よし坊のあっちこっち

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映画三昧 ー The Taking of Pelham 123

2021年09月27日 | 映画
1974年のこの映画「The Taking of Pelham 123」を観たが、当時の時代背景を含め、見どころのある映画だった。

プロットは、NYの地下鉄ぺラム線1時23分発をモデルに、電車がハイジャックされ、乗客を恐怖に陥れる話で、ネゴシエーターと犯人とのやり取りを描いたものだが、ネゴシエーターがウオルター・マッソー、犯人側がロバート・ショーやマーチン・バルサムである。

この映画で印象的だった点が二つある。ひとつは、当時のNYの地下鉄や駅風景が今と殆ど変わっていないのだ。当然と言えば当然で、度々作り替えたりリノベーションしたりするものでもないからだ。面白いのは、映画を真似た模倣犯を防ぐためか、以後、ぺラム線1時23分発のダイヤを組むことは無いそうだ。

二つ目は、ドラマの最初の段階で、日本からのNY地下鉄視察団が数名訪れ、ウオルター・マッソーが案内し、その説明を無言で聞くシーンである。視察団は終始無言なので、半ばあきれ顔で説明の続けるのだが、ハイジャック発生で案内中止となるやいなや、視察団の面々が流ちょうな英語でお礼の言葉を述べて立ち去る。それをみて、ウォルター・マッソーがまたあきれるシーンである。

何故このシーンが印象的かと言うと、今の昔も本質的には変わらない日本人の特質であろうか、「寡黙な日本人」を具現しているからだ。黙っているから英語が不自由なのだろうと、一生懸命説明する。時には安心して不必要なくらいぺらぺら喋ってしまう。ところが最後にいきなり寡黙な日本人が英語で口を開き「いろいろ喋ってくれてありがとう。情報は全部いただいたぜ」と言わんばかりのセリフを吐く。アメリカ人からみれば、”こいつら何だ”ということになるわけだ。日本人はよくわからん人種だとなり、「得体が知れない日本人」のイメージが定着する。米国進出日系企業によくみられた現象で、昔も今も変わってはおるまい。

その意味では、この映画のちょっとしたシーンだが教訓的だ。日米文化比較の教訓的映画といえば、日本の自動車メーカーのアメリカ進出で右往左往する、マイケル・キートン主演の「Gung Ho」(1986年)も必見だろう。


映画三昧 ‐ 映画と私(2)

2021年09月20日 | 映画
小学校五年の夏、杉並から小平に引っ越した。西武沿線の花小金井駅から徒歩15分くらいの所である。

最寄りの映画館は一駅新宿寄りの田無(今は西東京市という)にあった。ここの東映にはよく通った。東映だから圧倒的にチャンバラ映画だったが、映画が斜陽化し始めて、東映は第二東映を作り、それまでや歌右衛門の脇に甘んじていた里見浩太朗などを主役に抜擢し斜陽を切り抜けようとしていた。千恵蔵や歌右衛門の両巨頭を差し置いての若手起用が出来ない中での苦肉の策だったのだと思う。

日活もあったように記憶する。当時よく掛かっていたのが、高橋英樹の「男の紋章」シリーズと渡哲也の「無頼」物だった。日活も裕次郎全盛の時代が終わり、次に来る日活ロマンポルノ時代の端境期の頃であった。

もうひとつ、よく観た大映は武蔵小金井に常設館があり、足繁く通ったものだ。

中学から高校へと歳が上がるにつれて、映画行動範囲も広がっていった。当時の映画上映の情報は新聞の映画欄である。紙面の下のほうにぎっしりと東京及び近郊県の映画館と上映作品が載っていた。それを見ながら見逃した映画やら三本立てなどを探しては出かけた。西は立川、都内では新宿、池袋、渋谷など。実に楽しい時代だった。

昭和の足跡(29)関西生活と関西弁

2021年09月10日 | 昭和の足跡
昭和46年当時、大阪は東京からみれば今よりはるかに格下にみられていた。人口や経済規模からすれば格下なのは事実なのだが、数字には表れない”格下感”が存在していたと思う。だから東京人からすれば大阪に行くことは「都落ち」の感があるのだろう。事実、大阪での入社式に向かう新幹線の中で初めてボックスシートで顔を合わせた同期入社の一人が、いみじくも”大阪に向かうのは都落ちかな?”と言っていたのを思い出す。

よし坊にはそうした”都落ち”という概念は全くなかった。むしろ、わくわく感でいっぱいだった。関西にはすでに馴染みがあった。テレビである。松竹新喜劇の藤山寛美が面白かった。吉本新喜劇の花紀京、岡八郎に笑いこけた。花紀京のおやじ、アチャコ・エンタツの頃から面白いと思っていたのかもしれない。関西弁はノリが違う。標準語に比べはるかに柔らかみというか丸みがある。関西弁の抑揚感も独特だ。これはよし坊の独断で何も根拠はないのだが、独特のリズムを持つ関西弁を話す人々は外国語、とりわけ英語の習得に関し、日本人の中では長けているのではないだろうか、と思うことがある。

東京から大阪に配属になった同期の多くが当初、関西弁に抵抗があったようだが、よし坊には心地よかった。

言葉は難しい ー 英語と固有名詞

2021年09月01日 | いろいろ
英語はサイレントワードがあったり、地名の固有名詞にはネイティブアメリカンの言葉があるから、発音が難しい言語のひとつだろう。その中でも固有名詞、特に人名の表記や発音には日頃から注意が必要だ。

何故、人名の表記・発音を間違えるといけないか。固有の名前を間違えるということは相手に不快感を与える、大げさに言えば侮辱することに繋がるからだ。知らなかったら、それを知った時直さなければならない。

日本人は漢字圏と英語圏の人名を勝手読みするきらいがある。典型的なのが朴さんをパクでなくボクと呼び金さんをキムでなくキンと呼ぶ。英語圏読みはローマ字教育の影響だろうか、例えばKylieをカイリーではなく、キリー読みしてしまう。英語圏以外の国だと発音しにくい人名が多いので、素直に本人に聞くのだろうが、英語圏だと学校で一応英語を習ってるので勝手読みが横行する。

逆に中国に行くと日本名が中国発音になるから、侮辱されたとは思わぬが奇妙な感覚にとらわれる。小林さんはシャオリンとなる。名前くらいは出身地通りの発音で呼んでほしいと思うのは筆者だけだろうか。

アメリカの芸能人も様々な言語的背景をもっているから、トークショウなどを観ていると、司会者が名前をどう発音するか必ず聞いている。そんなアメリカでも、昔は東洋人など目じゃなかったから、同じような勝手読みが起こった。その典型がゴルフの青木功である。Aoki Who?の時代だ。アメリカのツアーに参戦した青木は快進撃を続けたから、青木の連呼が始まった。”アイサオ・エイオキ”の連呼となった。(この時一緒にラウンドしていたアメリカ育ちの奥さんがTV局に厳重抗議し、以後イサオ・アオキとなったのは有名な話である)。

だいぶ良くなったとはいえ、最近でも直っていない気になる事例がある。しかも英語をよく知っている著名人にして間違った言い方をしているから、がっかりする。Financeの発音はファイナンスまたはフィナンスで、名詞動詞双方に使う。これが固有名詞に使われた時には注意しなければならない。英国を代表する経済紙The Financial Times(ファイナンシャル・タイムス)がフィナンシャル・タイムスとして堂々とまかり通っている。いささか残念である。