よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

外交失敗のツケ ー 次は土下座外交か

2010年09月30日 | いろいろ
カン首相の密使が北京入りしたという。いよいよ屈辱的土下座外交第二幕の始まりだ。兎に角、人質4人も捕られているから、手が出せない。その上、日本人の国民的感情は、いつも超法規的措置である。国内の人質事件でも、人質解放前に警察が突入する事は稀だ。そんなことしたら、国民から総スカンを食う。ニッポンは、日本赤軍によるテロ・ハイジャック事件に対応して過激派囚人を世界に放って以来の伝統芸だからだ。

船長の起訴の可能性が出てきた時点で、早晩日本人の誰かが捕捉されたはず。とすれば、交換条件でバーター取引すればよい。しかし、それもやらず、船長だけ返すと言う、お人よし。

人質を捕られているから、これは弱い。向こうは「どうする?カンちゃん」とせせら笑っている。どの道ニッポンが動くしかなくなってしまった。外交には常に隠しカードが無いと何も出来ないのに、一挙に丸裸である。丸腰で敵陣に乗り込むと言えば、ドラマの世界では格好良いが、現実の世界ではバカである。

以下は、よし坊の妄想である。密使は「何でもするから、兎に角ASEMの会議で首脳会談をさせてくれ」と申し込む。中国は「ビデオを公開しないなら会談に応じても良い。その他にお土産を用意して欲しい」。密使日本に帰り、カンと相談。首脳会談は、現地で、カンが申し入れる事にするのか、はたまた、たまたま遭遇して会談することにするのか、シナリオはさておき、カンは、「日本は油田堀削に目をつぶる、尖閣周辺の警備を段階的に軽微にする。でもこれってナイショにしてぇーな」と懇願の目。かくして、ビデオは永久に葬られ、実質的な属国扱いとなる。

まさか、そんな事はないだろうな。いや、不思議な国ニッポンのことだ、そんな土下座外交が始まるのではないか。

Weak-kneed diplomacyとSoft-power diplomacy

2010年09月29日 | アメリカ通信
アメリカの大衆紙とも言えるUSA TODAYに漸く尖閣紛争の記事が出たが、外の見方として興味深い。日本の弱腰外交(Weak-kneed diplomacy)については、軽く触れているだけで、その多くは中国の対応について書いてある。

近年、埋蔵資源が見つかった場所を中心にアジア諸国と小競り合いを続けている中国が、日本との対峙にどう出るか、アジア諸国は固唾を持って、西側諸国は興味津々で見守る中、今回の強硬な中国側のアクション(4人の日本人拘束や輸出妨害も含め)を目の当たりにするに及んで、公分析している。

「長年、イメージを和らげる為に取って来た微笑外交(Soft-power diplomacy)が、ここへ来て本来の正体を現し、牙をむき始めた。やり過ぎとも思える強硬姿勢は今後は収めるどころか、経済大国の力を背景にごり押しして来る」というもの。昔からの伝統的なやり方は今後も変わらないとし、やはり中国は変わらない国であることを世界に露呈してしまったとコメントしている。マイナスのイメージを改めて植えつけた格好になる。

昨年、中国海軍の将校がアメリカ海軍将校に或るメッセージを出した。太平洋の管理を中米で二分して管理しよう、と。ソフトな友好外交を目指そうとしたオバマが対中国強硬路線に転じた要素の一つではなかったかと思う。その延長線上に、今年のアセアンでのヒラリー・クリントンのベトナム取り込みが出てきたと見る。これは中国外交の失点となった。

日本はどうすりゃいいの。まず、歴史問題(中国の戦争被害観)は永遠に続くことを腹に落としておく必要がある(政治家だけではない、国民全体に求められる)。事或る毎にこれは出てくる。その上で、領土をどう守るかの問題だから、当然防衛力を論議せねばなるまい。とすると、行き着く所は憲法論議となる。最早避けて通れない問題のはずだが、何故もっと論議が起こらないのか。何故もっと国民レベルでの憲法論議をしないのか。

この国は、何処かの国が日本国土にミサイルでも打ち込み、甚大な被害が出ないと、そのような議論はしない国のようだ。他人事じゃあるまい。

RAIZO -忍びの者

2010年09月27日 | RAIZO
時代劇のジャンルの中で、「忍びの者」シリーズは、画期的な映画だったと思う。

それまでの忍者は、作品の中では、概ね地味な脇に甘んじていた。主役は戦国動乱の武将の活躍であって、全編通じて二回か三回程度、襲撃乱闘シーンに登場し、殺されたり、その場を逃げていったり、である。そうであるから, 役者は主役級でもないし準主役級でもない。

この「忍びの者」は、頭3作は石川五右衛門は忍びであったというプロットで、それ以降は真田十勇士で有名な霧隠才蔵を主役にし、彼ら下忍と言われる忍者集団最下層の活躍と悲哀を前面に押し出した。単なる忍びの機能面を、少ないシーンに登場させるのではなく、忍びの者たちの生活を含めて人間臭く描いた所に、大きな特徴がある。
シリーズ全作がカラーではなく、モノクロというのも、リアリティある映画にしていると思う。

この映画を切っ掛けに、以後続々と忍者を主役としたリアリティのある映画が、作られ、忍者映画の方向性を決定付けた。映画の中のジャンルの方向性を決定付けるような映画はそうないだろう。「忍びの者」はそういう映画なのである。

警察権力とその闇 -特捜検察

2010年09月25日 | いろいろ
数々の特捜検察の摘発に拍手喝さいしていたよし坊が、初めて疑問を抱いたのが、鈴木宗雄、佐藤優の両氏を巻き込んだ外務省の事件だ。佐藤優が自著「国家の罠」で詳細に述べているが、その中に、特捜検事が早い段階で「これは国策捜査だ。ターゲットが鈴木宗雄だから、貴方(佐藤優)も捕まえる必要がある」と言っている件がある。

主役であるターゲットを決めたら、目ぼしい脇役(佐藤氏達)を決めて全体の構図を確定して、一気に捜査に臨む。全ては決められたシナリオに沿って、別の言い方をすれば、シナリオに押し込む形で進める。シナリオを変えることなどありえない世界らしい。

同様の構図が最近の郵政不正事件で演じられ、しかも今回は特捜の敗北となり、更に特捜検事の証拠改竄が発覚するに及んで、開いた口が塞がらない。

「村木事件」が報道されて以来、この事件には注目はしていた。当初は、女性局長のキャリアがやってしまったかと思っていたが、途中の裁判で、主犯が単独犯を主張し始めてから、これはオカシイと思い始めた。しかも、事件の向こう側に国会議員I氏が取り沙汰し始めていたからである。
ひょっとしたら、これは外務省の事件と同じ構図上の捜査ではないかと感じた。
主役は、I国会議員で、脇役は主犯を含む上下関係。しかもキャリアの女性局長とくれば世間へのアピールが絶大だ。

何のことはない。勝手に作ったシナリオに強引に当てはめて大ボロを出してしまったこの顛末。しかも、そのために証拠改竄までするとは。恐怖の何物でもない。

「特捜検察」や「特捜検察の闇」を物している作家の魚住昭が対談で、近年の特捜は独自の国家観に基づき、本来政治家が行うべき道筋とは逸脱した独自の道へと踏み出している、と言う趣旨のことを述べている。一種のファッショ体質が公然と出てきているわけだ。検察が独自の国家観で日本を変えていく、という極めて傲慢な思想が警察機構に蔓延しているのではないか。危うく、危ない日本になってきた。

何故、かくもこの国は外交にだらしがないのか

2010年09月25日 | アメリカ通信
尖閣で悪い事をした船長が、急に釈放された。背景は明白だ。中国本土で、日本企業の社員4人が捕捉されたからだ。釈放は地検の判断だとあるが、そうではあるまい。検察は法に基づいて判断するのであって、今回案件は政治判断すべき案件ではないはずだ。今回の大阪地検の不祥事にからみ、民主党から圧力が掛かってもおかしくない。そしてそれに屈したとすると、最早検察の体をなしていない事になる。それにしても、何故、この国ニッポンは、かくも外交にだらしがないのか。もし、これで拘束された日本人が早期に開放されなかったら、日本はどう落とし前をつけるのか。中国は我々のいう法治国家ではないから、全て政治判断出来るから、いつ釈放しようが関係ない。次の一手に進む為の用意をして行動するはずだ。

アメリカならどうか。アメリカでもイランで拘束されたりしている。拘束されたからといって、何も調べずにアクションなど起こさない、事実関係の情報をしっかり集め、主張すべきは主張しながら、裏でしっかり開放までの筋道を立てる。その筋道とは、相手になめられない事、相手の弱点を突き、必ず+-ゼロへ持ち込む。こちらに+が発生すれば儲け物である。だから一年位かかる。即決などしない。一度外交で圧力に屈すれば、そのリピートになるからだ。アメリカ国民も辛抱強い。正義の行使が重要と分かっているからだ。

中国がアジアでの覇権を目指し、長年に渡り大きな絵を描き、実行してきたのは明らかで、アジアでは目の上のタンコブである日本を完膚無きまでに叩くことだ。こういう連中に対しては、正当な譲歩は良いとして、今回のような腰砕けの譲歩は一番まずい。これで、益々中国は尖閣へ押しかけるだろう。

日本企業も甘い。最近の「中国、中国」で、多くの企業が我も我もと押しかけ、商売をしているが、あの国が共産党独裁国家だということを忘れている。中国ではとてつもなく大きなリスクが傍らにある事を。上海が沸き、歓楽街に日本人が繰り出す。羽目を外してもお咎めが無いから、すっかり安心しきっている。しかし、全ての行動は報告されており、いざと言う時にそれをちらつかして脅しにかかる。今回の日本人拘束もそれだ。中央から指令が飛んだはずだ。拘束できるチャンスがあれば、何処かでやれ、と。そしてうまく引っ掛けられた。軍関係地域に誘導することくらい、朝飯前だ。どうぞ写真を撮ってください、と促されたのかもしれぬ。うかれて撮った瞬間、待機していた公安が出て来たのだろう。日本企業はどのような覚悟を持って中国に進出しているのだろうか。殆どの企業に、そのような覚悟など無いだろう。

同じ釈放するにも戦略が必要だ。国として、尖閣周辺を大補強し、全ての侵犯には逮捕を辞さない事を世界に向かって宣言すればよい。断固たる日本のメッセージを伝える事が何よりも必要なのに、日本の政治家は何もしない。するのはいつも、人命尊重の名の下に行われる軟弱外交だ。国連で、温家宝が早速、領土覇権宣言ともとれる演説をして、メッセージを世界に発信した。実に周到でしたたかな国である。一方の日本の首相は、日本の特徴は教育と何か? 全くノーテンキな国だ。

警察権力とその闇 -桶川ストーカー殺人j事件

2010年09月24日 | いろいろ
我々はいつも、事件の真相を後から知る。そして、事件がテレビや紙面を踊ってる頃は全く浅い表面しか見れていない事に愕然とする。メディアも警察発表の資料を基に報道するだけだから、どのニュースを見ても新しい切り口とか角度からの報道は無い。

桶川ストーカー殺人事件というのがある。1999年の起きた事件で、この事件がストーカーを取り締まる法律成立の後押しをした、重要な事件である。もし、警察が本人の叫び(ストーカーされている訴え)をキチンと聞き、対処していたら、若い命はムザムザ失われずにすんだのだ。
この事件を解決に導いたのは、ひとりの週刊誌記者の執拗な追跡である。警察が犯人を特定したのではない。むしろ、警察は初動捜査の失敗と怠慢を棚に上げ、挙句の果てには、それらを隠蔽する始末で、決して警察が庶民の味方ではないことを暴露してしまった。清水潔氏の「桶川ストーカー殺人事件ー遺言」を読むと、彼の追跡の労力には頭が下がるし、よくぞ警察に代わって、いや警察を出し抜いて犯人を追い込んでくれたなと思う。

警察は決して正義の味方ではない。悪人として警察に関わるのは仕方の無い。しかし、善人として警察に関わる事だけは絶対避けて通らなければならない、そう思うのだ。

警察権力とその闇 -冤罪

2010年09月22日 | いろいろ
日本にはあちらこちらに交番がある。小さい頃、道端で5円を拾って交番に届けたものである。嘘は泥棒の始まり、拾ったものは届ける。これが小さい頃教わった物事の基点のようなものだ。その向こうには交番があり、いつもそれに守られているような安心感が確実にあった。交番=警察。警察は正義の味方だと思っていた。警察の上に検察がある。元検事総長、伊藤栄樹の有名な言葉、「巨悪は眠らせない」。ロッキード事件とか官界が絡む大事件の摘発に喝采したものだ。しかし、近年の初動捜査のミス多発や冤罪事件を目の当たりにすると、この国の警察権力には、ある種の恐怖さえ覚えるのだが、一般庶民の我々に色々な事を教えてくれる。

その一。自白による冤罪が多い。無実なら何故自白するのか、という素人なりの疑問があったが、精神的に追い詰められると、そうも行かぬようだ。自白誘導にまんまと引っ掛かることが普通らしいと分かってくる。とすると、徹底黙秘しかあるまい。しかし、それが貫徹出来るかと問われたら、正直にところ自信は無い。

その二。極限状態になると、ここで自白しても裁判で無実を主張すれば何とかなる、と思うらしいし、そういう誘導もあるらしい。素人は裁判所及び裁判官を正義の味方だと思っているのだが、これも間違いのようだ。後で、決定的な証拠でも出てこない限り、覆す事は難しいと言う事を、過去の裁判は教えている。

その三。痴漢冤罪裁判も、我々に教訓を残してくれた。「それでも僕はやっていない」という映画でも分かるように、明らかにやって無くても、交番へ一旦入ったら、地獄が待っている事を教えてくれる。ある弁護士が、もし、本当に痴漢行為をやっていなかったら、現場かれ徹底的に逃げるのも一つの方法だ、と言っていたが、参考になる。

幸運にも、今までの所、警察にご厄介になった事が無いよし坊でも、これだけのことを思うのだから、実際に冤罪を体験された方の憤りは筆には尽くせまい。

呆れた話、神戸空港

2010年09月20日 | いろいろ
神戸空港を管理する神戸が慌てふためいている、という記事が出ていた。関西の空港一元化の動きに蚊帳の外だというから、慌てるのも頷ける。が、自分で蒔いた種だから、自分で何とかせねばならぬ。

関空を作り、伊丹を縮小する流れの中で、何故神戸は作っちゃったか。当時から計画は無茶だと分かっていたのに、「オラが空港」だから作っちゃった。当然、利権がらみの政治家や神戸経済のドン達が暗躍したのは想像に難くないが、神戸市民も痛みを自ら背負わないとダメだろう。作る前に住民投票をしたのかどうか知らぬが、こういう重大事は記名投票でもすればよい。もし、赤字になったら賛成したものが課税される仕組みになれば、皆慎重に考える。そういう工夫をせにゃならん。

空港建設はMUSTだったのか、どうしても作らねば死活問題だったのかと、考えれば、誰でも分かるはずだが、利権屋以外は皆「適当人種」だから、結局はこうなる。

もっと呆れる話がある。関空を作る時、神戸沖が候補に上ったが、とんでもないと神戸は反対した経緯があり、泉州沖に決まったという。その後で、神戸空港を作るとはどんな了見だったのだろうか。

東京は、羽田を成田に代わりうる国際空港へと時間を掛けて着々と進めてきた。大阪は、関空をハブにと、構想を描いている。いずれも、知事が、グランド・デザインを描ける人物だからであろう。その意味で、イシハラ、ハシモトを擁したのが幸いしている。

それにしても、「適当人種」の我々はもっと賢くならねばならない。

負けるが勝ち オザワは負けたのか?

2010年09月17日 | いろいろ
民主党代表選で、勝った、負けたの話が飛び交っている。数字の上では、カンが勝ちオザワが負けたのは事実だ。選挙通のオザワが見誤った、という記事さえ出ている。しかし、負けを見越して、この策士は今回の選挙の位置づけを違う所に置いていたのではないかとよし坊は勘ぐるのである。

そもそも、オザワは、当初から党内の浮動票ともいえる党員票は、自分に圧倒的に不利と踏んでたのではないか。投票前からオザワ不利が決定的であり、その前提で野党も動いていたという話が伝わってきている。

オザワは、既に年明けの大波乱を予想して、自陣営の最後の固めに入るために代表選に打って出たのではないか。国会議員票が206対200.オザワにとって、数人の落ちこぼれ、寝返りがあったとしても、問題ではないだろう。誰が汗を流して戦ったかを見極めたかったのだと思う。これで、強固な200人集団を確認出来たわけだ。

年末までの政局は相当大変だ。オザワでも難しかろう。特に普天間問題は沖縄が完全に反旗をひるがえし始めているから、ドン詰まり状態必至となる。それまでは大いにカンに満身創痍になってもらい、その後腰を上げても遅くは無い。そんな深慮遠謀が見えるのだが。当然その時には、政界再編の動きも出てくるはずだ。

魑魅魍魎の政治の世界。一寸先は闇。あと三ヶ月もすれば、新しい景色が見えてくる。


アメリカは肥満で滅ぶ

2010年09月15日 | アメリカ通信
クリントン大統領が92年に警鐘を鳴らして以来、又、現在もファーストレディのオバマ夫人が熱心に取り組んでいるアメリカの肥満問題、この病気は一向に改善されない。従来からアメリカの恥部は、銃とドラッグと相場が決まっていたが、これに肥満が加わり、アメリカの3大恥部が形成されてしまったと言っても過言ではないだろう。

基本問題。太り過ぎと肥満とは。英語では「Overweight]と「Obesity]に区別される。体脂肪率25-29.9が太り過ぎ、30以上が肥満とある。最近の体重計は体脂肪率が量れるから分かりやすいが、体重で言うと、自分の標準より15-20キロ重い範囲が太り過ぎで、それを超えると肥満に入ると見てよいだろう。

さて、アメリカの肥満実態だが、最近発表されたCDC(アメリカ疾病予防センター)のデータによると、大人〔20歳以上)の34%が肥満で、同じく34%が太り過ぎとなっている。実に大人の68%が太り過ぎ+肥満なのだ。正に驚異的水準に達している。
さらに驚くのは、肥満の多くは肥満ではなく、太り過ぎだと思っており、太り過ぎの多くは健康体重だと思っている、と言う現実である。

大人がこうだから、子供も同じ傾向になる。これは大変だと、学校から自動販売機を撤去したり、余分なカロリーを採らない様に教育しているが、一向に直らない。

兎に角食生活が狂っているとしか思えない。レストランへ行けば、てんこ盛りのオンパレードだ。日本人なら、二人で一皿で十分のボリュームなのだから。しかし、奴等は、兎に角旺盛だ。底なしのように食う姿は凄まじいものがある。

街を歩くと、写真のようなレベルの老若男女に普通に遭遇する。日本では、恥ずかしくて外で歩けないと思えるレベルでも、堂々としたものだ。なんの屈託も無く闊歩しているのだ。アメリカの病根は限りなく深い気がする。