よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

大震災で考える事

2011年04月25日 | ビジネス横丁こぼれ話
長らく、平和と飽食の時代を生きてきた日本に突然「戦時」状態が出現し、肝心の政府は無能ぶりを発揮し、震災による原発事故への当該企業の対応には、不平、不満、そして不安が増大しているが、考えさせられる事が多い。

大統領報道官: 組織の情報発信と広報活動を担う一つの典型が、米国大統領報道官である。案件に対し、情報を収集分析し、大統領の意向を常に把握する中で、何を伝え、質問にどう答えるかを決めて会見に臨む。アメリカの記者質問は鋭い。その鋭さは日本の記者クラブの比ではない。それに耐えるだけの資質が要求される激務と言われている。アメリカは、民であろうと官であろうと、情報発信と広報活動はSpokespersonに一元化される仕組みが出来ている。
その意味では、今回の原発事故に関し、日本政府、原発委員会(保安院)、当該企業と、三者三様の発表というバラバラ対応も大きな問題だが、基本的問題として、日本(日本人)は情報発信が下手で、あまりにも訓練されていない事をおおいに認識すべきであろう。
その理由は簡単で、他国と地続きで国境を接していないので、周辺へ絶えず情報発信をする必要が無いと錯覚し続けてきた島国特有の国民的資質のよるものと思う。ここを変えていかないと、社会や国家レベルでの情報発信力は高まらない。

初動: 犯罪での初動捜査は極めて重要で、迷宮入り事件の多くは、初動捜査の誤りに拠る所大と言われている。アメリカのTVドキュメンタリー番組に「48時間」と言うのがあるが、初動の48時間で捜査の道筋が立たないと、犯人逮捕が一挙に遠のく。
「戦時」も含めて問題発生時の初動対応が如何に大切か。初動対応遅れで稚拙になり、間違った方向で動き出し、修復出来ずにいる今回の政府の震災対応はその問題を提起した。
そもそも日本政府には過去の経験を活かし、初動でどの様な対策本部を設置し、いかなるメンバーを招集するかのマニュアルが有るにも係わらず、現総理大臣の独りよがりで、20以上の対策委員会を立ち上げ、悦に入っているようだ。国家のリーダーが初動対応を見誤った、悲しむべき例である。国も企業も、あらゆる組織のリーダーとは、すべからく「戦時に強い」リーダーであるべきで、「平時のリーダー」は不要だ。

最後に、日本列島が途轍もなく危険な岩盤の上に立っている事に改めて気付かされる。今から37年前、小松左京がSF小説「日本沈没」を物し、当時は確かにSF小説として読んだが、どうしてどうして、SFに有らず、である。

日本の現実

2011年04月22日 | いろいろ
現代史家 秦郁彦が今回の震災と原発事故に関する政府、東電の対応を過去の戦争事例と比較して論じているが、一読に値する。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110412/dst11041203040004-n1.htm

特に、満州のノモハンで日本軍と戦った旧ソ連軍指揮官の将軍が敵の日本軍を「下士官優秀、下級将校普通、上級幹部は愚劣」と評したと言う。秦郁彦は、この事を引き合いに出して、今の災害と原発事故に対処している政府と東電幹部が正に「愚劣な上級幹部」に当る、と辛らつだ。「下士官優秀」とは、今回の場合、原発施設の中で奮闘している下請企業の現場責任者と作業員の方達、自衛隊、消防等を指す。

今も昔も日本人は変わっていない、と見るべきなのか。それとも、今の日本の「上級幹部」がたまたま愚劣な連中だったのか。判断が難しいところだ。
しかし、あえて言うならば、たまたま、愚劣な幹部に当った不幸の中にある日本、と見たい。

今の時代の優れ物

2011年04月20日 | アメリカ通信
写真で分かるように、この懐中電灯は可也大きい。が、いざと言う時に役に立つ優れ物である。これは、今インディアナに住む知り合いから大分前にプレゼントされた物だ。最初はナンジャこれ、と思ってもいたが、今では重宝している。

よし坊は夜寝る時、時々50回位の発電動作を行い寝る事にしている。50回位振ると時間的にも結構持続する。明るさは申し分ない。

電池式の懐中電灯は、普段滅多に使わないから時間が経って電池切れしても気が付かない。そして、いざ停電になると、肝心の時に使えず、何のための懐中電灯か分からない。だから、家にある電池式懐中電灯3つのうち、電池が入っているのは一つしかない。三つ全部入れていても所詮無駄なのである。

真っ暗闇の中では、我々は全く自由を奪われ、何も出来ない。マッチ一本でもありがたいが、今時マッチを持ち合わせない生活が多い。ライターは?これも喫煙者なら持っていようが、禁煙車には無縁の物。こうなると、最も原始的な物が最後は一番強い力を発揮する。と言うことで、この人力発電式懐中電灯は、危機に遭遇した時の頼りになる優れ物の一つであること間違いなし。

初心に戻る。原点に戻る。人力発電懐中電灯もそう言う事だ。

映画三昧 - 乙羽信子と「どぶ」

2011年04月18日 | 映画
乙羽信子という女優を思い出す時、必ず頭に浮かぶのは、「どぶ」と言う映画の中の乙羽信子である。何故かこの映画の題名と女優の顔は忘れられない。

調べてみると、この映画、封切は1954年とある。と言う事はよし坊7歳である。誰と見たのか。お袋に連れられて観たに違いない。なにせ、あの岸恵子と佐田啓二の「君の名は」を映画館で記憶しているのだから。

映画の内容はよく分からないが、何やら悲しそうな映画、そんな記憶があり、何よりも乙羽信子の印象が唯唯強烈だった。そしてもう一人、記憶に残ったのが殿山泰司だ。もちろん殿山泰司だと知ったのは後年だが、あの独特のキャラクターは頭に焼きついた。

その後、乙羽信子に接するのは、いずれもお叔母さん役で出る映画の何本かであり、それ故、乙羽信子=叔母さん役の印象の方が強いが、この「どぶ」だけは別格で、もう一度観てみたい映画なのである。

今改めてあらすじを読むと、戦後のどん底の中で、身体を売りながら、男達に翻弄され、最後は哀しく死んでいく薄幸の女の物語とあるから、やはり、悲しく、そして哀しい映画であった。

映画三昧ー 小津安二郎の世界

2011年04月04日 | 映画
小津安二郎の映画には独特の雰囲気が漂う。全ての小津作品を観ているわけではないが、特に娘の結婚問題を軸にした作品群は、当時の結婚観を背景に、娘を持つ父親の心情と家族の日常をさりげなく描き出す。俳優では笠智衆が父親役を一手に引き受けている。

「晩春」では、結婚を前にした父と娘の、心の葛藤を交えた交流をシンプルにさらっと描き、「麦秋」では、早く結婚させたい父親が、年の差なんか関係ない、贅沢は言えない、と一回りも違う相手の結婚に乗り気になるが、子連れの男を選ぶと言う突然の娘の反乱に戸惑う父親が面白い。この二作は笠の父親、原節子の娘だが、「東京物語」では、原は嫁の役で、親の面倒を誰が見るのか、と言う今日的テーマを、淡々と描いている。

「秋日和」では、原節子の母親と司葉子の娘の物語に佐分利信を中心に小津の常連が顔を出す。「彼岸花」では、佐分利信の父親と有馬稲子の娘となり、有馬の友達として、山本富士子が大映からの他社出演。浪速千恵子と山本富士子の京女、速射砲のように出る関西弁が色を添えている。

山本富士子の他社出演の交換条件で、小津は、大映で「浮草」を撮っているが、鴈治郎と京マチ子を軸に杉村春子、川口浩、野添ひとみなどを配し、大映の一作を残している。

最後は、「秋刀魚の味」だ。麦秋でちょい役の岩下志摩が抜擢され、父親役は再び笠智衆だ。父親の哀歓が滲み出る。よし坊も、そんな心情に酔ってみたいのだが、わが娘二人は、さらさら結婚する気無し、で残念と言う外はない。

小津の作品は、暖かく、そして時には切なく、最後にホッと一息つけさせてくれる安堵感のようなものがある。小津が日本映画の監督ベストワンに列せられているが、頷ける。