よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

我が街アトランタ (7) 別の顔を持つ”RACE"の街

2016年12月23日 | 風と共に去りぬ の アトランタ
アメリカを連想するのは「人種差別」。そこには主人の白人と奴隷の黒人の長い歴史と戦いがあり、それは現在でも続いている。この問題は収束することなく、未来永劫続く”アメリカの運命”であろう。

南北戦争での北軍勝利により奴隷解放となり南部は新たな一歩を踏み出したのだが、1960年代の公民権運動が高まるまでは各州で様々な惨たらしい事件が頻発していた。ミシシッピ、アラバマ、サウスカロライナでのリンチや黒人教会爆破などが起こっている。ジョージアも例外ではなかったが、その行き方は他の周辺州とやや趣を異にする。

アトランタには昔から黒人富裕層が多い。今から20年くらい前、日本から本社の”えらいさん”が初めてアトランタに来て、街中を案内した時のことを思い出す。隣のレーンに高級車ベンツが止まった。と、後ろの座席の”えらいさん”が言う。「おい、xx君(小生の名前)、黒人がベンツに乗ってるぜ。こりゃ驚いた」。アトランタでは当時から古いアメ車を運転するショボい白人を尻目に黒人のベンツがあちらこちらで走っていたのである。

アトランタは白人と黒人が昔から上手く共存している、かつての南部奴隷州の中では特異な存在なのである。周辺州の都市が第一次産業からの脱却に遅れたのに対し、アトランタはいち早く商業化への道を進んだことから、才覚があれば黒人でも金もうけが出来る土壌が出来ていた。何故共存出来る土壌が生まれたのかは、おいおい述べるが、アトランタは南部で突出した発展を遂げ、オリンピックへと繋がっていった。


オレオレ詐欺じゃないけれど アメリカ編

2016年12月16日 | アメリカ通信
日本の「オレオレ詐欺」ではないけれど、アメリカでも色々な手口に遭遇して、うっかりするとやられてしまう。

アメリカに来たての頃、こんな話があった。ある日、会社に出勤すると、日本から来た若い社員が悩ましい顔をしていた。何かあったのか、と尋ねると、こんな手紙が来ました、とカバンから出して見せてくれた。「あなたに何千万円当たりました。すぐ手続きが必要ですから連絡ください」。若い社員は心当たりはないが、当たっていたらどうしよう、と三日三晩悩んだそうだ。今から20年も前のことである。へたにコンタクトすると、ごっそり私的情報をもっていかれ銀行口座やクレジットカードを荒らされてしまう。

次に出てきたのが、俗に言う「ナイジェリア・レター」だ。ここでは、大量資産を国外に移転したいが外からの助けが必要で、それに協力してくれたら謝礼が出る、というもの。Eメールの発達とともにこの手の詐欺が頻繁になった。

ここ数年出てきたのがヨーロッパ発の「遺産相続詐欺」である。銀行の幹部と称して”日本人の誰々が死亡し、莫大な財産をXX銀行に残した。遺産相続人を探したが見つからないので処理が出来ない。ついては貴方が同じ苗字なので遺産を相続することで協力してもらえないか。協力報酬として遺産総額の60%を貴方取り分、残りは銀行ということで如何か”と言う内容の手紙が来る。インターネットで調べてみると、銀行は実在するが、書いてある電話番号が通じない。手紙をよこした本人も記載がないから確認できない。これでScam(スカム)であることが分かる。

このヨーロッパ発のスカムも最近は少々手が込んできた。最近の企業ウェッブサイトは以前に比べ数段詳しい諸情報を載せており、幹部社員のプロファイルもそのひとつ。今回入手した手紙では、企業は実在し、手紙の主もサイトに載っている。だが、電話をされたら一発で嘘がバレるから、電話番号だけは誤魔化すしかないようだ。

もうひとつ感心したことがある。手紙は日本語で書かれており、文面には外国人が書いたようなたどたどしさは微塵もなく、言葉遣いといい、表現のニュアンスといい、まぎれもなく日本人が書いたようなタッチで、日本人が介在していると言ってもおかしくない。

今の世の中、便利になり過ぎて、一体どの程度個人情報が盗まれているのか、見当がつかない。怖いと言えば相当に怖いご時世である。


映画三昧 - Silence 沈黙

2016年12月05日 | 映画
今年最後を飾る期待の映画は、何といっても今月末に公開されるSilence 沈黙だろうか。この遠藤周作の代表作がハリウッドでリメイクされたのは興味深いことである。

期待の映画、と言ったのは、この映画を観て当地アメリカのキリスト教を信ずる人々がどのように評価する、あるいは感じるだろうか、と言う点に大いに興味があるからだ。

作家遠藤周作がキリスト者として生涯追い求めた永遠のテーマかもしれない。究極の選択のあと、神を捨て絶望に向かって行くのか、それとも、それでも神を信じて希望を探す道を歩むのか。無神論者のよし坊には到底理解しえない世界ではあるが。

かつて松竹製作の篠田正浩の「沈黙」を観た。重要な役割である転びバテレンに、メーキャップを施した丹波哲郎を起用していたが、当時としては簡単にそれなりの外国人俳優を使える時代ではなかったから致し方あるまい。

アメリカでは年々クリスチャンの人口が減っている。本来のアメリカ人のキリスト教離れは深刻で、敬虔なクリスチャンである中南米からの移民によって減少が緩和されているに過ぎず、今後も減り続けることになる。こうした背景の今のタイミングでこの映画が公開されることは大きな意味があるのではないか。

バチカンを含むキリスト教世界の人々にとって、この映画は「問題作」である。