よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

戦争は人命の重さを軽くする

2013年01月25日 | アメリカ通信
人の命は何事にも代え難い程重いと言うが、戦争の局面では、これが軽くなってしまう。今回のアルジェリアのテロ襲撃事件では、この事をあらためて考えさせてくれた。

NYのワールドトレードセンターがアルカイダのテロ攻撃に遭った時、当時の大統領ブッシュJrがいみじくも「これはアメリカに対する戦争だ」と宣言したように、テロリストによる攻撃は”戦争”である。そして、テロリストには絶対妥協しないのが世界の常識である。その点は、日本は世界の生き方とは全く別の方向を向いており、テロリストと妥協してでも人命を優先する。

テロ発生と同時に、そこは戦争状態と変わる。戦争となれば軍事作戦が立案され、相手を壊滅させるための自軍の被害者数、即ち人的被害だが、を盛り込む。誰かが死ぬことを想定しているのである。

拘束され処刑された外国人のうち、日本人の犠牲者が突出したのは偶然なのか。今、専門家やメディアの間で、いろいろな見方が出ている。

よし坊の見方はこうだ。数をアピールする戦利成果として日本人が最も都合が良かったのではないか。

今回事件を起こしたアルカイダ系テロ集団は旗揚げしたばかりと聞く。その存在感を内外に広め、高めるためには、戦果が必要である。海外での軍事力行使が出来無い日本、しかし経済大国としての知名度は抜群の日本人。諸外国に対し、その威勢と恐怖を植え付けるには格好のターゲットと考えてもおかしくない。これがもし、アメリカ人の犠牲者が多かったらどうなったか。あのビン・ラーディンを追い求めたように、執拗に追い詰めるはずだ。だから少なかった。そう考えてもよいのではないだろうか。

これからの企業戦士は文字通り命懸けだ。

桜ノ宮高校事件にみる日本人の弱点

2013年01月24日 | アメリカ通信
この世の中、大きな事件とか痛ましい事件が起こらないと社会の市区いの改善に繋がらないのは誠に残念である。

今回の大阪桜ノ宮高校生の体罰に端を発した自殺の事件がどのように進展するのか注目していたのだが、見ざる、言わざる、聞かざる、を信条とする悪名高き教育委員会の判で押したような’適度な処理と処分’(これが一番始末に悪い)を危惧していた所を、橋下市長の果敢な突っ込みで、何とかその危惧だけは免れた感がある。橋下が市長で良かったと言う事に尽きる。

今回の事件は加害者が全国に名を轟かせている有名なコーチであり、それ故であろう、校長は面と向かって意見を言えなかったフシがあり、二年前アメリカのペンステート大学で起きた有名フットボールコーチに纏わる事件の構図と似ている。

体育会系の体罰やシゴキはイジメと同じ構造だ。イジメの加害者の多くが実はイジメの被害者である実態から見えるのは、自分がやられたら同じことを弱者に対して行うという連鎖のパターン。体育会系では、’精神を鍛える’と言う美名の下に暴力が行使されてきたに過ぎない。

それにしても、あまりに非科学的行為であり、前近代的でもある。シゴキや体罰でチームの力が向上するなら話は簡単だが、そんな事にはならない。全く根拠のない妄想のようなものだろう。

シゴキや体罰が横行する背景には日本人が抱える問題がある。”ロジカルな説明力”不足である。日本人は、元来、ロジカルに考え、それを相手に伝える説明力が極めて弱い。舌っ足らずだから、やたら情緒面に訴え、シゴキや体罰という物理的な力で’説得’した気になっている。これが横行する根本的な原因だろうと思う。理路整然と言葉で説明・説得の出来無い者に教育者の資格など全く無いのだが、まかり通っているのが実情だ。

今や、スポーツで一流を目指す選手が何故海外のトレーニングに参加するのか。そこには豊富な科学的データで裏打ちされたロジカルな説明があり、それに伴う結果が出ているからだろう。

今回の事件、アメリカ流にやれば、コーチは過去の栄誉と資格剥奪に加え刑事事件の起訴対象、そして校長も起訴対象となるのだが。そこまで行かなければ自殺した少年も浮かばれまい。

一味違うブラジルのラブホ文化

2013年01月22日 | アメリカ通信
サッカーの記事を読んでいたら、来年のワールドカップ開催地であり2016年のオリンピック開催地でもあるリオのホテル事情が報じられていた。ホテルの部屋数が足らず、対策の一つとして急ピッチですすめているのが、税の優遇措置で、既存のラブホを一般ホテルへ衣替えさせるというもの。これで約6,000室を確保し、新規建設分と併せ、合計50,000室にするという計画だ。

面白いのは、このラブホテルである。時間制で、他の客と遭遇しない構造、振動ベッドや工夫を凝らした風呂等、ギンギラギンのラブホといえば日本の専売特許かと思っていたのだが、日本とよく似ている。日系移民最大の国ではあるが、こんな話を聞くと、一層距離が縮まる。そして、 確かに似ているのだが、その背景にはいささか違う面もあるから面白い。

世界最大のカトリック国だから、未婚の男女間の規律が厳しい、そこでラブホが定着したという。ブラジルでのラブホの位置づけは若者世代にとっては”なくてはならぬもの”、いわば”必需品”として広く認知されてきたらしい。学校の先生をやっている女性が「結婚前はボーイフレンドとよく利用していた」とコメントしているが、オープンというか、あっけらかんとしていて、流石にラテンだなと思う。

しかし、その厳しい規律も自由化がすすみ、未婚でも家に恋人を招いて、ロマンチックなひと時を過ごすことができるようになるに伴い、未婚の若者のラブホ利用が減ってきているとのこと。そして、今や、ラブホの利用者として、不倫カップルと夫婦がふえているという。興味深いのは夫婦の利用だ。自宅でのマンネリを解消すつのにラブホが一役買っている。

昨日、アメリカで既婚者のセックスライフに関する調査結果が報告されていた。その中の夫婦円満の秘訣の一つに「夫婦でデート」することを上げている。久しぶりに子供を家に置いてデートをする。映画を観て食事をする。更にブラジル風に”ラブホ”と洒落こめば言うことはないのだが。

きっと日本だとこんな会話が飛び交うのだろうな。

夫:今度の土曜日は子供を実家に預けて、昔の気分でデートなんていいな。豪華な食事をして何処かに泊まるのもいいもんだ。どうだい?

妻:アンタ、泊まるなんてもったいない。家ならタダよ。

トホホ、、、

映画三昧 ー 樋浦勉と”ごんたくれ”

2013年01月18日 | 映画
映画やドラマは、主役を誰にするかも重要だろうが、無視出来ないのが脇役である。

脇役の方もいろいろだ。人気抜群ひっぱりだこで、あれにも出てる、これにも出てる、と出ずっぱりの方もいる。あまりに露出度が高いと、食べ過ぎの感ありで、食傷気味になるのは仕方がない。反対に露出度は低いが、地味に頑張っている脇役さんも多い。

そのひとりに、樋浦勉がいる。たまに映画やドラマで彼を見かけると、あの”ごんたくれ”も元気に頑張ってるな、とホッとするのだ。

彼の顔を鮮烈に焼き付けた映画がある。大映映画の「ごんたくれ」で、1966年封切りとある。以来、名前は知らなかったが顔は忘れなかった。

そもそも、この映画は雷蔵か勝新映画との併映だったはずで、これを目当てに観に行った記憶は無い。だから宇津井健と吉行和子が主演であることも全く記憶に無いのだ。夜間高校で不良視されていた、はみ出し者の”ごんたくれ”共を熱血教師がまとめあげて無事卒業させる映画なのだが、樋浦勉は、そのリーダー格を演じていた。

あの顔は敵役だから、その後はあっちで斬られ、こっちで殺され。その勉ちゃんも歳とともに、最近ではいい爺さん役で出ていたりして、なぜかホッとするのである。

H (エイチ)のススメ

2013年01月13日 | アメリカ通信
最初に誤解無きようお断りしておきたいのだが、これはエッチのススメではない。エイチのススメである。

日本語でも日常生活では禁句になっている性的な汚い言葉があるが、英語にもある。俗にFワードと呼ばれている。このFワード、日本同様。アメリカでも禁句であるのは同じだが、日常生活ではかなり頻繁に使われており、女の子の口から「ファッX ユー」などと発せられると、いささかびっくりしてしまうのである。日本で同じ事が起こったら、さぞ大変だろう。

さて、エイチのススメとは何か。

日本人の名前で「福」のつく名前をお持ちの方は、アメリカに来た時にご注意あれ。もう少し正確に言うと、「福」に限らず、英字綴りでFUKで始まる名前は要注意である。Fukumoto,Fukuzawa、Fukita等である。「深沢」などもFukで始まるから注意したほうが良い。

例えば、福本さんがアメリカへ来て、Fukumotoの名刺を出したとしよう。名刺を受け取ったアメリカ人は彼のいないところでおそらく失笑しているに違いない。「ミスター・フクモト?いやミスター・ファックモトだな、こりゃ」と。要するに、Fワードを連想させてしまうのだ。

アメリカにきた当初、街で評判な日本食レストランにいった時のこと。その店は「XX福」という名前だが、英字は「xxHUKU」となっていた。このお店、開店当初は英字もFUKUと書いていたのだが、常連のアメリカ人がHを使ったほうが言いとアドバイスしてくれたそうである。確かに、”鮨を食べながらファッX”では、ちと都合が悪い。

よくよく考えてみれば、日本語で福を発音する時、はひふのふで発音しているのだから、そのままHUを使って表記したらいいわけで、一体いつから日本語の「ふ」は英語で「FU」になったのか、謎である。

還暦過ぎりゃいろいろ出るが

2013年01月09日 | アメリカ通信
人間年とりゃガタが来る。

最近視力の衰え著しく遠くも見えなきゃ近くも見えぬ。11歳からの近眼だから、度が進むのは仕方がない。加えて年だから老眼が進む。ここえきてその両方が急速に悪化した。昨年末からは運転も止め、ワイフの横でおとなしく座っているのみ。パソコンを開けば字が読めぬ。いよいよこれは困ったことになった。

と言うわけで先ほど眼科に行って来たのだが、予想通り白内障のご託宣であった。二週間後に眼底検査を行い、問題なければいよいよ手術ということに、

思えば65のこの年まで大した病気や怪我もなく概ね順調だったが、ゆっくりしろと言うことなのだろう。

今年の秋は運転免許の更新に日本へ行くのがひとつの楽しみだが、10年振りに東京へも足を伸ばすつもり。二年前に高校のクラス会があったはずだから、今年もあれば言うこと無しだ。そして、大学の商英OB会のタイミングが合えば更に言うこと無しだ。奈良に居る娘を連れて東京探索というのも悪くはない。