よし坊のあっちこっち

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Bob Woodward の FEAR

2018年09月25日 | アメリカ通信
ウォーターゲート事件を暴いた、あのボブ・ウッドワードのベストセラーFEARを買い、読み始めた。序章とも言うべきトランプがヒラリーに勝利するあたりの第8章まで読み終わったところだが、今回の選挙戦が今までの既成概念のようなものが見事に外れた、極めて異例な選挙戦であったことを示唆している。

投票の当日まで各メディアも既成の知識人達もこぞってヒラリー勝利を信じて疑わなかった。かく言うよし坊もそうだったのだが。しかも、投票日に行われる出口調査でもヒラリー優勢は揺るぎなかった。そして、当のトランプも全く勝つとは予想していなかったらしい。従って、当選後の組閣準備や声明スピーチなど全く用意していなかったのが実情らしい。それが勝ってしまったのだ。

ウッドワードは著書の中で、選挙戦が一か月を切った頃、テキサスでの講演会で会場の聴衆にどちらを大統領に選ぶか問うたところ、予想外にトランプ支持の手が挙がったことに、異変を嗅ぎ取っている。

2010年、トランプが共和党から出て大統領になろうと決めた時、周囲の誰もが戯言と相手にしなかった。そんな時、長らくアンチークリントンキャンペーンを張ってきた共和党のスタッフ、デイブ・ボッシーが、これも長らくクリントンの周辺スキャンダルの映画製作をやってきたスティーブ、バノンに電話を掛けた。「トランプが大統領選に出たいと言っている。一度トランプに会ってみないか」。バノンも一笑に付して電話を切った。それから6年後、テレビでトランプが共和党の候補者になったのを見て唖然とした。こうして6年前の話はぶり返され、バノンの考え方に惚れたトランプは彼を選挙戦の総責任者に据えた。

ヒラリーとの選挙戦は圧倒的にヒラリー優位で推移していく。トランプの支持率は落ちるばかりで、それは投票日直前まで続いた。共和党の選挙チームの誰一人トランプの敗北を疑わず、共和党のイメージとダメージ食い止めの為、選挙戦から撤退すべきの声が大きくなっていった。それでもバノンは頑として勝利を疑わず、突き進んでいった。

通常の選挙では、政策とともに個人の魅力を徹底的にアピールする。その点では圧倒的にトランプ不利とみたバノンは、最初からトランプ個人のアピールを封印し、既成の政治家にはない、素人の口調でヒラリーの政策とは一味違うポイントを強力に打ち出していく。共和党、民主党を問わず、既成の政治家は同じ口調で大差ない政策を声高に叫ぶだけだった過去の選挙戦に飽き飽きしていた、大きな票田である浮動票を握る、中流以下の若い層に静かに深く広がっていったのではなかろうか。

彼が後に述懐した言葉がある。「私は(大統領選挙)の舞台製作・監督であり、彼、トランプは舞台で演じる役者だった」。バノンがいなかったらトランプ政権は誕生していなかったと言っても過言ではあるまい。

しかし、トランプ政権が出来て良かったのかどうか。これは歴史が決めることだが、政権発足以来、ホワイトハウスの中はハチャメチャでスタッフは大変らしい。そのあたりもこれから本を読むにつれ、「実は・・・」が飛び出してきそうである。

我が街アトランタ(9)共存と繁栄の町

2018年09月17日 | 風と共に去りぬ の アトランタ
南北戦争によって灰塵と化したアトランタの再建で、共存共生を目指した白系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人。白系の代表格はアレン家、アフリカ系はダブス家である。

アレン家のはテネシーをルーツとし、その後テネシーに近いジョージアのダルトンへ移住する。ここで生まれたアイバン・アレン・シニアが南北戦争後にアトランタで起業、その息子のジュニアがビジネスを発展させると共にアトランタのビジネス界で重要な役割を果たしていく。そして1962年~70年までアトランタの市長を務める。

一方のダブス家のルーツはウェスリー・ダブスにある。ウェスリーはジョージアの白人大地主ダブス家の奴隷であったが、奴隷解放後に主人名のダブスを苗字として自由人としての一家を形成する。教育熱心で初代ウェスリーから数えて3代目以降は全員大学へ行かせている。数えて4代目の娘アイリーンと結婚したメイナード・ジャクソン・シニアとの間に出来たジュニアが1973年南部大都市で初のアフリカ系市長となった。

期せずしてほぼ同時期にアトランタをリードしていく役割を担ったのである。彼らを含めた有名無名の人々が肌の色を乗り越えてアトランタを南部第一の都市に押し上げていった躍動感を感じる。

アトランタの繁栄の源は何か。第一に、地理的優位性である。かつて町の名前が起点終点を表すターミナスと称していたように、鉄道のハブであったことで多くの人、モノ、情報が流れ込んだ。これがビジネスの原動力となり、デルタ航空を筆頭にコカ・コーラ、世界最大のホームセンターであるホーム・デポなどを輩出するに至った。

第二は気候であろう。アメリカ諸州の中では極めて気候が安定している。西海岸は山火事と地震のリスク、北に行けば大寒波、東海岸沿いは時折ハリケーンのパンチを食らう。テキサスからフロリダに至るメキシコ湾沿いの州は日本で言うところの台風銀座である。内陸の中西部はトルネードがやってくる。小さな災害が無いわけではないが、アトランタを含むジョージアはこれらの災害が極めて少ない。災害がこの州を避けて通って行くような感じである。この恩恵がもたらすマネー効果は大きい。ジョージアの次に少ないのがサウス・カロライナではなかろうか。

そして第三は、今まで述べてきたように、かつて南部奴隷州のひとつに過ぎなかったジョージアが南北戦争敗退を機に、古い南部オールドサウスから新しい南部ニューサウスを目指すために人種差別よりビジネスによる経済繁栄を優先させるという知恵がアトランタの白系とアフリカ系の間に働いたことである。このことが南部においてアトランタを独特の地位に押し上げた。

アトランタに降り立ってから23年が過ぎた。食事に工夫がいるが、暮らしやすいことだけは間違いない。妻と話をしている。日本に帰る時期は寿命が尽きるちょっと前がいいな、と。さて、そう上手くいくだろうか。神のみぞ知る、である。

映画三昧 - かくも長き不在 念願のDVD

2018年09月04日 | 映画
今から12年前、このブログを書き始めた頃、この映画の事を書いた。アンリ・コルピ監督の手になるこのフランス映画の秀作を観たのは、高校生の時であった。もう50年以上にもなる。

当時よし坊は、「第三の男」に出ていたアリダ・バリに既に虜になっていた。もう一度会える、そんな気持ちで上映先の新宿アートシアターギルドに急いだのである。

戦争の悲しい爪痕を男と女の二人だけで語らせ、悲劇的な最後のワンショットで映画は終わる。強烈な余韻を残す映画であった。

それから時代は変わり、映画が衰退し、全盛であったVHSビデオもDVDに代わり、こじんまりとした佳作秀作の類であっても、あまり儲かりそうにもない作品はなかなかビデオやDVDにはならない時代となってしまった。そんな今から12年前、日本にいる娘から「こんな映画知ってる?」と来たのである。何やら、テレビの深夜映画のチャネルを回したら、たまたま最後の数分間の場面が映ってインパクトがあったらしい。

それ以来、ビデオかDVDがどこかに売っていないか、日本、アメリカ、ヨーロッパのサイトを調べたのだが見つけることが出来なかった。

先日、たまたまインターネットで名前を入れたら、おっ?となった。アマゾンじゃパンで今年の3月から復刻版を売り出した、とある。早速注文したのは言うまでもない。来年日本へ行ったとき持ち帰れるのだから、こんなうれしいことはない。

それにしても、日本という国は、こういう小技を利かしてくれるところが何とも言えぬ。ニッチを生かす日本の「心」と言うべきか。感謝である。

アメリカの良心 ジョン・マッケイン逝く

2018年09月01日 | アメリカ通信
ジョン・マッケインを一言で言うならば、「アメリカの良心」とでも表現しようか。ベトナム戦争を戦い、傷つき、捕虜になり、そして生き抜いた戦士は政治の世界、特に軍事が絡む国際政治の場面でアメリカの行く先を案じつつ、進むべき道へのリード役に徹してきたように思う。ベトナムを生き抜いた経験は彼のゆるぎない信念を常に支えていたのだと思う。

弔辞を読むひとりに自党共和党の元大統領のブッシュを選んでいたのは当然として、大統領選を戦ったライバル民主党の前大統領オバマにも生前依頼していたのはサプライズとして受け取られたが、多くの主義主張の違いを論戦で戦ったライバルへのリスペクトの念が強かったのだろう。それに引き換え、いかにトランプに苦言を呈していたとはいえ、議員が亡くなったことに対するホワイトハウスの半旗掲揚を止めようとしたトランプはいかにも大人げない。