よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

昭和の足跡(26)高校時代

2021年06月23日 | 昭和の足跡
高校は武蔵境にある都立武蔵高校へ進学した。数学は苦手科目だったが、一年で教わる代数は何故か成績が良く、数学の先生に注目されたが、二年の幾何になると成績がガタ落ちとなり、化けの皮が剝がれてしまった。英語はひたすら邁進した。ある日英語の矢吹先生から交換留学試験を受けないかと提案されたが、グズグズしているうちに別のクラスの山下譲が合格してアメリカに行ってしまった。何故挑戦しなかったのだろうか。

クラスA組はよかった。なんといっても長谷川明主導のクラス一丸となったコーラスは懐かしい。毎年文化祭での争いでは常勝ではなかったか。記憶に間違いなければ、杉並公会堂で行われた都の合唱コンクールに出たのを覚えている。今でも仲の良いクラスだ。

高校に入り、バレー部に入った。毎日の放課後練習、夏休みは学校での合宿等など。背が低いのでセッターポジションだったが、レギュラーにはなれず控えに甘んじた。丁度二年生の時に9人制から6人制に移行した時代である。

高校に入っても相変わらずの「映画小僧」で、観たい映画があると授業をサボって出かけていた。これも青春時代の一コマとして懐かしい。

高3ともなると大学受験勉強に拍車がかかる。そして受けた東京外語大は見事に落ちた。やはり数学がネックであったのは間違いない。お決まりの予備校コースへ突入、代々木ゼミ行きとなった次第である。

映画三昧 ‐ Sayonara

2021年06月14日 | 映画
昔、早川雪州がいた。あの日本軍によるイギリス軍捕虜を扱った「戦場にかける橋」の収容所所長役である。日本人俳優のアメリカでの先駆者でもある。その意味で、もう一人忘れてならないのがナンシー梅木だ。

映画小僧だったよし坊は中学高校と映画雑誌を読み漁っていた。映画画報だとかキネマ旬報から専ら洋画情報にのめり込んでいた。そこには雪舟や高美以子とともにナンシー梅木の名前を知ったのだが、彼女がオスカー助演女優賞をとったという映画を観る機会がついぞ無かった。

その映画「Sayonara」が念願かなって観ることが出来、大満足の日々である。

映画は時として、その時代を鮮明に映し出してくれる。朝鮮戦争を背景に、神戸を舞台にしたマーロン・ブランド主演の作である。歌舞伎、能、文楽を賑やかに配し、宝塚歌劇団を模した踊り子集団からヒロインの高美以子、そして、もう一人の米軍パイロットの妻になるナンシー梅木。

この映画でもうひとつ収穫がある。若きジェームス・ガーナーが将校役で出てるではないか。彼を初めて映画で観たのはスティーブ・マックィーン主演の戦争捕虜脱走の映画「大脱走」であった。あの映画にはそうそうたるメンバーが出ていた。

Sayonaraの映画の中で、面白い場面があった。殆ど英語が分からぬまま、米人パイロットと結婚するナンシー梅木が牧師の前で宣誓する場面。牧師が結婚の宣誓文を読み上げ、まず男に宣誓を促し、「I will」とやる。次に牧師は女に同じように宣誓を促すが、英語が分からない。そこで男が助け舟を出し「She will」と答えると女がそれに倣って「She will」と答えるのだ。英語が分からない人にとってはそんなもんだ。監督の些細だが心憎い演出である。

この映画を観ると、当時の軍規律で例え日本で妻を娶っても本国に連れて帰ることが出来ない問題を浮き彫りにしている。戦後、多くの米国軍人が妻を残して帰国した背景が分かる。

エンディングの場面も懐かしい。当時の数寄屋橋界隈と一世を風靡した日劇が映し出されている。戦後を垣間見る映画のひとつだ。


味にうるさい日本人

2021年06月04日 | アメリカ通信
味に少々うるさい外国人でも初めて日本に行き、その食文化に接して驚くことが多いようだ。ヨーロッパで美味しいケーキを食べ慣れているドイツ人が”なんでこんな外れた町でヨーロッパでもお目にかかれない美味しいケーキを売ってるんだ”とか、フランスのパンが世界最高と思っていたフランス人が日本のパンの美味さに舌を巻き、菓子パンの豊富さに度肝を抜かれているのだ。

日本の食生活は恐らく世界に比類がないくらい奥深く幅広いのだと思う。生に始まり煮て、焼いて、揚げて、蒸す。食材もピンキリだが、あの小さな鰯の稚魚をしらす干しやちりめんじゃこで食べたり、アメリカ人なら見向きもしないシジミが佃煮に化ける等、想像もつかないだろう。

こうしたバラエティに富んだ食文化の中で育った日本人は飛び切り舌が肥えている。だから、外国人が日本人相手に商売をしようとすると大変な困難さを伴い、多くの場合は失敗するのである。ファーストフードはその典型だ。バーガーキングは3度の挑戦で挫折した。3度目の挑戦は、”我々は過去の二度の失敗で多くを学び、今度こそ成功させる”と豪語していたにもかかわらずだ。ウェンディーズも沈没した。そして、開店当初は長蛇の列で何時間も待たされたクリスピー・.クリーム・ドーナツも今や風前の灯である。

マクドナルドは健闘しているではないかと言われるだろうが、これは歴史が違う。今からおよそ50年前、ファーストフードの将来性を見越した藤田田という経営者を得て事業展開したが、定着せず一度撤退。藤田田の再挑戦で悪戦苦闘の末現在に至った。当初の失敗はアメリカ本社の”アメリカン・テイスト”の頑ななゴリ押しによる。「アメリカNo1の味が日本人に合わないはずがない}と。

逆から見た面白いエピソードがある。今から10年以上前の話だが、二人のアメリカ人が初めて日本に出張し、ハンバーガーを食べた。仕事を終え帰国の途に就いた二人が飛行機を降りコンコースに出た途端、向かったのはマクドナルドだった。「ハンバーガーはこれに限るぜ」と言ったとか。 人それぞれの食に対するテイストは生まれ育った所で決まるから、彼らの行動もよくわかる。だからこそ、日本人相手に食べ物の商売をする時、相手が、「The most discerning people in food on this planet」であることを認識しないと成功はおぼつかない。