よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

字が書けない - 漢字劣化が加速する

2014年09月26日 | いろいろ
歳を追うごとに字が書けなくなっている。ハイテク機器の発達による、有難くない”賜物”である。

今から約20年も前、当時は漸くノートパソコンが個人ベースで普及し始めた頃、アメリカ赴任を機に、今までは見向きもしなかったノートパソコンを購入した。動機は、当時のアメリカではパソコンがオフィスでは不可欠であることを外資系に勤めていた友人から聞いたからだ。ワープロソフトは一太郎が全盛であった。しかし、この時からよし坊の漢字劣化が始まった。

もともと本を読むのが好きだったから、今でも少々難しい漢字でも読める。しかし、時としてそれほど難しくない漢字が書けない。この傾向はパソコンの普及と正比例するように、加速的に書けなくなってしまった。

そんなよし坊のレベルを基準に現代を考えると、末恐ろしや、である。よし坊より少し若い世代は言うに及ばず、その遥か若い、今の小中学生の世代を考えるに、背筋が寒くなる思いだ。

先日もテレビの番組で、文科省が学校教育にタブレットを取り入れる件で、賛否を報道していた。その中で、タブレットを使うことで達成感が生まれてしまい、内容が頭に残らないとの懸念が報道されていたが、それは本当だろう。自分の手で書いた感触が残らないから、頭に入れたつもりでも、結局映像を見ているだけで、体で覚えることにならないのだろう。人間は体で覚えたことはなかなか忘れないものだ。現代はそれが欠如している。

日本の言葉とそれを使った文章が美しいと言われる所以は漢字の存在だろう。表意文字だから、そこに漢字の形とともに深い意味が詰まっている。そこから日本語特有の微妙なニュアンスが醸し出される。だから、表音文字の英語で表現しようとすると壁にぶち当たることが多い、日本語の翻訳は相当難しいのを実感する。

そのうち、日本語も全てひらがな、カタカナの時代が来るかもしれない。考えただけでゾッとする現代であり、将来である。

味覚の慣れは恐ろしい

2014年09月19日 | アメリカ通信
日本人の主食であるコメ。いろいろな主食があるが、日本人はこのコメを食べると妙に落ち着き、満足感が体を覆う。

小さな頃の記憶に米穀通帳がある。コメが配給の時代だった頃だ。だから闇米が流通していた。戦後の日本は主食の生産とその安定確保に大変な時代だったことが分かる。当時のコメも水稲と陸稲があった。当然、水田で作った水稲のほうが美味しかったのを覚えている。外米というのもあった。あれはタイ米だったと思う。これは正直言って美味しくなかった。今時の子供に水稲だとか陸稲と言っても?????であろうが。

この配給制度があの大阪博万博の前年まで続いていたわけだから、いささかの驚きではある。東京オリンピックを成功させ、万博を呼び込んだ日本が、躍進する70年代80年代へ突入する”夜明け前”に差し掛かっていた時代なのだろう。そして飽食の時代へと一気に押進む。

面白いもので、その飽食と平和の世の中に、突然現れた、古米、古古米騒動。コメ不足でやたら古いコメが市場に放出され、それでも足りず、再び外米の配給となるとは。飽食になれた日本人の狂乱が始まった。

昔から、日本以外で美味しいコメはシンガポールとアメリカにあった。出張でシンガポールやアメリカに行けば美味しいコメにありつけたものだ。だから、伝手のある連中はそこに目を付け、現地からの出張者にコメを持ち込ませていたのを覚えている。しかし、この辺りからの日本のコメ作りには目を見張るものがある。ササニシキ、コシヒカリが広く流通し、今やコシヒカリ全盛になってしまった。

1995年、我が家は転勤でアメリカを目指すことになった。アメリカのカリフォルニア米はジャポニカ品種だから美味い。家族の反応も良好であったのは言うまでもない。それは今でも美味しいはずなのだが、2000年前後にアメリカにもコシヒカリブームが訪れ、あっという間にブランドが増えた。以来、我が家もコシヒカリ一辺倒になってしまった。結果として、従来のコメが”不味い”となってしまったのだ。

今回、ワイフが日本へ里帰りするので、留守中は従来のコメを食べてみようという事になり買い求めた。三週間毎日それを食べたのだが、決して不味くはない。

今のコメがなくなるまでは、ワイフは我慢のお付き合い。終われば再びコシヒカリがやって来る。慣れてしまうと周りが分からなくなるから、たまには原点に戻るのも必要だ。原点に戻れば今の有難さを実感する。慣れとはそれほどオソロシイ。


鉄鍋掃除

2014年09月15日 | いろいろ
先週までの三週間 ワイフが法事と免許更新のため日本へ行っていたので、三度のご飯作りをする折にフライパン掃除を思い立った。フライパンを使いながら、なんと汚いことに気が付いたからだ。

ターゲットは鉄製の中華鍋と小さい卵焼器。早速汚れを落とした後の処理と使用法をネットで検索、作業に取り掛かった。とにかく油汚れが全ての元凶で、除去の厄介なこと。結局中華鍋は4日、小鍋は3日かかって汚れをそぎ落とした。

仕上げ後は手順通り、空焚きと油の擦り込みをやって完了し、ワイフが帰るまでに数回料理に使用し、問題確認した。

ワイフが帰国し、掃除磨きに感謝の言葉はあったものの、”どうせ直ぐ焦げ付くから”の一言。さすがに今のフッ素加工
全盛を生きる主婦の言葉。鉄鍋の使用法と手入れを知ってて忘れたのか、それとも最初から知らなかったのか。

かく言うよし坊も知ってたわけではないが、ひとたび使うとなれば正攻法で行かねばならぬ。台所をワイフにバトンタッチして、念のため鉄鍋使用法と手入れを伝えて様子を見たのだが、料理を終わった後に空焚きをするというサプライズである。

明治大正と昭和の初期に生きていない、戦後生まれの我々の、これが普通のレベルなのかも知れない。最初に正攻法を学んでいないとこうなると言うことだろう。

当分、鉄鍋の手入れはよし坊の仕事になりそうである。