よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

何故FIFAは暴かれたのか (1) ブレイザーの台頭 (ESPN調査報告より)

2016年02月27日 | サッカー
昨年5月27日、アメリカ司法長官ロレッタ・リンチがIRSとFBIを従えた異例の会見でFIFAの関係者14人の起訴を発表、ほぼ同時刻にスイス司法当局がFIFA本部に家宅捜査に入ったニュースは世界を驚かした。この異例とも思える会見は事件の重大さとともに、捜査当局の執念のようなものを感じさせる。

世界最大のスポーツ団体には予てよりきな臭い噂は飛び交っていたが、この伏魔殿のような団体が下手な証拠を見せることは殆ど無く、誰もが手を付けられないと思っていた。とりわけお膝元のヨーロッパでは成す術が無かったのではないだろうか。そんな中、サッカースポーツでは二流とも言えるアメリカが何故FIFAを追い詰める事が出来たのか。まだ全容が解明されていない段階だが、ESPNが独自の調査で捜査、裁判所資料を入手し報告書を纏め上げた。何回かに分けてその内容を辿ってみたい。

チャック・ブレイザー。FIFA本部の役員にして、北中米サッカー連盟の事務局長を務めたNY生まれのこの男が居なかったら、FIFAの暴露劇は無かったであろうし、FIFAはこの先何年もの間、不正に塗れながら輝かしい表看板を上げ続けた事であろう。今回の暴露劇の主役である。

マンハッタンに近いクィーンズの労働者階級で生まれ育ったチャック・ブレイザーは、子供のサッカーコーチを通してアメリカにおけるサッカーの将来性を予感し、次第に地域のサッカー普及活動にのめり込んでいき、団体の重要ポストを占めるようになる。この事はアメリカサッカー連盟のトップと面識を持つことになり、その招致メンバーとして1994年のW杯アメリカ開催へ漕ぎつける。しかし、彼の短気でキレやすい性格の為、連盟を去ることになる。しかし、サッカー界での野心に燃えているブレイザーは、当時まだなかった男子プロリーグを立ち上げしようとするのだが、使い込みがばれて、クビになってしまう。ブレイザーのダーティな一コマが既にここで現れている。

アメリカで活動の場を失ったブレイザーだが、これで終わらなかった。

我が街 アトランタ (4) 一路アトランタへ

2016年02月15日 | 風と共に去りぬ の アトランタ
4月の新年度に合わせて3月末までにはアトランタへ赴任すべく準備が始まったのだが、すべてはビザ次第である。一か月もあれば取得出来るだろうと思われたEビザ申請、これがなかなか下りない。人事では遅くとも3月末までには下りるだろうと、早々と3月末付けで人事発令を出してしまった。人事発令を急いだもうひとつの理由は3月末で事務所を移転し、組織も新体制になる予定であった。そして、ビザが下りないまま4月に突入した。この時点で本社でのよし坊のデスクは無くなったのである。

4月からビザの下りる6月までの約2か月半、よし坊は宿無しとなった。会社に行っても席が無いから、空いている会議室を転々とする有様で、それはまるで窓際族のような味わいであった。あ~窓際族とはこういう雰囲気なのだな、と。お陰でいい体験をさせてもらったと思っている。

思えばこの年、1995年は記憶に残る年である。年明けの1月17日は関西淡路大震災を奈良の家で体験し、3月20日には東京で地下鉄サリン事件を目の当たりにした。

出発日を6月14日に決め、引っ越しその他の段取りの為奈良へ戻った。アトランタへ送る物の準備をし、家族の段取りを確認した。長女は高校3年になっていたので来年の卒業後の来ることにした。次女はこの年高校に進学したが、進学の際、一学期で辞めてアメリカに来ることにしていた。日本の高校を一学期だけでも味わう方がよいと判断した。こうして、ワイフと次女は7月29日にアトランタに来ることになった。

6月14日水曜日、JALで成田を飛び立ち、同日午後3時過ぎ、森の中に浮き上がるようなアトランタ周辺を眼下に見ながら空港にタッチダウンした。南部ニューサウスの旗手、アトランタでの長い生活の始まりである。その第一歩、いや第一夜は、翌年のオリンピックに合わせて開業した日航ホテルアトランタを予約。この支配人が大学の後輩であることを赴任前に知ったからである。

我が家のデザート

2016年02月08日 | アメリカ通信
日本で暮らせば美味しいもの満載だからお金さえあれば好きなデザート類がすぐ手に入るが、アメリカではそうもいかない。デザート類は言うに及ばず、およそアメリカの食べ物は甘~いか塩っぱ~いかのどちらかで、我ら日本人には口に入りにくい代物だ。

我が家の定番はピーナツである。昼食後夕食後の二回必ず食べる。ことのきっかけは今から6年前、ワイフの姉が友達と馬酔木に来た時に「ピーナツ入り柿の種」をお土産に持ってきてくれた。何故かこの時にピーナツに目覚めてしまったと言うべきか。住んでいる所が全米一のピーナツ産地と言うことでもないのだが、兎に角その時以来ピーナツを食べ続けている。参考までにアメリカのピーナツは日本のに比べ歯ごたえも柔らかコクがあるような気がする。

問題は和菓子洋菓子の類である。これには、我がワイフの貢献度は非常に大きく、堪能させてもらっている。頻繁に出てくるのは、寒天に小豆とアイスクリームをトッピングしたもの。寒天は日本に帰ったときに寒天パウダーを大量に買ってくる。小豆は大納言などと言わなければアメリカ産で十分だし、アイスクリームはハーゲンダッツが普通に売っているからこれで間に合う。小豆が使えるので水羊羹にもありつけている。最初水羊羹は漉し餡だったが、よし坊の強い希望で、最近は粒入りにしてもらっている。

栗のシーズンに入るとマロンケーキが出てくる。この変形でマロンロールというのも出てくる。これらはお世辞抜きで相当に美味しいと評価できる。オールシーズンものとしてはシフォンケーキがある。洋菓子類はこの範囲で十分満足している。

問題は和菓子類だ。長らく作って欲しいと要望し続けた甲斐あって、最近漸くその気になってくれたのが、みたらし団子と大福である。みたらし団子は一度、大福は二度作ってくれたが、まだ改善の余地がありそうである。これらのレシピが確定すれば、これ以上望むことはあるまい。

てなわけで、何とかデザートも我が家なりに充実しつつある今日この頃である。

映画三昧 - 俳優魂女優魂 二階堂ふみに失望

2016年02月03日 | 映画
今日は観ようと思った映画を観なかった話。

映画を観る時、誰も登場人物やら俳優とその粗筋を頭に入れて観るだろう。よし坊も例外なくそうしている。「この国の空」という映画を観ようと思った。戦争中の題材が少ないこともあるが、二階堂ふみが出ているからである。映画「ヒミズ」以来、この新人女優は将来いいところまで行くものを持っているなと、密かに期待し始めていたのだが。この映画の製作エピソードを読むに及んで、よし坊の期待はすっかり崩れ、観ないことに決めた。この映画だけでなく、彼女の出るこれからの映画はもう観ることはないだろう。

原作があり脚本が出来、配役が決まる。監督がオーケストラの指揮者の如く、序章から終章までを演出する。俳優や役者は監督の意図の元、役を演じるのである。それが演じる者の務めであろう。

脇の下が映るかもしれないシーンが有り、監督は二階堂に腋毛を付けるよう頼んだ(本来なら、ここは”命じた”でなければならないのだが)。当時の女性は殆ど脇を剃る習慣が無かったことによるもで、監督の要求は至極当然で、時代考証を無視したら台無しである。ところが、二階堂はとんでともない、嫌だ、と拒否したそうである。同じシーンの工藤夕貴は快諾したという。これは、単に二階堂が若く、工藤が相応に歳をとっている、という問題ではない。役者精神があるかないか、なのである。役を演じる積もりが無ければ映画に出てはいけない。

テレビのドラマなら、それでもいいだろう。所詮テレビドラマはストーリーの流れを叙事詩的に綴るに過ぎない(もちろん、中には優れた秀作もたまにあるが)。その点、映画は約二時間の中に全てを託して何かを語ろうとする。映画芸術とか舞台芸術は有っても、テレビドラマ芸術とは終ぞ呼ぶに至らない。

場面に映ろうが映るまいが、そこになくてはならないもの、が有るならば当然そうあるべきで、そこに恐らく映像の深みというのも出てくるのだろう。ギリギリまでのリアリティを追及しない映画はどこかで嘘っぽく見えてしまう。映画とはそういうものだろう。