よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

今年の日本行き

2019年07月29日 | 旅行
所用があり今年の秋に日本へ二年振りに行く。今計画を練っている最中だが、目玉は広島行きと念願の熊野古道歩きである。

恥ずかしい話だが、家族の中でよし坊だけが広島の原爆ドームを訪れていない。日本人なら一度は訪れておかないといけない場所にも関わらず、今まで行くチャンスを逃してしまった。遅ればせながら、今回最初で最後の訪問をワイフと試みる予定である。

熊野古道は、ここが世界遺産として登録する遥か以前から歩きたいと思っていた。そもそも、結婚して子供が小学生になった頃、当時の「日本の紀行」単行本シリーズをワイフが持っていて、その奈良版を見ていたら”秘境 十津川”というページが出てきた。一目見ただけで行きたい、思った。以後、夏のバケーションは殆ど十津川になった。いつも、谷瀬のつり橋を経由し、川湯温泉まで足を伸ばす。宿は決まって”木の国ホテル”という旅館だった。なにせ、旅館の直ぐ裏に川があり、泳げて温泉が湧き出ている。

当初は熊野古道にはあまり関心がなかったのだが、関心を持ったのは、当時関西弁を話す外人タレントとしてテレビに出ていたイーデス・ハンソンが終の住処を熊野の中辺路に移した記事に出会った時である。そう言えば、と思い出したのが作家、中上健次の「紀州・木の国、根の国物語」にも出ていたことを思い出した。俄然、いつかは熊野古道の一部でも歩いてみたいと思うようになった。

アメリカに来なければ、とっくの昔にいっていただろうが、歳を考えれば、最初にして最後のチャンスだろうと考えた。十津川村から熊野本宮までの休憩を入れての7時間強。難所は1000mの果無峠という。毎週ワイフと勤しんでいるトレイル・ウォーキングはその練習として益々欠かせない。


3年ぶりの釣果

2012年07月11日 | 旅行
この前のノースカロライナのアウターバンクスでの釣りが不調に終わったので、満を持してフロリダのレディントンビーチのピアに出かけた。片道、約8時間の旅、日曜日に出発した。日曜日に出発する意味がある。とにかく道が空いていて快適なのである。

最初はクリアウォーターのピア60で釣る積もりだったが、折りからのバケーションシーズンでごった返していたので、急遽、3年前のJuly4に行ったお隣のレディントンビーチのピアに変更。ここは入場料が他より高いのが玉に瑕だが、その分空いていて釣るのにはいい場所である。

泊まりはラキンタ。3週間前に取ったから43ドルと安い。前回と同様の宿である。朝、朝食を急いで食べ、ピアへ。7時半からつり始めた。サビキを入れたとたん、早くもアジが掛かった。初めてワイフより先行して釣り上げた。

約4時間、太陽ギラギラの中でアジ4尾、名前の分からない魚3尾となった。有り難くも、近くで釣っていたアメリカ人が釣ったヒラメを呉れると言う。

月曜日の夜帰宅。さすがにグッタリである。

昨日は3年ぶりの釣果を祝し、これまた久しぶりの刺身三昧。アジのたたきが堪えられぬ。ヒラメの刺身も言う事無し。他の白身もよし。ビールに日本酒、仕上げは手巻き、と胃袋堪能したのだが、少々飲みすぎとなったのは、いつものことである。今回はサワラが釣れなかったので、サンクスギビング前にもう一度行くことに決定した。

The Outer Banks ー隠れたアメリカの歴史

2012年05月24日 | 旅行
結婚35周年でどこへ行くか考えた。30周年にはフロリダのキーウェストを選んだ。そのキーウェストに因んだ訳でもないのだが、長さではフロリダ・キーを凌ぐ、アメリカ最長のQuay状の島、アウターバンクスに行くことにした。3泊4日の旅である。往復1350マイル、約2000キロの行程であり、時間にして片道10時間のドライブとなった。

世界史の中で、列強の国々、スペインが、ポルトガルが、オランダが、そしてイギリスが、新天地を求めて世界の海に乗り出し、次々と植民地を形成していく様は、正に冒険活劇を観るようだ。日本で学ぶアメリカ建国の歴史は、せいぜい1620年のメイフラワー号のマサチューセッツ上陸くらいだが、アメリカに住むと、やはりバージニアにあるアメリカ人による最初の恒久的入植地ジェームスタウンを訪れないわけにはいかないだろう。この入植が1607年である。これを前後する1609年、オランダは、ハドソン河口にニューアムステルダムを建設した。今のニューヨークである。しかし、遡ること約20年前、イギリス人が初めて入植し、いつの間にか消滅した幻のコロニー(入植地)がある。

最初の恒久的入植地であるバージニア、それを南下するとノースカロライナである。その海岸線の3分の2くらいを大西洋の大波から守るように、全長200マイルの砂の堆積で出来た細長いキー状の島が横たわっている。これがアウターバンクスと呼ばれるアメリカ最長の島である。
アウターバンクスに守られた内側に、ロアヌーク・アイランドという小さな島がある。ここが、1584年に入植し1587年に米西戦争の煽りを受けて消滅してしまった、幻の最初の入植地、The Lost Colonyである。アメリカの歴史は、本当はここから書かねばならないと言われている重要な地である。幻の入植地は、その開拓に携わったサー・ウォルター・ローリーに因んでフォート・ローリーと名づけられた。ノースカロライナの州都ローリーも彼の名前を冠している。

アウターバンクスの北側に町があり、その一つがKill Devil Hills。けったいな名前で、直訳すれば「悪魔殺しの丘」となる。ここに、かの有名なライト兄弟が初めて飛行機なるものを成功させた場所があり、必見であろう。又、アウターバンクスの外海一帯を別名、「船の墓場」と呼ばれるくらい、当時は難破船が絶えなかったらしく、アメリカ最初の灯台もここに建てられている。

決してフロリダのキーウェストほど有名ではないが、ここアウターバンクスはバケーションを兼ねて歴史探索をするには格好の場所だと思う。

付け加えるならば、釣りも出来、勇んで釣り糸を垂れたのだが、大西洋は波が荒い。釣果はお分かりだと思う。


やっと釣れました

2009年07月06日 | 旅行
今年の独立記念日は、3度目の正直を狙って、ピア釣りに決め、3日にフロリダに向けて出発。
今年は、2回ともボウズで散々な目に遭っている。今回は3タテは喰うまいと、去年秋、大漁だったクリアウォーターのレディントン・ピアに決め、”必勝”を期した。狙いは鯵で、この時期鯵が来るのかが問題だが、今まで6月にメキシコ湾で実績があるので、いけるだろうと踏んだが。

片道500マイル(約800KM)だから、いつもの如くワイフと交代運転。アメリカの道は単調だ。同じ道は面白くないと、新しいルートに変えても所詮は同じ。何も無い、唯唯同じ風景しか出て来ない。

昨年泊まったLaQuintaインは、80ドルだったが、この時期フロリダはオフシーズンの為か、同じホテルで45ドルと約半値。アメリカはこういうところが実に合理的というか、チョイスが豊富で、選べば安く泊まれる。
食事も工夫すれば美味しく食べれる。外で食べるものはろくな物が無い。味オンチのアメリカ人社会では自ら防衛しないと損をする。と言う具合で、我が家では、日本食料品店で、サキイカ、オカキ、カップ焼きソバを買い込み、これを肴にワイフは持参のビール、よし坊はウィスキーの水割りで、ホテルの部屋で盛り上がる。最後の仕上げは、これまた、カップ麺。ワイフはキツネ、よし坊はタヌキの大盛り。翌朝は、これまた、韓国ベーカリーで買ってきた菓子パン。ホテルのコンチスタイルの朝食でも良いが、満足感が天と地くらいに違うのだ。

さて、翌朝は4時半起きでレディントン・ビーチへ。
いつも、釣果はワイフが先行し、そして大漁だ。早速糸をたれる。ワイフもよし坊もアタリが無い。今日もヒョッとして?と嫌な考えが頭をよぎる。と、ワイフにアタリが。また先を越されたか。釣り上げたら雑魚だったので、取敢えずホッとした。

オッとアタリが来ました。引き上げると、イサキの一種だ。立て続けに来た。ワイフのほうにも同じものがかかり始めた。小さいのは放し、3尾持ち帰りとした。
遠くに投げりゃ良いってなもんじゃないが、遠めに放ったら、途端に手応え。上げてみたら、イシダイの子供みたいなのが上がった。外見はハタタテダイにも似ているが旗立てが無い。

あとは、チヌの種類か、専らよし坊が釣る形で、ワイフには雑魚ばかり。初めての釣果逆転の可能性が出てきた。暫くしたら、本日、最初で最後の待望の鯵が、ワイフの竿にかかった。待望の一尾。タタキが頭をよぎる。

大漁鯵の20尾とはいかなかったが、写真の釣果は、まずまず。日曜の晩は、早速鯵のタタキに刺身。刺身は手巻き寿司ネタとなり、ワイフとよし坊の胃袋に大満足で納まった。



セント・サイモン島

2009年04月13日 | 旅行
予てより行きたいと思っていたSt. Simons Islandへ一泊旅行で行った。理由は簡単。ジョージアで唯一、海(大西洋)に面している大都市サバンナとフロリダの間にある海のリゾート地であることから、魚釣りが出来る。

実は、この島、2004年にG8サミットが開催された所でもある。ワイフとよし坊の興味は、さぞかしのリゾート地であろうという期待があったのだが。

この島及びこの地域のジョージアにおける歴史的位置付けは高い。英国からの入植者にして、ファウンダーとも言える英国のオグレソープ将軍がこの地にフロリダを拠点とするスペインの攻撃を防ぐ為の要塞を築き、その名を上げた。それがフォート・フレデリカである。ここを見るには、入場料3ドル必要だが、写真のようなSpanish Mossが随所に繁殖していて壮観だ。この地で見るべき最大のハイライトだろう。

Spanish Mossは名前はコケと言う名がついているが、実際はその様なものではなく、糸状の細い植物がオーク等の枝に寄生するかのように纏わりついている。オークに限らずミカンの木にもフサフサと纏わりついていた。この、一種異様なまでの姿はこの地域の特徴で、南部を舞台にした映画にも良く出てくる。

もう一つの目玉とも思えるG8開催場はリゾートホテルのクロイスターだが、ゲストしか入れないので、ゲートでUターンせざるを得なかった。

さて、最大の眼目である、釣。残念ながら4時間の釣果は小型の鯵一尾である。周りも見ても殆ど釣れてない。兎に角、アタリというのが全く無いのだ。ここには魚など住んでいないのだと言い切っても過言ではない、そんな感じだ。大西洋はこんなもんなのか、それとも別の? フロリダでも坊主の日はある。そう思ってあきらめた。釣はやはり、フロリダ。それでキマリとしたい。

対岸の北朝鮮

2007年05月18日 | 旅行
80年代のことだが、仕事で中国・北朝鮮国境の町、丹東に行ったことがある。

北京駅から夕方の夜行列車に乗ると、翌朝8時前くらいに丹東に着く。初めて行った時は、夜行列車の寝台に苦労した。布団が独特のニオイで寝られない。冬だったから、布団をかぶりたいが、だめだった。この列車は北京から丹東を経由して北朝鮮の新義州までの、いわば国際列車なので、車内アナウンスも中国語、朝鮮語にロシア語でやっていたような記憶がある。さすがに北朝鮮行きなので、眼光鋭く、胸に金日成のバッジをつけた連中がうようよ乗っていたのが印象的であった。

丹東は、朝鮮族の中国人が多いので、ホテル内の表示もハングルがあり、食事にはキムチも出るので、北朝鮮との近さを感じる。ホテルでテレビをつければ、あのかん高い独特の口調と能面のような表情のアナウンサーが金日成をたたえ続ける北の放送が見れる。

初めて丹東の公司を訪問した時、時間の合間に観光と称して、国境を作っている鴨緑江の遊覧船に乗せてくれた。対岸は北朝鮮、右手を見れば、北朝鮮へ入る鉄橋が見える。遊覧船は川中を横切り、北朝鮮側の川べりまで行くのだが、防波堤に座ってボケッとしている連中を身近に見ることが出来た。皆、覇気がない、暗い顔をしていた。それを見ながら、中国人が、「彼らはかわいそうな、貧乏な国民です」と言っていたのが忘れられない。当時の中国人も日本人から見れば相当低い生活をして居ると感じていたが、その彼らが北朝鮮を見てそう言うのだから、相当ひどいのであろう。

中国も近年の発展は目を見張るものがあり、地方もそれなりに発展しているのだろうし、丹東も例外ではあるまい。その丹東から見た対岸の今の景色は、果たして変わっているのだろうか。国家で犯罪をやる国に繁栄はあるまい。

日本のホテルのささやかな楽しみ

2007年05月14日 | 旅行
アメリカでは、大体どんなホテルやモーテルに泊まっても基本は、部屋にはベッドが二つのツイン。ベッドが一つのときは大きいキングサイズ位だから3~4人は寝ることが出来る。。料金は一人で泊まっても複数でも殆ど変わらない。だから、家族4人での旅行では、一部屋4人のシングル料金でよく泊まったものである。割り増しがあっても、シングルのプラス10ドルくらいである。コレが日本となると、そうは行かない。ツインとなれば5割り増しか、倍近くする。

ところがである。先年、所用で東京に行くことになり、アメリカからさるホテルの予約をした。もちろん一人である。日本に着いてチェックインしたのだが、部屋に入ってちょっと驚いた。部屋は何と、ツインである。チェックアウトした時料金を確認したが、ちゃんとシングル料金であった。これは何かの間違いか、それとも?アメリカ人にとれば、「ホテルはベッド二つ」が常識みたいなものであるから、海外客にはそのように取り計らったのかもしれない。

真相はわからぬまま、次に東京へ行く機会が出て来た。物は試しで、今度は別のホテルを予約してみたのだが、同じことが起こった。二回も同じような扱いを受けると、最早偶然とは思えぬ。だから、きっと海外客にはそういう扱いをする事になっているのだと、勝手に解釈している。

因みに泊まった二つのホテルは、決して、高級ホテルではなく、一つは7000円台、もう一つは9000円台の所謂ビジネスホテル。本当はもっと安いホテルに泊まろうと、いつもインターネットで探すが、5000円~7000円台では、かなり前から予約を入れないと取り難い。

最近、このささやかな楽しみを味わう用事がないのが残念である。



念願のキーウエスト

2007年04月26日 | 旅行
今、フロリダのキーウエストにワイフと来ています。車でI-75を南下、終点のかなり手前でローカル41へ入りトコトコやってきました。

結婚30周年に何処へ行こうかと思案していたのですが、キーウエストもその気にならなければ中々来れませんし、最南端というふれこみも魅力的でありますので、ワイフのイチオシであるイタリアを押し切ってのキーウエストです。

マイアミから約3時間、遠浅の海を左右に見ながら、延々と続くドライブ。写真は昨日撮った最南端(Southernmost)ポイントです。デジカメがあるおかげで直ぐ写真も載せれれる。まことに今の世の中便利なもんです。
ここからキューバが90マイルだそうです。キューバを脱出しアメリカに来たくもなる距離です。ってな訳で街と隣り合わせに基地があるのも納得。

オモロイ話でもあったら後報いたします。

さて、当地の滞在メニューですが、街を足で徹底的に歩く、へミングウエー、朝日と夕日のの鑑賞、できるだけ美味しいものを食べる(やはり日本食か)。そのくらいでしょうか、楽しみ方は。

旅行記ー垣間見たキューバ

2006年12月22日 | 旅行
東西冷戦が終わって大分日が経った。今ではパッケージツアーで行けるキューバも昔はそう簡単には行けなかった。

財界の外郭団体で日本キューバ経済委員会なるものが、貿易振興の為に民間企業の視察ミッションを派遣することになり、取引先の商社の伝でそのミッションに潜り込んだ。

日本からメキシコシティで乗り継ぎ、ハバナへ。

ホテルは、その名も「リブレ」。”自由”である。
車窓から見ると、昔のアメ車が、相当くたびれた姿で、走っていたり、路端のあちこちで、その残骸が散在している。

ホテルの前は昼も夜も音楽に合わせて踊る若者であふれている。同じ社会主義のソ連東欧や、中国とは雰囲気が全く違うのは、ラテンという国民性か。

内海の周りには、ビル群が立ち並ぶが、海のきらめくような青さと比べると、革命後の貧しさが影を落とし、さびしいたたずまいである。

映画で見た、革命前の、資本主義的自由主義的繁栄と堕落が混在する風景を頭に描きながら、当地に長く駐在する商社マン氏の案内で、有名な「トロピカーナ」の踊りを堪能。聞けば、奥さんはここの踊り手だとか。観光名所とは言え、昔はこれの何十倍の喧騒か、と想像する。

あれから25年、カストロもそろそろ舞台を降りる気配である。時代は変わる。

旅行記ー「四足で食えないのは机くらい」の話

2006年12月18日 | 旅行
後にも先にも、犬の肉を食べたのは韓国の一回のみで、その後は食したことは無い。その時も、最初は犬の肉だとは分からなかった、というより、知らされていなかったと言った方が良い。

お得意様の宋社長にソウル近郊のレストランに連れて行ってもらったときのこと。寒い季節で温いものを食べようと、出てきたのがチゲ。思いっきり食べた後、社長はおもむろに、「今日の肉はどうでしたか?」と聞いてきた。正直言ってチゲは好きだし、大変美味しかったので、その旨言うと、「実はあの肉、赤犬でした」。

所変わって、中国。ここでは、「四足で食えないものは机くらい」と言う世界。要するに四足で歩く動物は全部食べられると言う話。
訪問先は同じなので、通る道も又同じ。ある場所に必ず犬が居た。三回目の訪問の時、その場所に犬の姿が見えなかったので、「あの犬、居ないな。どうかしたんだろうか」。中国人が、事も無げに「胃袋に納まってしまいましたね」ときた。

美味い不味いは別にして、確かに四足で食べられないものは無いのだろうが、犬猫の類までくると、食べるのにはかなり勇気がいる。冒頭の韓国の話も、事前に言われていたら、恐らく、食が進まなかったと思うのだ。

アメリカでは、犬を「Man's Best Friend」等と言っているくらいだから、犬を食べると言おうものなら、最低に見られること間違いなしだろう。