがあんな変な手袋をさせたのだろうと思います)

たどたどしくも、しっかりと敬語を使って、言い間違いをしながらも必死に頑張る紀子さんに日本中が「可愛いこんな女性がまだ日本にいたのか」と驚いた瞬間でありました。

 

「どこに惹かれたのか」と聞かれて

礼宮:話をしていて楽しい・・人なんですね。また何となく愛嬌があるというか、可愛らしい

こんなセリフを互いに見つめ合ってちょこちょこ笑って言うから、記者さん達はさぞや暑かったろうと。見ていた私も「勝手にして~~~」状態。

紀子さん:御所内で飼っていらっしゃるナマズやあひるなどを可愛がっているお姿、また魚類の研究に熱心に研究されているお姿に惹かれました。またタイのお酒、メコンに誘われるまま、先生、ご友人たちと語り、またギターを弾かれたりするお姿や、あの、そういう所に惹かれました。

礼宮:付け加えますと、非常にこの話題が豊富な人じゃないかなと私、思っております。

 どこかの誰かの「一言付け加えさせていただきますと」とは違い、テレにテレちゃってついつい口を挟んだ様子の礼宮が可愛い。またなぜか犬の鳴き声がするんですよね。

 

「皇太子殿下の結婚について」

礼宮:あの、兄の皇太子の方が勿論早く婚約・結婚等が決まればそれに越したことはなかったわけですし、私といたしましてもその事について強く望んでおりましたが、ま、先ほども申し上げましたような(川嶋家へのマスコミの問い合わせが多くなり結婚を急がざる得なかった事)、事情もあり、私の方が先になってしまったと。いう事でございます。

マスコミ;最近の雰囲気はいかがですか

礼宮:雰囲気。以前に30歳までに出来れば上出来という風に申しましたけれども、やはり30までに出来れば上出来なのではないかと私は思っております。

マスコミ:暗い見通しなんでしょうか?

礼宮:暗い・・・暗い見通しといいますか。私もよくわかりませんけど。

 こういう率直な事が言えた時代だったんですね。最後はかなり投げやりに答えていました。

 

「どんな家庭を築きたいか。お子様は何人」

紀子さん:始めの質問でございますが、礼宮様とご一緒にあの、のんびりと明るくそして和やかな家庭を築けたらと思っております。それから次の質問についてでございますが・・・それは

礼宮:何人にしましょうか。

紀子さん:あの、それもこれからゆっくりと考えてみたいと思っております。

 見つめ合って笑い、回りも笑い、さらに照れて笑う。最高の瞬間ですよね。どこかの誰かのように「お幸せにして差し上げたい」なんて言わないところがなんとも奥ゆかしい。礼宮の突っ込みが最高で、こういう一々どぎまぎする紀子ちゃんが可愛いんだろうなと。

 

で、ここからがすごいのですが、「結婚を知らされた川嶋家の反応」を聞かれて。

紀子さん:父は自分の人生は自分の責任や自分の判断で決める事が望ましい。

それからよく考えて、よく悩んだうえで結論を大切にしなさいと申しておりました。

また母は【紀子ちゃん、よく考えてみましょうね】って申しまして、その後で20歳前半の頃は色々な豊かな経験をすると共に、またよく勉強しライフワークの基礎となる、基礎を作る重要な時期ですよっていうようなことを申しておりました。

 まず、この頃、紀子さんは留学をしようと考えていたんですね。ご両親もそれを後押しするような感じだったと思います。

でも、実は娘が恋をして、その恋に突っ走っていくのではという心配をしていたと思うのです。相手は皇族で人柄がいいのもわかるけど、それに流されていいのかと思っているようなお言葉です。

「自分の責任で自分で判断」は厳しい言葉で、以後、紀子さんは川嶋家に甘える事をせず、全て殿下と共に解決してきた・・甘えを許さない厳しい家庭です。

60過ぎても実家にべったりの皇后とは偉い違いがあります。

また、母、和代さんの「ライフワークの基礎を作る重要な時期」こういう事を話せる母親というのは、果たして当時存在したろうか?と思います。

自分を見失うなとおっしゃっているんですね。

紀子さんはゆえに、留学はしなかったけれど「福祉」分野の勉強をこつこつ続け、自分を確立していきます。だから美智子皇后に叱られても自分を保つことが出来たのではないでしょうか。

一方小和田雅子さんにとって学歴しか誇るものがなく、あとはスキーだ旅行だと遊ぶ事が主であった人の場合、皇室に入ってからのギャップに驚き、適応障害になってからは散々「ライフワークを持て」と言われたけど結局出来ませんでした。

紀子さんは母によって素晴らしい教育を受け、だから今があるのです。

 正直「ライフワーク」というものを女性が持って続けることは難しい。やっぱり余裕がある家じゃないとそんな事を言ってくれる親には恵まれないと思うのですね。

私自身を振り返っても、そんな事は言われなかったです。ただ、私が好きな事、やりたい事に反対しなかった事だけはありがたかった。いくら本を買ってもドラマを見ても叱られる事はなかったし、それが今の「皇室」「宝塚」というライフワークに繋がっているからです。

私も一時期、手話が習いたくて教室に行った事もありますが、そういうことも絶対に反対しない親でしたが、うちの旦那の親は「嫁は嫁の務めをすればよい」という考え方だったので随分衝突したのは確かです。

紀子さんは、まるで皇室に嫁ぐ運命のような教育を受けてこられたのです。

 

紀子さん:礼宮様は大変理解がある方で、出来る限りお勉強を続けていきたいと思っております。

ともおっしゃって、学生結婚ですが互いを尊重し合っている風ですよね。勿論、皇族だからそれが許されるわけですけど、それでも紀子さんは出産や育児、公務、儀式と勉強のままならない時を過ごすのです。

 

マスコミがこの頃は非常に気さくでフレンドリーで「けんかをした事ありますか?この際・・・」って。そこで紀子様が「からかった事?」って聞いてます。やっぱりからかってたんだ~~とにんまり。

礼宮;双方からかったり、そういう事は致しましたけれども・・ね?

紀子さん:ええ。

マスコミ:紀子さん、涙を流されたようなことはないんですか?

紀子さん:涙を流した事がございますのが、あの、皆さんご存知だと思いますけれども英国にいらっしゃった日でございます。

マスコミ:けんかじゃないですね。

 ほんと。はいはい。好きにして。そうだね~~お見送りで泣いてたね~けんかはどうしたって感じですが。これが一年後になると、同じ質問で秋篠宮が「喧嘩しても、あなた、すぐに謝りますね」と紀子様に言います。紀子様は「えっ」と言葉を失うんですけど。

多分、ちょっとした時間の遅れに秋篠宮が怒って、紀子様は謝ったんでしょう。本当は紀子様の方が怖いと思うけど。

 

さらに図に乗ったマスコミは「結婚前にタイへ行くという話はないのか」とか意地悪な事を言うのです。礼宮はタイでは超有名で、当時の国王が「実の息子」以上に可愛がっていたし、国民も「礼宮さま大好き」だったんです。今の国王なんて全然人気なかったですしね。

礼宮=タイで、ゆえに結婚式にも特別にシリントン王女が参列したのです。

その後「タイの愛人説」などが出て来るとは考えなかったでしょう。

最後、「本当に失礼な質問ですが、紀子さんは礼宮さまが初恋ですか」

紀子さん:申し上げてよろしいですか。

礼宮:どうぞ

紀子さん:はい。そうでございます。

 質問されて驚いた紀子さんが礼宮を見て笑い、礼宮もますます照れている様子が初々しくて好きです

さすがに29歳の小和田さんには出来ない質問ですからね。

 

人間ね、30年以上連れ添っていると気持ちも覚めるし、喧嘩もするし、すれ違うし、結婚の時はあんなに好きだったのにって思うけど、秋篠宮ご夫妻は変わらず仲がおよろしくて、それは国民の模範となってますよ。

紀子様はより秋篠宮の後ろに隠れるようになってしまい、それはちょっと悲しいなと思うけど。眞子様の事は一日足りとも忘れていない筈ですし、その気持ちを思うと何とかして差し上げたい。

けれど、いつか雪は溶けると思って欲しいです。

なかなか頑固で親の事なんかみじんも考えない平成3年生まれですけど、そんなものだと思って下さい。

本当にご結婚記念日おめでとうございます。

 

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1989年にタイムスリップ 礼宮殿下と紀子様の恋

2024-06-29 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

6月29日は秋篠宮両殿下の結婚記念日なので再掲しますね。

 

毎日毎日、愛子天皇派による「愛子様美しい。天皇にふさわしい」

「雅子さま、お綺麗」を見ていると、本当に心が折れそうになります。

皇位継承権のない人になぜ「即位」を求めるのか。

小和田恒の宿願だからでしょ?あのじーさま、やたら元気で目が光っていておかげで皇室も日本も左傾化するばかり。

浄化するものはやっぱり佳子様とか~~紀子様の可愛い映像かな。

そういえば、もうすぐ秋篠宮両殿下の結婚記念日ですね。

結婚34周年かな。

本当に変わらずお若く、仲睦まじく。

そこで一生懸命映像を探したけど、色々消されてここも雅子さん一色になってます。

それでも見つけた映像をご覧あれ。

まず、これはまだ日本のマスコミが正常だった時の映像であり、ナレーションであること。

変な思惑もなく、素直に皇室を敬い、礼宮殿下と紀子様の結婚を祝福していること。

当時、1989年の8月に突如、「礼宮さま、婚約」のニュースが飛び込んできたわけですがその時の庶民の驚きと喜びったらなかったんです。

 昭和天皇が亡くなるまでの3か月間の重苦しい雰囲気

これはみんな経験した事で、1月7日に昭和が終わり、2月に大葬の礼が行われいわゆる「喪」期間になったわけで、皇族方の活動も制限されていました。

しかし、喪というのは段階を踏んで明けていくもので、礼宮の婚約が報じられたのは、その第一段階が明けた時ですね。

 写真週刊誌に記事を書かれる

私はその頃は「へえ、そんな人いるのか。でも本当かな」くらいに思ってました。要するに礼宮殿下に彼女がいて、同じサークルに入り、学友たちが冷やかしてるみたいな記事だったので、一人や二人・・と思っていたら結婚という話が出て、びっくり。

しかも、川嶋紀子嬢は何と可愛らしく、控えめでお父さんはイケオジで。って感じ。

で、このビデオでは皇室ジャーナリストの川原敏明氏が「結婚は無理と思っていた」という風に言っています。

その理由は「身分がある」から。

つまり正田家のようなブルジョアじゃない、学習院の教授の娘だったと言う事が問題だと河原氏は言ってたんですが、小和田家との縁談の時には沈黙ですね。

川嶋家は清貧で知られていたのは事実。

教員官舎に住んでいるなんて、今まででは考えられませんので。

しかし、「学ぶ」事には贅沢で川嶋氏は妻子を連れてアメリカへ、そしてオーストリアへ留学。

紀子さんが学習院女子中等科に入った時は日本語よりドイツ語の方が得意だった「帰国子女」でした。

 沢山の学友の姿

もの番組には礼宮様と紀子さんの学友が出てきます。同じ学校ですからみんな良家の子女。

みんな言葉を選びつつも、同等に宮と会話している風がとてもいいし、紀子さんについても「上品な人」という事で好かれていたんだなとわかります。

そう、兄の浩宮と違って礼宮は交友関係が広いし、付き合いも深い。

学生時代はサークルなどを通して日本を歩いていた・・・悠仁さまが行っている「国見」をしていたわけですよね。

この中には後に紀宮のお相手となる黒田さんも入ってます。

取材する側としては非常に楽だったと思います。

 福祉に興味がある紀子さん・・・・

ここで、非常に興味深いナレーションが。「福祉に興味があった紀子さんは、施設を回って特に自閉症の教育に熱心だった」

え?そうなの?こりゃ初耳。

紀子様といえば手話というイメージですが、まさか自閉症児に関わっていたとは。

何だかここに運命的な出会いがあり、ゆえに眞子様も佳子様も自然に女一宮と接する事ができていたと言う事ですね。

 川原敏明氏「宮邸は100坪、200坪」発言

これまた、そうだったっけ?というような感じで。

つまりこの時代、皇室に関わってきた人の考え方としては

礼宮殿下は天皇の息子で内廷皇族。皇位継承権2位の男系男子。だから新居は三笠宮邸や高円宮邸よりも大きくなるのは当然。7LKくらいだろう」と言っていたわけです。

私も、新居は新しく建てるものだとばかり思っていたんです。

まさか、築40年の職員宿舎に住むなんて誰が考えたでしょう?

今、旧秩父宮家を改装し、やっと「皇嗣」としての役を果たせるようにそれなりに大きくなった邸を「贅沢」というマスコミの気が知れない。

では、なぜ高円宮邸はあんなに大きいのか、なぜ三笠宮邸は大きいのか。

週刊誌にはわざわざ職員宿舎を改造して宮邸にした理由を「兄より早く結婚し、しかも学生だから」と美智子さまがおっしゃった・・・と書かれていました。

婚約会見では「誰も反対はしなかった」と言っていた殿下ですが、本当の事を言えば皇后が「兄より早く結婚するとは何事か」と相当お怒りだったのではないかと。

息子の新居はボロでも、自分達の宮殿は全く新しく建てた事を思うと、本当に上皇后は自分達の事しか考えていなかったんだなと思います。

今もって「皇嗣」の住むべき東宮御所に居座っているんですからね。

 

でも、今考えるとあの時、結婚を強行してよかったんですよ。

その後の苦労を思うと胸が張り裂けそうですけど。いつか、きっと穏やかな日が来ると私は信じています。

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両陛下 IN イギリス 7

2024-06-28 07:00:00 | 皇室報道

今回の訪問で思ったのは、天皇陛下単独と、夫婦でいるときの「扱いの差」です。

単独の時はみんな寄って来るし、親し気だし、それなりに敬意を払っている。

でもそこに「愛人」みたいな皇后がいるとあからさまに不愉快な雰囲気が漂い、みな白い目で見始める。

気が付いてないのは天皇及び皇后だけという、まさしく「裸の王様」状態ですね。

 

ちょっと余りものの写真から。

 この裾の広がり・・が、憧れだろうなと思います。宝塚を見ているとこういう帽子にリボンはよく見ますが、大抵は10代の役の子が被るし、その際の服はバッスルスタイルだったりします。

せめて中が半袖ワンピだったら別かなと思うけど。

普通、パレードが終わって宮殿に入る時には記念写真を撮るそうですけど、遅刻のせいで時間が押して、国王達はさっさと中に入って行きます。未練がましく振り返る皇后。

 帽子にレースで花。いっそ生クリームでも塗りたくればよかったのにと思います。

 すでにしわくちゃなスカート。気のない顔。

老けていると言われている顔。実は日本ではかなり「修正」が入っているんだろうなと。

 これが本来の顔。

ここでもカミラは不愉快そうな顔です。

正直、目に見える範囲外で相当な立ち居振る舞いの悪さが目立っているんじゃないかと思います。ドレスにしても、遠目から見ればまるでカミラと皇后は制服を着ているような。

そう、日本の新年祝賀の儀とそっくりな風景ですよね。

イギリスのメディアは「MASKED EMPRESS」について、「カミラの美しさや気品を引き立てる結果になった」と書いてます。

カミラ王妃はセンスもないし、顔も老けているし髪もざんばらだし。それでも皇后よりましって話でしょう?

馬アレルギーに関しては、そんな皇后を馬車に乗せた王室が悪いと言われているようで、王室アンチに格好のエサを与えたような感じになってしまいました。

相手国に対し、「害」を与えてしまう存在。

そして、イギリスさえもその「害」からは逃れられなかった。

こうなるとヨーロッパの王室は軒並み「日本の天皇皇后に会いたくない」と思うでしょう。

本当に海外はこれが最後かもしれませんが、自分が蒔いた種だし、仕方ない。

さて、翌日は、天皇陛下単独でクリック研究所に。

顕微鏡を見るの、楽しそうですけど・・・・

モニターがフリーズする珍事があり「モニターも緊張している」と言われて大笑い。

 

そして王立音楽学校へ。

やっぱりクラシックが好きなんだろうと思います。

もっと音楽に関係するような公務があったらよかったのに、なんでお呼びがかからなかったかな。本当は水なんか興味ないでしょう?

顔を見ればわかるんですから。

 

そして「シティ」の晩さん会。これは非常に盛大で格式の高いものでした。

日本では「金融街」と訳されていますね。

でも、この装束がすごくて・・・「ミー&マイガール」のビルが着てたあれ。

エジンバラ公もいますが、妃は欠席。その理由は「わからない」とされてますが、つまり皇后がいないので遠慮したという感じでしょう。

でもみんな明るくて楽しそうですよね。

よほど嬉しいのか、爆笑してますが。

ああ・・・皇后といる時、こんな楽しそうな顔はしないでしょう。

相当ストレスたまってるなと同情はしますが、でも自己責任だし。

こうやって天皇は、今後も海外でのみ笑顔で楽しそうにするんだろうなあ。

こんなの耐えられないけど。私なら。

自分を大事にした方がいいですよ。陛下。

今からでも遅くないから弟の所へ行って、思い切り食べるなり飲むなりして、皇居へ帰らず那須かどこかで一人で生活すればいいんじゃない?

いっそのこと仙洞御所にいりびたりになるっていう手もありますよ。

 

今週の新潮が珍しく皇后の「遅刻」に言及してますが。

部屋にこもって出てこないらしい。

時間になっても出てこないし、お付きは催促出来ない。

なぜなら皇后に物言えるのは天皇一人のみ。その天皇がいいって言ってるうだから口を挟めない。

「体調の波」が激しいっていうけど、今回、何で大野医師が付いて行ってるのか。

遅刻させない為じゃないの?

それとも本気で愛人なのかしら?

だって彼の旅費も税金ですから。イギリスに行くだけ行って、ホテルで遊んでばかりでは意味がないですよね。

「体調の波」と「遅刻」に関連性はないと思います。

単に、でかける時間から支度をしているだけではないかと。

「時間を守れない」のは発達障害にはよくある事で、それを「自分のせいではない」と言い張るのも特徴かな。

つまり自分でそれを自覚せず「私はおかしくない」と言い張って今まで来てたけど、とうとうそうもいかなくなってきたという事では。

愛子内親王も遅刻癖があるようだし、母と娘でそっくりですよね。

大野先生の行動認知療法は全く役に立たないという事がわかりました。

そんな配偶者と子供を持つ世帯主の辛さ。

やりきれないよね。

 

そうこう言ってる間にもうお別れです。

 

皇后はどこの事務員なの?という服装。

カミラはブルーのドレス。チークキスは2回ずつ。

長話で・・・ほんと、長話で。またも国王が促してるし天皇陛下も早くいかなくちゃなあという感じなんだけど。

車の中からお手ふりしている雅子皇后。

ここは会釈じゃないか?

上も下も同じなのかい?

 

 

 

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両陛下 IN イギリス 6

2024-06-27 07:00:10 | 皇室報道

ではいよいよ晩さん会ですけど。

怒り心頭で・・・わかります?私の気持ち。アンチはわからないでしょうけど。

悪いけど、天皇皇后は何しにイギリスへ?留学自慢に行ったのか?と。

多賀さんが「ほらほら、あれがガーター勲章です」と嬉しそうに言ってたけど、何で格下の王室から貰った勲章がそんなに大事やねん。

きちんと日本からも大勲位菊花章頸飾が贈られてます。国王の胸に輝ているじゃないですかっ!!イギリス様様なマスコミって最低。

カミラ王妃、また白かいと思いましよね。全然ティアラの色とあってないと思いましたが、とりあえず「紅白」のつもりなんだろうと。

で、皇后派クリーム色の・・またレース。

せっかくのティアラがひっくり返りそうな勢いで。

 

すごい刺繍が入ったレースなのに・・・それにっ!

何が許せないって。何で手袋しなかったの?

長いの。半袖ならグローブしないとダメでしょ。

ダイアナのような若かりし頃は、手袋なんか・・ってやってても、それが似合ってたから。だって若さが違う。腕には年齢がばっちり。だからカミラは長袖なんですよ。

雅子皇后の腕の色が変に見えるのは私だけかな。

まだ還暦なのになんでこんなさえないのを。

カミラの不愉快そうな顔と雅子皇后の感極まった顔。

そうかそうか。そんなにイギリスに来たかったのね。もう思い残す事はないでしょう。体調の波がひどくて最近は遅刻ばかりで回りに迷惑かけまくっていることだし、帰国したら出てこなくていいですよ。

ソフィア妃のティアラはキャサリン妃のものだそうです。

 

そして何が怒髪天だったかというと、天皇のスピーチです。

せっかくあちらが日本語で「英国におかえりなさい」って言ってくれて、日本の文化に触れたスピーチを披露して下さったのに、天皇はそこでたどたどしい英語でぶちかますという失礼。

普通の会話ならまだしも、「僕は英語話せます」とばかり本場の英国で英語でスピーチするなんて、恥を知らないのか?

こういう時こそ日本語で話すのが筋でしょう。

正直、あちらさんは何を言ってるのかわからなかったんでは。

また、内容がひどい。

温かい歓迎のお言葉を頂き、ありがとうございます。国王王妃両陛下 この度は、私と皇后を国賓としてお招きくださり、訪問の実現に向けて国王王妃両陛下を始め貴国の皆様から多大なる御配慮と御尽力を頂いたことに、心から御礼申し上げます。

敬愛する故エリザベス2世女王陛下に御招待を頂いてから、新型コロナウイルス感染症の影響を受け、こうして約5年の月日を経て国賓として英国の地を訪れることができましたことは、誠に喜びに堪えません。

先ほど、国王陛下は、長きにわたる二国間の絆に触れられました。

本日の午後には王室コレクションの我が国ゆかりの品を拝見し、改めて日本と英国の間で長きにわたり織りなされた交流の歴史を振り返ることができました。

私自身、英国で学び、多くの人々と関わり合い、中でも王室の皆様には大変温かく接していただくなど、両国の交流の一端を担ってきたことを うれ しく、また、有り難く思っています。

日英両国には、友好関係が損なわれた悲しむべき時期がありましたが、苦難のときを経た後に、私の祖父や父が女王陛下にお招きいただき天皇としてこの地を訪れた際の おも いがいかばかりであったかと感慨深く思います。

 イギリスは戦争に触れてなかったのに、なぜ今、80年前の事を蒸し返すのかわかりません。上皇夫妻が訪英した時と時代は遥かに変わっていて、今、ヨーロッパはロシアの脅威にさらされて、太平洋戦争の事なんか覚えている人はいないし、わざわざこちらから口にしなくてもいいと思うのです。

 

そして、計り知れぬ努力をもって、両国の未来の友好のために力を尽くしてこられた人々に、皇后と共に深い敬意と感謝の念を表します。

 私の祖父は、1971年の晩餐会で、日英両国の各界の人々がますます頻繁に親しく接触し、心を開いて話し合うことを切に希望し、また、私の父は、1998年に同じ晩餐会で、日英両国民が、真にお互いを理解し合う努力を続け、今後の世界の平和と繁栄のために、手を携えて貢献していくことを切に念願しておりました。

 これも余分な話です。なぜわざわざ媚びるみたいに昭和天皇や上皇が訪英した時の話をするのか。自分はどうしたいのかがさっぱり見えないんですね。

 

現在、我々の社会は、ますます多様化・複雑化し、地球規模の各種課題に直面しており、世界全体で一層英知を結集しこれらの重要課題の解決に努める必要があります。

 政治的な話題はタブーなのに、なんと踏み込んで。回りが暗い気持ちになるってわからないかな。自分の誕生日会見じゃないんだから。

そのような中、日英両国民の長年にわたる心を開いた話し合いと真の相互理解への努力が実を結び、両国が連携・協力して世界を 牽引けんいん している分野が、これまでも、またこれからも 数多あまた あるということを大変嬉しく思います。

例えば、日英の科学者の最先端の医学研究による世界への貢献です。

ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授の研究で知られるiPS細胞は、同賞を共同受賞した英国のガードン博士の先行研究の成果を踏まえたものであり、再生医療に革新をもたらしました。

明日訪れる予定のフランシス・クリック研究所でも、がん研究やインフルエンザへの対応において日英の若手研究者を含む多くの関係者が協力し、新たな挑戦に取り組んでいます。

 ここらへんも、軽く触れる程度にしておかないと、ノーベル賞自慢しているように聞こえます。

また、昨日は私的にテムズバリアを視察いたしました。

テムズバリアは、1953年に起きた英国史上最悪の北海高潮被害(the 1953 North Sea Flood)を踏まえて建設されました。

英国における高潮予測の発展には、日本人研究者の石黒 鎮雄しずお 博士、日系英国人でノーベル文学賞受賞者の作家カズオ・イシグロ氏のお父上が重要な役割を果たされました。

石黒博士は、英国の研究所に迎えられ、北海の高潮の正確で迅速な定量的予測を実用化しました。石黒博士がその研究から発展させたアナログ計算機は、カズオ氏によるとBBCドラマ「ドクター・フー」(Doctor Who)のタイムマシーン「ターディス」(TARDIS:Time And Relative Dimension in Space)の内側のようだったとも聞いています。

石黒博士による電子工学と海洋科学の学際的イノベーションは独創的であり、今を生きる日英両国の研究者にも、時空を超えて大きなインスピレーションを与えているものと思います。

 ここもね、例えば「英国が誇る偉大な脚本家であるシェイクスピアに、近代日本は多大なる学びを得て、さらに近年では「レ・ミゼラブル」に代表されるミュージカルが盛んになっており、帰国でも日本のミュージカル「千と千尋の神隠し」が成功を修めて事に非常に喜びを感じます。とか言えば「ふむふむ」と聞く気になるんじゃないか?

まるっきり、文化的な話題がないってどういう事?

ダウントン・アビー」は日本でも大ヒットしました」とかね。

 

 今回、国王陛下がパトロンを務めておられる王立キュー植物園を23年ぶりに再訪し、「ミレニアム・シード・バンク」による絶滅回避のための種子保存の取り組みなどについて視察することを楽しみにしています。

 この部分は秋篠宮殿下ならさぞや素晴らしいスピーチをされるだろうと思います。せめて「私の甥である悠仁親王は米の品種改良などに興味を持ち、宮邸にビオトープを持っています。国王陛下ご夫妻にもぜひご覧頂きたく。環境問題は甥の方が上です」とか言えよ!!

国王陛下が気候変動や生物多様性等の問題に情熱と危機感を持って取り組まれてきたことに敬意を表するとともに、日英の多くの人々がこうした環境問題に関心を持ち、諸課題の解決に力を尽くしてきていることに勇気付けられます。

「ミレニアム・シード・バンク」には、東日本大震災の津波被害により高田松原で数万本の松が倒れる中で唯一残った「奇跡の一本松」と同じアイアカマツなどの種子が岩手県から寄贈されたと伺っており、 強靱きょうじん 性や震災からの復興、そして日英友好の象徴として永く保存されることでしょう。

最新鋭の技術を駆使したパフォーマンス・ラボラトリーの視察など、王立音楽大学を再び訪問することも楽しみにしています。

また、皇后と共にV&A(ヴィクトリア&アルバート)子ども博物館を訪問し、日英の子供たちと交流して、両国の文化や芸術が、国や時代の枠を超えて子供たちにどのようなインスピレーションを与えているのか、 じか に感じられればと思います。

さらには、皇后と私が留学し、一学生として英国の生活・文化を経験したオックスフォードの地を訪れ、国王陛下の母校のケンブリッジ大学ではありませんが、日英間の学術・研究・教育分野での協力や若い世代の交流の促進に少しでも貢献できればと考えています。

 「国王陛下の母校のケンブリッジ大学ではありませんが」はよけい。テレビでは「ライバル校であるケンブリッジ」と訳されていて、一瞬、国王が苦虫を潰したような顔になった事、わかりませんか?

 60過ぎた夫婦がいつまでも「オックスフォード」に拘るなんて失笑ものです。まるでオックスフォードに行かないとダメみたいな言い方じゃないですか。ウイリアム皇太子は違うでしょう?嫌味に聞こえます。

 昔、本当に昔、チャールズ皇太子の時、ケンブリッジの大学の式典で彼は「日本の王子がどこに留学したらいいかと相談してきてくれたら、ぜひオックスフォードじゃなくてケンブリッジを勧めたのに」って話していたのをものすごくはっきりと覚えています。

学校歴も学歴も自慢するものではありませんよね。

皇后も留学した事を自慢しているようですが、もしダイアナ妃が生きていたら「花嫁学校出なの」と馬鹿にしたのでしょうか。

 

日英関係は、長い年月をかけ世代を超えた人々の交流を通じて育まれてきました。今回の英国訪問を通じて、両国の友好親善関係が、次代を担う若者や子供たちに着実に引き継がれ、一層進化していく一助となれば幸いです。

我々の時代においては、国王陛下からも言及があったとおり、政治・外交、経済、文化・芸術、科学技術、教育など、実に様々な分野で日英間の重層的な連携・交流が加速しており、日英関係はかつてなく強固に発展しています。

裾野が広がる雄大な山を、先人が踏み固めた道を頼りに、感謝と尊敬の念と誇りを胸に、更に高みに登る機会を得ている我々は幸運と言えるでしょう。

今後とも日英両国がかけがえのない友人として、人々の交流を通じて真にお互いを理解し合う努力を たゆ みなく続け、永続的な友好親善と協力関係を築いていくことを心から願っています。

 ここに杯を挙げ、国王王妃両陛下の御健勝と、日英関係の更なる発展と世界への貢献、そして両国国民の末永い幸せを祈ります。

 本当に日本語だったら・・・国王がわざわざ「乾杯」って言ってくれたのに。

自分が気が付かないだけで、回りをいらっとさせ、むっとさせ、そして「何をそんなに自慢してるんだよ」って気にさせてしまう天皇皇后。

日英関係終わったなって思いました。

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両陛下 IN イギリス 5

2024-06-27 07:00:00 | 皇室報道

ご質問があったのでお答えします。

あのファッションは皇后の好みなのか? 私は絶対にそう思います。断言します。

私達の世代はバブル期でボディコンとトレンチコートが流行っていて、とても可愛い服を着るっていう感覚がなかったんですよ。

働いていればスーツばかりだし。

30代の頃、天海祐希が退団する頃、東京宝塚劇場の前にはピンクハウスを来た若い女の子が沢山いて、ちょっとだけ羨ましかった。

そして、今になると「あの時着たかったものを着たい」と思うようになるのでは。

私もそうですが、そういう思いをばっさりと切ってくれるのが姫で「似合わない」とずばり言ってくれるので諦めが付きます。

 

そういえば、結婚の時、あの変なドレスを作った森英恵さんが嘆いていたとか。

「首を隠せ」「袖をつけろ」としつこくて、結局ああいう感じになったらしい。

紀子様は若い頃からパステルカラーが似合って、理想の「可愛い」服を沢山着ていらして、とても羨ましかったですが、そんな紀子様も恐らくは今は佳子様のアドバイスで「きつくなりすぎず、可愛くなりすぎず」という路線を保っておられると感じています。

皇后は最高の地位を得て、誰も反対しないから「リボン」に拘るようになりましたよね。

リボン一つとっても、大きさや形で似合うように出来るのに。

このレースも上質素材なのに白に白を重ねているから映えません。

スカートの切れ端みたいなのって、上着の裾とか袖先では見る事もあり、若い人が着れば涼し気に見えるかも。でもレースが重なって「切れ端」になったんですね。

チャールズ国王のハンカチーフ、カミラ王妃のアクセにさりげなくピンクを入れて「さくら」をイメージしてくれているというのに、どこにもイギリスカラーを取り入れる事のなかった皇后は全く「気遣い」を知らない人です。

私はカミラが好きじゃないけど、でも、彼女のむっとした表情が続いても「嫌な人」とはいえなくなりました。

ダイアナのような紅白ワンピを着なさいとは言わないけど、少しはイギリスの歴史や文化に敬意を表したらどうかと思います。はげしく。

カミラのにこりともしない顔。マスクしている皇后に驚く人達。

馬アレルギーの整合性をつける為にここまでやるかって。

本当にアレルギー持ちなら歓迎式典会場ですでに鼻水やくしゃみアナフラキシーショックを起こしていてもおかしくない筈なのに。

真横にいても全く面白くないわというカミラの顔。

そりゃね。デコレーションケーキ被ってマスクしている変な女が隣では恥ずかしいよね。

で、結局、このレースは脱いでしまった。

 このスカートのすそも綺麗な模様が入っているのに、全然生かせなかった・・・しわばかり目立つ。

バッキンガム宮殿の日本に関するコレクションを国王夫妻、ウイリアム皇太子、エジンバラ公夫妻に案内されているんですけど。

何でこんなに色が黒いのか。

興味ないのに偉そうに・・・って感じでしょ。

カミラもたいがい品がないなとソフィ妃と比べて思ってしまうんですけど、でもそれ以上に品がない雅子皇后陛下。

それからウエストミンスター寺院で、無名兵士の墓に供花。

ここでも白か・・・冷蔵庫というあだ名があったけど彷彿とさせるわね。

皇后陛下はどうしてバッグを前に持ってくるかな。

みっともないんだよね。

寺院見学。

いくら意見が言えないといっても、「国益」に関わる事です。

 

「ひるおび」では多賀さんがめちゃくちゃハイになっていましたし、特派員だかの女性は「チャールズさん」とか言って無礼な態度。

晩さん会に焦点をあてて、パレードにはちらっと触れて。

マスクをしているのは馬アレルギーで、馬車に乗っている時にくしゃみをしないように。風邪をひいているわけではありません」とか言ってましたが。

それが失礼なんだよっ!日本人は騙せても英国人は騙せません。

国王と天皇が仲がいいってのはわかりますけど、カミラと雅子では、どっちもどっちで決して相いれないものがあるんじゃないかと。

日本コレクションを見ている時も、カミラは他の人と雑談する方が楽しそうだったし。王族らしく興味を持って見ていたのはエジンバラ公夫妻で。

いやーーあの泣き虫エドワードがねえ・・・と同い年の私は笑うのですが。

 

歓迎式典に明らかに遅刻した両陛下。

ウイリアム皇太子は時間通りに着いているので、長話かな。

そういえば、歓迎式典でもあまりに皇后が長話するので国王が天皇陛下をつついて離れたし、カミラがさっさと「こっちよ」と促し、青い軍服の人には挨拶せずでした。

一体、「挨拶」になぜ長話になるのか、私はわかりません。

 

とにかく、今回のデコレーションケーキ帽子にレースは、あこがれの極地。

だったんでしょう・・・・・

 

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両陛下 IN イギリス4

2024-06-26 07:16:38 | 皇室報道

ガーター勲章貰ったんだからもう帰れば?

国民はちょっと恥ずかしい。

まず、ライブで見ていた馬車パレードですけれど。

とにかく来ない!二人が来ない!

国王はイラついて何度も時計を確認。カミラがなだめているような?

側近も話をしてもたせている感じで。

20分は遅れたかと。

そのころ、ホテルではウイリアム皇太子が迎えに。

まず、皇后のこの服にどっきりですよね。

スカート部分がこうなっているのはわざとでしょう。若い人なら似合うかも。

で、レースが全然スカート丈にあっていない。

非常に高級なシルクとレースを使っている事はわかる。

贅沢すぎる程ですけど、これが何とも暑苦しく、さらにいうなら全身デコレーションケーキのよう。

どうやらスーツに上にレースを羽織っているんだろうと思うんですが。

ネックレスは真珠ですけど、目立たないし。長さがあってない。

全身白なので色黒が目立ちます。

しかもマスクをしているのにはびっくり。

馬アレルギーだから・・・の設定ですが、本当の馬アレルギーはマスクじゃなくてゴーグルでもしないと防げないし。1頭や2頭ではなく100頭の馬に囲まれているので、本来はとてもとても。

マスクは不織布ではなく布製のようですよね。

完璧に色被りしているけど、カミラのセンスを際立たせるだけでしたね。

とうとう・・・こんな報道をされてしまいました。

 マスクにもレースがついてるの?

いやいや。

帽子の飾りが20代が被るような飾りで・・・心はいつお20歳って事かな。

姫は「何で着物じゃいけなかったの?」って言いました。

うーん・・・・ねえ・・・・・

このリボン。独身のつもり?

私達、姉妹なの。

バッグもお揃いよ。

 

「もしママがああいう風に馬車に乗るならどんな色を選ぶ?」って聞いたら姫が

「薄いオレンジかな。赤でもいいな。イギリスカラーのリボンつける。それからふとって見えない様にする。あの帽子はないわ~~~」

あれこれ、宝塚もひっぱりだしながら衣装談義は嬉しかったですよ。

そうよね。薄いオレンジでもよかったかもしれませんよね。

何でこうも白に拘るのか。

自分がものすごく色黒だって事、わかってないし、体型もよくないってわかっているのに。

普通のスーツにレースひっかけて、カンカン帽に可愛いリボンをあしらって。

ってセンスが1時代前なんだよ。

 

これからはずっと「MASKED EMPRESS」って言われるのね。

だから朝からパレードの様子は映さないでひたすら晩さん会なのね。

 

続報をお待ちあれ。

 

 

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両陛下 IN イギリス 3

2024-06-26 07:00:00 | 皇室報道

皇后がホテルで「体調を整える」理由は「長いフライトで疲れた」「旅行の準備等で疲れた」からだそうです。

誰だって長時間フライトしたら疲れるし、旅行の準備だって疲れるよね。

でも「来てやった」感が半端ないんですけど。

誰もイギリスに行けと言った記憶はないし、来いと言った記憶もないでしょう。

なのにアン王女には法則発動して、怪我をされました。

乗馬の名手なのに馬に接触して脳震盪とは・・・・呪いとしか思えません。

天皇陛下は一人でテムズバリアを視察っていうか、社会見学。

私は水の専門家。ゆえにテムズバリアという洪水を予防する施設を視察するんだよ。偉いでしょう。えっへん。

へえ、へえ、へえ、そうなんですか~~~すごい。

ここからの景色はいいなあ。楽しいなあ。

テムズバリアってすごいんですね(感想)これでまた「水の専門家」になれたかな。

セーヌ川の水質?フランスに行って視察してもいいかな。

ヘルメット大好き徳仁天皇。でもこれで論文を書くわけではない。

とにかく社会見学が好きっ!

そして日英友好レセプションへ。

主催はグロスター公爵リチャード殿下。

つまり先日ガーター勲章を受けた妃の旦那様。

狭い部屋に押し込められているような気がするけど。

人と人との距離がほとんどない。

まあ、こういうの、皇后陛下は大嫌いだもんね。全員がコロナ菌に見えちゃう。

こんな距離でも平気な天皇が、日本ではやたらマスクしている。

日本差別しているのが天皇陛下なの?

だってこれよ。

囲まれて嬉しそう。そう、昔味わった「敬意」を感じて嬉しいのかな。

答礼のレセプションもしないのにね。

いや、それにしても狭い部屋に・・・・・ははは。

さあ、いよいよ馬車パレード、ここからが本当の国賓です。

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両陛下 IN イギリス 2

2024-06-25 07:00:00 | 皇室報道

ほぼプライベートな観光旅行を税金でさせて貰っている両陛下。

王室からだされたベントレーは、わざわざバッキンガム宮殿を通ってホテルに到着したそうです。

皇后は「体調を整える為」静養に入りましたが、そこが普通の人からはわからない思考なんですよね。

誰でも海外へ行ったら、外に出て色々見たいものです。

しかし、雅子さんの場合は逆で、ホテルにこもりたい。

交通費が勿体なくないの?と思ってしまう。

部屋にこもってごちそう三昧、酒三昧なのか。窓の下に見えるロンドンの街を肴にして。それとも時差ぼけでぐーぐー寝ている?

国賓扱いされるのは25日かららしいので、今はまだ「プライベート」なご良好中という事でしょうか。

陛下は、一人で在留邦人や日本と関りのある英国人と面会

コロナで色々大変だったでしょうね

またか!「色々大変」が決まり文句ですけど、どうしてこうも一般人がいうような事しか言えないの?

「コロナの頃はどんな生活を?ああ、それは気の毒でしたね。よく頑張って」くらい言って欲しいわ。

 

その前にジャパンハウスを視察。

いや、一人だとくつろいでいますよね。

年齢より元気がないように見えるなあ。

本当に疲れているのは天皇陛下のほうかも。

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