アメリカの地を踏んだコマネチは、これでやっと自由になった、と思ったに違いない。が、事実はそうではなかった。
異国の地を踏んだコマネチにとって全てが違う世界。右も左も分からないコマネチが当面頼れるのは、手引きをしてくれた同国人のパナイートだけであった。だから、パナイートの言う通りに動くしかなかった。
アメリカにも多くのルーマニア人がおり、亡命者も多い。当然、祖国から脱出してきたコマネチは彼らコミュニティでもニュースとなり、コマネチを援助しようと接触を試みた者も多いが、殆ど接触は出来なかった。パナイートが篩にかけたのである。彼はコマネチを利用して、アメリカ各地を連れまわし、訪れた先でイベントを張り、当座コマネチが生活に困らないように、との名目で金稼ぎをしたのである。約3か月間、ほぼ軟禁状態でコマネチを連れまわした。
コマネチを連れまわすパナイートの行動に疑問を抱く者も出てきた。かつて、10点満点を出したモントリオール五輪で一緒にインタビューを受けたバート・コナーもその一人であった。彼もコマネチが亡命した後、接触しようとしたが、出来ずにいた。ある日、TVショーにコマネチが出演することを聞き、偶然ショーのプロデューサーが知り合いで合ったこともあり、サプライズゲストとして出演出来ないか頼み込んだが、パナイートの同意が得られなかった。コナーは”何かがおかしい”と感じた。
パナイートに引き回され3か月が経った頃、コマネチは漸く、数少ない友人のひとりにパナイートの信頼性に疑問を持っていることを打ち明けた。亡命を手助けしてくれた、言わば恩人に対して直接疑問を呈することが出来なかったのである。友人はただ事ではない、と直感し、直ちに二人の中に割って入り、コマネチは初めてパナイートに対し、”この3か月の連れまわしはおかしい”とアピールした。翌日、パナイートは”コマネチのために”の名目で稼いだ、約1500万円相当と共にアメリカを脱出した。パナイートは初めからコマネチを食い物にしようとしていたのである。
持ち逃げと言う苦い目に遭ったコマネチだが、これで漸く本当の自由を手に入れた。そして、運命の再会へと、その一歩を踏み出した。
異国の地を踏んだコマネチにとって全てが違う世界。右も左も分からないコマネチが当面頼れるのは、手引きをしてくれた同国人のパナイートだけであった。だから、パナイートの言う通りに動くしかなかった。
アメリカにも多くのルーマニア人がおり、亡命者も多い。当然、祖国から脱出してきたコマネチは彼らコミュニティでもニュースとなり、コマネチを援助しようと接触を試みた者も多いが、殆ど接触は出来なかった。パナイートが篩にかけたのである。彼はコマネチを利用して、アメリカ各地を連れまわし、訪れた先でイベントを張り、当座コマネチが生活に困らないように、との名目で金稼ぎをしたのである。約3か月間、ほぼ軟禁状態でコマネチを連れまわした。
コマネチを連れまわすパナイートの行動に疑問を抱く者も出てきた。かつて、10点満点を出したモントリオール五輪で一緒にインタビューを受けたバート・コナーもその一人であった。彼もコマネチが亡命した後、接触しようとしたが、出来ずにいた。ある日、TVショーにコマネチが出演することを聞き、偶然ショーのプロデューサーが知り合いで合ったこともあり、サプライズゲストとして出演出来ないか頼み込んだが、パナイートの同意が得られなかった。コナーは”何かがおかしい”と感じた。
パナイートに引き回され3か月が経った頃、コマネチは漸く、数少ない友人のひとりにパナイートの信頼性に疑問を持っていることを打ち明けた。亡命を手助けしてくれた、言わば恩人に対して直接疑問を呈することが出来なかったのである。友人はただ事ではない、と直感し、直ちに二人の中に割って入り、コマネチは初めてパナイートに対し、”この3か月の連れまわしはおかしい”とアピールした。翌日、パナイートは”コマネチのために”の名目で稼いだ、約1500万円相当と共にアメリカを脱出した。パナイートは初めからコマネチを食い物にしようとしていたのである。
持ち逃げと言う苦い目に遭ったコマネチだが、これで漸く本当の自由を手に入れた。そして、運命の再会へと、その一歩を踏み出した。