よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

O社不祥事で見えたもの、学ぶべき事

2011年11月28日 | ビジネス横丁こぼれ話
光学機器メーカーとして有名なO社のイギリス人新任社長ウッドフォード氏の突然の解任は、発表当初から奇妙な違和感を与えていた。その違和感は日本企業生え抜きの外国人社長の就任間もない解任の異常さと、その解任理由による。解任理由が「方向性の違い」によるもの、と言う訳の分からぬもので、いかにも取ってつけたような感じであった。一方、解任されたウッドフォード氏は会見の中で、過去のO社の海外買収取引に不可解なものがある事を調べ、前任者を含む関係する日本人経営陣に違法性の有無を正す行動を起こした矢先との事であった。そして、事件は今、「飛ばし」スタイルの不正による過去の巨額損失隠蔽と言う大きな事件に発展しつつある。

この事件及びその背景は、我々に様々な教訓を示唆してくれるが、そのひとつとして、「社長の仕事」とは何か、という問題をも提起してくれる。
社長業のスパンは広いが、その中で、とりわけ新任社長が最初にやらなければならない仕事がある。それは、今回解任されたウッドフォード氏が自社に係わる外部記事に触発されてやった事なのだが、「前任者の業務に関し、財務諸表等をベースにレビューし、問題が無い事を確認しておく事」である。その意味では、社長たる者は財務諸表を読む力量が求められるし、未熟であれば勉強する必要がある。

ウッドフォード氏は、新任社長として、この、あたりまえの「社長の仕事」をし、その結果、不透明な数字の流れが判明、当時の責任者達にそれを正そうとした。新任社長が日本人だったら恐らく不正は闇のままだったのではないか。「グローバル企業」とか、「Corporate Governance」、「Compliance」等と今風に言葉を羅列する企業は多いが、残念ながら、その多くは実態が伴わない。外国人に指摘されるという「外圧」にも似た力でしか不正を明るみに出せない脆弱さが日系企業には常に伴う。国家そのものも外圧を利用しないと大きな改革が出来ない日本だから、企業も同じ事なのか。もどかしさを感じる事件である。

この「社長の仕事」に関しては、かつて同僚が巻き込まれた事件がある。ヨーロッパに派遣されたこの新任社長が暫くして解任され日本へ戻された。前任社長時代に始まったローカル社員の不正が新任社長になっても続き、外部からの指摘により漸く不正が発覚、その監督責任を取らされて解任となった。「新任社長の仕事」をしていれば、恐らく就任して半年以内で経理の数字のどこかに異常を見出したはずであり、本人はその後も社長の任に当たっていたであろう。
社長になったら勝負は最初の3ヶ月。この期間に「仕事」をするかどうかが分かれ道だ。

オススメ! 「はばかりながら・・・・・」

2011年11月16日 | いろいろ
人間とは、IN、即ち物を食して体内に入れ、OUT、即ち不要になった老廃物を排出する、この基本的行為を繰り返して一生を終えるわけで、他の生き物とさして変わりは無い。この最も基本的な行為のうち、巷ではINに纏わる話はゴマンとあるが、OUTに関する話は学術的な物以外には、気楽に読める本は少ない。日常生活でも、家族の間では気楽に話せても、一歩外へ出れば、あまり触れてはいけないような、タブーのようなトピックスになってしまう。そんな「はばかる」世界の話を分かりやすく解説してくれる本がある。アメリカに来る時に持ち込み、今でも折りに触れて読み返している本で、実にタメになるのだ。

日本人にして青い目のHenry Stuart氏、日本人だからスチュアート・ヘンリと日本語序列読みで本にも書かれているが、この著名な文化人類学者の手による「はばかりながら トイレと文化考」は比較文化論の立場から、民族による様々な違いを教えてくれる。これを読むと、日本人の欧米コンプレックスなどは一挙に、いや、半分程度は吹っ飛んでしまう面白さだ。

かつて、ボットン便所が殆どだった日本に水洗トイレが普及し、これで漸く欧米に追いついたとホッと一息ついた日本人だったが、どうしてどうして、氏の研究によれば、15-6世紀、いやそれ以降でも、ヨーロッパの都市のトイレ事情は悲惨で、街にあふれるは、窓から捨てられるはで、余程日本の方が清潔だったらしいのだ。道路が汚物で汚れているからヒールの高い靴が必要だったとか、彼女を連れて街を歩く時男が道路側を歩くのは窓からの黄害をいち早く免れる為だとか、思わず頷いてしまう面白さである。欧米に追いつけ追い越せとコンプレックスを抱いていた我らを大いに勇気付けてくれるのだ。

タチションについても面白い。男の専売特許と思いきや、そうではないことが分かる。しかもついこの間の昭和の時代まで有った話のようだから決して古い話ではない。そんなエピソードの一つに、太宰治の「斜陽」の一節を引いている。中学か高校の時に確か読んだのだが、そんな一節が有ったことなどとっくに忘れているのだが、この時代でもまだそうする人が居たわけである。あの東京オリンピックの時、国立競技場に女性専用の「立」トイレが作られたそうで今でも残っているらしい。

兎に角面白いトピックス満載で、文化の違いを知るのにも秀逸の一冊だと思う。


富や名声の呪縛

2011年11月09日 | アメリカ通信
何もアメリカに限った事ではないのだが、富や名声を手に入れると、その人本人のみならず、周りの人も簡単に道を外し、職を失ったり塀の中に入ってしまう事があるから、よくよくの注意が肝要だ。

アメリカを代表するアメフトはサッカーほど熱が入らないから殆ど観ないのだが、これがスキャンダルとなると話は別だ。今、公立の州立大学として知名度の高い、ペンシルバニア州にあるPenn State Universityを巻き込んでるスキャンダルは、多くの識者を怒らせているのだ。

アメフトチームのディフェンス・コーチングスタッフのオッサンが15年以上にも渡る少年へのセクハラ行為で捕まったのだが、何故この大学に関係するかと言うと、このオッサンは大学構内に少年を連れ込んで”コト”に及んでいたのだ。この為に、大学の偉いさんが二人、事実過誤等の罪に問われ、責任を取って職を辞し、警察に出頭したのが一昨日の話である。

およそ二年掛けて司法当局が実態を調査したところによると、2002年、構内で”コト”を目撃したスタッフが監督に通知したが、何も手を打たず、大学の偉いさん二人も見逃すというか、見過ごしたかどで、告発されたわけである。要するに放置した罪である。

識者を怒らせているのは、実はこれだけではない。最も責任あるアメフトチームの監督、ジョー・パテルノに怒りが向いている。パテルノは、騒動に対し、自分には落ち度が無かったかのようなコメントを出し、涼しい顔をしているからである。

このパテルノ、46年間も監督をやり続けており、つい先月末の試合に勝って、409勝という偉業を達成した、富と名声を物にしている化け物なのだ。誰も文句を言えない、手が出せない「伝説の監督」だから、始末に悪い。84歳の老害がそこに居る。

司法当局が最終調査結果を公表したのが、409勝の確保を見定めてからである。それを待っていた、と言うのがいかにも見え見えで、シックリ来ないから、識者はそれを怒っているのだ。ルイジアナ州にあるグランブリング大学のエディー・ロビンソンという黒人監督が、408勝をマークしており、今までの最多監督だったのだが、白人で最多監督を待っていたかの仕業なのだから、怒るのも分かる。ある識者は、パテルノの409勝は正式に記録に載るだろうが、是非とも409の数字の横に米印を付け解説を入れろ、と吼えていた。気持ちはよく分かる。

さて、この監督、どうするか。日に日に辞任圧力が高まっている。辞めにゃなるまいて。長年の素晴らしい名声も台無しだ。晩節を汚すとは、正にこれである。何事も長きにとどまると、ろくな事は無い。

"SEXT"が認知される日

2011年11月07日 | アメリカ通信
記事に”SEXT”と言う単語が踊り始めている。"SEX"という単語には敏感だから、つい、何だこれは?と目に付く言葉とあいなる。

辞書を調べてもらえばいいのだが、数字の6に纏わる言葉で、身近なところではSextet。ジャズが好きだから、3重奏団のトリオ、4重奏団のカルテット、そして6重奏団のセクテットである。また、Sextupletというのもある。三つ子のトリプレット、6つ子となればSextuplet、即ちセクストゥプレットとなる。気になる意味合いは無い。

一つだけSEXTにINGが付いたSextingと言う単語がある。これが今、アメリカでも問題になっている。インターネットの普及でTextingとか、Text messageが普通になり、派生的にSextingが生まれた。意味は、本来自分のプライベート写真、特に猥雑なものを他人に送信して困らせて楽しむのだが、写真だけでなく、猥雑な文章も含んでいる。特にティーンエイジャーの間で、携帯やパソコンを使い、弱い者イジメに使われていることから、社会問題になりつつある。

特にターゲットとなりやすいのが、ホモセクシュアルや、自分がヘテロセクシュアルかホモセクシュアルか自覚出来ていない層らしい。更に問題なのが、ターゲットにされた彼らの間で鬱現象が増加している事のようだ。医学的な因果関係の解明は未だ先の事らしいが、間違いなく影響されていると考えていいのではないだろうか。日本でもこの問題は深刻なはずであるが、どうなのであろうか。

まだ、"sext" messageというように、マーク付きでSEXTが使われているが、このマークが外れる日は、この言葉が正式に名詞と動詞に認可される日であり、その時は、問題が社会で一層深刻化していることを意味する。このマークが外れない事を祈るばかりである。

クリンズマンの挑戦ーアメリカ

2011年11月01日 | サッカー
アメリカ男子サッカーは、三段跳びで言えば、ホップ、ステップのステップ段階に突入したと言ってよいであろう。MSLメジャーリーグサッカーは、よし坊がアメリカに来た頃とは隔世の感がある。当時はサッカーの放映は年に数回と言う程度だったが、今では毎週放映している。弾みをつけたのは、やはりベッカムの加入だ。以後、アンリが、バルサからマルケスがアメリカの土を踏んだ。中南米の選手も見逃せない。最近の特徴はフランスからの参入であろう。アメリカ人とは違うスタイルの選手が入り乱れ、レベルアップにつながっている事は間違いないだろう。

男子ナショナルチームも、長年のアメリカ人コーチの下で、ランクを上げてきたし、アメリカ人選手の多くが欧州で武者修行しているのも強さ向上に貢献している。ここまで来た事は来た。さて、これからが問題である。アメリカサッカー界全体の底上げには、もう一つ何かが足りない。何かが欲しい。

ボブ・ブラッドレイの後を受け、元ドイツ代表であり、ドイツの監督も勤めたクリンズマンがアメリカの監督に就任した。アメリカ人以外では初めてであろう。そこに、アメリカの意思が感じられる。ステップからジャンプへ行くには、新しい”血”が必要と感じたのだろう。

今の所クルンズマンのアメリカチームは勝ったり負けたりで、決して数字自体は良くない。しかし、色々なトライをしているように見える。これが日本だったら、メディアも含めて、連日紙面はブーイングの嵐になるのだろうなと思うが、アメリカはちょいと違う。コメントも冷静というか、プロフェッショナルなコメントが多い。

明らかにクリンズマンはアメリカのサッカーに大変革をもたらそうと考えているようだ。今のままでは、欧州に伍して戦うレベルには決してならない、と言い切り、何かを仕掛けないといけないと感じている。いくつか有る中で、彼が指摘した一つは、Fast passであった。正確でかつ早いパス。これの向上なくしてアメリカチームが、少なくともW杯で4強へは進めないと思っているに違いない。

クリンズマンは、ナショナルチームだけではなく、MLSが欧州のプレミアリーグ、ブンデスリーガ、ラ・リーガ等と同等に扱われる時代を実現したいとも言っている。

アメリカで、ベッカムが、アンリが、マルケスが、そして最近アメリカの土を踏んだスコットランドのキャプテンだったロビー・キーンがこの地で対戦する事を10年前は予想もしなかった。