よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

Visas for Life と 杉原千畝

2008年07月28日 | アメリカ通信
今、手元に杉原弘樹さんの名刺がある。いただいたのはかれこれ10年位前だろうか。

その日、アトランタで杉原千畝を偲んで、長男 弘樹氏の講演会があった。そもそも杉原千畝を知ったのは、NHKか何かのドキュメンタリーだったと思う。そのご子息の話というのだから願っても無い機会であった。

会場はそれ程大きくなく、日本人とアメリカ人が半々くらい。お母上幸子さんの執筆した「命のビザ」を弘樹さんが英訳し、その発刊記念の趣旨で各地を回っているとの事であった。氏はアメリカの大学を出てサンフランシスコ在住である。

講演も終わり、最後に質問の時間となった。来ていたアメリカ人は年配の夫婦連れもおれば、若い兄弟姉妹のようなグループもいた。しかし皆、命のビザを貰って生き延びた当事者の子供か孫である。彼らの間で手が挙がり始めた。そして出てきた言葉は、親から話は聞いている、おじいちゃんから話を聞いている、今我々がここにいて生きているのは全てセンポのお陰だ、と。本にもあるが、センポというのは千畝という字、チウネの発音が難しいので、当時センポと呼ばれていたらしい。

センポに助けられたユダヤ人達は、あのカウナスからある者はヨーロッパの自由諸国へ脱出し、ある者はアメリカへ生き延びた。生き延びた地は異なるが、皆、連綿と家族の歴史の中に「センポ」の話を語り継いでいるのであろう。会場から次々と感謝の言葉が飛び出してくる。聞いているうちに涙が出てきて止まらない。周りを見ると、日本人は皆泣いていた。

あの時代、国家と「人間」の二者択一に直面し「人間」を取ったセンポ。その為、戦後はいわば国賊に近い汚名を着せられ不遇の時代を過ごすことになるが、世界に散らばったユダヤ人達は忘れていなかった。

(写真の本は弘樹氏が翻訳した英語本である。)

燃え始めたアメリカのサッカー

2008年07月25日 | サッカー
ワイフとお揃いでベッカムのTシャツをオンラインで買った。買ったらいつでも着ればよいものの、最初にいつ着ようかとお互い初着のタイミングを模索中なのである。アホな話だが。

先日、アメリカのサッカーが上昇の風に乗り始めたとのニュースがあり、うれしい限りである。日本もJリーグが出来るまでは苦節何十年だったが、アメリカもここに来て漸く「始まった」というところだ。その原動力は二つあると思う。ひとつはサッカー気違いの中南米の、所謂ヒスパニック連中のアメリカ流入だろう。政治的には非合法移民の問題もあるが、それはさておき、間違いなく彼らが増えたから当然ファン層が増えた。もうひとつは、なんといってもデイビッド・ベッカムが来たとこだ。

通常の試合でスタジアムが一杯になることは無いのだが、ベッカム所属のギャラクシーの試合は何処へ行っても殆ど埋まる。ベッカム効果は抜群だ。

アメリカのスポーツは野球、バスケ、アメフト、それにアイスホッケーが加わって4大メージャースポーツとして、アメリカ人が熱狂している。アイスホッケーが何故そんなに人気があるのか、いまだに分からないが。これらは、はっきり言って頭打ち状態。バスケでは、国内ドラフトを振って、イタリアなどの海外チームと契約する選手が出てくる始末だ。

スポーツ業界も、これからはサッカーと踏んだのか、人気盛り立てに工夫をしている。例えばケーブルでスポーツ専門のESPNというチャネルがあるが、このオンラインTVで世界中の主だった試合が見れる。Jリーグも見れるし、オリンピックの為か、中国リーグも見れると言う寸法だ。誠に重宝している。

思えば、70年代だったか、神様ペレと皇帝ベッケンバウアーを招いてニューヨークコスモスというプロチームを作り、アメリカでサッカーを根付かせようと試みたが、当時は残念な結果に終わった。しかし、ナショナルチームとしてのアメリカは決して弱くなく、世界ランキングでも大体20位前後。日本よりは実力は上だ。そして、何よりもアメリカのサーカー熱を支えてきたのは、世界をリートしてきた女子チームである。小中高の女子サッカー層は非常に広く、リーグ戦も活発だ。女子ワールドカップでは常にドイツと白熱のチャンピオン争奪戦を展開しているのだ。

さて、10月始めにオハイオにベッカムのギャラクシーが来るので、車を飛ばし(10時間くらい掛かるが)行くつもりをしている。Tシャツはその時まで着るまいか。どうもワイフも同じ考えらしい。

魔の金曜日

2008年07月16日 | ビジネス横丁こぼれ話
13日の金曜日、ではないが、アメリカ人にとっては「魔の金曜日」というのがある。

アメリカと日本の雇用形態は全く違うから、日本からマネジメント目的で派遣された日本人は大いに戸惑い、想像も出来ない問題にぶち当たり、もがきにもがくという寸法だ。日本は、基本的に終身就職だから、余程でなければクビになったり、自ら辞めることは無いが、アメリカでは、辞めたり辞めさせられたりは日常茶飯事のことで、慣れるまで時間がかかる。

人をクビにする時、アメリカでは大体金曜日に通告するのだ。これを知らないと一寸した騒動となる。

その日は木曜だった。5時となり、セールスのジェフが「また明日」と言って帰ろうとした。よし坊は彼の顔を見て彼と打ち合わせをする案件を思い出したので、「ジェフ、明日朝、ちょっと話があるのでミーティングしたいがいいか?」と聞いたのだ。一瞬彼はびっくりした表情をしたが、「OK]。何故その時ビックリしたのかは後で分かった。

翌朝、ジェフの担当の顧客動向を聞くために会議室に入った。彼が緊張した顔で入ってきたが、なんでそんなに緊張しているのかツユ知らずである。おもむろに「今日は君のセールス状況をお客別に聞きたい」と言った途端、彼の身体が一気にリラックスするのが直ぐ分かった。

ジェフは言った。「それを聞いて安心した。実は昨日は眠れなかった。何の落ち度があったのかアレコレ考えたが、思いつかず、何故俺がクビになるのか、ずーっと考えていた」。今度はこっちがびっくりした。「クビ?解雇? 何の話だ?」。

ジェフは又言った。「アメリカで何の前触れ無く金曜日に話があると告げられると大方クビの話だから、アメリカ人は魔の金曜日と呼んでいる」。

日本では思いもつかぬことである。ジェフにはその場で謝ると同時に、貴重なことを教えてくれたことを感謝した。

深夜ドラマが面白い

2008年07月13日 | いろいろ
最近の民放のコマーシャル枠に自社のドラマ宣伝をやたらとやっていると聞き、その理由がスポンサーの広告離れにあり、そのまた理由が視聴率ダウンから来ていて、ダウン挽回のために、内容より人気タレントで勝負に走り、それでも視聴率が取れず、だから同じ傾向やら系列のタレントをとっかえひっかえで、この繰り返しと言う。

民放は視聴率=広告に反映されるから、視聴率は最優先。分からないではない。しかし、内容ジリ貧スパイラルに入っているのは間違いなく、はてさて挽回策はあるのだろうか。こちとらも、時間つぶし暇つぶしにしょうもないドラマでも根気よく観ているのだが、標準以下が結構多いのは事実だ。

その点、NHKのドラマは骨っぽいのが多く、しっかりしている。視聴率を気にしなくて良いという(そう入っても放映するからには気にしているはず)環境にある利点はあるが、どうせ観るなら丁寧な作品を観たい。

民放で最近面白いのはむしろ深夜ドラマ。未だ売れていない出立ての新人さんが割合軽いテーマのものを演じていて、こちらのドラマのほうが新鮮で面白いのだ。「東京少女」シリーズなんてのは、その類。時間も30分で4~5話なので、いわば、小気味良いのである。

因みに、今節のドラマが一巡した感想だが、ワイフもよし坊も、概ね「全体に面白そうだ」となっている。前節は全体に期待外れではあった。

今日も、よし坊はドラマのダウンロードに余念が無い、そんな毎日、いや毎晩である。ホントに、インターネット技術は大したものです。海外どこにいても、タダでドラマが見れるなんて。感謝。謝謝。カムサハムニダ。

車がエンコ

2008年07月08日 | アメリカ通信
昨日の日曜日、2時間程掛けて州立公園となっている滝を見にいったのだが、悪夢は帰りに起きた。

ワイフの車で行ったのだが、あと10キロほどで家に着く頃、突然変な音がしてエンコした。原因は分からないが、ひどくエンジンがシェイキングして止まった。

古いがぴったりの言葉、エンコ。余談だが、日本語の俗語辞典にエンコとはエンジン故障の他に最近は援交の意味でも使われるらしい。エンコーと延ばさず使うことも出来るので、ちと、ややこしい。もうひとつ。エンジン故障をエンコと略してその後広まったわけだが、日本では相変わらず色々な短縮言葉が横行しており、このエンコを考えると、日本人は昔から短縮言葉創出に長けていたのではないかと思わずには居られない。

さて、本題のエンコの方だが、早速日本で言えばJAFに電話、とりあえず家まで運んで一段落。12年、25万キロ乗ってりゃ相当ガタも来ようというもの。日本にいれば、とっくの昔に買い換えて3台目くらいのところだろうが、しかし、ここはアメリカ。マダマダ乗る気十分である。以前ホンダ系の日本の会社の社長さんに聞いた話だが、あるアメリカ人でメンテを入念にしながら、100万キロ近く走った人がいて、それが記録らしい。日本では到底考えられない話だろう。

そういえば、昔日本の車検制度がおかしいと問題になっていたが、ありゃ確かにおかしい。新車が2年から3年に延びた程度では、やはりおかしい。同じトヨタに乗っても日本じゃ3年過ぎれば2年毎の車検でお金が飛んでいく。アメリカでトヨタに乗ってもそんなことは起こらないから、グローバルの尺度に合わせたら、なんと日本は不合理な国か。

石の上の3年目

2008年07月05日 | ビジネス横丁こぼれ話
石の上にも3年、と言う言葉があるが、今日は、石の上の3年目、という話。

転職が当たり前のアメリカでは人の採用は難しい。日本では、ある程度レベルが集約されている層から選ぶので、大きく外れることは滅多に無いし、何より生活行動文化が同じだから行動パターンがお互いよく分かる。もうひとつには、基本的に終身雇用だから、一旦採用となったら、企業は「じっくり育てていこう」、採用された者は「会社のために頑張ろう」となる。

こんな日本の企業文化で育った人間がアメリカに派遣されて現地企業の経営をやるわけだから、勝手が相当違うことになり、トラブル続出となってしまう。おまけに、海外勤務の平均が大体4~5年だから、余程腰を据えて掛からないと、訳の分からないうちに帰国となるのがオチだ。

会社をスタートさせ、いよいよ本格ビジネス開始の段となり、ロジステイック・カスタマーサービスのポジションに人を採用した。名前はジャネット。移ったばかりの会社でもあり、仕事も新鮮で、最初の一年は兎に角一生懸命に働き、あっという間に過ぎた。二年目は、仕事にも慣れ、日系企業という環境も含め、周囲のことが分かってきた。二年を過ぎる頃には、日本人駐在員の癖、動向も手に取るようにわかるようになった。

ある日、よし坊が外出から帰ると、ジェネットが居ない。残っているものに聞くと、XYZ会社に打ち合わせで急遽外出したとの事。確かに彼女の仕事に関係している会社では有るが、今まで一度も外出の例はない。よし坊は、彼女を信じて、まず、打ち合わせのレポートが出るのを2日待った。が、でて来ない。そこで、彼女に、「XYZ会社に打ち合わせで訪問したらしいが、報告書を書くように」と指示した。その日に詳細な報告書が上がった。内容を見ると、わざわざ出向いてまで打ち合わせをする事柄ではない。
よし坊は、おもむろに電話をとり、報告書にある、面談者3人にそれとなく、打ち合わせの件を尋ねたが、3人共、そのような事実は無いと言う。明らかに虚偽の報告である。外出した日から今までの成り行きを時系列に整理しよし坊なりのメモを作成、会議室に彼女を呼び、事実関係を確認、クビを通告した。

どうも、石の上の3年目は、企業にとっても従業員にとっても、気をつけなければいけない年である。と言うことは,2年目の終わりに実施する人事考課は、「3年目」を乗り越えるための最初の1里塚と認識すべき時期なのだ。
査定する側は、本人の評価をきちんとし、翌年に向けての目標を話し合い、いい意味での緊張感を与え続ける必要があるだろう。
所詮、「人物次第だ、ダメな奴は元々ダメ」と言ってしまえば簡単だが、折角採用した人材である。線路から外れそうになったら、元に戻るために一寸した指針を与えてあげるのも必要。その、「外れそうな時期」が、どうも、3年目のような気がする。



海外進出

2008年07月01日 | ビジネス横丁こぼれ話
貿易立国たる日本は、かつて輸出と言う形で世界を席巻していた。今の中国みたいなものである。その先鋒は「商社」で、世界の隅々までと言って良いほどのネットワークを張っていた。製造業は、ただ彼らに品物を渡していればよかったのだ。

しかし、円高を機に、以後急速に海外での製造を意識せざるを得ず、次々と現地生産工場を建てたり、生産でなくても商社に依存しない、自前の現地会社を設立する流れが一挙に加速して現在に至っているのは周知の通りである。

さて、問題はここからである。文化言語が違うところで、しかも現地の人を雇用してマネジメントすることが始まったのである。この、海外でのマネジメントが相当難しい。その国の言葉が出来りゃいいっちゅうもんでもない。

よし坊も、かつて当地アメリカでの4年間のマネジメントを経験したが、簡単そうで、実は簡単ではないことが良く分かった。その後は、横から色々な日系企業を見る仕事をしているのだが、起こる問題と原因は概ね共通している。そんな中から、色々なエピソードを折に触れて、アメリカビジネスの横丁のこぼれ話としてお届けしようと思うのです。