よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

日大アメフト部事件に見る日米の差

2018年06月26日 | アメリカ通信
それにしても日大アメフト部を率いるU監督とそのコーチ陣(敢えてコーチ陣とする)は酷く醜い。サンダスキー事件(https://blog.goo.ne.jp/yoshibou_2006/e/44e0c6b1701696653311e7ab7099f9ff) 及び Don't Turn Your Blind Eye(https://blog.goo.ne.jp/yoshibou_2006/e/1881a2bd2001f904caf97b889f4dfd9b) にも書いたようにアメリカでハラスメントが起これば裁判となり、最終的には事件の当該者だけではなく、管理責任者の「見て見ぬふり」が問われる。サンダスキー事件ではペン・ステートのフットボールチームの総責任者である”伝説”となりつつあったコーチ(日本でいえば監督)ジョー・パテルノの輝かしい記録は抹消され、その職を追われ、その約3か月後失意のうちに持病が悪化して世を去った。更に大学の理事長、副理事長、スポーツ部長も訴訟され、有罪となった。見て見ぬふりをし、隠蔽したり報告を怠ることによる罪はアメリカでは厳しく罰せられる。

今回の日大アメフト部の事件をみていると、一応チームの監督は辞め、コーチ陣も総退陣したとはいえ、文化の違いだろうか、結末は相当アメリカと異なる。アメリカの現状と比較すると、日本の対処や追及の仕方は”なまぬるさ”を感じざるを得ない。

アメリカ流に考えると、犯罪にも近い悪意ある行為をそそのかした監督とそれを積極的支持そたコーチは直接の当事者になるから、悪質行為が大事故に繋がる可能性があったことも考慮すれば当然有罪のレベルの話となり、その他のコーチも前々から監督の所業を知りえた環境にあったことから、「見て見ぬふり」で有罪となる。もちろん、悪意行為を実行した選手は追い詰められてやったとは言え、有罪(実行犯としての選手はパワハラの被害者でもあるが)。

ムラ社会でしか生きていけない日本では、所属するムラから出ると、たちまち立ち往生してしまうのだろう。どこの国、どこの世界にもイジメ、パワハラはあるが、そこから簡単に脱出出来ない日本的文化構造があるように思える。

私の恩師 (3)険しい道のり

2018年06月18日 | いろいろ
配属された開発チームで営業部所属の受け渡し担当を命ぜられた。今風に格好良く言えば、本社サイドの物流管理といったところである。営業の受注分を工場に出荷依頼をかけ、生産計画を睨みながら在庫管理を行うもので、当時余裕のある企業では新人に物流全体を勉強させる格好の場であった。それを4年弱担当したのだが、この経験が営業に出てから大いに役立った。

独自技術の製品とはいえ、業界では二番手。営業の必死の努力にもかかわらず上向かず、更に品質問題を起こし業績は悪化、スタートして4年目で早くも赤信号がともり始めた。在庫管理をしていたから、不良在庫が溜まっていくのがよく分かった。そろそろよかろうと、会社はよし坊を国内営業に出してくれた。

国内営業の一年目、業績悪化の責任を取り、部長クラスは総入れ替えとなり、当初から工場長として生産・技術を任されていた恩師も職を解かれ、技術部長として、閑職同然のタイトルで本社勤務を命ぜられたのである。

幹部人事刷新と同時に、海外市場開拓を重視、よし坊は国内営業一年で新課長の下、輸出担当となった。念願の海外展開に漸くたどり着いた。

閑職とは言え、技術部長としての恩師の存在は大きく、大阪本社に常駐することになって、徐々によし坊とも接点が出来ていった。そして最初に訪れた恩師との共同作業が、韓国に半製品を売るというプロジェクトであった。

イエローストーン道中記(1)準備

2018年06月10日 | アメリカ通信
二年前、アメリカ人の知人が「アメリカ国内旅行で外せないのがイエローストーン」と是非元気なうちに行くべしとアドバイスをくれた。その実現に向けて昨年ホテルの予約を入れ、5月に入って天気をチェック、問題なさそうなので予定通り5月31日出発した。9泊10日の車の旅である。

ホテルは昨年9月に予約。出発直前にレートをチェックしたら、観光地は予約したレートより60-70ドル高くなっていたから、出来るだけ早く予約するに限る。

天候は全行程晴れで、やはり雨降りとなれば観光どころではなく、まずまずであった。

全走行距離は4610マイル、キロにして約7300キロで、日本で言えば、大阪ー稚内間を二往復する距離であった。毎日平均460マイル(約730キロ)である。

通過した州は、テネシー、ケンタッキー、イリノイ、ミズーリ、アイオワ、サウス・ダコタ、ワイオミング、コロラド、ニューメキシコ、テキサス、アーカンソーの11州となった。

問題は食事で、まずいアメ食ではどうにもならず、炊飯器とコメ持参となり、夜はツマミと酒の日々であった。

最終目的地のイエローストーンは、ある種の別世界で、さすがアメリカ、圧倒的なスケールであった。観るもの聞くもの、新鮮、の一言に尽きる。

それではジョージアを出よう。