1月17日。早朝に神戸を中心とした大地震発生。情報の遮断で首都圏には
正確な情報がなかなか伝わらず。
1月18日。東宮夫妻が出発の為に参内。マサコは出発前の記者会見において
「国内でこういう事が起きている直後に国を離れるという事は大変・・
しのびないという言葉がよろしいんでしょうか・・・そういう気持ちでございますが
あちらにおりましても国内で苦しんでおられる方々の事を忘れず、
一刻も早く立ち直られる事日々、祈っております」
多くの国民もマスコミも、その言葉に偽りがあるなどとは思っていなかった。
誰もが「以前から決まっていたのだから仕方ない」と理解したし、むしろ日本の為に
頑張って欲しいとすら思った。
一部の識者達が「訪問を中止すべきだった」と雑誌に書いても誰も耳を貸さなかった。
1月21日。夫妻はクウェートに到着した。
皇太子もマサコも日本国内での暗い雰囲気から抜け出した喜びで顔が輝いている。
特にマサコは中東の豪華できらびやかな装飾に心を奪われた。
「やっぱり石油の国はお金持ちね。ここに比べたら東宮御所なんて紙で出来たボロ家だわ」
早速クウェートのジャビル首長を表敬訪問。
この時、マスコミはマサコが着ていた衣装に一瞬、目を疑った。
それは鮮やかな真っ赤なドレス。そして大きな真っ白のショールをはおっていたのである。
胸元のネックレスも白で、誰が見てもそれは「紅白」だった。
マサコは豪華な衣装を身につけた事で気分が高揚しており、いつになく喜色満面。
金に糸目をつけないゴージャスなもてなしにうっとりしている。
「紅白・・・って。そりゃあないんじゃないか?」
同行取材のマスコミから一部そんな声が聞こえる。
「だって日本では・・・」
「衣装は最初から決まっていたんだから仕方ないだろう」
「でも何となく能天気っていうか、震災が起きてからまだ4日だぜ。なのに皇太子も妃殿下も
あんなに嬉しそうな顔をしてさ」
「陰気な顔をしたら失礼じゃないか」
でも・・・と思う。一切の陰りがない、まさに水を得た魚のように生き生きと首長と会話し
明日の観光について様々な質問をする妃の姿は、日本では見る事の出来ない姿だった。
マサコは去年から「風邪」と称して公務を休みがちだった筈。
「外国に来ただけでこんなに元気になるとは」
マスコミにとってそれは「最初に感じた違和感」だったのかもしれない。
1月22日、クウェート内の博物館を訪問。見事なピンク色のスーツで置いてある沢山の
お菓子に手を伸ばすマサコの姿をマスコミはとらえた。
マサコにとっては全てが夢のようだった。
金銀にルビーにサファイア。世界中の宝石をあしらった様な豪華な建物の数々。
高い天井、きらきらした衣装。日本では見た事もないような、華やかで重厚な部屋。
水さしですら金で出来ている。シャンデリアの輝きはヨーロッパの宮殿を思わせるし
エキゾチックな砂漠の景色、最高権力者達から最高のもてなしを受ける喜び。
まるで・・・おとぎ話のお姫様になったようだ。
ここでは「ダメ」という事がない。
博物館にお菓子がたくさん並べられている事でもわかるように、全て「お好みのままに」
という雰囲気である。
「夕食に何かお望みのものは?」と聞かれたので冗談半分で
「リードヴォー」と答えた。
皇太子は「リードヴォーって?」と尋ねる。
「仔牛がミルクを飲む時に使う内臓の一部よ。大きくなると消えちゃうの。
ちょっと珍しいけど西洋料理にはよくつかわれるわ」
「へえ、マサコはそういう事もよく知っているね」
皇太子は感心して頷いた。彼もまた国内を飛び出した解放感にいささか酔っている。
なにせ、ここに来る直前の日本と来たら、一日中関西の地震の話ばかり。
笑ってはいけないような雰囲気が漂い、れっきとした公務での外国旅行なのに
犯罪者が逃げるような思いで飛行機に乗らなければならなかった。
クウェートに到着したら乾いた風とサンドベージュの景色が心底心を癒してくれる。
結婚して以来、マサコと東宮職の間で気持ちが休まる暇がなかった。
何がどうしてこんなにもめるのか?というくらい。
でも、ここではマサコはいつも上機嫌だし、同行している侍従も女官も何も言わない。
それが嬉しかった。
その夜のサアド王太子主催の晩さん会では、見事にリードヴォーが出てきて
マサコはびっくりしてしまった。
「こちらにはないものなのでフランスから空輸させたんですよ」
さすがにお金持ちは言う事が違う。マサコは目を輝かせた。
「私達のような階級の人間は、民の幸せを守る事も仕事ですが一方でアラーの
神の恩恵を受ける事も出来る。こんな風にね」
「ええ。素晴らしいわ」
皇太子の物言いはマサコの理想そのもの。ハイソな人間というのはこんな風に
贅沢を楽しむもの。贅沢を楽しむ事に躊躇しなものなのだ。
名残惜しいクウェートを出て23日にはアラブ首長国連邦へ移動。
痛い程照りつける砂漠の太陽の光も今のマサコには少しもつらくなかった。
大胆な色使いの服を着ても変に目立つ事もないし、むしろ賞賛される。
早速、遺跡見学では夫婦でカメラを抱え「どこの景色を撮ったらいいか」と
相談し合った。
結婚してこんなに話をするのは初めてかもしれなかった。
ここでのもてなしもクウェートに負けないくらい素晴らしかった。
ラクダレースは予想以上に興奮するもので、それを特等席でワインを片手に見る贅沢さ。
25日にはハリファ王太子と一緒にサッカーを見る。硬い椅子の席なんかじゃなくて
びっくりする程ふかふかの椅子で、テーブルにはごちそうが並んでいる。
さらにドバイ・クリークを見学し、夜に会食。
そこで出た料理も食べ切れるものではなく、とにかく「これでもか」という程
ごちそうが並べられる。それがこちらの風習なら、何と羨ましい事か。
もはや日本での震災の事など彼女の頭の中からはすっぽりと抜け落ちていた。
そんな日本の皇太子夫妻のくったくのない喜びように、次第にアラブ側が焦り始めていた。
自分達の提供する「石油産国ならではの豪華なもてなし」をこのうえなく喜んでくれるのは
いいのだが、その間、全く憂いを見せない事にむしろ「違和感」を感じたのだ。
「もしかしてあの皇太子夫妻は我々の為に、無理して笑顔を作っているのではないか」と。
「自国での震災を心配する様子すら見せない完璧な笑顔は日本人特有の気遣いではないか」と。
それなら、アラブ側としても誠意に答えなくてはなからなかった。
日本はこれから先も重要な取引相手なのだし、これ以上引き留めてあれこれ連れまわす
事はむしろ拷問に近い筈だ・・・そう考えたのだ。
26日のヨルダンでの晩餐会の席。
きらびやかな照明と大勢着飾った人達、豪華な料理を目の前にして、
ひたすら雰囲気に浸っているマサコの耳に突如、フセイン国王からとんでもない言葉が
聞こえてきた。
「お国の事がご心配でしょうから、どうぞお帰り下さい」
その言葉に皇太子は、ちょっとほっとした様子で「ありがとう」と答えた。
こちらに来て、毎日サッカーだラクダレースだ、見学だ・・・と現実を忘れる出来事に
皇太子は少しずつ罪悪感を覚えていたのだ。
まだそのくらいの分別が残っていた事に、随行員はほっとした。
しかし、マサコはそうではなかった。
「何でもう帰るの?あと2日残っているじゃなの。死海だってまだ見てない。
ここまで来て死海を見ずに帰るなんてありえないでしょう」
「あちらの気遣いなんだよ」
とうとうこの日がやって来たか・・・・またも皇太子はげそっとしてうなだれた。
たった数分前までの上機嫌な顔が一気に怒りに変っている。
「神戸の震災の被害は日々広がっているんだって。その数が戦後最大になるとかいう
話なんだよ。日本は今、真冬だし、住む家を亡くした被災者が救助を待ってたりしているとか。
だから我々も早く帰って・・・」
「そんなの私達には関係ないじゃない!」
マサコは叫んだ。御付の女官がぎょっとする。
「私たちは仕事で来たのよ。皇室外交っていう仕事。地震の被災者がどうのっていうのは
その当事者が考えるべきで、私たちは私達の仕事をすべきでしょう。
あと2日残っているのに、こんな事で帰る事自体、相手国に失礼だし不本意です」
「その相手国から帰った方がいいと水を向けられたのだから、それに従うべきで」
「何よ。みんなして地震地震って・・・・何で私の仕事を邪魔するのよ」
マサコはちくちくと爪を噛み始めた。
「マサコ、爪を噛むのは・・・」
「だったらあと2日、何とかしてよ」
それでもどうにもならなかった。
27日。遺跡見学を終えて飛行場に向かうのに見送ってくれたのは
サルワット妃だった。
「日本の大きな地震災害には私達のとても心を痛めておりますわ。
私達の友好関係でお互いに助け合ってまいりましょう。何でもおっしゃってね」
優しいサルワット妃の言葉に皇太子はにっこりほほ笑む。
「ありがとうございます」
「お国はきっと復興しますわ。信じています」
「ええ。そうですね」
力強い妃の言葉に対して皇太子の返事はどことなく気持ちが入っていない。
それもその筈、皇太子は横で不機嫌に黙り込んでいるマサコが気になって仕方なかったのだ。
朝から一度も会話をしてくれない妻。
皇太子はそんな妻の態度がひたすらサルワット妃に伝わらないように冷や汗をかきつつ
笑っていた。
1月28日に日本に到着した。飛行機の中から見えた日本の景色をマサコは懐かしいとも
思わなかったし、関西方面へ目を向けようともしなかった。