よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

リア・ディゾン

2007年03月29日 | いろいろ
昨日ブログサイトをチェックしたら、なにやら変なトラックバックが入っていた。以前、いかがわしいサイトがよく乱入していた。最近はチェック機能をいれて、直ぐに表に出ないようにしているが、今回のタイトルが、「リア・ディゾン」とある。

はてさて何だろか、と開いたら、のっけから、キュートな女の子、しかもガイジン。これは、いつもの「いかがわしいサイト」かと、しかし、興味津々でホームページを見ると、Profileとか、Biographyの欄がある。これはいかがわしくないぞ。

アメリカのキュートな女の子が2006年単身で日本を目指し、この2月に歌手デビューしたらしい。既にアメリカにいた頃からネットアイドルとして大ブレークしていたというではないか。確かにカワイイ。魅力は顔の透明感だろう。

でも、何故ニッポンを選んだのだろう。やはり、外タレ天国ニッポンでの「売れ易さ」は有るような気がする。上手く行けば直ぐ全国区のタレントとして認知される。そういえば、韓国から若干14~5歳で日本を目指し、その後ブレークしたBOAもいる。彼女は日本語もモノにし、今では日本と韓国のメディアの間を行ったり来たりで、韓国でも名を上げている。

ニッポン、それもトーキョーは若者文化・流行の発信基地として、時には海外からも注目される。古い話では、ガングロにルーズソックスがあったし、最近ではアキバ系とかメード喫茶が流行りとかで、ハラジュクの竹の子族なんかは古典の部類に入りそうだ。このハラジュクが好きで「ハラジュク・ガール」をグエン・ステファニーが歌っていた。若者とトーキョーを舞台にした「Fast & Furious, Tokyo Drift]という映画も昨年あった。

リア・ディゾンもトーキョーの面白さと、若者にとっての不思議な魅力を既に知っていたのかもしれない。


涙なくして読めない、観れない

2007年03月26日 | いろいろ
今から10年ちょっと前、アメリカにきて間もなくの頃、元の部下の徹くんから贈り物が届いた。開けたら、山崎豊子の「大地の子」文庫本全巻が入っていた。徹君のメモに、泣けるから是非読めと書いたあった。

読み始めたら、もう、序盤戦から涙が止まらない。ズルズルだ。滅多に泣かないことになっているよし坊、家のみんなに悟られてはと、それからは別室に入り、仕事の振りして、泣きながら完読。現在に至るまで、これ程泣いた本はない。

一年程経ったころ、日本食料店の貸しビデオにそのドラマを見つけた。借りようか、やめようか、迷いに迷った。観れば泣くこと必死。オカン(ワイフのこと)も観てもいいと言う。

さて、その晩。オカンと横並びで座り、観始めたのだが、ストーリーがわかっているから、その場面が来る前から既に涙がボタボタ落ち始め、どうにも止まらない。そして、その場面に来ると、やはりオカンも涙、ナミダ。

毎週一本づつの計6本、毎週土曜日は泣きの鑑賞会となった。

ジローズの歌ではないが、「戦争を知らない子供たち」世代のよし坊でも、少しは戦争の惨さが分かるような気がする。戦争は不幸だ。唯一喜んでいるのは、死の商人とそれに連なるヤカラだけ。
テレビを見ていると、毎日のイラク報道で、「名誉の戦死者(Fallen Hero)」として名前と写真が映し出され、こんなヒーローには絶対なりたくない。やはり、コレは犬死だ。

訴訟の国のおもろい話

2007年03月23日 | アメリカ通信
訴訟の国、アメリカにいるとおもろい話に事欠かない。日本も近年、いろいろな分野で訴訟を起こすようになったようだが、アメリカと比べると雲泥の差だろう。

あきれる話では、昔、ハンバーガーのマクドナルドでオバアサンが自分のコーヒーをこぼしてやけどをしたと訴え、百万円ほどせしめたのが有名で、ニッポン人の理解を超える。2~3年前もNY近辺の肥満の若い女性が、「私が太ったのはファーストフードのせいだから、金を払え」と訴え出た。さすがに却下されたが、ニッポン人から見たら、何と非常識で厚かましいと思うのだが、コレがこの国の常識らしい。弁護士が儲かる訳だが、聞くところによると弁護士の6~7割はゴロツキらしいから、これも困ったもんだ。

いい面もある。消費者を守る為に、いろいろな人、いろいろな機関が絶えず企業を監視しているので、企業が変なことをやると、集団訴訟となる。

昨年日系プリンターの会社から通知が来た。1998年以降に同社製のプリンターを購入した人に対し、購入証明(レシート)があれば、一律50ドルのリファンドがあるという。プリンターの不具合か何かで集団訴訟が起こされた結果である。アメリカ人は、額の多寡とは関係無しに、自分の正当な権利が犯されたら、それを守ることに掛けては筋金入りだから、同じ境遇の連中が直ぐ共鳴するのだろう。日本では到底考えられない。

最近、又、似たような通知が、今度は銀行から届いた。過去10年間で、Visa,Masterのクレジットカード、デビットカードで海外使用した額に応じて還付金があるとのことであった。

どうも、カードを発行している銀行の外貨金額のドル換算のレート設定、手数料等の辺りにゴマカシというか問題が有ったようで、そういうことを入念にチェックしている消費者が、同士を募り、集団訴訟へ持ち込んだらしい。日本の銀行も恐らく似たり寄ったりだと思うので、念入りに調べあげたら同様のことが可能だろうが、そこまでやる人もおるまい。一庶民にそんな暇は無いかも知れぬ。

早速調べたら、約5000ドルほどあった。これで、どれほどの還付金があるのか、楽しみである。泣き寝入りしないアメリカならではのオハナシ。

ノモ、イチロー、そしてマツサカ

2007年03月15日 | アメリカ通信
日本のプロ野球人気が一向に盛り上がらない。北海道へ行った日ハムは新天地へ移ったのを機にアメリカ的顧客サービスに打ち込んで人気を博したり、あのタイガースには勝っても負けてもついて来る桁外れのトラキチファンがいたりするが、最もふがいないのがご存知巨人。相変わらずの老害老人が口を出し、肝心の成績もイマイチで、最早往年の面影は全く無い。中継枠もドンドン減らされ、日本の野球は巨人に始まり巨人に終わる、ということのようである。

アメリカではマツサカがその契約年俸の高さもあってか、結構話題になっている。先日、車を走らせながらラジオを聴いていたら、スポーツ記者が大リーグの外国人選手についていろいろとコメントしていた。

日本人選手については、ノモ、イチローとマツサカの名前があがっていた。ノモについては日本から来て、初めて大リーグに根付いた選手としての評価が高い。当時ドジャースはチームの方向をガラリと変えたがっていた時期で、その大役をノモが果たしたと言うことらしい。イチローも同じで、マリナーズは何とか大掛かりなイメチェンを計りたかったようで、イチローはその絶妙なタイミングで登場したことになる。今やマリナーズのファンはイチローを見に行く為に球場に足を運ぶそうだ。

さて、マツサカ、試合はこれからだから評価はシーズン後となる。レッドソックスもドジャースやマリナーズ同様、何かを変えたがっているのだが、ノモやイチローの時と違う点があるらしい。それは、レッドソックスにはマツサカ以外にも期待選手が複数いるので、相当突出して活躍しないと、早い段階で色褪せていく可能性があると言う。高額契約金故に注目度は非常に高いので、プレッシャーも相当だろうと思う。

それを跳ね返しての大活躍となるか、それとも転げ落ちるか、興味津々だ。


痛風一周年

2007年03月10日 | いろいろ
早いもので、一年前のた打ち回ったのが嘘のような今日この頃。手元に薬があると思うと気が緩みっぱなしで、食べる量もドンドン上がり、アルコールと言えば、プリン体の多いビールはさすがに封印するも、ウイスキー、焼酎、たまに日本酒と、メートルが上がる始末。たくさん飲めば、ビールも他のアルコールも何ら変わりは無いのだが、そこはそれ、気分の問題っちゅう事になる。人間の心はイージーだから、ま、しゃーないな、となる。折角スリムになった身体も段々危険区域に近づきつつある。そして、歳を重ねても、百薬の長と気違い水の境目が今もってわからん。

時々、親指の付け根辺りに、ビビッとくるが、今のところ恋人のようなお付き合い、それも付かず離れずだ。本当は愛想をつかしてもらいたいところだが、向こうが言い寄ってくるので無碍にも出来ぬ。

一周年を記念したわけではないだろうが、二日前の明け方に変な夢を見た。居酒屋のカウンターに一人陣取り、何とビールを注文。一口飲んだところで、隣に見知らぬおっさんが座り、「わしも痛風や」と言いながらビールを注文しとる。カウンターの中は、こんなキチャナイ居酒屋には不釣合いな、ゴージャスなドレスに身を包んだクラブのママ風情の美女数人、客の相手をしている。夢特有のなんともアンバランスな雰囲気の中で、隣の変な相棒と痛風談義を始めたところで、目が覚めた。

あぁー 喉越しにシュワっとくるあの苦味が未だ忘れられぬ今日この頃。

盲蛇に怖じずー大都会のコワーイお話

2007年03月06日 | アメリカ通信
久しぶりに怖い話を聞いた。知らない者の怖いもの知らずは、一つ間違えばあの世行き。

この女性、海外一人旅が好きで、今回はアメリカときた。NYはマンハッタンに宿をとり、食事の後にジャズを聴きに。ご存知のように、ジャズクラブは最初のステージが夜の9時頃から始まるから、帰りは11時を過ぎる。事もあろうに、この彼女、地下鉄に乗ってホテルまで帰ろうと乗ったはいいが、その車両には誰も居ない。と、怪しげな二人連れが近づいてきたらしい。明らかに襲う仕草なので、とっさに近くの手動ブレーキを引っ張ったという。いいのか悪いのか、ブレーキは作動しなかったが、二人連れは、それにびっくりして逃げたので、事なきを得た。時期も悪い。今は冬。こんな寒い冬のマンハッタン、夜遅くウロウロしているのは少ない。コレが夏だと話は違う。もちろん、夜の大都会は常に怖さと隣り合わせだが、夏は、夜遅くまで結構賑やかで、地下鉄も人が多い。それと、ジャズクラブはロウワーーマンハッタンと言って、ごちゃごちゃした地域に犇いているから、季節を問わず、それだけでも注意が必要。

この話を聞いて、かつての無謀な体験がよみがえって来た。シカゴに出張した折、同行の若者商社マン氏二人と酒を飲みに街に出た。我ら三人組は全員日本からの出張で地元不案内の3アホトリオ。日本よろしく、酒のあとはラーメンとなった。日本でも深酒のあとのラーメンは美味い、というアレである。性懲りも泣くシカゴくんだりまで来てやるとは、相当のアホだろう。若さと知らぬ者の勢いだろう。タクシーに乗ってたどり着いたのはチャイナタウン。

大体、チャイナタウンは何処へ行っても危ないところに有る。が、そんなことはお構いなし、で閉店間際の店へ入り、日本並みの美味しい味噌ラーメンがあるわけでなし、それでも汁麺を食して皆満足の体。時間はとっくに夜中の12時を回っている。

この3アホトリオ、酔い覚ましに歩いて帰ろうかときた。店を出て歩き出したが、周りは真っ暗。遠くに町らしき灯りは見える。しかしその間は真っ暗。3人居るから大丈夫とカツを入れて灯りを目指し歩くが、よく見ると周囲はスラムっぽい。時折人間がタムロしている。歩きながら、「明日の新聞にワシら出るかも知れんな」「ワシら三人でも勝ち目はないな」等危うい会話がボソボソと出てくる。

度緊張で歩くこと暫し、はるか向こうから赤と青のチカチカした車、そう、パトさんが来るではないか。神の助けとはこのこと。3アホトリオの前で止まり、窓からゴツイ、黒人警官が顔を出し、「お前らこんなところで何をやってるんだ。死んでも知らんぞ」。「ホテルまで送るから、はよ、乗れ」。こんな感じだった。ポリさん曰く、「ここはスラムの入り口だ」。

何処へ行っても大都会は怖い。最近事件が増えたとは言え、日本くらいか、女性が夜遅くまで歩けるのは。しかし、ひと度世界に出れば、そこには世界標準ちゅうものが有るのを忘れちゃいけない。日本だけ世界と違っていると思わにゃいかん。昔、「不思議の国ニッポン」ちゅう本を読んだが、さしずめ「特殊な国ニッポン」だ。


イッツ JAZZ-テクニシャン!ニューボーン

2007年03月02日 | Jazz
今から35年前、丁度ジャズにのめり込んだ頃、オスカー・ピーターソンをガンガン聞いていたが、これに劣らぬすごいテクニシャンが居ると聞いたのが、フィニアス・ニューボーン(Phineas Newborn Jr.)だ。ピーターソンは流れるような、流麗なテクニックと言えばいいんだろうが、ニューボーンのはそれとは違うが、えらい早いというか、これも相当なテクニシャンだ。

久しぶりに聴いてみた3枚のレコード。正確に言うと、アメリカに来る時に全部テープに録って来た物で、しかも輸入盤だったから、ところどころに傷が有ったりして、CDとは違った気分で、これまたご機嫌。それにしても、輸入盤は安かった分、キズモノが多かったから、無傷を求めてレコードショップをよくハシゴ。店も中身チェックOKとダメな所があり、ダメショップで買う場合は、それこそ、清水の舞台から飛び降りることになる。帰って開ける時の緊張、そしてそこに傷があった時、「やられた、チキショウ、クソ」となる。よし坊が「アメリカ憎し」に変わる瞬間である。

「A World of Piano」「Newborn Touch」「Solo Piano」の3枚の中で、写真は「Solo Piano」のもの。ジャケットのスフィンクス様が面白かったのと、ソロを聞いてみたかったので当時つい手が出た。

途中から精神のバランスを崩し、病と闘いながら、57歳で世を去るが、テネシーに生まれ、最後もテネシーで生涯を終えた、あまり知られていない、しかし、屈指のジャズピアニストである。