よし坊のあっちこっち

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我が街アトランタ (6) オリジナル13州と”アトランタ”の誕生

2016年08月26日 | 風と共に去りぬ の アトランタ
アトランタを首都とするジョージアは由緒ある歴史を持つ。17世紀から18世紀初頭にかけ英国からの北米大陸開拓は活発であった。18世紀の初頭には次々と東海岸に上陸し、入植地コロニーを形成していく。1776年の独立戦争以前に13のコロニーが出来上がった。

ジョージアは、この最初の13コロニーの最後に加わった入植地で、このオリジナルのThirteen coloniesが独立戦争後の合衆国の母体となる。因みに、13コロニーのうち、南部からは、ジョージア以外に、バージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナが入っている。

一般に都市や街の名前には女性的なものが多い。やはり響きの良さがそうさせているのであろう。ごたぶんにもれずジョージアも女性名である。現ジョージアに入植した英国人達は、この地に本国ジョージ2世に因み、女性化してジョージアと命名したのである。

それでは、アトランタという名前。これも女性的な名前だが、そこに落ち着くまでには、若干の歴史がある。

嘗ての馬と幌馬車の大西部時代を経て、蒸気機関車の開発により、19世紀初頭一挙に東海岸に鉄道網が広がった。鉄道網の南部の終点(起点でもあるが)が現在のアトランタであり、当時は終着点を表すターミナス(Terminus)と呼称していた。これがアトランタの最初の名前(但しUnofficialである)である。

その後、独立戦争後にジョージア州の知事であったウィルソン・ランプキン(Lumpkin)の娘の名前マーサ(Martha)に因んでマーサズビル(Marthasville マーサの街の意味)と正式に命名されたが、暫くして再命名の話が持ち上がり、当時のアトランタの代名詞であるWestern & Atlantic鉄道のAtlanticの女性名詞化でAtlantaと命名され現在に至ったと言われている。

これには面白い話がある。マーサのミドルネイムがアタランタ(Atalanta)であることから、再び彼女の名前に因んで付けられたとする説を好む人たちがいるのだが、ひょっとしたら、Atlanta命名者はその様な異説が唱えられても悪くはない、と思っていたかも知れない。

ホープ・ソロ - 漸く”問題児解雇”に繋げたUSサッカー協会

2016年08月25日 | サッカー
アメリカ女子サッカーのオリンピック早期敗退時に暴言を吐いたNo.1ゴーリーのホープ・ソロに審判が下った。向こう6ヶ月の代表出場停止処分である。だが、重要なのはこれではない。同時に来年2月に切れる代表契約を打ち切った事実である。3か月分の手切れ金を渡されたというから、You are fired! 事実上の解雇、即ちクビである。

直前の話し合いでは、協会側は代表としての節度ある、その座に相応しい行動と言動を求めたが、どうも反省の色が無かったようで、過去の数々の不祥事をも勘案して解雇やむなし、に至ったようだ。

サッカー外での不祥事や問題に加え、代表チーム内でも問題児として軋轢を起こしている。その最たる例が、2007年の女子ワールドカップで、準々決勝か準決勝で先発を外された腹いせに、監督と選手一人(恐らく起用された控えの選手)に対して裏切り行為を働いた、と報じられている。その文言がthrew them under the busとある。意味は「自分の利益の為に、悪意をもって友人や仲間を落とし入れる」だから、相当癖が悪い。

協会としても、最後のチャンスを与えたにもかかわらず、ソロはそれを蹴ったということだろう。自分の為になるのなら、それが正しいことか間違っているかはどうでもよい、というフィロソフィは、父親が犯罪者であることで世の中を突っ張って生きてきたことで培ってきたものかもしれないが、”ひとかどの人物”にはあるまじき考え方であろう。

今回の解雇は来年2月の再契約のチャンスの道を閉ざすものではない、と協会は発表しているが、実質的には協会の縁切り宣言であろう。

民族の祭典の陰で - 閉会式当日の気になった風景

2016年08月22日 | アメリカ通信
リオ五輪最終日を飾る男子マラソンを観た。先頭集団が3人に絞られ、35キロ地点で優勝したケニアの選手が仕掛け独走態勢になった。二位エチオピア、三位アメリカと続いた。

ゴールの前からケニアの選手は勝利の喜びを身体で表しゴールした。続いて銀メダルのエチオピア選手。彼はゴール前で両腕を上にクロスに上げてゴールした。その時はきっと何か宗教的な所作なのだろうと思っていた。そういう喜び方もあるのかと。しかし、ゴールしたあとも嬉しそうな表情はみせなかった。ゴールドではなかったからか。そうも思った。

夜の閉会式。恒例のマラソンの表彰式が行われた。この時も彼の顔に嬉しさは感じられなかった。3人が記者の注文に応じてメダルを口に咥える仕草でも、他の二人はにこやかだが、彼だけ目が笑っていないこの異様な風景はなんだろう。誰もがゴールドを狙い、負けた時は大いに悔しがり、泣くが、表彰台ではそれを吹っ切って晴れやかな表情となるのに。

今日、CNNの記事を見てその訳が分かった。以前から国連は、エチオピア政府の反体制派に対する非人道的措置(不当な拷問・投獄、処刑)の是正勧告を行っている。その為か今までにもアメリカ国内で行われたスポーツ競技会後に亡命する事件も起きている。エチオピア政府が弾圧しているオモロ族は、国際社会でアピール出来るチャンスがあれば、両腕をクロスに掲げることで抗議のメッセージを送り続けていると言う。彼もオモロ出身者で、彼の親戚は今でも牢獄に繋がれているという。

彼は、帰国したら、投獄か処刑のどちらかだろう、だから母国には帰らない、とインタビューに答えている。亡命宣言である。家族親戚を国に残しての孤独な闘いを始めようとしているのだ。

アフリカの大地でオリンピックが開かれるのは、まだまだ遠い話に思える。

Fabricator ロクティでっち上げ騒動

2016年08月21日 | アメリカ通信
リオ五輪に参加のアメリカの水泳メダリストのライアン・ロクティが仲間3人とパーティから帰る途中に、強盗被害にあったと、NBC記者に語ったニュースはアッと言う間に世界を駆け巡った。銃を突き付けられ金を奪われた、と”生々しく”語っていた。その前にも英国チームが被害に遭っており、開催前の「リオは治安が悪い」と言う前評判が裏付けされていると受け取った視聴者は多いはずだ。これが事実なら、開催国ブラジルの、そしてリオのイメージは更に悪くなる。

ロクティのインタビューで”事件”が発覚し、警察が事情聴取をしようとしたが、張本人のロクティは既にアメリカへ帰っていた。幸か不幸か、残りの選手が正に帰国するところを、飛行機から降ろし、参考人として事情聴取、五輪中継のNBCを出し抜いてABCが”でっち上げ”らしいことをすっぱ抜いた。

真相の骨格は、選手4人が選手村に帰る途中、尿意を催しガソリンスタンドに立ち寄ったが、トイレが無く建屋の裏で立ションをした際、ロクティが近くに括りつけてあった看板を乱暴に引っ剥がした。それを見つけたセキュリティ・ガード二人が銃を片手に咎め、ロクティがそれに盾突いたらしい。そこに英語とポルトガル語の出来る店のお客が仲裁を買って出て、不行跡代として何がしかを払えば許す、と言う事に落ち着いたのではないか。

たいした不行跡ではないとはいえ、立ションと器物損壊は事実である。又、セキュリティ・ガード側も、銃を片手に威嚇したとも受け取れなくもないが、弁償代としての要求は一応筋が通る(このお金が店側に渡ったか、彼らの懐に入ったかは定かではないが)。

リオ当局が最初に疑問を持ったのは、被害届が出ていない事。被害に遭った英国チームは被害届を出していた。本当に強盗被害にあったのなら、普通なら被害届を出すはず、と考えた。更に選手村に帰った選手たちの振る舞いに、微塵も被害ストレスが感じられない、とモニターテープから分析されている。

本来ならば、公表するのも憚る、恥ずかしい行為なのに、何故ロクテは”自慢気”にNBCのインタビューにでっち上げ話をしたのか。著名な性格分析官の話は興味深い。

社会に名を成した、立派な人物と思われていた人が、後で嘘と分かることを何故でっち上げてしまうのか理解できない部分ではあるが、先天的なのか後天的なのかは別とした、そう言う性向と言うか性癖を持つ人がいるらしい。日ごろから物事をオーバーに言う人がそれにあたり、それが講じると事実関係に嘘を散りばめる。このタイプに共通するのは(1)常に自分をヒーローの位置に置いて脚光を浴びることに腐心し(2)そのためのネタを絶えず求め(3)ネタに遭遇したらでっち上げで脚光を浴び、満足感に浸る、と言うもの。

この話で思い出すのが、三大ネットワークのひとつ、NBCの顔としてニュースアンカーを務めていたブライアン・ウィリアムズが自らをヒーロー視したでっち上げ報道でその座を追われた騒動。イラク戦争勃発には一番乗りしたと言う話も、その時には別の場所にいたし、取材に乗っていた空軍の戦闘機が銃撃を受け、危うく命を落とすところだった、という報道も、その事実は無かった。戦争状態の最前線で命がけで取材するヒーローをでっち上げ、それで評判を取っていたのだ。

そう言う癖が始まると止まらないらしいから、ロクティも過去同様なでっち上げがあっちこっちに散ばっているかもしれない。人間、自慢話をして”凄い”と言われると快感に違いない。しかし、度を越すとアッと言う間にFabricatorの烙印を押され転落の道を辿る。社会に埋もれていても正直者とかバカ正直がやはり良い。

イッツJAZZ - ジャズ・チャネルから聞こえる日本的なメロディー

2016年08月17日 | Jazz
数か月前に車のCDが壊れてしまったので、車に乗るときはジャズ・チャネルをつけっぱなしにしている。アトランタ91.9と言うチャネルだ。ジャズにはいろいろあるが、今朝ホームセンターに買い物に行く途中、琴をフィーチャーした日本的メロディが流れた。オッとなり、何故かホッとするから不思議である。そんな時、あ、俺は日本人だ、と実感する。

この所、時折日本的メロディが流れる。太鼓をフィーチャーしたり、日本特有のリズムであったりすると、やはり日本人、心地よいのだ。それぞれの民族には、それぞれに合ったメロディなりリズムが存在するわけだ。

このジャズ・チャネル、アトランタを本拠に世界中をツアーしているジャズピアニストの宮本貴奈がゲスト・パーソナリティとして時間を持っており、今まで二回聞くチャンスがあったが、彼女の影響で日本的なものが流れるのかもしれない。




女子サッカーアメリカの五輪敗退と問題児ホープ・ソロの暴言

2016年08月13日 | サッカー
世界の女子サッカーに君臨するアメリカ。そのアメリカが1996年のアトランタ五輪から始まって以来欲しいままにして来たメダル(一回の銀を除いて全て金)を前に初めて無冠で終わった。皮肉なことに、負けた相手が、かつてアメリカに輝かしい優勝を導いて来た前監督のピア・スンダゲ率いるスェーデンだったことと、PKで負けたということだろう。そして、試合後に問題児ソロの暴言が出たのである。
曰く。
「今日戦った相手のチームは臆病者集団のチームだった。アメリカは攻めて攻めて攻めまくったのに、相手は防御戦術とカウンターアタックを多用した。相手の監督はアメリカの監督時代もカウンターアタック戦法を多用していた」

防御戦術を臆病者の戦術と侮辱し、スェーデンのカウンターアタックによる先取点に頭に来たのか、前監督をも侮辱するような暴言である。ピア・スンダゲは、ソロの発言に対し、それを名指しすることなく、「防御戦術を批判する意見が一部にあり、それも一つの意見だ。しかし、その戦術で勝てるとしたら、躊躇なくその戦術を採用する」と、さらりと明快に片づけ、一蹴したが、これは単にスェーデンチームと、その監督に対する暴言に止まらず、その戦術を使用するすべてのサッカーチームへの暴言でもなる。さすがに、アメリカ第一期黄金時代の代表だったコメンテーターは、このいただけない暴言をClasslessという俗語で一刀両断にした。

今回のPKは、あの2011年の女子ワールドカップの日本戦を思い出させる。アメリカが3発連続ミスして負けた。試合後のソロのインタビューでは、口にこそしなかったが、チーム仲間のPKミスに不満な感情が表れていた。今回は、それが相手チームとその監督に露骨に向けられたのだが、裏から見れば、自分のチームとPKを外したチームメートへの愚痴であろう。そのソロも予選ラウンドでは、勝てた試合を、よもやの痛恨のミスで一点献上している。自分の事は棚に上げての低レベルの話で、今や世界のトップゴールキーパーの座にある者としては誠にお粗末である。

ソロは公私ともに問題児である。アメリカの第一次黄金期のトップゴールキーパーは黒人のブライアナ・スカリーで、ソロは控えだった。スカリーが体調不調でミスを連発した時期があった。早速ソロは、早く辞めろ、と言わんばかりのコメントで引きずり下ろしにかかったことがある。2年前には、不起訴になったが、ファミリーパーティで暴力沙汰を起こしている。

いかにソロに実力があっても、ここまで品位を欠いてはいけない。今や、ソロはアメリカ代表チームの恥ではないだろうか。

今年は”女性の年”、東京、英国、そしてアメリカ

2016年08月01日 | アメリカ通信
東京で女性都知事が誕生した。日本は女性が上に立つことを嫌う男尊女卑の精神が今でも脈々と波打っている国だと思うが、同じような国の韓国でも既に女性首相が誕生しており、似たようなアジアの国でも、どこか国家のDNAが違うのであろう。

日本では若い男性より女性の方が肉食系と言われる今、同じ男性としては歯がゆい思いがあるが、女性の社会的進出を助ける意味では、その方が良いのではと最近は思う。

それにしても、小池百合子は絶妙のタイミングとやり方で都知事選に打って出たと感心する。長らく党内で干されてきた小池にとって、参院選の自民大勝はさらに小池の党内での重要地位を遠ざけた。安倍安定政権が続く限り、小池の芽は無い。これで小池の腹は決まったはずだ。加えて自民大勝で党内の雰囲気が緩くなった、と読んだはずだ。その上で、党に諮ることなく単独出馬に打って出たと見る。党に諮っておれば徹底的に叩かれ、出馬の芽を摘まれたのではないか。なかなか、腹の座ったタフな政治家ではないか。

それにしても、野党とその候補者は目を覆わんばかりの体たらくだ。かつての社会党と同じ道をひた走る民主党、いや民進党。この党は割らないと再生出来まい。それと、担がれたジャーナリスト出身の鳥越俊太郎。自分の人生で最後のひと花を咲かせようという魂胆が見え見えではなかったか。知事職は激務である。克服したとはいえ、大病経験者で70代の半ばという条件は激務にそぐわない。他候補者に比べ、圧倒的に公共の場での露出が少なかったことが、もし体力に関係しているとしたら、出馬はとんでもないことであり、都民を愚弄することになる。加えて女性問題。長らく、「俺はジャーナリスト」として高い知名度とともにジャーナリズム世界の一角を占めたにしては、大いに晩節を汚してしまった。ひと花さかせるどころではない。醜態の一語に尽きる。

4か月後に迫ったアメリカの大統領選。アメリカもおかしなことになっている。ここでも野党共和党の体たらくは目を覆わんばかりである。日本の民進党よりはマシだが、一介の胡散臭いビジネスマンのトランプが候補者になってしまった共和党の現実。党は大揺れに揺れている。これでトランプが大統領にでもなってしまったら、将来アメリカにRed President、即ち共産主義思想の大統領が出てもおかしくないことになる。昔、Martin Grossの「The Red President」というサスペンスを読んだことを思い出す。恐らく共和党は票が割れると予想され、ここでも女性初の大統領が出れば、サッチャー以来の女性首相誕生の英国といい、大東京の小池といい、今年は正に女性の年になりそうだ。