よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

East does not meet West

2009年01月29日 | ビジネス横丁こぼれ話
アメリカ人と仕事をしていると、随所でイライラすることにぶち当たる。この辺が、日本から来て、最初は面食らい、段々頭に来て、最後はあきらめともつかぬ感情になり、その疲れが癒えないまま数年後に日本に帰国することになる。

最も代表的なのが、時間を守るか守らぬか、である。

日本だと、ランチに出て、1時に間に合いそうに無いと、走ったりする光景をよく見かける。アメリカじゃそんな光景見た事もない。堂々と自分のペースで戻ってくる。タイムカード管理されていると、遅刻した分は夕方その分居残りでやれば一応オフセットされるからよいが、タイムカードの記録が無い場合は、さっさと定時どおりに帰ってしまう。

8時-5時の会社。7時40分くらいに来たやつが、夕方4時40分に帰ろうとする。文句を言うと、おれは早く来て直ぐ仕事に取り掛かったから規定の8時間労働だからこれでいいのだ、とのたまう。そのくせ、こういうのに限って遅めに来た場合はうまく誤魔化し、キッチリ5時に帰るのだ。

自動車が通っていなくても、信号が赤なら、日本人とドイツ人は青になるまでじっと待つと言う人種。片やアメリカ人は、車が通ろうが通るまいが、自分の責任で赤でも渡る。これを見ただけで、彼らはルールなんてくそ食らえと思っている節があるのだ。一度ルールが出来ると、ひたすら守る日本人。ルールが出来ても気に食わなきゃ直ぐ新しいルールを作ろうとするアメリカ人。この違いが、時間だけでなく、色々な局面に特徴として出ている。

例えばサッカーの試合。国際試合で兎に角日本のチームはフェアプレー賞物が多い。大概が予選で敗退するから、せめてこの賞で留飲を下げるわけだ。外国選手を見ると、審判が見ていないところでは、コノヤローと思うようなダーティな反則を使っている。
そう言えば、ボスがいない時のアメリカ人の勤務形態はゆるゆるもいいとこだ。昔、よし坊が出張で不在の時に、私用で無断でオフィスを抜け出したのがいたので、証拠固めをしてクビにしたことがある。

お天道様が見ていると思う日本人。神はよく目を瞑ると思っているアメリカ人。東と西はなかなか出会う事が出来ない。

イッツ JAZZー MJQ

2009年01月27日 | Jazz
ジャズメンでは誰が好きかと問われれば、よし坊の答えはMJQである。彼らの奏でる旋律は、兎に角入り易い。とっつき易いのだ。とっつき易くてハイレベルなジャズ集団といってもいい。

その昔、女の子とお茶を飲みながら、音楽の話をすると、あまりジャズは話題に出て来ない。皆、あんなうるさそうなの何処がいいの?ってな感じで、確かによし坊もそうだったなと、思い出しつつ、騙されたと思って一度これを聞いてみなよ、とお勧めしていたのがMJQだ。当時はCDなんてのが無く、レコードからテープに録り、女の子に貸してあげたものだ。テープを返してもらう時、大概「こういうジャズもあるんだ」と言ってその後MJQにはまってくれる。

アルバムはいくつもあるのだが、好んで聴くのが、1974年、彼らが解散してしまう記念コンサートの実況録音版「The Last Concert」。集大成版として、お勧めの一品。代表作が詰まっている。これがあれば他のアルバムは要らない。

数多のジャズメン、ジャズシーンにあって、常にスーツ姿を確立していたのも良い。スインギーな、ジャズィな、ファンキーなリズムから、Blues in A Minorやアランフェスのようなクラッシックのリズムまで、MJQスタイルとでもいうのか、限りなく心地よい。あれは、やはりリーダーのジョン・ルイスのカラーだろう。そんなSophisticatedな雰囲気の中で、フィーチャーされるバイブのミルト・ジャクソンが時に弾け、時に抑える(もっとも、解散後のミルトは弾けっ放しになっていたが)。

単にジャズ好きのファンだけでなく、オーケストラとの競演も多い彼らのファン層は広く、ジャズ界で独特の地位を築き上げたと思う。ヒース兄弟の一人Percy Heathが2005年に世を去って以来、あの世で4人は勢揃い。MJQを再結成していると良いのだが。

時効

2009年01月26日 | いろいろ
最近の日本の犯罪ニュースを聞くにつけ、昔に比べて、未解決事件が相当増えている印象だ。警察力が落ちたのか、巧妙な犯人が増えたのか。理由がよく分からない。そして、次々と時効を迎える事件が増えているような気がするのだが。

この時効と言う制度、さっさと止めたらどうか。日本では、証拠調べをしても関係者の記憶が薄れてくるし、確保している証拠品も15年経ちぁ調べようも無い、なんて訳の分からんことで納得して、もうその辺で止めよう、なんて制度になっているんだが、冗談じゃない。科学や技術の進歩で、今やDNA鑑定がすごい威力を発揮している。犯人にとって、これは脅威以外の何物でもない。髪の毛一本残っていれば割り出せるということだから、大変な進歩だろう。

その点、アメリカは、確か、2年以上の刑に相当する犯罪は時効無しだったと思う。アメリカは、そういう犯罪は地の果てまで追いかけるという、誠に最もな、自然の理に沿った制度で犯罪を追いかけている。日本のように、どんな極悪犯人も、15年逃げ回っている間に十分社会的制裁を受けているから、等と暢気な事をいっているから、相当甘い。

アメリカでは未解決事件の事をCold Caseといって、たまに何十年も前のとんでもない事件の犯人が捕まってビッグニュースのなったりする。時効が無い、執念の追跡だ。このくらいやらなきゃ、殺人等で命を落とした人の家族は浮かばれまい。

日本では、法務省やら、政治のレベルで話がされているのか知らないが、怠慢そのものに見える。

地獄の果てまで追わなきゃ。

アメリカの希望と日本のだらしなさ

2009年01月19日 | アメリカ通信
今日16日の月曜日、アメリカはマーチン・ルーサー・キング牧師を偲ぶ休日だ。と言っても、休みにしない民間企業はたくさんある。特に北部は、「何、それ」って感じだ。白人にしてみれば、ただの黒人牧師を偲んでの休日なんて、という思いが強い。それでも昔よりは休みにする度合いは増えたと聞く。人種を超えて、それがアメリカのひとつの重要な歴史と認識するからであろう。「I Have A Dream」。

そのキング牧師の言葉を引き継ぐように、明日、44代大統領が、アメリカ国民の希望を担って就任する。
今回の大統領選挙戦を通じて、2000年の時の大統領選と比べ、白人の意識が間違いなく変わったという空気を感じる。最も重要な事は、国を託すのに誰がふさわしいかを考えた時、そこにオバマがいた、そして、彼はたまたま黒人であった、それでいいじゃないか、という空気だ。前にも書いたが、2000年の時、コーリン・パウエルが立候補しようとした時は、まだ不穏な空気が強く、その為に彼は断念した背景があるが、今回はそんな空気を吹き飛ばす何ががあったのだろうし、明らかに時代が変わったのだろう。明日の大統領就任準備でワシントンDCはフィーバーしている。人々は人目見ようと遠方からバスに乗り、DCへ駆けつける。国中が経済混乱で大変な最中なのに、皆が躍動している感じだ。

その躍動感は、オバマに国を託すというメッセージにつながっているように見える。前回のブッシュが選ばれた時は、頭の悪いのが大統領になってしまったと、当の共和党支持者の間から伝わってきたくらい評価が低かった。あの時には、国を彼に託すという空気はあまり無かった。俺の評価は歴史が決める、と最後の演説をしたブッシュだが、既に評価は定まっているのは明らか。歴代ワースト3に入るだろう。オバマとてどういう評価になるか未知数だが、期待感は相当強い。

さて、日本はだらしないの一言か。政治がだらしないから、「国を託す総理大臣」なんていう感覚は国民の間には全くないだろう。そんな考えや希望が出てくるような激しい時代は明治維新で終わり、その後は去勢された文化とでも言えばよいだろうか。これからも1年から1年半の総理大臣がお勤めするという構図は100年経っても変わらないかもしれない。と言う事は恐ろしいくらい日本という国には希望が無いことになる。

アメリカと日本を一言で比べると、アメリカは何か事が有ると間違いなく「動く」。日本は「動かない」「動けない」「動きたくない」。




よど号事件の罪

2009年01月15日 | いろいろ
最近、北朝鮮から最後のよど号事件関係者の子供が日本へ帰国したという記事が出た。事件が1970年だから、およそ39年が経ったが、この罪作りな事件は被害者側に未だに解決の糸口が見つからない「拉致被害」というとてつもなく大きな問題として残ってしまっているのは、辛い話だ。

事件は、日本では滅多に無いハイジャック事件である事と、一般の人質との交換で人質となった、「男、山村新治郎」くらいが記憶に残り、それも時間と共に薄れていったが、例の拉致問題がクローズアップされるに従い、その根っこは「よど号」事件と係わり合いがあるという事が明るみに出てきたから驚きではある。それだけ「よど号」事件は罪深い事件だ。

とんでもない国で身動きが取れなくなった田宮某ら犯罪者集団は、それまでの主義主張を捨て、「ご主人様」であるキム・イルソンに忠誠を誓ったらしいが、今後の闘争において、まず必要なのは妻としての同士だと? それも同じ日本人の女が欲しいってことだ。ふざけるなと言いたい。ま、日本にいる自分の恋人を呼び寄せるのは勝手にしろ、だ。ところが北朝鮮が日本人拉致の為に彼らを利用しそして、ヨーロッパを舞台にそれを実行していったとなると、話は別だ。これが、北朝鮮による あまたの拉致の始まりと考えると、この「よど号」事件とその関係者達は相当罪作りな犯罪者だ。

連中も身体が老い、未だ生き残っている者達は望郷の念に駆られているらしいが、連中にはあの国で土になるという、不本意な最期がふさわしい。だいいち、自分で罪を認めて帰ろうにも、北朝鮮が放すまい。彼らも拉致されているようなもんで、自業自得だ。以前、タイあたりで捕まった田中義三なんかは、海外活動を利用して外に出、早く捕まえてくれと待っていたのかも知れない。よくぞ捕まえてくれたと内心感謝しているかも知れない。

思えば、安保反対から、新宿騒乱事件、そして全共闘に代表される学生運動も東大安田講堂の攻防で実質的に終焉を迎えた。この「よど号」事件が起きたのが翌年で、これを境に国内では日本赤軍による浅間山荘事件、連合赤軍リンチ事件へとつながっていくのだから、「よど号」事件は彼らの最終章の序奏とも言える。それだけコーナーに追い詰められていたと言う事だろう。それにしても、「拉致問題」を作ってしまったのは返す返すも残念の一言。


方言、訛り、漢字が読めない

2009年01月10日 | アメリカ通信
ブッシュの時代が終わる。イラクのブッシュ、くらいしか張れそうなラベルがないのだが、そんなブッシュが居なかったらお目にかからなかったであろう言葉がひとつある。Monophthongization。言語学者なら当たり前の言葉かもしれぬが、私らフツーの人にとっては、死ぬまで出会うことはないかも知れぬ単語だ。第一、パッと出されても、直ぐには読めぬ。なんのこっちゃ。

中国行けば、北京人と広東人じゃ言葉が通じない。日本も、秋田と鹿児島じゃ通じないだろうし、沖縄まで飛べば、全く別の言葉となる。アメリカも北部と南部じゃ相当違う。方言や訛りは何処へ行ってもお目にかかる”文化”そのものである。

件のMonophthongization。”母音単一化”というそうだ。要するに二重母音をひとつにまとめて発音するわけだ。例えば、アイという二つの母音発音をアーと一母音だけで発音してしまう。Timeはタームとなるし、数字の9、ナインはナーンとなる。南部訛りの特長はここにある。こんな発音を連発されては、同じ英語でもさっぱり分からない道理だ。

南部テキサス出身のブッシュは、典型的な母音単一化人種の一人だ。彼の演説で有名な例として、核兵器、「ニュークリアー・ウェポン」と言うべきところを、「ニュークラー・ウェポン」と発音して失笑を買った。
こんな訛りが横行している南部に日本から来たら、ビックリしたり、困ったりとなる。日本の教科書英語ではとてもじゃないがフォロー出来ない。人によっては自信を失くし、一時的ノイローゼにもなる。

ハンバーガーを食べに行ったとしよう。何処に行くか。日本でもあっちこっちにあるマクドナルドはどうだ。日本では、マックと言ったりマクドと言ったりするらしいが、ここ南部では、「マッ、ダッ、ナッ」と言えばアメリカ人に通じてしまう。いちいち単語を正確に発音しないところに南部の特徴がある。
さて、お金を払う段になって、「ファー、ダー、むにゃむにゃ」と言って来た。全く何を言っているのか分からんのだ。一体いくらだ。ファイブ・ダラー何とかと言っている訳だ。ファイブは母音単一化でファーとなり、ダラーは語尾をはっきり言わない南部の特徴が出ている。

そんな訛りのブッシュを笑ってはいけない。方言や言葉の訛りはひとつの文化だからだ。
しかし、読み方を間違えるとなると話は違う。日本国の立派(?)な首相が、漢字を読めないとは、実に情けない。最近も低迷をテイマイと読んだとか。流石なんて字を読ませたら、ナガレイシと読むのだろう。国語力と国の力。どちらも国力だが、間違いなく落ちている。

今年は?

2009年01月06日 | いろいろ
新年といっても、年々さっぱり実感が無い。アメリカでの新年はなおさらだ。それでも、大晦日は年越しソバ、元旦はお雑煮と、一応何とか”伝統”なるものをフォローしているが、年々薄れていくのは仕方あるまい。日本も便利さと時代の進化で、元旦から店は開き、昔のような正月三が日という雰囲気は消し飛んでいるようだから、やってる事は大差あるまい。
大晦日で足りないもの、と言えば、あの国民的大行事の紅白歌合戦というやつだ。タダでダウンロード出来たのが4日だから、気分は単なる歌謡ショーとなる。見なくてもいい、と言いつつ毎年見てしまうこのカナシサ。ま、ジェロがレコード大賞新人賞を取り、念願の紅白に出たからヨシとしようか。

それにしても、世の中の火種はなくならない。オバマ政権への移行の空白を狙ったかのようなイスラエル・パレスチナの戦争勃発。チャンスがあれば相手を出来るだけ叩いておこうと言う事だろうが、オバマ新政権が発足すれば、否が応でも和平工作が始まるからどこかで手打ちとなり、又静かになると言う寸法だ。これの繰り返しがイスラエルがらみの中東の日常と言うべきか。

アジアも決して平穏ではないから大変だ。印パキも歴史的にくすぶり続け、マグマが溜まりに溜まっているかもしれぬ。これら既存の紛争地図に加え、これからはアフリカが大きな問題となるから、国際政治もより複雑化する。とりわけ、昔の植民地勢力図が絡んでくるから、どうなる事やら、である。民族と宗教の反目と共存。永遠のテーマだが、日本は良くも悪くも蚊帳の外で見物を決め込む。見物を決め込みついでに、尖閣竹島周辺問題にも蚊帳の外はないぜよと言いたくなる。

正月に三重の名張市に住む妹と話をしたが、名張市では産婦人科がたったの一軒になってしまったとの事。日本全国医者不足。一方で少子化の危機を叫びながら、産むに産めない環境では、どうしようもない。日本には日本のグランドデザインを描く連中がいるのか、いても政治が邪魔するのか。いずれにしても茨の道だ。

ついこの間、過去最高の利益と言っていたトヨタが、あっという間に大幅赤字予想の現実。リーマンショック以来、世界中が右往左往だが、良くも悪くもアメリカ次第という世界の現実でもある。