よし坊のあっちこっち

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ニッポン短訪番外編 ショッピングは楽しい

2013年11月20日 | いろいろ
日本へ行った時の楽しさは何と言ってもショッピングだろう。何故そんなに楽しいかと言えば、やはりアメリカでは手に入らないか、入りにくいからだろう。今回よし坊は何を買ったのか。

まずはケシポン。封書類の名前や住所の、所謂個人情報を消すスタンプがプラスから発売されたのが2~3年前。その後アメリカでもこちらのメーカーが15ドルくらいで同様のスタンプを売り出したが、その頃日本では更にスタンプ式に加えローラー式が出たのを見て、買うならこれだと決めていた。早速ケシポンミニを購入。滅多に余計な物を欲しがらないニュージャージーにいる娘もそれは欲しいと言うので2個購入した。アメリカのメールはジャンクメールが半端ではないからケシポンは貴重な戦力である。

亀の子タワシ。清掃用のブラシ類はプラスチック製が幅をきかし、それこそ何でもあるが、手や対象物への優しさは亀の子タワシをおいて他にない。優れものである。一個使用中だが、かなり使っているので今回も一個購入した。

マルちゃん正麺。発売以来試食を心待ちにしていた、正麺。その内アメリカにも来るだろうと思っていたが未だお目見えせずで、今回日本で試食した。納得の麺だった。ウドンも食べたが、これもOK。夏を過ぎると店頭にないだろうと、夏ごろ娘に製麺の冷麺を買いおいてもらったのだが、これと正麺しょうゆ味にウドンを各ワンパック持ち帰った。

貝印二枚刃。今まで髭剃りも散々試した。電気髭剃りからジレットやシックの3枚刃や4枚刃。更には袋に山盛り入っている使い捨てカミソリ。結局のところ最後に落ち着いたのが、恐らく今では時代遅れかもしれない貝印の二枚刃。特にアメリカの使い捨てカミソリと比較すると刃の寿命が貝印のほうが長い。アメリカの刃は切れ味が急に落ちる。
ところがである。マツキヨなんかのドラッグストアへ行って見たが無い。思わぬ所にあった。ホームセンターである。しかも8個入りが3箱しかない。全部購入したのは言うまでもない。これで二年くらいは持つ勘定だ。

ジャージ。アメリカはジーパン、短パン、そしてTシャツの国。これさえ持っていれば不都合な事は無い。加えてジャージがあれば出来上がりである。いつか”ジャージの夫婦”になりたくて今回の日本ショッピングの目玉はこのジャージだ。二つ問題がある。アメリカではアディダス、ナイキが街を蔓延っていて、面白くない。出来れば差別化して二人でニンマリしたいのだ、「俺たちは違うぜっ」と。もうひとつの決定的な点は、ちんちくりんの日本人にはサイズが無い。ワイフ用に求めたのは、ル・コック。こじんまりとしたフレンチブランドで、決してメージャーではないが、一味利いている、なかなかのブランドだ。品のある派手さでちょうど良し。よし坊のには苦労した。アメリカ製ほどではないが、日本で売られているのも我がサイズよりいささか大き目。苦労して見つけたのがアシックス製で色も良し。漸く辿り着いた感あり。アシックスはアメリカで販売攻勢を掛けるらしく、最近ショップが増えてきた。

これ以外にも、黒門市場でモミジおろしを3瓶購入。更にアメリカでのデザートに欠かせない寒天パウダーを一キロ持ち帰った。これで暫くはデザートも安泰である。


ニッポン短訪(6)亀戸ホルモン

2013年11月17日 | いろいろ
1994年から95年にかけて約1年少々を亀戸の単身赴任アパートで過ごした。この時の心残りは亀戸餃子を食べるチャンスを逃してしまったことだ。いつも混んでいた。開店前にいっても行列が出来ていたから、空いたときにと思って時間をずらして行くと、その時は完売されていて閉店となっていた。だから昼の2時ごろ行っても最早遅いのである。そんな昔を思い出しながら、娘と晩飯までの小一時間を歩いたのだが、亀戸餃子が開いているではないか。昔はこの時間は閉まっていたのに、いささかの驚きだ。しかし、あれから10年以上も経つ。変わって当然だろう。

今日の目的は亀戸ホルモン。ここも行った事が無いが、長年行きたいと思っていた所だ。開店30分前に行くと、客が二人既に待っていた。開店5分前に行くと、その数は既に20人くらいになっていた。

なぜホルモンと言うのか。昔読んだ本の受け売りだが、臓物は昔は食べずに放るもん、即ち捨ててしまう部分だったと言う説が有力らしい。納得の説である。

さて、タンとかハツに始まりイロイロ食べたがメニューが豊富で、確かに美味い。店に特製のタレがあるが、大体塩がかかっていて、塩味だけでも十分美味しいことが分かった。むしろ塩味のほうがいいような気がする。加えて、炭火というのが一層良い。今時見ることが無くなった七輪の上でジュージューと焼く。昔、韓国に入り浸っていた頃の焼肉を思いだす。そういえば、あの頃カルビでもなく、プルコギでもなくソグゥムクイ(塩焼き)を美味しく食べさせる、決して奇麗とは言えない焼肉屋に一人でよく行ったことを思い出す。

娘が言う。「おとうさん、これ食べたら普通の焼肉食べられへんな」。Agreeである。

アトランタに帰ると娘からメールが来た。「またあのホルモン行きたいで~」。  (完)




ニッポン短訪(5)スカイツリー、浅草界隈、亀戸辺り

2013年11月14日 | いろいろ
二日目はスカイツリー。これを見に行くだけでも十分にオノボリさんとなっている。確かにデカイ。特に錦糸町や亀戸から見ると真近く、歩いても行ける距離だろう。この界隈が玄関口になっているのが分かる。

朝イチ錦糸町から地下鉄でスカイツリーに直行。残念ながら、まだ台風の影響で空に霞がかかり、富士山は見えなかったが、確かに東京タワーに代わる名所ではある。一通り回り、浅草へ出た。遠くから見てもよく見える。全景を入れるには浅草あたりからカメラを向けるのがよさそうである。言問橋の傍に待乳山の聖天様がある。一休みするつもりで訪れたのだが、裏庭園があるのでそちらに行ってみた。入り口を入った直ぐのところから見上げると木と木の間にスカイツリーが良い構図で見えるではないか。どこからも見えるから、きっとベストショットを撮れる場所があっちこっちにあるのだろうが、このスポットも捨てたものではなさそうだ。

浅草を歩いていたら、江戸切子の店があった。亀戸にあるショウルームは今日は定休日だからあきらめていたので、ちょうど良かった。と言っても高くて買えるわけでもないが、一度拝んでおきたいと思っていた。アンバー色のオールドファッショングラスがなんとも言えぬ色合いだ。10万か。思わず唸る。

国際通りを北へひたすら歩く。目指すは吉原大門。途中道を聞いたのが良かった。すんでのところで見当違いの方向に行っていたところだ。適当に歩いていると、やたら吉原という看板が出てきて、そこらあたりは旧遊郭の辺りらしく、昼間ではあるがいささか怪しげな店もある。と、交番が出てきて早速尋ねたら、若いおまわりさん、暇そうで、地図を出して親切に大門の場所を教えてくれた。大門の近くにランチの目的場所「天丼の伊勢屋」がある。単身赴任の時、一度だけワイフを東京に呼び、浅草界隈を見物してランチをここで食べた。その時は海老天、アナゴ天、かき揚げの入ったどんぶりを注文し、具の大きさに驚いたものだ。娘も目を大きくしていた。

浅草から都バスに乗って亀戸へ。昔からよし坊も娘も船橋屋のクズ餅が好きで、本家船橋屋で食べようとやってきた。久しぶりの味である。晩飯までには時間があるので、亀戸界隈を歩く事にした。それにしても、駅前も変わった。単身赴任、あれから大方19年だ。変わらないわけがない。

時間が6時に近づいた。そろそろ晩飯だ。

ニッポン短訪(4)オノボりさんの東京見物

2013年11月12日 | いろいろ
10月25日K君に会い、翌日は大学の商英クラブのミニOB会に出席。娘と合流し、27-28日の東京見物となった。東京出身のよし坊だが、東京を全て知っているわけではない。杉並、小平で都合23年間過ごしたが、大学卒業と同時に関西への就職で、そこでも20年余りを過ごし、そして今アメリカで18年。ざっくり言えば、東京、関西、アメリカと約20年づつ過ごしている勘定になる。だから、今のよし坊は東京と言っても完全にオノボリさんなのである。

新小岩を拠点とする意味は、ズバリ東京下町短訪である。かつて、1994年から95年にかけての一年間、当時の会社の関係で亀戸に単身赴任をしていたので、この界隈には何かと懐かしさがある。今回は殆ど東京を知らない娘と二人でこの界隈を歩いてみたいのだ。

初日、オノボリさん二人が行ったのは、映画でお馴染みの葛飾柴又である。一駅先の小岩駅前からバスで20分と近い。「とらや」でダンゴを食べ、しばし帝釈天で笠智衆と蛾次郎の顔を思い浮かべる。

御徒町のアメ横を歩き、上野公園を通って更に30分程歩いた。その先は都電荒川線三ノ輪橋である。日曜のせいもあったのだろうか終点早稲田まで大変な込み様であった。早稲田から高田の馬場まで歩き、そこでランチ。カレーショップに入り、よし坊はカツカレー、娘はチキンカレー。その足で弟が眠る多摩霊園まで足を伸ばし線香を手向けるつもりだったが、初めて行くのでお墓の場所が分からず。管理事務所によると墓の場所は管理者(即ち奥さん)の正確な名前と住所が分からないと検索特定出来ないと言う。弟他界以来疎遠になっているので、正確な住所が分からず、結局特定出来ずに退散した。

夜は築地のすし屋で久しぶりのコハダにありついた。関西ではコハダにありつけないのが玉に瑕である。

ニッポン短訪(3)当節日米ホテル事情

2013年11月10日 | いろいろ
今回の東京行きに際し、ホテルをどこにするか。

日本で働いていた90年代前半までのビジネスホテル群はいまや様変わりしている。東京出張の折によく使った晴海のホテル浦島などは今はない。

アメリカに住み付いて、たまに一時帰国しても帰るのは関西の奈良だから、余程の用件がなければ関西から出ることはないのだが、宿泊が不可避の時に利用していたのは専ら東横インだった。アメリカのロード・モーテルをモデルにしたというコンセプトというのが気に入ったのと、朝食おにぎりサービスが決め手だった。

アメリカは車の国だからホテル・モーテルはピンからキリまで、そのバラエティは豊富だ。ピンからいくと、20ドル台から10ドル刻みで相応のモーテルがあり、予算に応じて泊まれる。下からいくと、ナイツイン、モーテル6、スーパー8、デイズイン、レッドルーフイン、コンフォートイン等があってラキンタ、ハンプトンへと続く。ヒルトンやシェラトン等は超一流で、我々”普通の人々”には無縁である。日本と異なりアメリカの部屋は基本がベッド二つのツイン型だから家族4人でも泊まれて至極経済的に旅行出来る仕組みとなっている。電気釜を持ち込めば朝ごはんを味噌汁(インスタント味噌)に海苔で食べることも出来、兎に角安くいけるのだ。

現在、ビジネスとレジャーの両方でお勧めはヒルトンチェーンのハンプトン・インだろうか。昔は50-60ドルくらいの料金だったが、現在は80-100ドルクラスの代表格だろう。そのちょっと下にラキンタ・インというのがあって、60-70ドルで、このホテルもなかなか重宝する。今までのボトムでは30ドル台に泊まった事もあるが、最近はこの二つのホテルを使い分けている。東横インが目指したモデルは、恐らくハンプトン・インあたりではないかと推測するのだが。

さて、日本の事情に戻るが、近年人気があるのがスーパーホテルである。日本の我が地元奈良にも3件あるから名前は馴染みがあるが泊まった事はない。と言う事で東京行きに際し、最寄のスーパーホテルを試みたが満室で、初日は築地界隈に近い門仲の東横インを予約。二日目からは亀戸界隈での宿泊が良かったのだが3連泊の為取れず、新小岩のスーパーホテルが運よく空いていた。スーパーホテルのリーズナブル料金の一端が分かった。部屋に電話無し。今時携帯全盛の時代、部屋に電話は不要だ。それと部屋のキーが無いのだ。ドアの電子ロックを暗証番号で開閉するから部屋鍵の管理が不要となる。人件費節約で、その分他に投資したり、部屋を安く提供できるわけだ。

ニッポン短訪(2)懐かしき顔

2013年11月06日 | いろいろ
今回の一時帰国のプライマリーは運転免許更新だが、滞在を延ばした理由は懐かしき連中に会うことである。かねてよりあったK君からの誘いに応えること、そして、大学のクラブの嘗ての仲間。

K君との出会いはアトランタである。フロリダの大学を卒業したK君の就職のお世話をした縁で知己を得たのだが、残念ながらアメリカ移民局の手違いで奥様共々日本への帰国を余儀なくされてしまった。コテコテの関西人だが東京の外資系に仕事を得て持ち前の浪速のど根性で頑張っている。その彼が東京でご馳走してくれると言うので、その好意に甘えさせていただいた。案内されたところは京都の割烹の出店らしく、静かな雰囲気で、久しぶりに堪能させてもらった。美味しい料理に加えて秀逸は焼酎にあった。天使の誘惑。これがなんとも美味い。樽の香りがする、まるで芳醇なウィスキーのようであった。オンザロックが心地よい。

OB会は在学当時の連中が顔を見せてくれたが、会った瞬間に当時に戻ってしまうから、不思議である。今回幹事役を勤めてくれたT君、我々は当時T先生と呼んでいたのだが、彼を含め同期が5名、一年下には3羽ガラスがいたのだが、I君とS君が来た。I君はよし坊と同じ会社に入社、S君には彼がダラス駐在の時に出張に託けて一晩お世話になった。二年下では銀行マンだったA君と、Kジュニア。三年下からは、やはり同じ会社に入社してきたU君。帰りがけにU君が奥様と離婚されたと聞いて、いささかの寂しさを感じざるを得なかった。人生40年もやっていればイロイロある。今までメールでは接点があったM君はよし坊卒業後に入学した後輩にあたるが、全体OK会の幹事として参加してくれた。

関西在住のI君によると、我が同期、下戸のY君は関西で健在らしい。今度は関西でミニOB会でもやってみたいものだ。


ニッポン短訪 (1)27時間、トホホの旅

2013年11月04日 | いろいろ
日本の運転免許証更新の為、10月16日出発で二年ぶりの日本行となった。アメリカに来て以来10日以上の日本滞在はして来なかったが、今回はいささか滞在を延ばし二週間の日本短訪とした。

さて、のっけから季節外れの台風に翻弄される羽目になるとは、トホホ、である。

朝6時のフライトなので、ワイフと決死の早起きで家を3時に出発、シカゴ行きに乗ったまではよかった。フライトはJALーアメリカンシェア便で、シカゴからの成田行きには4時間あるのでラウンジに直行したのだが。荷物を置いてコーヒー片手にJALカウンターで日本の新聞をもらおうと赴くと、オネエサン曰く、”えらい事になってます”。26号台風の影響でシカゴ行きが大幅に遅れて出発したので、シカゴ発も6~7時間遅れる見込みとのこと。オーマイゴッドだ。

オネエサンによると、成田着が夜の9時を過ぎるだろうから、大阪行きの乗り継ぎ便には間に合わない可能性が大。つまり自然現象による飛行機遅延ではエコノミークラスの乗客は自分で宿を探すことを意味している。24時間空港なら空港ロビーで寝るシチュエーションである。

かくして、夕方6時に成田へ飛び立った。早朝3時に起きてから15時間、正確に言えばアトランタとシカゴは時差1時間だから16時間ということになる。これに飛行時間11時間を足せば27時間の旅となったわけだ。

3人掛けの通路側。横の二人は韓国系とヨーロッパ系アメリカ人。成田経由で、ソウルとバンコクに行くらしい。さかんに成田に着いたらどうしようと話している。

夜の9時半過ぎに漸く成田に着いたのだが、いささか勝手が違っていた。日航職員がズラッと勢ぞろい、乗り継ぎ便毎に名前のチェックをしているではないか。外にバスが待っているという。よし坊のグループは大阪乗り継ぎ便の客で、ホテル日航成田へ案内された。翌日羽田に移動してそこから大阪へ飛ぶという。

こんな出来事があると、つくづく、日本へ帰るのはNational Flag Carrierに限ると痛感する。今まで日本行きでアメリカのエアラインに何度か乗ったことがあるが、メシが不味い。凍ったザル蕎麦など食いたくも無い。たかが機内食、と言う事なかれ。味音痴のアメリカ人ならそれでもよいが、我々は世界に冠たるTaste Dicserning Japaneseなのだ。

台風狂想曲の始まりである。