よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

唯一の収穫ー独法仕分け

2010年04月29日 | いろいろ
民主党政権となって一年も経たぬうちに、支持率は急落。よくよくこの国には、リーダーが育たない。過去、リーダーシップを発揮した政治家は、角栄、風見鶏中曽根、そして小泉くらいではないだろうか。その功罪はあるが、リーダーシップと言う点では、卓越している。

政権交代で唯一の収穫は、長年手を付けられなかった、天下りとお手盛りの温床、独立行政法人の暗部に手を入れ始めた事だろう。自民党政権下では、手も足も出せなかった聖域が、崩れ始めた訳だから、意義は大きい。仕分け後の実行工程が楽しみである。自民党も反対の理由は無く、自分達が出来なかった領域だから、傍観するしかあるまい。

仕分け作業を公開して見せているのも良い。日本は可視化があらゆる場面で遅れている。見せる、晒すことの効果が大きいことが、今回の仕分け作業でよく分かる。
ルールや基準も無い、お手盛り集団だったから、理研のように、自分の女房を同じ職場にはめ込み、月たったの30時間労働で年収600万円を掠め取るような事になる。Mom and Popビジネス、所謂父ちゃん母ちゃんビジネスならいざ知らず、仮にも組織があるならば、アメリカでは入り口でルールを敷いている。組織として、近親者を雇用しても良いか、それとも禁止するか。雇用しても良いなら、どう運営していくかを、事前に決めておく。ニッポンに欠落しているのは、どうやらこの部分であろう。

兎に角、民主党には、政権が続く間は、これだけやってくれれば良い。いろいろマニフェストに書いていたが、他は出来なくても構わない。これをやるだけでも、はるかに日本の為になる。

映画三昧 -Katyn

2010年04月28日 | 映画
旧ソ連の恥部を描いた「Katyn」を観た。驚いたと言うか、懐かしいと言うか、監督は、あのアンジェイ・ワイダだ。「灰とダイヤモンド」で名を轟かし、アンジェイ・ムンクと共にポーランド映画の旗手と言われたワイダはいまだ健在だとは。

ドイツにアワシュウィッツのホロコーストがあれば、ソ連には、このカチンの森近くで行われたポーランド捕虜に対する大量虐殺がある。身内をカチンの森で亡くしたワイダの最後の、執念の作品なのであろう。

歴史は嘘をつく事を許さない。ロシアのプーチンが謝罪し、およそソ連崩壊から20年を経て、漸く事実が白日にさらされ、ロシアとポーランドが和解したまでは良かったが、ロシアでの合同慰霊の行事に向かったポーランドの大統領機が落ちるとは。単なる事故である事を願うのみである。

地球儀で見る日本とアメリカ

2010年04月21日 | ビジネス横丁こぼれ話
日本とアメリカは近いのか遠いのか。
不幸な戦争の結末は、GHQによる日本統治となり、「ギミー、チョコレート」と共にアメリカ文化の来襲を見ることとなった。それは、マクドナルドの進出を筆頭に、戦後日本を席巻していった。だから、数ある外国の中で、最も親近感のある国だろう。皆、近い国と感じている。なにせ、太平洋を一飛びすれば、海の向こうはアメリカ大陸が出てくるというイメージである。要するに、海を隔ててお隣さん、と思っている。しかし、本当にそれでいいのだろうか、それ程近い国だろうか。ふと、そんな疑問が湧いてくる。

地球儀を前に、正面に日本列島を置いてみよう。確かに右方向は太平洋の大海原だ。しかし、そちら方向に地球儀を回して、世界をみてはいけないだろう。ここは、自然の原理に従った見方をしなければいけないと思う。即ち、地球が自転している方向に世界を見る。その道程は、かつてのシルクロードを西に辿り、東西のクロスロードと言われるシリアを通過して、やがて、ヨーロッパへ到達する。最後に大西洋を越えて漸くアメリカ大陸に辿り着くのである。彼らは、日本を含むアジアを極東と言う。しからば、アメリカは極西である。実は、日本とアメリカは、全てにおいてこの距離感を認識していなければいけないのではないか。

別の方法で見るならば、硬いプラスチック定規の、右端が日本で、左端がアメリカと言ってよい。本来、両極に位置する遠い国同士なのだ。ところが、硬い定規ではなく、一本の紐状の物差の両極に位置する日本とアメリカをくっ付けて、円状にすれば、正にお隣さんになってしまう。ひょっとして、日本人は、こういう風にアメリカを見ているのではないだろうか。本当は、遠い、未知の国と言ってもいいくらいのアメリカを、紐状の物差しで、よく知っている国と錯覚しているように思えてならない。

無理も無い。日本に居ると、アメリカのニュースが途絶える日は無い。知らない小さな町の事件でもニュースになる。近い国と錯覚するのも致し方あるまい。しかし、多くの日本人が社命により、アメリカに赴任して、この錯覚のゆえに、様々な障害にぶち当たっているのは、なんとも忍びない。
ここらで、地球儀の上で外国旅行をしてみては如何だろうか。アメリカを、少し違った目で見る事が出来るかもしれない。

WPS開幕

2010年04月17日 | サッカー
待望の全米女子プロサッカーのリーグ戦が、始まった。

今年から、アトランタ・ビートが新加入し、外国人選手の中には、日本の山口麻美がいる。初代ビートでは、澤穂希が活躍したが、今は、大砲ウォンバックがいるワシントン・フリーダムの10番だ。チームの紋章は、同じデザインで、青基調からオレンジと赤に変わった。

さてさて、5月16日は、ホームにフリーダムを迎えての試合、山口と澤の対決は見逃せない。

山口はフロリダにいわばサッカー留学し、名を上げたし、英語もかなり慣れているはずだから、今後が楽しみだ。特に海外で活躍するスポーツ選手には欠かせないのが英語力だろう。
ゴルフの丸山は、折角優勝しても、アメリカサイドのインタビューはあっという間に終わってしまうから、現地でのアピール力ははなはだ低い。その点、今田龍二は、英語に問題ないので、インタビューもアメリカ人並みに長く、メディアに乗って得をしている。

たかが「言葉」されど「言葉」で、特にスポーツで海外を目指すには、特に英語は不可欠だと実感する。

MLK

2010年04月16日 | アメリカ通信
ジョージアに住んで15年。地元だと、つい行きそびれる所があるものだが、マーチン・ルーサー・キング牧師(MLK)のMuseumもその一つである(写真はMLK夫妻のお墓)。

日本からのゲストを案内がてら、初めて訪れた。アメリカのちょっとしたMuseumの類は、有料で、結構高いが、このMuseumはFreeである。展示物とお墓、生家を見るツアーだ。

ガンジーの無抵抗運動を取り入れ、「I have a dream」の有名な言葉を残した、この歴史上の人物が、若くしてテネシー州メンフィスのホテルで銃弾に倒れてから、40余年が経つ。この約二ヵ月後、ロバート・ケネディが凶弾に倒れた。この年、アメリカは、偉大な指導者を二人失ったことになる。この時代、法曹界では、「Separate but Equal」で有名なサーグッド・マーシャルを輩出し、初の黒人最高裁判事へと送り出しており、1950年代から60年代は、アメリカの差別と公民権の歴史にとっては非常に重要な時期である。

MLKの大衆運動は、JFK亡き後を引き継いだジョンソン大統領によって公民権制定へ漕ぎ着け、漸く「Separate but Equal」の精神がスタートラインに立ったような気がする。決してゴールではなく、スタートラインなのだ。そして、今でもその運動は続いており、この運動に終わりの無い事が、日常生活の中で実感される現代のアメリカである。

今からでも遅くはない

2010年04月09日 | サッカー
ワールドカップに出られるだけでも幸せと考えるか。いや、一勝くらいはして欲しい。が、このままだと、3敗するのが目に見えている。どうせ3敗するなら、何かを仕掛けて、潔く散るのが良い。その位に思ってやれば、活路が開けるかもしれない。

まず、監督更迭を実施することだ。チームをまとめるのに時間が無い?冗談じゃない、とっくに纏まっていないのだから、これからまとめる必要はサラサラ無い。選手に一言言えばよい、点を入れろと。

それと、中村俊介はもう要らないだろう。もともとスタミナは無いし、スピードも無い。この際彼を外すのが良い。

海外組みの森本、本田、松井、長谷部は全員先発で入れる。それと、海外経験者の小野と稲本も外せない。国内組では岡崎くらいか。ディフェンスには闘莉王は欠かせない。

兎に角、並みのやり方では、どうにもならない所に来ている。現元海外メンバーに国内組をちょっと足すだけで十分だ。これで3敗する方がスカッとすること間違いなし。

それにしても

2010年04月08日 | サッカー
負け試合を予想して観る試合ほど味気ないものは無い。しかし、同じ負けでも負けっぷりがある。せめて1-0くらいで負けてくれれば納得もするが、3-0ではどうしようもない。

主力を欠くとは言え、強豪のセルビアに対し、海外組みの居ない日本。それでも、一応日本代表一軍半くらいのプライドは持って欲しいものだが、何も無さそうだ。

闘莉王が居ないと、こうも簡単にバックスが破られるのかとさえ思う、ディフェンスラインの弱さは、目を覆いたくなる。闘莉王がいても、元々ディフェンスラインは弱点だが、それにしても酷すぎる。

中盤がガタガタになっている。パスのコンビネーションもなっていない。中盤が仕事をしなけりゃ、前線に繋げないから、点が入る訳ない。最前線FWは、毎回の如く、限りなくひ弱である。

それにしても、選手の動きに、意欲が全く感じられない試合であった。こう言う試合を観ると、観て損した気分になる。

日本の教育現場

2010年04月07日 | いろいろ
ワイフの姉が遊びに来ている。小学校の先生を定年退職して、悠々自適である。

何年か前、国がゆとり教育と称して、所謂詰め込み主義を廃した方針を実行したのだが、当初から現場では、相当の疑問と危機感があったと言う。小学校の一年と二年では、理科と社会が無く、生活教科という、何やら訳の分からないものが出来たそうで、極端に言えば、生徒の自由な感性に委ねるという、キャッチフレーズとしては飛びつきたくなるような言葉だが、実態は、生徒が疑問を持たなければ、そのまま過ぎ、かといって教師から疑問を持たせるような指導要領も無いらしい。要するに、放ったらかしが許容されている。

それと、今の教師は、教える事以外に、例えば給食費を払わないモンスターペアレントへの取立て業務やら、余計な仕事が結構あって、それはそれで大変らしい。
大阪府の橋下知事が文科省に噛み付いたのも分かる気がする。小学生の柔軟な脳みそのうちに、肝心の基礎を詰め込まないで、あと何とする。吸収するキャパが有りながら、インプットされなければ、脳は退化するのみで、脳なんていうのは、オーバーフローするくらい詰め込めばよい。それで入りきれないものは、どんどん落としていけば良いのだが。

かつては、学校レベルの数学も世界一と言われた日本、数学だけではなく、教育全般でレベル低下を起こし、それに合わせるように国の力が落ちてしまった。普段は目に見えないが、間違いなく、国力と学力は比例している。

夢に終わりそうな二大政党

2010年04月04日 | いろいろ
世紀の政権交代から、日本の二大政党の枠組みを期待していたが、どうも違った方向にすすんでいる。かつて、55年体制下の社会党が、自民党に取り込まれてあっという間に消滅した「あの時」の足音が聞こえてきたような気がする。このままだと、民主党とミニ政党乱立の様相かもしれない。

それにしても、権力と言う接着剤でくっ付いていた自民党の連中が、こうも情けない体たらくを見せるとは、権力の凄さと危険さを教えてくれる。民主党がもたつき、一矢も二矢も報いるチャンスだが、迫力はからきし無く、離党者が相次ぐばかりで、求心力の欠片も無い。今の総裁では無理な事は最初から分かっていたはずで、河野太郎が吼えた時に他の道を選択出来なかった彼らの非力さだろう。相変わらずの長老支配の流れを踏襲しているから、新鮮さが無く、さりとて、中枢の若返りを図るでもなし、挙句の果てには、前代未聞の他人の代理投票までやってしまう、およそ政治家とは呼べぬレベルの低さ。10回もの投票を、魔が差した、とは 国民を馬鹿にしたような言い訳で、あれは常習の確信犯だろう。国会で録画しているのであれば、過去のテープを是非チェックして欲しいものだ。警察も国会も可視化が必要な国だ。

最近の政党の歴史は、兎に角、一国の総理大臣には、お金持ちのお坊ちゃまを据えてはいけない、と教えてくれた。前の総理もお坊ちゃまで、インスタントラーメンの値段を聞かれて、500円くらいか、と答えたとか。それで庶民のための政治をやるとは、どういう了見か。今のお坊ちゃま総理も、その点では、さして変わらないだろう。毛並みの良さは「戦時」には不要で無用だ。雑草を食ってきた者にやらせなきゃ。

もう少しマシかと思っていた民主党、訳の分からぬ「子供手当て」以外にやる事はあるだろうと言いたい。今年の参院選は相当重要だ。最近の選挙は全て民主に投じていたが、今度はちと考えないといけないと思っている。

映画三昧ーThe boy in striped pajamas

2010年04月02日 | 映画
去年か一昨年、見るチャンスを逃したこの映画、漸く観る機会を得た。当時の予告編で、ユダヤ人収容所の内側の少年と外側のドイツ人少年の単なる心の交流を描いた、単なるヒューマンタッチの作品を想定して観たのだが、とんでもない結末に、いささか驚いた。こう言う悲劇の描き方もあるのかと、意表を突かれた感じだ。その意味では、大変見ごたえがある映画だろう。

映画の4分の3は、ドイツ将校の子供と収容所に居る同い年のユダヤ人の子供の、無垢な交流を中心に話が進む。いつか、その無垢な交流も、残酷なナチ主義と処刑される運命のユダヤに分かれる日が訪れるのかなと、思っていたら、最後の15分で、思わぬ方向の展開になり、観る方を慌てさせる。

もし、映画館で観ていたら、最後の15分間に、アメリカ人の誰かが、画面の少年に向かって、「止めろ」とか、「未だ間に合う、そこで留まれ」とか声をあげていたことだろう。今まで、そういう光景をいくつも見てきた。日本人はおとなしいから、そんな事は叫ばないが、アメリカ人というのは、思った事を直ぐ言ったりする。悲しい場面で涙が出るシーンなどは、よし坊は周囲に悟られまいと、必死に取り繕うが、アメリカ人は平気で泣いている。つくづく、彼らはストレートな正直者だと痛感する。気配り上手の日本人、といい意味で使われるが、裏を返せば、悟られないように取り繕うのが上手な日本人でもある。