よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

実力があっても女神は微笑まないーAFCファイナル

2011年01月29日 | サッカー
今の世の中便利なもので、インターネットで探せば無料で世界中のスポーツがライブで観れる。てなわけで、本日のハイライトであるアジアンカップファイナルの日本対オーストラリア戦を観戦した。

試合内容は、オーストラリアのパワーが遥かに勝っていたが、女神は微笑まなかった。キーパーとの一対一も含め、多くのチャンスを作りながら、ネットを揺らすことが出来なかった。

日本は、前半と後半に一回ずつチャンスが有っただけで、内容はお粗末と言われても仕方が無い。特に中盤で本田と遠藤があまり機能せず、攻撃への形が中々作れない。やはり、中盤の組み立てが出来ないとゴール前まで進めない。パスの連携も良いようには見えなかった。

延長戦になっていなければ、李忠成の出番も無かったであろう。今回のロースターに初めて李が入ったが、ついに出番は無いかと思っていた。ザッカロニが李を呼んだ時、アナウンサーが言った。「This may be a gamble」。

しかし、これ程鮮烈なInternational debutは滅多に無い。初代表の決勝戦、そして唯一のゴール。日本の市民権を得て日本代表入りを果たした彼の長年の夢がかなった瞬間だ。それにしても、前岡田監督だったら、李を代表に入れたか、入れたとしても、この場面で投入したか。恐らくしなかったであろう。

ザッカロニはギャンブルに勝った。今日の立役者は、キーパー川島と走りまくってクロスを上げた長友、そして李、この3人だ。

アナウンサーの言葉を借りれば、ビューティフルセーブ、ビューティフルクロス、ビューティフルボレー、と言うことになる。

映画三昧ーCrossing

2011年01月25日 | 映画
韓国映画の話題作「Crossing」を漸く観る事が出来た。

やはり、再現された北朝鮮の日常と強制労働の過酷な実態は目を覆うばかりだ。道端に並ぶ露天商の風景は、終戦直後の日本のそれらの光景にも重ならない。もっと荒涼とした風景だ。強制労働の場面では、思わず、かつて日本社会党の「極楽黄土」の言葉に乗せられて北に渡った多くの在日の方々の行く末を見るようである。一体何人の人がその後生き残ったのであろうか。そんなことを考えると胸が痛む。

父親は密入国で中国に妻のクスリを買いにでたが、行きがかり上、不本意にも韓国に脱出する事となり、別世界を目の当たりにしてしまう。「北朝鮮は韓国より繁栄している」。この北の教育が正反対であり、その格差は途轍もなく大きいと知ったショックは計り知れないだろう。最初の尋問過程での黙秘を破る切っ掛けとなった金賢姫の思想瓦解は、自由を謳歌し繁栄するソウルの街を見た時、北での教育がとんでもない間違いだったと確信した為と伝えられている。

映画は、息子がモンゴルルートでの北朝鮮脱出行へと続く。ハッピーエンドを期待するのか、それとも悲しい結末か。そして、映画はキチンと悲しい結末で終わってくれた。いや、この映画は悲しい結末でなくてはならない。ハッピーエンドなら、最後の最後でこの映画はブチ壊れたと思う。

久しぶりに息を詰めて観た映画だった。


米中会談,アメリカの凄さと中国の小賢しさ

2011年01月21日 | アメリカ通信
アメリカが普通にやる事でも、日本の体たらくを見ていると、その凄さを倍加して感じるから不思議だ。そんな米中首脳会談だった。

首脳会談では中国の人権問題をチクチクと問い詰め、記者会見では、米人記者がノッケから、人権問題を鋭く追及する。こんな事もあろうかと、中国側は、同時通訳ではなく、逐次通訳を事前にセットしたのだろう。よし坊も経験があるが、逐次通訳の良い所は、考える時間が出来る事だ。通訳を聞いている時間が考える時間となるが、もし、通訳前に発言者の言葉が理解出来ていれば、考える時間はプラスされるから、まことに都合が良い。

記者会見を観ていると、人権問題に関する記者の質問に知らん顔を決め込み、出来れば避けようとしていたのが分かる。二人目の質問に立った記者が再度質問に答えるよう促して、漸く、通訳機器の不備を理由に、原稿を見ながらの回答になった。用意周到に原稿を準備しておき、出来れば回避する。国益、自己利益の為には何でもするのが手に取るように分かる。

首脳会談の裏側で、ほぼ同時進行で議会が中国問題の公聴会を開き、今や大国として無視出来ないワルを叩く。アメリカ政治が一丸となる様を見ると、この国はやはり、「強い国家」だ。

日本では、いや、今の政権では、首脳会談で嫌味の一つも言えず、ましてや、その裏側で、中国Grillingなど到底やる勇気はなく、ただただ、嵐が通り過ぎるのを待つばかりの姿勢しか出てこない。

日本の「思い遣る」心をひとつの美徳として持て囃すのは良いが、今の日本は、まるで娼婦が媚を売っているように映る。

NHK会長騒動に垣間見る「日本的」なもの

2011年01月19日 | ビジネス横丁こぼれ話
NHKの次期会長候補に纏わるドタバタ劇は、極めて“日本的なもの“が問題をこじらせてしまったと言える。日本人は、どうも「ビジネスライク」という概念が嫌いらしい。

NHKの会長とは、多少名誉職的な雰囲気はあるが、巨大NHKを束ねていくマネジメントリーダーとしての重責を負うからには単なるお飾りでは駄目だろう。又、過去の不祥事連鎖から、内部昇格では自浄能力が無いと言うことで、最近は外部からの招請、所謂“外部の血”を入れているが、これも妥当な線だ。

外部からの招請とは、要するにヘッドハンティングである。当然、その職に見合う条件を提示してのお願いが常識であろう。条件とは、早い話が、給与とベネフィット類である。もし、そのような提示が無ければ当然質問することになる。更に、職務遂行に当って気になる点の質問も当然出てくるであろう。

招請を内諾したA候補者が、(1)交際費の有無 (2)家が遠いことによる会社近くでの居住便宜の有無 (3)外部から右腕を連れて行けるか、を聞いたあたりから、NHK内部でとんでもない人物だとの風評が立ち、これが本人の耳に入り、烈火のごとく怒って会長就任を蹴ったという顛末である。全く稚拙なヘッドハンティングだと言わざるを得ない。

A候補者の質問を検証してみよう。
まず、(1)は、NHKという特殊集団だから特別なシステムを持っているのか知りたいところである。何も、交際費をガンガン使いたいから出た質問では無いだろう。逆に、特殊集団が故に、もし、要職である会長さえ交際費が無いとしたら、それこそドン引きである。(2)は、アメリカの就職で言えば、リロケーション的なもので、候補者としては当然聞きたくなる。(3)は不祥事続きの組織を変えるには頼りになる片腕が欲しいと考えるのは当然で、これも聞いてみたいところだ。これを聞いただけで、あらぬ風評が立ち、結局本人に袖にされたのだから、何をやっているのか、と言いたい。

報酬など小額でよいから是非ともNHKのお役に立ちたい、という人はそれでよいが、そう言う前例で物事を計るのがNHKの反応だとしたら、今時、お粗末な話である。今回の騒動で見え隠れするのは、実は日本の雇用制度の中に今でも根強く残っているものと同じなのである。例の“滅私奉公”“サービス残業当たり前”の精神である。
日本も変わらないといけないのだが、なかなか変わりそうも無いのが実感だ。

大雪だ

2011年01月10日 | アメリカ通信
南部にしては久しぶりの大雪となった。積雪6インチ(15センチ)はアトランタにとっては、「大雪」なのである。昨晩からハイウエイのあっちこっちで通行止めがあり、今朝はさすがに殆どの道路が無人ならぬ、無車である。

昔の苦い思い出がある。アメリカに来て間もない頃、まさか南部では雪は降らないだろうという先入観があった所に大雪が来た。そして企業戦士としてのよし坊の戦いは始まった。

大雪の前日、オフィスでは翌日の雪予報で、アメリカ人がざわついていた。日本人には何故雪の予報くらいでざわつくのか訳が分からない。総務のおばちゃんに聞いたら、明日は恐らく皆出勤できないだろうから、「雪で危険な状態であれば休みにしてよい」旨の通達を出した方がよいと言うので、まず通達を出した。話していると、皆帰りがけにウォルマートに寄って、暖炉の薪やら、水、懐中電灯の電池など、緊急品を買うのだと言う。アメリカ人はちょっと大袈裟だな、そんな思いだった。

夕方家に帰り、テレビをつけると、雪に関するニュースとスーパーで人が買出しをしている場面ばかりが写されていて、よし坊も何やらただ事では無いと感じ始めた。直ぐ頭に浮かんだのは、タイヤのスノーチェーンだ。日本にいる時は常備していたから、これを手に入れねばと思い、近くのウォルマートに電話しチェーンが有るか聞いた所、品切れと言う。え、もう品切れ?これはとんでもない事になりそうだと直感、あっちこっちに電話したが、どこにも無い。返ってくる言葉はSold out。

翌朝、外は銀世界となった。企業戦士よし坊は、いざ出陣である。家の前は坂道だ。チェーンが無い不安さを抱えつつ、ガレージから車を移動し、前の道まで出た。そこまでは良かったが、前進しようにもタイヤが空回りして動かない。前の家では、旦那と子供が雪で遊んでいる。孤軍奮闘していると、旦那が気付いて近付いてきた。後ろから押してあげようと言うのでお願いしたが、結局駄目だった。そして次の会話となった。

「ところで、何処へ行こうとしてるんだ」
「会社に決まっているだろう。ところでアンタは会社には行かないのか」
「雪の日に会社に行くバカはいないぜ。事故ったら大損こくだけだ」
よし坊の挑戦空しく、出勤を断念した。

翌日のオフィスでのアメリカ人との会話。

「どこもチェーンは売り切れだった。さすがアメリカ人は買うのが早いな」
「それは売り切れではなくて、置いていないってことさ。南部でチェーンなど巻かないから、売っちゃいないぜ」

This is America.


一石を投じたかもしれぬ広島市長

2011年01月07日 | いろいろ
今や、ユーチューブやニコ動が、既存のメディア媒体を押しのけての強力な手段となったのは動かしがたい事実である。そんな中で、広島市長の退任会見が通常の会見ではなく、ユーチューブで行われ、賛否両論が出ている。公職なのだから、普通の会見をすべきと言う意見もある。

あるブログ氏によると、市長は、特にテレビによる会見内容報道が編集されるのを嫌って、すべて無編集の生で伝えたいメッセージを発信するには、ユーチューブしかないと判断したのではないか、コメントしており、恐らくそうなのだろう。ひょっとしたら、尖閣ビデオの一件が、この市長の行動を後押ししたかもしれない。

「本当の事を伝える」のは、途中に媒体が入ると難しくなる。公表する前に編集する工程が有るから、ある意図を持っての偏向報道などは簡単で、新聞やテレビでの偏向報道による世論操作は今や常識。これには注意しないといけない。又、ニュース性の点では、大新聞と言われている紙面は、共通の情報ソースを元にしているから、どの紙面を見ても同じで、全く面白みが無い。その存在価値は、今やニュースへの入り口提供に過ぎないから、売り上げが衰退するのも当然と言えば当然。

この広島市長が投じた一石は大きいかも知れぬ。公職故に普通の会見をやらざるを得ないとしても、その後間髪を入れずに、同じ内容全編をユーチューブに載せれば良い。新聞週刊誌の類が部数を減らし、テレビのニュースも同じ憂き目にあっている。テレビだけを捉えれば、ニュースも新鮮さは無い。相変わらずのつまらないドラマで視聴率を下げ続けていれば、そのうち左前になるのは致し方有るまい。

RAIZO - 破戒

2011年01月05日 | RAIZO
島崎藤村と言えば「夜明け前」もあるが、もうひとつは、この「破戒」であろう。

雷蔵が丑松を演じ、藤村志保が初々しくデビューする。雷蔵の時代劇を見慣れての現代劇は新鮮そのものだ。雷蔵は、「ぼんち」で見せた、飄々たる演技もいいが、やはり影を背負った役柄は、時代劇であれ現代劇であれ、光るものがある。

冒頭、父親役の浜村純が牛に突き殺される場面から映画は始まり、「差別される者」の生きる術、決して掟、即ち、戒めを破るべからず、を肝に銘ずる丑松が、最後は戒めを破り、新しい世界へと旅立つ。あどけない小学生の前で出自を告白し許しを請う場面は哀しい。

差別は何処の国でも有り、無くならない。アメリカも同様で、ここに住んでいると、人種差別が無くならないであろうことは想像に難くないが、その対極に、どんな人種でも飲み込んで一定の自由を与えているのがよく分かる。藤村の時代では簡単ではなかった海外への転出も近代化が進むにつれて容易になったはずで、日本独特の差別社会から逃れる為に、新天地としてアメリカを目指した人も少なくないのではないか。他に、日本で酷い差別を受けていた在日朝鮮韓国人の方々の中にも、このアメリカを目指した人達がいるはずである。インドのカーストもそうだ。下層階級は簡単に来れないが、チャンスがあればアメリカを目指す。人種差別がありながら、アメリカの包容力は途轍もなく大きい。

映画のほうは、脇に三国連太郎、長門裕之、船越英二、岸田今日子で固める。婆さん役でチョコッと出ている浦辺粂子も懐かしい。女狂いの生臭坊主の鴈治郎と杉村春子の夫婦掛け合いのワンシーンも良い。

かつて、日本の古代の頃、帝が食する肉牛をさばく大切な役目をこなし、一定の地位格式を与えられていたと言う人々がいつから差別される側に分けられてしまったのか。やはり不条理の一言に尽きる。