よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

親父の人生(7)海外行き断念

2023年01月19日 | 昭和の足跡
寝台自動車の会社に落ち着くまでの職歴は倒産に次ぐ倒産でなかなか落ち着かなかった。そんな時、親父にとって又とないチャンスが巡ってきた。

それは唐突な話だった。シンガポールに行く話があるという。今でいう海外青年協力隊のような話で、自動車を中心とした機械整備の技術指導に二年間単身で行く話だ。子供心ながら、おやじもなかなかすごいと思ったが、母親が泣く泣く猛反対し、おやじの計画は没となった。

この時の話、即ち海外へ行く、ということが自分の頭の中に刷り込まれたように思う。自分では意識していなかったのだろうが、小学校から英語に興味を持ち、大学は英語を専攻し、会社の縁でアメリカに来て、そのご住み着いて現在に至るのは、あの時の事が影響してると今でも思っている。おやじは断念したが、その意思を引き継いだとも思っている。おやじに感謝である。

国連主義の虚しさ

2023年01月10日 | アメリカ通信
ロシアのウクライナ侵攻は、コロナ騒動とともに2020年代初頭の歴史的転換の大事件として振り返ることになろう。コロナのそれは社会システムの変革であり、ウクライナ侵攻は国連主義の実質的瓦解である。

ウクライナ侵攻とその後の進捗状況に、それまで声高に国連主義を叫んでいた識者や政治家がすっかり鳴りを潜めてしまった。”この紛争に対し、国連憲章を尊重して慎重に対処すべきだ”と、もっともらしいセリフを吐いていた政治家や知識人と言われる人々は今回の侵攻に対し沈黙するばかりである。

そもそも国連とは、第二次世界大戦後に戦勝国5か国が中心となって日独伊を監視下に置き、併せて世界秩序をコントロールするために作った機関である。5か国のみ拒否権を持つのはその為だ。そのことを忘れてはいけない。l

当初から国連は極めて脆弱な基盤の上に成り立ってきた。それは常任理事国五カ国は大きな紛争は起こさない(だろう)、という前提があったからだ。5カ国以外が紛争を起こした時は、国連決議と称して採決して当該国に圧力をかけ、都合が悪い時は5か国のいずれかが拒否権を行使して決議を無力化する(多くは中国とソ連=ロシアだが)。この繰り返しで最近まで何とか国際紛争をのりきり、体面を保ってきたのが実情である。

近年の紛争で無力な国連をさらけ出したのは息子ブッシュによる第二次イラク戦争だ。国連はイラクに対し大量破壊兵器破棄を決議し、イラクは破棄したと宣言したが、国連監視団による現地査察を拒み続けた為に大きな疑惑を生んだ。アメリカは一応国連での手続きとして’最後通牒”決議を採択し、イラクが無視したことを受け、”大量破壊兵器有り”との御旗を掲げ、イギリスと共にか侵攻した。結果は大量破壊兵器は破棄されていたのだが、当時のフセイン大統領は、イラクが大量破壊兵器を持っていると思わせることが周辺敵対諸国に対して抑止力になると考えた。このトリックで侵攻を招き、自身は処刑された。

イラク侵攻はアメリカの無理押しではあるが、それでも何とか国連での茶番的手続きを踏んだ。ところがロシアのウクライナ侵攻はそれさえもない。国連などクソくらえなのだ。五カ国が道を外せば国連はなす術がない。これが現実だ。