よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

烏合の衆

2010年12月30日 | いろいろ
今の政権が、終わりに近付きつつある事は、素人目にも分かる。その姿は哀れを催す程である。

自民党の党是が憲法改正にあるのは衆知であるが、民主党の党是は何か。調べてみたがさっぱり分からない。マニフェスト選挙を掲げ、政治主導を訴えて政権を獲ったのだから、これが謂わば原点、座標軸の中心なのだろうが、実はマニフェストという横文字に我々は騙された。自民党時代の公約と何ら変わりは無い。政治主導というが、これも大臣になった人間の資質によるところ大なので、自民党であろうと民主党であろうと関係ない。その人が政治主導出来る人かどうかで、決まる。このように見てくると、民主党の党是は「政権奪取」だった事が分かる。これが全てだから、政権を獲ったのをピークとして、後は転げ落ちるのみ、これが今起こっているような気がする。

政権を獲るまでの民主党は斬新であった。イギリスのマニフェスト手法を導入し、国民を魅了したのは間違いない。会社で言えば、斬新な企画書を次々と提示し、承認されたようなものだ。さて、承認されて、いざ実行しようとしたら、机上で立てた企画だから、現実に遭遇し、次々と企画倒れとなってしまったのが実態だ。

よし坊も、アメリカの二大政党の現実を横に見ながら、民主党政権で日本にも二大政党時代の入り口に来たかと、大いに期待したものだったが、どうも、日本に於ける二大政党論は馴染まない気がしてきた。結局は全体が烏合の衆だから、あっちウロウロ、こっちウロウロとなる。

それでは一方の自民党は、と言うと、これも問題だ。まず、野党に転じてドノ程度反省をしているのかが分からない。そのうち棚ボタで、近いうちに政権が戻ってくるかもしれないと姑息な考えを持っているような気がする。折角民主党がミソを付けた外交問題。その根本問題が憲法論議に繋がるのだから、何故大々的にキャンペーンを張らないのか。戦後60余年、党是を避けてきた報いが政権交代だったと捉えれば、絶好の機会ではないか。それを国民に問えばよい。これが出来なきゃ、自民党も看板を下ろしたほうが良い。

サツマミカン

2010年12月20日 | アメリカ通信
以前、アラバマにあるSatsumaという町が、日本のミカンに因んだ名前だと言う事を書いた。

今、サツマミカンが市場に出回っている。毎年この時期に出回り、日本のミカンと同じ味を満喫する。オレンジの柑橘類は結構種類が豊富だが、やはり、サツマみかんは日本人にとっては別格なのだ。

面白い事に、アラバマのSatsuma市だけではなく、他の州にも同じ地名がある。ルイジアナ、テキサス、そしてフロリダだ。夫々皆日本のサツマみかんに因んで名前がつけられている。

あの明治の時代、アメリカ人高官が故郷のフロリダに送った薩摩地方のミカンが、その後アメリカ南部に果実と地名を残したのだから、この高官に感謝しなければならない。

長さんとその責任

2010年12月16日 | ビジネス横丁こぼれ話
大阪地検特捜部に端を発した前代未聞の検察不祥事。就任半年で引責辞任する検事総長殿にはチト気の毒だが、世間を騒がした度合いからして、止むを得まい。不本意ではあろうが、ボスの責任の取り方であろうか。

ホンダの創業者二人が残した良い言がある。「社長も部長も課長も盲腸も包丁も、チョウが付くが、皆単なる符丁に過ぎない。偉い偉くないは関係無い」。「肩書きは偉さのランキングではない。しかし、これを勘違いする者が出てくる。そういう意味では、社長というのは一番厄介な肩書きだ」。責任を取るのが「長」なのである。

ヨーロッパの日系現地会社に有能な現地社員がいた。営業、経理総務を全部任され信頼されていた。日本人社長は脇の甘い社長だったから、この有能な社員に慢心が出てきてしまい、経理を握っていることをいい事に、お金の使い込みを始めた。
日本人社長が交代する事になった。新社長はマネジメントの厳しい人物だったので、この現地社員も使い込みが出来なくなった。しかし、一年過ぎた頃、ある経理の調査を切っ掛けに、前社長時代の使い込みが発覚した。結果は社長の責任として社長交代となった。前社長時代の事なので、少しかわいそうな気がするが、「長」としての責任なのであろう。

恐らく、この新任社長は、就任早々、前任者時代の経理を中心とした経営レビューを最初の仕事としてやるべきであった。それでも見抜けなかったのなら、諦めも付く。「長」と名の付くポジションに就く人は、最低限の自己防衛策として、最初に何をやるべきか、肝に銘ずるべきである。蛇足ながら、最も効果的なのは、日本の本社経理を巻き込んでの経営レビューをやる事だ。本社を絡める意味は非常に大きい。

映画三昧 - リチャード・クレンナ

2010年12月16日 | 映画
久しぶりに古い映画、ランボーを3作続けて見た。昔観ていても20年以上も経てば殆ど忘れている。3作とも出ているリチャード・クレンナが懐かしい。

最初にクレンナを観たのは、テレビドラマの「スラッタリー物語」。日本ではまだまだアメリカ製ドラマが全盛の頃で、なかなか渋い役者がいるなと思っていた。次に見たのが、マックィーン主演の「砲艦サンパブロ」の船長役。マックィーンを観に行ったというよりは、クレンナ目当てだった。あの映画は、マコ岩松も出ていて、こんな日系の役者がアメリカにも居たのかと、思ったものだ。

クレンナは、映画よりテレビが多かった為か、滅多にお目にかかっていなかった。最後に映画で観たのは、ハリソン君主演の「サブリナ」だったか。これは、例の「麗しのサブリナ」のリメイクなのだが、ハリソン君やグレッグ・キ二アよりも、やはりクレンナが気になるのである。


酒乱

2010年12月14日 | いろいろ
エビゾウによる餓鬼の喧嘩事件も一段落したが、酒乱は実に厄介だ。普段は普通の人、或いはいい人なのに、酒が入ると別人となるこの落差。あの人は酒癖が悪いから、と少々絡むのは可愛い方である。酒が入ると話しがくどい、説教調になる、愚痴ばかり言う、等で嫌がっていたら酒は飲めない。もちろん、楽しい酒が一番であるが。

昔部下として5年間付き合った我が上司には手を焼いた、というか部下であることを一年で止めた。通常、部下という者、上司が多少仕事で抜けが有れば、上手にフォローしてあげるものだが、フォローのし甲斐が無いので、放っておいたわけだ。

ある時、10人くらいで飲み会をやった。部下の女性も数人入っている。始まって30分も経たないのに、いつの間にか上司の姿が無い。アレっと思って見渡したら、向こうに女性だけのグループが来ており、そこでチャッカリ飲んでいるではないか。日頃から評判の女好きで有名だったから、皆、あ然としながらも納得であった。帰る頃になると、完全に出来上がっていたが、問題は外に出てからだ。道路の工事現場に黄色の注意表示の電球がいくつも立っている。その電球を、足蹴りで一つ一つ粉砕していくではないか。止めても、最早手遅れで、結局全部壊してしまった。この一件で、以後彼が出る飲み会には皆しり込みするようになったのは当然だ。

台湾に出張した時の事、宴会の席で、酔った上司殿は、やおら紹興酒の瓶を持って立ち上がり、隣のお客の頭から酒を浴びせたではないか。酒を注ぎにいこうと思って手元が狂ったのだと咄嗟にフォローして勘弁してもらったが、誰が見ても確信犯。その場は直ぐにお開きとし、翌日、上司抜きで、相手方をナイトクラブ濃厚接待したのは言うまでも無い。

酒乱と分かったら近付かないことだ。それを知ってか知らずか、エビゾウと結婚したアナウンサー細君はえらい貧乏くじを引いちゃった。

Axes of Evil

2010年12月10日 | アメリカ通信
今となると、あのイラク戦争を仕掛けたブッシュが、妙に懐かしい。イラク戦争は間違いだったと思うが、あの時、イラン、イラク、そして北朝鮮を名指しで、悪の3枢軸と決め付けたブッシュは、この一点では正しかったと言うべきだろう。

ブッシュは一直線にイラクに突き進んだが、当時、イラクよりイランを叩かねばならないと主張したグループがいたという。核開発がドンドン進み、いずれ手に負えなくなる可能性があるので、今のうちに芽を摘み取るべし、という一派だが、イラク組みに負けた。そして、今、イランは核を武器に揺さぶりをかけており、当時の懸念が現実となった。

クリントン政権の時に、核開発に絡み、北を攻撃するシミュレーションまでやったのだが、結局、攻撃するだけの大義名分が無かったので断念せざるを得なかったのは、致し方ない。

歴史にIFは意味が無いが、敢えてIFを付けるならば、もし、当時の大統領がブッシュ・ジュニアで、北がこの間のように韓国の小島に撃ち込んだとしたら。当時は未だ中国もここまで肥大化していないし、ロシアもベルリンの壁崩壊後の建設途上でもあり、可能性があったのではないか。大量破壊兵器を盾に突き進んだブッシュの事だから、韓国への攻撃だけで、GOとしたかも知れない。

世界は核軍縮どころか、拡散の方向だろう。イランと北が成功すれば(核保有国としてはほぼ成功だが)、次も出てくる。将来は、恐らくアフリカ大陸のどこかの国も保有するだろう。

唯一の被爆国である日本の痛みが世界で共有されているかと言えば、はなはだ疑わしい。その痛みは日本列島から外には出ていないのだと思う。日本が世界の舞台で、被爆国としての軍縮へのイニシアチブがどれだけ取れるか。外交オンチの国だけに、殆ど期待は出来ない。

唯一の被爆国でありながら、世界の核拡散を指を咥えて見ているだけの日本。なんだか空しい気分だ。


映画三昧 - 球形の荒野

2010年12月07日 | 映画
前後編併せて4時間のスペシャルドラマ「球形の荒野」があるというので、楽しみに観たのだが、残念ながらすっかり裏切られてしまった。折角の清張作品が、これでもかと言う脚色で、原作の味は何処へやら、社会派ミステリーどころではなく、すっかり安物の刑事物のドラマと化してしまった。テレビドラマがドンドン面白くない方向に行っている、その一端を見せてくれたようなスペシャルだった。

後味が悪いので、次の日、早速手持ちのビデオ、松竹映画「球形の荒野」を久しぶりに観直してみた。4時間(正味3時間半位)のダラダラしたテレビ版に比べ、1時間40分の中にエッセンスを凝縮する映画の濃厚さというか、重厚さをあらためて実感する。若い竹脇無我と島田陽子を軸に、芦田伸介、山形勲、岡田英次とベテランを配しての、やはり重みのある映画に出来ている。軍人上がりの右翼の藤岡琢也も凄みが出ていて、危険な風格がある。犯罪に関わる部分では、戦後の右翼、児玉誉士夫かそれに連なる人物を連想させる役として、大滝秀治がワンシーン登場する。原作では、時代背景の重要部分として描かれているのだが、テレビ版はやたらと殺人事件を起こし、そんなものはどこかに飛んでいる。大滝秀治は若い頃は、他の映画でも凄みのあるワルを演じていて、一度観ると忘れない役者となる。

テレビドラマの方は、最後が又いただけない。お互い父であり娘である事を分かっていながら、他人を装って最後の別れをするハイライトだ。これをテレビ版はどう演ずるか。ワイフと二人で、最後まさか名乗らないよな、と期待していたら、娘に「お父さん」とアッサリ呼ばせてしまったではないか。最後の最後で、最後のがっくり。テレビドラマは所詮こんなものか。

劇団ミンシュトー

2010年12月04日 | いろいろ
今年は何が面白かったかって?

劇団ミンシュトーによる数々の舞台は観客を大いに楽しませてくれた。中でも「不転魔始末記」、「センカクの怪」、「人生楽々二つの言葉」、「下僕の旅、ハノイからヨコハマへ」そして、「暴力装置でぶっ飛ばせ」は軽薄短小にして醜逸な作品だった。

「不転魔始末記」は製作、監督、主演と全て ぼんハトヤマによる超駄作であった。
「センカクの怪」は主演カン、助演センゴクだが、完全にセンゴクが主役を喰った。
「人生楽々」は、ヤナギダ主演だが、不評につき途中で公演打ち切りの目に遭った。
「下僕の旅」は、カン主演で、赤い国の下僕を必死に演じたが、最後は台本棒読みの哀れな舞台。
「暴力装置」は、センゴク主演の自衛隊弱小化を目論む元左翼の闘争劇である。

最有醜主演賞は、なんと言っても「不転魔始末記」のハトヤマにトドメ。あの、アメリカをも怒らせた自作自演には、言葉も出ない。

最有醜助演賞は、「センカクの怪」のセンゴクに授与したい。その他の作品でも全て主役を喰う活躍であった。

審査員特別不名誉賞は、主役でありながら主役とは程遠い演技に終わったカンがベストだ。昔、薬害の舞台で主役を張り好評を博したが、もう主役を張る実力は無い。

年明けも、大きな舞台が口を開けて待っている。ひょっとしたら、劇団ジミントーとの合同舞台などという、大作が幕を開けるかも知れない。

それにしても、どんな舞台でも言葉が大事。そんな大事な言葉が、軽く不用意に飛び交い、失言暴言の類を誘発している。言葉には品性と本音が出るから、よくよく鍛錬しなければならない、と思う。

2022ワールドカップ

2010年12月02日 | サッカー
今、アメリカ時間の朝9時半。10時から、2022ワールドカップ開催国の発表だ。

昨日の候補国のプレゼンを観て、よし坊の予想は本命アメリカ、大穴カタールで、日本も韓国も無理だろうと思う。順列をつけるとすると、アメリカ、オーストラリア、韓国、日本、カタール。

残念ながら、プレゼンそのものの印象では、日本は最下位と言わざるを得ない。ワールドカップ開催に賭ける各国の気迫は、まず、プレゼンターの顔ぶれに表れるが、一目瞭然の感あり。アメリカはクリントン元大統領を筆頭にオバマのビデオメッセージを入れ、USサッカーの花形プレーヤー、キューピー・ドノバンを投入。オーストラリアもブライス女王陛下代理を筆頭に力を入れている。韓国も首相を立て、マンUの韓国スタープレーヤーである、パク・チ・スンを投入。

日本は、こういうプレゼンは、全く下手だ。ソニーの社長では日本の顔にはならない。アピール力は、5カ国中最下位も頷ける。今や、スポーツと言えども、世界政治そのものであり、W杯誘致は経済効果も抜群なのであるが、日本の政治はそういう事に限りなく疎い。ま、今のような政治のドタバタでは、到底頭が回らないだろうが、世界の政治とはそういうことだとの認識が無い。

日の出の勢いの、かつての経済大国ならいざ知らず、どちらかというと、落ち目の日本がジリ貧のプレゼンでは情けない。やる気と覚悟が見えないのだ。自信喪失している今の日本を象徴するような出来事である。

そろそろ、発表だ。

今発表だ、大穴カタール。初めてのアラブ諸国か、止むを得まい。 ジ・エンド。

琉球について

2010年12月01日 | いろいろ
たまにテレビのドラマで、南西諸島のどこか、例えば波照間や竹富島が舞台となって、透き通った海や南国の風景を映し出し、ちょっぴり不便さを織り込みながらヒューマンドラマをアピールする。本土の人間、都会育ちにとっては、何とも魅力的な地域に映るが、所詮そこまでだ。沖縄諸島も含め、それらの島々について殆ど何も知らないし、知ろうともしないのが現実だろう。

映画にもなった「死の棘」の小説家、島尾敏雄の著書に「琉球弧の視点から」という読み物がある。奄美から最西端にある八重山諸島までを「琉球弧」と言う塊の視点で捉え、それらを称してヤポネシアという造語概念を与えている。奄美や沖縄を中心に、それらの風景の断片を我々に提供しながら、遥か昔から置き去りにされてきた琉球弧の歴史的価値と重要性を垣間見せてくれる。この本を読むと、地球儀の上で、琉球弧全体が確固たる存在感を示してくれるから不思議だ。かつて、海洋文化圏を形成し、台湾、フィリピンや中国と謂わば国際的交流の最先端を担っていた存在である事がよく分かる。

このような、独特の存在価値を持ちながら、限りなく長い間、中央政治からのアテンションは低く、これからもそれは続きそうだ。その、琉球弧の中心的存在は、紛れも無く沖縄だが、脚光を浴びたのは、戦後のアメリカからの返還であり、その後は単発的に起こる米軍兵士の不祥事騒動くらいで、本土4島から見れば、それらも一瞬にして遠い出来事になってしまう。

その沖縄は、全てが基地問題に繋がる。経済を支えているのも基地であり、問題を起こすのも基地である。基地が無くなっても困るが、目の前の問題は解決したい、そのジレンマが沖縄にはある。その為に、相当な時間と水面下での交渉を経て辺野古移設を固めたにも関わらず、その長年の努力を一瞬にして葬り去ったハトヤマの罪は相当重いと言わざるを得ない。当分の間、普天間は動かす事が出来なくなっただけでなく、日米同盟の信頼をぶち壊した首相としてその名を留めること間違いなしである。

沖縄の人と話すと分かる。本土の人とアメリカ人とどちらが好きか、と質問すると”アメリカ人”と答える方が多いのではないか。彼等は、沖縄戦で何が起こったのか、を知っている。私の知り合いは、若いときから、おばあちゃんにこう言われていたそうである。「絶対本土の人とは結婚するな」。彼の奥さんは、やはり沖縄の人であった。本土の裏切りに対する嫌悪感は世代に受け継がれているのだと思う。当然の事だ。

政治が沖縄に関わる時、この心情を無視しては駄目だ。パズルを当てはめる様な、画一的なやり方では到底上手くいかない。今のボンクラ政治家達に、島尾敏雄の本を読め、と言いたくなる。