よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

12年ぶりのニューオーリンズ そして最後のニューオーリンズ

2017年03月23日 | アメリカ通信
アメリカでの旅行にはちょいと工夫がいる。食べ物である。どこで何を食べるか。日本食もあるにはあるが、中ちゃんや韓ちゃんがやってるところは我々夫婦のスタンダードから外れるからダメである。その点、ルイジアナは唯一合格地域である。やはりフレンチの流れをくみ、この地域独特のクレオール料理を作り上げた舌は大したもので、およそアングロサクソンには出来ない芸当だろう。

40周年のイエローストーンが来年に延期になったので、急遽12年ぶりのニューオーリンズへ行って来た。最後に行ったのが2004年、あのハリケーン・カトリーナの前年だった。テレビの画面で、中心地フレンチクォーターも水に浸かったのを覚えているが、この地域だけは大きなダメージはなさそうだった。

以前来た時、映画「欲望と言う名の電車」で有名なストリート・カーに乗り、途中下車して散策した覚えがあるが、今回は目玉ラインのセント・チャールス ラインを往復してみた。片道一時間は乗りごたえがあった。しかも3ドルの一日フリーパスを買えば他の3ラインも自由に乗れるので十分おつりがくる。

ランチはお決まりの、ジャンバラヤとガンボスープ。この組み合わせしかあるまい、このニューオーリンズ、いやルイジアナでは。

日本人の旅行には美味しい食べ物がないと旅行した気分になれない。全く、ある意味贅沢な民族だと、つくづく思う。

New Orleansよ 永遠に。

我が街アトランタ (8)ニューサウスの旗手、その出発点

2017年03月10日 | 風と共に去りぬ の アトランタ
南部アメリカがオールドサウスと決別し、ニューサウスへと踏み出したキッカケは紛れもなくCivil War(南北戦争)である。映画「風と共に去りぬ」でも描かれたように、北軍の侵攻により灰燼に帰したのがアトランタだった。

しかし、アトランタは灰燼に帰した故に、灰の中から、過去の枠にとらわれない、新しい”国造り”に立ち上がる事が出来た。白人と黒人という、根深い差別感はあるものの、双方が理解し合い、協力することが無ければアトランタは再生出来ないことを双方の有力者達は分かっていた。そうしなければならない危機感が存在したと言えよう。この共存感こそが、他の南部州と決定的に違ったのである。

アトランタの中心街には南北に延びるPeachtree Streetがある。所謂目抜き通りだが、この通りに沿って当時の白人達の居住地や商店が発展した。ダウンタウンのPeachtree Streetに東からぶつかってくるAuburn Avenueと言う通りがある。この通り沿いには黒人達の居住地と商店が発展し、その一角はSweet Auburnと呼ばれている。この二つの通りが交差する所こそは、アトランタの再生と復興を象徴するクロスロードなのだ。

アトランタの復興とその後の発展には多くの人々が関与していくのだが、とりわけ象徴的な二組のファミリーの存在を抜きにしては語れない。アレン・ファミリーとダブス/ジャクソン・ファミリーである。アレン一族は白人家系、ダブス/ジャクソン一族は黒人家系である。

アトランタはこの二つの一族と共に船出していく。

季節がおかしい 狂い咲き

2017年03月04日 | アメリカ通信
例年の如く、今年も季節がおかしい。

年明けから暖冬の予感がしていたが、その通りになった。一時的に寒い日も続いたが、全体として温かさが続き、最も寒いはずの二月も暖かく、三月に入り、ついには家の桜が7~8片咲いてしまい、今日には散ってしまった。

家の前の植え込みを見れば、毎年5月に咲く深紅のツツジが部分的に赤くなっているではないか。よく見たら、これもツツジの蕾が一部開きかけている。

あっちを見てもこっちを見ても、いたるところで狂い咲き。寒いよりは暖かいほうが良いのに決まってはいるけれど、すっかり季節感というものが狂ったままでこの何年かを過ごしている。

今月は結婚満40年にあたる年。この夏念願のイエローストーンへ行く計画をしたのだが、別件で日本へ行かねばならず、来年に行くことにして、今年は結婚記念日の20日に12年ぶりのニューオーリンズに行くことにした。あのハリケーン・カトリーヌ以来、あの街がどのように再建されたのだろうか、楽しみである。