さて。
朝日デジタルの記事で上田久美子が話していたという「推しではなく中身重視の芸術を」という意見。
正直、これは私が30代の時によく自分のブログやHPで語って来た事です。
ネットでは「上田久美子の「推し」発言は宝塚だけの事ではない」という意見も多々ありました。
いわゆる2・5次元とか、アイドルグループの「推し活」を意味しているんだろうと。
確かに私から見ると2・5次元というのは、いつまでも成長しないホストに貢ようなもので作品の良しあしは全く別の話だという事はわかります。
「戦国鍋テレビ」で色っぽい蘭丸を演じていた鈴木拡樹はすごい変わり方をしたけれど、そんなのは一部で、やっぱり彼らには問題があるとは思います。
宝塚においても「話はわからないけど〇〇ちゃんがかっこいいからいい」という人が多いです。
最近でいうなら「リスト」がいい例で、あれは全くの駄作の筈なのにツイッターでは「柚香光がかっこいい!」しか出てこない。
なんでもいいの、れいちゃんのマイティがかっこよければ。
こういうのにカチンと来る気持ちはよくわかります。
そしてこんな駄作でも東京ではチケット難になるって事が許せないんですよね。
年々宝塚のスターがアイドル化していく過程でファンの劣化も目立つのは事実です。
正直、「翼あるもの」を理解した人なんかほとんどいなかったんじゃないですか?
どこの場面のどのセリフがよかったですか?って聞かれても「うーん、わからない。ブラームスそのものをしらないし。でもまー様がかっこいいから」
で終わる。
その昔、花組の「復活」を見て、私の前に坐っていた20代とおぼしき女性達が「話、全然わかんなかったね~~」って言ってるのを聞いて「これは彼女達が悪いのか、わからせなかった演出家が悪いのか?」と思ったものです。
歴史の裏に沢山のエピソードが詰まっていて、その裏の裏の思いを伝えたいと脚本家が思って書いても、実際「退屈」「〇〇ちゃんの出番が少なかった」って言われたらおわり。
30代の私は非常に真面目に宝塚を考えていたので(今もだけど)
「なんで実力あるスターが昇進していかないのか」
「何で作品がひどいのにチケットは売れるの?演出家を甘やかすんじゃない」と真剣に思って怒っていたんです。
でも、渡辺武雄先生に「演出家は自分の作品に合うスターに出会わないと、スターは自分を見出してくれる演出家に出会わないと出世しない。あなたの気持ちはよくわかるけどね」と言われました。
考えてみると植田紳爾が歌劇団のトップに名乗りを上げられたのも、「ベルばら」と「ベルばら4強」がいたから。
小池修一郎が一路真輝に「エリザベート」を与えた事で両者が大きな得をしました。
そういうものなんです。
「劇場が人間関係の消費の場」という言葉の意味は本当にわかりません。
ただ、確かに宝塚にはスターシステムがあって、それを支える「ファンクラブ」とおばさまたちがいて、成り立っている。
その人間関係が崩れたら歌劇団にいられません。
また、劇場というのは大昔から「社交」「見合い」の場でもありました。
本当に舞台が好きな人だけが来るのではなく「お付き合い」とおしゃべり、今後の人間関係の構築の場でもあるのです。
ゆえに、歌舞伎座でも帝劇でも宝塚でも「今日の〇〇は最高でしたわ」という言葉が行き交うのです。
しゃれて上品であか抜けた別世界・・・それが舞台と思っています。
中身重視は10年早い
自分が脚本を書くようになってセミプロの方々に言われたのは「ふぶきさんの作品はお金がかかりすぎて上演できない」です。
そう、舞台を上演するには
箱(劇場の予約)
稽古場の確保
脚本家・演出家の確保
役者の確保
チケットを売る
これらを全部一人でやらないといけないんです。
今までに先輩方の作品をいくつか見て来ましたが、彼らは元々演劇界にコネと顔があり、そのつてで役者を集められるしチケットも売れる。
チケットを買う人の3分の1は業界関係者、として残りは俳優たちの身内です。
最初はそうやって赤字を出しながら作品を発表し、それを見た業界の誰かが「今度、これ書いてくれない?」と依頼が来る。
つまり1にも2にも「お金」です。
それは箱が大きくても同じです。
帝劇が何でジャニーズに貸すのか、なぜ「エリザベート」「レミゼ」ばかり上演するのか。劇団四季は何で未だに「ライオンキング」なのか。
採算を取る為に他ならないのです。
そしてね、上田さん。
外の世界の俳優程「自分の見せ場」に拘るんです。
宝塚みたいに徹底したスターシステムによって不満があっても黙ってる人なんていません。
みんな「私が一番」と思っているから、せっかくいい脚本を書いても「私の出番が少ないから書き直し」が多すぎる。
そういうものにあなたはついていけるんでしょうか?
商業演劇とは
私、自分でいうのもなんですけど、いい脚本を書いているとは思うんです。上演したらきっと楽しいよ、みんな好きになってくれるよって。
でも、とにかく200万か300万のお金がないと始まらない。
そして日本の商業演劇の現在は「人寄せパンダ」によってチケットを売っているのです。
1970年代に上田久美子が生きていたら、それこそアングラ劇場やら蜷川さんとか、三島由紀夫とか「作品重視」の人が活躍する世界にどっぷり浸る事が出来たでしょう。
1970年代の日本は高度経済成長期で、無名の役者が一つの作品の主役をやって出世するケースがあったそうです。
演劇界が役者を育てるという意気込みに満ちていたから。
森光子はその代表格ではないですか?
しかし、現在はとにかくコスパがよくてキャスティングは事務所の大きさとか、とにかくファンが多くて何でもいいから見に来てくれる人を主役に据えるのです。
その役がその俳優に似合うとか似合わないとか関係なし。
何でも井上芳雄、何でも山崎育三郎みたいなね~~そして巧みに入り込むジャニーズ事務所とAKB。
そんな世界で生きていけます?
戻っておいで
結局、「温室の花程外に行きたがる」(BYジャルジェ将軍)なんですよ。
今はオペラの演出できる、留学出来る、みんなが注目してる・・・でも、あと数年経ったら無名になりますよ。
なんだかんだ言って上田久美子のよさを引き出し、好きに作品を書けるのは宝塚しかないと私は思っています。
宝塚歌劇団は大きな間違いを犯しました。
それは荻田浩一と上田久美子を退団させてしまったこと。
この二人の脚本と演出は宝塚には絶対に必要なのです。
宝塚の100年先を見越した時に、名作として残るのはこの二人の作品だから。
夢とロマンを感情で理解している荻田浩一と緻密に作る上田久美子。
この二人こそ、宝塚のスターシステムに必要なのです。
考えても見て下さい。
代表作がないままトップになったスターは哀れです。
スターの個性を知り、それをもっともよく引き出せる演出家を二人も退団させた罪は重い。
木村信司と植田景子を切ってもいいから荻田浩一と上田久美子を雇うべき。
二人とも外の風にあって初めて宝塚のよさを実感する、したでしょう。
単発でいいから作品の提供をお願いして下さい。
そして上田久美子へ。
あなたは頭がいいけど世間知らずで頑固な芸術家です。
頑固さは時に不運を招きます。
世間はあなたが考える程甘くないし、芸術に優しいわけでもない。
イギリスでもフランスでも環境活動家が名画にペンキなどを投げつける時代ですよ。
芸術がなくても生きていけるが彼らの主張です。
それに比べて宝塚は大きな舞台とセリに銀橋、大階段、豪華な衣装に素晴らしい楽曲。こんなに贅沢な事、よそで出来ますか?
私なんて一つ場面転換シーンを作るだけで「金がかかる」と言われてしまう。
遅すぎた人生を嘆くわけじゃないですが、高学歴と勉強に打ち込めるあなたが羨ましい。
頭を下げても宝塚に作品を提供すべきです。
人生、悔いのないように。
飛び出して頑固を貫いても何もいい事はありません。
古くてお堅い人達の頭を柔らかくするにはどうしたらいいか、そこらへんを学ぶべきです。
今後、あなたに必要なのは「社交性」です。
あなたから見たら私達はかぼちゃだけど、わかる人にはわかるから。
あなたの作品が大好きだから。
それと観客も賢くなるべきです。
いつもいつも小柳奈穂子のメルヘン世界がいいわけじゃない。
「清朝」ってどういう世界だったんだろう。
その当時の世界情勢は・・・まで考えながら作品を見て批評してみるべきです。観客のレベルが上がれば座付き作家のレベルも上がる筈だから。