よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

草テニス再開

2013年08月27日 | アメリカ通信
7年位まえだろうか、痛風を発症して以来止めていた草テニスを先ごろ再開した。ワイフと二人だけのヘボテニス。ま、テニスの真似事レベルだから、人様に「テニスをやってます」等とはとてもじゃないが言えない代物テニスなのである。それでも40分も動くと汗だくとなる。ラリーは続かない。足はもつれ身体は思うように動かない。

アメリカと言うところの土地の広さに感心する。町中いたるところに公園があり、そこには最低でもテニスコートが4面から6面くらいあるのだ。朝早く行けば大概空いている。ウィークデイならガラガラである。ワイフに聞いたら、日本ではタダでやろうと思ったら、予約を取るのが大変だという。しかもそこかしこにタダで出来るテニスコートがあるわけではない。

もし、アメリカに来ていなければ、今頃日本で何をしているのだろうか。ふと考える。せいぜい、ご多分にもれずの小旅行か。あるいはお遍路さんをやっているかもしれない。到底、テニスをやるだの考えもつかぬのだろう。

アメリカに住んだからこそ手に入れた草テニス。日本なら下手過ぎて格好悪くてその気にもならないだろうが、このアメリカではお構いなしで、堂々と出来るのが良い。アメリカに住んで手に入れたものは他にもある。ガーデニング+日曜大工だ。やる事はなんぼでも有る。芝生の再生も前庭は成功したが、裏庭は見事に失敗した。来年再チャレンジだ。他にもドライブウェイのコンクリートに亀裂が入っているのでこの修復を計画中だ。最後は釣りだ。これも日本に居たら死ぬまでチャンスは無かっただろう。我が家の手巻きずしは釣果が有る時だけに限られている。従って、手巻きを食べたければ釣りに行かないと始まらないのだ。釣りに行っても釣れなければ手巻きはなしだから辛いところだ。今も行きたくてウズウズしているのだが、今年は変な天候で、フロリダも雨続き。来週も雨なのでアキラメるしかない。そろそろ手巻きを食べた~い!!

Missing 54年目の逮捕

2013年08月17日 | アメリカ通信
人間というのは人に嘘をつき続けても、自分を誤魔化し嘘をつき続けることは苦痛以外の何物でもなく、いつか、どこかでその重荷を下ろしたいと思うのだろう。人生の途中で下ろすチャンスを失った人間が最後のチャンスを持てるとすれば、死を迎えた時であろうか。

1994年、ジャネットは死を迎えようとしている母のベッドに呼ばれ、こう告げられた。「1957年、この町で小さな女の子が殺された。その犯人はお前の兄(異父兄)のジョンだよ」。この告白を胸にしまいながら、2008年彼女はマーク・レンバートという作家の母親の介護の仕事に就く。マーク・レンバートは生きていれば彼の叔母にあたるアン・レンバートが7歳の時拉致され殺害された未解決事件の真相に迫った最初の本を出していた。そのことがあってか、彼女はマークに母の告白内容を相談したのだ。そして、彼に強く勧められ、Eメールで警察に母の告白内容を告げた。こうして、Cold Case マリア・リドルフ事件の再捜査が始まった。

1957年12月、シカゴから約90キロ西北西にある小さな町、シカモア。もう直ぐ8歳の誕生日を迎えるマリアは、大の仲良しのキャシーと通りで遊んでいた。そこにジョニーと名乗る青年が近づいてきた。それはキャシーが家に手袋を取りに行った数分の出来事だった。キャシーが通りに戻ったら二人共消えていた。そしてマリアの遺体が発見されるが事件はお蔵入りとなる。犯人のジョンは名前を変えて4人目の妻とシアトルに住んでいた。再捜査チームが周辺を嗅ぎ回る。一時シアトルの警官もやっていたがレイプ事件がらみで辞めていることが分かった(こんな奴でも他の州へ行けば警官になれるところが怖い。広さ故であろうか)。さらに前妻に聞くと、性的な偏向があるという。秘密の倉庫を見つけ出し捜査したところ、出てくるは出てくるは、イカガワシイ写真の類。2011年、54年ぶりに事件は解決した。

日本も未成年者の行方不明事件はあるが、アメリカは大人も含め、女児・女性の拉致を中心とするMissing(行方不明)が実に多い。公園をジョギングだったり、美容室の女性が昼間忽然といなくなる。所在がわかった時は大抵遺体で見つかった時だ。記憶に新しいところでは、この間のクリーブランド・オハイオで拉致から10年ぶりに発見、救出された3人の女性拉致事件だろう。しかも、この事件は犯人の近所で全部起こっている。毎日どこかでMissingが起こっていると思ってよい。車社会のアメリカではターゲットを定めたら、5-10秒あれば車に押し込め、アッと言う間に連れ去ることが出来るだろう。だから、公園のジョギング、駐車場での周囲への目配りは欠かせない。この国に住むには緊張感が何より必要だ。

メキシコよ、おまえもか

2013年08月11日 | アメリカ通信
つい先日、アメリカが世界の肥満大国一位の座を明け渡したとのニュースが流れた。とって代わったのがお隣のメキシコである。これは、なにもアメリカの肥満が改善されたからではない。メキシコの肥満化スピードがアメリカのペースを上回ったからに過ぎない。アメリカに改善の兆しなどまるでない。

面白いものだ。国境を接する二つの国が世界の一位二位を競っている。明らかにメキシコの肥満加速化の部分的誘因はアメリカの影響だろう。地続きでNAFTA経済協力圏としてあらゆる交流(不法流入も含め)が活発なのだから当然と言えば当然か。とは言え、もうひとつのNAFTA圏にある北のお隣カナダはどうか。ベスト、いやワースト20にも入っていない。傍若無人なアメリカの陰で、目立とうとすることもなく、ひたすら堅実に生きているイメージのカナダ人。さぞかしアメリカの肥満化を見て、決してあのようにはなるまい、と冷ややかに見ているような気がする。

先日、久しぶりにあるブランドのカジュアルシャツを買った。サイズはXSである。帰ってから大分前に買った同じブランドのシャツのサイズをみたらSだった。シャツを比べたら殆ど同じ。という事は、同じサイズでも明らかにサイズ表示がワンランク上がっているのだ。その伝で行くと、昔のMは今やLとなる。最近の太めサイズのバラエティは凄い。兎に角多いのがLLで更にトリプルLが所狭しと並んでいる。そして小さめのLも多い。Mがちらほらで、SやXSを探すとなると大変で、買う気がしなくなるのだ。店に入ったことは無いのだが、昔から”ビッグ&トール”という店があるの。ここのサイズはどんなものが置いてあるのだろうか。

日本ではMで通るよし坊だが、アメリカでは子供である。その証拠に、これも先日どうしても必要でジャージのパンツ(長ズボン)を買ったのだが、BOYSコーナーのLが最フィット品であった。ま、こちらの坊主どもも半端でなく皆デカイ。

街では今日も肥満人がのし歩くように歩いている。車の窓から見る光景に、今朝もワイフとため息をつく。

ムダをどこまで許容するか(ハイテクとローテクの狭間で)

2013年08月08日 | いろいろ
寸部の隙もないくらいの無駄を排除した生活をするとしたら、恐らく人間は壊れてしまうだろう。人間の生活にとって、ある程度の無駄は必要で、それは謂わば潤滑剤のようなもの。そう思うのだが、それにしても現代の生活は、あまりにも無駄が多い、いや多すぎる。

テレビ
日本に居ればそうはならないだろうが、アメリカに住む我が家では大分前からテレビ番組の契約を打ち切った。テレビのニュースと言うのは次の事件でも起きなければ同じニュースを流し続け、面白味が無い。観たいドラマも翌日その放送局のインターネットサイトで一日遅れで観れるから問題なし(ここが日本と違う)。以前はサッカーだけはケーブル番組に加入しようかとも考えたが、インターネットで世界中の試合がライブで観れるので、これも不要となり、とどのつまりがニュースやエンターテインメントはすべてインターネットの恩恵に浴しているわけだ。この部分はパソコンとインターネットというハイテクの旨味を享受させてもらっており、従来型のものを切り捨てて、かなりの無駄省きとなっている。

ケータイ・スマホ
5-6年前、久しぶりに日本へ帰った時の電車の中の異様さには絶句したことがあった。老若男女こぞってケータイのメールチェックに忙しく、人の声がしない。皆、片時でも誰かと繋がっていないと不安で仕方がない、といったような感じだ。銃を持ったら使いたくなる。ケータイやスマホも同じようなもので使用度はエスカレートしていく。まるで麻薬のようなものだ。

よし坊のケータイはかなり昔の機器で電話機能だけのものだ。最近はビジネスでの話も殆どないから、緊急用としての位置づけでしかない。しかもプリペイドだからコストは安い。何が必要で何が不要かを吟味してフリルカットしていけば無駄な金を使わないで済む。

日本にいる娘は未だケイタイ派。最近スマホに替えたいと言ってきたから、よく考えよ、と伝えた。スマホは携帯パソコンに従来の電話やメールが出来るケータイ機能を付けたものと解釈するのが適当だろう。とすれば、ビジネスにはその価値があるかもしれないが、個人が使う機器として適当なのか。人は日常でスマホのパソコン機能に頼らざるを得ないものがどれほど有るのだろうか。???の連続である。

寂しい現代人のオモチャと割り切り、これも潤滑油としての”ムダ”と考えても良いのだが、それにしても、これだけ中毒症状的依存となると、度を越しているわけだ。何事も度を越すとロクなことにはならない。こう考えるのは、単なるローテク老人のヤッカミだろうか。