ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

韓国史劇風小説「天皇の母」180(節目のフィクション)

2015-03-10 07:00:00 | 小説「天皇の母」161-

その年の夏、東宮家はタガが外れたような遊びっぷりだった。

7月にいやいや万博に日帰りで行き、その愛想のなさで

顰蹙を買ったマサコだったが、それでも本人的には「達成感」にあふれ

それゆえに「これくらいなら許される筈」とばかりに「静養」につぐ

「静養」にあけくれたのだ。

まず、8月6日。その日は広島に原爆が落とされた日で、

皇居始め、各宮家では「お慎み」と呼ばれる・・・いわば外出をしない日だった。

にも関わらず、マサコはセイロカ病院の夏祭りに行ったのだった。

「原爆の日にそのような外出をされるのはいかがなものかと」

東宮大夫は厳しく言ったが、マサコは

「8月6日に夏祭りをやるって言ってるのは私じゃなくて病院なのよ。

私が合わせているんじゃない」と言い放った。

別に来てくれと頼まれたわけではないが、この病院で行われる

アニマルセラピーには何度か顔を出しているし、

夏祭りとやらは何やら楽しそうだし。

それに自分が顔をだせばみなどれ程喜ぶだろうか。

マサコはすっかりその気になって、回りが止めるのも聞かず

ハイテンションのまま、夏祭りに登場した。

病院側は突然の訪問告知に驚き、しかし、大急ぎで迎える支度を整えた。

入院中の子供達がヨーヨー釣りをしたり、割りばしピストルを作ったり

ちょっとおいしいものを食べたりする程度の祭りではあったのだが、

そういう経験のないマサコにとっては何もかもが新鮮で楽しかった。

特に割りばしのピストルはとても魅力的に見える。

こんなものを買ってもらった事はないし、ましてや自分で作った事もない。

面白そうだし、きっと皇太子も同じに違いないと思って

「一つ頂戴」とせがんでみた。

子供達の割りばしピストルは一人一個を作って遊んでいるのだが、

誰かのものをマサコに献上するしかなかった。

これで女性週刊誌は「ママが泣いた 夏祭りの宵 子育て 生きる事を語り合って・・・」

と書いてくれる筈。

そうすればそれが原爆記念日だろうが誰も文句言わないだろう。

マサコは非常に上機嫌だった。

 

その上機嫌のまま、8月10日に那須の駅についた一家は、出迎えた人々に笑顔で

手を振った。

その頃にはもう、「婦人部」と呼ばれるお抱えの「声かけ部隊」が控えていて

一家が登場すると「マサコさまーーアイコさまー」と声をかける決まりになっていた。

そんな風に呼ばれれば本人は「自分は国民に受け入れられている」と

錯覚する。

そしてテレビしかみない人々もまた、「マサコさまとアイコ様は人気者だ」と解釈し

将来は女帝になるかもしれないアイコ様」に注目するというわけだ。

ある意味、涙ぐましい「カリスマ性」の演出だったが、今の所、みな騙されている。

 

いつも通り、駅で「マサコさまー」と呼ばれるたびにマサコは嬉しくなって一生懸命に

手を振る。

思えば「手を振って声援に応える」という所でしか「皇太子妃」である事を

アピール出来ない。

この一瞬の為だけに「皇太子妃」をやっているようなものだ。

駅前でわざとらしく、アイコの顔の前にかがみこみ「面倒を見ている」風を

装う。アイコは無表情のままだったが、マサコ的には

「母としての慈愛」演出は成功だった。

金色のバンに最初に乗り込むのは皇太子。

駅前で主役なのは皇太子ではなくマサコだったから、皇太子は

後ろの席に追いやられ、次にアイコが乗り込み奥に入る。

そして一番手前、つまり観客から見える場所にマサコが座るのだ。

窓をあけて、華麗に手を振る。

わーー」という声が沢山聞こえる。テレビ取材のクルーも沢山いる。

皇太子妃マサコ様は静養の為に那須にお入りになった」という報道が

マサコにとって喜びの頂点。

病気療養中のマサコ様もお元気な顔を見せ・・・

そして週刊誌は、追いかけてきて「セレブそのままの生活をするマサコ様。

でも籠の鳥のように自由がない。本当は那須だけじゃなく世界中を

旅して歩きたいのに、皇太子妃であるばっかりにそれが出来ない。

マサコ様は国民の為に犠牲になって皇室に入られたのだ」と書いてくれる。

要するに

皇太子妃になってやったのだし、アイコを産んでやったのだから、静養くらいなんだ。

レストランくらいなんだ。遊園地くらいなんだ」という考え方である。

この時は、マサコのそういう考え方が如実に現れた年だったといえるだろう。

 

通常、皇族の御用邸における過ごし方といえば

先帝においては那須で植物の研究、皇太后は天皇の手伝いをするかたわら

日本画を描く・・散策する・・・くらいだった。

民主主義時代の皇太子一家の夏はいつも軽井沢のホテルで

テニスか登山くらい。

現天皇においては那須でも葉山でも近くの農家を尋ねたり・・・

どこまでが公務でどこまでが静養かわからないようなものになりつつある。

一方、各宮家は別荘を持っていたり、あるいは常宿が決まっていて

アキシノノミヤはいつも長野だった。

基本的に内廷外皇族は御用邸を使用できない決まりなので仕方なかった。

しかし、ホテルに泊まるとはいっても、ほぼ一般人と同じような扱いで

あまり外で遊びまくる・・・・という事はなかった。

せいぜい博物館や美術館程度だろうか。

しかし、東宮家の那須静養は、まずは「外食」から始まる。

 

マサコはいつも「この時」を待っている。

東宮御所でどんなごちそうを食べる事が出来てもそれは彼女の

「幸せ」ではない。

大膳が作る料理は栄養を考えバランスを考え、薄味仕立てで上品な

ものだったが、それが全くマサコにとっては嬉しくもなんともないのだ。

高級な三ツ星あるいは4つ星レストランを貸し切って、夜遅くまでワインを

飲みながら好きなだけ食べる・・・これこそが至福。

皇太子も、そういう楽しみ方をマサコに習い、今やすっかり「濃い味」党だ。

そして、マサコにしてみれば「子育て」をしている風を装いつつ

アイコを無視できる絶好のチャンスだった。

レストランの食事はアイコも大好きである。

最近やっとスプーンの使い方を覚えた。フォークはまだダメなので

しまいには手づかみでもまあいいかという事になる。

とにかく食べさせておけば静かだし、眠くなればテーブルい突っ伏して眠る。

でも個室だから誰にも見つからないというわけだ。

店から見れば、夕方6時過ぎに現れて、だらだらと夜中の11時くらいまで

居座る東宮家は迷惑千万に違いなかったが、金払いがいいので断れない。

 

那須入りした興奮からか、マサコはなかなか寝付けずに夜中まで

テレビを見たり、携帯をいじったりしていた。

やっと眠ったのは明け方で目が覚めたのは午後になってからだった。

皇太子は一応、朝はちゃんと起きて、アイコと一緒に朝食を食べ

それから一緒に遊んでやっているようだった。

12日の夕方5時。

思い立って一家はステンドグラス美術館に顔を見せた。

周囲は驚いて道を開ける。それがまたたまらない快感だった。

アイコが珍しく棚のものに興味を示したので籠を持たせてみたら

ぽいぽいおもちゃなどを入れ始める。

タオルにカップにマペット・・・・必要あるかどうかなど考えていない。

欲しいと思ったから籠に入れているだけだ。

買い物する時はお金を出すのよ」マサコはいい、側近から5千円札を

貰い、アイコに渡した。

ほら、これで払いなさい

アイコは何をしているかよくわからないみたいだったが、とにかくこれで

買い物完了。

マサコは、欲望にまかせて自由に籠にものを入れられるアイコに

心から笑った。

私の娘に生まれたからこそ、何でも買える身分なのよ」と。

そういう身分を娘に与えてやっている自分が愛しいのだった。

アイちゃん、買い物出来たね。偉いね」と皇太子も目を細めて笑った。

ついこの間まで赤ちゃんだった我が子が一人で買い物が出来るようになったのかと

感慨深い思いだった・・・・しかし、その「お金」が全部税金である事を

皇太子はまるで考えていなかった。

 

娘をダシにして遊園地で遊べるのも静養のメリットだった。

マサコは小さい頃から遊園地で遊んだ事がなかった。

そもそも家族で一緒に楽しむという経験すらなかったのだが、

殊更「子供時代」の経験に乏しく、ゆえに、遊園地を見ると

妙にトラウマがぶり返す。

自分は親と遊んだこともない可哀想な人間である」という事を。

そこで、遊園地や牧場に出かけた時は、あいこが望もうが望むまいが

メリーゴーランドに乗ったり、動物にエサをやったりと夢中になる。

たかがメリーゴーランド。されどメリーゴーランドである。

木馬に乗ってぐるぐる回るだけなのに、どうしてこんなに楽しいのか

マサコにもよくわからない。

アイコはといえば、全く興味がないようで、そんな娘の顔を見ると

ちょっと不愉快になる。

 

その年は8月15日に花火大会が行われると言うので、昼間は

テニスに明け暮れ、夜からはりんどう湖畔のホテルでフルコースの

ディナーを楽しみながら特等席で花火を見た。

花火のバーンという音をアイコは怖がって怯え、泣きそうになっていたが

そんな事はおかまいなしだった。

むしろ「私の娘に生まれたお陰で、こんな特等席で花火を見る事が

出来るのよ」とこんこんと言い聞かせたいくらいだった。

東宮大夫は

終戦記念日にテニスや花火はよろしくありません」と言ったので

マサコは皇太子にわざと伺いをたてた。

じゃあ、花火大会を延期させる?」と。

皇太子は少し考え、それからおもむろに言った。

両陛下だって終戦記念日にテニスをしていたし。

あれからもう50年以上たっているんだから、そこまでしなくても

いいんじゃない」

皇太子のものいいに東宮大夫は顔色を変えた。

両陛下は忘れてはならない4つの日というのを定めでおいでです。

終戦記念日、二つの原爆の日、それから沖縄戦が終わった日です。

戦争を経験されている両陛下にとってこの4つの日は粛々と過去を振り返る

日なのです」

それとこれとは別だと思う」

皇太子は思わず言ったのだが、この「それとこれとは違う』フレーズは

随分と便利に使えそうだ。

船を貸し切って遊び、有名なパン屋に買い物に出かける。

17日には皇太子が公務の為に一人で帰京したが、マサコとアコは残った。

絵に描いたようなセレブ感に浸りながらマサコは夫のいない休日を

満喫していたのだった。

 

しかし。

一家が那須に行ってから3日後、アキシノノミヤ邸では

天皇・皇后・ノリノミヤを招いて小さな夕食会が開かれていた。

8月の下旬にノリノミヤは両親と軽井沢へ行く。

その他にも公務があるし、宮もキコも忙しい身であった。

それdめお嫁ぐ妹の為に一度は、「宮邸で晩餐」と思っていたが

偶然にも予定が合ったのだ。

皇太子夫妻とアイコは那須へ行っているし、呼んでもどうせ来ないだろう・・・

せっかくの夕食会に場違いな人間を呼びたくはなかったし、

この所、延々と皇太子夫妻には嫌な思いをさせられているので

こんな時くらい・・・と思った。

 

宮邸の木々に宿るミンミン蝉がうるさい程に鳴いている。

真っ赤な夕焼けがあたりを包み、宮家のリビングに日差しを向ける。

キコは侍女たちと一緒に食事作りに奔走し、ノリノミヤの好きなものばかり

用意する。

マコもカコもこの日はお手伝いで、おめかしして客間を整える。

夕方にプライベートな車でやってきた天皇・皇后・ノリノミヤに

マコ達は歓声を上げ

いらっしゃい。おじいちゃま。おばあちゃま。ねえね」と迎える。

ごきげんよう。マコちゃん、また背が伸びたかしら?カコちゃんは

お勉強を頑張っていますか?」

皇后の尋ねにマコは「そう。もう大きいわ」といい、カコはもじもじして

宿題がね・・・・」と言う。

その夜の夕食会は、久しぶりの「団らん」だった。

ノリノミヤは自分の好物を揃えてくれたキコに感謝し

「私もお料理を頑張るわね。ヨシキさんの好きなものを沢山作ります。

妻としての在り方は全部おねえさまを見本にするわ」と言った。

「キコみたいに頑固になってはダメだよ」と宮が言うと

あら、頑固でよろしいのよ。これからの女性はね」と言い返される。

ねえね、お嫁に行くの?」

不思議そうな顔してカコが尋ねる。

ええ。そうよ」

もういらっしゃらないの?」

今度はヨシキさんと一緒に来るわ

ねえねと赤い糸ね」とマコが生意気な口をきく。

まあ、マコ」と紀子がたしなめるが天皇は穏やかに

マコもいつかそんな赤い糸がね・・・」と寂しそうに言った。

私、お嫁になんかいかないわ。ずっとお父様達と一緒にいるもの」

私も

伸びやかな姉妹の言葉に天皇も宮も複雑な笑みを浮かべた。

 

ノリノミヤは溢れそうになる涙を隠そうと顔をそらした。

幾度、この宮邸で昼を夜を過ごしただろうか。

兄たちが公務で地方へ行っている時は、時々来ては

一緒に夕食をとったり、時には店に連れ出す事もあった。

鳥の研究の時はいつもここに泊まった。

キコはお弁当を作ってくれた。実の姉以上の存在だった。

そして、小さい頃から・・・本当に小さい頃からいつも自分を気にかけて

可愛がってくれた兄。

その兄のおかげでヨシキと新しい人生を始めるのだ。

忘れまい。この宮邸で経験した全てを。

皇族でなくなっても、私は妹として、そして内親王達の叔母として

見守り続けていくだろう。

そしてヨシキにとってよりよい妻となろう。

それが自分に出来る精一杯の恩返しなのだから。

 

 

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中国・・・何様

2015-03-09 07:50:00 | 政治

 震災の日を前にして言いたい事。

それは「震災の被害にあったのは福島だけじゃない」という事です。

仕事場で一日中ついているNHKをぼやーーっと見ていると

震災関連は必ずと言っていい程「福島」で埋め尽くされています。

それも「原発のせいで非難を余儀なくされた人々」が中心。

もやもやします。

 3月8日の王外相の記者会見

 抗日勝利70周年式典に安倍総理を招待するかと聞かれ

 「あらゆる関係国家の指導者らを招待する」

   「誰であろうが、誠意をもって来ればわれわれは歓迎する

 「加害者がその責任を忘れなければ、被害者が受けた傷は癒やされる

   「70年前に日本は敗戦したが、70年後に日本は再び、良識を捨ててはいけない」

  「歴史の重荷を背負い続けるか、過去をきっぱりと断ち切るか、

                             最終的には日本が選択しなければならない」

 この式典になぜ安倍総理が行かなきゃならないのかわかりませんけど。

  民主党とか社民党の方々は喜んで行き、涙を流して謝罪するのでしょうね。

 中国は夢でも見ているんじゃないの?70年もさめない夢を。

  

 

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皇室ウイークリー

2015-03-08 11:30:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

2月27日・・・両陛下 → ケンブリッジj公爵と昼食

       天皇陛下 → 通常業務

3月1日・・・両陛下 → 「ノーベル・プライズ東京2015」「HOPEミーティング」合同レセプション出席

3月2日・・・両陛下 → 勤労奉仕団に会釈

      天皇陛下 → 健康診断

3月3日・・・両陛下 → 第3回国連防災世界会議について説明をうける

               海外シニアボランティア等に会う

      天皇陛下 → 通常業務

3月4日・・・両陛下 → 日本学術振興会育志賞授賞式・茶会出席

 

               第3回国連防災世界会議開会式臨席について説明を受ける

3月5日・・・両陛下 → パラオ訪問について説明を受ける

               地域医療の現状について説明を受ける

               新旧警察庁長官とお茶

    天皇陛下 → 離任大使と会う

 

皇太子同妃両殿下

2月27日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈

         両殿下 → ケンブリッジ公爵に会う

3月3日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈

3月4日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈

        両殿下 → 三の丸尚蔵館見学

3月5日・・・皇太子殿下 → 新日鐵住金株式会社君津製鐵所見学

 

秋篠宮家

2月26日ー27日・・・紀子妃殿下 → 福岡県訪問

 ・ れいんぼー幼稚園訪問

 ・ 結核予防会支部長午餐会

 ・ 第66回結核予防全国大会研鑽集会及びシンポジウム聴講,アトラクション鑑賞,

 ・ 全国結核予防婦人団体連絡協議会懇談会臨席,

  ・ 県勢概要聴取

・ 第66回結核予防全国大会歓迎レセプション臨席

 ・ 第66回結核予防全国大会式典臨席,大会議事及び特別講演聴講並びに知事主催午餐会臨席

2月28日ー3月1日・・・秋篠宮殿下・佳子内親王 → 岡山県訪問

  ・ 大原美術館視察

  ・ 倉敷 ダニエル・オストの花と心」展会場視察

  ・ 倉敷中央病院視察

3月3日・・・秋篠宮殿下 → 大日本農会平成26年度農事功績者表彰式

3月4日・・・秋篠宮殿下 → 山階鳥類研究所会議出席

3月5日・・・両殿下・佳子内親王 → 第18回冬季デフリンピック日本選手団代表に会う

       両殿下 → ラオス大使館主催外交樹立60周年夕食会出席

  皇太子殿下・・・・週に3回も勤労奉仕団に会釈するって。掃除なんかしてやらなくてもいいのにと

   思ってしまう私です しかも彼の奥様、絶対にご挨拶しないし、そうかと思えば

   若くてかっこいいイギリスの王子様には会うんだものね。

 デフリンピックとラオス大使館の取材こそしてほしい。マスコミ様。

土曜日。

お友達とお酒を飲みに行きました。

夕方から居酒屋で2時間以上・・・・きりがいい所で出て、

あと一杯だけ、どこかで飲まない?という事になり、カウンターだけのお店に入りました。

そこで色々おしゃべりをしていたのですが。

カウンターには最初私達しかいなかったのですが、後で一人、40代くらいの男性が

入って来ました。

そしてカウンターの中のママさん相手に

「秋篠宮が・・」と話し出したのです。

内容は「悠仁殿下は40年ぶりの男子だった。皇統は悠仁殿下しかいない。

何かあったらもう終わり。日本も女帝でいいんじゃないか。イギリスだって女王陛下なので」

なんて事でした。

私はムズムズしてしまって・・・・黙っていよう・・・黙っているべきだ・・・・そんな心の葛藤を

抱えつつ黙ってうつむいていたんですけど、「女系でもいいんじゃないか」の一言に

プツンと切れてしまい。

ママさんがこっちに来たついでに「今のお話は・・・」と話しかけてしまったんです。

非常にハンサムな・・っていうか、お育ちがよさそうな顔した彼は

「ああ。秋篠宮の話ですね」と答えてくれて。

それから小1時間、皇統の話、東宮家の話、果ては大河ドラマの歴史なんぞの話を

延々とやって。あちらは「本当によくご存知ですね」なんて言ってくれたけど。

後から足が震えてしまいました。

カウンターの中のママさんいわく

一人、知的障害の天皇がいましたよね。学校でそう習いました」というのでびっくり仰天。

何でも学校の先生が大正天皇の小さな写真を見せて「知的障害の天皇」だったというんです。

それにはさすがのその男性も「いや、大正天皇は体が弱かっただけで」と言っておりました。

すごい先生もいたものです。

また、ママさんは「愛子さんと悠仁さんが結婚すれば皇統は安泰なのでは」と言い出し、

これまた彼も私も「いやーーさすがにそれは」と。

彼女は愛子内親王の障碍を知らなかったし、今、テレビで見ても変にはみえないらしいです。

後半は歴史の話ばかりで。

もうちょっと話していたかったような気がするけど、お迎えがあったので失礼しました。

ママさんと彼、あとでどんな会話をしたのかなあ。

いやーーさしでがましかったよなーーとちょっと思ったりして。

彼の職業がどんなものかわかりませんでしたが、インテリ系に見えましたし。

領域を侵されたと思ったらごめんね。ってこんな所で謝ってどうするの。

 

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佳子内親王IN神武天皇陵

2015-03-08 10:25:00 | 皇室報道

 お待たせいたしました。

神武天皇陵参拝の佳子様です

 黒のコートに中はグレーをお召。

何とも厳かな表情でいらっしゃいます。

おのボタン・・・・かなり凝ってるんですね。

神武天皇陵のお付はモーニング着用という事で、より重々しい。

 

 

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佳子内親王IN伊勢神宮2

2015-03-07 07:10:00 | 皇室報道

 

 

ち・・・違うっ 大間違いっ

ほっ 輝くばかりの姫。 アイボリーが似合うって素晴らしいのですね。

平安装束の色の位からすると、女性の白はもっとも高い地位にあるそうです。

後ろ姿も素敵。長い髪がつややかで。きちんと切り添えられて。

 眞子様のドレスはピンクがかったアイボリーなんでしょうね。

上品で神々しいです。

いやーーこういうデザインが似合う人はそうそういません。大きなボタンがチャーミング。

でも何度も言うけどやっぱり襟が素敵よね。

沿道に立っているのは五十鈴川幼稚園の園児たち。ギャラリーが多く、厳かな中にも

国民の「滅多に出来ない経験」にわくわくしている様がわかります。

きゃーーっ!何で何で?

同じ参道をあるいている筈なのにこの孤独感。

ごめんごめん。目が・・・・仕事疲れかしら?軌道修正ね。

激しくコートの中がみたい。

えっとえっと〆は・・・・

 ちょい違いましたーー

 

 

こっちこっち


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佳子内親王 伊勢神宮参拝1

2015-03-07 07:00:00 | 皇室報道

 皆様。お待たせしましたーー日本のプリンセスIN伊勢神宮です。

時々あれって画像が混じるかも。ナス子様の真似っ子してみましたーーー

 

まずは一般の方が撮った写真から。

寒いので白のコトーをお召。中はモンタント?

ハンドバッグをお持ち・・・というのは珍しいかも

でも何と言っても襟がいいわーー 大きな襟が何とも可愛らしい。

 あ、間違えた。

軌道修正。眼福。

 

アップになるとよくわかります。チークが少し濃い目?桜色の頬ですね。

回りをよく見ていらっしゃって、笑顔が可愛い。

白は膨張色なんですが、全然太っても見えず。

また、帽子のリボンが上品で。

 あ・・・麗しの姫姉さま。

 

 

可憐っていうんでしょうか? 匂い立つような内親王。

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少年法ねえ・・・

2015-03-06 18:00:00 | つれづれ日記

 ちょっと正直な思いを書くと、すぐに荒らしがやってくるーー

皆さまに守られて私は落ち込まずにすんでます。ありがとうございます。

韓国で駐韓大使のリッパート氏を切りつけた男の言い分

一人でやった。米国のやつらが正気を取り戻すように、叱ってやろうと思った」だそうです。

10日間も計画を練ったわりにはお粗末すぎる結末で。

だけどこの上から目線・・・・一体何様。

それはパク大統領も同じで。

絶対に許せない」と言いながら「申し訳ありません」の一言もなし。

むしろ「オバマ大統領をお慰めする」と言ったのです。

韓国人っていつからこんな・・・世界的に「上から目線」民族になったのかしら。

歴史認識一つとっても「妄想」がここまで大きくなると病的すぎて。

戦前の韓国人はここまでひどくなかったと思うんです

身分不相応な考え方に行きつくのは、長い間の「身分制」によるもの?

でもあの犯人は北朝鮮と繋がりがあるわけ?

刺された大使が歩いているのに、こっちは怪我しているからって車いすとか

ストレッチャーとか?ひきずっていけばよろしいのに。

で「川崎中1殺人事件」の犯人の事を知りたくて新潮を買ったら。

中川郁子農水政務官の不倫現場の写真がーー

中川って・・・あの中川さん?旦那様は大層尊敬されて保守派の星だったのに

彼女は独身だけど、相手の門博文代議士(妻子持ち)だったからさあ、大変。

グラビアにはばっちりキスシーンが。

仲よさそうな二人の写真も・・・・ 門さんの奥さん、怒ってるだろうな。

中川さんは56歳。ある意味、尊敬しますわ

路上で年下の男性にキスされるーー壁ドンじゃないのが残念ですが

この年頃の女性にとっては「極め付け」だと思いますもんね。

でも二人は雑誌の取材に互いに「自分じゃない」と答えて、じゃあ門氏のお父さんに

聞いたら「写真は息子だと思う」とあっさり認めちゃったので、二人も認めざるを得ず

自分達であると認め「軽率」だったと反省しているそうです。

まあ・・・郁子さん個人としては色々あったし、可哀想な人だし?恋の一つや二つね。

でも、やっぱり相手は独身にしようよ。

自分が傷つくだけだよーー 所詮、門って男は軽薄なだけだと思うしね。

さて。上村遼太君殺害事件の主犯。

舟橋龍一18歳。18にして煙草は吸うわ酒は飲むわ・・・・

川崎ではお酒を買う時に年齢確認しないのか?と思ったりして。

飲ませている店が取り締まられたりしないの?

上村遼太君 → 自分を傷つける先輩をも自ら誘う。

           殴られても蹴られてもニコニコ

           殺される日も夜中に川に入らされて泳ぎ、カッターナイフで傷つけられても

           笑っていた?

 被虐待児童によくいるタイプなのでは?殴られても蹴られても刃物を向けられても

   相手に寄って行ってしまう所に、悲しい程の「孤独」を感じます。

   普通、自分をいじめたり痛めつけたりする人間と仲良くしたいとは思いません。

  だのに彼は・・・・・頸動脈を切られる瞬、目に入ったのはどんな景色だったのでしょうか。

 

舟橋龍一 → 祖母・両親・二人の姉。父はトラック運転手。母はフィリピン人。

          限度というおのがない。弱い者は徹底的に痛めつけ、自分より強い者には

          逆らわず。

 気質的に一旦怒りに火がつくととまらないタイプ。

  家庭環境云々というより持って生まれた性格によるものでは。

  現場検証するのに箱みたいなものに囲われてゆっくりゆっくり歩くとか

  ブルーシートに包まれるとか、まるでVIP扱いですね。

  実名と顔が報道されちゃったから、人権弁護士らが頑張ってこういう形になった?

 

小さい頃から怒りをコントロールする訓練をうけていないので、エスカレートしていったのか。

今、容疑者の父は何をどう思っているんでしょうね。

  

  

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ネットの中で両陛下に叫ぶ

2015-03-05 07:00:00 | つれづれ日記

 職場の事ですが。皆様にご心配頂き、ありがとうございます。

自分としては「仕事以外の話はしない」と

いう所で頑張っております。

3月で契約が切れ、支所には一人しか残らないという事なので、多分私の更新は

ないのではないかと。その点だけは悔しい 

なんだかんだいって、窓口は好きなんです私。

だからこそ完璧に親切に対応したいんですけど・・・おっちょこちょいがねえ。

今年は戦後70周年なんです。

そのせいか、「戦争総括」みたいな報道が多いでしょう?

中国や韓国が今さらのように「謝罪」「賠償」だのを要求し、アメリカまでもが

同調しようとする

そりゃあっち側からすれば「原爆を落とした」負い目を隠したいわけですから

いつまでもどこまでも日本という国を貶めたい・・そうしておけば安心という

感情はあるのでしょう。

だけど、

 自存自衛の為の戦争であったこと

 従軍慰安婦問題は存在しないこと

 日本軍は南方で残虐な事などしてないし、南京においてもそう

 日本は韓国や中国を侵略して等いない事

これらを堂々とテレビで言える人いますか?いないでしょう?

以前も書いた通り、左翼は一枚岩です。

目的は「日本解体」なのですから、その為なら何でもあり・・・・ですよね。

「大日本婦人会」なるおばさま達が(割烹着着てないだけまし?)

戦争をする国はお断りだ」とか「子供達を戦場へ行かせない」とかいう

スローガンを掲げ、一生懸命駅前で演説してたり

共産党の若いお兄ちゃんが「日本は戦争をしないさせない、争いのない平和な国です

とガッツポーズで叫んでいても、正直、私などは

今この国に進んで戦争をしたい・・・という輩がどこにいるわけ?

そんな人達はあっさりイスラム国へ取り込まれて国外へ行くんじゃないの?」と思ったり。

なんせ、イスラム国に邦人が立て続けに殺されても、なおその国へ行こうとする人がいるくらい。

「平和を訴える」とか言いながら・・・・渡航を認めないのは人権無視だ・・・とまで言い出し。

自国の民を守ろうとすると「人権無視の憲法違反」になる。

じゃあ勝手に行けば?殺されたら自己責任ねといえば「自国民を守るという憲法の

理念に反する」という。

じゃあ、どっちなの?

国に莫大な費用をかけさせても、私の命は地球よりも重いとでもいうのかしら?

何か違う・・・どこか違う。

 

戦争はしてはいけない。

誰だってしたくない。平和が一番

だけど、「平和を守る」という事は、

 何もかも私のせいなんです。悪いのは私。私だけが悪いのです。

とか

 ゆえに私をどうとでもして下さい。私を殺し、子孫を根絶やしにして下さい。

と言う事ではありません。

 私はあなたの境界線を越えないから、あなたも超えないで。

 私もあなたも互いの文化を理解し、分相応なお友達でいましょう

という事。さらに言うなら

 あなたが間違った事をしたら怒ります。私や私の家族を傷つけたら

  容赦しません。

という事です。

その意志を表明する事が大事。それが外交なんですよね。

だけど、残念ながら70周年の今年、早々と盛大な「自虐史観キャンペーン」が

繰り返されており、保守派は沈黙。

それくらい、日本は急速に左に傾いているのです・・・・

日本人が日本人としての誇りを捨て去り、うつ病になって自死しかねない状況に。

 

皇室は日本の倫理の鏡であると思いました。

どんな無謀な天皇が現れても、必ず最後は修正していく。

そして最後の砦『国体」を守る事だけは忘れない・・・・と。

でも、今。両陛下に叫びたい。

 2000年続いた皇室を終了させたいのですか。

と。そりゃ、陛下は皇室という「家」の長なわけで、滅ぼすのも続けるのも

勝手といえば勝手かも。それが現在の日本国憲法の理念ですよね。

「家」じゃなく「個人」の幸せこそがもっとも重要だと。

だったら、それでもいいから、皇室を潰す前に私達庶民は叫びます。

 

天皇陛下っ

 私の次は秋篠宮でその次は悠仁であるとおっしゃって下さい!

 私は皇太子とその妻を許さないとおっしゃって下さい!ゆえに出ていかせると!

 慰霊の旅はやめて下さい!

 誕生日の記者会見で「平和憲法」に触れるのはやめて下さい!

 

皇后陛下っ!

 ティアラを外すなんて非常識な事はやめて下さい!

 神道とカトリックをいっしょくたにするのはやめて下さい!

 祭祀をしないのなら公務もしないで下さい!

 身体の不自由を隠さないで下さい!

 

両陛下っ!

 国民に隠し事をしないで下さい!

 皇太子妃を教育できないのなら共に退いて下さい!

 ティアラと皇室の財産のありかをつまびらかにしてください!

 孫達の将来をもっと真剣に考えて下さい!

 

あーすっきり・・・・・しませんね。

 

ウイリアム王子が被災地へ行った時の言葉。

私も母を亡くしたからあなたの気持ちはわかる。あなたはいい父親だ」

なんでそんな優しい言葉を掛けられるのだろう。

ブータン国王は僧侶をお連れになりわざわざお経をあげて下さった。

どうしてそんな優しい事が出来るのだろう。

対して我が国の皇太子夫妻と来たら、せかされてせかされてやっと

被災地へ行くかと思いきや、「あれはだめこれはだめ」と要望ばかり。

両陛下がすぐさまかけつける姿はありがたいというより痛々しくて見てられず。

まるで自分の老後みたいだ・・・と思った方は多いでしょう

しかも心がこもっていないその姿をマスコミは「慈愛」「祈り」と持ち上げるし。

こんなみせかけの姿は見たくないです。

 

日本の国体の長である天皇陛下御自身が昭和を否定しているから

「憲法発言」が出るのです。

以前書きましたが、陛下は「戦争犯罪人」である昭和天皇の贖罪の為に

慰霊の旅を続けているのではないかと思っていました。

だけど、今はこれがもう少し進んで

陛下は「あの日あの時、自分が天皇だったら絶対に原爆を落とさせたり

沖縄戦になる前に戦争をやめてた。いや、その前に戦争をさせなかった

と思っていらっしゃるのではないかと。

まさしく戦後の人間が陥る歴史認識そのもの。

未来からだったら何でも言えるんです。何でも思えます。

 

江戸時代、300年の平和を誇った日本が開国していきなり世界に打って出た。

列強の植民地政策に対抗する為に戦争をせざるを得なかった。

「平和」とは「国を守る」事であると認識していたから。

昭和天皇も同じです。

やるべき時はやらねばならない。どんな決断をも悩みぬいた末の事で

「ああすればよかった。あれは間違っていた」と未来からごちゃごちゃ言うべきではないのです。

今上陛下は少年時代に受けた「トラウマ」のせいで、かなりひねくれた性格に

なってしまったのではありませんか?

どんなに取り繕っても、晩年の今、ここまで「平和憲法」に拘るというのは

昭和の否定に他なりません。

昭和天皇の否定に他ならないのです。

そして、今、皇室の中に巣食う反日の人達はやいのやいのといって

陛下を持ち上げ褒め殺しをし、「皇室終了」に導いて行こうとしている。

バイニング夫人の教育で?GHQのせいで?

いや、それだけではなく陛下の内部にある「父天皇への反発」というものが

今、噴出しているだけではないのでしょうか。

皇太子が誕生日会見で、「祖父としての天皇」を「経験」としてうまく語る事が

出来なかったのも、そもそも自分の父が祖父に反発を感じていたのなら

親しみなど覚えるわけがない。長男というのはある意味、父と母の鏡なのですね。

 

佳子内親王が成年式の会見で「祖父母」としての両陛下について

「昔の事を語ってくれる」しか言えなかったのは、物心ついた時から

すでに親しい関係を築けなくなっていたからでは?

そして祖父母としての両陛下が孫娘達の成年式を無視するというのもまた

異常だと言わざるを得ません。

自分達とよく似ているがゆえに、はれもの扱いしか出来ない

皇太子一家。皇太子家を否定するという事は自らを省みて

否定する事になるから面倒なのでしょう?

世の中の姑とか親ってのはいつもそう。身近にいて世話をしてくれて

何でも甲斐甲斐しくやってくれる嫁や娘より、遠くにいて金の無心をする

息子や娘の方が心配でほっとけない。

そんな感じなんじゃないですか?

一般の嫁ならそこで「老後は知らん!」で済むけど・・・・皇室は。

兄の尻拭いをする次男をないがしろにするだけでなく、細い・・・本当に細い

一本の綱になった悠仁殿下までいっしょくたにするなんて。

皇祖に対して何という侮辱だと思います。

 

仁孝天皇以来、皇位継承はいつも綱渡り。ハラハラドキドキ

いつ皇統が絶えるか・・・ああ、また親王が一人世を去ったと

涙に明け暮れ、でも奇跡のようにお育ちになった天皇が決死の思いで

皇統を繋いできたのです。

明治天皇は、一体何人のお子を亡くしたと思って?

やっと生き残った大正天皇は毎年のように生きるの死ぬのって

大変だったんですよ?

そんな小さな細い東宮を守り育て次世代につないだのではありませんか。

それもこれも「天皇家」を守る為でしょうがっ!

今、最後の頼みの綱である悠仁親王に対して

「ただの宮家の子」扱いする両陛下を皇祖神はどう思うでしょうか。

近代の皇位継承者でもここまで軽く扱われている親王があるでしょうか?

軽く・・・というなら秋篠宮家こそ、筆頭宮家、直宮、後の天皇家の筈なのに

両陛下方がそれを認めていないかのような振舞。

そんな事が許されるのでしょうか?

ネットの中でしか叫べないから叫びます。

でもこの叫びをもっと大きくすべきです。

両陛下は間違っておられると

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」179(駆け引きのフィクション)

2015-03-04 08:15:00 | 小説「天皇の母」161-

本当にお美しいですわ

支度の間に飾られた純白のローブ・モンタントを見て女官やデザイナーは

ため息をついた。

生地は皇居で育てられている小石丸が吐きだした、日本最高の絹である。

純白であるが、その艶は光を浴びて時々銀色に輝いた。

本当にこれでいいの?」

皇后は別のため息をついて目を伏せる。

たった一人の娘が嫁ぐ。その時はどんな支度をしてやろうかと色々自分なりに

考えて来た。

かつて自分は母の手によって、ディオールのドレスに身を包み

十二単を着て、華やかなティアラをつけたものだった。

馬車に乗って成婚のパレードをする時は、「現代のシンデレラだ」と言われた。

婚約が決まってから成婚の儀に至るまでの日々は

夢のようだった。

「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンのように、裾広がりのドレスを選び、

あるいはレースのベールをかぶり、あるいは外国製のローブ・デコルテを作る。

記者会見の日、手袋の長さが足りないと旧皇族や華族にののしられた事を忘れはしない。

だからこそ、母は誰よりも立派な支度をするのだと誓い、出来うる限りの事をしてくれた。

入内するにあたっての白生地や足袋、調度品なども全て誂えだ。

ショウダ家家の名誉にかけて」と。

同じ事を娘にしてやりたいと願っていた。

ノリノミヤは生まれながらの内親王だ。

しかし、生まれた時からいつか「降嫁」するという事が決まっていた娘でもある。

そう思って教育して来た結果なのか、ノリノミヤは小さい頃から「物欲」がなかった。

おしゃれも、メイクもアクセサリーも。

そして「結婚」においても。

あと数か月で結婚式だ。

ヨシキと住む予定のマンションは決して広いわけではない。

だから荷物は最小限にすると言い張り、全てを置いて行こうとする。

新しい箪笥を作りましょう」

おたあさま、マンションにはクローゼットがあるからいらないのよ

そんな事言ったって着物にドレスに帽子もしまうところがないと

ヨシキさんのお母様が使っていらっしゃるのを一つ頂く事になっているの。

それにドレスも帽子も必要ないでしょう?」

じゃあ、テーブル・・・」

二人で住むんですもの。今あるので十分よ」

何もかもいらないと言い張る娘の気持ちが全く理解できなかった。

そして今回のドレスである。

どこからみても「基本型ドレス」にしか見えない。袖が大きく膨らんでいるわけでもないし

襟にレースがついているわけでもない。

ただただシンプルなだけ。

いいの。私、このドレスを着るのが夢だったの」という。

そして披露宴を食事会ではなく茶会にすると言い出し、あげくの果ては

おたあさまの振袖を着せて下さらない?」という始末。

おたあさまの着物はどれも素晴らしいものばかり。私、憧れていたのよ

確かに、自分が持っている着物はどれも最高のものばかりだ。

生地も柄もそのコーディネートも考えに考えて誂えて来た。

皇太子妃とアキシノノミヤ妃が納采の儀で身に着けていたあの帯も

自分が授けたものだ。

あえて二人の妃に帯を新調させなかったのは姑としての気遣いだ。

「皇后からの賜りもの」というステイタスを与える為だ。

かつて皇后様が納采の儀でお召になった帯を妃殿下方が受け継がれ・・・」と

週刊誌の見出しを飾った時は、本当に嬉しかったものだ。

しかし、これが娘の事となると話は別である。

着物は時代を超えて受け継がれていくものではあるが、それはそれとして

娘には振袖を新調してやりたかった。

朝見の儀に着る十二単は「即位式で誂えたからいらない」と言うし。

何もかも「お古」でいいなんて。

そうね。好きなものをお選びなさい

一緒に新婚の家具を選ぶ楽しみも、衣装を批評する喜びもアクセサリーを

誂える楽しみも与えてくれない娘なのだった。

 

一方、東宮御所では、東宮大夫からの要請にマサコがヒステリックな声を

あげていた。

絶対に行かない。万博なんて大嫌い

中部地方で行われている万国博覧会は、皇太子が名誉総裁である。

始まった頃から皇族方が訪れて花を添えている。

4月にはオランダの王太子夫妻が来日し、アキシノノミヤ達が接待していた。

博覧会もオリンピックも世界に「国力」を示すよい機会であるし、

それに伴って政治家や王族が訪れる事も多く、皇族の仕事が増えるのである。

皇族が万博を訪れる事によって、より国民の興味をそそる。

最大の宣伝力なのだ。

なのに、マサコは絶対に行かないと言う。

皇太子殿下はもう何度も行ってらっしゃいますが、妃殿下が一度も現地を

視察なさらないのは

私は病気なの

マサコはつんとして言った。横にいる皇太子もうんうんと頷く。

しかし、静養には行かれるわけですし。このまま那須などに行けば

必ず批判が起きます」

東宮大夫にはわかっていた。

マサコはいわゆる「適応障害」と言われて半年以上、ほとんど公の場に

姿を現すことがなくなっていた。

毎日、夜中まで起きているかと思うと昼過ぎまでねる始末。

それに対し、オーノは一切何も言わず

今は好きな事を好きな時にやる事が治療」などといい、全てにお墨付きを

与えている。

生真面目なご性格だから出来ない事をあれこれ悩まれるのです。

いっそ、生真面目をおやめになられれば楽になりますよ

そんな甘い言葉を真に受けて、マサコは苦手な早起きをやめ

気がむいた時だけアイコに接する・・・出かけたい時にでかける

食べたい時に食べるというような生活を始めていた。

そんな風にだらだらした生活をしていると、「公」が怖くなる。

1時間なり2時間なり緊張感を持って背筋を伸ばして座っている

という事そのものが面倒で嫌な仕事になってしまうのだ。

知らない人間に見られる事、相手に気を遣うこと、愛想笑いをすること

全てが面倒でけだるくて・・・そう思ってしまうともうだめだ。

何もかもやる気が失せてしまう。

やる気がないのにやれやれと責められるのはもっとも腹が立つ事だ。

妃殿下」

東宮大夫の訴えるような目にもマサコは何の関心も示さなかった。

 

万博ぐらい行ってやれ

オランダからの電話に嬉々として受話器をとったマサコは

父の思いがけない言葉に絶句した。

そもそも私がこうなったのは誰のせいなの?お父様のでしょ?

私は嫌だって言ったのに無理やり皇太子と結婚しろって。

私、ずっと外務省にいたかったもの。外交官になって世界を飛び回るのが

夢だったのよ。それなのにお父様のせいで・・・・」

またそれか。いい加減にせんか

いくらだって言ってやる。一生言ってやるから。お父様のせいで

私の人生はめちゃめちゃよ」

受話器を持つ手が震え、マサコは大粒の涙を流した。

しゃくりあげる声が遠く離れたオランダの邸内に響き渡る程だった。

だからお前の好きなようにさせているじゃないか。医者をつけて

病気認定してやったし、今や誰もお前に逆らえまい。有識者会議が

始まってアイコに皇位継承権が出来れば本当の意味で怖いものなしだ

まるでニンジンをぶら下げられた馬のように、マサコは大きく

目を見開いた。

本当にアイコに皇位継承権が?」

ああ。コイズミ内閣ではもう既定路線だ。すぐに決まるさ。

ウヨクが何と言ってもな。日本国憲法では男女平等が高らかに

歌い上げられている。天皇の次は皇太子。そしてその次は

皇太子の直系の子供が継ぐのが当然なのだ。たとえそれが

女でも。そしてアイコが女帝になったら、しかるべき皇配をつけて

アイコの子供が次の天皇になるのだ。オワダの血が皇統を

牛耳る」

そんなに簡単に行くかしら。あのアイコが結婚するなんて考えられないけど

女帝の夫になれるなら話は別だろう。今の総理大臣は

女帝と女系の違いもわからない奴だ。

素直に世界的に長子相続が普通といえば納得する。非常に合理的だ」

そんな先の話はいいわよ。私は今の事を言ってるの。外務省にいれば

自由に外国にいけたのに、今はどうよ。強制されてあっちへ行けだの

こっちへ行けだのって

「だから

電話の向こうでイラつている。

そのうち、外国にも行かせてやるから万博ぐらい行ってやれ

本当に?」

夫の言う事は無視で来ても父の言葉は無視できないマサコだった。

 

そして盛夏。夏真っ盛りの猛暑日。

日帰りで行く事で何とか納得したマサコだったが、終始不機嫌さは

隠せなかった。

それでも、一応、宮内庁からは

マサコ様はこの訪問を強く希望された。体調が万全でない中

皇太子殿下が名誉総裁を務めているので、必ず訪れたいと希望。

さらに9月にはアイコ様を伴って行きたいとおっしゃった」と発表された。

そんな風に言われたら、回りはみな期待する。

しかし。当日のマサコは、とても「公式訪問」とは思えない程の

よれよれのスーツに身をつつみ、髪もよくとかしていないのでは

ないかと思われる格好で登場。

万博関係者らを戸惑わせた。

 

華やかな皇太子妃の登場に、さぞや場が明るくなるのでは

ないかと期待していたのに、新幹線を降りて登場した皇太子夫妻は

全てを拒否しているような冷たい雰囲気を漂わせていた。

マサコの表情は硬く、それが「病気」のせいだと言われたらそれまでだが

熱がある様子もないし、天気もいいし、一体何がそんなに気にいらないのか

みなはかりかねる。

それだけではない。

マスコミの取材設定の場所を厳しく決められ、立ち位置、皇太子夫妻からの

距離まで測られ、さらに質問するな、カメラのシャッター音を鳴らすな

フラッシュはやめろと、うるさい事ばかり。

案内する万博関係者も「よけいなことを話しかけるな」と厳しく通達されていた。

それでも、少しでも和ませようと、モロゾーとキッコロが出迎え、一生懸命に

愛想を振りまいたが、マサコは一瞥しただけで通り過ぎた。

モリゾーとキッコロは炎天下の中、30分も立ち続けて待っていたのに

見事に無視されてしまった。

これにはさすがのマスコミも驚き「病気が重いのか」と・・・・あとから考えれば

ちんぷんかんぷな事を考えたりした。

マサコはそこにモリゾーとキッコロというキャラクターがいた事すら覚えていなかった。

暑いし面倒だし、今は帰る事だけを考え、早く終わりたい一身だったのだ。

 

皇太子夫妻が訪れるパビリオンは限定され、しかも事前にそこへ行く事を

告知していず、突然、規制線がはられ入場者を足止めしてしまったので

一般人からのクレームが相次ぐ。

「何で最初に言わないんだよ。予定が決まっているなら言ってくれよ。

そしたら来ないのに」

「予約してたのに入れないって?一体誰の為の万博なのか」

国民の怒りは至極もっともだったが、関係者も宮内庁も無視した。

とにかく、マサコに機嫌よく帰って貰わなくてはならなかったから。

 

最初のイギリス館で皇太子は案内役とにこやかに握手をしたがマサコはしなかった。

ただ後々「英語で会話をした」事だけが取り上げられる。

大地の塔では

芸能人が待ち受けていて

あの万華鏡を見ながら手をつなぐと幸せになれるんですよ」と言うと

コウタイシがにこやかに手を繋ごうとしたが、マサコは硬い表情のまま

ほんの少し手に触れただけだった。

(手をつなぐなんて気持ち悪い)とマサコは心の底から思った。

冷凍マンモスを見て皇太子は

これは何の役に立つのですか」と聞き

マサコは「足の裏は普通のゾウと同じですか」

「マンモスの毛の長さはどれくらいですか」と聞いた。

そのちぐはぐさに、何と答えてよいやらわからない程。

 

どこにいてもカメラが待ち受けている事にマサコは苛立った。

カメラの前に立たなくなって随分になる。

見られる事が嫌いではないのだ。

ただ、自分の許可なくそこにいるという事が気にいらない。

馬鹿にされているというか、軽く見られているような気がして

本当に頭に来る。

マサコはわざと笑顔を作らなかった。

それがマスコミと無理やりここにこさせた宮内庁への「仕返し」だと思った。

そう思えば少しは気が楽になる。

 

結果的に皇太子夫妻の万博訪問は大失敗だったのであるが

宮内庁は何とかそれを「成功体験」にしようとやっきになった。

そこで東宮大夫は記者会見で

予定通りのスケジュールをこなせてよかったと思う」と言った。

妃殿下は暑さの為、体調が少し悪かったのですが、それでも

頑張っておられた。パンツスーツだったのはこれが公務ではなく

あくまでも「足慣らし」私的な訪問と受け取って頂きたい」

さらにマサコからの言葉として

途中ではその後の行事が難しいと思うことが何度もありました」

「それでも期待に応えたかった」

「会場で「お大事に」と言われて励みになりました」

ち紹介。

全て嘘ばかりだったけれど、それにあらがう力のあるものは

もう誰もいなかった。

 

まるで目に見えないものがあるかのような「病気」報道に

国民はどう受け止めたらいいのかわからなかった。

いわゆる「心の病気は自分が悪いのではない。頑張ってと言ってはいけない。

おいつめてはいけない」などのキャンペーンがなされるような時代であったので

マサコの「適応障害」という病気も、同じように接すればいつか

それが半年後か数か月後になるかわからないけど、普通に戻るのだと

まだこの時点では信じていたのである。

 

その後、マサコが万博を訪れる事は二度となかった。

一緒に連れて行く予定だったアイコもまた行かなかった。

アキシノノミヤ家は家族であるいは夫婦で何度も足を運び

熱心に見学したし、天皇と皇后も何度も行った。

特に皇后は頸椎を痛めている為、ネックカラーをしてまでも

訪れ、関係者をねぎらった。

しかし、名誉総裁の妻は日帰りで一度だけだったのだ。

さらに、皇太子が単独で万博を訪問する陰で自分は

ハーバード大学関係の講演会に出席すると言う

意味不明の事までやってのけた。

マサコの行動はすべて「治療の一環」で片づけられ

もはや怖いものなど何一つない状態だった。

 

 

 

 

 

 

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18歳容疑者の父のコメント

2015-03-03 07:00:00 | つれづれ日記

 佳子様画像追加。

一緒にいるのは正田さん。皇后様の弟さんの妻。

 

一方、中国入りしたウイリアム王子。

 習近平って人は誰にでもこの表情なのか?国際的に

無礼な人だと思う。

そんな人に親書を渡す皇子。女王陛下から?なんで?

 上村遼太君が殺された事件。

内実が明るみになればなるほど、これ、本当に子供同士の事件なの?と

思わずにいられません。やる事なす事ヤクザ・・・・

そして今頃、神奈川県の教育委員会は

「不登校1週間以上で何をしているかわからない生徒を見つけ出して解決を

だそうです。

事件の解決に際して神奈川県警の対応が遅すぎると批判を受けていますが

教育委員会もちょっとズレまくりなんじゃ?

 

ところで早速容疑者父のコメントが。

何でも息子が犯行をを認めた事にショックを受けているんですって。

本当に「無実」と思っていたのですか?

っていうか、これだけ弁護士を通じてコメントする加害者の親も珍しい。

今回は、息子が警察に任意同行すら求められていない時点で、

ネット上で息子が犯人ではないかという情報が流れたため、

自宅前が騒然として近所の方にご迷惑かける事態となってしまいました。

そこで私はそのような事態をなんとか収めたいと思い弁護士の先生に相談をお願いしました。

 また、私が息子に確認したところ、既に一部報じられているとおり、

息子は今回の殺人に関与してはいない。

ただ、目の周りにアザが残る傷害には関与しているという

話をしていました。

そこで息子自ら警察に行ってきちんと話をした方がよいと言うことで、

先週金曜日の朝、息子は川崎警察に任意出頭致しました。

 そういう経緯がございますので、今回息子が殺人容疑で逮捕されたこと。

そして、そのことについて息子が認めているという報道を聞いて、

大変ショックを受けており、これについて今はまだ言葉が見つかりません。

 息子には、自分の知っていることは全て話をして、真摯に捜査に協力して欲しいと伝えたいです。

また私自身も、警察に対して正直にお話しし、捜査に協力していく所存です。

 皆さんにはご迷惑をおかけし、本当に申し訳ありません」

 どこか他人事のように見えるのは私だけ?

  まず川崎警察署に任意出頭した事・・・・・だから偉そうにタクシーで乗り付けたのね。

  怖いものがなかった。容疑が固まるわけないとふんでいた。

  だけど、世論が高まり、そういうわけにはいかなくなった。

 引っ張られてもいないのに、回りが「あいつが犯人だ」と噂してうるさいから

  タクシーで乗り付けてやった。

 そしたら「自分がやった」と言うから驚いちゃったって?

  ショックを受けている → 言わされているんとちゃうか?的な?本当に本人がそういったの?

  という疑いの気持ちが見えます。

 犯行を認めたにも関わらず「捜査に協力して欲しい」あるいは

  「捜査に協力していく所存」としている所が何とも他人事。

  というか「息子は無実」と思っている感じですよね。

  本当にやりきれないよなあ・・・・・

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