よし坊のあっちこっち

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映画三昧ーNetflixで広がる映画ドラマの世界

2022年04月04日 | 映画
Netflixの出現は、ハリウッド映画やアメリカのドラマは何だったんだろう、と思わせる程のインパクトがある。

Netflixのお陰で、今までは観る機会も到底無かった国々の映画やドラマが気軽に鑑賞できるから、映像ファンにとっては誠に堪えられない時代になった。とりわけドラマに良質な作品が多い。しかも、ポーランド、シリア、イスラエル、エジプト、南アや、ブラジル、アルゼンチン等など、違った風景や背景のドラマが、実にエキサイティングなのである。

かつて日本在住の映像専門家であるデイブ・スペクターが日本のドラマの質の低さは世界レベルで最低のレベルだとコメントしていたが、全く同感である。兎に角人気優先でキャスティングし、ドラマの筋書きもイマイチに加え、小道具が貧相の一言に尽きる。特に刑事ものは、ドンパチに加え、殺人現場が出てくるが、殆ど嘘っぽいから白けるのだ。無残に殺されても殆ど血が出ていないとか。兎に角ドラマに重みがない。ある番組では事件で死んだ遺体のことを刑事や関係者が「ご遺体」と呼ぶ。もっとリアルに真面目にやれと言いたくなる。やるなら、日常の中の凄みを見せなきゃ価値がない。

異なった国のドラマを観てると違った価値観に遭遇する、それが実に楽しいのだ。今日も明日も、Netflix三昧といこうか。


映画三昧 ー Netflixにはまった

2022年02月13日 | 映画
今、夫婦でNetflixにはまっている。コロナ禍のご時世で映画館へ行くのもはばかる昨今、Netflixは願ってもない娯楽手段だ。何よりいいのは、日頃ハリウッド映画やアメリカドラマに飽き飽きしている者からすると、ヨーロッパの映画ドラマがふんだんに観れるのがうれしい。

映画もさることながら、ヨーロッパドラマ、とりわけサスペンス物がアメリカドラマと一味も二味も違って面白い。今から10年以上も前、スェーデンのミレニアム、ドラゴンタトゥーの女シリーズとして有名なサスペンスドラマは強烈な印象だった。以来、北欧を含むヨーロッパ物には一目を置くようになった。昨年みたKillingも見ごたえのある刑事ものだった。

今、イギリス、デンマーク、スェーデンとドラマが目白押しである。最近、アイスランドを舞台とした連続殺人ものがきた。兎に角観るのに忙しい毎日である。

映画三昧 ー 映画と私(5)フランスの女優

2021年12月14日 | 映画
フランスの映画界も魅惑的な女優を多く輩出し、日本のファンを魅了したものである。

まず挙げたいのがカトリーヌ・ドヌーヴ。フランス女優の中では最も好きな女優である。ミシェル・ルグランの調べに乗った「シェルブールの雨傘」もよかったが、何といっても「昼顔」がいい。近年評判となった「Indochina」をまだ見てないのが今のところの心残りである。

フランスを代表する女優としてはジャンヌ・モローは外せない。印象に残る作品は「突然炎の如く」だろうか。二人の男性の狭間で奔放な女性を演じ、アッという結末が忘れられない。

アヌーク・エーメもいい女優だ。ジュラール・フィリップと共演した「モンパルナスの灯」、創世記を描いた「ソドムとゴモラ」、そしてやはり極めつけは「男と女」であろう。

最後に、アラン・レネ作品の「去年マリエンバートで」。いささか難解な映画だが、デルフィーヌ・セイリグの不思議な魅力がなんとも印象的であった。これは、難解故に確かATGで上映されたと記憶する。


映画三昧 ー 映画と私(4)ATG

2021年11月18日 | 映画
高校時代からはまったのがATGだった。日本の洋画専門館で公開される外国映画は、当然のことながら有名俳優が出ているヒット作が中心だった。特に日本では米英の映画以外にもヨーロッパ映画が数多く上映された。フランス映画ではアラン・ドロン、ジャン・ポール・ベルモント、ジャンヌ・モロー、シモーヌ・シニョレなど。イタリア映画ではマルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレンなどが積極的に上映された。

ヒット重視のこれら外国映画とは異なり、新宿にあったATGでは、商業ヒットには結びつかないが、映画芸術的に優れた作品を厳選して一部のファンに提供していた。よし坊が映画芸術を理解しているわけではないのだが、映画好きとしてのめり込んだものだった。

筆頭に挙げるのは、スェーデン、と言えばイングマール・ベルイマンの作品だろう。ベルイマン作品は当時の高校生にとっては”難解”である。宗教がからみ、男と女の性(さが)、近親相姦、同性愛などが頻繁に出てきた。腕組みをしながら観、帰りがけに買ったカタログで、もう一度あらすじをおさらいする。そんな映画だった。第七の封印、野いちご、鏡の中にある如く、処女の泉、そして沈黙。

それ以外ではイレーネ・パパスのエレクトラ、アラン・レネ監督の去年マリエンバードで、そして戦争の傷跡を扱ったアリダ・バリ主演のかくも長き不在が懐かしい。日本映画では三島由紀夫の憂国が強く印象に残る。

当時の日本はアメリカ映画だけでなく、ヨーロッパ映画も数多く観れる、大変便利な国だったように思う。いい時代だった。




映画三昧 ー 映画と私(3)成人映画

2021年10月15日 | 映画
高校の頃は性に目覚める多感な時期である。この頃は後に広く認知される日活ロマンポルノが出てくる前の時代だ。当時はピンク映画と呼ばれていた。高校生だから入るのに気を使ったが、映画館側も商売だから”見て見ぬふり”だった。

新東宝のドン、大倉貢の大蔵映画が草分けではなかろうか。この頃覚えている女優では、まず松井康子。確か、元公家の出、の触れ込みではなかったかと記憶する。谷ナオミもいた。そして路加奈子。あの武智鉄二の白日夢で一躍有名になった女優だ。

ピンク映画の時代は、何となく表舞台には出にくい雰囲気が蔓延していたが、日活ロマンポルノが出るに及び、漸く日の当たる場所に出てきたような気がする。

面白いことに、時同じくして社会人になったせいか、日活ロマンポルノは殆ど観ていない。ピンク映画の終焉とともに、よし坊の所謂”成人映画”ジャンルの旅は終わった。

映画三昧 ー The Taking of Pelham 123

2021年09月27日 | 映画
1974年のこの映画「The Taking of Pelham 123」を観たが、当時の時代背景を含め、見どころのある映画だった。

プロットは、NYの地下鉄ぺラム線1時23分発をモデルに、電車がハイジャックされ、乗客を恐怖に陥れる話で、ネゴシエーターと犯人とのやり取りを描いたものだが、ネゴシエーターがウオルター・マッソー、犯人側がロバート・ショーやマーチン・バルサムである。

この映画で印象的だった点が二つある。ひとつは、当時のNYの地下鉄や駅風景が今と殆ど変わっていないのだ。当然と言えば当然で、度々作り替えたりリノベーションしたりするものでもないからだ。面白いのは、映画を真似た模倣犯を防ぐためか、以後、ぺラム線1時23分発のダイヤを組むことは無いそうだ。

二つ目は、ドラマの最初の段階で、日本からのNY地下鉄視察団が数名訪れ、ウオルター・マッソーが案内し、その説明を無言で聞くシーンである。視察団は終始無言なので、半ばあきれ顔で説明の続けるのだが、ハイジャック発生で案内中止となるやいなや、視察団の面々が流ちょうな英語でお礼の言葉を述べて立ち去る。それをみて、ウォルター・マッソーがまたあきれるシーンである。

何故このシーンが印象的かと言うと、今の昔も本質的には変わらない日本人の特質であろうか、「寡黙な日本人」を具現しているからだ。黙っているから英語が不自由なのだろうと、一生懸命説明する。時には安心して不必要なくらいぺらぺら喋ってしまう。ところが最後にいきなり寡黙な日本人が英語で口を開き「いろいろ喋ってくれてありがとう。情報は全部いただいたぜ」と言わんばかりのセリフを吐く。アメリカ人からみれば、”こいつら何だ”ということになるわけだ。日本人はよくわからん人種だとなり、「得体が知れない日本人」のイメージが定着する。米国進出日系企業によくみられた現象で、昔も今も変わってはおるまい。

その意味では、この映画のちょっとしたシーンだが教訓的だ。日米文化比較の教訓的映画といえば、日本の自動車メーカーのアメリカ進出で右往左往する、マイケル・キートン主演の「Gung Ho」(1986年)も必見だろう。


映画三昧 ‐ 映画と私(2)

2021年09月20日 | 映画
小学校五年の夏、杉並から小平に引っ越した。西武沿線の花小金井駅から徒歩15分くらいの所である。

最寄りの映画館は一駅新宿寄りの田無(今は西東京市という)にあった。ここの東映にはよく通った。東映だから圧倒的にチャンバラ映画だったが、映画が斜陽化し始めて、東映は第二東映を作り、それまでや歌右衛門の脇に甘んじていた里見浩太朗などを主役に抜擢し斜陽を切り抜けようとしていた。千恵蔵や歌右衛門の両巨頭を差し置いての若手起用が出来ない中での苦肉の策だったのだと思う。

日活もあったように記憶する。当時よく掛かっていたのが、高橋英樹の「男の紋章」シリーズと渡哲也の「無頼」物だった。日活も裕次郎全盛の時代が終わり、次に来る日活ロマンポルノ時代の端境期の頃であった。

もうひとつ、よく観た大映は武蔵小金井に常設館があり、足繁く通ったものだ。

中学から高校へと歳が上がるにつれて、映画行動範囲も広がっていった。当時の映画上映の情報は新聞の映画欄である。紙面の下のほうにぎっしりと東京及び近郊県の映画館と上映作品が載っていた。それを見ながら見逃した映画やら三本立てなどを探しては出かけた。西は立川、都内では新宿、池袋、渋谷など。実に楽しい時代だった。

映画三昧 ‐ 映画と私(1)

2021年08月20日 | 映画
小さい頃の娯楽は映画しかなかった。だから小学生の時代から映画に嵌っていった。

小学生の時代ー杉並の頃
舞台は主として阿佐ヶ谷。スズラン通りを挟んで松竹、大映、そして東宝(ちょっと脇に入るが)。
松竹は現代劇が主流だったから母親に連れられて観た「君の名は」以外は行っていない。ただ、よくスチール写真や看板を見ていた。炎加世子の「乾いた湖」の看板は強烈な印象だった。松竹の時代劇はマイナーだったが当時の看板スターは近衛十四郎ではなかったか。

大映のポスターやスチールでは「白鷺」の山本富士子にはうっとりしたもんだ。「透明人間と蠅男」を観た記憶がある。北原義郎、品川隆二、叶順子だった。

東宝は主に駅前シリーズや社長シリーズ、そしてゴジラ。あと「地球防衛軍」とか「美女と液体人間」というのもあった。珍しいところでは鶴田浩二の「眠狂四郎」。思い出せばきりがない。

新東宝は阿佐ヶ谷にはなく、荻窪まで行かねばならなかった。嵐寛の鞍馬天狗、若山富三郎は人形佐七だったと思う。そして宇津井健のスーパージャイアント。

そう、あの頃、いつも阿佐ヶ谷、たまに荻窪。そんな杉並の小学校時代だった。


映画三昧 ‐ Sayonara

2021年06月14日 | 映画
昔、早川雪州がいた。あの日本軍によるイギリス軍捕虜を扱った「戦場にかける橋」の収容所所長役である。日本人俳優のアメリカでの先駆者でもある。その意味で、もう一人忘れてならないのがナンシー梅木だ。

映画小僧だったよし坊は中学高校と映画雑誌を読み漁っていた。映画画報だとかキネマ旬報から専ら洋画情報にのめり込んでいた。そこには雪舟や高美以子とともにナンシー梅木の名前を知ったのだが、彼女がオスカー助演女優賞をとったという映画を観る機会がついぞ無かった。

その映画「Sayonara」が念願かなって観ることが出来、大満足の日々である。

映画は時として、その時代を鮮明に映し出してくれる。朝鮮戦争を背景に、神戸を舞台にしたマーロン・ブランド主演の作である。歌舞伎、能、文楽を賑やかに配し、宝塚歌劇団を模した踊り子集団からヒロインの高美以子、そして、もう一人の米軍パイロットの妻になるナンシー梅木。

この映画でもうひとつ収穫がある。若きジェームス・ガーナーが将校役で出てるではないか。彼を初めて映画で観たのはスティーブ・マックィーン主演の戦争捕虜脱走の映画「大脱走」であった。あの映画にはそうそうたるメンバーが出ていた。

Sayonaraの映画の中で、面白い場面があった。殆ど英語が分からぬまま、米人パイロットと結婚するナンシー梅木が牧師の前で宣誓する場面。牧師が結婚の宣誓文を読み上げ、まず男に宣誓を促し、「I will」とやる。次に牧師は女に同じように宣誓を促すが、英語が分からない。そこで男が助け舟を出し「She will」と答えると女がそれに倣って「She will」と答えるのだ。英語が分からない人にとってはそんなもんだ。監督の些細だが心憎い演出である。

この映画を観ると、当時の軍規律で例え日本で妻を娶っても本国に連れて帰ることが出来ない問題を浮き彫りにしている。戦後、多くの米国軍人が妻を残して帰国した背景が分かる。

エンディングの場面も懐かしい。当時の数寄屋橋界隈と一世を風靡した日劇が映し出されている。戦後を垣間見る映画のひとつだ。


映画三昧 ー チャールス・ブロンソンが懐かしい

2021年04月02日 | 映画
1970年代、日本のCM マンダムで一躍全国区となったチャールス・ブロンソン。彼を初めて観たのは七人のサムライを西部劇リメイクしたユル・ブリンナー主演の「荒野の七人」。そのあと、戦争捕虜を扱った巨編「大脱走」。スティーブ・マックィーン、ジェイムス・ガーナー等そうそうたるメンバーの中にいた。次が、リー・マービン主演の、やはり戦争映画のThe Dirty Dozen。これも面白かった。当時から主演ではないが、強烈な個性を放っていた。

ハリウッドでは主演は巡ってこないとふんだ彼は、主演作を求めてヨーロッパへ渡った。これが図に当たり、Cold Sweatや三船敏郎、アラン・ドロンとの共演Red Sun等で評価を高め、アメリカに凱旋したのである。

Death WishシリーズやFamily Copシリーズも楽しいが、西部の砂漠地帯で白人とインディアンのハーフとして傲慢な白人とのサバイバルを賭けたChato's Landは必見だろう。

兎に角、ブロンソンの映画は面白いの一言に尽きる。